東京オリンピックの開催は99%ムリだと断定しつつ批判する本間 龍の議論,JOC側の五輪組織委員会もすでに承知でいるはずの問題なのに,国民たちにはなにもいえずに黙りこんでいる現状(窮状?)

 コロナ禍が収束するかどうかさえまったく分からない「来年以降の見通し」のなかで,「ボランティアへの参加詐欺」や「観客への感動詐欺」を高く売りこむ「国際大運動会」を開催したい東京五輪組織委員会の幹部面々,その厚顔無恥さだけは金メダルもの

 

 【要  点】 2020年夏はめずらしくも7月いっぱいつゆが明けずに冷夏で経過したが,もともと酷暑・猛暑の時節に東京でオリンピックを開催するという “狂気の沙汰” の実現を,まだ諦めていないIOCの立場・発想は,考えられないほどにオリンピック独善的なエゴをムキ出しにしている。山本リンダが1972年に流行らせた歌:「どうにもとまらない」が “ヘソ出しルック” で踊りながら歌っていたことを思いだした

 

  公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の役員一覧は(2020年9月9日現在),こういう構成である。

 名誉会長
  一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長
  キヤノン株式会社代表取締役会長兼社長CEO 御手洗 冨士夫
 
 会 長
  元内閣総理大臣
  公益財団法人日本スポーツ協会最高顧問    森 喜朗


 副会長
  衆議院議員
  2020年東京オリンピックパラリンピック大会推進議員連盟幹事長
  公益財団法人日本スポーツ協会副会長      遠藤 利明
  パナソニック株式会社代表取締役社長      津賀 一宏
  公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構顧問  河野 一郎
  国際オリンピック委員会委員
  公益財団法人日本オリンピック委員会会長
  国際柔道連盟理事               山下 泰裕
  国際パラリンピック委員会理事
  公益財団法人日本障がい者スポーツ協会理事   山脇 康
  東京都副知事                 多羅尾 光睦

 

 専務理事(事務総長
  株式会社大和総研名誉理事           武藤 敏郎

 常務理事(副事務総長
  元文部科学省スポーツ・青少年局長       布村 幸彦

 常務理事
  公益財団法人日本オリンピック委員会専務理事  福井 烈


 理 事
  作詞家                    秋元 康
  麻生セメント株式会社代表取締役会長      麻生 泰
  国際オリンピック委員会オリンピックプログラム委員会委員  荒木田 裕子
  公益財団法人日本スポーツ協会副会長兼専務理事  泉 正文
  福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長
  一般財団法人世界少年野球推進財団理事長      王 貞治
  日本政府代表
  中東和平担当特使               河野 雅治
  東京都議会議員                小山 くにひこ
  スポーツ庁長官                鈴木 大地
  東京都議会議員                髙島 なおき
  株式会社コモンズ代表取締役会長        高橋 治之
  公益財団法人日本オリンピック委員会副会長
  公益財団法人日本サッカー協会会長
  国際サッカー連盟カウンシルメンバー      田嶋 幸三
  オリンピアン(体操)             田中 理恵
  オリンピアン(柔道)             谷本 歩実
  トヨタ紡織株式会社取締役会長         豊田 周平
  東京都オリンピック・パラリンピック準備局長  中村 倫治
  公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会参事 中森 邦男
  パラリンピアン(水泳)    成田 真由美
  写真家
  映画監督           蜷川 実花
  衆議院議員          馳  浩
  東京都議会議員        東村 邦浩
  公益社団法人関西経済連合会会長
  住友電気工業株式会社取締役会長
  近畿陸上競技協会副会長
  公益財団法人日本陸上競技連盟評議員
  一般財団法人大阪陸上競技協会会長    松本 正義
  参議院議員               丸川 珠代
  公益財団法人日本スポーツ協会常務理事  ヨーコ・ゼッターランド
  公益財団法人日本陸上競技連盟会長    横川 浩
  国際オリンピック委員会委員
  国際体操連盟会長            渡邉 守成


 監 事
  公益財団法人日本オリンピック委員会監事/弁護士  塗師 純子
  東京都会計管理局長                佐藤 敦

    (以下,後略)

 「肩書きなどをみせびらか」すために「氏名もついでに添えられている」かのような「東京五輪組織委員会の最高幹部たちの一覧」である。なかでも,現在,山下泰裕が務める公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)会長は,前代は元皇族の末裔であった竹田恒和が務めていた。だが,2020東京オリンピックの誘致問題で賄賂行為の疑いで国際的な警察捜査の対象になっていた事実を受けて,その会長職から降りるほかない仕儀になっていた。

 そもそも,JOC会長に元皇族を充てていたというJOCの組織運営問題もあったが,このオリンピックという国際大運動会がいまでは,完全に商業主義(金儲け)のためのものになりかわっていた事実が,一番注目されてよい。

 オリンピック大会としての「本来の理念や目的」は,すでに完全に形骸化した。アマチュア精神などどこかへ吹っ飛ばした状態のまま,ともかく,各種目において勝てる選手がメダル獲得めざして戦うだけの “国際的な競技大会” になっている。

 ところで,実際にオリンピック大会を開催するに当たり,ボランティアたちに対しては,先験的に「無条件に感動できる!」「無報酬で奉仕できる!」といった精神論的な昂揚策に頼るだけの動員体制を敷いていた。そのうえで,しかもただ働きを当然とみなし,大勢の人たちを酷使する条件に関しては,「オリンピックなのだからみんながんばって甘受できるよね」「喜んで自分の労力を精一杯に提供するよね」と無理強いをしている。

 補注)なかでも記憶に強く印象づけられている1件があった。それは,薬剤師をかり出そうとした案件であったが,あまりにもひどくも搾取的な労働条件に対して薬剤師側からは猛反発が湧き上がっていた。そのときにゆきかった薬剤師側から提示された意見・批判はもっともなものばかりであった。

 要は,オリンピックの開催問題になると,誰もが実質的に無条件で完全に組織委員会の思うとおりに無償で奉仕するのが当然であるといったふうな,JOC側の無神経というか傲慢以外のなにものでもない超エリート意識でもってする大衆動員が全面的に展開されるゆえ,まともに常識のあるつもりでいる人びとからはただちに反発・反感しか出てこなかった。。

 しかし,とくにJOCの役員のなかでも常勤の理事(専務理事や常務理事)は,好条件の待遇をうけていながら,前段のような国民・庶民たちのオリンピックへの動員体制を当たりまえと心えている。

 現在のオリンピックは,国際大運動会としてそれも完全に商業主義・営利化してしまった。はたして,このオリンピックじたいを,いまの時代になって開催する必要があるのかという疑問を,それも基本的な問題点として問われてよい時代になっている。にもかかわらず,いつまで経っても,クーベルタン男爵(フランスの教育者で,古代オリンピックを復興させ近代オリンピックの基礎を築いた創立者)の気分だけは,純粋に維持しているつもりである。  

 さて,いうまでもなかったが,2020東京オリンピックの開催予定は7月下旬から8月上旬にかけてであった。だが,コロナ禍のために延期になっている。前段に役職と氏名を紹介してみた「IOC五輪組織委員会の構成員」たちに関しては,つぎのような関心事が語られていた。

   ★ オリンピック延期で「コスト削減」をうたうも…… ★

 

 なお,今〔2020〕年3月のオリンピック延期決定を受け,オリンピック組織委員会は大会の位置づけや原則,今後のロードマップを公表。

 

 〔この〕延期で数千億円規模の追加費用が発生するとみられるためか,国民や都民から理解をうるために「サービス水準の見直しを含んだ効率化・合理化を進め,簡素(シンプル)な大会とする」という文言があり,「とくに予算影響の大きい分野を含め,すべての分野を対象に効率化・コスト削減を検討」と記されています。

 

 しかし,残念ながら2020年8月8日現在,前述した役員報酬に関する約款が更新された形跡はありません。つまり「すべての分野を対象に効率化・コスト削減を検討」とうたいながら,1人あたり年間最大2400万円にもおよぶ報酬を率先して減額しようとする動きはみられないわけです。

 

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  補注)このIOCの役員・評議員たちに適用される俸給表は「10万円刻みの号俸」になっている。この点は,いかにも鷹揚(簡潔?)に作成された俸給表だという印象を受ける。

 

 ボランティアにタダ働き以下の待遇を強いる一方,各種経費まで全額負担されるなど,十分な待遇が約束されている組織委員会の役員。報酬をうることは悪いことではない。だが,すべての分野を対象としたコスト削減を訴えるのであれば,まず隗より始めてみることを薦めたい。

 註記)「東京オリンピック組織委員会,追加費用対策で『コスト削減』強く訴えるも自らの役員報酬(年間2400万円)はそのまま」『Buzzap!』2020年8月10日 20:00,https://buzzap.jp/news/20200810-tokyo-olympic-stipulation-cost-cut-2021/

 補注)IOCの役員たちの誰々が,実際に,どの号俸や経費を支給されているのか,いまここでは分からない。

 ウィキペディアの記述のなかには,東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の「2015年度(平成27年度)は,約290億円の黒字となった。収入が約407億円で,支出が約116億円だった(事業費・管理費の計で,役員報酬が6747万円,顧問料が1億1313万6656円」と説明されている。

 そのうちの役員報酬とは多分,主に「専務理事の武藤敏郎」と「常務理事の布村幸彦と福井 烈」の3名に支給されている金額と推測しておく。顧問料という金子も曲者の費目に感じられるが,詳細はここでは不詳であるので,それ以上は言及できない。

 ちまたでは,前段の俸給表だけをみて前段のように「1人あたり年間最大2400万円にもおよぶ報酬」が,役員〔たち〕に支給されていると推測していた。役員たち全員が月額200万円の俸給を支給されているとは思えないので,このあたりの判断には注意したい。

 「『役員』とは理事および幹事を指すもので,『報酬』とは別に交通費 / 通勤費,宿泊費などの旅費,手数料などを含んだ「費用」の項目があります」。「役員報酬一覧はこんな感じ。月額最大200万円,年額にして最大2400万円が支給されます」と書かれているからといっても,繰り返して断わっておくが,その全員がこの200万円を月給としてもらえているわけではない。

 いずれにせよ,東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は,以上のごとき報酬・経費関連の情報を,より具体的に公表する義務がある。

 

 「〈新型コロナウイルス〉東京で新たに102人感染 月曜 100人超は8月末以来」asahi.com 2020年10月26日 14時51分,https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20201026001658.html

 東京都が〔10月〕26日,新型コロナウイルスの感染者を新たに102人確認したことが分かった。検査態勢の影響で感染者数が少なくなる傾向にある月曜日としては,8月31日(100人)以来の100人超えとなった。また都は同日,都内の感染者が累計で8人減ると発表した。

 

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 以上の記事に関連しては,すでになんどか指摘した点であったが,要は安倍晋三君が首相のとき,つまり2020年5月25日に「日本モデル」によってこそ日本は新型コロナウイルス感染症に打ち勝ったなどと,医学史的には想像を絶するような「無理解=脳天気」を全開にさせた状態で「対・コロナ勝利宣言」を放っていた事実を,いまごろではあるが,再度想起しておきたい。

 前掲記事の図表は,なにを物語っていたか。すなわち,その5月25日あたりを「底」にしていたわけであるが,コロナ禍の感染者数そのものの趨勢は,その後もじりじりと増加しつづけ,つゆの最中であった7月下旬から8月になると,さらに増加していた。このままだと冬を迎えて懸念される状況が起こりそうである。

 つぎの図表は,東京都におけるコロナ・ウイルス感染者数を,7月下旬から記録している。これは,日本全体のその数になかで占める統計としては,「下止まり」している傾向を明確に指示している。さらに用心をもって今後に接すべき実態を教示している。

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 関東地方でみれば,7月いっぱいはつゆが明けずに冷夏気味であったが,そのつゆが明けた8月になってからは,「第2波」の襲来を思わせる感染者発生数を記録してきた。安倍晋三が独り相撲で7月25日に,「日本モデル」がコロナウイルス問題に打ち勝ったなどといえる筋合いなど,これぽっちも許さない現実の推移が記録されていた。

 今冬を迎えて日本でもさらに発生を予想するほかない「コロナ禍の第2波(あるいは第3波か)」の襲来をめぐっていえば,これを「予期」しなければならない「現実政治の緊急的な問題」とはまったく無縁の立場にいた前総理大臣「安倍晋三君の無教養ぶり」(医学的知識の全面的な欠落)は,日本におけるコロナ禍対策を混乱させてきた。

 なかでも「PCR検査体制をどうする,こうするなどと,まだ議論している」日本における新型コロナウイルス防疫対策のお寒い体制は,この国における感染症対策面を医療体制として評価するに,実質的に後進国である事実まで暴露させていた。とくに,厚生労働省感染症研究所の独裁的で恣意的な対策・行動は,対コロナ禍に対峙する官庁としてのほとんど無策どころか,かえって有害な存在でしかなかった。

 ともかく,コロナ禍が2020東京オリンピックの開催を延期(1年)させたが,その後において話題になってもいるように,はたして1年後に本当に開催できるかという問題については,すでにIOC側のバッハ会長も欧米における感染者数(死亡者数)が,依然,収まりも減りもしない状況をみせつけられて,いまではかなり開催には弱気になっている(中止を決めているという情報もある)。

   ◆ コロナ新規感染,世界で再び拡大 1日あたり初の50万人超 ◆
     =『日本経済新聞』2020年10月26日朝刊4面「国際」=

 

【ニューヨーク=大島有美子】 世界で新型コロナウイルスの新規感染が再び加速している。1日あたりの世界の感染者数は23日,初めて50万人を超えた。米国では中西部を中心に感染拡大が続き,欧州でも再拡大が勢いを増す。北半球が冬にさしかかるなか,各国は感染封じこめのための措置を迫られている。

 

 米ジョンズ・ホプキンス大によると,〔10月〕23日の世界の新規感染者数は50万6570人。7日移動平均ベースでみても過去最高の41万人となった。累計感染者数は日本時間25日午後3時時点で4260万人を超えた。国や自治体による外出制限措置やマスク着用の習慣の浸透などにより9月にかけて新規感染の増加は抑えられていたが,10月以降に急増している。

 

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 国別にみると,米国では〔10月〕23日と24日のいずれも約8万4000人と過去最高水準だった。感染の基調を測るため7日移動平均でみると,24日時点で約6万7000人となり,7月のピークに近づきつつある。米国ではこれまで3つの感染の波がみられ,拡大の中心地域が異なる。3~4月が東部ニューヨーク州,7~8月は西部カリフォルニア州や南部フロリダ州テキサス州だった。

 

 感染の「第3波」となっている足元では中西部での感染拡大が深刻だ。ウィスコンシン州ノースダコタ州オハイオ州など約30の州・地域で24日に新規感染者数で過去最高を更新した。トランプ米大統領は22日の大統領選の討論会で「感染拡大は峠を越えた」と強調したが,このまま続けばその規模は第2波を上回る公算が大きい。

 

 米国の感染状況を分析する「COVID トラッキング・プロジェクト」によると,全米の入院患者数は24日時点で4万1千人おり,10月はじめと比べて3割増えた。1日当たりの死者数も徐々に増えており,医療体制の逼迫も懸念される。米国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は「陽性率の高い状態のまま,冬に突入してはいけない」と警鐘を鳴らす。

 

 欧州でも感染拡大が収まらない。7日移動平均でみた欧州連合(EU)27カ国と英国の新規感染者数は24日に15万人超となり,10月1日時点と比べて3倍と急増した。フランス,英国,スペインなどで過去最高水準で推移している。

 

 欧州ではここにきて,再びロックダウンなど感染防止策を講じる国が増えている。ポーランドは〔10月〕24日,飲食店や一部学校の閉鎖,外出制限など部分的なロックダウンを導入した。ドゥダ大統領のコロナ感染も判明した。スロベニアのロガル外相の感染も明らかになった。アイルランドでは住民の外出を自宅から5キロメートル圏内の運動に限るといったロックダウン措置を22日に導入した。

 以上の記事を読んでみて,また日本国内におけるコロナ感染者数の趨勢経緯を観て,1年延期にされた東京オリンピックの開催そのものが,はたして可能かどうかについて,まだその可能性があると思いたい人は,よほどの楽観論者である。というよりは,コロナ禍に対する認識が,医学的にという以前に,常識的になっていないと批判されていい。

【参考記事】


  石川智也・ジャーナリスト,本間 龍「東京五輪開催は99%あり得ない。早く中止決断を-スポンサー企業に名を連ねた新聞社に五輪監視は不可能だ-」論座』2020年09月27日,https://webronza.asahi.com/national/articles/2020092400006.html?page=1〔~ page=6〕

 この朝日新聞社系のネット記事『論座』に収録されていた対話記事は,ほかの大手紙ではまだまともに議論されていない「東京オリンピック開催不可」の背景・事情を,本間 龍に語らせている。だいぶ長文であるが,あえてここに転載した(読み安くする工夫をくわえてある)。最後の箇所で,本間がこの「僕のインタビューが朝日の媒体に載るんですか?」と尋ねていたところは,「爆笑か」それとも「失笑か」という形容のそのどちらともいえない気分にさせられた。

 

 石川智也の話(談)

 「もうやれないだろう」「それどころではない」。多くの人が内心そう思っているのではないか。

 東京五輪パラリンピックの延期決定からそろそろ半年。人びとの会話から五輪の話題はもはや消えつつある。コロナ禍が経済と国民生活を蝕みつづけるなか,なお数千億円の追加費用を投じ五輪を開催する正当性への疑問は膨らむばかりだ。

 それでも国,東京都,大会組織委員会は,五輪を景気浮揚策にすると意気ごみ来夏の開催に突き進んでいる。いや,突き進む,は不正確な表現かもしれない。組織委の現場ですらいまや疲労感が漂い,職員たちの士気は熱意というより惰性と日本人的な近視眼的責任感によって支えられているようだ。

 まだ日本中に五輪への「期待」が充満していたころから東京五輪に反対してきた作家の本間 龍さんは,いまあらためて「早々に中止の決断をすべきだ」と訴えている。

 行き過ぎたコマーシャリズム,組織委の不透明な収支,10万超のボランティアを酷暑下に無償で動員する問題点などを早くから指摘してきたが,それ以上に,多額の税金を投じたこの準公共事業へのチェック機能を働かせてこなかったメディアに対する批判の舌鋒は鋭い。

 「議論されて当然の問題が封殺されてきたのは,朝日新聞をはじめとする大新聞が五輪スポンサーとなり,監視すべき対象の側に取りこまれているからです。新聞は戦中と同じ過ちを繰り返すんですか?」

 これまで大手メディアには決して登場することのなかった本間さんに,あらためて東京五輪の問題点に切りこんでもらった。(以上,石川智也)

※人物紹介※ 本間 龍(ほんま・りゅう)は,1962年東京生まれ,1989年に博報堂に入社し,2006年に退社するまで営業を担当。その経験をもとに,広告が政治や社会に与える影響を題材にした作品を発表している。著書に『原発広告』亜紀書房,『原発プロパガンダ岩波新書,『電通大利権』サイゾー,『ブラック・ボランティア』角川新書など。

 なお,以下で◆はジャーナリストの石川智也,★以下が本間 龍である。

 

 1)『あらゆる判断材料が「中止」を示している』

 ◆ 安倍晋三前首相は2年あるいは4年延期論を振り切り,「ワクチン開発はできる」と来夏開催を早々に決めました。景気対策の効果をより早く出したいとの思惑があり,小池百合子都知事とも利害が一致したようです。しかし,NHKの〔2020〕7月の世論調査では,「さらに延期すべき」が35%,「中止すべき」31%,「来夏に開催すべき」26%(朝日新聞の調査では来夏開催は33%,再延期32%,中止29%)と,国民の意見は割れています。

  ★ 東京五輪の開催はワクチンや治療薬の開発が間に合うかどうかにかかっていますが,可能性はきわめて低いでしょう。世界保健機関(WHO)は今月,コロナワクチンの普及は来年中盤以降との見方を示し,9月8日には世界の製薬・バイオ企業9社が拙速な承認申請はしないという共同声明を発表しました。

  いくら政治の圧力で開発を急いでも,重篤な副作用が発生して訴訟沙汰になれば会社は潰れる。当然の判断です。

  政府と都,組織委は9月4日に合同のコロナ対策調整会議を開きましたが,入国した選手を「隔離」して複数回のPCR検査を受けさせる,といった案が話しあわれたらしいですね。でも選手やコーチ,関係者を合わせて数万という数の人の健康管理を徹底するのは,きわめて困難です。

  また,事前合宿をする各国の選手を迎える「ホストタウン」が全国400以上で決まっていますが,多くはコロナ専用病床などない小さな自治体です。地域住民が不安なく受け入れられる態勢をこれから準備できるでしょうか。

 ◆ IOCと日本側は「簡素化」について話し合いを進めていますが,報道によれば,開閉会式の縮小にはIOCは否定的とのことです。簡素化の内容にもよりますが,どうなるにせよ,延期による追加費用は3千億円とも5千億円ともいわれています。

  ★ IOCのバッハ会長は「熱狂的なファンに埋め尽くされた会場をめざしている」といっていますし,無観客や客席大幅削減での開催は,入場料収入や巨額の放映権収入をあてにしている組織委やIOCにとってはありえない選択です。

  コロナ対策は「簡素化」の真逆をいくものです。選手村専用の感染検査態勢や機器等の準備,選手や関係者専用の病院と語学力のある医療従事者の確保,各会場やバックヤードでの検温器や空気清浄機,扇風機などの設置,その運用のためのマンパワーの確保……こうした対策費を上乗せすれば,追加支出が5千億円程度で済むとはとても思えません。

  組織委はいまスポンサー企業への協賛金追加拠出を要請しはじめていますが,組織委だけで負担しきれない追加費用は,一義的に開催都市の東京都が支払うことになります。つまり都民の税金で穴埋めするわけです。

 ◆ 戦後最大ともいわれる経済危機で,都はリーマン・ショック時の1860億円を大幅に上回る8千億円規模の緊急対策を発表しました。一方で財政調整基金は底を突きかけ,税収は1~2兆円の減収が予想されています。

  ★ 明日の生活に困っている人がこれだけ発生しているのに,さらに数千億円も投じることが,都民や国民に理解されるでしょうか。

  組織委の森 喜朗会長は,中止した場合には費用が「2倍にも3倍にもなる」といいましたが,その根拠を問われてもまったく明らかにせず,「たとえ話」とごまかしましたね。呆れる話です。バッハ会長は「再延期はない」という意向を示していますから,日本としてはなんとしても開催したいのでしょう。

  でもこのまま来夏の開催にこだわれば,「簡素化」の反対の巨額支出が発生し,「安心安全」とは反対の感染拡大への不安が高まることは,小学生にでもわかることじゃないでしょうか。

  それなのに,組織委も都も国も「予防措置を講ずればなんとか開催できるかも」「ワクチン開発が間に合うかもしれない」と期待を抱き,会場の賃貸料や組織委の人件費など莫大な出費を続けています。IOCはIOCで「2021年夏にこだわったのは日本だ」とすでに責任回避の予防線を張っています。

  あらゆる判断材料が「中止」を示している。いたずらに決断を先延ばして淡い希望を抱かせるのは,世界中のアスリートに対しても失礼です。早々に撤退の判断をすべきでしょう。

 

 2)『招致時の数々のウソ~そもそも開催の大義はあったのか』

 ◆ そもそも本間さんは招致決定のすぐあとから東京大会の問題を指摘し,その開催に反対だといいつづけてきました。

  ★ 僕は五輪そのものを否定しているわけではありません。4年に一度,世界中のトップアスリートが集ってハイレベルの技術を競い合う大会を開くことじたいにはべつに反対しない。

  でも東京五輪は問題が多すぎます。

  まず挙げられるのは,招致時の数々のウソです。招致委員会が発表した「立候補ファイル」には,7月下旬からの開催期間を「この時期の天候は晴れる日が多く,且つ温暖であるため,アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」とあります。

  近年の梅雨明け後の東京の気候を「温暖」などという生やさしい言葉で表現している人がいたらお目にかかりたい。大ウソです。

  〔つぎに〕安倍首相による「アンダーコントロール」発言もそうです。あの招致演説の時点で福島第1原発の汚染水問題はまったくめどが立っていなかったし,その後の東京での建設業界の五輪特需により,被災地では人員・資材不足が深刻化しました。「復興五輪」といいながら,むしろ被災地の復興の足を引っ張っている。「復興」は招致のための方便でした。

  〔さらに〕予算7千億円程度の「コンパクト五輪」のはずが,会計検査院によれば,すでに大会経費として国は1兆600億円を支出しています。表向きの大会予算1兆3500億円と都の関連経費を合わせれば3兆円超。際限のない肥大化です。

  〔くわえて〕エンブレム問題や新国立競技場のデザインをめぐる混乱,選手村用地の不当譲渡疑惑といった不祥事も重なり,さらには,贈賄工作をおこなった疑いで前JOC会長の竹田恒和氏がフランスで予審にかけられるに至りました。

  こうして挙げてみると,開催の大義がそもそもあったのか,きわめて疑わしい。

 

 3)『ボランティアは「やりがい搾取」』

 ◆ こうしたなかで本間さんがもっとも問題だと指摘してきたのが,ボランティアの問題ですね。

  ★ 組織委によると,大会運営にかかわるボランティアは8万人。これとは別に東京都が募集する「都市ボランティア」が3万人で,合わせて11万人にもなります。

  どんなイベントも,入場整理や案内,警備,物販など現場を支えるスタッフがいなければなりたちませんし,五輪ほどの規模のイベントとなれば,これだけの数の人は必要なのでしょう。オペレーションだけで想像を絶しますが,それはともかく,組織委はこれだけのボランティアをすべて無償,つまりタダで使うことを前提にしています

  「全研修に参加できる」「10日以上あるいは5日以上活動できる」「最後まで役割を全うできる」といった条件を課しながら,日当も宿泊費も支給しません。僕は,これは明らかに搾取だと思っています。

  補注)つまり,IOCもJOCも経済的な搾取をオリンピック大会を通しておこなう,それも,日本側では公益財団法人である東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会がおこなうとなれば,なにをかいわんや……。

  つまり,「ボランティア搾取」「やりがい搾取」の上に成立している五輪大会があって,さらにこの大会の頂上にはこの組織委員会の役員や幹部たちが君臨している。いってみれば,組織的な搾取のための体制を,具体的に引き受け指揮し執行する機関であるのが,この公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

 ◆ ボランティアというと,多くの人は「無償」というイメージをもっていますね。

  ★ ボランティアは「志願」「自主的」という意味で,無償などという意味はありません。にもかかわらず多くの人がボランティア=無償と思っているのは,タダで使いたい側の刷りこみによるものでしょう。

  過去の五輪と同様だ,という説明は事実に反します。平昌大会ではボランティアのための宿泊施設と3食分の食事あるいは食費が提供されました。

  ボランティア学の専門家によれば,ボランティア活動の中核的概念は「自発性」「非営利性」「公共性」です。地震津波などのさいに被災地に赴く災害ボランティアはまさにこれらの定義に沿うし,であればこそ,場合によっては無償で働いてもらうことに異論を挟む人はいないでしょう。

  でも,巨大商業イベントと化した現在の五輪は,「世界中のアスリートが競い合う平和の祭典」から大きくかけ離れた,究極の営利活動の場です。東京大会は,その金満ぶりからいっても過去の大会と比べて群を抜いています。

 

 4)『電通が集めた巨額の協賛金。「中抜き」は?』

 ◆ スポンサー企業はロンドン大会が14社(プロバイダー&サプライヤー企業を含め42社),リオ大会が18社(サプライヤー企業を含め48社)でしたが,東京大会は67社でその協賛金は約3500億円にのぼっています。過去最高だったロンドン大会のスポンサー収入は11億ドルですから,その3倍の額です。

  ★ IOCのジョン・コーツ副会長も「驚異的」といっていますね。しかもこの額は,IOCと直接契約して全世界で五輪ブランドを活用した広報活動をおこなえる「ワールドワイドパートナー」14社による破格の協賛金を別勘定にしてのものです。

  組織委と契約する日本国内のスポンサーは,東京大会では上から「ゴールドパートナー」(15社),「オフィシャルパートナー」(32社),「オフィシャルサポーター」(20社)とランク分けされています。

  個々の契約金額はトップシークレットのため明らかにされていませんが,総額から推測して,ゴールドは1社あたり150億円,パートナーは60億円程度と考えられています。ちなみに,ワールドワイドは複数年あるいは複数大会契約で,1年あたり数百億円という桁違いの額を払っている企業もあります。

  東京大会でこれだけの額の協賛金を集められたのは,従来ほぼ守られてきた「1業種1社」の原則を破ってまで,スポンサー収入の最大化を図ったからです。結果,食品業種で味の素,キッコーマン日清食品が名を連ね,印刷業種で大日本印刷凸版印刷が参加するといったカニバリズム(共食い)現象が起き,マーケティング価値は低下している。それでも多くの企業がスポンサーに入ったのは,ライバル社にだけ五輪ロゴをつけさせたくないという競争心を巧みに利用したからでしょうね。

  そして,こうしたスポンサー企業の権利保護ばかり重視し過ぎた結果,アスリートが所属する企業や出身校でも壮行会を公開できないという事態が生じています。

  今回の巨額の協賛金は,組織委の事務局に百数十人を送りこんでいる電通が事実上仕切って集めたものですが,その電通が管理料としてどのくらいのマージンを中抜きしているのかは,明らかにされていません。

  東京五輪は極論すれば電通電通による大会だ,と僕はいっていますが,こういう事情も多くの国民はしらないでしょう。

  ここまで営利事業化,肥大化した現在の五輪が「おもてなし」「一生に一度」「世界の人びとと交流」といった美辞麗句で多くのボランティアを動員し,日当も払わずに拘束するのは「やりがい搾取」「感動搾取」以外の何ものでもないでしょう。

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  あまりの待遇の悪さにSNS上で批判が高まったため,組織委は1日1千円の交通費を払うと決めましたが,地方在住者の上京費用や宿泊費は自己負担という方針は変わっていません。

 ◆ しかも,7月末から8月上旬,パラリンピックは9月上旬までという猛暑下の東京での「奉仕」になるわけですね。ちなみに今〔2020〕年は梅雨明けが遅かったものの,気象庁によると8月の平均気温は東日本で平年を 2.1 度上回り,統計史上もっとも高かったとのことです。

  ★ 国が外出や運動を控えるよう呼びかける熱中症警戒アラートを出しているような環境下で,アスリートたちに競技をさせ,観客やボランティアをも危険にさらすわけです。

  組織委と都は,テントやミストシャワー,打ち水,遮熱材舗装,瞬間冷却剤の配布といった酷暑対策を打ち出し,予算も100億円規模に大幅拡大しましたが,どれも効果は限定的ですし,僕には戦時中の「竹槍作戦」と同様の悪い冗談にしかみえない。熱中症で搬送される人が続出すると思いますが,これも「自己責任」なのでしょうか。

  組織委に「熱中症対策の責任者は誰なのか」と聞いても,「組織委として対策する」「組織委として責任を取る」としか答えない。これでは無責任の連鎖になりかねない。

  酷暑という絶対に克服できない自然条件を重々承知したうえで,それを「温暖」と大ウソをついて招致に突っ走り,あとになって,わずか1カ月程度のイベントのために大金を使わざるをえなくなっている。杜撰きわまる作戦計画で兵站を軽視し,揚げ句に精神論で乗り切ろうとして3万人の死者を出したインパール作戦の愚行と変わらないと思いませんか?

  そもそも,なぜ真夏の開催になったのかといえば,巨額の放映権料を支払う米国のテレビ局の都合だというのは公知の事実でしょう。

 

 5)『現代版「学徒動員」』

 ◆ 放映権料はIOC予算の7割を占めるといわれ,その半分以上を米NBCが払っています。NBCは東京大会までの夏冬4大会の放映権を43億8千万ドル,さらに2022~32年までの6大会の権利を総額76億5千万ドルで取得しました。

  ★ これも商業主義,営利事業の極みですね。商業主義路線に舵を切った1984年のロサンゼルス大会より前は,米3大ネットワークの都合で日程や競技時間が歪められるということもなかったので,開催時期については合理的判断ができていた。1964年の東京大会で組織委がまとめた公式報告書は,10月10日を開幕日にした理由をこう記しています。

 盛夏の時期は,比較的長期にわたって晴天が期待できるが,気温,湿度ともにきわめて高く,選手にとってもっとも条件が悪いうえに,多数の観衆を入れる室内競技場のことを考えると,もっとも不適当という結論に達した。

 補注)前段に出ていたが,繰り返そう。日本の招致委員会が発表した「立候補ファイル」には,7月下旬からの開催期間を「この時期の天候は晴れる日が多く,且つ温暖であるため,アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」とあります。

 

 こういった種類の文句は通常,「最高級の大ウソ」という。安倍晋三のそのアンダーコントロール発言も,もちろん「最大級の虚偽」であった。

  56年前よりもさらに過酷になったいまの東京の気候を少しでも体験したことのある人なら,「もっとも不適当」どころか「開催不可能」というレベルではないですか?

  面白い話があります。

  五輪反対を強硬に主張しつづけているアナウンサーの久米 宏さんが,自身のラジオ番組で「酷暑の東京での五輪開催は無謀」という内容の放送をしたところ,組織委から反論が届いたと。その内容は「招致の段階で開催時期は7月15日~8月31日から選択するものと定められていた。これ以外の日程を提案した都市はIOC理事会で候補都市としてすら認められていなかった」というものだったそうです。

  これはまさに語るに落ちるというか,要は,開催時期は選べなかったんだから仕方ないという責任逃れと,最初から招致ありきで「アスリートファースト」などまったく考えていなかったということを,みずから告白しているわけです。

  不安や批判の声を受けてか,組織委はボランティアを保険加入させることを決めましたが,それでどこまで不安が解消されるか。

 ◆ 組織委が7月に実施した大会ボランティアへのアンケートによると,回答者の67%が活動時のコロナ感染症対策を不安と答えました。

  ★ コロナが収束していないのに無理に開催して酷暑の季節にマスク着用を義務づけることになれば,熱中症の危険性も増すことになりますよね。

  ボランティア募集はすでに終わっていますが,平昌大会で直前に2千人のボランティアが離脱したように,今後やめる人が続出することも考えられます。もしボランティアが足りないといことになれば,自治体や勤務先や所属団体を通じたさまざまな方法による動員がおこなわれることになるでしょう。というか,これはすでに起きていたことです。

  組織委は2014年に全国800の大学・短大と連携協定を結んでいます。文部科学省スポーツ庁も2018年7月,ボランティアに参加しやすいよう,全国の大学と高等専門学校に大会期間中は授業や試験期間を繰り上げるなどの柔軟な対応を求める通知を出しました。

  NHKがその直後に都内の約130大学に取材したところ,大会期間中の授業や試験をずらすことを検討していたのは79大学,ボランティア参加を単位認定する,もしくはそれを検討しているところは59大学もありました。

  さらには,東京都や千葉県は「体験ボランティア」という名目で中高生をも組みこんでいます。あくまで「任意」「体験」という説明をしていますが,都は学校単位での応募方式を採ったため,現場では半強制的な割り当てと受けとめている教員も少なくない。

  「就職に有利になるのでは」「内申書で不利になるのでは」といった不安や同調圧力からボランティアに参加しようとする生徒学生もたくさんいるでしょう。非営利性や公共性だけでなく,もはや自発性すら希薄化しています。現代版「学徒動員」といったらいいすぎでしょうか? 

  もちろん,みずから手を挙げた人も多いことはしっています。でも,僕にはこの「総動員態勢」がどうにも気持ち悪くて仕方ない。

  こういう,自分が少数派になっているような気分にさせられるのは,やはりメディアが五輪を盛り上げるための報道ばかりしてきて,それに取り囲まれているからでしょうね。

 ◆ 延期決定後,新聞でも来〔2021年〕夏に向けた難題を解説する記事や,簡素化など大会の姿を問いなおす記事は載りましたが,開催そのものを疑問視する報道はほぼ皆無でした。朝日新聞の開会1年前の企画記事なども,アスリートたちの葛藤やこれまでの努力を伝え,担当記者の「やはり五輪をみたい」という思いを紹介する,そんな内容が大半でした。

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  ★ 今〔2020〕年7月23日の開会1年前イベントは,白血病からの復帰をめざす池江璃花子選手を逆境にある東京大会そのものと重ね,なおも五輪が国民的イベントであることを演出しました。

  2024年パリ大会をめざ指しているという彼女が,来〔2021〕年の開催を訴えるために駆り出されることを心底望んでいたのか,みていて痛々しさを覚えましたが,メディアは無批判にその感動物語に乗っかりました。

  延期が決まった直後の4月の段階で組織委は3800人の職員を抱えていますが,都,国,JOC,自治体,電通,スポンサー企業からの出向者と契約社員が支えています。苦しい状況下でも,スタッフも選手もみんな必死に奮闘しているのだから水を差すな,そんな空気をメディアが作りだしているわけです。

  それでも,延期決定前に比べれば,開催断念の可能性に触れた記事や,コラムというかたちながら開催への疑問を率直に出した記事が載るようになってきたとは思いますよ。本当に来夏に開催できるのか不透明な情勢になってきて,書きやすくなったんでしょうね。

  とはいいながら,組織委にとって触れてほしくない「核心的利益」に関することに触れた報道はない。それはつまり,これまで述べてきたような,猛暑下での五輪開催の是非,無償ボランティアへの疑問,大会の大義そのもの,組織委の収支の不透明さといった問題です。

  ボランティアを有償にすれば,100億円単位で計算が狂ってしまう。IOCは1兆3500億円という予算上限を守ることを厳命していますから,これ以上出費を増やせるはずがない。この問題には触れたくないのです。

  収支も,組織委は総額と項目は公表していますが,細目と個々の契約額は明かさない。しかし,五輪は表向き予算だけ見ても国 1500億円,都5970億円の税金を投じて開催する準国家的事業ですよ。収支がつまびらかにならなければ,適切な事業なのかどうか国民や都民が検証することはできないでしょう。

  でも,こうした組織委にとっての琴線に,大メディアが切りこめるはずがない。

  補注)ここでの「琴線」というコトバの使い方に違和感を抱いたので,あらためて調べてみたところ,「『琴線に触れる』を,触れられたくないこと,不快な話題に触れる意で使うのは誤り」という字義であった。訂正は要求しないでおく。

 

 6)『全国紙すべてが東京五輪スポンサーに』

 ◆ 国内スポンサー第二ランクのオフィシャルパートナーには朝日,読売,毎日,日経の各新聞社が入り,産経新聞社と北海道新聞社もその下のオフィシャルサポーターに名を連ねています。

  ★ つまり,全国紙すべてが東京五輪のスポンサーになっているわけですが,きわめて異様です。

  報道機関がこういうかたちで参画するなんて,ロンドンでもリオでもありえなかった。スポンサーになって協賛金を払うということは,主催者と利益を共有する立場になるということです。公正な報道,ジャーナリズムとしての監視などできるでしょうか。

  テレビ局にとっては,新聞社とクロスオーナーシップで結びついているという以上に,スポンサー企業と,組織委の広報を一手に握る電通の存在が大きいでしょう。テレビCMで3割以上のシェアをもつ世界一の広告代理店である電通は,とくに放送業界にはなお強い影響力をもっています。

  電通は社員の過労死自殺と持続化給付金事務事業の受託問題で世の批判を浴びましたが,電通批判は巨大広告に依存する業界にとってはタブーといってもいい。五輪を批判するということは,電通を批判することであり,CM出稿をしているスポンサー企業を批判することでもある。忖度が働くのは当然です。

  さらにいえば,組織委には助言機関としての「メディア委員会」というものもあり,委員長の日枝 久・フジ・メディアホールディングス取締役,副委員長の石川 聡・共同通信社顧問をはじめ全国紙や在京キー局など大手メディアの幹部や編集委員ら39人がメンバーになっています。「翼賛」という言葉が浮かぶのは僕だけでしょうか。

【参考画像】 下掲の本の発行年月は,昭和17〔1942〕年7月15日であった。戦争中に公刊されていた経営学専門書として,題名(副題)に「翼賛」という文字を使用していた。

 

 1942年の6月であった,旧大日本帝国海軍は,ミッドウェー海戦によって大事な戦力であった空母4隻を失っていた。対米の「太平洋戦争」にあっては,その時点をもって日本側の優勢が頂点を越える予兆になっていた。にもかかわらず旧日帝は,その後も3年と2ヶ月ものあいだ戦いつづけ,結局,敗退(散華!  玉砕?)した。

 

 2020年に始まったコロナ襲来に対する日本政府の対応ぶりは,大東亜戦争に敗北していった旧日帝の歴史を想起させてやまない。

 

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  各新聞社はスポンサー契約を結ぶにあたり「報道は公正を貫く」などと宣言しています。編集と広告・事業の間にはファイヤーウォールがある,と記者たちもいうかもしれない。

  それなら聞きますが,朝日新聞高校野球の女子マネージャーのあり方や炎天下の甲子園大会開催などに対して率先して批判的な記事を載せたことがあるのでしょうか。福島第1原発事故が起こる以前に,電力の寡占政策や原発の危険性と切りむすんだ記事を書いたことがあったでしょうか。だれかに明確に止められたことはなくても,自主規制の蔓延があったのではないですか?

  今回の五輪も,選手たちの思いを聞き,戦後復興の頂点としての前回東京大会を懐かしみ,メダル量産で地元開催を盛り上げたいという金太郎アメのような報道ばかりです。組織委が熱中症対策にがんばっている,苦慮している,という記事はたくさん載りましたが,真夏の開催の危険性やボランティア問題をきちんと検証し疑問を投げかける記事は皆無で,むしろ総動員機運を煽るような報道ばかりが目立った。

 こうした問題をここ5年ほど発信しつづけてきましたが,東京新聞以外の新聞,テレビから取材を受けたことは一度もありません(笑)。そんな僕のインタビューが朝日の媒体に載るんですか?

 ◆ 報道の面では公正な視点を貫く,と朝日新聞はHPで宣言していますし,こうしたオピニオンを封殺すればそれこそ報道・言論機関として致命的で,経営的にもブランド価値を毀損するものでしょう。

  ★ なにも五輪に反対しろとか組織委を叩けとかいっているわけではない。税金の使途や使われ方をきちんと検証し,ごく当たりまえの疑問点を当たりまえに追及すべきではないか。そう投げかけているだけなんですけどね。

  延期による追加費用のためスポンサー企業は協賛金の追加拠出を要請されていますが,コロナ禍で業績が悪化している企業にとって,いまやさらなる出費を正当化する理由はみいだしがたい。中止となれば損害は甚大で,株式会社なら株主から責任を問われかねません。

  もはやこの五輪は誰にとって得になるのかすら,分からなくなってきています。懐が潤って安泰なのはIOCと組織委のごく一部のオリンピック貴族だけじゃないでしょうか。

  それでも,この巨大商業イベントは止まらない。太平洋戦争の時と同じで,だれも責任をとらず決断しないまま,泥沼化しています。もしIOCの主導で中止となったとしても,不可抗力のコロナ感染拡大があったのだから仕方がなかった,という総括になりかねません。

  中止になってから,あるいは閉会してから手のひら返しするのでは遅い。メディアは,招致活動以来のこの五輪の問題点をきちんと検証し,後世のための教訓として残すべきです。さきの戦争での過ちを繰り返さないために。(引用終わり)

 本ブログ筆者はすでに,つぎの記述で2020東京オリンピックの問題をとりあげ議論していたが,コロナ禍の重大な影響は,この国際大運動会を日本で開催する意味どころか,オリンピックという営利事業そのものになりはてている,しかも「ボランティア詐欺」や「感動搾取」を背の裏に隠しもった商業主義である世界大会は,もはやその存在意義すらなくなっていると認識されてよい。

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民間神社参拝と靖国神社参拝の対比

            (2014年4月6日,2020年10月26日 追補・更新)

 新年,庶民がある神社に参詣:初詣にいったからといって,必らずしもその神社の信者ではない,この摩訶不思議というか,神道のおおようさ・緩さ

 

  要点・1 しかし,戦争のためにこそ,存在してきた靖国神社の暗闇,その反・非宗教の政治的理念

  要点・2 靖国神社境内の遊就館は「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である事実を,みずから好んで強調したがっている


 日本経済新聞』に出ていた「初詣用の広告・宣伝」

 1) 神社・仏閣の商売繁昌-初詣は獲き入れ時-

 本日〔2012年12月28日〕の『日本経済新聞』朝刊の30面には,関東地域の主な神社・仏閣によって,2013年正月「初詣」の〈来客〉を期待し,呼びこむための広告・宣伝が出されていた。これ以外にも,関東地方には有名な寺社が数多くあることは,誰もがしっている。ともかく,数日後にいよいよ新年(2013年の)を迎える。

 あいかわらず不景気な世の中ではあるけれども,このときこそである,大いに神社・仏閣には初詣に来てもらい,より多いお賽銭の投入と縁起物の売上協力を期待するというわけである。なにせ,新年に願いをかける機会であって,縁起にも深くかかわる初詣である。寺社は手ぐすね引いて参拝客が千客万来になることを願っている。

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 さて,この寺社の初詣用「広告・宣伝」を観てすぐに気づく〈奇異な宣伝文句〉は,なんといっても靖国神社のものである。明治以来「帝室の護国のために創建された」靖国神社が,21世紀のいまにあっては「国家安泰・家内安全・厄除祈願等」 に変化している。

 1945年の秋あたりまで,この神社のご利益はもっぱら「国家安泰」にのみ向けられ,あとの「家内安全」とか「厄除け」などは, 戦後になって国営神社〔陸海軍の管理するそれ〕から一宗教法人になりかわったのを契機に,そのほかの一般の神社とまったく同じような祭事を真似てとりいれたものである。

 靖国神社は敗戦後とくに,7月中旬〔13~16日〕に執りおこなう《みたままつり》を行事に立てて,「神社としての生き残り」を図ってきたという経緯がある。

 ほかの一般神社で観るに,たとえば,前掲した画像資料にも登場していた「笠間稲荷神社」(茨城県笠間市)は「家内安全・商売繁昌・交通安全・合格祈願・心願成就・厄除け他」などを,ご利益をかかげている。そのほかの神社・仏閣も,ほぼ同類の範疇のご利益に収まりうるものをかかげている。

 より一般的にはどうなっているかと,『四季の旅』という〈観光旅行〉系のホームページをのぞいてみると,「ご利益から縁結び・開運・金運など」https://www.shikiclub.co.jp/shikitabi/special_powerspot/goriyaku.html  という題名の文章は,つぎのご利益を挙げていた。

  ご利益:金 運
  ご利益:商売繁盛
  ご利益:恋愛運(縁結び)
  ご利益:学 問(合格祈願)
  ご利益:健 康(病気平癒)
  ご利益:子 宝(安産)
  ご利益:厄除け
  ご利益:夫婦円満(家内安全)
  ご利益:心願成就
  ご利益:勝負運(必勝・出世))

 その意味・関係でいっても,靖国神社の 「国家安泰」は,きわめて異様なご利益である。2013〔平成25〕 年の正月,初詣に靖国に出向く人たちが,はたして「国家安泰」のために九段に参詣していくとみなしてよいのか?

【関連する解説】

 

 明治天皇は明治2〔1869〕年6月,国家のために一命を捧げた人びとの名を後世に伝え,その御霊を慰めるために,東京九段のこの地に「招魂社」を創建した。この招魂社が今日の靖國神社の前身であり,明治12〔1879〕年6月4日には,社号が「靖國神社」とあらためられ,別格官幣社に列した。

 

 明治天皇命名した「靖國」という社号は,「国を靖(安)んずる」という意味で,靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いがこめられていた。

 註記)https://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html 参照。

 補注)もっとも,以上のような靖国神社創建の狙いはその後,大日本帝国を名乗るようになった日本が,東アジア諸国に向けて侵略戦争をするたびに発生していた戦死者(戦没者・犠牲者)の霊魂を慰霊し,なおかつ,まだ生ける者たちをその侵略戦争に「喜んで動員させる」ための「国家神道方式になる洗脳装置」である働きにあった。

 

 そうした靖国神社国家神道的な役目をとらえて,いったいどのようなご利益があると受けとめたらいいのかと問われてたら,とまどうほかない。戦前・戦時中であれば,息子を兵隊に取られて戦場に送られている母親は,近所の神社に深夜に出向き,お百度参りをしていたという実例はいくらでもある。もちろん,「お国のために命を捧げよ」と息子を激励した母親もいないわけではない。だが,彼女らの本当の気持は「うちの息子だけは生きて還ってきてほしい」というのが,ふつうであり自然な感情であった。

 

 もっとも,神仏に祈願する目的で,神社(や仏閣)に百度参拝することで,兵隊になった自分の息子の生還を願う母親の真情は,実は,靖国神社の「ご利益」(ただしこれは国家にとってもつ意味のそれである)に対してとなれば,真っ向から対立するほかない。ということであれば,こちら靖国神社の「ご利益」とそのほか一般の神社の「ご利益」とは,たとえば,次段に説明するような戦争の時代がもっていた特別な背景・事情に直接関係を有していた。

 

 1941〔昭和16〕年1月8日,陸軍大臣東條英機が示達した訓令(陸訓1一号)が,「軍人のとるべき行動規範」を示した文書『戦陣訓』のなかで,兵士たちに向かい「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節を強説していた。これが,戦場において旧日本軍将兵に玉砕や自決などの行為を余儀なくさせ,軍人のみならず民間人も巻き添えにした無駄死にや犬死にをも惹起させる結果になっていた。

 

 そして “つまり” といったらいいが,そうして理不尽に戦場・戦地で命を落とした数多くの兵士たちが(戦死したその理由のうち餓死が6割だったという研究書もあるほどである),靖国神社の境内・神殿のなかに「霊魂」としてのみ,その「死」の意味を吸いとられ,合祀されている「21世紀のいまもなにひとつ変わらぬ」,この『国家神道戦争神社』の歴史的な意味は,一般の神社のごとき「ご利益」を尺度にしては計れないような「魔性」を抱えているとみなさざるをえない。

 

 なにせ「死を喜べ,歓迎せよ」,それも「国家のため・天皇のため」にと明治維新以前であればなかった神道精神を創造していたのだから,通常の神社が「ご利益」として求められ,期待される信心とは,まったく異次元の「ご利益」が靖国神社では,新しく〈構想されていた〉わけである。

 

 ところが,敗戦した旧大日本帝国のもとでは国営神社(陸海軍管轄)であった靖国神社が,民間の宗教法人となってからは,1947〔昭和22〕年の7月から「みたままつり」と自称する新盆の期間に縁日(これは仏教風の表現だが)を設けて,しかも,いかにも一般の神社と変わりないかのように,宗教法人としての営業をおこないはじめていた。靖国神社の由来に照らして判断するとしたら,この事実に違和感を抱かないほうが不自然である。

 

 もっとも,一般庶民の感覚では初詣に出向いて参拝にいく対象として靖国神社を選ぶさい,以上に指摘したごときこの神社に特有である「明治以来の戦争神社:官軍神社:勝利神社」としての基本性格など,いっさい関係ないと観察したほうが妥当だといえる。

 

 ものすごい数である「246万余柱」もの祭神(戦争のために死んだからいまでは靖国の英霊)は,そもそもの話,いったい誰のために靖国神社に合祀されているのか? ここまで,すでに理解できるのは,それは明治天皇にまず深く関係していた。

 

 ところで,1978年10月17日に靖国神社側は東條英機など「A級戦犯」として,東京裁判極東国際軍事裁判)によって処刑されていた者たちを,自社に合祀していた。それ以来,昭和天皇はこの神社にはいっさい親拝(参拝のこと)にいけなくなった。

 

 靖国神社の基本的な使命,つまり一般的にいうところの「ご利益」は,絶対に一般庶民向けとはいえず,天皇天皇家のためのそのご利益であった。それゆえ,さらにいえば「戦争神社:官軍神社:勝利神社」であらねばならないこの神社の性格は,その本来の目的を「旧・大日本帝国」じたいの繁栄・隆盛を「国家のためのご利益」としていただいていた。

 

 安倍晋三が首相を辞めてから急に靖国神社に参拝して得意げな表情をみせているのは,以上のごときこの神社本来がかかげてきた「国家的な目的」,もともと国家全体主義天皇制に深く関連するその「ご利益」を祈願するからであった。だが,マスコミ・メディアの報道を聞くかぎり,そのような報道にくわえて,突っこんだ解説をするものは少ない。

 

 ここまで説明しただけでも,靖国神社がそのほかの神社,とくに明治維新以前から日本全国どの地方にも存在してきた一般の神社とは,基本からして異質である事実はただちに理解しうるはずである。

 補注)戦前の話題。ふつう,一銭五厘召集令状で戦場に駆り出された兵士たちは,陸軍であれば武器としてもたされる小銃(三八式歩兵銃)よりもはるかに軽い,いわゆる鴻毛(「けいもう」と読み,非常に軽いという意味)程度にしか命の価値はないと,それも軍人精神として叩きこまれていた。だから,その小銃に付けられている菊の紋章(天皇天皇家の象徴)に傷でも着けたとなれば,罰として「死ぬほどに暴力を受ける目に遭わされた」。

 

 一般的に新兵じたいが内務班(軍隊生活)で古年兵たちから受ける日常的な暴力行為,つまり陰惨なイジメ行為は,帝国陸軍の兵卒となった男性たちであれば,一様にその残酷さを体験させられてきた。いまでも多くの本のなかにその実際は描かれている。

 

 ところが,兵士が戦場にいって死んだりすると一転・一躍,靖国神社に魂だけは吸いとられて「英霊」にまで昇天させられ,こんどは,神殿の祭壇において拝礼(崇敬・尊崇)を受ける側の《霊的な存在》となりあがって,そのすばらしい待遇を受ける。断わっておくが,以上は,兵士があくまで死んでからの話であって,生きている人間たちに関する話ではない。

  以上長々と「靖国神社本質論」の説明をしてきた。もちろん,こうした史実を十分に意識して,新年の初詣に参拝にいく人たちもいないのではない。

 しかし,大部分の靖国参詣者は,もしかすると「国家安泰」を神社のご利益だとする〈本当の意味〉,いいかえれば,その国家神道的なリクツがからんでいるこの神社の歴史的な本質は,意外の事実として理解されていない。

 ともかく,靖国がすごく立派にみえる神社なのだから,とくに東京に住んでいてこの神社が近くにあるという人たちは,初詣の神社(寺院も含めて)にここを選ぶという場合も多いと考えて飯。

【2012年12月29日追記】 「東京・首都圏経済-初詣 明治神宮 また行きたい 首都圏で情報サイト調査」(『日本経済新聞』2012年12月29日朝刊)

 

 首都圏のタウン情報サイト「レッツエンジョイ東京」が1都3県の20歳以上の男女1465人に首都圏の「とくに行って良かったと思う初詣スポット」を尋ねたところ,1位は明治神宮(211人)で,2位は鶴岡八幡宮(135人),3位は浅草寺(123人)であった。以下は川崎大師(112人),成田山新勝寺 (109人)がつづいた。

 

 調査は11月にインターネットで実施した。番外編では,「恋愛運をお願いするなら『東京大神宮』」(20代女性)や「『芝大神宮』はそろえてあるお守りがどれもかわいらしい」(30代女性)などの回答があった。「とくに屋台・露店が充実していると思った初詣スポット」は1位が川崎大師だった。次いで浅草寺成田山新勝寺明治神宮大宮氷川神社の順位であった。

 --レッツエンジョイ東京は飲食情報サイトのぐるなび東京メトロが共同で運営している。

 皇室神道は皇室(天皇家)のためにある。教派神道は民衆のためにあり,民俗神道も庶民のためなどに存在する神道各派がある。これに対して,靖国神社は「戦争神社:殺人を正当化するための由来・素性を歴史的に抱えている神社」=「war shrine」であって,明治天皇以来,天皇家にとって非常に大切な国営神社でもあった。

 それが,敗戦を境にいきなり,その「国家安泰」という中身〔黄身というか餡子か?〕を,一般神社であればどこでもかかげているご利益〔白身というか皮!〕でもって,覆いつつみ,隠すかのようにしてきた。

 国家目的を宗教神事的に合理化し,高揚するこの靖国神社の「明治軍事史的な本性」を和らげておき,できるならば,参拝者たちには,そうした歴史的な真実を少しも意識させないように工夫してもいる。

 靖国神社に本当の,それも「現世的・世俗的なご利益」があるならば,第2世界大戦〔「満洲事変」から日中戦争,大東亜:太平洋戦争〕の全過程まで〕で,自国の犠牲者だけでも310万名もの〈英霊〉たちを出すことは,けっしてなかったはずである。

 昭和天皇靖国神社を親拝する目的は〔実は彼が本来,神主みたいな神社であるから(親祭という用語を使うのもそれゆえだが)〕,本当は,戦前・戦中の日本帝国の「国家安泰」にあった。敗戦後における「日本国」の「国家安泰」のそれであったとはいいにくい。だが,敗戦後になっても,1945年以前の過去を郷愁し志向しようとする元国営神社が,この靖国神社なのである。

 敗戦という事態は「戦争神社:官軍神社:勝利神社」であった靖国神社の立場・イデオロギーにとってみれば,想定外であったゆえ,21世紀のいまもなお,九段下にこの神社が存続している事実に疑問が抱かれないほうがおかしい。

 戦争神社としての「靖国の眞の有意義」は,「戦争での勝利」以外にみいだすことはできなかったはずである。それゆえ,敗北にまみれた旧日本帝国のために「尊い命を捧げさせられた」,いいかえればまったくの「犬死に」「無駄な死」の目に遭わされてきた帝国臣民たち〔しかも日本人だけではなかった〕が,靖国神社に《英霊》となって 「合祀されている」。

 とはいっても,しょせん,靖国神社に合祀されている「英霊」とは,いうなれば百把一絡げにされており,つまりは「246万余柱として一緒くたに合祀」されている。なかんずく,兵士たちの霊魂がこの神社に合祀されているとはいっても,口先だけでもって, いかにも大事にされ祭られているかのように潤色・装飾しているに過ぎない。

 なんといおうと,「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」とはよくいったものである。あとは「靖国信仰の狙い」を信じるか・信じないか,あるいはしっているかしらないかののことであった。ここまで触れると話はほとんど「イワシの頭もなんとか」の部類である。

 2) 靖国神社の祭神は2座-庶民用と皇族用に差別されている事実-

 靖国神社の祭神についてとくに気をつけねばならないのは,皇族の戦没者だけはその246万余柱とはべつにされるかたちで,祭られている事実である。本殿での祭神の神座は当初は1座,つまり帝国主義路線を推進していく過程でどんどん増やしいった《英霊》を,一括して放りこんでおくその1座があった。

 そのところに,1959〔昭和34〕年,靖国神社の創建90年を記念して,旧植民地にあった台湾神宮および台南神社に祀られていた「北白川宮能久親王」と,蒙彊神社 (張家口)に祀られていた「北白川宮永久王」とを遷座合祀するかたちで,新たに1座をくわえていた。したがって,現在の神座は,『英霊を祀る1座』と『能久親王と永久王を祀る1座』の「2座がある」というわけである。

 補注) 北白川宮能久の生死年は1847-1895年,北白川永久王のそれは1910-1940年。

 靖国神社に初詣に出向く人たちは,かつての帝国臣民「無数」と皇族「2名」 とをそれぞれ別置させて合祀し,1座ずつにまとめて祭神として並べられる神経を有した神社,いうなれば「これほどまで同じ人間を霊魂の世界においてまでも差別する」神社でありつづけていることを,事前にしかと承知しているわけではない。

 皇室神道の延長線上ではそうであっても当然とみなしているにせよ,外部の人びとにはそう簡単には納得のいかない『〈チンプンカンプンの屁理屈:人間差別〉=〈皇族と平民〉に関する区別』が,いまも当然にまかり通らせられている。これが靖国神社のひとつの内幕なのである。

 すなわち,明治時代に創建された靖国神社に合祀されてきた祭神は,大正時代に創建された明治神宮であれば「明治天皇昭憲皇太后」が祭神〔なぜか夫婦であるはずなのに,子と母という表記が正しいとされる不思議な祭神がいる神社〕であるからまだ分かりやすいのに比べて,いまもなお,合祀されて英霊になる資格をもつとみなされた死者たちが,集団となってあつかわれ,その1座〔もちろん平民のほう〕のなかに,これからも追加され,合祀されていく仕組になっている。

 ところが,靖国神社は庶民,かつての帝国臣民を祭神として〈合祀〉〔このことばは分かりやすくいえば『まとめて放りこんで祀ってやる』という意味にもなる〕しているだけかと思っていたら,それだけではなかった。昔,植民地や支配地域にあって祭られていた皇族の英霊(?)も,その霊魂を移動させるかたちで,それも戦後になってだいぶ時間が経ってからだが,靖国神社は祭神として,しかも1座を用意するかたちで,こちらにとりこんでいたのである。

 靖国神社がご利益としてかかげる「国家安泰」とは,庶民の戦争犠牲者については,面倒だからといって,ひっくるめて1座に合祀してある。敗戦後においても,その数は増えていた。さらにそこでは,皇族の戦争犠牲者だけは,庶民たち側における戦争犠牲者の霊魂を合祀しているその1座に入れるわけにはいかないぞ,という理屈(旧臣民・現国民:庶民への差別)も意味されている。なんといっても,皇族2名のためだけにわざわざもう1座を特別に設けたうえで祭神にしていたのだから,である。

 まともに考えてみれば,靖国神社は「246万余柱の合祀者」を祭るところに「国家神道的な意義がある」と決められてきたはずである。ところが,敗戦後いつのまにか勝手に,それも一宗教法人になってからだったが,皇族2名の《英霊》だけは庶民とは区別してもう1座を新しく創っておき,まとめて靖国に祭るなどという宗教的な措置は,帝国臣民から英霊になった戦争犠牲者(故人)たち,そして戦後にこの神社にそうした経緯もしらずに参拝する人びとを,平然とだます詐術の手法である。

 3) 鎮霊社-その他,資格外の,英霊にはなれない戦争犠牲者の祠-

 また靖国神社には,拝殿・本殿の南側に「鎮霊社」という祠も設置してある。これは靖国神社のホームページに写真が出ているが,ほかから適当なものを選んで紹介しておく。

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 本ブログ筆者はこの(2014年)夏,実際にこの鎮霊社を初めて確認しに,靖国神社にいってみた。しかし,門には鍵がかけられ入れない状態になっており,参拝したいものは社務所に申し出てくれとの注意書きがあった。それにしても,この鎮霊社靖国神社の拝殿や本殿のきらびやかさに比較して,ふだんは誰も足を踏み入れていないのか,ホコリをかぶっているかのような風情であって,境内では冷遇されている施設にみえた。

 拝殿・本殿と比較してみた賃霊殿は,実にみすぼらしい祠であることは一目瞭然であって,本当のところは,申しわけ程度にオマケに設けた祠にしかみえない。

 注意したいのは,この鎮霊社はそもそも昭和40〔1965〕年に設置されており,靖国神社にいまでは246万余の《英霊》として合祀されない〔資格外という意味であるから,より正確にいえば合祀するわけにはいかない〕戦争犠牲者たちの《霊》を,まとめてここに祭ってやった(ぞ)という意図があることである。

 これも,敗戦後は一般神社の体裁をとりながら,それでも継続的に「英霊の名簿」を厚生省から受けとりながら合祀してきたこの靖国神社が,弥縫的に一般神社の物真似をしたつもりを裏づける物的証拠のひとつといえる。

 昔はやったお菓子,「おまけ付きのグリコ・キャラメル」ならまだ楽しみもあるかもしれないが,この鎮霊社は,一般の宗教法人になった靖国神社の全体的な体裁をとりつくろうために,申しわけ程度に置かれている。

 靖国神社が本当に「荒御霊」の真義を知悉しているならば,戦争犠牲者のなかから英霊を選抜するというような,根本から「神道という宗教の歴史的・伝統的な基本精神に反する」「国家的意志」の発揚は,絶対にできない行為である。

 靖国神社にとって,鎮霊社は本当のところ置いておかなくてもよい祠である。敗戦後,無理やり一般神社に転換させられた靖国が,戦争神社である本質的性格を少しでもカムフラージュするためだとしても,拝殿・本殿の南側(靖国通りに面した方位に),かなり探しにくい場所に「嫌々ながらもこの鎮霊社を置いた」と感じ取れる点からしても,靖国側のその本心がよく伝わってくる 配置といえる。

 要は,正月用の初詣のために新聞の広告・宣伝を出している神社・仏閣のうちでも,靖国神社は明治時代に創建されたかなり新しいもののうち1社に過ぎない。明治神宮も大正時代後期に創建されていて,もっと新しい。こちらはいちおう戦争神社ではない。しかし,明治天皇と戦争のつながりに関するイメージは強い。日本帝国主義侵略史の実績がものをいう。

 

  戦争神社:靖国の本質

 『靖国神社問題関連資料』というホームページがあり,そのなかに「靖国神社Q&A」という項目が編成されている。今日はこれを全文引用する。① で本ブログ筆者が指摘した論点に触れられていないのは残念であるが,一般論としては靖国問題を包括的にうまく説明している論述である。なお,文体は文意に支障がない留意のもとに変更してある。見出し・連番なども付し,多少の補註の記述も足した。なお,議論の中身は2000年代初めの時期においてのものである。

 註記)http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/index.html
    http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/QandA.html

 1) 靖国神社とはなにか

 1869〔明治2〕年に「明治天皇の深い思召によって」(靖国神社略誌)東京招魂社として建立され,靖国神社と改称されたのは,明治12〔1879〕年のことである。戦前の国家神道体制において靖国神社は陸・海軍省所管であって,天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設であった。

 現在は一宗教法人となっているが,国家護持をめざす法案が提出されるなど,戦前体制の復活をもくろむ動きもある。靖国神社の性格も基本的には戦前とかわっておらず,欧米ではその性格から「War shrine(戦争神社)」と呼称されている。

 2) 靖国神社はなにを目的としているのか

  ☆-1 軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱。

  ☆-2 「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」。

  ☆-3天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」をもつ。

  現在,靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多い。しかし,二義的にそのような目的も存在しうるが,本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を,国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっている。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であるといえ,それは,戦前も戦後も一貫してかわっていない。

 補註)そうすると,敗戦直後の日本国の空中にも「国家の英雄」たちの霊が充満していたことになるのか?

 この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持で戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」という小泉元首相の発言は,かなり的外れであった。むしろ,中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと,さもなくば誰が国に命をささげるか」なる発言が,よりまっとうにその本質を表わしている。今後も,国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが「靖国神社の存在意義」なのである。

 3) 誰が祀られているのか

 ☆-1 天皇と国家のために死んだ軍人・軍属。

 ☆-2靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は,すべて天皇陛下の大御心のように,永遠の平和を心から願いながら,日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです」(靖国神社ホームページより)。

 戦前,祭神〔の合祀〕は,軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが,『天皇の「裁可」』を経て決定されていた。戦後,靖国神社は一宗教法人となり,神社自身で合祀者を決定しているが(ただし名簿作成には政府・厚生省〔現厚生労働省〕などが協力・提供してきている),上にも示したようにいまだに「天皇」が重要なキーワードになっている。

 小泉純一郎元首相は参拝前,「(A級戦犯が合祀されているからといって参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べていた。しかし実態は,靖国神社こそが逆に「死者をきびしく選別しながら祭祀」してきた。

 祭神は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっている。したがって,西南戦争天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていない。もちろん,空襲や原爆などの犠牲になった一般国民も祀られていない。

 さらに軍人であっても,戦って死んだのではなく病気で死んだばあい,「特旨をもって合祀」となっていて,本来ならば病気で死んだのは犬死だから,靖国神社の神さまになる資格はない。だが,天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀られるのだとして 差別されている。さらに,被差別部落出身者への差別もある。

 戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという,さきに挙げた靖国神社の説明は,実体からはかけ離れている。このような詭弁によって人びとを無為の死に追いやり,「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが,戦後の日本人の努めである。

 4) ひめゆり学徒なども祀られているというが

 たしかに,靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく,女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と,誇らしげに書いている。

 沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」,魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているというのである。

 しかし,アジ アの犠牲者はもちろん,空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではなかった。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていない。

 ひめゆり学徒隊が祀られたのは,犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ,名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたのである。 しかし,靖国神社の説明とは異なり,生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれる。

 最近では,石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日),「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声が挙がった。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立ってしかたがない」と話していた。

 また,日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されているが,多くは遺族にもしらされず勝手に祀られたもので,合祀とり止めを求める訴訟が起こされている。勝手な基準で,遺族の意志さえも無視し,無断で合祀をおこなう靖国神社の行為は,死者をさらに傷つけるものといえる。

 5) 平和を願って参拝するのに問題があるのか

 靖国神社参拝は,本人がいくら平和を願うつもりでも,「結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為」となる。戦争犠牲者を悼み,平和を誓うことに異論がある人はいない。しかし,靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり,平和を願う場所としてふさわしくないことは,2 )  の「なにを目的としているのか」でも述べたとおりである。

 靖国神社は現在でも,「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった,戦前と同様の歴史認識をもった人たちの拠り所となっている。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても,「東京裁判は勝利国側の報復であり,A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としている。

 このように靖国神社は「侵略戦争を当然視し,美化さえしている」。そこへ参拝しにいって,「第2次世界大戦を美化したり,正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」といった小泉純一郎(元)首相の発言は,あまりにも粗雑な理解である。

 補注)それゆえ,正月の初詣に靖国神社に参詣する人びとも,意図するとしないとにかかわらず,戦争神社というその基本性格を認めるかのように頭を垂れていることになる。

 靖国神社の主張や性格がどうあれ,小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか,という意見があるかもしれない。しかし,ただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば,無理に靖国参拝というかたちにこだわる必要はないはずである。それでもこだわりたいというのならば,「靖国神社がどういう性格をもつか」というかたちにもこだわるべきである。

 補注)歴代の首相たちが靖国神社を参拝したからといっても,この神社の歴史的性格をまともに理解していた人は,1人もいなかったといってよい。その程度の認識で 「歴史問題を惹起させ結果させる」ために靖国にいくのは,愚かどころか,自分自身の無知蒙昧を実証するようなものである。もっとも,ただ,選挙民の1票でもより多くがほしいがために,政治家は靖国に参拝しようとする。これはむしろ,庶民(有権者)側の問題でもあることを示唆している。

 6) 公式参拝憲法に違反するのか-司法の判断-

 首相・閣僚の靖国公式参拝に関する司法判断は,違憲(ないし違憲の疑い)を出している。そもそも憲法の重要な柱となっている政教分離原則は,戦前の国家神道体制への反省の意味がある。靖国神社国家神道体制のシンボル的存在であった。

 --公式参拝に対する司法判断の流れを以下に整理する。

 a)「1985 年の中曽根康弘首相(当時)の公式参拝」に関して福岡と大阪で訴訟が起こされ,1992年の高裁判決でいずれも確定した。1992年2月18日,福岡高裁は,首相が公式参拝を繰り返すならばそれは,靖国神社への「援助,助長,促進」となり違憲となることを指摘した。さらに1992年7月30日,大阪高裁は,中曽根のおこなった公式参拝は一般人に与える効果,影響,社会通念から考えると宗教的活動に該当し,違憲の疑いが強いと判示した。

 b) 参拝推進派が司法判断について正反対の結論を導き,そのデマまがいの情報を流布するケースがみられる。一例を挙げる。いわく「中曽根康弘元首相の靖国神社公式参拝(昭和60〔1985〕年8月)を審理した大阪地裁,福岡地裁などでも,公式参拝違憲とする原告側の訴えが退けられた」「(これらにより)『首相の靖国参拝』が合憲であるという法的な判断は定着している(『産経新聞』2001年8月1日「主張」より)。

 だが,不思議なことに上述した上級審(高裁での審理)には触れていない。ちなみに,この一審の判決は公式参拝を合憲としたものではなく,憲法判断には踏みこまないまま,原告が信教上不利益な取扱を受けたことによる損害賠償(慰謝料)の請求を退けたものである(損害賠償請求を退けたのは二審も同じ)。

 c)  中曽根公式参拝に関する直接の裁判ではないが,靖国神社に捧げる玉ぐし料の公費支出と,天皇や首相らに靖国神社への公式参拝を求めた県議会の決議の合憲性 を問うた「岩手靖国訴訟」があった。1987年3月の第1審(盛岡地裁)では合憲判決であった。

 しかし,1991年1月10日の仙台高裁の判決は「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(1977年)が違憲性判断の物差しとして打ち出した「目的・効果基準」を踏まえながら,「天皇,首相の公式参拝は,目的が宗教的意義をもち,特定の宗教への関心を呼び起こす行為。憲法政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えるものと判断せざるをえない」と明確に違憲と断じた。県の上告を最高裁が却下しているので,この裁判は,この高裁の判決をもって確定した。したがってここで示された憲法判断は,現在も重要な意味をもっている。

 d) 「愛媛玉ぐし料訴訟」では,愛媛県知事靖国神社例大祭に玉ぐし料を県費から出したことが問われた。この裁判で最高裁は,愛媛県知事靖国神社への県費支出を違憲と判断した。15裁判官中,合憲としたのは2人だけで,これは政教分離裁判で最高裁の出した初の違憲判決であった。

     ☆ 愛媛玉ぐし料訴訟 ☆

  1989年3月 - 第1審(松山地裁違憲

  1992年5月 - 控訴審(高松高裁) 合憲

  1997年4月 - 上告審(最  高  裁) 違憲

 7) 目的効果基準に照らして合憲ではないのか

 目的効果基準(あるいは津地鎮祭訴訟最高裁判決)は,公式参拝合憲の根拠として公式参拝推進論者がよく引きあいに出している。本当にそれは根拠になっているのか。

 目的効果基準とはなにか。これは国(政治)と宗教のかかわりにおいて,その目的(宗教的か習俗的か)や効果(特定の宗教への助長あるいは圧迫にならないか)を判断して,社会通念上,政教分離の原則を逸脱しないと認められるものについては容認されるという法律論である。現在,政教分離をめぐる裁判の多くはこの考えかたにしたがっている。

 政教分離をめぐる裁判では「津地鎮祭訴訟」が現在でも重要な判例として引用されている。これは,地鎮祭に対して自治体が関与した(市体育館起工式への公金支出)ことの憲法上の是非を問われたものである。最終的に最高裁まで争われた。      

     ☆ 津地鎮祭訴訟 ☆

 1967年3月 - 第1審(津 地 裁)合憲
 1971年5月 - 控訴審名古屋高裁違憲
 1977年7月 - 上告審(最 高 裁)合憲

 この裁判で初めて「目的効果基準」という考えかたが導入され,地鎮祭は「宗教的儀式でなく一般的慣習」と判断されていた。 実際のところ,目的効果基準じたいがまだ明確に定まったものではなく,適用すべきかどうか,適用するならばどこに線引きをするのか判断が分かれている。

 とはいえ,いずれにせよ靖国神社の問題に対して厳密に考えるべきだというのが,司法でも学界でも主流となっている(1991年の仙台高裁判決では「目的効果基準」を踏まえながらも,公式参拝違憲の判断を下している)。

 なかでも,体育館建設の地鎮祭靖国神社参拝を同列にして,後者も合憲であるという参拝推進派の主張は,いかにも論理に飛躍がある。

 8) 私的参拝ならばどうか

 小泉純一郎首相(当時)は,2001年の参拝にあたり「総理として,個人として参拝する。総理大臣の肩書は消せない」として,みずからの参拝が公式か私的かには明言を避けていた。

 公式といえば問題になるのは分かっているし,かといって公式参拝を求める人たちにもいい顔をしたい,という計算があったのではないかと思われる。しかし,実際に参拝してますます批判の声が大きくなり,全国で訴訟が相次ぐなかで政府は「あれは私的参拝だった」といいわけを始めている。

 それはともかく,首相は24時間首相である,という部分には賛成できる。もちろん,首相にも信教の自由等,個人としての権利はある。しかし,首相や自治体 の首長などは公人としての立場が大きな比重を占めている。

 社会的影響の大きさを考えれば,公人として十分に慎重な行動をとる義務がある。首相の純粋な私的参拝というのはありえない。「天皇,首相の公式参拝は,憲法政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えている」(1991年,仙台高裁)との判断と考えあわせると,首相は参拝すべきではない。

 補注)民主党政権で菅 直人が首相のとき,8月に靖国神社には参拝はいかなかったけれども,正月には伊勢神宮に参拝にいったことがある。これは,伊勢神宮も皇室の「皇祖皇宗」の一隅を構成する最重要な神社のひとつであり,しかも靖国神社においては天皇の親祭を執りおこなってきたという「明治以降の伝統とのかかわり」に無頓着=無知な行為であった。昭和天皇は,A級戦犯が合祀されなければ死ぬまで靖国神社に「親拝」するつもりであった。

 なお,この記述では地方にある護国神社に関する議論はしていない。天皇家天皇自身)は,A級戦犯を合祀している護国神社には出向かないでいる。靖国神社と同じに対応をしている。

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新型コロナウイルスの問題に打ち勝ったと勘違いし,これを誇っていた安倍晋三と,自分も同じく打ち勝てる証しがありうると思いこんでいる菅 義偉は,日本の首相がいかなる痴的水準に係留されているかを告白

 「東日本大震災⇒東電福島第1発電所の大爆発事故の被災地」が,本当にみごとに復興しているといえるのか

 2020東京五輪を1年延期すれば開催できると本気で思いこんでいるのか

  「呆れたボーイズ」の高言・虚言・妄言はどこまで奔放なのか

 

  要点・1 東電福島第1原発では汚染水の始末さえろくに済ませられないでいるし,被災地住民の日常生活が「みごとに復興した」というのは,自画自賛の虚栄的な賛辞

  要点・2 コロナ禍に『日本モデル』が打ち勝ったとかオダを上げていた安倍晋三前首相は,東京都における最近の感染者数統計をみていないのか,手前勝手もはなはだしい亡国・国恥の前首相

 

  つぎの統計図表は,最近の2020年10月24日まで,東京都だけでどのくらいの新型コロナウイルス感染者数が毎日発生しているかを教えている。

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 5ヵ月前,まだ首相であった当時の安倍晋三君は「新型コロナウイルス感染症に対する勝利宣言」を,つぎのように誇らしげに語っていた(「騙っていた」か?)。いまとなっては大恥を意味する「正式の発言」であった。けれども,その文句は官邸ホームページから削除されることもなく,いまもまだ閲覧可能である。

  安倍総理冒頭発言】

 

 まず冒頭,これを機に改めて,今回の感染症によってお亡くなりになられた方,お一人お一人の御冥福をお祈りします。感染された全ての皆様にお見舞いを申し上げます。

 

 本日,緊急事態宣言を全国において解除いたします。

 

 足元では,全国で新規の感染者は50人を下回り,一時は1万人近くおられた入院患者も2,000人を切りました。先般,世界的にも極めて厳しいレベルで定めた解除基準を,全国的にこの基準をクリアしたと判断いたしました。諮問委員会で御了承いただき,この後の政府対策本部において決定いたします。

 

 3月以降,欧米では,爆発的な感染拡大が発生しました。世界では,今なお,日々10万人を超える新規の感染者が確認され,2か月以上にわたり,ロックダウンなど,強制措置が講じられている国もあります。

 

 我が国では,緊急事態を宣言しても,罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも,そうした日本ならではのやり方で,わずか1か月半で,今回の流行をほぼ収束させることができました。正に,日本モデルの力を示したと思います。

 

 全ての国民の皆様の御協力,ここまで根気よく辛抱してくださった皆様に,心より感謝申し上げます。

  (中略)

 私に与えられた責務は,この新型コロナウイルス感染症を完全に克服して打ち克ち,経済をしっかりと回復させていく。その間は,雇用と暮らしを守り抜いていくことが私の責任であろうと,こう考えています。

 註記)『首相官邸』ホームページ,令和2〔2020〕年5月25日,https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0525kaiken.html

 この安倍晋三君の勇ましいというか,唐変木というか朴念仁の迷せりふは,以下のように批判しておく。

 A)「日本モデルの力」?

 

 B)新型コロナウイルス感染症完全に克服して打ち克ち,経済をしっかりと回復させていく。その間は,雇用と暮らしを守り抜いていくことが私の責任であろう」?

 a) いうところの「日本型モデル」という実体がありうるとすれば,東・東南アジアにおける新型コロナウイルス感染症による死亡率は,日本はフィリピンにつづく第2位であった,けっして「ナントカ・モデル」といって誇れる中身ではなかった。叩けばホコリとボロばかりが出てくるそれであった。

 b) なかでも B)の内容についてのその後をいえば,「経済の回復」も「雇用と暮らしを守り抜いていくこと」も,からっきし不全のままに経過してきた。つまり「新型コロナウイルス感染症を完全に克服して打ち克」つことは,全然できていなかった。

 ホラにすらなりえていなかった安倍晋三の以上のごとき《勝利発言》であった。現状〔2020年10月25日〕の時点で回顧すると,もっぱら,ホラーになっていたとしかいいようがない……。要するに「冗談もほどほどにいえ」という,そのまた以前の話題であった。

 c) ともかくここでは,『日本経済新聞』(nikkei.com)から,つぎの記事の見出しと2点の付表のみ参照しておく。すなわち,安倍晋三がいいはっていたこの B)は完全にダメ(はずれ,いわゆる「スカ」)になっていた。冗談にもならない勝利宣言であった。ある意味では「▼カ丸出し」の虚言であったと,それには,率直な感想も添えておかねばなるまい。

   ◆「完全失業率 3.0%に悪化,求人倍率 1.04倍に低下 8月統計」◆

 = nikkei.com 2020/10/2 8:31,2020/10/2 11:21更新,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64513520S0A001C2MM0000/
 

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 d) ところがである。上記のごとき安倍晋三(前)首相の発言があってから5ヶ月後,この安倍路線を忠実に継承する政治路線を謳っていた菅 義偉新首相も,つぎの ② で紹介するように,冗談どころか,もしかしたらフザケテいるのではないかと思われるくらい,安倍の文句を復唱しだしていた。

 ただし,こちらの発言は「過去に関する間違えていた安倍君の勝利宣言」の発し方とは基本的に異なり,「未来に対する間違えた勝利期待宣言」を唱えていた。この2人の首相が,吉本興業のお笑いコンビ芸能人にでも,いったい・いつ,なっていたかはしらぬが,いまだに売れもしないような “オトボケ漫才のようなセリフ” がゆきかっている。

 

 「来夏五輪開催,菅首相が訴え『コロナに勝つ証しに』」『朝日新聞』2020年10月24日朝刊4面

 菅 義偉首相は〔2020年10月〕23日,来夏の東京五輪パラリンピックに向けた政府の推進本部の会合で,「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして開催し,東日本大震災の被災地が,みごとに復興をなしとげた姿を世界に向けて発信する場にしたい」と訴えた。

 推進本部は菅内閣では初めて。コロナ禍でもちまわり開催が続き,閣僚が集まって開くのは2月以来。首相は大会関係者や観客の感染症対策,保健医療態勢の確保などの必要性を強調。「準備に全力を」と各閣僚に指示した。

 しかし,KINGSTONE_PROJECT「オリンピック中止?? 『IOCが東京五輪中止を日本に通達!  政府関係者と大手広告代理店関係者から内部情報あり。』」『note』2020/10/22 13:04,https://note.com/kingstoneproject/n/n2c5140621d64  という情報が,すでに出回っている。

 つぎのユーチューブの報告「IOCが東京五輪中止を日本に通達!  政府関係者と大手広告代理店関係者から内部情報あり。後はいつ発表するかだけの状況。元博報堂作家本間 龍さんと一月万冊清水有高」(2020/10/21 公開)があった。

 そして,文章による議論(批判)としては,石川智也(ジャーナリスト)・本間 龍「東京五輪開催は99%あり得ない。早く中止決断を-スポンサー企業に名を連ねた新聞社に五輪監視は不可能だ」『論座』2020年09月27日,https://webronza.asahi.com/national/articles/2020092400006.html?iref=wrp_rnavi_rank  が既筆として公表されていた。

 『論座』における本間 龍の指摘は,ネットの画面で全体が6頁からなるが,冒頭1頁だけを引用しておく。

 「もうやれないだろう」「それどころではない」。多くの人が内心そう思っているのではないか。

 

 東京五輪パラリンピックの延期決定からそろそろ半年。人びとの会話から五輪の話題はもはや消えつつある。コロナ禍が経済と国民生活を蝕みつぐけるなか,なお数千億円の追加費用を投じ五輪を開催する正当性への疑問は膨らむばかりだ。

 

 それでも国,東京都,大会組織委員会は,五輪を景気浮揚策にすると意気ごみ来〔2021年〕夏の開催に突き進んでいる。

 

 いや,突き進む,は不正確な表現かもしれない。組織委の現場ですらいまや疲労感が漂い,職員たちの士気は熱意というより惰性と日本人的な近視眼的責任感によって支えられているようだ。

 

 まだ日本中に五輪への「期待」が充満していたころから東京五輪に反対してきた作家の本間 龍さんは,いまあらためて「早々に中止の決断をすべきだ」と訴えている。

 

 ゆき過ぎたコマーシャリズム,組織委の不透明な収支,10万超のボランティアを酷暑下に無償で動員する問題点などを早くから指摘してきたが,それ以上に,多額の税金を投じたこの準公共事業へのチェック機能を働かせてこなかったメディアに対する批判の舌鋒は鋭い。

 

 「議論されて当然の問題が封殺されてきたのは,朝日新聞をはじめとする大新聞が五輪スポンサーとなり,監視すべき対象の側に取りこまれているからです。新聞は戦中と同じ過ちを繰り返すんですか?」

 

 これまで大手メディアには決して登場することのなかった本間さんに,あらためて東京五輪の問題点に切りこんでもらった。

 そもそも,2020東京オリンピックの開催が延期になった理由・事情は,新型コロナウイルス感染拡大がいつになったら少しでも沈静化していくのか,その見通しすら皆目ついていない現状にあったはずである。

 前段に東京都における感染者数の統計を参照してみたが,現在まで世界各国における感染者の拡大傾向は強まるばかりであって,安倍晋三や菅 義偉が脳天気にも「日本モデル」をウンヌン,デンデンしつつ語った(騙った)段階ないしは状況とは全然異なっている。

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 【参考記事】

 「【悲報】英科学諮問委『新型コロナが絶滅する可能性は低い』WHO『多くの国々で感染が急上昇している』」『情報速報ドットコム』2020年10月24日,https://johosokuhou.com/2020/10/24/38915/

 安倍晋三がまだ首相在任だった時期,自民党政権の対・コロナ対策には苦り切った気持を抱かされてきた東京都医師会会長尾崎治夫は,『日本経済新聞』2020年10月20日朝刊「経済教室」欄のコラム〈私見・卓見〉に,「いまから第3波への備え必要」とい文章を書いていた。この尾崎の文章は穏やかに語っているが,この尾崎の提言の内容など,まったく度外視した対・コロナ対策しか安倍晋三⇒菅 義偉の自民党政権はやっていない。

 つぎの ③ の記事を読んだだけでも2021年夏に,日本は東京で五輪を開催したいなどいう希望をもつことじたい,狂気の沙汰に近い発想であることは,いうまでもない現実なのである。この事実としての新型コロナウイルス感染問題を直視しようとしなかった安倍晋三前首相,そして菅 義偉現首相,この2人の頭の中は,いったいどうなっているのか(?),のぞいてみたいものである。


  「コロナ,世界死者100万人 結核の年150万人に迫る」朝日新聞』2020年9月30日朝刊1面

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 新型コロナウイルスによる世界の死者が日本時間の〔9月〕29日,米ジョンズ・ホプキンス大の集計で100万人を超えた。感染者も累計で3300万人以上に達している。中国で初の死者が出た今〔2020〕年1月以降の9カ月弱で世界の約230人に1人が感染し,約7800人に1人が死亡した計算だ。死者数は3大感染症であるエイズマラリアの近年の年間死者数を超え,結核にも迫る勢いだ。(▼2面=たった9カ月,9面=墓地が不足)

 同大によると,世界の死者は〔9月〕29日午後5時時点で100万1821人。感染者は3336万4077人に上っている。死者数は3月中旬に1万人に達したのち,4月上旬に10万人,6月下旬に50万人を超えた。最近は1日5千人強(過去7日平均)のペースで増え続けており衰えはみられない。

 死者がもっとも多いのは米国(約20万5千人)で,ブラジル(約14万2千人),インド(約9万6千人),メキシコ(約7万6千人),英国(約4万2千人)が続く。この5カ国で世界全体の半分以上を占めている。各都道府県の発表などによると,日本の死者は29日午後9時半時点で1568人。

 世界保健機関(WHO)の緊急対応責任者マイク・ライアン氏は〔9月〕25日,死者が100万人に達するのに先立ち,「検査や感染者の追跡をし,治療薬やワクチンの開発に投資しなければ,死者が200万人に達する可能性もある」と指摘。インフルエンザが同時に流行して医療体制をさらに圧迫する懸念もある。

 エイズ結核マラリアの3大感染症は毎年,世界で計数百万人の命を奪ってきたが,今年は新型コロナが感染症による死者数をさらに押し上げている。3大感染症の死者はアフリカなどの発展途上国で多いのに対し,新型コロナでは北米や欧州の先進国でも死者が増えつづけている。

 そもそも人類・人間の歴史は「ウイルス研究  長い道のり」を経てきたのであり,「検出・薬 …… C型肝炎50年の歴史」を踏まえていえば,今回の「コロナも(それなりに相当の)覚悟を」要する感染症の一例である,といった医学史的な基礎認識が必須である。つまり,新型コロナウイルス感染の問題についても,つぎのような歴史認識が前もって要求されている。

 遺伝子研究の技術は大幅に進んでいますが,ウイルスの正体を明らかにし,薬が開発されるまでには,長い時間が費やされることがわかります。新型コロナウイルスに悩まされている私たちも,「年末までに」とか「来年までに」という解決は幻想です。

 

 新型コロナウイルスがインフルエンザのような身近なものに変わるにはまだまだ時間がかかることをC型肝炎の研究の歴史が教えてくれています。新型コロナウイルスに対する研究も,長いスパンで対峙(たいじ)しなければならないことを覚悟する必要があると思います。

 註記)「ウイルス研究,長い道のり 福岡伸一さん,ノーベル賞から考える」『朝日新聞』2020年10月22日朝刊23面「科学」。

 2021年夏に1年遅れても,東京で五輪を開催したいといった欲望は,結局「蟷螂の斧」を意味する。この点は,マスクを毎日しながら学校に通っている中学生にも,すぐ分かりそうな理屈である。

 ところが,そうした医学史的な前提知識などとはまったく無縁である “下意識の世界” からであったが,日本の安倍晋三や菅 義偉,そして森 喜朗などのとくに政治家たちは,まだ五輪を開催できる(したい?)と思いたいのである。

 いずれにせよ,この地球という惑星の表面で現象してきた「いままでの歴史とこれからの展望」をめぐる彼らに特有である「理解の浅薄さ(なさ?)」ときたら,ただただ呆れるばかりである。

 

  コロナウイルスや貧困の問題は,日本としても固有の問題をかかえている

 つぎの画像資料は『朝日新聞』2020年10月18日朝刊2面から借りたものである。この日本という国がはたして,オリンピックという国際大運動会を開催し,IOCの幹部たちやJOCの関係者たちだけが喜べる「感動詐欺の国際運動大会」を開催する以前に,その空虚で一時(刹那)的である国際スポーツ行事の時間的・空間的,そしてとくに経済的なムダを出さないためには,中止以外にはない。21世紀の今後に向けては廃止を考えたほうがよい。(クリックで拡大・可)

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 前段の『朝日新聞』朝刊紙面は記事の見出しを「先進国 コロナで広がる貧困」と付け,さらには小見出しには,「豪の女性『子どもに牛乳を,私は水  無料スーパーに行列」「世界の貧困人口 一転増加見通し 『最悪の場合  来年7.3億人』『貧しさ  見せない,見ない日本  ロバート・キャンベルさん』という文句が並んでいる。

 あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる。世界がかかげるそんな目標の達成が,新型コロナウイルスの感染拡大によって大きく揺らいでいる。2030年に向けた世界共通の行動計画SDGs(持続可能な開発目標)は,17の目標の一つ目に貧困撲滅をかかげるが,貧困をめぐる状況は先進国でも深刻だ。

 日本は先進国の一員であるつもりらしいが,最近では貧困の問題が深刻な様相を現わしている。つぎに引用するのは,いまから13年も前に公表された学術論文の要約であるが,菅 義偉が首相になっていってのけた,例の「自助・共助・公助」という国家政策の観点の前近代的な冷酷さを,すでに指摘していた。

 日本には公式な 「貧困ライン」 が存在しない。 また政府は,日本には現在深刻な貧困問題は存在しないとの見解から,貧困調査をおこなっていない。 しかし,実際に貧困は日本においても深刻な問題となりつつある。 失業は貧困の直接的な要因である。

 

  完全失業率は, ここ数年で再び低下傾向に転じてはいるが,その一方で雇用市場は大きく変化しており低賃金,低保護の不安定な非正規雇用が安定的な正規雇用に置きかわり, 拡大している。

 

 とくに若年失業,母子家庭の母親など稼動年齢にある者は,就労機会の確保が困難であるうえに就労しても十分な生活費をえられない, いわゆる 「働く貧困層」 となる危険を抱えているが,最近まで,最後の救貧制度である生活保護行政は,障害・ 高齢などで就労が不可能な者に保護の対象を厳しく限定し,就労可能と見られる者には保護をおこなわない運営をおこなってきた。

 

 しかし近年,上述のように雇用市場の変化により就労による生活維持基盤が脆弱な者の数が増加し,中高齢者の失業は長期化傾向にあり,雇用保険の受給期間中に再就労できない場合が増えている。厚生労働省はこのため 「稼動能力の活用」 の要件により保護を必要とする者を排除することのないよう実施する指導をしているが,他方で十分な財政確保がされていない。

 

 国の防貧, 救貧政策はあくまでも就労機会の確保による経済的・社会的 「自立」 を図ることだが,これは被保護者の 「自立能力」 を問題としたパターナリスティックなアプローチであり,現在の貧困問題のごく表面的な解決策でしかない。  労働・雇用の質的向上と基礎的な生活保障の確保を図らなければ潜在的貧困が増加する。

 註記)関根由紀「日本の貧困-増える働く貧困層」『日本労働研究雑誌』第563号, 2007年6月。

 現在の時点は2020年10月である。2007年において言及された以上のごとき経済・社会問題について最新的に論及した文章としては,つぎの2点を挙げるに留めておく。要は「日本はオリンピックなんぞやっていられる国か(!)」というのが,まとめ的な疑問として提示されるべき結論であった。

 安倍晋三や菅 義偉は「新型コロナウイルス感染症を完全に克服して打ち克ち,経済をしっかりと回復させていく」(ここでは安倍の表現)といい,東京のオリンピックを必らず開催させるのだといっている。けれども,すでにこの2人の首相の口先からは, “これからがコロナ禍の本番である” という予測が,あたかもありえない展望であるかのように「騙られている」。

 『日本経済新聞』2020年10月18日朝刊26面「サイエンス」は,「古代人DNA,敵か味方か」と題して,「世界はウイルスでできている」し,「現代人に遺伝子,感染症攻略で脚光」を浴びてきたのがその「古代人DNA」だと指摘したうえで,今回新しく登場してきた新型コロナウイルスの問題も,そうした昔からもあった「感染症の歴史のなか(=脈絡)」で理解すべき点を解説していた。

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 だが,安倍晋三と菅 義偉は,「日本モデル」が「新型コロナウイルス感染拡大」に「打ち勝つ」「証し」でありえたかのような偽説(完全なるフェイク)について,それも得意げに語ることを止めていない。この2人とも,つまりは,暗愚・蒙昧の国家指導者だと位置づけられるほかないほど教養がなかったし,またその良識となればこれを感じさせてくれるような采配ぶりは,ふだんの為政において皆無であった。。

 お話しにもならない,いいかえればお呼びでもなかったこの首相たちのまず1人は「世襲3代目のお▼カ政治屋」であったし,もう1人は「叩きあげ(他者を叩く?)の政治家」であったという以外,格別にめだったとりえ(売り物)はなかった。

 この手の「▼流政治屋」たちが,この国の最高指導者としてつづいて実権を握ってきた。そのせいで,この国の屋台骨はもうガタガタにされつくした。オリンピック開催以前・以外に片付けておかねばならない国家的な課題が山積している。にもかかわらず,さらにまたその前に,なによりもこの2人じたいをなんとか措置(始末)しておかないことには,日本国民全体が大迷惑であり,危険がいっぱいである。

 ちなみに,いまの安倍晋三君は2020年10月初旬,東京五輪パラリンピック大会組織委員会の名誉最高顧問に就任していた。そして,この安倍が務めていた最高顧問兼議長の地位は菅 義偉首相が引きつぐことになったという。

 結局,五輪ごっこを演じるかっこうで,彼ら:「日本の▼ラクタ:3流政治屋たち」がこの国の片隅に集合して毛繕いをしたがっている光景は,もういい加減にしておけというほかない。

 日本国民の立場からみれば,「不名誉な存在そのもの」でしかありえない彼らのごとき政治屋の連中が,なんとかの顧問だとか議長だとかたがいに呼びあうのは勝手だとしても,しょせんは面白くもない漫画的な構図にしかなりえない。

 新型コロナウイルス「君」に,もしも口があるならば,それら日本の政治屋たちに対してはきっと,こういうに違いあるまい。「なあ,オマエたちの出番は,もうとっくになくなっていたぞ」と。

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靖国神社みたままつりの真義

             (2009年7月11日,更新・補筆 2020年10月24日)
 「靖国神社みたままつりの真義」を考えてみるに,これは「靖国の本義をかくした祭祀のありよう」

 

  要点・1 一般庶民の参拝者を靖国「英霊」崇敬者とみなす虚構,その国家神道的な宗教意識による確信犯的な『だましの構造(からくり)』

  要点・2 靖国神社の「主な祭事」は,春季例大祭(4月21日~23日)と秋季例大祭(10月17~20日)が重要とされている。そして7月13~16日にかけては,日本古来の盆行事にちなんだとされる「みたままつり」が, “敗戦後の1947年から” 開始されている。

  要点・3 ところが,8月15日「敗戦の日」には,きわめて不思議なことなのだが,特別な祭事はおこなわれない。もっとも,この点についての説明は不要である。

 

  靖国神社「みたま祭り」案内〔2009年7月11日にみた靖国神社のHP〕

 靖国神社ホームページの「祭事のご案内」に,今年も催行される「みたままつり 7月13日~16日」が掲示されている。この全文を紹介する。

 日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は,今日,東京の夏の風物詩として親しまれ,毎年30万人の参拝者で賑わいます。

 

 期間中,境内には大小3万を超える提灯や,各界名士の揮毫による懸雪洞(ぼんぼり)が掲げられて九段の夜空を美しく彩り,本殿では毎夜,英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。

 

 また,みこし振りや青森ねぶた,特別献華展,各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか,光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや,軒を連ねる夜店の光景は,昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。

 

 祭儀日程

   前夜祭    7月13日 午後 6時
   第一夜祭   7月14日 午後 6時
   第二夜祭   7月15日 午後 6時
   第三夜祭   7月16日 午後 6時
   昇殿参拝   7月13日~16日 午前9時~午後8時
   (みたままつり期間中の社頭参拝は,午前6時から午後10時までとなります)

 

 献灯のご案内

  みたままつりの献灯は,英霊への感謝と平和な世の実現を願って掲げられるもので,どなたでも申し込むことができます。

 大型献灯(1灯) 10,000円
  ※ 大型献灯の永代献灯初穂料は 200,000円(1灯)となります。

 小型献灯(1灯)  2,000円
  ※ 小型献灯の永代献灯初穂料は  50,000円(1灯)となります。

 

 お問い合わせ

  靖国神社社務所(TEL:03-3261-8326)

 出所)画像もともに,http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html より。なお,この住所は現在は削除されており,靖国神社のホームページをのぞくと,「みたままつり7月13日〜16日」https://www.yasukuni.or.jp/schedule/saiji.html  に同上の案内(  ↓  )が掲出されている。

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  補注)まだ意味が不詳であるかのような「靖國神社へ行こう!」の呼びかけ。次掲の2冊はアマゾンの宣伝を兼ねているが,靖國の暗黒面を語る文献。

 

  

 

  敗戦後において靖国神社が経てきた苦しい時代背景・事情など

 この ② は,この靖国神社が7月に開催している祭事「みたままつり」に関する説明と感想,そして批判である。

 a) さて,この靖国神社は本来,『戦争神社:官軍神社:勝利神社』である「歴史的な本質」とはまた別次元でする「自社の理解:自画像」を外部に向けて発信している。いいかえれば,表面的にみたかぎりでは,その本性(本当の意味)とはかけ離れた神社としての管理・運営がなされている。

 それではその種の「理解のズレ」が,いったいどこからどのように発生させられていたのかといえば,「大日本帝国の崩壊=敗戦」という節目を介してであった。靖国神社は,旧日帝侵略戦争・拡大路線を継続できていた時期であればその役目をよく果たしうるといったふうな,つまり,国営神社として “歴史的に必然性を発揮しうる因果関係” を,ほぼ所与のものとして順調に確保できていた。

 敗戦までは,旧日帝の支配権に入っていた国々(地域)には,現地の神社がそれぞれ盛んに創設されていた。だが,第2次世界大戦の結末は,それら旧植民地などに実在した神社群は,いってみれば一晩でコケ(雲散霧消し)てしまい,無主物の廃墟と化していた。さらには,この靖国神社「本来の機能」であった「戦争勝利:官軍性」を,不可避の出来事として,これまた一晩で破壊させられ滅失させられた。

 b) 靖国神社の「みたままつり」に関しては,つぎのように把握しておく必要があった。つまり,国営神社でなくなった敗戦後の事情を踏まえての話となる。

 この靖国神社がどのようにして庶民たちの素朴な神道「心」をも引きつけ,なおかつその本心では彼らが「英霊」の崇敬者であるかのように,しかもこの神社側が勝手にそのように解釈しておける:「国家主義的な神道路線」を密かに抱懐しつづけてきた。そして,実際にもそのような宗教思想を一貫して堅持してきたという,靖国側の「敗戦後史的な経緯」が無視できない。

 靖国神社のそうした敗戦後史をしらずして,ちまたにはほかにもいくらでも存在するナントカ神社と同じ受けとめ方でもって,この「みたままつり」を観ていたらとんでもない誤解となる。ただし,靖国側はこの種の誤解は “誤解そのものとして尊重する” かのように,あえて放置している。

 いうなれば,靖国神社に参拝に訪れる人たちは,単に・主に「みたままつり」に行楽・遊楽に来た人びとであったとしても,この人びとを自社への信仰(神道的な意味あいしかないものだが)の持主たちであるという具合に,都合よく換骨奪胎的に「解釈」している。

 c) はっきりいえば,敗戦後の靖国神社は,明治期以降において国営神社(旧陸海軍の管轄)であったときとは,完全に異なった宗教組織となっていた。つまり,いまは民間の一宗教法人でしかないわけで,この事実に即してまたいえば,敗戦後的に採った “自社のサバイバル戦略” が「みたままつり」の創設であった。

 この世俗的なまつりとしての行事「みたままつり」は,仏教に由来する「盆」関係の祭事を,元国家神道の神社であった靖国が密輸入的にとりいれた,いってみれば苦しまぎれの「自社・存続確保策」であった。この事実に関していえば,庶民たちの立場においては,結局,なにもしりえないできた。

 庶民たちは,縁日の神社にいく程度の気分で,その対象になるひとつの神社とみなして,靖国という名の神社にも「参拝」に出向いている。しかも,皇居の北側に位置して,あれだけ立派な神社(神殿)をかまえている。だが,靖国側は,参拝に出向いているくる彼ら善男善女もすべて当社の信者であるかのようにみなしている。それこそ自由気ままな理解がなされている。

 d) 折口信夫おりぐち・しのぶ,1887-1953年)という民俗学者がいた。1945年,旧日帝が敗戦を迎える前月に,この折口がこう発言していた。

 昭和20年7月,戦意高揚の会合で折口は軍人に食ってかかる。「伊勢の外宮が炎上し … 御所にまで爆弾が落ちた。… 国体が破壊されたのと同じだと思います。… 宸襟(しんきん)イカセムといいながら,宸襟を逆にないがしろにする」のが軍人ではないのか。大変な剣幕だ。そして敗戦。「につぽんのくに  たゝかひまけて  ほろびむとす  すめらみこと,そらにむかひて,のりたまふ  ことのかなしさ。」

 

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 戦後の折口は「神道の宗教化」を目指した。日本の伝統は本来,双方の戦死者を祭る。だが靖国神社は「西南の役の薩摩の死者も,明治維新のときの会津の死者も祭らなかった」。国家神道は間違っていた。だから負けた。今こそ正しい神道を再生させよう。

 註記)書評「橋爪大三郎折口信夫伝』(筑摩書房)」『ALLREVIEWS』2020/07/25,https://allreviews.jp/review/4767?fbclid=IwAR2jWIc_zK72Ss18z-6Ygn22vgA993N_8Y0A5LSHdkWCPAP9r3LWXVjN0fg

 だが,この「今こそ正しい神道を再生させ」ることを,靖国神社が成就させえてきたとはとてもいえない。実際の中身は明治時代のままでありながら,いうなれば「衣の下の衣」の扮装でもって,21世紀の現在になってもまだ「完敗したはずである〈旧日帝時代精神〉」を墨守しているどころか,いままでも執拗に再生させようとしてきた。A級戦犯の合祀(1978年10月17日)がその動かぬ証拠であった。

 これは,東京裁判「史観」は認めぬぞという決意の具体的な表現であった。ただし,昭和天皇が「ポツダム宣言」を受け入れている事実は棚上げしたままで,靖国神社側はそのA級戦犯の合祀をしていたのだから,昭和天皇側が激怒したのは当然であった。

 とはいえ,靖国神社側のそうしたもくろみを完全に復活させる試図は,だいぶ以前からとうてい不可能な時代状況に移行していた。そのなかで,外部に向けてせいぜい継続できる祭事の開催となれば,この神社にとってみれば,まことに俗っぽい「みたままつり」を7月新盆の期間に開催することであった。しかも,そこに蝟集する参拝客たちは, “自社への信仰の持主” であるかのように,それもきわめて身勝手に解釈しておく便法(立場)を採りつづけてきた。

 e) 要は,靖国神社はその大本の目的として狙っていなければならなかった「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である「旧時代・前世紀に創設されていた軍事目的」は,21世紀の現段階となっては,まともにかなえられるはずがない時代状況に対峙させられている。ということで,せめてはその試図(目的)に向けて舳先だけは揃えて並べらさせられる “祭事のひとつ” として,敗戦直後に創設した,それも「一般の神社」の行事となんら性格を異ならせない「みたままつり」を開催することにしていた。

 靖国神社の祭神は「英霊 260万余柱」だという異常値(その多さ)は,日本のほかのすべての神社に比較するまでもなく,まさに異常だなどという以前・以外の宗教的に特殊な性質をかかえていた。それも,戦争に負けてしまった「旧・日帝のための神社」が,いまも「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である基本性格を変えるつもりもないまま,依然と存在していることじたいが, “摩訶不思議だ” と指摘されて当然である。

 --以上のごとき靖国神社の由来・歴史,その後における経過・変質,とくに敗戦後における「みたまつり」の創設,そしてA級戦犯の合祀などを総合的に勘案し吟味するとなれば,一般の神社と同じにこの神社を理解することは,けっして勘違いではなどではなく,根本的に錯綜した神道観に陥るほかない。

 すなわち,日本の神社史のなかでは異端も異端,もっと分かりやすくいえば “トンデモ性に富んだ” この靖国神社の存在を,敗戦後に創設された「みたままつり」という祭事を開催する神社だといった理解だけで接していたら,その本質が理解できないだけでなく,この神社をめぐっては誤解だらけの迷路に誘導されるのがオチである。

 こうして「靖国神社」の解説をしたのちに,その「みたままつり」に関する具体的な説明(実質は感想)の一例を,つぎに紹介しておきたい。

 靖国神社で開催されるみたままつりは,先祖に感謝を捧げる東京の盛大なお盆祭りの一つです。 輝く 3 万の提灯が本殿へ続く歩道に並び,柔らかくも印象に残る光が足元を照らします。 祭りの 4 日間にわたり,神輿が通りを練り歩き,一団の人たちが伝統的な歌と踊りを披露しながら通りを進みます。慰霊祭であることから,期間限定でおばけ屋敷が登場することも。

 

 「みたままつり」参拝後は遊就館

 昭和22〔1947〕年に始まった「みたままつり」は境内に数多くの献灯をかかげ,戦歿者のみたまを慰める夏祭り。境内の能楽堂では奉納芸能として日本舞踊,ダンス,詩吟,古武道,雅楽,コンサートなどなどが奉納され, 拝殿前ではみこし振りなどもあります。屋台も多く出店しており大変賑わっていました。 夕刻になると献灯・ぼんぼり・小型献灯などが点灯し靖国神社の中はとても美しく彩られます。今年 2019は,7/13~16まで開催。

 

 「みたままつり」期間中のみ「遊就館」は開館時間を延長し午後9時まで

 「みたままつり」に来たのなら必らず参拝し そして「遊就館」へ立ち寄る事をお勧めします。今年2019は,7/13から16まで開催。「みたままつり」期間中のみ「遊就館」は開館時間を延長し午後9時まで。「みたままつり」に来たのなら必らず参拝し……。

 

 靖國神社で毎年7月に開催されるお祭りです。戦死した身内がいるので,毎年提灯をあげに行ってます。盆踊りや歌謡祭等もやっています。毎年7月に行われる,死者の鎮魂のためのお祭りです。多くの献灯は圧巻の一言で,鎮魂の思いが胸にこみ上げてきました。

 註記)https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1066443-d8820300-Reviews-Mitama_Matsuri-Chiyoda_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html

 ただし,2020年の「みたままつり」2020年7月13日(月)~ 2020年7月16日(木)は,コロナ禍のため開催中止となった。前段のごとき靖国神社の「解説」は,この神社の歴史的な由来や本質的な役割からだいぶズレているが,こうした上っ面だけの把握は,「みたままつり」の現象的な理解としてはただちに間違いとはいいきれない。

 21世紀になってのことだが,「みたままつり」の開催期間中に境内に多くみられた出店(飲み食いなどのそれ)が,一時期中断されたことがあったが,その後復活していた。この事実は,靖国神社のありようを再考するための手がかりを示唆していた。

 なせに,この「みたままつり」で想定されている祭神は「260万余柱」の英霊である。この祭事の期間における境内は,若者たちのナンパが横行する舞台になってもいたのだから,英霊もなにもあったものではない。

 そもそもでいえば,「みたままつり」という祭事の開催は,とくに戦時期(敗戦)であればありえなかった「一般の神社の縁日的な風景」を,靖国神社にもちこませていた。この祀りはお盆の期間に開催される点からしても,国家神道の最有力な宗教施設のひとつとしては,きわめて異質・異様な祭事の開催である。

 また「お盆」というと,お盆休みを思い浮かべる人も多い。お盆休みがいつごろなのかというと,8月13日~16日(旧盆)が一般的である。しかし,7月13日~7月16日(新盆)でもおこなう行事になっている。本来のお盆は,先祖の精霊を迎えて供養する期間のことを指している。

 ところが,この個人の家・家族次元における「先祖」観の問題と,対する靖国神社の国家的な次元における「英霊」という問題とは,根本から政治的な性格が異なっている。後者の問題はもっぱら,「国家主義=戦前のファシズム体制」の土台に載せられた,つまり「国家神道の問題」としての「歴史的に過去の事実」にその根っこを生やしていた。この靖国神社の性格はなにひとつ変えるつもりなどない基本姿勢を構えていながら,その「お盆」(新盆)の期間のなかに引きずりこんで開催する「みたままつり」と称した,本来は「非・靖国」的な祭事の,真の国家神道的な狙いがどこにあたかは,一目瞭然である。

 お盆については,こういう説明がある。「お盆の時期には先祖が浄土から地上に戻ってくると考えられています。ご先祖様を1年に1回,家にお迎えしともにひと時を過ごして,ご冥福をお祈りし,先祖の霊を供養する」。しかし,この仏教的な先祖観が「みたままつり」には密輸入されている。さきに換骨奪胎という表現をもちだしたのは,この神道側による仏教的祭事のいいとこどり,それも無節操な靖国側による摂取があからさまであったからである。

 

  靖国の今日の意味

 1) 靖国の,神社としての畸型的異常性

 山口昌男は,以上に記述したごとき靖国を,こう形容した。

 九段にはなにか,死,祝祭,縁日,商空間,絵画,知といったその後の時代にバラバラになってしまった諸項目を秘かに繋ぐ気配のようなものがあるかもしれない

 註記)『敗者の精神史』。ここでは,坪内祐三靖国』新潮社,平成13年,2頁より孫引き。

 靖国神社護国神社以外の,全国11万にも近くもある諸神社に,大東戦争史の「戦死」者そのものを,祭神にする神社があるとは思えない。無病息災・商売繁盛・合格祈願・恋愛成就などが主な願かけの対象になるのが,通常・一般に存在する古来型の日本の神社である。

 とすれば唯一,明治以来,帝国日本の立場であった富国強兵のための武運長久を願いながらも,そのために死んだ「将兵の霊」を強制的に収容して祀ってきたのが,靖国神社護国神社である。護国神社は現在も,防衛省自衛隊の死者を受け入れているから,戦前・戦中とまったく同じに存在し,機能している。

 靖国神社に露骨に表現される「死」礼賛の神道(?)精神は,日本帝国主義がアジア侵略路線を推進していく過程で必然的に吐き出してきた「雑多な,歴史的なエントロピー」を架空的・虚偽的に収拾できると観念させるための,それも,古来神道の宗教精神とは無縁のからくりをしこんでいた。

 旧日帝の時代における「靖国そのもの」とは同じでありえなくなった〈現在の靖国神社〉は,『みたま(御霊)まつり』と称して,一般の神社と同じような祭り催行を装わざるをえないでいる。

 敗戦後,時代の流れはすでに半世紀以上(すでに75年)も経っている。戦前・戦中体制での靖国を懐旧したからといって,その靖国がそのまま戻ってくるはずがない。

 とりわけ,「英霊への感謝と平和な世の実現を願って」などと並べて平然といえる宗教精神が,どだい錯綜そのものであり,自覚をともなわない〔ともなった?〕矛盾である。旧日本帝国陸海軍の将兵たちは,祖国の平和を願って戦争にいかされたり,英霊になるために死んだりしたのでは,けっしてない。戦争のために駆りだされて死んだとたん,ただ英霊に祭りあげられ利用されてきたに過ぎない。

 それなのに,英霊(戦争の犠牲者!)への感謝と並べて平和な世を願う(?),などという文句を創るのは,とてもじゃないが,白々しくも,そらぞらしい。日本に限らず帝国主義国はみな,自国だけの平和=繁栄と幸せを実現するために,植民地や支配地域に対しては,それ以上に暗黒と悲惨と不幸を配給してきた。

 日本帝国も,そのために手先に遣わされた将兵が死ぬと〔必ずしも戦死と限らない〕,彼らを一躍「国の名誉のために死んでくれた英雄」=『英霊だ』とかつぎあげ,遺族から不満が出ないように〈フタ〉をしてきた。このフタの役目をしてきたのが靖国神社である。靖国はつぎのような “人間としてまともな想念” を完全に否定している。

  「死んで花実が咲くものか」

  「命あっての物種」

 2) ほかの神社の真似をして靖国でありうるか?

 国家の意思が含まれて一心同体の神道神社であってこそ,そしてそれ以外にはなにもその存在意義をみいだしえなかったのが,過去における九段の靖国である。靖国は旧体制への回帰をいまだに志向しながらも,しかもこれがとうてい果たせそうもない21世紀の現段階に存在している。この事実を熟知し,覚めた意識をもっている靖国神社の関係者も存在する。もちろん,戦前体制への復帰を懐古する時代遅れの神道関係者も多くいるが,この望みは実現するみこみはもてそうもない。

 それならばそれでということで,一般の神社と同じように,とくに東京都の中心に位置するこの靖国の立地を活かす方向で,日本の神社本来の,歴史的に判断して無難である形式と内容で「自社の祭り」を催行し,一般庶民を誘引するかたちで,そのなかに靖国神社の「死」をまぎれこませる「お祭り」が,この「みたままつり」である。

 いわば,レジャーや物見遊山(お花見場所),ひまつぶし,デートスポットに利用すべくみたままつりにいく人たちの両肩に,靖国神社は戦死者の英霊をそっと載せかけている。片や,靖国への参拝者はそんな靖国の,異端である神道の宗教観をあまり意識してはいないけれども,片や,神社側はすっかりそのつもりで,この「みたままつり」を,喧伝しながら開催している。

 --それを称してヤスクニの片思い。伊東ゆかりの歌ではないが,生ける人間が幽霊に小指を噛まれたとしても,痛くもかゆくもない(か?)。しかし,噛んだほうはそれはそれとして「しっかり噛んだつもり」。つまり,実はその歌の体裁にもなっていないのだから,どこまでも靖国がわの片思い・・・。

 伊東ゆかり「小指の思い出」歌詞:1番 ※

 

    あなたが噛んだ 小指が痛い きのうの夜の 
       小指が痛い そっとくちびる 押しあてて

    あなたのことを しのんでみるの 私をどうぞ
       ひとりにしてね きのうの夜の 小指が痛い

 ヤスクニ神社の現在における実相は,意外とそのような「祭神たちと人間たちとの」相互無関係性の次元においてみいだせるのかもしれない。

 藤井青銅『「日本の伝統」という幻想-伝統はビジネスだ!  伝統にマウンティングされないために-』柏書房,2018年は,「実は明治時代に創られた,日本古来っぽい伝統が多い」と指摘していたが,靖国神社の「みたままつり」となると,これは1947年から開始されていた。

 だから,この祭事に関していえば「実は昭和20年代に創られた」ものゆえ,「日本の古来っぽい伝統」ではまったくない,としかいいようがない。伝統のまねごとならば,確かにしているが……。伝統だといわれるものには,そのすべてに始まりがあった。それからの伝統。

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公文書改ざん問題では政府当局の関係責任者であった菅 義偉君がとうとう自著(2012年)まで改ざんした,総理大臣となった自身の「スカスカさ・カスカスさ」は「政治屋としての倫理不在・欠落」を明示するだけでなく,日本という国にとって最高かつ最大の「恥辱」に映る(2)

 「あんな人」だった「偽造・捏造・安倍晋三」の政権は「対米服属路線」を徹底化させたあげく,その継承者となった「こんな人:菅 義偉」は「自著を平然と改ざん」することなどお茶の子さいさい,批判に対して「文句あるか!」ばかり,あの暗い目つきで「問題ない・問題ない,批判は当たらない」といっているのか?

 スガは完璧にアベを上まわる「国恥・国辱」の日本国総理大臣(第99代)として誕生していた。その日付2020年9月16日以来,日本の政治・経済はさらに暗鬱で陰惨な現象を起こすだけとなっている


  要点・1 菅 義偉は首相になったにもかかわらず,いまだに国会を開かず,所信表明演説もできず,それでいてベトナムに初外遊しにいった。

 ところが,その訪問先のベトナムで「読み上げた」文章では,ASEAN を「アルゼンチン」と早とちりで読み(これは直後に訂正),またカバレージをカレッジと読み間違った(これは訂正せず)など,早速,安倍晋三並かそれ以下の『教養のなさ』を披露した。

 挨拶や演説で使う原稿の下読みぐらい事前に,搭乗した政府専用機のなかにおいて準備していなかったのか? もしかすると,それでもその程度にしか読めなかったのか?

 「『菅首相の教養レベル露見』発言 川勝〔平太〕静岡県知事が撤回,陳謝」『静岡新聞SNS』2020/10/16 13:06,https://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/820167.html という報道がなされていたといえ,菅 義偉という政治家は以前から,なにか教養面に関してなにか問題なしとはいえない事実をあらためて示唆したのが,このベトナム訪問時における演説であった。

 したがって,川勝平太県知事の「スガに対する評言:教養のなさ」という論点に関する指摘が,全然外れているわけではなく,けっこう的を射ていた事実が教えられていた。

 さて,安倍晋三成蹊大学法学部政治学科卒であった。そして,この菅 義偉は法政大学法学部政治学科卒であった。となると,自民党で総裁になり首相になった最近の人物は「世襲3代目のお▼カ政治屋」か「叩きあげだというやはりお▼カ政治屋」しかいなかったことを,図らずも実証していた。いずれにしても,大学時代,どのように勉強してきた〔してこなかった〕のか,いまさらのように問われている。

  要点・2 以前は「安倍・1強〔狂・凶〕」政権がいわれていたが,このたびは「菅・1凶政権」そのものが登場した。しかし,現在の小選挙区比例代表並立制という国政選挙の方法では,25%の有権者(投票者)の支持しかえていない「自民党公明党(コウモリ党)の野合政権」が不当かつ不正に政権の座に就きつづけ,権力を振りまわしているとみるほかない。この点は,植草一秀がきびしく批判しているとおりである。

 安倍晋三の「私物化・死物化・負の遺産化」為政もたいそうひどかったが,菅 義偉の「警察国家監視体制」志向の「スガーリン式専制的独裁志向になる国家全体主義」の推進は,戦前・戦中における特高警察を想起させるに十分過ぎるくらい暗黒的である。

 とくに,菅 義偉は小池百合子の都政と同質だという指摘・批判が提起されているが,つまりこの2人は「同じ穴のムジナ」であった。国政も都政も最近はもうハチャメチャ状態である。コロナ禍の進行状態に鑑みて判断すると,「Go to トラベル」も「Go to イート」も今冬に向けて,大きな禍根を生む予想がなされていい。

 なぜ,このような安倍晋三や菅 義偉(ついでに小池百合子)によるような,自民党的に粗雑でかつ野卑な政権がいつまでも続くのか。最初に,このあたりの問題点を説明する議論から紹介していきたい。

  要点・3 あの「防衛大学校の卒業生が東大の大学院が受け入れていないというデマ(フェイク)」を,新たに飛ばしていたた櫻井よしこ嬢が,またもや新聞全面広告を出して,こんどは学術会議を攻撃。

 この人は昔から政権側の別働隊(第5列)であったが,それよりももっと昔,従軍慰安婦問題では当初,その非(日本側のそれ)を認める記事を書いていながら,その後はいつの間にか,安倍晋三前政権のためにも必死になってその問題を否定し,口撃する立場に方向転換していた。

 つまり,語るに落ちる人の典型的な事例を提供していた。自分自身の「転向」問題は「臭いモノにフタ」の要領で隠蔽してきた。


  本日〔2020年10月23日『日本経済新聞』朝刊〕に出稿された学術会議を全面攻撃する櫻井よしこ嬢が理事長を務める公益財団法人国家基本問題研究所の主張は「日本学術会議は廃止せよ」であり,あいもかわらず噴飯モノで,しかも政権ベッタリズム,ついでに応援団長チアリーダーである「よしこ女史の妄言的発想」

 

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【参考記述】


 「学術会議への批判,事務局などが反論 野党部会で」朝日新聞』『朝日新聞』2020年10月23日朝刊4面

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【参考記事】

 日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題をめぐり,立憲民主党など野党共同会派は10月22日,学術会議の活動や組織を確認する部会を開いた。自民党が学術会議の組織のあり方を問題視していることへの反論が目的。SNSなどで拡散する学術会議に関する誤った情報を是正する狙いもある。

 部会では,内閣府日本学術会議事務局の職員や日本学士院を所轄する文部科学省の職員が説明をした。自民は学術会議を非政府組織とすることも視野に議論し,年内に提言をまとめる方針を示している。

 補注)① のごとき新聞全面広告への国家基本問題研究所の意見広告は,この政府(政権)側の支援を一生懸命におこなう姿を正直に表現している。それにしても,自分のデタラメ発言(や過去における論説とは異なった真逆の意見開陳」)などは,ろくに修正も訂正もせずに,よくもこのような一方通行的・専横独断的な私見を,なんとか研究所の代表(理事長名)で世間に公表できるものだと感心する。

 本ブログ内では,2019年8月14日の記述,「国家基本問題研究所理事長櫻井よしこの,時代錯誤的なエセインテリ風の『安倍晋三政権支援』,ネトウヨ政権支持・原発推進支持の錯乱イデオロギー」ですでに,櫻井よしこ嬢の狂「気」乱舞したかのような発言方式をとりあげ批判していた。そこでは,ついでにだったが,彼女が全国紙に出すさいに使用する「自分のお写真」(の年式)にも言及していた。

 ここでもその画像資料を参照しておきたい。前段の記述全体については住所・リンク先も挙げておくので(  ↓  ),興味ある人はのぞいてみてもらうと便宜である。

 櫻井よしこは一言でいって,「オオカミ少年」ならなう「オオカミ少女」趣味で,上記の公益財団法人の理事長の仕事をしているようにも映る。

 それに,こういう画像に登場する女性(男性でも同じに指摘できる点だが)としては,同じ画像(10年以上も前の自分のお写真)を使いまわしているが,これは「?」である。

 最近の彼女の画像については,前記「2019年8月14日」の本ブログ記述のなかに,その何葉かをかかげていた。ここでも,以下に再掲しておく。

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 この意見広告をけさ〔2020年8月14日に〕観たとき「あれ,また同じ写真(櫻井よしこ自身の画像)が使われているぞ,とすぐに分かった。本ブログ筆者の手元にある関連の画像資料では,つぎの2点がとりあえず出せるものだが,こちらの意見広告は2015年と2016年のものであった。

 

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 国家基本問題研究所理事長である櫻井よしこが,どのような国家思想・政治信条の持ち主であるかについては,のちに若干触れることになるが,ここでは「彼女がこの意見広告用に着ている衣装(上着)」に注目する。

 

 いまから5〔ほぼ10〕年前とまったく同じ着衣でもって,これら全面広告にマドンナ理事長として登場している。

 

 昔のこととなるが,『やっぱり,みんな楽しく Happy ♡ がいい ♪』2015年12月12日(というブログ)をのぞいてみると,「2012. 12. 13 (木) 平和に責任を持とう 今こそ改憲国防軍の創設を」という意見広告もあった。

 

 さらには,2009年11月13日の同様な意見広告として,題名は「日米同盟は戦後最大の危機です」もみつかる。 

 

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 要は,10年(一昔)以上も “同じ写真” を,一連するこれらの意見広告に使いつづけてきたという事実は,いくらなんでも “古すぎる(つまり,より若めの)画像” を使いまわしていたと理解されて自然である。

 

 そのさい,女性だからというわけではなく,ほどほどに「現実の年齢に即したお写真」を使用するのが順当(妥当)である。これでは,他者の側における受けとり方において “要らぬ誤解” を生むおそれ「大」である。この印象は “なきにしもあらず” という以上の含意をこめて,「老婆」心ながらもいわせてもらう。

〔記事に戻る→〕 学術会議が「答申や提言をほとんど出していない」という批判に対し,事務方は最近1年間で80件超の提言や報告を公表していることを説明した。

 「年間予算10億円は多すぎる」といった指摘も出ている。事務方は,欧米の学術会議は非政府組織が多いが,法律で設置が規定されるなど「公的性格は強い」(事務局職員)と説明。予算規模では日本学術会議は少ない方で,全米科学アカデミーは約210億円(うち8割が公費),英国王立協会は約97億円(うち7割弱が公費)だとした。

 中国が外国人研究者を集める国家事業「千人計画」に「学術会議が積極的に協力している」といった誤情報がSNSなどで流された。一時,自民党の甘利 明税制調査会長も自身のブログで発信した。学術会議事務局は「千人計画を支援するような学術交流事業はおこなっていません」と明確に否定した。部会後,内閣部会長の今井雅人衆院議員は,組織のあり方には問題がないとの認識を示した。

 日本学術会議に対する「批判」と事務局側の説明 ※

 

  ※-1 批判:答申や提言をほとんど出していない。

       ⇒ 説明:最近1年間で80件超の提言や報告を公表
           (そもそも答申は政府が諮問しないと出せない)

 

  ※-2 批判:年間予算10億円。税金が投入されるのは日本だけ。

       ⇒ 説明:全米科学アカデミーは約210億円(うち8割が公費),
            英国王立協会は約97億円(うち7割弱が公費)

 

  ※-3 批判:会員に高額な報酬。

       ⇒ 説明:会員が受け取るのは平均1人年約30万円の手当や旅費。
            日本学士院会員は年250万円の年金が支給されるが,
            学術会議会員204人のうち該当者は現在1人

 

  ※-4 批判:中国の国家事業「千人計画」に協力。

       ⇒ 説明:そのような学術交流事業はおこなっていない

 

  ※-5 批判:学術会議の組織形態を見直すべきだ。

       ⇒ 説明:安倍政権下の有識者会議が2015年3月,「現在の制度は                     学術会議に期待される機能に照らしてふさわしい」と報告

 

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  補注)この図解的な説明表の内容で判断するかぎりでは,菅 義偉側の説明は空虚につきる。

 つぎの ③ には,櫻井よしこも,おおげさに語ろうとしていた学術会議の「わずか10億円の予算」などをめぐって,本庶 佑からの反論・批判を聴いてみたい。

 

 「予算10億円『あまりに安い』ノーベル賞受賞者の本庶 佑氏 学術会議問題『
理由なく拒否は危険』」東京新聞』2020年10月20日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/62861

※人物紹介※ 本庶佑(ほんじょ・たすく)は1942年生まれ,京都大医学部を卒業し,1984年に同大医学部教授,2017年から特別教授。免疫の働きに関与するタンパク質を発見してがん治療薬オプジーボを開発し,がんの新しい治療を切り開いたとして,2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

 政府による日本学術会議の任命拒否問題について,同会議の元会員で2018年にノーベル医学生理学賞を受賞した本庶 佑・京都大特別教授(78歳)が本紙の電話インタビューで,「理由なく拒否することがおこなわれれば危険だ」と話し,任命権者である菅 義偉首相の説明が必要との認識を示した。

 補注)政府側・菅 義偉にその理由がないわけではなく,極右・反動政権なりにりっぱに,いうなれば「ご飯論法」や「チャーハン論法」的には説明がなされているつもりである。が,しょせんは「東大話法」の足下にも及ばないド・ヘリクツしか示しえておらず,説得力は皆目もちあわせない。しかも,デタラメとウソにまみれた「糞味噌」の話法となれば,お話になる・ならないどころではなかった。ただ権力を示威するだけの脅迫的な話法になっていただけであった。

 1) 理由なき拒否,拡大解釈の恐れ

 『任命拒否をどう感じたか』。 理由を説明しないのは大きな問題。任命権者である菅 義偉首相がみずから,明確な説明をするのが基本ではないか。理由なく拒否することがおこなわれれば,たとえば文部科学大臣による国立大の大学長の任命などにも拒否権が拡大解釈されていきかねず,危険だ。

 科学は国民のためのもので,自由に研究をやってもらうことが大切だ。今〔2020〕年のノーベル化学賞を受賞したゲノム編集技術の女性科学者も,予想もしないことから,そこにたどり着いている。僕らが発見した物質も同じ。一つの方向へ,国が命令するということでは新しい発見は出てこない。任命拒否のように政府が頭から,これはダメあれはダメというのは問題だ。

 補注)この本庶 佑の指摘は当然も当然である。ところが,専制的独裁志向の菅政権にあっては,聴く耳などもたない。そうとなれば,それこそ “馬の耳に念仏” である。すでに警告されているように,これからの日本,ノーベル賞を獲得できる研究者・学究が絶えそうだと危惧されている。

 そうした日本の研究体制にあるなかで,権力側だけに都合のよい研究に従事し,成果を挙げろといったところで,そうは問屋が卸さないのが「学問・研究」の “本来的な性質” である。この本質からして,まったく理解すらできていない「ヤカラのような」「知性にも教養にも問題ありあり」の,安倍前政権から菅政権へと継承された「自民党政権の伝統!」は,この国の研究体制全般を,これまでさんざんに衰退・弱体させてきた。

 2) 学術会議のあり方について検証が始まった。

 「国から学術会議に10億円も予算が出ている」と,いかにも大金のようにいうが,10億円ほどで国の将来を見据えた科学技術の提言を出してもらうのは乱暴ですらある。あまりに安い。もっと優遇されてしかるべきだ。会員らに支払われるのは交通費,宿泊費と,わずかな手当だ。組織,資金を,いま以上に切り詰めることはできないはずだ。そうなれば,解体になりかねない。

 補注)前段で櫻井よしこは,学術会議のような「そんな組織に毎年10億円以上の税金を注ぐこむとはなにごと」かと非難していたが,科学技術や高等教育機関の研究体制をろくにしりもしないで,身勝手なことばかりいうのが,この櫻井よしこ女史がする発言形式の一大特性になっていた。恥ずかしい。

 そもそも安倍晋三の前政権からして,政治そのものを「私物化・死物化・負の遺産化」してしまい,自分と一部の近しい者たちだけにとって都合のよい,つまり私的なつきあい相手(オトモダチ)を重視するだけの,ひどくえり好みのはげしい為政をおこなってきた。すなわち,そうした為政の過程では,それこそ “とんでもナイ金額の国家予算” が不当に浪費されてきた。

 安倍晋三の後継首相となった菅 義偉も,その責任の半分は負う立場にいたはずでありながらも,顧みて他をいうように,学術会議の1年度に「たった10億円」の予算にケチを付けている。櫻井よしこ女史の口吻はさらに振るっていて,「毎年10億円以上の税金」と形容していた。 “作為がみえみえ” の論法であった。

 3) 政府が科学者の助言受ける仕組を

 行革の理由に「過去10年,学術会議から勧告が出ていない」と挙げた人がいたが,諮問されなければ勧告もできない。10年も勧告がなかったのは,政府が科学者の助言を求めなかったということだ。むしろ,その方が大きな問題だ。

 4) 議論はどうあるべきか。

 米国や英国には政府への科学アドバイザーがおり,科学者が国に科学的見解,知識を発信するチャンネルは明確になっている。これが日本にはない。だから新型コロナウイルス対策もふらふらしている。

 補注)この「ふらふらしている」という日本政府に対する指摘は,後段の山極寿一の議論にも出てくる。

 私も学術会議の会員を務めたが,会議で提言をしたとしても,ほとんど政府に受けとめられた実感はなかった。今回の問題の本質は,政府が科学者の集団から,アドバイスをきちんと受ける仕組を作れるかどうかだ。(引用終わり)

 安倍晋三の政権のときも,いまの菅 義偉のそれになっても共通する一大特徴は,学問の「ガ」も,研究の「ケ」も,なにも分からない政治家(いわば3流の)の彼らが,今後において(すでにいまでもだいぶおかしくなっているが),この国における科学技術・学問研究をどのように維持し,昂揚させ,発展を可能にしていくのかについて,その基本理念をまったくもちあわせていない点にみいだせる。

 学術会議の由来・歴史・現状などに関する諸論点の全般にわたり,吟味・精査・検討・議論したうえでなにかモノをいうのではなく,ただ現・国家権力側に都合がよいだけの学術会議にしたいという欲望のみが,馬鹿正直にもムキ出しにしている菅 義偉の「スガーリン」的な,それも官房長官時代の政治手法の域から1歩も出ない采配(干渉)は,現状にまで下劣化し,ひどく腐敗してきた日本の政治そのものの頽廃現象を,正直に反映させている。

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 「UCLA津川友介助教授が考える『御用学者』のリスク」asahi.com 2020年10月17日 15時00分,https://digital.asahi.com/articles/ASNBJ54KCNBHULBJ01N.html(聞き手・服部 尚)

 新型コロナウイルスの感染拡大や,日本学術会議の会員候補6人が任命されなかった問題は,「専門家」のあるべき姿について疑問を投げかけた。『原因と結果の経済学』などの共著があるカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)助教授の津川友介さんが,政治とアカデミアのあるべき姿について語った。

※人物紹介※ 「つがわ・ゆうすけ」は1980年生まれ,東北大卒,聖路加国際病院世界銀行ハーバード大を経て,2017年からカリフォルニア大学ロサンゼルス校助教授。著書に『世界一わかりやすい「医療政策」の教科書』(医学書院)など。専門は医療政策学,医療経済学。


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 多くの国では大統領や首相などの国のトップが出てきて新型コロナ対応に関する方針を説明していました。しかし日本では,4月に西村康稔氏が新型コロナ対策担当大臣に就任するまでは,政府の誰が対策の意思決定者か分かりにくかったという声があります。

 一方で,専門家が独自に発信する例も目立ちました。SNSを使って専門家会議のグループがリスク・コミュニケーションの専門家を交えて情報発信しましたが,それに対立する意見を発信する有識者たちも出現しました。

 政府と専門家会議の見解が一致しなかった場合もあり,なにを信じていいのか分からなくなってしまった国民もいたと思われます。政策立案者である政治家や官僚,そして意思決定に必要な判断材料を提供する学者が十分にコミュニケーションを取り,その結果を国の統一したメッセージとして国民に提供する必要性が明らかになりました。

 もちろん効果的なコミュニケーションは重要です。でも根本的な問題は,その上流にある意思決定プロセスであったと思われます。

 意思決定のプロセスは2段階で進めるべきものです。判断材料である科学的な根拠(エビデンス)が1段階目であり,それをもとに政治的な判断を下すステップが2段階目です。

 1) 学者がかかわると「しがらみ」生じる

 学者は基本的にはエビデンス部分の1段階目にのみかかわるべきだと考えます。2段階目に学者がかかわると,いろいろ々な「しがらみ」ができてしまい,中立公正な立場でエビデンスを提供することがむずかしくなる場合があるからです。

 補注)安倍晋三の前政権もいまの菅 義偉政権も,その観点(段階区分)に照らしていえば,1段階目から全面的に容喙したがり,実際にその方途に向けて干渉してきた。学術会議の新会員6名拒否の問題は,すでにこの1段階目において「政府・政権側の干渉・えり好み」がなされていた事実の証左である。

 この境界があいまいになると,政策と整合性を取るために,忖度してエビデンスがねじ曲げられてしまう危険性すらあります。エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング(ebpm)という言葉があります。「根拠にもとづく政策立案」という意味です。

 ところが最近,日本のある政治家から,この逆の,ポリシー・ベースド・エビデンス・メイキングという言葉を聞きました。つまり政策と整合性のとれる根拠をえり好みして,提供すると言う意味です。民主的なプロセスで選ばれた政治家が,正しいエビデンスをもとに意思決定できなくなっているのであれば,それは大きな問題です。

 結論ありきの政策立案に同意し,そのために審議会などに招集される学者を「御用学者」と呼ぶことがあります。もちろん,このような方法は海外でもみられます。ただし,少なくとも日本よりアカデミアが独立しています。

 2) アカデミアの独立

 たとえば,米国には医学研究の拠点機関である国立衛生研究所(NIH)があります。予算の総額に関しては政治的プロセスで決まりますが,研究費の分配については,政府の意向とは独立して,研究者たちによって決められています。

 このため,アカデミアとして政権におもねる必要がなく,科学的に正しい意見を発信することができます。その結果として,政治的状況にかかわらず,国民は科学に関する正しい情報を入手することができます。

 学者が政治の影響を受けずに活動できることを「アカデミック・インディペンデンス」と表現することがありますが,これを実現するためには必らずしも財政的に独立している必要はありません。科学技術の発展によって恩恵を受けるのは国民全体であり,そのために税金が使われるのは妥当だからです。

 もし研究活動の多くが税金ではなく民間の資金でおこなわれた場合,その恩恵を受けられるのは資金提供した組織だけということになり,社会の格差が広がってしまうからです。その点においても,日本学術会議のような組織の運営に税金を投入するのは理にかなっているといえます。

 補注)学術会議の民営化をさけぶ人士がいることは,周知のとおりであるが,この種の意見を吐く者たちにかぎって,実は「学問論」などとは無縁の立場からモノをいっている。つまり,今回のごとき問題に発言「力」が本当はない者たちが,聞きかじりにもならない貧弱なカケラ的な知識をもって,学術会議ウンヌンをしていた。

 日本の学術会議に相当する米国の科学アカデミーの場合,財源の80%以上は政府関係機関から入ってきます。

 しかし日本学術会議内閣府の「特別な機関」であるのに対し,科学アカデミーは民間の非営利組織であるため,人事やその役割は独立しています。税金が財源だったとしても,政府の影響を受けず中立公正な意思決定をする組織を作ることはできるはずです。(聞き手・服部 尚)(引用終わり)

 以上のごとき津川友介の議論は,学術会議のあり方に関してとなると,ひたすら偏向した立場・思想を好み,しかも狭隘な見地(?)に依存した,つまり自民党極右・反動形成『政権」にとってのみ有利な主張がまかり通らせてきた現状を,意識した論評になっていた。

 中国との関係ウンヌンとしては,例の甘利 明がデマ同然の発言をブログでおこない,さらには,その間違いを指摘されるやひそかに修正・訂正するなど,まったく信頼できない自民党政治家の本性を露呈させたりもしていた。

 また橋下 徹という氏名の弁護士あがりの政治家になると,最近テレビなどに出まくっていうことは,ひどく乱雑な自説・意見をばらまくばかりであって,これには庶民の感覚をもってしても,さすがにそのデタラメさは見抜かれていた。

 要は「論理よりも感情」「理屈そのものよりもただの脊髄的反応」ばかりが,いまの日本の政治的な舞台では肥大化したすえ,大いに幅を利かせている。まっとうな議論や事実に即した見解がまともにとりあげられず,自分の恣意的で感性的次元に留まる考えを,ただ強引に披露できる者だけが大きな顔をして,しかも大声でがなり立てている。この国における言論界の低劣化は目を覆いたくなる。

 かといって,ただノーベル賞が取れる「科学技術・研究体制」になっていれば,単純にそれでいいというごとき問題でもない。自由奔放な研究を学究や研究者にさせうる国家体制とこれへの支援体制があればこそ,ノーベル賞を授賞される人材を輩出できる可能性も生まれる。その意味でいえば,安倍晋三や菅 義偉の政権のもとでは,その可能性をもっぱらつぶすための為政が,しゃかりきになって強行されてきた。ノーベル賞「デンデンの話題」などは,もうすぐこの国ではお呼びではなくなる。

 要は,ノーベル賞などをあえて “遠のけてしまう” ような,この国の研究体制の溶融現象が発生しつつある。ノーベル賞をもらえる研究は,おおよそ四半世紀という「時間の単位」をかけて,ずっと以前からなんとか育まれていくのであって,いますぐに達成できるようなものでは,けっしてない。しかし,安倍晋三や菅 義偉にとってみたこのような話題は,どう議論してみたところで「豚に真珠」……。 “なんとかは死ななきゃ治らない” というが,そのとおりだと思われて仕方ない。

 

 「『着実に全体主義への階段上る』 学術会議前会長の危惧」朝日新聞』2020年10月22日15面「オピニオン」
写真・図版

※人物紹介※ 「やまぎわ・じゅいち」は1952年生まれ,ゴリラが専門の霊長類学者,京都大学前総長,日本学術会議前会長。著書に『家族進化論』など。

 

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 a) 日本学術会議が推薦した新会員105人のうち,6人が菅義偉首相から任命されず,その理由がはっきりしないことが問題となっている。学問の自由への国家権力の不当な介入と非難する意見があるが,私はそもそも民主主義の問題だと思う。

 民主主義とは,どんな小さな意見も見逃さず,全体の調和と合意を図り,誰もが納得するような結論を導き出すことだ。初めから意見が一致していたら議論の必要はない。多様な考えや意見があるからこそ建設的議論が生まれ,新しい可能性が高まる。それが民主主義の原則で,結論を出すには時間がかかる。

 新型コロナウイルスへの対策でも,日本はなかなか方向が定まらず,ふらふらしているような印象を受けた。だが,それはなるべく多くの専門家の意見を反映しようとした民主主義の結果であったと私は評価している。

 b) 日本学術会議も民主主義を基本として議論を展開する学術の場だ。いわば学者の国会のようなものだ。国会と違うのは政治談議ではなく学術についての論議をすることと,実に多様な学問分野の学者が集まっていることである。

 日本国籍をもつ87万人の研究者を代表する210人の会員と2千人近い連携会員からなる。公務員だが給与はなく,会議に出席する際に日当と交通費が支払われるだけのボランティアだ。しかも財政難で昨年度の下半期にはそれさえも支給できない事態となった。

 補注)これが,櫻井よしこが「そんな組織に毎年10億円以上の税金を注ぐこむとはなにごと」か,と非難する対象「学術会議」の経理面の実情であった。今回の問題をめぐってこのよしこさんが発言することには,「防衛大学校の卒業生が東大の大学院が受け入れていないというデマ(完全なる事実無根のフェイク)」を飛ばしていたことからも敷衍できることだが,彼女はこのように “間違ったことでも平気でいえる” 人間になっていた。

 目的のためには手段を選ばずともいわれるが,脱線してしまったような発言をしていても平然としていられるようでは,そもそも,彼女のいうことじたいに説得力はともなわない。もしかすると,知識人としての資格も,もともとなかったのではないかとまで確信させる。

 櫻井よしこが,例の「従軍慰安婦問題」をすなおに認めて報道していたのは,1992年中に公表していた言論活動のひとつであった。だが,人間,変われば変わるものである。かつてのリベラルなオネエサンが,いまでは完全にただの頑固な極右・反動形成の,オバサン的な疑似インテリにまで堕落していた。

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 註記)櫻井よしこ櫻井よしこが取材する』ダイヤモンド社,1992年。

 なぜ彼女がそこまで変わりはてたのか興味がもてる。ともかく現在は,安倍晋三や菅 義偉に対してべったり張りついた言論活動(政権側のチアーガール・リーダーである)をおこなっており,家に帰ると毎晩,厨房でのゴマすり作業に余念がない姿を想像させてくれる。

〔記事に戻る→〕 会員の任期は6年で3年ごとに半数が改選される。会員や連携会員,さらに全国の2千以上の学術研究団体の推薦から選考会議が学術的業績の高い会員候補者を選び,首相に推挙する。首相は推薦にもとづいて会員を任命することになっている。これは憲法第6条の「天皇は,国会の指名に基いて,内閣総理大臣を任命する」に倣ったもので,任命が形式的なものであることは明らかだ。

 c) なぜ,今回に限って菅首相は6人を任命しなかったのか。なぜ,理由を述べることをかたくなに拒否するのか。任命しないのは日本学術会議法に違反するし,理由を述べないのは民主主義に反する。

 国の最高権力者が「意に沿わないものは理由なく切る」といい出したら,国中にその空気が広がる。あちこちで同じことが起き,民主的に人を選ぶことができなくなり,権威に忖度する傾向が強まる。それは着実に全体主義国家への階段を上っていくことになる。

 任命されなかった6人は,第1部(人文・社会科学)の研究者だ。第2部(医学,農学,生命科学),第3部(理学,工学)と違い,人文・社会科学は過去の現象や思想を現代と照らし合わせて分析する。そこには批判精神が欠かせない。人文・社会科学が批判精神を失えば,単に現象を記述するだけの学問になる。社会の選択肢が狭まり,想定外の事態や不確定性の高い未来に対処できない。

 社会が誤った方向へ進んだ時,軌道を修正するには別の選択肢をなるべく多くもっている必要がある。そのために,現代におこなわれていることが最上のものではないとする考え方も必要なのだ。

 人文・社会科学は社会の多様な選択肢を示すことで,レジリエント(強靱(きょうじん)で弾力性に富む)な未来をもたらしてくれる。それは戦後,私たちが全体主義ではなく,民主主義を選んできた恩恵でもある。

 d) 政府はそれに気づき,今〔2020〕年大きな変革を試みた。1995年に制定された科学技術基本法の「人文科学のみに係るものを除く」という文言が今年6月の通常国会で削除された。人文科学(社会科学を含む)が科学技術の振興にとって不可欠であることが法的に認められた。

 これは内閣府のもと下で毎週開かれている総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)のアカデミアと産業界の代表による熱意あふれる議論の成果だ。私は日本学術会議の代表としてCSTIに出席し,「Society 5.0」の実現をめざしてイノベーションを起こすための政策を検討してきた。

 近年,産業界はESG投資(環境・社会・ガバナンスに配慮した投資)やSDGS(持続可能な開発目標)の実現をめざし,大学でも産学連携によってイノベーションを起こす動きが強まっている。そのためには科学技術を実装する社会や人間の幸福を考える人文・社会科学の貢献が欠かせない。CSTIが発案して現在公募中のムーンショット計画にも,ELSI(倫理的・法的・社会的課題)やウェルビーングの研究が盛りこまれている。

 e) 今回の菅首相による人文・社会科学分野の6人の任命拒否は,こうした動きに背を向けるものだ。首相は就任前に官房長官として人文・社会科学重視の変化を熟知しておられるはずなのに,無視するような決定を下されたことは理解に窮する。学術の軽視,科学の軽視といわれても仕方がないのではなかろうか。

 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは,民主主義国家は非常時に崩壊すると警鐘を鳴らす。新型コロナウイルスのような危機にこそ,民主主義が損なわれる危険が増す。菅首相,批判を恐れてはいけませんよ。日本が危機に陥っているいまこそ,科学者すべての意見に耳を傾け,民主主義国家として正々堂々と政権運営をしてください,と私はいいたい。(引用終わり)

 同じ表現を使うほかないが,いまの彼らにとっては,なんどいわれても理解できないことがらであったゆえ,再度こういっておく。まさしく「馬の耳に念仏」「豚に真珠」,つまり「猫に小判」。ただし,彼らは人間なのでコバンだけはほしい(例の「いまだけ,自分だけ,カネだけ」)。それだけのことであった。

 --最後に一言。「後継『指名』から『推薦』に 首相が発言修正,大西元会長『なお無責任』〈学術会議の任命拒否〉」『東京新聞』2020年10月23日 05時50分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/63587  という記事は,

 「首相の発言修正に関し,加藤勝信官房長官は21日の記者会見で『「推薦することを指して首相は「指名」という言葉を使ったのではないか』と釈明していた」と報じていたが,これは完全にチャーハン話法であった。当方(本ブログ筆者)は,ご飯論法でもチャーハン論法でもどちらでもたいして変わりのない論法とみなし,つぎのように批判しておく。
 
 つまりそれは,意味のないいいかえを意味があるかのように騙る悪質な話法である。「推薦」も「指名」も「現在の首相が指示すること」であれば,その2つのコトバに関しては,なにも実質的な意味に違いはない。とくに権力者が使うコトバであれば,なおさらそうなるほかない。

 ※『推薦』とは「自分(首相の菅 義偉)がよいと思う人・物事を,他人にすすめること」。(仮に,断わったら,どうなる?)

 ※『指名』とは「(これは,誰それ〔=菅 義偉〕がせよ,と)名をあげて人を指定すること。名ざし。(もしも,拒否されたら,どうする?) 

 

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 官房長官加藤勝信(  ↑  )のあの顔が “皿に盛られたチャーハン” 状にみえるのは,本ブログ筆者だけか? しかも “鳴門巻きの切れ端” ような物体まで,彼の顔には映りこんでみえるような気までしてくるから,なにやらとても不思議な気分……。

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