経営存在を西田哲学する経営学的な意味

      経営存在を西田哲学する経営学的な意味
                   2014年11月24日

 

 

  要点:1 経営学の哲学的な研究の方途

  要点:2 竹内 毅『経営と西田哲学-事実より真実を求める経営学-』文眞堂,2009年10月は,「経営理論」になにを求めているのか


 ① 日本の経営学者2名-山本安次郎と三戸 公-


 2009年10月1日にこの竹内 毅『経営と西田哲学-事実より真実を求める経営学-』(文眞堂)が公刊されていた。西田幾多郎の哲学のことを西田哲学といい,欧米でも関心のある哲学研究者はこの日本の哲学者を代表する西田幾多郎を研究している。


 アメリ経営学経営管理学〕は基礎的に,哲学の思考方法としてプラグマティズム実用主義)を背景にもっている。ドイツ経営経済学は,戦後はその性格を薄めてきたけれども,伝統的にドイツ観念論哲学の影響を強く受けていて,経営学の理論展開を「社会科学論」としてもおこなってきている。


 それでは,日本の経営学はいったい,どのような哲学史的な学問基盤を有していたかとあらためて問われると,詰まってしまい,即答できなくなる。この国における経営理論の志向性は,アメリカ流の某理論あるいはドイツ流の何学派かの影響を受けながら,日本の経営学者が自説の立場を立論することがほとんどである。


 ところが,珍しくも,日本哲学の代表格である西田哲学を経営学の本質論的な議論のために導入・利用する試みが,細々であってもなされていた。それは,山本安次郎という経営学者が努力してきた成果であった。竹内の本書も「おわりに」において,「私は経営学書に書かれていない経営とは何かを模索した」「その過程で」,「西田哲学に向かわせたのは既に故人の山本安次郎京都大学教授であった」と断わっている。


 竹内『経営と西田哲学-事実より真実を求める経営学-』は,山本安次郎の諸著作のうち

 

  『経営学要論』(ミネルヴァ書房,1964年)

  『経営学本質論』(森山書店,1961年)

  『経営学の基礎理論』(ミネルヴァ書房,1967年)

  『経営学研究方法論』(丸善,1975年)

   加藤勝康共著『経営学原論』(文眞堂, 1982年)

 

 などを枚挙し,これらの事績によって大いに啓発された,と強調している。


 竹内は,山本安次郎から「直接にその薫陶に触れる機会がなかったのは洵に残念なことであり,もしいまご存命であればと切に思う次第である」と述べ,山本安次郎の経営学説にずいぶん思い入れた真情を正直に披露している。いわく「とくに実務に携わる私は,〔山本〕先生の『経営』に対する強い熱意のようなものに共鳴を覚えた」(〔おわりに〕230頁)。

   

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  出所)山本安次郎(1967年,63歳),https://kensaku.kua1.archives.kyoto-u.ac.jp/shozou/?c=detail&sno=i600013903 から。


 山本以外の経営学者として竹内がさらにくわえて氏名を挙げているのは,三戸 公である。三戸「先生は西田に造詣深い数少ない経営学者として有難い存在であり,本書の書名も先生に戴いた。私より9歳年長で経営諸学会最長老の先生のご長寿を願うばかりである」(同所)と,最大限の敬意を払っている。


 竹内がこの『経営と西田哲学』「おわりに」のなかで,西田哲学の研究者として出している論者は主に,小坂国継・根井康之である。なお,三戸 公は,西田哲学を直接的に反映させて執筆したとみなせるような経営学研究書を公表しているとはいえない。

 

 三戸 公『人間の学としての経営学』(産業能率短期大学出版部, 1977年)は,文庫版に収められるさい『現代の学としての経営学』(講談社,昭和60年)に改題していた。本書が論じるのは,こういう論点であった。


 「組織とは何であり,組織維持機能たる管理の在り方を問う経営学こそ,まさに「現代の学」であり,この学問の帰趨に,人間がその尊厳を保って生きるか,あるいは組織の奴隷として生きるかの運命はかかっているといってよいかもしれぬ」(三戸『現代の学としての経営学』〔「講談社文庫版へのまえがき」〕5頁)。


 ここで「人間の学」という題名の部分を「現代の学」と変更した三戸の意向を探るつもりはないが,ただ,経営問題を「哲学的に思考する」ことと,経営学が「哲学的な学問そのもの=経営哲学論になりきる」こととのあいだには,まだ相当の径庭があることに留意したい。


 ② 経営学の哲学の研究方法とは?

 

 1) 竹内 毅『経営と西田哲学』概要


 竹内『経営と西田哲学-事実より真実を求める経営学-』の章構成は,以下のようになっている。

 

  序 章 問題意識


   第1部 経営観の問題性
    第1章 人間の営みとしての経営
    第2章 経営と主観主義
    第3章 経営と経済性

   第2部 経営行為論
    第4章 経営と行為
    第5章 行為の真実-「絶対無」の世界
    第6章 「一律背反」の世界-弁証法的世界の素顔
    第7章 実在行為論

   第3部 経営存在論
    第8章 経営と「存在」
    第9章 意志と思惟
    第10章 存在論的経営試論


 また,同書の宣伝文句は,つぎのようにいわゆる西田哲学の「行為的直観」的な観念把握を提示している。


 本当のピアノ演奏は楽譜に忠実に鍵盤を叩くだけではなく,自分の叩く音をよく聴きながら弾くことだという。譜に頼った演奏は大成しないともいう。経営も全く同じということを教えるのが西田哲学である。本書は経営学が教えない問題を求め続けた著者多年の集積である。


 さらに,竹内 毅〔タケウチ・タケシ〕の略歴も聞いておく。

 

 1930年長崎県出身,1953年長崎大学経済学部卒業。三井銀行(現三井住友銀行)入行,1985年同行定年退職(調査部参事)。その間,大阪支店はじめ全国支店で融資業務ならびに支店経営に従事,および調査部において経営相談ならびに経営指導業務統括(通産省登録中小企業診断士)。


 1985年信州大学経済学部公募客員講師,1986年中小企業事業団中小企業大学校客員研究員および講師委嘱,1992年長崎大学経済学部教授,1996年九州国際大学経済学部教授,2000年日本大学経済学部非常勤講師。


 竹内はいう。「学問の対象化にできない「経営の実践活動」は,実践知としてあつかえない。しかし,実践に知は必要である。そうであるなら,実践知は対象知ではない存在知を不可欠とする。現実の危険(リスク)を負ってする実践は,つねに「なぜそうするのか」と問われているのに,対象知はそれに応えられない。応えられるのは存在知でなければならない」。


 「在来の経営学は対象知の独壇場であるが,そのまま進めば経営学は現実の経営から遠くなっていくのではないか。経営の外にいある人はどうでもよいだろうが,経営の内にある者にとってはそうはいかない」(〔おわりに〕229頁)。

 2) 基本的な疑問点

 なかんずく竹内は,経営学の経営実践へのかかわりかたにおいて,単なる「対象知」ではない「存在知」を求める。とすれば,経営学に対して存在論的な思考方式を求めることも必然の道筋であった。しかし,本ブログの筆者は,竹内『経営と西田哲学』を一読して,つぎのような疑問を抱いた。


 竹内は結局,「経営を哲学することができる」といい,そのさい「西田哲学が最適である」と論断した。しかし,ここで注意しなければならないのは,日本や世界に数多く与えられている「哲学者の哲学」思想を比較哲学論的に究めたうえで,そのように自信をもって「西田哲学のその適確性」を示しえたわけでもない。それなのに,そこまで自信をこめていいきってしまったら,どうみても過褒にならざるをえない。ともかく,竹内『経営と西田哲学』の第3部「経営存在論」第10章「存在論的経営試論」は,こう主張する。


 「経営者の存在観の欠陥を指摘することのない経営理論は,実務家にとっては『机上の空論』である。存在論的経営論は,経営者の存在観の位相を見抜いて,彼における行為的直観の真実接近度を指摘できるものでなければならない」(217頁)。


 「存在論的経営論」〔ひとまず「存在論経営学」と呼んでもよい〕という経営学の研究方法は,すでに戦前・戦中体制に展開された日本の経営学史のなかでも提唱されていた。竹内が惚れこんでいる山本安次郎「経営学説」も,旧「満洲国」産業経済体制を踏まえて構築された類似する理論枠組にその出発点を置いていた(それがその後における山本の立場と齟齬や矛盾を生んだことは,ここではひとまず棚上げしておくが)。


 日本の経営学界においてはそのほかにも「存在論経営学」の立場から経営理論を展開した,それも有名な学者もいたけれども,ここではあえてその名に触れないでおく。


 さて「存在知」というものが問題となる。哲学論的にいえば,一般概念として模索・獲得された「存在知」を,いったい経営学の研究のどの領域において,どのように役立たしめればよいのかが根本の問題となる。

 

 21世紀における全般的な現実の課題を考慮していえば,その存在知が前提すべき時代の大きな流れは,「持続・再生可能な経済・社会体制」である。だからひとまず,この前提じたいに反対する者はいない。以前から提唱されてきた標語でいえば〈グリーン〉や〈環境〉という文句があり,最近のことばでいえば〈エコ〉という“はやりことば”がある。


 竹内の著書をくわしく参照するいとまはないが,とりあえずここで1箇所のみ引用する。


 「科学としての経営学の本命は事実を問うことにあるが,行為的直観においてはそれで済むわけではない。経営の実践が日夜悩み苦しむのは真実を求めんがためであり,事実を求めるに止まってはいられないのであって,実務家にとっての経営学は隔靴掻痒がそこにある」(66頁)。


 3) 戦時理論を転向させて,平時理論となった山本学


 経営の研究においてこそ行為的直観「論」が適用され,経営の「事実からさらにその真実を求めたい」という要請に応えるべきだというのである。だが,この方途は,かつて日本の経営学者が追究したことのない課題・任務ではなかった。たとえば,戦前・戦中において「国家主義全体主義の立場」に立脚したある経営学者の研究がその行為的直観を花開せ,特定の「存在知」を構成していた。


 すなわち,山本安次郎は,論稿「満洲に於ける特殊会社の再組織問題」(京都大学『東亜経済論叢』第1巻第3号,昭和16年9月),および,山本安次郎『公社企業と現代経営学』(建国大学研究院,康徳8〔昭和16〕年9月)などをもって,まさしく「戦時体制期における事業経営に関する〈存在知〉を獲得した」と高らかに高唱していた。具体的にその中身のひとつを挙げていえば「利潤否定」論であった。 


 当時は戦争の時代であった。日本は帝国主義路線を遂行していく真っ最中であった。そうした時代状況のなかでも,「経営存在」の『事実』としてありかたが『真実』への方途に向かわしめられることが求められていた。しかも,その方途は「国家主義全体主義」の基盤から外れるものではなかった。ところがこの主張は,敗戦を境に全面的に崩壊させられた。敗戦後になって突如眼前に開けた《事実》の様相に対峙してこそ,山本学説の《真実》の真価を求めること=再確認することが可能になっていた。


 とはいえ,山本学説は敗戦後においてもさらに,もう一度「理論的に転回」した。より正確に・簡明にとらえれば,要は「思想的に転向」したのである。戦時体制期にあっては「国家の〈真実の〉立場」から全面的に否定していた「資本主義的な〈現実〉の典型である利潤」という基礎概念が,敗戦後は逆に全面的に肯定されていた。つぎのようにいわれていた。これによって,戦争中の自説の撤回・反転が正々堂々と,それもなんの断わりもなしになされていた。


 「現代の経営学は経営利潤の増加,いわゆる総資本利潤率の成長を目的とする事業経営を基礎にして初めて本格的なものとなる」。「経営利潤を目的とし,経営成果の成長を期することは経営の『社会的責任』を自覚することであり,経営の『倫理性』を自覚することである。必ずしも一致しない論理と倫理を一致せしめるところに経営者の現代的課題があるといわねばならない」(山本『増補経営学要論』昭和41年,279-280頁)。


 なかんずく,1945〔昭和20〕年8月以前における山本「学説=存在知」は,「公社企業」という規範的経営概念を「〈真実〉の経営類型」とみなしたうえで,これをもって「旧満洲国企業経営の〈現実〉」に対する根本的な修正を,しかも絶対的に真実であるべき経営規範像へ到達するためのものだとして,熱心に求めていた。山本が当時提示した企業経営の目的は,実は「計画適正利潤」であり「利潤の費用化」であった(山本安次郎『公社企業と現代経営学』建国大学研究院,康徳8〔昭和16〕年9月,147頁)。この企業目的観は,資本主義的な意味での利潤を否定していた。


 戦争をしていた当時の状況においてなのであればこそ,日本帝国主義のカイライ属国であった「満洲帝国」も経済力をより逞しくし,そして戦争遂行力をより高めねばならなかった。こうした戦時目標達成のために貢献すべき事業目的観は,満洲産業経済の各部門・各業種に属する企業経営体に向けては『「利潤否定」の〈経営知〉』として,確信をもって提示されていた。山本安次郎という経営学者は当時,たしかにそのように理論主張していた。


 戦時体制期における日本の経済統制は,全体主義的な独裁国家の観点によってなされており,日本帝国だけでなく,そのカイライ属国「満洲帝国」においてはより直截的に運営されていた。「大東亜戦争:太平洋戦争」を遂行していた日本帝国の政治経済体制のもとでは,ともかく理屈抜き〔存在知!?〕で「利潤」が否定されねばならなかった。とはいっても,満洲国経済における産業行政管理の実際においては,資本主義的営利原理に則って実際の運営がなされていた。


 当時のこうした〈経営の事実〉に対面しながら,満洲国官立「建国大学」で教鞭をとっていた山本は,経営学者の視点から「国家の立場のための経営学」,いいかえれば当時満洲経済における「〈経営の事実〉を〈経営の真実〉」たらしめるための学問営為,いいかえれば「利潤否定の経営学」の構築に努力していた。


 だが,敗戦を機に,社会科学者としての彼のその種の努力は水泡に帰した。なぜか? その原因は,満洲統制経済になかでこそ会得したつもりの『経営に関する〈存在知〉』というものが,実際には完全に間違えた性格をもとより内包していたからであった。満洲国「建国大学」の時代に山本が捻りだした「経営概念」も,時代の制約をのがれえなかったといえる。


 というよりも,日本帝国主義の段階,それも戦争の時代における「満洲国」「建国大学」で大学教員の立場に立ち,経営学研究に従事しつつ提唱した「公社企業」という『〈真実〉であるべき「経営存在」概念』は,大失策を犯していた。

 

 4) 今日に通用する経営存在論だったか?

 以上のような「山本経営学」にまつわる「歴史的体験として〈高揚と失策〉」をしってかしらぬか,竹内は21世紀の段階に至っても,山本経営学流に「存在知」の探求をするさい,山本がかつて犯していた歴史的倒錯を無視して再び,事実を超えて真実の「経営知」を求めるというのである。


 その志は尊いけれども,普遍概念の追究に先走るあまり,歴史の事情,それも日本経営学の戦争責任の一端をになうべきであったにもかかわらず,これを素通りしてきた山本経営学の〈学知〉に賛同する見地を示した竹内流「経営と西田哲学」の迂闊さには,大きな疑問符が突きつけられている。


 竹内もまた,自説の「立論の背景には,現下の経営が,物事すべて対象化して見る科学一辺倒的志向と,功利主義を基底とする物質還元の経済合理性志向によって二重に汚染され,自己同一性を失っているという現状判断がある。在来の経営学を不十分とするのは,この問題意識によるものである」(3頁)と述べ,山本学説が戦時体制期に普遍的な地平に向かいながら提唱していたものに,本性的に似かよった主張を提示している。


 竹内は「経済的思考は,経営に対して経済以外の価値観を喪失させるようにはたらき,利益至上主義によって経営から人間の生を収奪する。それは欲望のための正しい価値観を麻痺させた人々を冒す。生の営みに資源を供給すべき経済が,欲望の奉仕するものに転化する。そしてこのような傾向を排除すべき経営が主体性を失っている」とも述べる(5頁)。


 ここまで竹内の論述を参照するとどうしても,戦争の時代にはやったゴットル理論:「欲求の充足」論,経済構成体論を想起させられる。それは,ドイツではナチス御用達の,日本帝国でも重宝した経済科学論であった。この道は「いつか来た危険な道」なのである。


 しかし,はたして,現状の日本資本主義・世界資本主義を貫いている「利益至上主義」を非難したところで,そしてまた,それに代わってこの宇宙船地球号を全体的に円滑に推進させうる原理・原則がみつからない状態のなかにあって,それでもただ経営存在論に魅惑されてなのか,これにかかわる旧態依然の議論を重ねてみたところで,いったいなにが展望・打開できるというのか? これは,ほとんどおぼつかないのが現状ではないか。


 竹内『経営と西田哲学』はたしかに,なにかを考えた過程に関して議論をおこなっている。だが,なにをどうすれば,同書がとなえる〈エトバス:なにもの〉かを,他者に理解させ共感させうるのか,いっこうに埒が明かない。これでは,いったいなんのための著作の公表であったのか疑問が膨らむだけである。


 5) 山本安次郎の直弟子による誤導的な記述・説明


 山本安次郎の弟子の1人,浜野譲治は「山本安次郎が長年にわたって構想され,主張されてきた資本主義経営と社会主義経営との有機的統合としての共同決定経営の重要性は,イデオロギーの対立がもはや意味を失ったポスト冷戦の世界において,いぶし銀のごとき光彩をもっている」と称賛してやまない呉女子短期大学紀要』第9号,1995年7月,8頁)。


 だが,このような恩師賛美は,山本学説に関する幾重もの「誤信:勘違い」を披露している。山本は,戦前・戦中の満洲国「建国大学教員」の時代にあっては,資本主義経営を完全に否定し,これを全面的に転換させる必要性を強説していた。

 註記)山本安次郎『経営学研究方法論』丸善,昭和50年,340-341頁参照。


 ところが,敗戦後にはまたもや,資本主義的営利原則そのものは認める立場に舞いもどった。さらに,こちらの時代になって山本いわく「私見によれば,むしろ社会主義経済こそ経営学の沃野であり,その将来性を期待せしめるものというべきであろう」(山本安次郎『経営学研究方法論』丸善,昭和50年,341頁)と断言してもいた。


 山本はこのように,いつもそうであったこととして,〈時代の読み〉違えを意図的にかつ結果的にも犯してきた。いいかえれば〈理論の予測〉を完全に間違えつづけてきた。より簡単にいいあらわせば,山本の経営理論は時代の流れをとらえ損ねつづけてきた。時代とともに流れる状況の変化にしたがい,“右往左往させられる姿”をさらけだしてきたといえる


 本ブログの筆者は「間違い」があってはいけないというのではない。人間であるかぎり,学者だろうがなんの職業であろうが,いつでも間違いは犯す可能性がある。だが問題はそのとき,人はどのように対処し,その間違いを修復するか・できるか,つまり反省しつつも,その間違いを軌道修正していけるか,である。


 ところが,山本学説のばあいは,いわゆる「経営行為的主体存在論」という強力な経営学研究方法論に支援されているつもりのせいか,いつもで過去に犯した間違いを無修正というか放置したまま,それでもだたちに,新しい時代におけるつぎの〈経営概念〉に代替し〔乗り替え〕ていけるのであった。


 したがって,山本が「資本主義経営と社会主義経営との有機的統合としての共同決定経営の重要性」を認識した経営学者であったとか,「イデオロギーの対立がもはや意味を失った」時代に移ったとかいって,あたかも山本が経営学研究において理論的に群を抜きんでており,まるで独壇場で先鋭的に活躍してきた学究であるかのように〈もちあげる〉のは,自身の恩師に関する回顧談ではあっても,これは「贔屓の惹き倒し」どころか,山本が遺してきた軌跡=「歴史的な理論の〈転回:事実〉」に反した虚像を創作したものと批判されねばならない。


 本ブログの筆者が山本理論の信奉者に対して絶えず抱いてきた疑問がある。それは,この山本学説を部分領域的にでもいいから,これを一定限度,発展・成長させえた直弟子がいたかといえば,いまだに1人もいないことである。これは,山本理論そのものの基本観点を確実に継承しえている後進がいないという意味で断定するものである。この歴史的な「事実=実績」が実は,山本理論における重大な陥穽の存在を示唆している。


 事実,公式の場ではけっして口にできないことがらであるけれども,本ブログの筆者に対してはどこかで顔を会わせたときなどに「まだ議論を返せない状況であり,残念ながら真正面より反論できないこと」をいいわけする,山本安次郎の直弟子がいなかったわけではない。いいかえれば,その程度にしか山本理論が直弟子たちにおいては継承されていなかった,ということになる。

 

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