平山 勉『満鉄経営史-株式会社として     の覚醒-』2019年3月への疑問



平山 勉

平山 勉『満鉄経営史-株式会社としての覚醒-』2019年3月への疑問 

(2019年4月25日)

 要点:1 社会科学的な学問論の裏づけが不在,経営「史学」研究方法論そのものも希薄
 要点:2 満鉄国策事業論を「満鉄経営史」として究明する立場が示唆した「昨今,斯学界の理論事情」



 平山 勉『満鉄経営史-株式会社としての覚醒-』(名古屋大学出版会,2019年3月。価格 ¥10,260)という大部の,「満鉄に関する企業経営各論」として研究書が公刊されていた。最初に,宣伝文句から本書の概要を簡単に紹介し,目次も出しておく。

 1)内容説明
 満州経営の全方位的担い手とみなされた巨大植民地企業が,国策会社化の挫折と満州国成立後の解体的再編を経て,鉄道中心の営利企業として覚醒する姿を,株式市場への対応からとらえ,終戦まで異例の高収益企業でありつづけたメカニズムを解明,日本帝国主義の先兵とされた満鉄像を一新する。

 2)目 次
  序 章 満鉄の歴史的位置づけを問いなおす
  第1部 「国策会社」としての挫折
   第1章 満鉄経営を担った人々―課長級以上社員の分析-
   第2章 社員の経営参画―課長級以上の人事異動と社員会の活動-
   第3章 「国策会社」の統計調査―慣習的方法による達成と限界-
  第2部 株式市場の中の満鉄
   第4章 満鉄の資金調達と民間株主―1933年増資とその制度的前提-
   第5章 満鉄改組と株式市場―変動する民間株主と満鉄の対応-
   第6章 株式市場の拡大と零細株主の参入―満鉄株をめぐる訴訟の分析-
   第7章 経済統制下の満鉄経営―1940年増資と株式市場からの反応-
  終 章 「調査部史観」を超えて

 3)著者・内容などの紹介と若干の批評
 平山 勉[ヒラヤマ・ツトム]は1971年生まれ,2003年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学,映画専門大学院大学映画プロデュース研究科准教授,慶應義塾大学経済学部研究助手などを経て,湘南工科大学工学部総合文化教育センター教授。博士(経済学)。


 a) さて,本書,平山 勉『満鉄経営史-株式会社としての覚醒-』を通読して感じた何点かを指摘しておきたい。

 まず全体的な印象をいえば,外在的な批評としては,最近作である佐藤俊樹『社会科学と因果分析』(岩波書店,2019年1月)という「観点:問題意識」が希薄であるか,そうでなければ皆無に近い。これはもちろん結果的な評価である。

 つぎに,最近における「経営学の歴史部門」の経営史的な研究成果の産出が,その意味では,4年前に公表されていた著作,保城広至『歴史から理論を創造する方法-社会科学と歴史学を統合する-』(勁草書房,2015年3月)とも疎遠になされている。

 すなわち,日本における社会科学においてその「方法研究」として提示されてきた成果・業績が,経営史学研究としての「満鉄経営史」論のなかに,いったいどのように反映されているかという問題意識をもって評価してみたい立場からすると,今回のこの意欲的な研究書『満鉄経営史-株式会社としての覚醒-』は,先行研究の成果・業績の継承の仕方で,その消化するための準備そのものが,まだととのえられていない。

 満鉄経営の問題考察にさいしては,歴史的な研究そのものからさらに範囲を拡げて社会科学全般にわたる成果・業績までも,この満鉄経営史の研究・詮索にとっては,守備範囲に入るはずである。このことは当然ともいっていい“当該学問の関連事情”である。ところが,満洲国における企業経営問題に関していえば,経営史研究にとっても必要不可欠な,つまり,その前提となるべき理論研究書の活用が,本書の解明においては最低限でもいいのだが必要かつ十分になされているとはいえない。

 経営史研究部門の総元締めでもある経営学本質論にあって,満鉄経営「論」にも深い関連性を有する「理論の発想と展開」を試みてきた経営学者がいないわけではなかった。だが,これらの研究者の成果・業績がほとんどとりあげられていない。たとえ,歴史研究的な志向性に欠ける側面があった〔かもしれない〕理論研究による「満鉄経営論」,広くは「満洲国企業経営論」の成果・業績をないがしろにして,満鉄経営史がともかく満足に語れるのかという疑問を抱かせている。

 b) 本書,平山 勉『満鉄経営史-株式会社としての覚醒-』が説くのは,国策企業としての満鉄が「私企業的性格をもつ巨大企業」へと脱皮し,一新されていった様相を,いくつかの論題を設定して議論を集約させていく内容を編成していた。

 だが,満鉄に関する議論の前に経営学の視座としてどのような立場を踏まえているのか,そしてとくに,昭和戦前期における東アジア史の一環としての「満洲国史のなかでの満鉄経営史」を,どのように位置づけながら議論しているのか,どうしても食い足りないという印象を受ける。

 こういった指摘するときっと,旧態依然の議論,批評だと反発するかもしれない。だが,新規の研究領域の開削に取り組む過程で,既存の研究成果・業績のうち相当数の関連文献や研究資料が,まだ拾いあげられずに放置されていることを,実際に示す巻末の「文献一覧」に接するとき,そのようにあらためて付言しておかねばならない。

 さきほど挙げてみた文献,保城広至『歴史から理論を創造する方法-社会科学と歴史学を統合する-』2015年は,「歴史分析を理論へとつなげていくための条件のひとつは」「歴史的実証分析の質と保ちつつ,特定の時代と空間に限定された範囲の中でのみ通用する理論を構築する,それを目指すことにある」(35頁)と主張していた。

 今回の平山『満鉄経営史』は,その問題性に対する配慮がないわけではないものの,歴史分析への埋没(だといえるほどに積極的な探索がなされているわけだが)を結果させている。歴史的に詳細な実証研究をこころざす方途はたしかではあるものの,いったいなんのためにそのように「歴史研究を展開しているのか」が理解しにくい点を残していた。

 「歴史のなかの事実」(※)を「事実としてどのように歴史のなかに位置づける」(※)のかに関しての問題があった。経営史学からする一定の議論はあるものの,さらにこの経営史学の基盤となる経営学「論」の詮議がみあたらない。したがって,その双方(前段の ※ 同士)が噛みあうかどうかという以前の論点にも到達していない。また,このように指摘してみた論点が,当該書物の狙いところではないといういいわけも通らない。

 c) さきほど挙げたもう1冊,佐藤俊樹『社会科学と因果分析』2019年は,“no document, no history” だとか “no document, no fact” だとか言及するさい,「具体的な因果の特定には,法則論的知識が決定的に関わる」のは,「結果の事象が同じでも,法則論的知識の内容が変われば,原因として特定される変数も変わってくる」(364頁,365頁)と説明している。経営史研究においては全般的に,その種類の方法詮議に関する問題意識が極端に希薄であった。そして,本書平山『満鉄経営史』も同列であったと判断するほかない。

 満鉄の企業経営がかかえていた諸問題について平山 勉は,冒頭の「序章 満鉄の歴史的位置づけを問いなおす」において,その前提をなす議論を与えている。ところが,本書の副題であった「株式会社としての覚醒」という実体(問題設定)に関しては,これ(覚醒の程度)とは逆の方向から当該の問題にとりあげ,それこそやかましく満鉄の国策性を再議論する傾向も,濃厚に記録されていた。

 ここで“記録されていた”というのは,「満洲国企業経営問題」に関する文献史的な案内をするとしたら,まずもってそう観察しておく必要があるという判断にもとづいている。

 たとえば,経営学者の山城 章は,戦時中に公刊した著作,『新企業形態の理論』(経済図書,昭和19年2月)のなかで依然,「公社の理論」として満洲国の企業問題をあつかっていた。同じく経営学者の山本安次郎の『公社企業と現代経営学』(建国大学研究院,昭和16年9月)は,公社企業論の主唱をもって,その後においても基本的に,満洲国全体の企業経営を討究する理論的かつ思想的な立脚点をくずすことはなかった。

 山城 章や山本安次郎の経営学(より正確には戦時経営学)の発想に関連させていえば,建国大学副総長を務めた作田荘一の「公社論」の提唱や,この敷衍的な主張を構築した村井藤十郎の「公社法論」,あるいはこれらと同列に布陣していた高田源清の戦時統制経済体制を踏まえた企業形態論などが前提されていた。

 d) 平山『満鉄経営史』の巻末文献一覧には,以上に挙げた経営学者たちの姓名・文献は枚挙されていない。要は,

 「a) 経営学研究」⇔「b) 経営史学 + c) 経営史研究」⇔「d) 満洲国企業経営論」

といった問題の基盤の広がりのうち,a) はほぼ不在,b) もそのために,こちらなりに経営史学論としては,必要かつ十分に準備されているとはいえなくなっていた。

 当時の満洲国における「満鉄企業経営論」の問題が,株式会社への覚醒・意識を抱くようになって,しかも一新されたという論点については,だからこそ,経営学や経済学,法律学の研究者たちがその「覚醒の問題:方向性(へ進ませていったベクトル)」じたいをとりかこむようにして研究の題材にとりあげつつも,なお「国策事業」として発足した満鉄の,それもとくに,戦時体制期における公益的な性格にこだわる議論をおこないつづけた事由があった。

 結局,実証的史料への埋没的な研究展開になる危険性が,確実には回避できていない。平山『満鉄経営史』の表紙カバーにも「日本帝国主義の先兵とされた満鉄像を一新する」ことが“本書の狙い”だと断わられている。たしかにそうかもしれない。

 e) だが,カイライ「満洲国」だといわれたこの枠組のなかでこそ存在しつづけた満鉄像が,抜本的に改変できうる対象で “ありえていたか” といえば,けっしてそうではない。研究じたいが新次元に向かい脱皮するのはいいことであるが,本体の正体を探りにくくしてしまう構成内容になっているとしたら,これはまずい。

 本書『満鉄経営史』は,目次・凡例ⅵ頁,本文(から索引まで)496頁の,まことに充実した「満鉄史に関する研究書である」。だが,経営学論の支えがほとんどない。となれば,むしろ「満鉄経営事情史」に関する特定の研究書だと称したほうが,より適切だったかもしれない。

 『満鉄経営史』と銘打った諸策を公表するのであれば,この著者なりに構築された『満鉄像』が提示されてよいし,論点の討議の仕方としては,もっと広範囲にゆきわたらないとものたりない。「満鉄経営史」だとずばり名乗るために,必要かつ十分な中身を充填できているかといえば,疑問なしとしえない。すなわち「経営学書のなかの経営史書」としての評価に関して,困難を覚えさせる内容であった。この点が本書の全体的な輪郭を,明瞭に把握しづらくしている。

 おおまかなとらえ方になるが,この本は,満鉄の人事・労務史料論,満鉄の事業経営統計論,満鉄の企業財務・金融論を主柱に構成されている著作であった。ところが「満鉄最高経営者」論に関するまとまった討究はみいだせない。この部分の考察がなぜ構成に入っていないのかに関する説明も不十分であって,ただ「とりあげられるものだけをとりあげた」といった印象を受ける編成であった。

 なかんずく「満鉄の企業経営史・経営管理史」概説とはいいづらい内容に留まっていた。それゆえ「満鉄経営史」というのはやや羊頭狗肉気味であった。別名を工夫・用意して命名しておくべきではなかったか。

 f) 要言するとしたら,経営学の研究領域における位置づけが,どうみても解釈しにくい,「満鉄に関した各論領域のいくつかを対象にとりあげた歴史研究書」であった。だから『満鉄経営史』という大きな書名そのものに,今回はいささかならず無理があって,その分,確かに違和感を与える。

 これだけ浩瀚な内容をまとめた快作である。そうであるがゆえか「錐で小さな穴を空けて探る」作業に傾注するあまり,かえって満鉄が帝国主義の先兵そのものであった「歴史の事実」は,不可避に細小化された関連でしかとりあげられない。この意欲作を中国側の研究者が読んだらどのように受けとり,感想を述べるか興味がもてる。

 「国策会社」から大転換したのが満鉄(正式名,南満洲鉄道株式会社)であった,敗戦時までは「その方向に一新されていた」のだと結論づけたところで,中国側の研究者はなんと反応するか。「満鉄の『国策会社』からの大転換」のあと,株式会社としての立場も第2次大戦の進展にともない,再び“国策的な会社運営”を余儀なくされたのが満鉄ではなかったか。これらの問題も含めての「大転換」とか「一新」を語ってほしいところであった。

 たとえば,1941〔昭和16〕年7月,関東軍特種演習のために一時期,満鉄が誇る特急の「あじあ」は運行の休止を余儀なくされていた。同年12月に運転を再開したものの,1943〔昭和18〕年2月28日,太平洋戦争(大東亜戦争)激化に伴い再度,運転を休止した。同年4月からは全線で,最高速度を引き下げてでも総力としての輸送力を増強するためのダイヤ改正がおこなわれた。以後,敗戦まで,「あじあ」の運転再開はなされなかった。

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