安倍晋三による「靖国神社への真榊奉納」は,直接出向いて参拝する行為と同一であり,明治帝政以来の国家全体主義的な宗教行為である

靖国神社参拝も真榊(まさかき)奉納も,国家神道靖国神社への宗教的な行為としては同一の性質をもっている事実

                   (2017年11月5日)

 

  要点:1 靖国神社元幹部が薄笑いしながらでも,安倍晋三による真榊奉納は,この神社への正式参拝の代替行為に当たるんだよと,そのように告白している宮澤佳廣『靖国神社が消える日』2017年8月

  要点:2 国民・市民をなんとなく,騙していても,平然としていられる靖国神社の基本姿勢

  要点:3 真榊が依代(よりしろ)として有する神道的な意味

  要点:4 ところで,靖国神社本殿に祀られている「祭神」は二柱ある。その246万6千余柱からなる「一般戦没者の一座」と,さらに北白川宮能久と白川宮永久のための「皇族の一座」とからなっている

  したがって,靖国神社側が与えている説明,幕末から大東亜戦争などの国難(?)にさいして,ひたすら「国安かれ」の一念のもと,国を守るために尊い生命を捧げられたその246万6千余柱の方々の神霊が「身分や勲功,男女の別なく」,すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされていると説明するのは, “完全なる虚偽” である

  なかんずく,一方(臣民)は十把一絡げであるが,他方(皇族)は1柱そのものである。この差別的な取扱いは,明治以来の日本史のなかでは「常識的な理解」に属する基本知識である。この事実を正面に出して触れてはいない靖国神社の本性(=小賢しい狡猾さ)

 

 「真榊」に関する入門的な解説

 以下の各解説項目は,https://kotobank.jp/word/依代-146522 から引用してみた。 

 「真榊奉納」という神社における宗教行為は,本殿参拝にそのまま通じている。あるいはまた,そこへの参拝の行為そのものを代替させるための「宗教的な捧げもの」(媒体:よりしろ)を意味する。

 真榊が,その宗教的な機能を発揮する道具:装置として活かされていることを意味する。したがって,この依代(よりしろ)の意味をよくしっておく必要がある。 

 以下のごとき,あれこれある解説にも訊いてみたい。まずさきに,つぎの画像を紹介しておく。英文だが,なんと書いてあるか? 

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 出所)安倍晋三の「真榊奉納」画像,http://www.dailymail.co.uk/wires/afp/article-3842602/
Japan-PM-Abe-sends-offering-war-shrine.html Afp   |

 この画像を借りた記事は, “Japan PM Abe sends offering to controversial war shrine” との見出しをかかげていた。

 a)『ブリタニカ国際大百科事典』小項目事典の解説
 依代(よりしろ)とは,祭りにあたって神霊が依りつくもの,また神霊が意志を伝えるため人間界に現われるときに依りつくものをいう。樹木,石,幟,柱,御幣,人間,動物などが依代となるが,人間の場合には尸童(よりまし) という。

 古く,神が神聖な自然の森や樹木に降りて来る信仰があって,その聖域が神社や広場に移動した結果,樹木やその一部を祭場に立てる形式を生じた。神輿(みこし)とか山車(だし) のもとのかたちは,こうした神の依りついた樹や枝を輿に乗せて神が巡幸することを意味したが,しだいに装飾化して現在は神輿の屋根に名残りをとどめている。

 b)『百科事典マイペディア』の解説
 依代とは,神のよりつく物をいう。神霊が降臨して,その意志を伝えるためには憑依(ひょうい)体を必要とするとの信仰にもとづく。山,岩石,樹木,御幣,動物,人間などが充てられる。

 c)『世界大百科事典 第2版』の解説
 依代とは,神霊のよりつくもの。神霊の出現を示す媒体となるもの。樹木,石,御幣などが依代となることが多い。人間が依代となったときには “よりまし” (尸童,依坐)と呼ばれる。依代のあることによって “神霊の出現” がしられることから,依代となる樹木や石などを神聖視し,これを祭りや信仰の対象とするようにもなる。

 依代とされる木ではサカキ(榊)が多くみられ,大津市坂本の日吉大社の4月3日の大榊神事では,幹の直径10cmもあるサカキの木を葉のついたまま,依代として用いている。
 補注)この解説にははっきりと「真榊奉納」に関する記述が出ている。榊そのものが「祭りや信仰の対象とするようにもなる」のであれば,靖国神社の本殿じたいに参拝はしなくとも,この「真榊奉納」という宗教的な行為が,それにまるごと代替するかあるいは相当する意味をもつ。すなわち,「真榊奉納」は靖国参拝と同等の意味を,神道宗教的にもち,発揮している

 d)『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説
 依代とは,神霊のよりつく代物。尸童(よりまし)が人間であるのに対して,依代は物体をさす。それには神聖な標識として,樹木や自然石,あるいは幣串(へいぐし)など種類は多い。

 「依り」は神霊の憑依(ひょうい)を意味し,代は物のことであるから,何物によらず神霊が  “よりつく”  ことで神聖化されて祭りの対象になる。神社に祭る神体は霊代(たましろと称し,また神符守札の類などもすべて神の依代とみなされるが,古代では神木が神の依代として信仰された。

 手にとりもつ依代には榊(さかき)が用いられたのも,神木(ひもろぎ)の伝統であるからで,『古今集』の採物(とりもの)の歌に「神垣の御室の山の榊葉は神のみ前に茂りあひにけり」とある。

 古社にはそれぞれ神木として崇信する樹木があって,

  ※-1 石上(いそのかみ),稲荷(いなり),三輪(みわ)では,杉を神杉(かんすぎ)とよび,竜田では楓(かえで)を風神の霊木とし,

  ※-2 伊勢(いせ),熱田(あつた),日吉(ひえ),住吉(すみよし),天神(てんじん)などは松,

  ※-3 熊野(くまの)は梛(なぎ)である。

 また新しくは,

  ※-4 橿原(かしはら)神宮の橿(かし)あり,これを「いづかし」(厳橿)とよぶのも,古代の「ひもろぎ」を伝えたもので,『日本書紀』垂仁(すいにん)朝の条に,宮中から奉遷した天照大神(あまてらすおおみかみ)を,皇女倭姫命(やまとひめのみこと)磯城(しき)の厳橿の本(もと)に祀(まつ)るとある。

 要するに,こうした解説にしたがえば,靖国神社は神木として榊を選んで,これを「真榊奉納」の依代に使用している。神道の仕組としては,神殿に対して人が拝殿から拝むかたちになる。だが,拝殿のみで神殿(本殿)がない神社もある。

  ※-5 たとえば,大和朝廷発祥の地にある大神(おおみわ)神社,背後にそびえる三輪山(みわやま)を神体として参拝の対象にさせており,神殿が存在していない。
 註記)この段落 ※-5 のみは,武光 誠『知識ゼロからの神道入門』幻冬舎,2006年,52頁。

 e)『世界大百科事典』内の依代の言及-「いけばな」より
    イ)「生け花」より。 花道と総称されたこともあったが,現在では〈いけばな〉の呼称が一般化され,国際的にもイケバナで通用している。次段ではとくに「いけばな成立以前」について,説明しておく。

 「生け花以前」 植物としての花の生命力に神の存在をみようとする素朴なアニミズムを基盤として,民俗学の資料などにみる依代(よりしろ)としての花が,まず日本人と植物とのあいだに成立する。常緑のサカキ(榊)や後世のマツ(松)の依代,また春の山入り行事に手折られた花木などはその例証といえる。

    ロ)「採物」より。 『神楽などで舞人が手にして舞う神聖な物。本来は神の降臨する依代(よりしろ)とされ,それを採って舞うことは清めの意味があり,同時に舞人が神懸りする手だてともなる。

 天の岩戸における天鈿女(あめのうずめ)命の神懸りも,笹葉を手草(たぐさ)に結ったとか(『古事記』),茅(ち)を巻いた矛を手に俳優(わざおぎ)した(『日本書紀』)とあり,採物を用いていたことがしられるが,採物の名称は平安時代の御神楽(みかぐら)歌にみえるのが早い。…

    ハ)「柱」より。 日本の旧家屋は田の字型に配列された4部屋を基本単位とするといわれるが,その接しあう中心の柱を〈大黒柱〉や〈中(なか)柱〉などと呼び,神がいるとされた。 

 また,伊勢神宮正殿の床下中央にある心御柱は建築構造上の意味をもたぬ柱だが,神の依代(よりしろ)であり,神宮の聖なる中心と考えられている。このように中心を象徴し,神の依代となる柱の原形は,建築そのものとは無関係な,神事のさいに祭場のしるしとして屋外に立てられた木や柱にある。
 註記)以上,本論部分は,https://kotobank.jp/word/依代-146522 参照。

  f)「憑代(よりしろ)とは何か」『たかちほのブログ』(2015-02-06 15:49:37)
 依り代,依代,憑り代,憑代(よりしろ)とは,神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで,神体などを指すほか,神域を指すこともある。 日本の古神道の由来の民間信仰神道の根底には,あらゆる物に神・精霊や魂などのマナ(外来魂)が宿ると考える自然崇拝があった。その意味では,依り代とは,森羅万象がなりうるものである。

 一般的に,マナは太陽,山河,森林,海などから来て物,とくに石や木につくとされ,そのような物を祀る磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ)信仰が始まっていった。そのようにして祀られる巨石・岩や高木には,現在も注連縄が飾られる。

 また,日本の神として古事記日本書紀にある人格神(人のかたちや人として捉えられる神)にも,根底に同じ考え方があり,所縁のある物や象徴する物(中が空洞の物体が多い)に依り憑いて具象化する(太陽神を象徴する鏡,髭籠等)ことで力を及ぼすと考えられたようである。
 註記)https://ameblo.jp/duku510/entry-11986277577.html

 

 「真榊奉納」の神道的な意味など

 ここではさらに,つぎのように説明しておく。靖国神社の場合,「英霊」がその「人格神(「人のかたち」や「人としてとらえられる神」)」になっていた事実(信仰心)を,まず確実に踏まえておくことが肝要である。

 つまり,安倍晋三靖国神社に直接参拝をしていなくとも,真榊奉納という宗教行為を間接的にしておくことは,靖国神社に対する信仰の告白,これを実行したことと同じ意義をもつ。

 靖国神社がかつては「国家神道の,それも陸海軍用の国家的な宗教施設」であった。敗戦後は「民間の一宗教法人になっていた」ものの,それでもその基本の精神は,いまもなお「昔のままである」。すなわち,戦争「勝利用」であって「死霊仕立てになるこの神社」であるからには,国家神道の立場からなされる「宗教の行為」の意味は,より厳格かつ適確にも把握されておかねばならない。

 そういう事情があったとすれば,われわれは「真榊奉納の意味」にこめられている「その国家全体主義的な真意(本意)」,および天皇家のためである「皇室神道」にもかかわっている「靖国神社」に固有である特定の本義(秘儀・密議的な含意・企図)を,けっして,ゆるがせにしたりみそこなったりしてはいけない。

 もっとも,皇室神道におけるその人格神の最たる見本は,明治維新以降になってから皇居内に建造された「宮中三殿のうちの皇霊殿」にみいだせる。すでに,昭和天皇もその「1神」となって祀られている「人格神」である。賢所には天照大神が祭神として鎮座している。

 あらためていえば,こういうことであった。「賢所天照大神皇霊殿に歴代天皇・皇族の霊」「神殿に天神地祇」といたふうな,皇居における皇室神道内の宗教的な序列がしつらえられていた。ただし,この宗教的な上下の秩序になる構成内容は,あくまで明治以来の創りものであった。

 しかも,これらのなかにおいては,過去に生きていた天皇たちもつぎつぎと神に変成し,昇格してきた。そうなってきていたのであれば,上記の神々に対する日本の「国民・市民・庶民たち」側の立場は,「いったい・なんでありうる」のか,ということになる。

 まさか,日本国に暮らしている人びと全員が,宮中三殿で拝礼する天皇たちをさらに仰ぎみて,拝礼する人びとにでもなるともいうのか? 同じ人間同士ではなかったか?

 「天皇家の『私』的性」が日本国憲法の「民主政」的な素性を溶融させるかのようにもして,こちら側の「『公』的性」のなかにもぐりこんでいる。皇室神道国家神道,そして靖国神社との幸せな三位一体的な合体関係が,実は,この国における「憲法の民主主義的な由来」を,いままでも徐々に蚕食してきた

 その事実は,民主主義と平和のための憲法だという謳い文句であった日本国憲法が,制定の当初からかかえつづけててきた根本の矛盾点を明示してきた。そのさいしかも「国民のためのこの憲法」が天皇をその象徴に戴いているとなれば,その相互の関係性はただならぬ雰囲気を醸している。

 補注)本日〔2019年12月9日〕はたまたま新聞休刊日であるが,つぎの記事がネットで読むことができた。若干の感想を記しておきたい。

    ★ 皇后さま,56歳の誕生日…「国民の幸せに尽くす」
 = YOMIURI ONLINE 2019/12/09 00:00,https://www.yomiuri.co.jp/national/20191208-OYT1T50143/

 

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 【画像説明】 お住まいの赤坂御所で写真撮影に臨まれる皇后さま(3日,東京都港区で)=宮内庁提供

 

 皇后雅子さまは〔12月〕9日,56歳の誕生日を迎え,文書で感想を出された。皇后として初めてとなる所感で,国民の祝意に感謝するとともに「陛下とご一緒に,国民の幸せに力を尽くしていくことができますよう努力してまいりたい」と決意を示された。(記事引用終わり)

 

 敗戦後,昭和天皇の時代に日本は経済面で大いに成長してきたが,平成天皇の時代になると,「失われた10年」を3回も反復させられるハメに陥っていた。今年の5月からは令和天皇が現職についているが,その配偶者(妻・女房)がこのような誕生日における発言を国民たちに対して発する意義は,いったいどのような中身・実体として受けとめればいいのか。

 雅子の発言にこめられた気持は了としても,現実におけるわれわれの生活実態とはほとんど無関係であるほかない,そうである必然性しかもちえない「彼女の発言」である。 

 このような発言の様式でもって,皇族たちがしばしば国民たちに向けて自分たちの気持ちを伝えようと放たれている。だが,ごく平均的な庶民の生活状況を踏まえて応える場合,この種の発言は,どのように聞こえているか。

 今回における彼女の56歳誕生日の発言は,国民たち側の「生活の場」から受けとるさい,「十年一日のごとく苦しい生活」が続いてきている「大部分の者たちを囲む〈日常の時間と空間と場所〉」の立場からすると,あらためて聞きなおすまでもなく,どこまでもいっても “なにか肝心で大事な実感” が欠けている。なお,ここで指摘するのは実感であって,けっして共感ではない。

 〔本論に戻る→〕 以上(すぐ上の補注における記述ではなく,その前段まで〔本論〕における靖国神社に関した記述のこと)のように指摘されても,なお「そうではない,違うのだ」といいたい人は,その理由をきちんと説明すべきである。 

 いまの天皇の祖先に当たる人物としては,「神武天皇」からさらにさかのぼるに「天照大神」までいたとされる。けれども,どこまでも神話の世界における架空話である。しかし,この天照大神が,皇居内に造営された宮中三殿賢所」に祀られている祭神である。

 なかんずく,靖国神社の場合でも,真榊奉納は実質的に「靖国神社の本殿に参拝する行為」と同等である宗教的な行為を意味していた。だから,宮澤佳廣『靖国神社が消える日』(小学館,2017年8月)は,つぎのように語っていた。昨日〔ここでは 2017年11月4日(この記述は今日の段階では未公開,後日公表する予定)〕の記述中から,今日のところは,その該当する段落だけをさきに,つぎの ③ にいきなり再掲し,復活させておきたい。

 

  秘儀か密教のつもりか,庶民たちは分からなくともよかったらしい話題

 (前略) 安倍首相の確固たる政治信条もあって首相の真榊奉納は復活しました。ところが,マスコミがこの事実を報じるまでには相当の時間がかかりました。真榊が本殿脇(木階下)に供えられたのは〔2007年〕10月17日の朝のことです。 

 「誰も気がつかなかったみたいだね」 

 それから丸一日が経過した翌朝,中庭を掃除していた私の背後から南部宮司がこう声をかけてきました。「宮澤君,誰も気がつかなかったみたいだね」。そういって南部宮司は,ニヤリと笑いました。

 悪戯っ子のようなその笑いは,いまも脳裏に焼き付いていますが,例大祭の期間中,ついぞマスコミ関係者は誰1人として20年ぶりに復活した真榊の存在に気づきませんでした。そこで私は,神社新報に首相の真榊奉納を記事にするよう頼むことにしたのです。

 

 ※宮澤佳廣,画像紹介 ※  

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  出所)https://www.sankei.com/life/news/170730/lif1707300009-n1.html 

 

 その後のマスコミの報道で,首相の真榊奉納の伝統は広く国民にしられるところとなりました。しかし,安倍首相の退陣と民主党政権の誕生もあって,その定着化にはなおも時間を要しました。第2次安倍政権が誕生して,平成25〔2013〕年の春からは首相以下,衆・参両院議長,厚生労働大臣名の真榊が奉納されています。これも,あのとき,私の要請を快諾してくれた山谷〔えり子〕議員のおかげです。

 早いものであれから10年が経過しました(今日は2017年11月5日)。いまでは春秋の例大祭に際してマスコミが真っ先に報じるのは真榊の奉納です。私にしてみればひとつの目標を達成したことになりますが,本来ならば,それが当然のこととして報じられない状況が望ましいはずです。首相の真榊奉納が報じられるたびに,国家護持への途は途方もなく遠いことを私は実感させられているのです。
 註記)原文は,宮澤佳廣『靖国神社が消える日』59-61頁。
    https://www.news-postseven.com/archives/20170806_601563.html
    https://www.news-postseven.com/archives/20170806_601563.html?PAGE=2

 ここまで論じてくれば,本ブログ筆者がなぜ,安倍晋三による靖国神社への「真榊奉納の意味」を論及してきたか理解してもらえるはずである。自民党極右政権は,皇室神道靖国神道の宗教精神を国家的次元において正式に位置づけたのち,国教そのものにまで格上げしたいと欲望している。「政教分離」などとは完全に無縁の意図が,そこには露骨に表出されている。

 

  GHQを陰でバカ(虚仮:コケ)にしたつもりだった昭和天皇と侍従たち

 1)敗戦した大日本帝国国家神道」などの想い出
 木下道雄『側近日記』文藝春秋,1990年)のなかには,つぎのような記述が出ている。

 昭和20〔1945〕年12月22日  Mac 司令部指令は,顕語をもって幽事を取り扱わんとするものにして,例えば鋏をもって煙を切るものなり。面白き夜談なりき。
 註記)木下,前掲書,83頁。

 木下『側近日記』の解説(同書,255-419頁もの長文であった)を書いた高橋 紘は,前段の様子をあらためて,こう描いていた。

 昭和「天皇学習院大学教授の板沢武雄を招いて,夕食後1時間半ほど話を聞いた。皇后や侍従,女官も一緒だった。板沢は,「この指令は顕をもって幽事を取り扱わんとするものにして,たとえば鋏をもって煙を切るようなものと私は考えております」。
 註記)同書,〔高橋〕「解説」418頁。

 上述に紹介した話題は,木下道雄『宮中見聞録』(新小説社,昭和42年)の「マッカーサー司令部の神道に関する指令について」(215-218頁)にも記述されている。木下に限らず昭和天皇も同断であったが,〔アメリカのように〕「建国の歴史の浅い国の人たちに〔国家神道皇室神道靖国信仰などのこと〕知っておいてもらえば,後々また何か役に立つ折もあろう,とお考えになったのではないか,と私は思っている」と,書いていた。
 註記)〔 〕内補足は引用者。

 けれども,木下道雄の口調は結局,「敗戦国:大日本帝国」側から吐かれた “負け惜しみ” の域を出ていなかった。木下が触れた「日本の幽事」というものは,いいかえればその本質的な歴史の由来は,どこまでも,明治維新以降に準備・創作されてきた〈昔物語〉に,一定の根拠を求めるほかないシロモノであった。したがって,あちら側の「歴史じたいが浅い点」に比較されるこちら側の事情としても,「明治以来の歴史であったその浅い点」に照らせば,初めから双方にたいした違いはなかった。

 ここまで来たところで,宮澤佳廣の発言に関する話題に戻すことにする。以上のように把握でき説明された点,つまり「明治期に創られた天皇制」の《幽事》のことは,さらにいいかえれば,靖国神社とこれに参拝する行事,その《幽事》も,実はまさしく,明治時代において国家が制作した,それも「官軍常勝(でなければならない!)の思想」にもとづく「神道の創作物」であった。

 それゆえか,アメリカ(GHQ)の連中による神道に関する理解は「歴史の浅い」のだ,と冷笑(嘲笑?)したかのような話題になっていた。しかしながら,彼我のあいだに立ってじっくり観れば,それも「敵国となって日本を敗北させたアメリカ合衆国」側を,あえて「バカあつかい」してみたつもりの口吻,いうなれば「あいつらはしょせん皇室神道靖国神社などのことは理解できないはずだ(!)」といったごとき,主観的に上っ面だけがひたすら調子のよいだけの理屈は,前段に引用したつぎの宮澤のいいぐさ,

  “例大祭の期間中,ついぞマスコミ関係者は誰1人として20年ぶりに復活した真榊の存在に気づきませんでした”

という文句にも正直に告白されているとおり,異口同音的かつ大同小異的な,単なる「負け惜しみ」の発言に終始するものであった。

 神道にあっては,宗教的に認知可能な存在論的な哲学が,西洋の諸宗教に対して劣勢であり非力でもある。換言すれば『教理や信条,原理』そのもの貧弱であるか,ほぼ完全といいくらい欠落している(事実として)。こうした事実が「先方によく理解されない点」を逆手にとり,前述のごとき「負け惜しみ」を,しかも裏返し(悔しまぎれ)的に吐いていた。その点は,いわゆるカタルシスの一現象を意味してもいた。

 あえて解説しておく。ちなみにカタルシスという言葉は,「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され,気持が浄化されること」を意味する。もともとは,アリストテレスが『詩学』に書きのこした悲劇論から,「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし,感情を浄化する効果」を指す演劇学用語であった。

 

 2)関連の著作に読む靖国原理主義哲学的・倫理的な宗教問題
 大日本帝国憲法(明治22〔1889〕年2月11日)は,冒頭に「告文」(こうぶん)憲法発布勅語明治天皇のことば)をさきに置いたうえで,本文「第1章」では,こう規定していた。読んでのとおり「天皇ハ……」ばかりではじまる条項であった。なにがなんでも,なんといっても「天皇天皇天皇……だけ」だ,といいはるだけの,いわば天皇家用:私物国家的な君主体制に対する憲法であった。つまり皇国史観一辺倒になっていた。

第1章 天 皇

第1条 大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条 天皇帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

第7条 天皇帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第15条 天皇爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス
第16条 天皇大赦特赦減刑復権ヲ命ス

第17条 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
 2 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

  この憲法を執筆,制作した伊藤博文(1841~1909年,初代内閣総理大臣)や井上 毅(いのうえ・こわし,1844~1895年)などは,ドイツ流の「皇帝に任命された首相の権限が強い」ドイツ流憲法を学んで,この大日本帝国憲法を創作し,発布させていた。

 ここでは詳細には紹介できないが,靖国神社の創営については岩田重則の『天皇墓の政治民俗史』(有志舎,2017年5月)および『「お墓」の誕生-死者祭祀の民族誌-』(岩波書店,2006年)が,既存の関連する専門的な著作のなかでは,より細密に説明している。 

 要は,明治憲法の基盤を強化するため,明治帝国主義(侵略路線)を推進させるためにぜひとも必要となっていたのが,「戦没・犠牲者」用の慰霊施設,それも国家神道の理念様式による造営(創造!)であった。 

 稲垣久和『靖国神社「解放」論』(光文社,2006年)が適確に,こう説明していた。

 実は,靖国信仰は伝統的な日本人の祖先崇拝からは大きく逸脱した人為的な宗教体系であった。イエの祭祀は実はイエで執りおこなわれるのが日本人の伝統であった。にもかかわらず,このイエの祭祀の権利をクニが奪うかたちで靖国信仰が登壇したのである。

 しかも,自然死した人の霊ではなく天皇のために戦った戦没者の霊を祀るための神社が靖国であった。

 それゆえ,靖国問題は単にA級戦犯「合祀」の問題としてのみ,それを止めるといった視点でとらえるのではなく,さらには憲法の「政経分離」の視点だけでもない方途をもって,その根底に流れる思想としての “滅私奉公” が問題にされるべきなのである。

 「私 private」が「公 official」のなかに飲みこまれるような,日本独特の滅私奉公のイデオロギーが問題であって,これが根本的なところで日本人の人間性の自由な発展を妨げている。これでは,外(外国)に誤解を与え,内(国内)には市民社会の形成を妨げ,日本が世界から孤立しかねない事態を招いている。
 註記)稲垣久和『靖国神社「解放」論』101頁,33頁。

 靖国神社問題を考えるうえで,ハーバート・ビックス『戦争犯罪と国家の倫理-問われるべき統治者の個人責任-』(凱風社,2015年)が,つぎのように簡潔にその要点をまとめているのが,参考になる。

 「靖国神社論争が復活したのは主として,侵略戦争の前線各地で無駄死にした膨大な数の兵士の追悼をどうするかという問題からだ」。敗戦後の日本は「冷戦を戦う米国が,戦犯を追及するより日本を自国側に引きこんで同盟国として復興させる方向に占領政策を変更すると,日本国内の議論は一気にしぼみ,それととともに未解決の戦争責任問題も雲散霧消した」。
 註記)ビックス『戦争犯罪と国家の倫理』111頁,110頁。

 この期に及んで,安倍晋三靖国神社を参拝しなかったけれども,この神社にとって肝心な「真榊奉納を(は)したのだぞ!」というその意味(「密教」的な真意・底意)を,実は「オマエたちはよくしらなかっただろう,いまだから教えてやる」と自慢したがっていた靖国神社の元関係者などが,いた。それもいささかならず横柄・高慢な口つきで語る人物の姿として登場していた。 

 さて,いろいろとあるのだが,ここでは,つぎの「沖縄県米軍基地配置図」を挙げながら,この現状に対する感想を述べた日本国民の声を聞いておく。

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 出所)https://www.nippon.com/ja/features/h00008/

 

 植民地化されている沖縄県アメリカ植民地の沖縄県が悲惨すぎる! 占領軍の米軍基地だらけ。沖縄の主要な部分を大量に米軍に占拠されている現状。日本国内にありながら,沖縄県民も立ち入りを禁止されている区域が大量にあります。

 註記)https://matome.naver.jp/odai/2143542468270212701/2143547846220584803

 1975年11月を最後として,靖国神社には参拝できなくなっていた昭和天皇自身が,沖縄県に配置されている米軍基地が固定化されてもいいといったかのように「アメリカに対して力を貸した事実」は,いまでは誰にも否定できない「歴史の記録」になっている。その事実については「天皇メッセージ」1947年9月があった。沖縄県公文書館がこのメッセージ文書を公開している。
 参照) “天皇メッセージ”  – 沖縄県公文書館

 しかし,いまでは「完全にアメリカの手先」(売国奴の買弁的な政治家)になりはてているのが,「日本国首相の安倍晋三」である。この「世襲3代目の大▼カ政治屋」が「日本人的な民族心」というものを,靖国神社に参拝し,その真榊奉納という宗教行為を介して現わそうとしたところで,はたして,本当のホンモノだとみなせるか?

 それでも靖国神社の関係者は,安倍晋三による靖国神社への「真榊奉納」を誇りたい気持を,大声で吐露していた。だがしょせんは,ごまめの歯ぎしり的な,それも靖国神社側に特有である閉鎖的に自慰的でもある「神道宗教面からだけの強がり」でしかなかった。

 なんといおうが,安倍晋三の為政7年間の結論は,だいぶ以前から明白に決着していた。

 さらに,なんといおうが f:id:socialsciencereview:20191209085625j:plain 

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