昭和天皇「裕仁」がA級戦犯が合祀された靖国神社には参拝にいかなくなった事情

「なぜ天皇陛下靖国神社を参拝しないのか?」という事実が,よく理解されていない知識人から庶民までの認識状態,天皇制の支配下にあった霊廟にA級戦犯が合祀されているかぎり,天皇は永遠に参拝できない

 【要 点】  分かりきっていたと思われていたが,「靖国神社にいかない(参拝しない)天皇たち:天皇家側の気持・理屈」が,まともに説明されていなかった「敗戦後日本皇室政治史」にまつわる知的状況


 本論 の課題として, 「なぜ天皇陛下靖国神社を参拝しないのか?」(『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』2019/8/17,https://k-shirasaka.com/emperor-visit-yasukuni/)の指摘する「昭和 ⇒ 平成 → 令和の天皇たち」が「靖国神社に参拝しない事由」を設けて,考えていきたい。

 a) この『DAY WATCH  白坂和哉 デイウォッチ』の記述については,全文を引用できない。一部は残しておき,以下に議論する。

 福島県の地方紙『福島民報』に〔2019年〕8月14日,大変興味深い記事が一面トップに掲載されました。タイトルは「靖国の陛下参拝要請断わる」。
 補注)この記事は大手紙をはじめ各新聞社が報道していた。

 靖国神社が昨〔2018〕年の秋,2019年の神社創立150年に合わせ「行幸請願(ぎょうこうせいがん)」をおこない,宮内庁に断わられていたというのです。

 靖国神社は,戊辰戦争の戦死者たちを弔うことを目的に,明治天皇の意向で創建された神社ですが,現在においてなぜ,天皇陛下靖国を参拝しないのでしょうか?
 補注)「戦争神社:官軍勝利のための神社」であるのが靖国神社のもっとも基本的な意義であった。したがって,敗戦国となった旧日本帝国の「主権在君」者,それも神格天皇であった昭和天皇が,いまさらのこのこと参拝に “いけるわけ” がなくなっていた。

 これは,まず “筋論として当然のなりゆき” であった。もっとも,敗戦後から20年間ほど天皇裕仁はなんどか,靖国神社に親拝に出むいていた。だが,昭和天皇の場合,1975年11月21日を最後の機会にして以来,九段下にはいけなくなっていた。

 昭和天皇は,敗戦後は数年置きに計8度,靖国神社に親拝(参拝のこと)していた。

   1945年11月20日 臨時大招魂祭
   1952年10月16日 ……この年4月28日までは「GHQ占領・統治下の期間」

   1954年10月19日 例大祭
   1957年4月23日 例大祭
   1959年4月8日 臨時大祭
   1965年10月19日 臨時大祭

 f:id:socialsciencereview:20191209101319j:plain

   1969年10月20日 創立100年記念大祭(※上の画像)
   1975年11月21日(最後の参拝)
    補注)この※上の画像に記入されている日付は10月19日であるが,間違いではなく,大祭中の日程のうちの日付である。

 それまでは「戦争神社」であった靖国神社であっても,大日本帝国時代において,戦争犠牲者として殺させてしまった兵士約230万人は,通常,靖国神社に合祀される資格があるとみなされていた。もともとは戦勝神社であり,つまり「勝てば官軍神社」であるほかなかった靖国神社であった。ところが「敗戦」後は,この神社のその本質・歴史的な性格に照らして判断するに,どうしようもなく《矛盾の塊》である存在様式を余儀なくされていた。

 しかし,「敗軍の将(大元帥)」となっていた天皇裕仁は,その後も靖国神社に参拝することじたいは,できていた(許されていた)。この彼の宗教的な行為は,敗戦直後におけるGHQの占領政策のなかで,いうなれば,天皇を活かしていくかたちで利用していった「アメリカ側の基本方針」に則して,それほどうるさくいわれずに“許されていた”。

 靖国神社の基本性格は「官軍神社=戦勝神社=天皇家の霊廟」という等式を貫いて成立してきた “歴史的な起源” に求められるゆえ,この「官軍性=戦勝(勝利)を要求されて当然である一種の必然性」が,敗戦によって一挙に崩壊させられたこの神社は,戦後に残された宗教的な意味を,唯一,「天皇家の霊廟」である1点にしかみいだせなくなっていた。

 しかも,かつては陸海軍の国営になる国家的・皇室的な霊廟であって,大日本帝国史が敗戦する以前までは,侵略戦争路線のなかで犠牲者なっていた人びと,つまり,戦没者として「〈英霊〉だと認知されなおした人びと」の,その霊のみを都合よく取り出して利用するために祀る宗教施設であったのが,靖国神社であった。ところが,敗戦後になってからは,単なる民間の宗教法人に変質させられた事情に沿って,官軍性・戦勝性はひとまず抑えたかっこうに我慢したうえで,「天皇家の霊廟」たる性格に徹するほかなくなっていた。

 いわゆる「東京裁判史観」は,天皇家の立場としては否応もなしに受け入れてきた歴史的な事情となっていた。その立場を踏まえたうえで,靖国神社との付きあいも,敗戦後史のなかで維持されていた。ところが,一宗教法人となった靖国神社側は,戦争行為の犠牲者ではなかった東京裁判極東国際軍事裁判)で死刑を宣告された軍人や政治家のA級戦犯を,英霊として合祀していた。1978年11月21日のことであった。

 そこにまで至った靖国神社側の態度に対して昭和天皇は,靖国神社によるそうした「理不尽なA級戦犯の合祀」に対して,非常に憤怒した。というのは,敗戦の事実を「自分が受け入れたからこそ,敗戦後も生きのびられた〈天皇としての立場〉」を,靖国神社A級戦犯を合祀する措置によって,まっこうから,それこそ全面的に否定してしまったのだから,天皇裕仁のその怒りようは並たいていではなかった。

 A級戦犯の合祀は,「戦争責任を免責された」昭和天皇の代わりに死刑台に昇った東條英機らの歴史的な意味づけを転覆させる含意を発揮していたゆえ,裕仁靖国神社の祭壇に彼らが合祀させられ,〈英霊〉として存在する事態は,絶対に受容できない非常事態を意味した。

 A級戦犯の合祀は,靖国神社側が「東京裁判史観」を否定するために強行したのであるから,昭和天皇にとっては身代わりになってくれた忠臣の東條英機らが,自分が親拝するさいに祭壇のほうに霊的に合祀されている状態は,それこそトンデモないサカサマの事態であるどころか,絶対に許容できない九段下の「国家神道的な宗教環境」となっていた。

〔ここで,DAY WATCH 白坂の記事に戻る ↓ 〕
 b) ここで『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』の「なぜ天皇陛下靖国神社を参拝しないのか?」の記述に戻る。ごく要点のみとりあげて紹介する。この記述の主な内容は,つぎの目次の部分に示されていた(ただし,以下の記述はこの目次の枠組にはとらわれないで書くことになる)。

  1  かつては天皇陛下靖国神社を参拝していた
  2  靖国を参拝すると歴史修正主義者とみなされる
  3  昭和天皇マッカーサー会見
  3. 1  昭和天皇マッカーサーによる秘密会談

 ところで「A級戦犯」とは,東京裁判で「平和に対する罪」,つまり「侵略戦争」を指導したという理由で有罪判決を受けた28名を指します。

 この28名のうち,死亡や精神疾患により免訴となった3名以外の25人が全員有罪となり,東条英機・元首相ら7名が死刑(絞首刑),荒木貞夫・陸軍大将ら16名が終身刑,残る2名がそれぞれ7年,20年の懲役をいい渡されました。

 では,なぜ,A級戦犯が合祀されたことが理由で,天皇陛下靖国を参拝しなくなったのでしょうか?

 「戦争犯罪者を裁くといった東京裁判は大いなる矛盾である。それをいったら,一般人を無差別的に殺戮した東京大空襲は,戦争犯罪ではないのか? 広島・長崎への原爆投下は,戦争に名を借りた無差別大量殺人ではないのか?」

 そのように主張する方々が,日本の保守層を中心に数多く存在します。そして,彼らの主張は完全に正しいといえます。アメリカ合衆国も日本同様,戦争犯罪を犯しているのです。
 補注)戦争の結果,勝敗にまったくこだわらずにいえば,まさしくそのとおりである。だが,この点は出立点における問題の理解にしか過ぎない。

 しかし,戦争裁判は事の正否を追及するところではありません。端的にいえば“勝者が敗者を裁く”ところです。それ以上でも以下でもありません。敗戦国は戦勝国に吊るし上げられるのです。

 c) 日本は1951年9月8日に署名され,1952年4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)に発効した「サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)」により主権を回復し,多くの連合国との戦争状態が終結することで国際社会に復帰することができました。

 そのサンフランシスコ講和条約のなかで,日本は東京裁判の「判決」を受諾している,ということが大きなポイントです。

 東京裁判は詭弁であり,アメリカにも戦犯がいるにもかかわらず,敗戦国である日本はこれを受け入れたのです。それこそが現在に至る戦後国際体制なのです。仮に日本が「東京裁判の結果など認めない!」といって,騒ぎだしたらどうでしょう?

 それは,戦後の日本という国家を国際的に承認させた条件そのものを転覆させることになります。それは,国際社会からの孤立であり,国際社会への挑戦であり,場合によっては国際社会への “宣戦布告” とみなされるかもしれません。

 少なくとも “歴史修正主義” と受け止められるでしょう。日本の首相による靖国参拝が,中国以外の国からも非難を浴びるのは,そういった理由によるものです(もちろん,中国のプロパガンダもありますが・・・)。

 d)昭和天皇マッカーサー会見」  ダグラス・マッカーサーがGHQの最高司令官として日本に降り立ち,昭和天皇に謁見する謁見するさい,マッカーサーは「昭和天皇はきっと命乞いをするに違いない」と思っていました。
 補注)ここの表現「マッカーサー昭和天皇に謁見」という書き方には疑問ありである。正確には「マッカーサーは,天皇を自分に謁見させた」という表現するのがより適切である。

 しかし,実際はそうではありませんでした。「今回の戦争の責任のすべては朕にあるのであり,日本の国民に罪はない。よって,責任のすべては朕一人がすべて引き受ける」。そういった趣旨のことを,昭和天皇マッカーサーに告げたのです。
 補注)この「趣旨の点」はこのまま定説として理解することはできない。昭和天皇がそういったとマッカーサーが語ったという点が,事実であったかどうかについては,歴史研究の立場から確実に裏づけられていない。

 この点をしってかしらずか,このような一知半解的に定説的な理解のほうにもちこむ議論は,問題なしとしえない。したがって,次段につづく『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』のいいぶんも,そのまま認めることはできない。

 このことにマッカーサーは大いに感動したといわれています。そして,しだいに昭和天皇に傾倒してゆくなかで,マッカーサー自身,日本の統治に天皇陛下は欠くことができないことを確信するに至るのです。
 補注)この段落の理解も要注意である。「日本の統治に天皇陛下は欠くことができない」,いいかえれば,戦争責任はとくに彼に対してだけは問わないことにしておき,敗戦後における米軍の占領統治にとってみれば,ただ都合よく「裕仁を利用できる」方途を選んだに過ぎない。

 マッカーサーによる有名な言葉があります。「科学,美術,宗教,文化などの発展の上からみて,アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば,ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし,日本人は生徒の時代で,まだ12歳の少年である」。
 補注)この『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』の記述は,「もちろん, “12歳の少年” のなかに,昭和天皇は含まれていません」と断わっていたが,これは短見であった。というのも「天皇裕仁は日本側の〈12歳のもっとも賢い少年〉」であったと,みなされてもよかったからである。

 e) 昭和天皇マッカーサーは11回にわたり秘密会談をしていたことが,いまでは史実として分かっています。そして,1947年5月6日の第4回目の会談では,つぎのようなやりとりがありました。

 さて,いまや「象徴天皇」となったはずの天皇マッカーサーの議論は,冒頭から新憲法第9条の問題に集中した。

 まず天皇が「日本が完全に軍備を撤廃する以上,安全保障は国連に期待せねばなりませぬ」と述べたうえで,しかし「国連が極東委員会のごときものであることは困ると思います」と,四大国が拒否権をもつ極東委員会を引きあいに出して,事実上は国連に期待をかけられない旨を語った。

 これに対しマッカーサーは「日本が完全に軍備をもたないこと自身が日本のためには最大の安全保障であって,これこそ日本の生きる唯一の道である」と第9条の意義を説き,国連についても「将来のみこみとしては国連はますます強固になっていくものと思う」と,天皇とは異なる評価を展開した。

 ここで天皇は痺れを切らしたかのように,「日本の安全保障を図るためにはアングロサクソンの代表である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして,その為元帥の御支援を期待しております」と “本筋” に切りこんだ。

 つまり,昭和天皇は戦後の日本の統治を “アングロサクソン代表” のアメリカに求めたのであって,そのようなアメリカを中心とする戦後の国際体制が昭和天皇の望むところであったわけなのです。
 補注)当時の昭和天皇は,冷戦構造時代になっていた国際政治のなかで,ソ連や東欧そして中国(中華人民共和国)など社会主義国の出現を非常に恐怖していた。彼の立場にとってみれば,その点こそがもっとも心配のタネであって,この点に関して「なによりもまずさきに,自分と自家のための安全保障」をマッカーサーに依頼(依存)したことになる。

 マッカーサーと直接会見できる機会をたびたびもてた昭和天皇は,日本国憲法においては自分をめぐる立場が劇的に変化しており,つまり “象徴天皇の地位” に変化していた。にもかかわらず,日本国というよりは「天皇家全体のよりよきサバイバル」を最優先するための立場・利害にこだわる〈政治的な行為〉を盛んに試みてきた。

 なかんずく,昭和天皇マッカーサーとの度重なる会談の内容が秘密にされねばならなかった事情を,われわれは慎重に読み解く必要がある。天皇がこういった,ああいったと聞かされる内容を鵜呑みにして「解釈をする」のは,間違いの迷路にみずから入りこむような理解である。

 f) 上述したように,サンフランシスコ講和条約において東京裁判の結果を日本は受け入れているわけですから,昭和天皇A級戦犯が合祀されている靖国を参拝することは,A級戦犯が “戦争犯罪者” であることの否定,つまり,昭和天皇が望んだ戦後国際体制の否定に繋がりかねないので,当然,参拝は見送られるはずなのです。
 補注)この段落における『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』の説明はまともに筋が通っている。昭和天皇はそれ(A級戦犯の合祀)を契機にして,ともかく靖国神社にはもういけなくなっていた。それだけの事情であった。

 A級戦犯までが合祀されたその祭壇に「親拝であっても」,彼が参拝したぶんには,靖国神社の本義を “二重に否定・破壊する” 宗教的な意思表示をするハメになってしまうからである。

  ※-1 そのひとつは,すでに敗戦神社になりはてていた靖国神社の『反・官軍性』が,いまさらのようにあらためて露呈させられてしまう事実である。

  ※-2 もうひとつは,戦犯の対象者としてもっとも最大・最高の責任を追われるべき立場にあったはずの昭和天皇自身が免罪されていただけでなく,占領軍の戦後支配のために協力してきた「彼の敗戦後史」を,余すところもなくみずから暴露せざるをえなくなてしまうからである。

  ※-3 要は,A級戦犯の合祀された靖国神社の祭壇に拝礼する天皇の行為は,いうなれば絶対的に矛盾するほかなくなる「明治史以降の皇室神道」の立場を意味することになる。

〔DAY WATCH 白坂の記事に戻る→ 事実,1975年〔11月21日〕の参拝(下掲画像参照)を最後に,A級戦犯が合祀された1978年〔10月17日〕以降は昭和天皇を始め,その後を継いだ今上天皇明仁),現在の今上天皇徳仁)においても靖国神社を参拝することはなくなりました。
 補注)これは正解であるが,ともかく,なぜ天皇たちがそのように「対・靖国に対する姿勢」を保持しているかを,じっくり再考してみる余地があった。 

 f:id:socialsciencereview:20191209103415j:plain


 g) なぜ,天皇陛下靖国神社を参拝しないのか? それは,A級戦犯が合祀される靖国を参拝することは戦後の国際体制を否定することであり,そして,そのような戦後国際体制を望んだ1人が,ほかならぬ「昭和天皇」であったからです。(引用終わり)

 この最後に示された『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』の記述は,安倍晋三が大声で提唱してきた「戦後レジームからの脱却」に,それこそ真っ向から対立するほかない「天皇家の基本的な立場・利害・関心など」に言及している。

 天皇裕仁は,けっして「戦後レジームからの脱却」などいったバカなことは考えずに,「敗軍の将である自分(天皇家?)の足場:基盤」をよくわきまえた『敗戦後の政治過程における対応』を,とりわけより賢明に・かなり上手におこなってきた。また,この裕仁の立場は明仁から徳仁まで確実に継承されている。

 在日米軍基地を歓迎したのは,昭和天皇の基本的な意向であった。いまもなお,日本の国土の上にたくさんの米軍基地が存在するのは,そうした天皇を囲んでいた「敗戦後史の進展状況」が反映されていたからである。現在,住宅の密集する場所・地域に構えている米軍基地は,まるで自国(アメリカ本土)みたいに,わがもの顔で利用されている。この米軍基地の迷惑・危害に日常的に遭わされている地域は,全国に散在している。

 なぜ,そういう状態になっているかを考えるさい,「昭和天皇の敗戦後史」における「彼の関与のあり方」,いいかえれば,「アメリカとの密議・内通」がなされていたという「歴史の事実」が無視できない。昭和天皇は現人神でもなんでもなく,ただに自分に正直な1人の人間であった。

 この事実は,敗戦後史において彼が残してきた政治的な行為(日本国憲法に違反していたものであった)のなかに,あれこれ記録されてきた。


【付 記】  『DAY WATCH 白坂和哉 デイウォッチ』の2019年8月17日の記述には,こういう断わりが書かれていた。参考にまで紹介しておく。

  Introduction:8月17日に発信した拙記事「【終戦記念日 特別機関】なぜ天皇陛下靖国神社を参拝しないのか?」については,Twitter 上でも炎上しております。

 この記事については,ネトウヨとおぼしき方々を中心に賛否両論となっていますが,否定的な意見は

  「お前は “上から目線” でけしからん!」

  「天皇陛下の不参拝とA級戦犯との因果関係はない!」

  「お前の記事こそが中高生レベルだ!」

といった,3パターンに集約されているようにみえます。

 批判されることについては,「さまざまな意見をいただく」という意味において感謝しておりますが,と同時にあまりにもステレオタイプ的な批判ばかりで,少し物足りない気もしています。
 補注)正直いって,「ステレオタイプ的な批判」というよりは,無知・無理解でしかない「人たち」が,単に「オマエのいいぶんは気に入らない」と反発:否定するだけの,いわゆる非生産的という意味でも,痴的で不埒な放言ばかりに聞こえる。

 そういうわけで,また別の角度から,ネトウヨの皆さんがこだわる「靖国神社」についての記事を配信したいと思います。⇒「ネトウヨならば一度は読んでおきたい,愛と幻想の『靖国神社』」2019/8/18,https://k-shirasaka.com/netouyo-yasukuni-shrine/ 

-------------------

 ※ 以下の画像には Amazon 広告へのリンクあり ※