靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑,アメリカに「墓苑」のほうに慰霊にいけと指示された「安倍晋三の立場」

明治期から造形されてきた「皇室神道靖国信仰-国家神道」=古来神国思想の近代版は,現代に通用する宗教たりうるか? 宗教思想がもとから欠落している政治家・安倍晋三

                   (2019年8月16日)

 

  要点:1 靖国神社千鳥ヶ淵戦没者墓苑の基本的な違いは「督戦神社」か「慰霊施設」かに求められる

  要点:2 1945年の敗戦は靖国神社にとっても「宗教的に完全な敗北」

  要点:3 安倍晋三歴史観に1945年の大日本帝国「敗北」の記憶なし,だって「僕は戦争をしらない世代」だもん?

  要点:4 一国の首相にそのような幼稚な理屈は許されない


 「首相,靖国玉串料 超党派議員が集団参拝」(『朝日新聞』2019年8月15日夕刊面6面「社会総合」)

 安倍晋三首相は終戦の日の〔8月〕15日,東京・九段北の靖国神社への参拝を見送り,代理を通じ,私費で玉串料を奉納した。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久・元厚生労働相)の衆参議員は,例年どおり集団参拝した。

 安倍内閣の閣僚による終戦の日の参拝は,一昨〔2017〕年以降,途絶えている。首相は2013年12月を最後に,参拝していない。中国の習 近平(シー・チンピン)国家主席国賓待遇での来日を来春に控え,改善が進む日中関係に配慮する必要があると判断したとみられる。
 補注)安倍晋三靖国神社に自分自身で参拝にいけなくなったのは,アメリカの意向に逆らえなかったからである。この点は後段 ③ に引用する記事のなかにその理由が書かれている。

 首相の代理で玉串料を奉納した自民党稲田朋美・総裁特別補佐によると,首相から「令和の新しい時代を迎え,あらためて我が国の平和と繁栄が祖国のために命を捧げたご英霊のおかげであると感謝と敬意を表わします」と託されたという。

 国会議員の集団参拝に先立ち,自民党萩生田光一幹事長代行や小泉進次郎衆院議員らも参拝した。
 補注)今日では,大東亜・太平洋戦争時代を生きてきた人びとは,残りだいぶ少なくなっている。昨日(8月15日),日本の某国営放送局が「二・二六事件」(1931年)に関して,旧日本海軍が海軍じたい側の対応も含めて,その経過などを詳細に(分刻みで)記録していた,それも,いままで発掘されていなった極秘文書をもとに,NHKスペシャル「全貌 二・二六事件-最高機密文書で迫る-」という特番を放送していた。
 註記)同特番に関する基本情報は,つぎのとおりである。

 「放送時間帯」 NHK(総合),2019年8月15日(木曜日) 午後 7:32~午後 8:45(73分)

  「番組内容」 歴史的大事件「2・26事件」に関する「最高機密文書」がみつかった。天皇のしられざる発言や,青年将校らの未知の行動など,新事実の数々ととも, “衝撃の全貌” に迫る。

  「詳細」 私たちがしる歴史は,一断面に過ぎなかった。NHKは「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘した。1936年2月,重要閣僚らが襲撃された近代日本最大の軍事クーデター。

 最高機密文書には,天皇のしられざる発言や,青年将校らと鎮圧軍の未知の会談,内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など,驚くべき新事実の数々が記されていた。事件後,軍国主義を強め戦争に突入した日本。事件の「衝撃の全貌」に迫る。
 註記)https://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-08-15&ch=21&eid=02020&f=46

 要は,この2・26事件(軍事クーデタを失敗していた)の発生を契機に,日本は軍国主義路線に向かう撃鉄を打つ結果になっていた。その結果が1945年8月の敗北であった。そのあいだ,9年間の歴史(戦争史:準戦時体制から本格的な戦時体制への進展)は,明治以来の「富国強兵・殖産興業」にもとづく帝国主義路線の破綻を招来させた。

 だが,そうした国家路線の結果が明確に出ていても,明治以来の国家神道という宗教精神が「国民(臣民)」を訓育してきたところから生まれた「負の成果」じたいについては,敗戦という衝撃的な体験を経ていながら本気で直視し,反省することがなかった。

 そのために,伊藤博文や井上 毅(こわし)などが創りあげた「神聖国家:日本」の古代・中世宗教精神的な中枢部分に位置づけられていた「国家神道および皇室神道」の時代錯誤性が,抜本からみなおされることもないまま,今日:21世紀の現段階まで来てしまった。

 靖国神社には1978年10月17日,松岡と永野も含むA級戦犯の14名(柱)が秘密裡に合祀されていた。この事実は,靖国神社の歴史的な使命がすでに敗戦によって終焉の時期を迎えていたにもかかわらず,つまり,日本帝国主義の崩壊という出来事(「たらいの水」)とともに流されたはずの靖国信仰(「赤子」)を,それでもなお後生大事に守りつづけようとしたところの,それこそ “まったきに時代錯誤” 以外のなにものでもない「国家神道」の「敗戦後精神的な発露」を意味していた。

 そもそも,靖国神社は「戦勝・勝利のための官軍向け神道神社」であったゆえ,この国家神道の一形態として明治になって創建された神社が敗戦後に生きのびてきたという事態そのものが,きわめて不可解というか奇妙(異様)な現象であった。とはいえ,「ことはあくまで信心の問題」である。

 以上のように批判されたところで,靖国信仰の残滓がそう簡単には消散するわけもなく,「戦後レジームからの脱却」といったごとき,正真正銘に無自覚的にも逆立ちした政治思想の持ち主である安倍晋三(首相)を先頭に,いまだに,靖国神社に出むいては「負け戦さの戦士:英霊」になってしまった「祖先たちの霊」を,しかも死んでから「英霊」と命名された彼らに向かい,畏敬の念を披露しているつもりである。

 けれども,どだい「死んで花実が咲くものか」であるゆえ,霊だけについて「英霊あつかいウンヌン(でんでん)」されて合祀されたとしても,なにもいいこと(実利)はない。それよりも,戦争では死なないで,ただ軍人年金をたくさんもらえたほうがよほどマシであった。

 その「官軍的な含蓄での勝利の意味しかありえない神社」に参拝にいき,彼らの霊を慰霊するという行為は,よくよく考えてみるまでもなく,死んでからようやく「英霊」などと尊称されだしたけれども,いまでは,あくまで「霊界にいる彼ら」に対する,みかけだけの宗教的な行為であった。したがって,彼らが現役兵として生きていたころ,戦場において実際に苦労させられたときの体験を考慮したそれなどでは,けっしてありえなかった。

 本当のところをいってみるに,「旧大日本帝国軍兵士」は,完全にといっていいくらい「人間あつかいされていなかった」。いわば,内地の兵舎で訓練を受けているときも,また実際の戦場に送られていったのちも,彼ら1人ひとりはただ “チリ・アクタ” 同然,いいところでもせいぜい消耗品の扱いをされてきた。

 たとえば,旧日本軍の兵士たちが武器として携行した小銃には「菊の紋章」が刻印されていたが,兵士たちの命よりもこの刻印のほうがはるかに高い価値を認めるような軍隊であった。兵舎や戦場において上官(上級兵)による殴打などによるイジメ(今風にいえばミリ・ハラ?)は,日常的な習慣であった。ともかく,そうした軍隊のなかで,そして戦場のなかをくぐりぬけて敗戦まで生きのびられた兵士は,まだ幸運であったかもしれない。

 死んでしまった日本軍の兵士たちは,歴史研究者によってはそのうち6割が餓死したと分析されてもいる。アジア・太平洋戦争中,戦地における兵士の実態を数字にもとづき客観的に分析を試みたところ,日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者総数約230万人のうち6割が餓死したというのである。

 それは,藤原 彰『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店,2001年)が実証的に明らかにした「戦争の体験」に関するひとつの事実であった。

 もっとも,秦 郁彦のように「南方戦域が60%(48万人),全戦場では37%(60万人)ぐらいが妥当」と主張する研究者もいないのではない。この秦 郁彦はなにごとにつけても,極力控えめに国家体制寄りに研究成果を解釈したがる性向を強く発揮させる歴史研究家ゆえ,その結論を鵜呑みにはできない。

 いずれにせよ,藤原 彰のおこなった推定にしたがうべきか,それとも秦 郁彦の推定がより実態に近いかなどの問題については,さらに研究がくわえられる余地がある。このことは否定できない。問題はそれよりも,それほどにまでに(藤原 彰と秦 郁彦のいいぶんを「足して2で割っても」4割近く,およそ半数は餓死している計算になる),旧日本軍の兵士は命を軽視されたり,ときには完全に無視されたりする作戦行動を数多く展開させられてきた。

 ところが,そうして虫けらみたく餓死させられた兵士たちであっても,いったん靖国神社に合祀されたとなると,一躍,英霊として特別待遇を受けていることになる(もっともそれは名ばかりのものでしかないが)。

 繰り返していえば,どう観ても「死んで花実が咲くものか」であった。息子が夫が戦場で死んでよろこぶ母親(および父親)や妻とその子どもたちが,いったいどこにいるというのか?

 否,だからこそ靖国神社が,国民(臣民)たち側におけるそうした悲しみや苦しみを,国家神道の宗教精神でもってそらして回収しつつ,さらには,帝国主義路線の推進のために必要な兵士の「継続的な再生産」に困らぬ国家体制を維持させていくことが必要だったのである。


 「首相,靖国真榊奉納」(『朝日新聞』2019年4月22日朝刊)

 安倍晋三首相は〔2019年4月〕21日,東京・九段の靖国神社で春季例大祭が始まったのに合わせ,「内閣総理大臣 安倍晋三」との名前で供え物の「真榊(まさかき)」を奉納した。首相は23日までの例大祭期間中の参拝は見送る。首相は2012年12月の政権復帰以来,2013年12月に1度参拝。春と秋の例大祭には参拝せず,毎回真榊を奉納している。(引用終わり)

 ここでは関連させて,2年前に報道された関連記事を紹介し,さらに議論してみたい。その記事の題目は「終戦の日靖国神社千鳥ヶ淵戦没者墓苑 ふたつの追悼の場で,祈られたこと-熱気と静寂と- 」である。以下に引用する。

 註記)『BuzzFeed NEWS』2016/08/15 19:08,https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/71-86-kudanshita

 --靖国神社は,1869年に建てられた「東京招魂社」が前身。明治維新以降,「国のために命を捧げた」246万柱以上とされる軍人や軍属,警官などを「英霊」として祀る。戦後は国の管理を離れて宗教法人に。1978年〔10月17日〕に,東条英機元首相ら「A級戦犯」を合祀した。

 首相や閣僚らによる靖国参拝はつねに注目の的だ。A級戦犯らを英霊として合祀していることが,「過去の戦争の肯定」につながるとの批判があるからだ。これに対し,「英霊」に祈りを捧げない方がおかしいとの逆の批判もある。

 一方,千鳥ヶ淵戦没者墓苑は政府が1959年に設置した「無名戦没者の墓」だ。海外からもち帰られたが,身元が判明しなかったなどの理由で,遺族の手に戻らなかった軍人,軍属,民間人の遺骨36万4896柱(2016年5月末現在)が眠る。環境省が管理している。

 2013年10月,来日したケリー米国務長官ヘーゲル国防長官は,ケネディ駐日大使とともに千鳥ヶ淵を訪問した。どちらが国の追悼施設か。米国の考えが分かる。

 f:id:socialsciencereview:20191210090232j:plain

 

 その出来事について本ホームページの筆者は,2014年10月29日に記述した一文「アベノミクス&アベノポリティックスが歴史に残す汚名と恥辱の遺碑」で触れたことがある。問題の焦点は,保阪正康が適切に説明していた。関連する段落をつぎに摘出してみたい。少し長くなるが,本日の記述にとって重要な説明である。

  a) 2013年12月26日,安倍晋三政権成立後ちょうど1年が経ったこの日,安倍晋三靖国神社に参拝した。ところが,それ以前の10月初旬であったが,アメリカ側はわざわざ事前に,国務長官ジョン・ケリーと国防長官チャック・ヘーゲルを日本に派遣し,千鳥ヶ米国、国務・国防長官献花淵戦没者墓苑に花を手向けさせていた。

 f:id:socialsciencereview:20191210090928j:plain

 註記・出所)「米国務・国防長官,千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花」nikkei.com 2013/10/3,https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS03014_T01C13A0EB1000/
      
 『内外高官の千鳥ヶ淵戦没者墓苑参拝』(http://www.boen.or.jp/boen00.htm)には,「アメリカ・ケリー国務長官ヘーゲル国防長官の献花式(平成25. 10. 3)」という項目があり,こう述べていた。

 〔2013年〕10月3日(水),日米外務,防衛担当大臣会議に参加のため訪日中の米国ケリー国務長官およびヘーゲル国防長官により,千鳥ヶ淵戦没者墓苑において献花式がおこなわれた。10時50分,ヘーゲル長官,少し遅れてケリー長官が墓苑到着,星野環境省自然環境局長等が出迎えた。

 両長官はまず記帳を済ませると,墓前に進み,墓苑関係者から花束を受けとり,両長官同時に献花,黙祷した。両長官は献花後すぐに関係者に見送られてつぎの日米外務,防衛担当者会議場に向かわれた。両長官の献花は米国側の強い希望によりおこなわれたもので,千鳥ヶ淵戦没者墓苑の創建以来,米国政府関係者のなかでは最高位である。

 在日米軍基地の総司令官は,アメリカ国防総省のこの長官の指揮下にある。日本が完全にアメリカの従属国でないならば,安倍晋三による前段のごとき行動(靖国神社参拝の行為)に対して,誰も文句はつけられないはずである。

 だが,アメリカはそのようにしてまで,あえて事前に警告の信号を打ち上げていた。これをのちのちまで完全に無視できる立場になかったのが,安倍晋三の立ち位置(端的にいってしまえば対米従属国家体制)である。

  b) 『毎日新聞』2013年11月9日付の記事,「保阪正康の昭和史のかたち」という連載は,「[米2閣僚の千鳥ヶ淵墓苑献花]安倍史観に強い怒り」という見出しで書かれていた。

 この記事は「10月3日午前にジョン・ケリー国務長官チャック・ヘーゲル国防長官が連れそって,東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ,献花,黙祷を捧げたこと」をとりあげ,それについて「アメリカ政府は,安倍晋三首相の歴史観に強い怒りを示しているなということが分かった」と指摘している。

 第1に,安倍首相の歴史認識靖国問題に怒っているのは,韓国や中国だけではない。保阪は,アメリカ国内,それも「共和党の保守派」が「不信感をも」ち,「保守派の怒りを買っ」ていると書いている。

 第2に,アメリカが靖国神社に対する認識を問題にするようになったのは,「もう10年ほど前」からのことであって,それほど以前からアメリカは靖国問題について関心をもっていた。安倍首相の歴史認識靖国問題に対する怒りは,民主・共和の両党に共通している。

 第3に,このような怒りや不信感は靖国神社に対する対応だけにとどまらず,安倍首相の歴史観全体に対して向けられている。安倍首相に対するオバマ大統領による冷たい対応は,アメリカ政府と国民の怒りや不信感を反映している。
 
 c) 結局,安倍首相のもつ歴史観の根底には,「第2次大戦の根幹(アメリカにとっての民主主義を守る闘い)に対する挑戦の意味」が含まれている。それは,「自由主義史観」に立つ「歴史修正主義」の基本的立場でもある。

 そして,安倍首相は戦後の体制がアメリカによって押し付けられたものと考え,そのような体制の転換(「戦後レジームからの脱却」)を図ろうとしている。現行憲法を変えて「戦争できる普通の国」になろうとすることは,その中心的な課題に位置づけられている。

 d) アメリカは安倍首相の歴史観に,このような「反米」の臭いをかいでいる。それに対して怒り不信感を強めているという保阪の指摘は,今日の日米関係を考えるうえできわめて重要な指摘である。

 しかし,もう一つの面もみておく必要がある。安倍首相の「反米」はけっして日本の対米自立をもたらさず,それを悟られまいとして,かえって過度で卑屈な「従米」姿勢を強めてしまうということである。(引用終わり)

 今日は,2019年8月16日である(⇒この記述がなされいていた日付)安倍晋三の日本政府はいまとなっては,ほぼ対米従属(服属)体制を完成させたといっていい地点まで到達した。だから,安倍晋三靖国神社にいきたくとも,実はいけない。「真榊の奉納」でお茶を濁す「参拝形式」に留めており,我慢している。しかし,それが「真榊の奉納」であり,靖国神社参拝に「直接参拝する」ための「代替の行為」だとしても,その神道的な真義においてなんら変わりはなく,価値が劣るのではない。

 要するに,「真榊の奉納」は神道として宗教行為そのもの,その本筋:核心を意味しているのである。

 真榊の奉納は,靖国神社の場合であっても,つぎのような神道上の宗教的な意味をもっている。神社本庁ホームページに関連する説明がある。

 『神社祭式同行事作法解説』(神社本庁編)では玉串を捧げることを「玉串は神に敬意を表し,且つ神威を受けるために祈念をこめて捧げるものである」と説明されています。

 玉串の由来は,神籬(ひもろぎ)とも関連して『古事記』の天の岩戸隠れの神話に求められるものといわれています。すなわち天照大御神の岩戸隠れの際に,神々がおこなった祀りでは真榊に玉や鏡などをかけて,天照大御神の出御を仰いだことが記されています。
 註記)「玉串の意味について」『神社本庁』2014-08-19 8:43:39,https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/tamagushi
 補注)神籬(ひもろぎ)とは,神道において神社や神棚以外の場所で祭祀をおこなう場合,臨時に神を迎えるための依り代となるもの。真榊もそのために利用される。

 この真榊が神道式に利用される宗教的な含意を無視して,安倍晋三靖国神社側に真榊を奉納している事実を,きちんと批判する他の宗教がほとんどみつからない。「真榊の奉納」という行為は,直接参拝にいかなくとも,その代替として宗教的に同等・同質の意味を発揮する。これは,参拝に準じた行為とみなすほかなく,それゆえ黙過されていいような「参拝を単に補完する」という意味での「代替する形式」ではない。

 中国や韓国からもいままで,この真榊の奉納に対して批判が飛んできたことはなかった。というのは,それが有する「神道式の宗教的な意味」に気づいていないからである。こちら側では安倍晋三が「自分は参拝できないが,その代わりに〈真榊の奉納〉をおこなってきた」のであるから,本来の靖国参拝はできていないにせよ,その意義を内心では実現できているつもりである。実際,靖国神社側はその本質的な意味をわざと隠しつづけている。

 

  命題的解説:「靖国神社参拝も真榊(まさかき)奉納も,国家神道靖国神社への宗教的な行為としては同一の性質をもっている」(以下は,2017年11月4日時点の記述)

 もともと宗教というものは,どこまでも〈内心の問題〉である。ここでは,比較するための材料として「日本の隠れキリシタンの問題」を例示すればよい。問題の本質として「真榊の奉納」というものの有する宗教的な意味あいは,その真意の理解をはずすことなどないように用心しなければらない。

 ともかく現在,安倍晋三靖国参拝問題に関していえば,アメリカの意向に対して「服従(屈従・屈服)の姿勢」をとらざるをえないでいる。この事実は確かにいまも進行中である。ただし,安倍がその代わりに「真榊の奉納」をそのつどおこなっている行為は,ひそやかにおこないながらも,一矢を報いている〈精一杯の抵抗〉の表われである。

 靖国神社例大祭や『敗戦の日』などに,それも,のこのこと「戦勝・勝利・官軍神社」のある九段下にまでわざわざ出むいて参拝にいく行為と,キリスト教徒である政治家が日曜日に教会に通うのとでは意味がまったく異なる。前者の行為は「政教分離原則」をあいまいにさせつつ,実際は破っている。後者はその原則とはひとまず別個の個人的な行為である。

 関連してつぎのふたつの議論(安倍晋三批判)を聞いておきたい。前述した「アメリカ・ケリー国務長官ヘーゲル国防長官の献花式(平成25. 10. 3)」という問題に対する批評である。

 ★-1「〈池田信夫エコノMIX  異論正論〉英霊をとむらうことより大事なのは新たな英霊を出さないこと」『Newsweek日本版』2014年01月07日,https://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2014/01/post-780.php

 慰霊のためなら,国立の千鳥ケ淵戦没者墓苑に墓参すればいい。昨〔2013〕年10月にアメリカのケリー国務長官ヘーゲル国防長官が来日したとき,わざわざ千鳥ヶ淵で献花したのも「こっちなら政治的に問題ない」という意思表示だろう。安倍首相はこれを公然と無視して靖国参拝を決行したが,それでなにがえられたのだろうか。

 喜んだのは韓国だ。朴 槿恵大統領は歴史問題や領土問題でかたくなな態度を取っているが,国内経済が不振で日本との関係修復を迫られていた。もう少し日本側が自重すれば,日韓首脳会談も実現したかもしれない。中国も「強烈な抗議」を表明した。彼らは外交上の手詰まりを日本のせいにすることができ,喜んでいるだろう。

 面目まるつぶれになったのはアメリカだ。大使館がホームページで「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに,米国政府は失望している」と異例の不快感を表明した。安倍首相は参拝についてアメリカ側と事前に協議しなかったといわれており,これは国務長官と国防長官の忠告を無視したと解釈されてもしょうがない。

 慰霊しても,死者は帰ってこない。ドライにいうと,靖国神社にまつられている「英霊」はサンクコスト(埋没費用)である。1930年代に,対米交渉で中国からの撤兵を要求したアメリカに対して,東條英機陸軍大臣は「ここで引き下がったら英霊に申しわけが立たない」と拒否し,結果的には300万人以上の英霊をつくってしまった。

 もちろん死者をとむらう気持ちは大事だが,もっと大事なのはこれから新たな英霊を出さないことだ。安倍首相は国家安全保障戦略でも「愛国心」を鼓舞しているが,戦略とは相手の出方を計算して合理的に立てるもので,愛国心とは別だ。「英霊をとむらう」という感情論で日米同盟を壊すのは本末転倒である。

 相手の戦力も考えないで,愛国心だけで突撃しても戦争には勝てない。国益のためには,不愉快な自重も撤退もするのが戦略的行動だ。特攻隊やバンザイ突撃で死んだ英霊は,感情論の先行する戦争の愚かさを教えている。その教訓に学ぶことが,彼らの死に報いる道ではないか。

 ★-2「米国務・国防長官,千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花」nikkei.com 2013/10/3,https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS03014_T01C13A0EB1000/(前掲において写真を借りた記事)

 日米安全保障協議委員会(2プラス2)に出席するため来日中の米国のケリー国務長官ヘーゲル国防長官は〔2013年10月〕3日午前,千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京・千代田)を訪れ,献花した。同墓苑は第2次大戦中に海外で亡くなった身元不明の日本軍人・民間人の遺骨を納めている国の施設で,米閣僚の訪問はきわめて異例。日本との同盟関係の強さを示す狙いがありそうだ。
 補注)この『日本経済新聞』の記事は興味深い表現をしていた。「日本との同盟関係の強さ」とは,もっぱら一方通行である〈事実の関係〉を指すが,そうであっても,このように表現されるほかない報道となっていた。


 靖国参拝への『異論』,政治への怒り 憲法学者芦部信喜,没後20年の夏に」(寄稿・遠藤比呂通『朝日新聞』2019年8月14日夕刊2面)

※ 人物紹介 ※   「えんどう・ひろみち」は弁護士・憲法研究者。1960年生まれ,東京大学助手,東北大学助教授を経て,1998年に大阪市西成区で弁護士事務所を開業した。日雇い労働者が集まる釜ケ崎で無料法律相談を実施。在野で憲法の研究を続け,著書に『希望への権利』『人権という幻』など。

 憲法学者芦部信喜あしべ・のぶよし,1923~1999年)が75歳で他界してから,今〔2019〕年で20年である。芦部は,日本を代表する憲法学者であり,憲法訴訟論の開拓者として著名である。

 1983年,私は22歳のとき,憲法学の研究者になることを志して,芦部の研究室の門をたたいた。翌年,芦部は,中曽根康弘政権下で設けられた官房長官の私的懇談会「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」のメンバーとなった。

 後年,私は憲法訴訟をテーマとする対談で,政治利用がなされる可能性が高い靖国懇になぜ入ったのか,という質問を芦部にぶつける機会があった。1994年のことである。

 このとき,穏やかだった芦部の態度が一変した。芦部が「ペテンにかけられたようなものでね」と権力者に対しての激しい怒りをあらわにしたのである。芦部の根底には,人間の命を犠牲にして積み重ねられる政治犯罪への激しい怒りがあることをしった。

 「学徒出陣」させられた経験をもつ芦部は,2943年10月の「出陣学徒壮行会」において,「一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を亨(う)けたる諸君の進むべきただ一つの途(みち)である」との内閣総理大臣東條英機〕の辞を,このとき想起していたのだと思う。

 1985年8月9日の靖国懇報告書は,「内閣総理大臣その他の国務大臣靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきである」とした。この報告書を「社会通念」として利用した内閣総理大臣中曽根康弘は,同月15日に公式参拝を実施した。しかし報告書には,芦部のつぎのような「異論」が明記されていた。

 「靖国神社公式参拝は,政教分離原則の根幹にかかわるものであって,地鎮祭や葬儀・法要等と同一に論ずることのできないものがあり,国家と宗教との『過度のかかわり合い』に当たる,したがって,国のおこなう追悼行事としては,現在おこなわれているものにとどめるべきである」。

 芦部が「異論」を明記させたことは,日本の立憲主義の歴史のなかで記録されるべきことである。1997年,最高裁判所は,愛媛県知事靖国神社へ公金を支出したことを憲法政教分離原則に違反すると判断した。そのさい,考慮されたのは,靖国懇報告書の結論ではなく,「異論」の方だったからである。

 芦部は,憲法9条の改正に一貫して反対する平和憲法学を提唱した。また来る8月15日を前に,その礎が,「学徒」を「英霊」として利用する試みに対する怒りであったことをおぼえたい。(引用終わり)

 そこで芦部信喜が怒りをこめて批判したのは「学徒まで英霊として利用する試み」であったというが,「英霊」という神道的な宗教概念の創造じたいが,そしてこれを利用して戦争そのものを正当化しようとする発想そのものになっている。これが,もともとの根本的な問題として控えていた。

 千鳥ヶ淵霊園は実は,戦場で命を落とした者たちの肉体の残骸を納めた墓地である。これに対して靖国神社は,神道的な穢れの精神を都合よく利用しているゆえ,その収容を完全に忌避している。それでいて,戦場はその6割が餓死したとも研究されている日本軍「兵士の霊」だけを都合よく抜き出し,これを〈英霊〉だとかおだてあげて(祀りあげて)は,靖国神社に収納(合祀)しているつもりである。

 アメリカが戦没者用に創設したアーリントン墓地については,ウィキペディアがこう解説している。

 政教分離の観点から無宗教施設と説明されることがあるものの,正確にはあらゆる宗教・宗派,宗旨(無宗教も可)による埋葬を許容しており,特定の宗教形式を押し付けず,「信仰の自由」を保障することで多様な宗教性を受け入れている。

 事実,専属契約する聖職者の大半はプロテスタント系であるものの,カトリックの司祭やユダヤ教のラビなどとも提携関係があり,また埋葬者の希望に応じて,あらゆる宗教形式が選択できる。

 ちなみに,アーリントン国立墓地に建てられた墓石には,故人の信仰を表す宗教的シンボルマーク(Authorized emblems)が刻まれている。

 公式ウェブサイトによれば,施設公認のシンボルマークは41個存在しており,キリスト教イスラム教,ユダヤ教の他にも仏教や日本の新宗教である天理教金光教創価学会SGI-USA),さらには無神論者を示すものまである。 

 千鳥ヶ淵霊園(前掲の石碑では名称が少し異なって記されている)も,アーリントン墓地と同類の戦没者慰霊所である。ところが靖国神社となると基本からして,これは,もうハチャメチャな様相を呈している。どういうわけがあるというのか?

 なによりもまず,国家神道的な排外精神を丸出し,剥き出しにしている。おまけにかつての「勝利・戦勝のための官軍神社」である基本性格が,敗戦を喫したはずの旧・大日本帝国の国営神社であるにもかかわらず,旧態依然にそっくりそのままに維持している。

 それでは,「これを皮肉といわないでなんといえばよい」と形容するほかあるまい。まさに「官軍神社」は転んでしまい,「敗軍神社」になりはてていたではないか。


 ところがである,にもかかわらずである。そこに英霊として収容されている敗軍側の将兵たちの「死霊」は,現在でも『英霊』に仕上げられるための “みそぎの儀式” を通過させられている。


 靖国は,それでも「戦勝できる・ための神社」の役目・機能を発揮する神社だと観念されている。しかし,この「敗戦」後的な靖国神社の風景は,完全に漫画でなければ,ただの幻覚症状にしかなりえていない。

 ところが,21世紀のいまになっても,靖国神社は敗戦前のやり方でもって,国家神道式の宗教的な慰霊機関として存在しつづけている。現在は,いちおう民間の一宗教法人になっている。もっとも,最近ではその存続については危惧の念が,内部の当事者たちから発信されてもいる。

 それにしても,安倍晋三のように時代錯誤でしかない頭脳構造の持主は,確たる宗教的な信念もその裏づけもないまま,それこそ “バカのひとつ覚え” の要領で靖国に参拝にいきがたっている。

 あらためて問う。それにしても,いったいなんのために,靖国神社に参拝するのか? 宗教的な説明が安倍晋三には完全に欠落している。この無識者である日本国首相のやることなすこと,無理無体ばかりであって,靖国神社に対する歴史理解など皆無に等しい人物であった。
 

  f:id:socialsciencereview:20191210095549j:plain

  出所)http://www.asyura2.com/acpn/k/km/km6/km6Jupbq/100019.html

------------------ 
※ 以下の画像には Amazon 広告へのリンクあり ※