斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』中央公論新社,2019年7月の「靖国神社史・理解」をめぐる考察

斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』中央公論新社,2019年7月の「靖国神社史・理解」に一部,不正確な記述(誤り)あり,そして靖国神社本来の「明治謹製的な国家神社に固有である〈邪道の特異性〉」について

 

  要点:1 東條英機A級戦犯として絞首刑にされたが,その代わり天皇裕仁はその後も上手に生きのびた

  要点:2 東條英機裕仁にコケされていたが,それでもこの御上をかばい,喜んで死刑台に上がった

  要点:3 戦争の時期を思春期で過ごしてきた少年・若者たちは,敗戦という体験になにを観てきたのか 


  斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』2019年7月をとりあげ,若干論じることの意図

 ここにとりあげてある問題点を指摘する,斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』2019年7月は,どのような中身の本であるか。宣伝用の説明からまず聞いてみたい。

 「内容説明」  「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた,戦没者の子どもたち。国家に翻弄され利用されてゆく彼らの実像を,貴重な一次資料と証言を通して明らかにする。戦争は子どもたちにどんな運命を強いるのか?

 「目   次」

   第1章  「社頭の対面」と「誉れの子」
   第2章 軍人援護政策の展開と「誉れの子」 
   第3章  「誉れの子」と国家
   第4章  「誉れの子」たちが受けとめたもの
   第5章  「誉れの子」への国家の冷徹なシナリオ
   第6章  「誉れの子」たちの「愛国」
   おわりに 「誉れの子」たちの記憶と現代
 
 「著者等紹介」  斉藤利彦[サイトウ・トシヒコ]は,1953年福島県生まれ,学習院大学文学部教育学科教授,博士(教育学)。東京大学法学部卒業,同大学院教育学研究科博士課程修了。学習院大学助教授などを経て,2994年より現職。

 「出版社内容情報」   「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた戦没者の子どもたち。戦時下の日本にあって,毎年5千人を超える彼らが,靖国神社に参集したという「社頭の対面」。この一大行事を通して,国家はなにを意図し,どのような効果を及ぼそうとしたのか。肉親の死を,国家への絶対的忠誠へと転化し,さらに戦争へと駆り立てていくという,子どもたちが担わされた戦争の一断面を,貴重な一次資料と証言を通して明らかにする。

 7年前の2102年12月26日に成立した安倍晋三の第2次内閣は,「戦後レジームからの脱却」という標語(最近はほとんどいわなくなった “なんとかのひとつ覚え” )を,いつでも戦争のできる国にしょうとするための宣伝文句として叫んでいた。  

 ところが,かつて「鬼畜米英」となった敵国だとして,帝国臣民側から憎悪のかぎりを叩きつけていたその相手国アメリカに対して,「いまのこの国」はどうなっているのかとみれば,こんどはその「子分・配下の身分」をもらっており,ただひたすら盲従するだけしか能のない,いうなれば単なる『トランプの「舎弟で,腰抜けの・ダメなこの日本」』になっている。

 内政は目茶苦茶,外交は連戦連敗の記録しか残せていない安倍晋三の為政(政治手腕?)は,国内的には「私物化政治の散華」となり,国外的には「成果:見返りのまったくないまま,相手国に対して豪華なお土産だけをばらまく外交」に終始してきた。 

 アベノミクスの成果となるとその数値が上がらないどころが,「失われた10年」の3周回目もそろそろゴールに近づいた苦境のなかで,「世襲3代目の大▼カ政治屋」の面目躍如たる無知・暗愚さだけが,いまや最高度の水準にまで到達できている。

 安倍晋三が尊敬する祖父の岸 信介は,敗戦後の一時期「A級戦犯」に指定され,スガモ・プリズンに拘置されていたが,その外孫の安倍晋三はみずからすすんでアメリカ帝国の三下・小間使いの立場を喜んでえらんでいる。いいかえれば,檻のみえない監獄を選んだような「政治家としての自分史」を歩んできたのが,このアベというボンクラの子ども政治屋であった。とにもかくにも,迷惑千万であるのは国民たちばかりである。。

 最近になると,そのあまりにもチャイルディッシュな言動・挙措に呆れはてた『天木直人のブログ』(2019年12月9日)は,とうとう,ここまで来てしまった『アホノミクス アホノポリテックス』の惨状,つまりその凶相的な相乗効果が最大限に発揮されてきた「狂信的な脱輪・逸脱の政治」を,つぎのように罵倒していた。

  ★ 今ごろになって防衛予算増大を懸念する読売記事の噴飯もの ★

    =2019年12月9日,http://kenpo9.com/archives/6398

 

 (前略)   安倍政権がここまで大量の米国産最新鋭兵器を導入しつづける理由は対米配慮ではないかと,〔『読売新聞』が〕つぎのように書いている。

 「・・・大量調達の背景には,米国の貿易赤字削減と絡めて同盟国などに防衛費や米軍駐留経費負担の増額を求めるトランプ大統領への配慮もあるようだ」と。なにが「配慮もあるようだ」だ。配慮以外の何物でもないことはもはや皆がしっている。

 トランプ大統領がそう繰り返し,安倍首相がそうしますと明言しているではないか。防衛省もそれを認めていると,読売はつぎのように書いているではないか。「一気に追加購入を決めたのは対米関係を考慮した結果だ」と。

 あまりにも馬鹿らしい読売の記事だから,もうこれ以上は書かないが,最後にもう一度だけ河野防衛相の記者会見の言葉を引用して終える。河野防衛相は6日の記者会見でなんといったか。「財政状況がきわめて悪いなかで,防衛予算を自由に,青天井で伸ばすことができないのも現実だ」と。

 バカヤロー。なにが青天井だ。これではいくら税金を払っても消えていく。国民は,戦争で殺される前に,生活できなくなって殺されることになる。読売新聞が真っ先に書くべきは,こんな防衛予算を平気で組む安倍・河野政権は即刻辞めろ,ということである。 

 『天木直人のブログ』を読んでいて,このような記述, “バカヤロー” と書いて叫んだ天木直人の発言は,初めてのことであった。いくらなんでもこの手の記述:表現はしないものだと思っていたが……。 

 しかし,現に経済最低・政治絶悪になるまでこの日本を引きずりまわしてきた安倍晋三がやってきたことといったら,私物化を徹底させてきた政治路線(!)そのものであった。なにごとに対してでも,子ども宰相の感覚(「初老の小学生・ペテン総理」の「立場」)でとりくんできたとなれば,国民たちのこうむる迷惑千万さの程度といったら,敗戦後史においては実質的に「最強に最悪の為政(迷惑何億千万?!)」を意味している。

 しかも,軍事費だけは順調に増大させているなかで,国民生活の水準は,量的にも質的にもどんどん悪化している。まさに,いまの日本は国家的危機ともいえる状況に至っている。にもかかわらず,安倍晋三は,自分の個人的な欲望を満たすために,それもひどくつたない仕事しかできていない。またそうしたなかでこの前,防衛大臣にさせた河野太郎が,ろくでもない発言をしていた。 

 とりわけこのコウノ・タロウは,以前における「原発に反対する自身の立場」を,外務大臣に任命されや否や即座に引っこめていた 註記・補注)。さらに内閣改造時に,防衛大臣に横滑りしたと思ったら,こんどはまるで戦前・戦中の大日本帝国をめざすかのような傲慢な発言があいついだ。

 註記・補注)コウノ・タロウは,大臣に赴任した(する?)直後に自分の反原発「ブログ」を削除・閉鎖していた。節操もないもない政治家である。オヤジの河野洋平やジイサンの河野一郎にくらべたら,政治家としての人間的な品位・人格的な水準では,完全に数段も落ちていた。

 安倍晋三河野太郎も「世襲3代目のボンボン政治屋」である。昨今,日本の政治家の政治屋的な堕落・腐敗ぶりは目に余るものがある。21世紀の日本,これではいったい,いつまでもつのか非常に心配である。 

 すでにこの国は「先進国とは名ばかり」になっているどころか,事実はもう後進国に戻りつつあるとまで指摘される始末である。「国難・国恥の売国・亡国の首相」がいるだけかと思いたかったが,防衛大臣になった河野太郎は,この国の「国是みたいな対米従属路線」のなかで,安倍晋三とのへたクソなデュエットを,アメリカ様のために歌っている。くわえていえば,そのほかにも,大臣に任命されたとたんに辞職を余儀なくされる “自民党のスネ傷もちのヘタレ議員” がワンサといた。

 

  斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』2019年7月の評価と1点気づいた問題点

 斉藤の本書は,いままでしられていた「大東亜・太平洋戦争史」に関した諸側面のうち,とくに銃後にいた帝国臣民たちのうちでも,中国戦線などに兵士として送りこまれて生命を失わされた「父親たちの子どもたち」にまつわる問題を,実証史的にとりあげ,分かりやすく解説している。

 その帝国臣民でも少年・少女国民たちは「少国民(しょうこくみん)」と呼ばれていたが,このことばは,日中戦争以降,第2次世界大戦中の日本においては,銃後に位置する子供を指した語であり,年少の皇国民という意味があった。

 現実には,「支那事変」(1937年7月7日開始)と呼称された日本と中国との戦争は,「満洲事変」(1931年9月18日開始)にその出発点を有していた。15年戦争とか,アジア・太平洋戦争という呼称もある。とくに日中戦争が1937年7月7日に始まると日本は,現役兵だけ軍隊編制では員数の絶対数に不足きたしたために,予備役からも多くの帝国臣民男子を戦線に駆り出すという「戦時体制の本格化・深刻化の段階」にまで至っていた。

 ところで,彼らの多くは既婚者になっていて,世帯をもち,妻とのあいだに子どもが何人もいる場合が多かった。この事情から必然的にもたらされた戦時体制期中の出来事が,「子どもたちの父親が戦死する」という不幸の多数発生であった。

 要は,当時,帝国臣民のあいだに厭戦気分が醸成させることなど絶対に防止する意味もあって,戦死した父親を悲しむことを抑制・禁止するような国家政策が実行されたのである。そして,その最大かつ有効に活用できる宗教機関として,それも国家神道にもとづく国営施設である靖国神社が,一国全体が兵舎化した社会にもなっていた日本国内においては,臣民たちの生活における敢闘精神を喚起するための装置として利用されていた。

 斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』は,そうした戦時体制下国家運営の一環であった出来事を解説している。 

 『同書』はとくに,東條英機による独裁的な政府が,「戦争が子どもたちにどのような運命を強いるのか」という「当時の事実」をめぐって,靖国神社が戦争遺児の「不幸と不運」を国家神道的な宗教精神をもって掬いあげようとしていただけでなく,さらには,戦争によりいっそう熱心に邁進できる国家意志の構築・昂揚のために利用してきた「靖国神道の宗教精神にもとづく社会的な様相」を,史実に即して描いている。

 斉藤の『同書』全体に対する評価は,ここでは語らない。ただ,1個所で奇妙な記述に出会ったので,これに対する疑問を提示しておきたい。問題は,靖国神社が例年の夏におこなっている “みたままつり” に関する記述であった。ここに,その該当の頁を画像資料にして紹介する。

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 ここの文章には「7月にみたま祭りが行なわれた」(77頁)と書かれているが,これは厳密にいうまでもなく不正確であり,ありていにいえば間違えている。

 
  みたままつり

 靖国神社のホームページは,『みたままつり』が例年どおり7月13日〜16日に開催されることに関して,つぎのように解説している。

 日本古来の信仰にちなみ昭和22年に始まった「みたままつり」は,今日,東京の夏の風物詩として親しまれ,毎年多くの参拝者で賑わいます。

 期間中,境内には大小3万を超える提灯や,各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り,本殿では毎夜,神霊をお慰めする祭儀が執り行われます。 

 また,みこし振りや青森ねぶた,特別献華展,各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか,光に包まれた参道で催される盆踊りや,夜店の光景は,昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。
 註記)https://www.yasukuni.or.jp/schedule/saiji.html

 「みたままつり」は,日本古来の信仰にちなみ昭和22年に始まったと書いているが,これは二重の意味で虚偽である。

 靖国神社は,通常いわれる神社神道教派神道・民俗神道などといった「古来から存在してきた神道諸種の神道各派」とは,まったく別物の神社であった。神道の名を冠してはいるものの,官軍・勝利のための神社の性格をもたされたものは,明治以前には日本のどこにも存在していなかった。

 その関連でいえば「日本古来の信仰」とは異質の神道信仰をかかげているのが,この靖国神社の本質である。『明治謹製』のこの神社をとらえて “日本古来” と形容したのは,偽称の行為もはなはだしい。

 「みたままつり」に関しては,靖国神社のあり方にふさわしくないとして,一時期,中断されていたある〈出来事〉があった。そもそもこのみたままつりは,敗戦後,国営の枠組を強制的にはずされたために,靖国神社がその他もろもろの神社と同じに,神社じたいとして「自社の生き残りのため」に,はじめた行事である。

 つまり,「みたままつりの献灯は,英霊への感謝と平和な世の実現を願って掲げられるもので,どなたでも申し込むことができます」と,靖国神社側はきれいごとの文句を口上して,自社の神道的な宗教理念を謳ってはいても,実際に「みたままつり」を開催している期間中には,つぎのような問題も起きていた。

   ◆ 九段・靖国神社「みたままつり」夜店中止!  苦情殺到・・・ゴミ,酔っ払い,騒音 ◆
 =『J-CASTニュース』2015/7/14 15:26,https://www.j-cast.com/tv/2015/07/14240150.html?p=all


 東京・九段の靖国神社の「みたままつり」がきのう13日(2015年7月)から始まったが,ちょっとした異変が起きている。神輿や盆踊りの光景は変わりないが,夜店の出店が中止されたのだ。

 「寂しいです」「イカのゲソ焼きを食べたかったのに」「いえ,参拝しやすいので賛成」

 神社では理由について「近年,予想を超える人出により,さまざまな問題が発生しており,その解決に向けて当分の間,夜店の出店を見合わせる事といたしました」と説明している。 

 

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 出所)https://blog.goo.ne.jp/eh2gt72w/e/b22015ff495c3e55908e7e2a6f7db36a

 補注1)この写真がどこから本殿に向けて撮影されたものかについては,つぎの靖国神社の敷地案内図を参照されたい。

 ⇒ 境内案内図|靖國神社

 補注2)参考にまで上の写真から露店(出店)のない状態に相当する画像も出しておく。 

  

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 出所)下掲『週刊東洋経済』より。

 

 要するに,大勢の人がやって来て,ゴミを放置したり,夜遅くまで酒を飲んで騒いだり喧嘩をしたりする。若い女性からは「しつこくナンパされる」といった声もある。近所から苦情も出て,やむなく中止したという。

 みたままつりは戦没者を慰霊する夏まつりとして敗戦後の1947年から開催されている。夜店も200店舗が出店し,4日間で約30万人が来る。今年はどうか。祭りに来た人に聞くと,「にぎやかな方がいい」「寂しいです」「イカのゲソ焼きを食べたかったのに」という人もいれば,「安心して歩ける」「参拝しやすい」という人もいる。

 いまから4年前の夏における靖国神社の「みたままつり」という祭事のときも話題になっていたこのような風景は,斉藤利彦『「誉れの子」と戦争-愛国プロパガンダと子どもたち-』2019年7月の論じた内容とは縁もゆかりもないものであった。それは,敗戦後において靖国側が自社のサバイバルの方途を確保するために始めた,「神社の営業政策の一環」としての「露店(出店)の許可」であった。

 「英霊」の存在に対して「みたままつり」を,じかに,この靖国神社境内において並べて観察してみるとき,これらの共存はいかにも不自然な光景に映る。もとより「敗戦以前の感覚」だけをもって,その風景を時代錯誤だというのもおかしい。けれども,21世紀のいまになっても,まだまだ “ヘンテコな印象” を少しも回避できない点も,また確かだというほかない。

 なんといっても,英霊たちが鎮座している本殿に連なる通路(参道)の両わきに出店した夜店(露店)で「イカのげそ焼き」を『食べたい』などといわれているのだから,この神社内における風景として観るとき,神妙(?)な気持ながらも,同時にまた,実に珍妙な気分にもなりうる。

 補注)なお,靖国神社側は,2018年のみたままつりからは夜店の出店を許し,再開させている。

 ただし,以上の感想は「21世紀の現時点」から「20世紀の1945年8月以前」までを回顧しつつ,あえて両期間を比較しながら述べてみたものである。「みたままつり」が開催されている期間,露店(出店)が「イカのげそ焼き」でもなんでもいいから,大いに稼いでもらいながら,ショバ代がえられないと困る「靖国神社」側の内部事情が控えていた。

 ついでに,つぎの記事も紹介しておきたい。

  ★ 収益拡大,若年層取り込みに躍起 戦争世代減少で細る収入 靖国神社は生き残れるか ★
   =『週刊東洋経済』2018年9月1日号,https://premium.toyokeizai.net/articles/-/18703

 

 靖国神社の懐事情が厳しさを増している。機関誌『靖国』に毎年掲載される決算報告によると,収入の屋台骨である「会費」の減少が止まらない。普通の神社とは違って靖国神社には氏子がいない。代わりに神社の運営は,戦没者遺族などで構成される1口3000円からの会員組織(崇敬奉賛会)に支えられてきた。

 

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 その崇敬奉賛会の2017年度会員数は,10年前に比べて11%減った。10年前は約2億円あった会費収入も1.5億円に落ちこんだ。神社奉賛金(靖国神社への寄付金)も減少してきた。

 原因はやはり戦争世代(遺族・戦友)の退会だ。機関誌に「(死亡による)退会のご連絡をいただくたびに,ご家族に引き継ぎをお願いしているが,なかなかに難しい状況である」と,つづられたこともある。 

 「普通の神社」とは基本的に性格を違えていたこの靖国神社の戦争と深いつながりをもつ特徴は,はたして,この国の市民たちにまともに理解されているか? 上述に書かれている事情のうち「戦争世代(遺族・戦友)」とは,いったい誰たちのことを指しているのか?

 斉藤利彦がとりあげた「誉れの子」たちは,いま生きていても80歳代を越えて90歳代になっている。したがって,実際に連絡がとれて接触できた彼らは,ごく少数例であったという。

 かつて,陸海軍の国営神社であった靖国神社である。「英霊とされた死霊のための宗教施設」は,敗戦したのちのこの国家体制のなかでは,現実的な話として「サバイバルしていくこと」じたいが,徐々にしんどくなっている時期に差しかかっている。 

 靖国神社は「氏子(なんぞ)は置かない神社だ」。つまり,そのへんの「平民のための神社」などでは〔いまでも〕ないぞ,なんといっても昔は,天皇陛下じきじきになる,帝国将兵戦没者を慰霊し,戦勝を祈願するための施設であったのだ,という過去からのゆるぎない由来を有する。 

 その点からして,そして現在になってもまだ,その由来であった国家全体主義性が,宗教法人化したはずである靖国神社の「宗教組織としての行動様式」を制約しつづけている。しかし,靖国神社の最大・唯一の存在理由であった「戦争に勝利するための,いわば官軍的な神社としての基本性格」は,いまでは完全に反故になっている。

 それゆえ,この靖国神社はその存在理由からしてどだい,常時,矛盾の真っただ中にいさせられている。すなわち,現在となってはいつもさまようほかない根幹での性格をもっており,いうなれば「日本の神社」としてはきわめて特異であり,例外的に異端の神社であるという意味からしても,基本的には『異様なまで畸型である』とみなされるほかない「宿命」までを背負って生まれたのが,靖国神社であった。

 つまり,日本の神社史において特異な特徴を背負っている靖国神社である事実は,この神社にかかわるすべての行動様式に対して軍国主義性およびファシズム性を付与している。その意味でも「みたままつり」は,いわば「鎧の上にまとわれた浴衣」とでも表現したらよい。

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