大日本帝国の敗北後,昭和天皇の延命のために「沖縄の全面的な米軍基地化」が維持されてきた事情

      こんな日本に誰がした:米軍基地と天皇裕仁

              (2017年1月17日更新,2010年5月24日)

 

  要点:1 昭和無責任男=「天皇裕仁の遺産」としての沖縄問題

  要点:2 沖縄は捨て石であり要石である(鹿野政直) 

 

  今朝〔2010年5月24日〕の報道 

 『日経主要ニュースメール 5/23 夜版』が当方あてに,昨〔2010年5月23日〕夜午後10時台に配信されていた。この内容:主文を紹介する。

   ☆ 首相,辺野古」に普天間移設 社民,沖縄強く反発 ☆

 

 鳩山由紀夫首相は23日,沖縄県を再訪問し,米軍普天間基地移設問題をめぐって仲井真弘多知事,稲嶺進名護市長らと会談した。首相は名護市の辺野古付近に移設する方針を初めて地元に伝え,県外移設の公約を守れなかったことを陳謝,ヘリ部隊の訓練の一部を県外に移す考えも示した。知事は「大変遺憾だ。極めて厳しい」と強調,社民党も強く反発しており,混乱は続きそうだ。

 本日〔2010年5月24日〕に配達された朝刊は「首相『辺野古付近』『ヘリ部隊切り離し断念』沖縄知事に」という見出しで,つぎのように報道している。

 鳩山由紀夫首相は23日,仲井真弘多(なかいま・ひろかず)・沖縄県知事と県庁で会談し,米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設問題について,名護市辺野古周辺の海域に代替滑走路を建設する考えを初めて表明した。さらに「『できる限り県外』という言葉を守れなかったことを,心からおわび申し上げたい」と陳謝した。 

 仲井真知事は「大変遺憾で,極めて厳しい」と述べ,辺野古への移設は困難という考えを示した。社民党も強く反発。地元,連立与党,米国が合意できる移設先を5月末に決めるという首相の約束は守れないことが明確になり,首相の政治責任が厳しく問われる事態となった。

 日米両政府は「辺野古周辺」を移設先として明記する両国の外務・防衛担当相(2プラス2)による共同声明を月内に発表する方針だ。その場合,社民党が連立政権からの離脱に踏み切るかどうかが政権運営の焦点となる。 

 移設先とされた名護市の稲嶺進市長も,23日の首相との会談で「県民や名護市民への裏切りだ。到底受け入れられず,断固反対だ」と述べた。

 仲井真知事との会談で,首相は「辺野古付近にお願いせざるを得ない。断腸の思いで下した結論だ」と述べた。その上で「ヘリコプター部隊を切り離して移設すると,海兵隊の機能を大きく損なう」として,ヘリ部隊の一部を県外に出すことも断念し,普天間全体を辺野古に移す方針をはっきりさせた。

 工法や詳細な建設場所の調整はこれからだが,自民党政権時代に米国と合意した現行案にほぼ戻ることになる。地元の反発で工事に着手できず,市街地の真ん中にある普天間飛行場を使い続けなければならなくなる可能性も高い。

 首相は辺野古周辺への移設を決めた理由として「昨今の朝鮮半島情勢から分かるように,東アジアの安全保障環境に不確実性がかなり残っている」と指摘。「海兵隊を含む在日米軍全体の抑止力を現時点で低下させてはならない」と述べた。韓国の哨戒艦北朝鮮の魚雷で爆破された事件を念頭に置いた発言だ。

 首相は,沖縄の負担を軽減するために,米軍の訓練の県外移転を進める考えも強調した。しかし,移転先については「27日の全国知事会で協力をお願いしたい」と述べるにとどめ,鹿児島県・徳之島などの具体的な地名は示さなかった。同意をえられるメドが立たないためとみられる。
 注記)http://www.asahi.com/politics /update/0523/TKY201005230078.html  2010年5月23日22時35分配信。

 この新聞報道のような事態の変化がなぜ,生じていたかについては,いま〔2019年〕となれば,かなり簡単に説明できる。それは,アメリカ国防総省などの意向に真っ向から逆らった鳩山由紀夫首相の気持が,日本国外務省のアメリカン・スクールという徒党集団によって踏み潰されたという事実を充てれば,いともたやすく説明できるのであった。

 日本国首相の相手が,とくに米軍基地の問題になると,アメリカの国務省国防総省を相手にするという以前の段階で,外務省の売国的な国家官僚集団によって攪乱・妨害される場合が多く,鳩山由紀夫首相はそれに完全に妨害されていた。

 

  こんな日本に誰がした-天下無双の無責任男:戦争責任・戦後責任から逃亡した昭和天皇- 

 つぎに,元早稲田大学教授鹿野政直の一文「沖縄の呻吟 本土が呼応を」〔『朝日新聞』2010年5月24日朝刊〕のなかには,前項の内容に関連するつぎのような記述があったことを紹介する。

 現在の「そういう〔日本側のアメリカに対する安保上の〕地位は,沖縄がまだ真の戦後を作り出しえていないという悲憤を醸成した。沖縄戦に当たって日本政府は沖縄を『捨て石』とした。占領した米軍は『要石』と位置づけた。いま日本政府が,その地にあらたな基地を作り提供するとなれば,それは沖縄を『捨て石+要石』の位置に置くことにほかならない」。

 かといって,沖縄県の米軍基地が自分たちの住む近所に移転してくることに対して,日本全国の各都道府県のどこもが「猛烈に大反対」している。日本国民はみな,沖縄県に米軍基地を押しつけた現状を,積極的にかえようとする気持をもっていない。

 沖縄県民が苦悩しつつかかえている米軍基地の,とくに事故発生・騒音問題・米軍兵士の犯罪問題などは,沖縄県以外にも日本全国に散在する米基地周辺の住民であれば共有・知悉している。その関連でいうと「自分たちの住む地域」にかぎっては絶対に「米軍基地」を受けいれないという姿勢は,いわば「住民エゴ」の発揮に類した対応でしかない。これでは,沖縄県がかかえる米軍基地の深刻な状況を,日本国全体の問題として解決する方向は打開できない。

 本ブログ(これはここでは「旧ブログの記述」のことになるが)で筆者は,なぜ沖縄県にばかり米軍基地が集中的に立地・配置されているのかについては,豊下楢彦『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』(岩波書店,1996年)などを参考文献にして説明してきた。

 以下の日付と内容で議論してきた(なお,本ブログ〔新ブログ〕にまだ復活させていない記述は,後日,順次に再録していくつもりである)。

  ◇-1「2010.5.5」,主題「昭和天皇,戦後『内奏』政治」,副題1「はりぼてになりたくなかった天皇裕仁」,副題2「日本『帝国幻想』にこだわったヒロヒト天皇の生きざま」

  ◇-2「2010.1.27」,主題「日本国憲法天皇制が残された事情」,副題1「闇取引的な裏交渉がマック(アメリカ)と裕仁(個人)とのあいだでなされていた歴史の事実を論じる」,副題2「自己保身に長けた昭和天皇の記録:かつての臣民・赤子を踏みつけにし,自分ばかりがうまく生き延びてきたつもりの男の,バレてしまった悪あがき的な画策」

  ◇-3「2009.12.25」,主題「書評:猪瀬直樹ジミーの誕生日』2009 年11月」,副題1「羊頭狗肉的な書名で本を売る」,副題2「タマネギにも多少の芯はあった書物として読む」。

  ◇-4「2008.9.14」,主題「昭和天皇マッカーサー」,副題1「昭和天皇像の真実」,副題2「豊下楢彦昭和天皇マッカーサー会見』岩波文庫,2008年7月」

  ◇-5「2008.3.16」,主題「戦争は自然現象も否定する」,副題1「国力なき戦争指導」,副題2「夜郎自大の帝国陸海軍-自然現象にも敗けた国-」 

 また,関連する研究成果が公刊されていたので,以下に主な著書を挙げておきたい。

  豊下楢彦『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』岩波書店,1996年。

  進藤栄一『分割された領土-もうひとつの戦後史-』岩波書店,2002年。

  豊下楢彦昭和天皇マッカーサー会見』岩波書店,2008年。

  同 『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』岩波書店,2015年。

 上記した著書は,沖縄戦で守備隊が全滅する前日の昭和20年6月22日までにおいて,「天皇やその側近グループにあっては,沖縄は 一貫して本土防衛あるいは『国体護持』のための “手段” であり, “捨て石” と見なされてきた」と,論断している(ここではとくに,豊下『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』225頁 参照)

 現在(この記述がなされていた2010年5月の時点で),2009年9月に新しく政権に就いた民主党が「沖縄県の米軍基地」問題で,四苦八苦の状況に追いこまれている。この問題は,敗戦後から今日までの「歴史的な経緯に鑑みれば必然的ななりゆき」と形容されてもいい中身をかかえこんできている。

 その意味でいえば,沖縄県は,敗戦後においても「天皇一家がうまく延命するための手段」に利用されたがために,「事後(いうなれば最後の最後?)にまで引きずるほかない特定の因果」のなかに呪縛されている。すなわち,沖縄県は「アメリカに投げ与えられた犠牲」であり,つまり捨て石であったのである。

 ところで『地元紙で識るオキナワ』(2012年03月16日)というブログは,「『捨て石』も削除されたら沖縄戦が見えなくなる」「あれだけの数の沖縄の民間人がどうして死ななければならなかったのか?」という見出しをかかげて論じるさい,当該の『琉球新報』記事を画像で出していた。

 アメリカにとって Okinawa が「世界軍事戦略上において《要石》としての役割」を果たしているかぎり,そんな簡単には手放せる土地(植民地的な専有空間としての米軍基地)ではない。天皇裕仁は敗戦直後,アメリカ帝国の意をよく汲んだ賢い旧日本帝国の「名君=敗軍の将」であった。その代償として昭和天皇に付与された日本国における地位が,ほかならぬ「象徴天皇」であった。

 

  大日本帝国大元帥から,民主主義の頭上に居すわる人間「象徴天皇」への,みえすいた大変身 

 1) 天皇ヨイショ用の「宮内庁御用達の記者たち」

 つぎにかかげる画像をみてほしい。これはあるとき,本ブログ筆者が古本を購入したところ,この「昭和天皇」関係の書物のなかにはさみこんであった新聞記事のスクラップである。

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 この記事の日付は,1947年5月3日(『毎日新聞』)と思われる。現在,ネット上で確認できる当日『毎日新聞』(http://showa.mainichi.jp/news/1947/05/post-303c.html)の実際の紙面とは相違があるが,こちらの記事のなかには「本社記者記」とあるので,そう判断しておく。

 実は,この写真そのものは「1946年11月3日に交付された日本国憲法」「公布文の上諭に毛筆で署名する昭和天皇」として,『毎日新聞』に掲載されたものである。したがって,1947年5月3日ではなく,1946年11月3日(日本国憲法公布の日付)の時点ですでに準備され提供されていたと思われ,1947年5月3日(施行の日付)のこの記事にも使用されることになった写真だと推測しておく。

 前掲画像での記事の見出しは「素朴さむき出し 気どらぬ天皇陛下-新憲法に署名される天皇陛下- 藤樫本社記者記」などとある。「陛下と偶然出会い・・・」というくだりは,いうなれば,いつもの手を使い「演出されたウソの場面=創られた舞台」を,描いたもの(記事)であった。ここではくわしい事情説明はしないが,その事実はのちに藤樫準二毎日新聞社記者)たちが告白していたことからも確認できている。

 日本国憲法はその年の5月3日に施行されたが,公布は前年の11月3日であった。ここに登場した毎日新聞の記者藤樫準二は,かつては生き神様であった天皇裕仁を「ふつうの人間天皇」に化粧直し,より正確にいえば “どんでん返し” するために,新聞記者の1人として,それはもう一生懸命に,いいかえると滅私奉公の努力を最大限に傾注してきた人物である。のちに,藤樫が「天皇から勲章を授賞された」ゆえんである。

 敗戦後における政治過程において,藤樫準二毎日新聞),小野 昇(読売新聞),田中 徳(共同通信社)ら,主要紙などの宮内庁御用達の新聞記者たちが,それはもう必死になって熱心に,昭和天皇擁護=生き残り戦略のための「言論・弘報係を務めた」のであった。

 敗戦後に創られた日本国「象徴天皇制」に関する学術的な解明に関しては,以下の文献〔ここでは2010年代の著作7冊を挙げておく〕がある。このなかから,本ブログがまだとりあげていなかった,☆-3の河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』(講談社,2010年)から引用する。あれこれ引用・紹介したい箇所がたくさんあるけれども,禁欲して3カ所のみにしておく。

  ☆-1 五十嵐暁郎編『象徴天皇の現在-政治・文化・宗教の視点から-』世織書房,2008年。

  ☆-2 冨永 望『象徴天皇制の形成と定着』思文閣出版,2010 年。

  ☆-3 河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』講談社,2010年。

  ☆-4 河西秀哉編『戦後史のなかの象徴天皇制』吉田書店,2013年。

  ☆-5 茶谷誠一象徴天皇制の成立-昭和天皇と宮中の「葛藤」-』NHK出版,2017年。

  ☆-6 河西秀哉『近代天皇制から象徴天皇制は-「象徴」への道程-』吉田書店,2018年。

  ☆-7 岩井忠熊・廣岩近広『象徴でなかった天皇-明治史にみる統治と戦争の原理-』藤原書店,2019年。

  話は,現在の平成天皇が皇太子明仁であった時代,つまり敗戦直後において「皇室が追いつめられ,切迫していた事情」を絡めたものである。この点に留意して読んでほしい。

   イ) 戦争の記憶が残存する昭和天皇では「新生日本」にふさわしくない。そのまま在位しつづければ,民衆に対する責任を果たしていないと捉えられるおそれもある。マスコミは皇太子を「新生日本」のホープとして大々的に取り上げた。そしてそれが前提となって退位論が浮上する。

 講和条約期の退位論の多くが明仁皇太子の登場と期待を前提にして主張されており,象徴天皇制天皇条の展開過程において,皇太子に期待をこめて積極的に報道したマスコミの影響は大きかった(河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』講談社,2010年,146頁)

   ロ) 皇太子に留まらず,天皇は元々民主主義の信奉者であったというイメージまでもが展開されるようになった。天皇を「民主」的な存在としてとらえ,社会状況や天皇周辺の人々が天皇の「民主」的な態度を阻んだから戦争に突入してしまったという考え。それはまさに敗戦直後より継続する天皇擁護の論理と通底する(162頁)

   ハ) 外遊では皇太子を媒介として,我が子を心配するやさしい父親として天皇像が形成されていったことは注目される。民主主義者・理想の父親としての新たな象徴天皇像が,この皇太子外遊を通すことで創り出された。「文化平和国家」としての国際復帰のためには,日本は戦争イメージからの脱却が不可欠であった。だからこそ象徴となった天皇大元帥像も戦前とは転換させられる必要があった(163頁)

 以上の説明に関しては,こういう付記も添えておく価値がありそうである。

 敗戦後,天皇制を維持するために宮内当局は積極的に皇室記者を活用する。皇室記者の側でも天皇制の「民主的」な側面を積極的に描き「象徴」へと変化した天皇制のイメージ形成に貢献することになる。

 宮内官僚とマスメディアの共同作業は,戦後巡幸,女性皇族のイメージ形成,美智子妃ブームなどでも同様にみられた。しかしながら,宮内庁はしだいに皇族の露出過多には過敏になっていき,開かれた皇室を求めるマスメディアの意図と対立する場面も生じるようになった。
 註記)https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24520772/

 2) 親分となったアメリカの,いまも依然いいなりの「日本国」 

 はたして,敗戦後は「民主主義と自由」のもと,平和の国家に移行したはずの日本は,裕仁天皇にまとわりついていた〈その戦争イメージ〉を完全に脱却させえていたのか? そうではなかった。この国家の頭上全体におおいかぶさるかのように軍事占領している,そしていまもなお,そのように日本に対して「プレゼンス=居すわっている軍事国家」が,すなわちアメリカ合衆国である。

 本ブログの筆者は重ねて述べてきたが,敗戦を機に日本国の象徴天皇に変身したつもりの裕仁は,憲法第9条=交換条件によってアメリカの人質のような存在になっていた。日本全国に配置されている各米軍基地は,治外法権というよりはあたかも,アメリカ合衆国の一地域である様相を呈して占有されている。なかでも沖縄県にある米軍基地は,日本の戦後がいまだに終わっていない状態を「象徴的に表現」している。

 豊下楢彦『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』1996年は,昭和天皇のいわゆる「沖縄に関するメッセージ」を論究しているが,その元の文書をあらためて紹介する。

 a)  1947年9月22日付シーボルト連合国最高司令官政治顧問からマーシャル国務長官宛て書簡:「琉球諸島の将来に関する天皇の見解」(Emperor of Japan’s Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.)。

 b) 1947年9月20日シーボルト作成「マッカーサー元帥のための覚書」(Memorandum for: General MacArthur)。

 これらの文書は,米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解(天皇メッセージ)をまとめたもので,いずれも宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルトに伝えられた内容の記録であり,内容は概ね以下の通りである。

  (1)   米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

  (2)   (1)  の占領は,日本の主権を残したままでの長期租借によるべき。

  (3)   (1)  の手続は,米国と日本の二国間条約によるべき。

 この文書によると天皇は,米国による沖縄占領は日米双方に利し,共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。1979年にこの文書が発見されると,象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めた。 

 こうした天皇メッセージをめぐっては,日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする説や,長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという説などがあり,その意図や政治的・外交的影響についてなお論争がある。
 注記)http://www.archives.pref.okinawa.jp/guide/newarrivals/2007 /2007U012.html

 

  日本国の沖縄県アメリカに売り渡していた天皇裕仁 

 昭和天皇の「意図や政治的・外交的影響についてなお論争がある」にせよ,この人間は自分の個人的な利害を絶対的な基準にして,日本国沖縄県アメリカに人身御供のように「売り渡した」のである。この政治的行為が〈象徴天皇〉の地位,つまり日本国憲法第1条から第8条に規定された彼の地位に反するどころか,完全に逸脱した不法〔無法〕行為であった事実は,否定しようもない歴史の一コマであった。

 1945年8月を境に,昭和天皇が民主主義を突如「理解できる」ようになったという事実はない。このような議論の次元とはことごとく〈別の世界観〉において宮廷の生活をしていたのが,昭和の時代における〈彼=天皇裕仁の生きざま〉であった。一言でいってのければ,実は「彼も,ただの利己主義者」であったに過ぎない。ちまたに,いくらでもいる,われわれと寸分も違わない,等身大の「彼をありのあままに理解」しておく余地がある。

 --本日〔ここでは2010年5月24日〕の『日本経済新聞』「社説」は「日米同盟の役割に国民的な理解求めよ」と題して,こう主張していた。けれども,これでは,それ以上になにか具体策を建議できていたかといえば,なにもなかった。鳩山の主張をただ責めていただけであった。しかも,ひたすらアメリカ側の都合・利益を代弁する論旨になっていた。

 鳩山政権は沖縄にいる米海兵隊が日本やアジアの安全保障にどのような役割を果たしているのか,ていねいに説き,ねばり強く,沖縄の理解を求めていくしかない。朝鮮半島では韓国哨戒艦の沈没事件で緊張が高まっている。東シナ海などでは中国軍の行動も活発になっている。これらの火種を考えると,距離的に近い沖縄から米海兵隊を撤収させるのは難しいのが現実だ。

 首相はようやく抑止力の必要性に気づいたようだが,こうした実情をきちんと説明しなければならない。政府と沖縄県の協議の枠組みを整えて,対話を深めることも検討してほしい。だが,こうした努力は沖縄の理解を得るための最初の一歩にすぎない。より重要なことは,沖縄県民以外の国民も在日米軍が日本の安保に欠かせないという認識を共有し,沖縄の負担を極力,分かち合っていく姿勢を持つことだ。

 米側も普天間基地での一部の訓練などについては,県外移転の検討に応じる構えをみせている。このほかにも,沖縄の米軍基地の機能のうち,県外に移せるものがないかを米側と精査し,あるとすれば,他県が積極的に受け入れに動くべきだ。

 いまもなお,米軍基地の存在に「呻吟」させられつづけている「沖縄」に対して,「本土が」そして「日本国民」が,これまでどのように「呼応」してきたのか? どこまでも他人事〔=他県事〕ではなかったか?

 「言うは易し行うは難し」である。沖縄県の米軍基地を代替して「積極的に受けいれる」「他県」などない。財界新聞(『日本経済新聞』の代名詞的な別名)がそのように強説したところで,変化が生まれるという兆候が期待できるのか?

 補注)このブログの記述が書かれてからすでに9年以上の時間が経過した。前段に引用した『日本経済新聞』の社説は「米側も普天間基地での一部の訓練などについては,県外移転の検討に応じる構えをみせている」し,「このほかにも,沖縄の米軍基地の機能のうち,県外に移せるものがないかを米側と精査し,あるとすれば,他県が積極的に受け入れに動くべきだ」と主張していた。だが,現在〔2019年12月の時点〕に至ってみれば,県外移転という方途はなくなっていた。

 たとえば『日本経済新聞』2019年12月14日夕刊には,「辺野古,見えぬ先行き  土砂投入1年 」「『今からでも移設中止を』長引く工事『早く進めて』」と,わけのわからぬ〈見出し〉を出した記事が掲載されていた。要は,辺野古のほうにいまの普天間基地を移設するためにおこなっている辺野古埋め立て工事は,政府が約3年8ヵ月の工期を予定しているのに対して,沖縄県側は独自の計算として13年かかると反発している。

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 なんといっても,現時点〔2019年12月段階〕において,辺野古基地を建設するために必要な沿岸地域埋立工事については,それに必要な土砂の 1.1%しかまだ投入されていないなどと,とうてい理解しがたい進捗状況に留まっている。敗戦した日本は,沖縄県だけではないが,米軍に重要な基地を多数提供している。いずれにせよ,普天間基地の移設工事をおこなっている辺野古埋立工事「土砂投入率」が1%台というのは,とてつもなく少ない数字である。

【参考記事】

 ちなみ『ゴミ売り新聞』(読売新聞というアベ用の腰巾着新聞社)は,この記述をおこなった翌日〔12月15日〕の社説で,つぎのような「目茶苦茶のヘリクツ」だけの論説(?)社説を書いたと批判されている。さすがにここまで「デタラメのいい加減」を書いたなれば,あまりにも露骨なアベ政権御用達機能の発揮が過ぎて,ほとんど自家中毒状態。


     辺野古工事の遅れを反対派妨害のせいにした読売の社説 ◆
   =『天木直人のブログ』2019-12-15,http://kenpo9.com/archives/6408

 

 工事強行から1年がたっても辺野古の土砂投入が1%しか進んでいないことは,やはり安倍政権にとって頭痛の種とみえて,安倍政権の代弁メディアである読売新聞が今日12月15日の社説で憂えていた。

 沖縄の負担減に向けて辺野古移設を着実に進めよと。噴飯物の社説だ。そもそも,普天間基地の危険性除去は,それじたいが単独で,一刻もはやく解決されなくてはならない問題なのだ。

 かつて普天間基地をはじめておとずれたラムズフェルド米国防長官が,こんな危険な基地はないと絶句していたほどなのだ。それを,米軍の新飛行場建設(辺野古工事)という米軍基地強化とリンクして,政府はごまかしてきた。

 辺野古新基地建設が実現しないかぎり,沖縄の負担軽減(危険性の除去)は無理だと世論を脅かしてきた。その嘘をくり返すこの読売の社説は噴飯物である。

  補注)アベ政権が嘘を売り物にする政府であるとすれば,『読売新聞』は嘘を訴えるための論説を,このアベのために書く新聞紙。

 

 しかし,この読売の社説の噴飯なところはそれだけではない。あたかも辺野古工事の土砂投入が,反対デモによる工事妨害にあるとばかりつぎのように書いている。

 「・・・投入された土砂量は,代替施設の完了に必要な量の1%だ。工事が順調に進んでいるとはいえない。辺野古周辺では,反対派が道路に座りこみ,資材を積んだトラックの通行を妨害している。海からカヌーで海域に侵入するケースもある。恒常的な抗議活動が,作業の遅れにつながっていよう・・・」

 工事の困難さを,反対活動の妨害のせいにして問題をすり変えている噴飯物の社説だ。いいだろう。ならば工事に反対する沖縄県民は,今後とも反対活動を続けていけばいいだけの話だ。

 工事に反対する国民は,反対活動に参加し,あるいは支援しつづければいいだけの話だ。反対活動が辺野古を阻止し,反対活動が正しいことが証明される日が,そのうち必ず来るということである。

 沖縄県は,日本が1945年8月〔9月〕に敗戦する数ヶ月前から,実質的に米軍基地が置かれていた。だが,いまや2019年12月になっても,これから長期間をかけて新しい基地を,しかもこれは移設用だとはいえ工事中である。この基地が完成したら,米軍は今後も,いったい何十何年にわたり,そこ(沖縄県全体)に居続けるつもりか? 途方もない話題になっているではないか。日本の外務省の連中は1世紀以上になっても,「喜んでオキナワの米軍基地」を提供していく発想しかないのか?

 話を戻そう。いま,沖縄県基地問題に関して「一番の歴史的な責任をもって」語るべき責任者は,裕仁天皇の子息=明仁天皇である〔そして令和天皇でもある〕。しかし,とくに平成の天皇は以前,父のように日本国憲法を破ることはしないと数度,別途に「国民に対して誓っていた」。平成天皇は,現状の枠組(戦後体制)のなかで,もっぱら皇室一族の地位・立場じたいを高揚させるべく日夜努力してきた「人間」である。ここには,父子(裕仁明仁の)間においてみいだせる顕著な相違点があった。

 --いま,この記述は,2017年1月17日に書いた中身を受けて,本日の2019年12月15日にさらに追加しながらおこなっている。本日(ここでは2017年1月17日のことだが)の『朝日新聞』朝刊1面の冒頭記事は,つぎのように報じていた。平成天皇は当時,ここまで来ていた。だが,沖縄県の米軍基地の位置は,依然「不動・不滅である」かのような風景でありつづけてきた。

   退位,衆参議長が与野党調整  会派の意見,個別聴取へ ◇

 

 衆参両院の正副議長は〔2017年1月〕16日,国会内で会談し,天皇陛下の退位に関する法整備のあり方を両院合同で検討することで合意した。退位について立法府が本格的な議論に着手したかたちで,20日から始まる通常国会中に各会派の代表者から個別に考え方を聞き取り,意見を集約。退位を実現する法整備をめざす。

 結局,天皇であったときの明仁が強く意識していたはずのオキナワ米軍基地問題は,いまもなお,その本質面において担わされている機能,つまり,アメリカのための軍用施設である基本性格の「なにひとつ」をも変えることができないでいる。という事実の経過を踏まえて,最後に参考にまで,こういう話題に言及しておく。

 中国の香港がイギリスに割譲されたのは,アヘン戦争後に締結された南京条約(1842年)によってであった。南京条約第3条は「清国皇帝陛下は英国女王陛下に香港を割譲し,英国女王陛下およびその後継者は永久にこれを占有し,英国女王陛下の適当と認める法律・規則をもってこれを統治する」と書かれていた。だが,1997年7月1日にイギリスが香港の主権を中国に返還し,香港は中国の特別行政区となった」。その間,155年の年月が流れた。

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 註記)1953年4月,イギリスのエリザベス女王戴冠式に出席した皇太子時代の明仁。当時,学習院の大学生であったが,このために学業を長期間中断することになったため,卒業できなくなっていた。

 だが,オキナワにある米軍基地はともかく,はたして,あと何十何年経ったらなくなると予測できるのか? 日米安保条約は1年ごとに改約されうる軍事同盟関係であるけれども,実際におけるその核心部分に関する運用状態は,南京条約に勝るとも劣らない〈植民地支配法制〉として,頑強に継続されつつある。

 日本国の対米従属外交は,安保下の日米地位協定と日米合同委員会によって完全に統御され,牛耳られている。米政府は実質的に日本総督府を有している。日本国の外務省は,アメリカのいいなりになる官庁のひとつであるが,このありようが自虐的な振るまいをもたらしている,という自覚が全然ない。自衛隊はいまや,アメリカ軍の下請け部隊である性格を本格的に表現しつつあるが,こちらは奉仕する相手を完全に間違えている軍隊組織である。

 安倍晋三君の「戦後レジームからの脱却」が,より具体的に「意味させられている実態」があった。それは,以上のごとき日米政治関係のなかでは,その脱却の成就がとうてい不可能事であったことである。社会科学の用語として《奴隷の言葉》というものがある。

 安倍晋三君の「戦後レジームからの脱却」ウンヌン(アベ流に森羅万象的に正しくはデンデン?)は,特定国の「奴隷である自分の立場・状況」を皆目意識できていない立場からする発言であった。それは,刑務所のなかに囚われている囚人が「オレはいま娑婆にいる,完全に自由の身なのだ」と錯覚して観念できる気分に,そっくりそのままに似ている。

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