皇族も首相も「寄り添う」というコトバを連発するけれども,その現実的な意味はどこにありうるのか

皇族が国民たちに対してしばしば「寄り添う」といい,政治家も盛んに「寄り添う」と発言しているけれども,いったいどうやって,それもどこの誰を相手にして具体的に「5W・1H」として実践しえているのか?

     
 要点:1 皇族が国民に寄り添うということばの意味は?
 要点:2 政治家・権力者たちが国民に寄り添うということばの意味は?
 要点:3 天皇天皇制研究からこの「寄り添う」ということばは,どのように議論されるのか? 


 「〈声〉「寄り添う」とは,台風被害で実感」朝日新聞』2019年12月16日朝刊8面「オピニオン」 

 『朝日新聞』のこの投書「声」欄へ寄稿した主は「フォトグラファー」(写真家のこと)の水野 修(宮城県,52歳)である。

 台風19号の直撃で実家が床上浸水を被った。80歳になる老父母ではとても対処できないので,せがれの私が帰省して半月ほど片付けをした。廃棄家具の搬出,床板外し,床下の泥運び出しと消毒。 

 しかし持病がある私ひとりの力ではどうにもならず,ボランティアの力をお借りした。遠く関西や関東から来援した方々には3度もお世話になり,父母は床板だけを残した6畳一間でなんとか暮らせるようになった。すべての部屋に床板を敷いて畳を入れるのは,年が明けてからになるという。

 母はボランティア活動に深く感謝しながらも,なぜ無償でこれだけの作業をしてくれるのか,いまだに不思議に思っている。私にとっても天佑(てんゆう)だった。もしボランティア活動がなければ,父母は悪臭を放つ泥に埋もれていまだ呻吟(しんぎん)していただろう。しかし,善意のボランティアにどこまで頼っていいのだろうか。被災地でのもっとも困難な作業は,「善意」に任せきりになっている。

 「寄り添う」といいながら行動は伴わず,身内には税金を湯水のように使い,おのれに利がないとしれば自助せよと切り捨てる。そんな寒々とした「棄民政策」を垣間みた気がした。 

 いうまでもないと思うが,この写真家に批難されているのは『稀代の悪代官的な〈総理大臣〉安倍晋三』である。アベ側がこの “写真家の問い” に,正面から応えられる為政をやっているかといえば「無であった」といっても,過言はない。

 なぜ,ボランティアがこの写真家の「水害を受けた実家を助けてくれた」をめぐる議論はさておき,それよりもなぜ,これほどまで「国や地方自治体はなにもしないでいられるのか(平気でいられるのか)」という強い疑問がわいてくる。

 北朝鮮から飛翔体と称されたことがあるミサイルが,日本の国土に落ちる可能性など億万分の1もなかった「過去の出来事」を思い起こしてみたい。政府は国民たちのなにを,どのように守るといっているのかしらぬが,このところ日本もで頻発している自然災害(ここでは水害)に対して,政府や地方自治体が「国民や住民を守る・助ける」という任務の仕事ぶりに関していうと,まるで無力に近い実例が多く記録されてきた。

 a) 安倍晋三様にご奉仕する新聞社として,ひとまず2流新聞を発行する『産経新聞』(別名「三K新聞」)は,いまから3年半ほど前の記事に,こういう見出しで報道していた。本文には触れずその見出しのみ紹介しておく。

 つまり,安倍晋三が「【東日本大震災5年】『被災者の心に寄り添う』 安倍首相,震災5年で決意」と発言したというのである(『産経ニュース』2016. 3.11 12:55 更新,https://www.sankei.com/politics/photos/160311/plt1603110019-p1.html

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 しかしながら,安倍晋三のこの発言はあくまで “発言をしただけだ” という性格のものであって,そのもつべき・発揮すべき「本来的な意味」は皆目ありえかったし,まったくのカラッポの結果であった。いわば,その放言だけでしかなかったし,さらにいえばリップサービスにもなりえなかった,いうなれば,完全に無責任に放たれていたその「寄り添う」発言であった。

 要は,安倍晋三の場合も特別の含意(なにかを国民・市民のために本気でやる:救済する気持)など,ほとんどなかった。この事実はたとえば,前段の写真家の実家が台風による水害に遭ったとき,国や地方地自体側がみせていた,いわば “タワケタその直後における対応” でも伝わってくるように,一目瞭然であった。ボランティアの人びとの助力がなければこの写真家の両親は,水害に見舞われた家を捨てるほかなかったはずである。 

 補注)以上の話題に関連させて,ここでは,清谷信一 : 軍事ジャーナリスト「日本人は防衛予算の正しい見方をわかってない 2020年度は『5.3兆円超』でなく6兆円前後に」『東洋経済 ONLINE』2019/11/14 5:00(https://toyokeizai.net/articles/-/313774?page=2)から,つぎの記述を引用しておく。

   ◆ 民主主義の根幹を揺るがす行為


 本〔2019〕年度においても概算要求額に事項要求や第2次補正予算の「お買い物予算」を足した金額が,実質的な防衛費である。

 政府は消費税引き上げの影響によるGDPの落ちこみを回避するために,本年度の補正予算を増やすだろう。恐らく「補正予算のお買い物予算」は4000億円を超えるのではないかと筆者はみている。そうであれば来年度の「2020年度の本当の防衛予算」も6兆円前後になってもおかしくない。

 このように防衛予算を3つに分割するのでは国民にわかりづらい。政府案に「事項要求」は含まれ,国会での議論は「来年度予算」と「当年の補正予算のお買い物予算」との2つに分かれて審議されるので一括して議論ができず,審議もまともにできるとはいえない。

 これは文民統制上も大きな問題である。政治による予算の管理は文民統制の根幹である。それが軽視されているといえるのだ。これは防衛省だけの問題ではない。ほかの省庁でも事項要求があり,事実上は補正予算が第2の予算と化している。

 防衛省の発表をテレビや新聞などの記者クラブはそのまま垂れ流している。とどのつまり,政府の防衛予算を安くみせる世論誘導に乗っかってしまっている側面もある。これらは財政規律を歪めるだけではなく,民主主義の根幹を揺るがす行為といえる。 

 安倍晋三は単に,口先だけで行動する人間の政治家であるというよりも,「ウソの基礎(政治)の上にウソの家(政権)を建てて,ウソの生活(為政)をやっている」とでも形容したらいいような,この国の総合的に(?)デタラメな運営しかできていない。

 もともとその程度の実力・能力しかもちあわせない「3流」の,しかも「世襲3代目の大▽カ政治屋」であった安倍晋三ゆえ,結局,私物化政治以外のなにもできないとでも理解するほかない。現状の日本政治は,第2次安倍政権を2012年12月26日を発足させてから,早7年を迎える時期に至っているが,この国の体たらくぶりといったら,いよいよ「佳境」に到達したかのごとき様相を鮮明にさせてもいるしだいである。

 b) 安倍晋三政権に向かってまだ多少は批判精神を維持できている『毎日新聞』は,2018年11月9日の「〈特集ワイド〉『沖縄に寄り添う』 安倍首相は言うけれど 不都合な『民意』は無視?」https://mainichi.jp/articles/20181109/dde/012/010/012000cと見出しをつけた記事を掲載していた。

 ところで,この記事本文のあとには,つぎのごときツイートによる批判的な意見がたくさんぶら下がって,表明されていた。なお,以下に紹介するツイートが公表された日時は2018年の11月と12月にかけてである。

 なお,本文だけ拾い,寄稿者名・住所(IDとアドレス)は割愛しておく。記述上,適当に補正したツイートもある。また,意味のどうしても汲みとりにくい1点は除いておいた。

  ※-1 とにかくこの方の言葉は軽い。軽すぎて誰ももう受け止めていない。拉致,人権,対話などなど。

  ※-2 〔沖縄〕県民に寄り添ってからの土砂投入

  ※-3 嘘つきシンゾー

  ※-4 この政権には「不都合な民意」と「都合の良い民意」があるらしい。都合の良い民意にしか興味がないのなら,国会も国民も要らない。それより先ず「そんな政治家は要らない」

  ※-5 「この政権にとって『民意』とは何か?」←簡単だよね,安倍政権にとって都合のいい「民意」が,こいつらにとっての「民意」。安倍は民主主義が嫌いで主権在民が許せない明治脳の人間。
  補注)そう,だから「戦後レジームからの脱却」を妄想してやまないでいたのが,安倍晋三君。

  ※-6 22年前の安倍さん立派:沖縄に「過度に基地が集中しているという現実」に政治家は「正面から向き合わなければならない」。「アメリカに自発的に基地を提供したということではなく,彼らは戦後…そのままずっと居座り続けている」〔といっていたわけだ!!!……〕

  ※-7  「『沖縄に寄り添う』〔と〕安倍首相はいうけれど,「あのころキミは若かった,というつもりはないが,若き安倍首相,こんなことを記していた」。『沖縄に,過度に基地が集中しているという現実には,やはりわれわれ政治家は,正面から向き合わなければならないと思います』。

  ※-8 元々は沖縄県から普天間について申し出があり最終的に辺野古で合意し工事に着工。 いまさら民意だとか反対だ中止といったら日本国の信用に関わる。 沖縄県は韓国と同じことをいってるよ。
  補注)この意見は片言隻句を採り上げたツイートである。沖縄県民の総意はこの指摘とはまったく逆であった。沖縄県関係の一部の動向をこのように針小棒大に曲解的にとらえなおして語るのは,間違えている。

  ※-9 民意の意味をこの人に問うても意味はない。自分ファーストだから。その意味ではトランプと同じだ。小選挙区を廃止して中選挙区大選挙区にしないと,いまからの,いやすでにそうなっているが,日本はダメになる一方ではないか。

  ※-10 自分勝手な民意? 安倍首相の辞書には「民意」という言葉はないようだ →「?」つけて逃げ道用意の記事読む気もしない。

  ※-11  (哲学者の高橋哲哉)「・・・民意というバックがあれば,本当は日本政府も米国と交渉できるはずです」,という。多くの人がそう考えている筈では ! ! 安倍政治が逆立ちしている図。
  補注)「民意」に「反意し翻意する」ことしかしらない,安倍晋三風の専制的独裁主義志向の政治体制が,現状における日本の政治,いいかえれば,アベの私物化政治として本流を占めている。このままでは「日本沈没」あるのみ……。

  ※-12 以下は記事から。「あのころキミは若かった,というつもりはないが,若き安倍首相,こんなことを記していた。『沖縄に,過度に基地が集中しているという現実には,やはりわれわれ政治家は,正面から向き合わなければならないと思います』」。
  補注)この段落は反復した内容の引用になっているが,アベ君のウソの典型的事例として,あえてくどくどと重ねつつ紹介した。

  ※-13 無能のアベ,沖縄の民意を無視し強行しても絶対に辺野古の基地はできない。
  補注)本ブログは,昨日〔2019年12月15日〕の記述で関連する事情に言及していた。こういうことであった。

  政府側は,辺野古の埋立工事を政府側は約3年8ヵ月といっていたのに対して,沖縄県側は13年かかると大きく差が開いているように,いわば,相互間において大きくことなった主張が展示されている。これは,米軍の「普天間基地を移設するためにおこなっている辺野古埋め立て工事」に関するみこみに関した “見解の相違点” であった。「21世紀における在日米軍基地の存在」は,軍事的な関心から観察してみるに,まるで日本は “アメリカへの実質的な租借地” を,いまだにたくさん,それも無期限で提供しつづける立場しかありえないごとくである。

  ※-14 「『本土』との対比で考えれば,沖縄は常に固定的なマイノリティー(少数者)です。民主主義が健全に機能するためには,政権交代のように,選挙や政策ごとに少数者と多数者が入れ替わることができなければいけませんが,『本土』と沖縄は違う」。

  ※-15 「沖縄に寄り添う」〔と〕安倍首相はいうけれど … 「沖縄に寄り添う」発言を政権は一切止めるべきだ。神奈川も埼玉も茨城も千葉も,もちろんその他の県も,国に「寄り添わ」れたことなどない。沖縄だけ特別扱いは沖縄の増長につながっている。
  補注)神奈川県には,米軍基地のなかでも非常に重要なものがたくさん点在している。つぎの表は,神奈川県のホームページが説明している「県内米軍基地の現状」(2019年11月21日)である。もう少しくわしくいうと,「神奈川県内に所在する12の米軍基地の面積や従業員数等の情報,基地所在地図等を掲載してい」る。

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  出所)https://www.pref.kanagawa.jp/docs/bz3/cnt/f4937/index.html

  このなかでも厚木海軍飛行場(市街地のなかに位置する)においてアメリカ軍用機が撒き散らす騒音問題は,長年裁判をつづけているが,いつになったらこの問題が解決(解消)するのかまったく見通しがつかないでいる。対米従属国家体制にある日本は,アメリカ軍(4軍)に対する敗戦後的な占領体制を実質的に維持したままに置かれているとみるほかない。

  ※-16 「安倍首相は国民を愛していないとしか思えない。民意といいますが,自分の考えに沿う民意にしか興味がない。憲法改正世論調査では『急ぐべきだ』なんて声は少ないのに,そこは顧みずに『改憲を求める声もある』なんていう。自分のために政治をやっているとしか思えません」

  ※-17 「沖縄に寄り添う」じゃなく,「トランプに寄り添う」が正解です。
  補注)というよりは,アベはトランプとのポーカー・ゲームにはまったく勝てないでいるだけの実際であった。これほどにまで,アメリカのいいなりの外交しかできない日本の首相も珍しい。大なり小なり,日本の首相はアメリカの手下・子分的な役目をもたざるをえなかったにせよ,そのなかでのアベは最低も最悪であった。 

  もちろん,トランプのほうにいわせれば,アベは最高に「いい奴」,つまり「できそこないのガキ」だが,なんでもオレのいうとおりに命令(指図)にしたがうナイスガイだといった程度のあつかいで,いままで来たに過ぎない。

 

 雅子さま,国民との距離を縮め心を通わせる『寄り添い方』」『NEWポストセブン』2019.03.11 06:00,SAPIO
    https://www.news-postseven.com/archives/20190311_872956.html
    https://www.news-postseven.com/archives/20190311_872956.html/2

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 〔2019年〕5月に皇后陛下になられる〔なっていた〕雅子妃殿下。ご体調は近年,劇的に回復しているが,その背景には皇后になられることへのご覚悟があるという。ジャーナリスト・友納尚子氏がレポートする。

 雅子妃はどのような皇后になられるのだろうか。近年の公務のご様子からそれをうかがいしることができる。 

 通常の行啓では,時間の関係で両殿下と会話ができるのは,代表者の何人と決まっていることが多い。しかし,皇太子ご夫妻は,代表者たちだけではなくうしろで見守っている人たちにもお声がけなさることがある。

 昨〔2017〕年9月,皇太子ご夫妻が福岡県を訪れた時,雅子妃ならではの国民との寄り添い方がみられた。福岡県内の医療型障害児入所施設では,訓練中の子どもだけではなく遠くから見守っていた母親に駆け寄られて,声をかけられた。

 翌日には九州北部豪雨の被災地の仮設住宅を訪れ,そこでも遠くから見守っていた被災者の方々のところまで歩み寄られて,言葉を交わされた。

 被災者から「お体に気を付けてくださいね。見守っていますから」「ご病気なのに来ていただいてありがとうございます。雅子さまもがんばってくださいね」と逆に励まされることもあり,たがいに困難を乗り越えようとしていることで距離が縮まり,心を通わせているようだった。

 さらに雅子妃が車椅子のご高齢の女性の冷えた手を包むように握られると,その上から皇太子も手を重ねられるという温かい場面もあった。

 皇室一家:皇族たちが「ご公務的に」行動するこの種の報道は,いつもこうした調子で「礼儀正しく,美しく,輝かしく,麗々しく,恩寵に満ちている」かのようになされる。天皇徳仁やその妻の雅子がこのように,国民たちに向けて差し向ける「寄り添う」という行動が,ともかく一生懸命になされていたからとしても,最初にとりあげたような「台風の水害によって家が濁流の被害に遭ってしまい,泥だらけになった老夫婦」を,直接に助けてくれるという経緯が生まれるわけがあるのではない。

 大昔であれば皇族,とくに天皇や皇后が下賜金をもってそうした被災者を見舞う行為はよくあったとはいえ,もう時代はまったく異なっている。現在の天皇夫婦がよくできることは,以上の場面にも表現されている種類の行動(パフォーマンス)に限定されている。平成天皇の時期,明仁夫婦が必死になって展開してきた「皇室戦略のあり方」が,例の「慰霊の旅」であった。それはいってみれば,昭和天皇大元帥時代の負の遺産に対する「なんらかの回復のための手当」を試みた行程を意味していた。

 いわゆる,広く国民たちに対して『寄り添う』のだという天皇一家の意思が表示されるための「それ」は,極論するまでもなく,たとえていえば確かに,誕生日に食べられるイチゴのデコレーション・ケーキのイチゴ一粒くらいの存在価値は発揮できている。が,それ以上の意味はありえず,あくまで,誰かに対してなのかはよくわからぬが,一定の象徴的な含意しか発揮できていない。

 皇族たちの「寄り添う」ためのご公務行為は,ひとまずこれじたいとしては好意に受けるわけだから,けっしてむげにできない政治的な問題であった。しかしながら,問題は,同じ「寄り添う」などと発言するさい,あたかも軽口をたたくかのようにして,しかも頻繁に発散させてきた安倍晋三風の発言方法がヨリ問題であった。

 本ブログ筆者に配信されている水島朝穂のメール・マガジン『直言』を参照する体裁で,つぎの ③ を記述してみる。本日の話題を的確に議論・批判していた。


 「権力者が『寄り添う』-安倍流統治言語-」 水島朝穂『直言』2018年12月3日,http://www.asaho.com/jpn/bkno/2018/1203.html 

 政治家の口から「寄り添う」という言葉が出るようになったのはいつごろだろうか。今回の「直言」はそこにこだわってみた。私〔水島〕は,政治家が「寄り添う」という言葉を使うと,どうも違和感を覚えてならない。「安全・安心」という言葉と同様,なにかを隠し,なにかをごまかすさいに,実に効果的な「曖昧ワード」であり,要注意である。

 早稲田大学図書館の蔵書検索(WINE)で「寄り添う」と検索すると,早大所蔵図書だけで 174件がヒットする。図書のタイトルも,「こころに寄り添う災害支援」「子どもの心に寄り添う」「死別の悲しみに寄り添う」等々,「寄り添う」主体と客体,その内容が明確である。主体は教師,看護士,介護福祉士,医療ソーシャルワーカーなどが多く,権力者である政治家が「寄り添う」というのとは違って,事柄の性質からみてもその言葉は不自然ではない。

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 では,政治家が使うと,なぜ「自然」ではないのか。

 ためしに「権力者・寄り添う」でクロス検索をかけてみると,ヒットするのは「小池百合子」である。なるほどと思う。「政党渡り鳥」(日本新党〔参比例→衆・旧兵庫2区〕→新進党〔兵庫6区〕→自由党→保守党→自民党〔衆比例→東京10区〕)といわれ,近年ではご存じ「都民ファーストの会」を経由して,「希望の党」を立ち上げて,野党第1党をぶっ壊した。

 小池同様,首相に「寄り添う」かたちでポストを獲得しようとうごめく女性政治家がやたらと目立つようになった目下,(「片山さつき」現象が独走常態〔北海道では「片山事件」があった〕)。なお,権力者に「寄り添う」ジャーナリストもいる(直言「メディア腐食の構造—首相と飯食う人々」参照)。たがいいに寄り添うこの2人は,メディア腐敗の象徴だろう。
 補注)「首相と飯食う人々」とは,東京・関東地区の新聞社の関係でいうと,まず『東京新聞』は除外した話題となる。この『東京新聞』以外の大手紙(ここでは『産経新聞』も入れておいて)は,すべて「メディア腐敗」の事例(好例)として,雁首を連ねている。

 ともかくも一言でいって,最近の新聞報道はまともな新聞紙でも,話半分程度にしか聞けない。それゆえ,あと半分は自分でネットで情報を収集するという方法をとり,自分なりにいつも努力して世の中の動向を把握する必要がある。

 報道機関の関係者は,権力者側の人びととは,たとえばホテル内の喫茶室でお茶(コーヒーとか紅茶,緑茶でも)を一杯飲むときでも,自腹で済ますべきであるのに,あの安倍晋三との豪華な晩餐にご相伴にあずかるようでは,これに1回でも付きあった者は「言論人としてはアウト,失格」である。ところが,言論人たち,それも大手紙や主要放送局の最高幹部たちが,嬉々として(多分そうだと思うが)安倍晋三とはたびたび贅沢な会食を重ねている。いわゆる,アベのための『スシ友』ということばまで造語されたほどである。

 「権力は腐敗する」のであり,長期政権になればなおさらその可能性は高まっていくのであり,「絶対的な権力であれば,なおさらのこと絶対に腐敗する」。この指摘にアベの政権が当てはまるかどうかなどは,いまごろ問うべき問題ではなくなっている。 

 安倍晋三は日本の近現代政治史上「最長の任期を誇る総理大臣」になっているものの,その割りに「挙げえた実績はどのくらい(?)」と問われても,確たるものはなにひとつ示せていなかった。ただし,日本の政治を悪化・失墜させた実績ならば,それこそ罪深くも非常にたくさんを挙げてきた。そのように完全に「負の評価」だけは,すでにたっぷり獲得できていた。

水島朝穂の記事に戻る→〕 では,上記の「権力者に寄り添う」ではなく,「権力者が寄り添う」について書いていこう。

 日本の最高権力者である内閣総理大臣が公に「寄り添う」という言葉を使うようになったのは,いつごろだろうか。今世紀に入ってからということで,小泉純一郎首相以降を調べてみた。すると,小泉首相は国会答弁で1回だけ使っていた。2006年5月17日の衆議院国家基本政策委員会合同審査会で,「現在,教育の基本的な責任は,どこにあると思いますか。」という質問に対する答弁である。

 内閣総理大臣小泉純一郎君) 「私は,基本的に親にあると思っているんです。まず親。親が子をかわいがらないで,どうして子供がしっかり育つでしょうか。私は,教育において,法律は大事でありますけれども,まず基本は,最初に,生まれた子に対してしっかり寄り添う。この教育の基本という言葉で私がすぐ思い出す言葉は,しっかり抱いて,そっとおろして,歩かせるという言葉であります。

 みられるとおり,親が子どもに寄り添うという本来の意味で使っている。これ以外にはない。その後,第1次安倍晋三内閣,福田康夫内閣,麻生太郎内閣,鳩山由紀夫内閣,菅 直人内閣まで,少なくとも衆参両院の本会議や各種委員会を検索してみたが,確認できなかった。

 〔ところが〕一気に使用頻度があがるのは,野田佳彦内閣からで,計21件もある。2011年9月27日の衆院予算委員会が最初で,ラストが2012年7月13日の参院本会議である。ほとんどが,「被災地に寄り添いながら」という使われ方をしている。

 東日本大震災以降,首相や閣僚,議員らが「寄り添う」という言葉を多用するようになった。メディアもそうである。NHKの「シリーズ東日本大震災 2015」は「傷ついた人に寄り添って」,「視点・論点」「シリーズ・東日本大震災5年 地域に寄り添う町づくり」(2016年)等々である。

 まもなく第2次安倍内閣発足から6年になる〔今日だと7年になるが〕。この間,安倍首相は,国会の答弁のなかで,「寄り添う」という言葉を何回使ったか。発言者「安倍晋三」,検索語「寄り添」で検索をかけてみると(「寄り添った」「寄り添い」などがあるから),107件がヒットした(〔ここでは2018年〕11月30日〔までの分を〕最終確認)

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 このあと水島朝穂は,沖縄県に対する安倍晋三の冷酷な姿勢を批判的に解説している。『琉球新報』2018年11月2日社説「辺野古工事再開 「寄り添う」とは真逆だ」は ,「国の強権」を批判している。「寄り添う」という言葉を多用しながら実は,沖縄に対しては冷たく「寄り切る」姿勢を続けてきた。朝日歌壇にも,「振興費 ちらつかせては 人心を 操ることを 寄り添ふと言ふ」三鷹市・山室咲子,『朝日新聞』2018年10月14日付)とあった。

 だが,同じアベが「トランプには,これ以上ないというくらいベタベタ,デレデレと『寄り添う』態度をとる」。「寄り添う」という言葉がここまで空虚な響きをもつに至ったのは不幸なことである。

 〔2018年〕8月10日,自民党総裁選に立候補を表明した石破 茂氏が,「正直で公正,そして,謙虚で丁寧な政治を作りたい」と述べたところ,党内から,安倍首相への個人攻撃だという声があがり,「正直・公正」というキャッチフレーズは封印されたという『朝日新聞』2018年8月25日付)。

 選挙で個人の資質を批判してなにが悪いのだろうか。

 安倍流「5つの統治手法」,すなわち「情報隠し,争点ぼかし,論点ずらし,友だち重視,異論つぶし」の全体を貫いているのが「前提くずし」である。「寄り添う」の多用は,そのことを象徴しているように思う。(水島の引用終わり)

 さて,安倍晋三風の「寄り添う」発言に比較することにしたら,皇族たちの国民に対する「寄り添う」という発言は,いったいどのように理解されればいいのか?

 この問題は天皇一家や皇族たちにかかわる性質上,とてもふんわりと,かなりやわらかに,いうなればほんのりと大事にテイネイにあつかわれている。けれども,本格的にその核心に迫ってする議論は,最近,聞いたことがない。安倍晋三の発言でする「寄り添う」ということばとは,けっして同類・同質ではない『なにか』,その「特定の問題」が伏在しているはずである。

 最近では名古屋大学の河西秀哉が,「象徴天皇制の問題史」に関する研究成果を著作にまとめて多く公刊しているけれども,以上に指摘した論点をまっこうから批判的=学問的という意味あいでは,本質に斬りこむような考察は必要かつ十分になしえていない。水島朝穂も同じであって,河西がとりあげている問題は,まだ主な関心からは外れている。

 天皇天皇制という政治問題の背景には,政治学者・憲法学者たちの学問的な立ち位置が根本からきびしく問われることになるほかない,ある種の特定の論点がまだ隠されている。

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