山口敬之が起こした伊藤詩織への「強制性交」事件,安倍晋三との腐れ縁がある腰巾着は,どんな行為をしても罰せられないのか(続・々)

山口敬之(アベ・トモ)元記者,伊藤詩織への強制性交(準強姦行為),民事裁判で完全敗訴(3)

  


 「〈声〉欄への投書:その1」「2019年2月11日」

 

 「加計問題究明『#MeToo』」と題されたこの投書は,頴川公一(無職,宮崎県 67歳)からであり, 『朝日新聞』2019年2月11日朝刊「声」欄に採用されていた。

 「加計問題 許せば社会ゆがむ」(1月30日)を読んだ。私も同感だ。「#MeToo」と叫びたい。あらためて振り返ると,安倍晋三首相をはじめ,首相秘書官,学園関係者の「さすがにそれはうそだろう」と思われる発言が飛びかい,政府は事実解明どころか覆い隠すのに必死であったと多くの国民は感じただろう。

 「加計ありき」の疑念が消えないなか,首相は「獣医学部の新設を1校だけに限定して特区を認めたが,こうした中途半端な妥協が結果として国民的な疑念を招く一因となった」と発言し,あきれるほかなかった。

 「腹心の友」の存在がありながら,あとになって「李下(りか)に冠を正さず」では,首相の頭のなかに国民の存在などなかったことの証明にしかならない。こんな状況が許されれば,社会はゆがむ。

 統計不正問題でもキーパーソンの官僚が更迭され,与党は当初,「現職ではない」との理由で国会招致を拒否していた。加計問題も含め,「すでに過去のこと」と終わらせてはならない。不公正を許さない私たち国民の結束が必要だ。その旗印として「#MeToo」の輪を広げ,現政権に迫る引き金としたい。

 さて,安倍晋三のヨイショ本を公刊した山口敬之は,こう人物像となって描写されている。

 安倍政権のスーパーヨイショ御用記者である元TBS社員山口敬之が,2013年,海外でジャーナリスト活動を展開する27歳女性(事件当時大学生)をレイプした疑惑で「準強姦」の逮捕状が発付され,あわや逮捕寸前という時に急展開, “逮捕取りやめ” が警視庁幹部の判断により下されたという記事である。

 ひとつ,山口氏は安倍政権の中心にいる御用ジャーナリスト(自民党の広告塔)で,当時TBSのワシントン局長を務める権力者であった。それゆえ,本来逮捕されるべきものがとり消された可能性があるということ。いわゆる揉み消し疑惑である。

 ふたつ,被害女性によると,山口氏は女性の酒に薬を仕こみ,寝ている女性をコンドームも装着せず,乳首から血が滲むほど乱暴にレイプしたという凶暴さ。(新潮の記事には,この点に関する山口氏の “驚くべきいいわけ” も掲載されているのでぜひ読んでみてほしい)

 みっつ,安倍政権は,山口氏の犯罪事実をしりつつ,いまだ重宝しつづけている可能性。そしてレイプ揉み消しに一役買っている疑惑である。

 編集部は,山口氏の逮捕揉み消しについては昨年から情報をキャッチしていたのだが,そこには新潮に書かれていない驚くべき “別の女性との追加不倫情報” があったのだ。以下,事情通の話である。(後略)
 註記)「女性にとって,山口敬之は鬼畜であり人間ではない!(『公営競技はどこへ行く』2019-02-02 05:13:58,https://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/7249d2dc446199f673b62e7dbff34f77

 以上の記述中で,山口敬之の被害者,伊藤詩織(1989年生まれ,29歳〔当時〕)は日本のフリージャーナリストであるが,山口による “今風にいえば” 強制性交の屈辱に必死に耐えながら戦っている。伊藤はその後『Black Box』(文藝春秋,2017年10月)をあえて執筆し公表していた。「#MeToo」というフェイスブックの “ハッシュタグ”が,彼女の身に起きた事件を象徴する記号になっている。

 つぎの ② からは「2017年11月3日」時点における記述である。

 

  安倍晋三による国家の私物化(オトモダチ化した幼稚の政治),山口敬之の準強姦事件封殺「醜聞」,加計孝太郎の獣医学部認可「斡旋」に観るトンデモな本末転倒

  論点1 「モリ・かけ問題」が国会で議論・追及されるのが怖くて,その開会を延ばしに延ばしてきた安倍晋三君,よほどうしろめたいなにかがあるらしい

  論点2 日本の国民たちは本当に,この安倍晋三専制的独裁志向を支持しているのか?

  論点3 明治帝政時代が恋しいのは,安倍晋三だけか?

  論点4 伊藤詩織に対する山口敬之の性犯罪を逃れさす「安倍晋三政権の真底からの罪悪性」

 

 1)「自民,『野党の質問時間を短く』問題」(海住恒幸稿『BLOGOS』2017年10月31日 22:10)
 
 a) 記事の引用

 与党に質問は要らない。質問は野党がするもの。こんな “国会の常識” をつくったのは,小沢一郎であった。小沢が民主党の幹事長だった2009年に政権に就くと,与党質問を「政権の太鼓たたき」だといって,「与党2,野党8の時間配分」が慣例化したのだという。だから,野党に多めの質問時間を与える粋な慣習の歴史は,まだ10年足らずと非常に浅い。

 当時の野党・自民党は,それでも質問時間が短い,もっと時間の上乗せをと要求。当時の岸田文雄自民党国対委員長は「審議入りの条件として,昨〔2008〕年以上の審議時間数を野党(自民党等)に与えていただきたい」と主張した(2017年10月31日付・朝日新聞参照)。

 ごもっともである。どうか,その粋な歴史はもっと続けてほしいが,与党になって3分の2を凌駕する議席をとるや,その数にみあった質問時間をよこせとは,なんともまあ身勝手なことを。岸田文雄さんのご意見をお伺いしたい。ふだん,生中継では国会を観ている時間はないが,最近はインターネットを通し,24時間いつでも委員会審議等をみることで,政府に鋭い切りこみを入れる質問には興奮し,無知をさらけ出す政府答弁には呆れたり,生の国政の理解に努めている。

 新聞の政治面では残念ながら,スペースと記事のボリュームが限られ,ひとつひとつの議論の内容を理解するのはむずかしい。だが,審議をちゃんと観ていれば,なにが問題か,なにが論点か,政府はなにを答えようとしないのか,また,政府の答弁はどのように国民に対して礼節を欠いたものであるかを理解することができる。選挙のさい,どんなきれいなパンフレットをみさせられるよりも,国会中継を観ることがどんなに参考になるか。

 今回,自民党の若手議員が与党の質問時間増を要求しているとのことだが,与党議員の総理への質問は緊迫感漂うとは真逆の,総理の笑みもこぼれるほどに和やかな質問と答弁でお茶を濁す。あろうことか,そんな質問時間が倍増するなんてことは,諸外国からみれば日本の国会はなんとも緊張感の乏しい,水準の低い劣化型議会であると映る。若手議員が要望したなどといわれているが,本当は,総理が野党の質問時間を短くするよう,党に働きかけたのではないのか。
 註記)http://blogos.com/article/256101/

 b) 論評:その1
 前段の最後に言及されていた推理,安倍晋三「総理〔自身〕が野党の質問時間を短くするよう,党に働きかけた」という筋が,むしろ当たっていると思われる。なにせ,この首相は自分自身が国会であれこれ質問されることじたいを,もともとひどく嫌っている様子があった。なにかまずいことばかりを,自分1人でかかえているようにも映る。

 この首相自身による「アベの,アベのための,アベによる日本の政治」である現況は,民主主義の観点からすなおに評価すると,まるで落第点である。彼が本気で「野党の質問時間を短くするよう,党に働きかけた」のであれば,この人,やはり政治家など職業にする資格など元来よりなかったといっていい。

 しかし「世襲3代目の政治家」として,すなわち「長州産:竹製の安価な割り箸」くわえて産まれた宿命にあったせいか,いまでは「母方のおじいちゃん」などにつづいて,なんとこの国の総理大臣を担当している。そうであるからには,その間にこうむってきた「国民・市民・住民・庶民の側」における迷惑ぶりといったら,並みたいていではない。

 先月(2017年の10月)22日に実施された衆議院選挙で自民党は,3割3分ほどの得票率しかなかったのに,全議席(435人)中なんと,284議席で6割5分(2倍相当の数)を獲得するといった,現行の選挙制度小選挙区比例代表並立制)の “欠陥の恩恵” をもろに享受できていた。そのあげくに安倍晋三が「野党の質問時間を短くする」ように要求したとしたら,この男のせこさは,つぎのように報道されていた記事が的確に描いている。

   ★ 野党,質問短縮に猛反発=「妥協余地なし」「せこい」
        =『時事通信』2017/10/30-18:35 =

 

 野党は〔2017年10月〕30日,政府・自民党が国会での野党の質問時間短縮を検討していることに猛反発した。立憲民主党枝野幸男代表は「安倍晋三首相は選挙のあとも『謙虚に』と繰り返しているが,そうした姿勢とはまったく違う。いっさい,妥協する余地はない」と批判。31日に野党国対委員長会談を開催して対応を協議する。

 枝野氏は党本部の会合で,政府提出の法案や予算案が与党の事前審査を経ていることを指摘。「野党と同じように質問させろというのは,事前審査の仕組を否定するのか。まったく論外。議院内閣制の基本が分かっていない」と断じた。30日の執行役員会でも「首相がいう『丁寧な説明』には相反する」などと反対意見が相次いだ。

 共産党小池晃書記局長は記者会見で「野党の質問封じとしか(受け)とれない,せこいやり方だ。国会は政府の翼賛機関になる」と反発した。野党側は30日の各派協議会でもこの問題をとりあげ,全会派が抗議。自民党石田真敏氏は「今後も協議したい」と述べるにとどめた。

 一方,菅 義偉官房長官は記者会見で「議席数に応じた質問時間の配分という主張は,国民からみればもっともな意見だ」と強調。「現に参院では,それに近い時間割で(質疑を)行っているのではないか」と語った。与党の質問時間の拡大は,活躍の場を求める自民党若手が執行部に要望している。(2017/10/30-18:35)
 註記)https://www.jiji.com/jc/article?k=2017103000488&g=pol

 

 c) 論評:その2
 「国会質問時間は,議席数ではなく,得票数によって配分すべき」(『かおるの今日のコラム』2017年11月2日,http://blog.livedoor.jp/citizon/archives/4574471.html )という記述を引照する。

 --ようやく特別国会が開かれた。会期も39日間と決まったが,姑息なことに自民党は質問時間の設定で横やりを入れている。自分たちが野党に下野したさいには,9割の時間を要求したくせに,政権をとると与党に9割の時間を寄越せという。このやりとりのどこに,安倍氏のいう「丁寧」「謙虚」があるのか。

 圧倒的多数の政権であれば,もう少し鷹揚であってもよいのでは思うところだが,この自公政権はなにを焦っているのだろうか。勝利の割には,高揚感もなく,いずれの閣僚も「謙虚」を繰り返すばかり。おそらく,政権与党と野党の得票数に強い危機感があるのではないか。
 補注1)安倍晋三君自身が焦っているというよりは,むしろ非常に恐怖している例の件が「モリ・かけ問題」であった。もしかしたら,自分の立場が崩壊する危機にみまわれる事態が発生するかもしれないと,安倍は危惧している。

  f:id:socialsciencereview:20191221060654j:plain

 この画像は今日もさらにここでかかげておく。すでに有名になっている写真である。左側から安倍晋三,加計孝太郎,萩生田光一。とても親しいオトモダチ同士。
 出所)http://www.asahi.com/topics/word/萩生田光一.html

 「安倍の立場」は,森友学園の小学校新設申請「問題」および加計学園獣医学部認可「問題」に,深く関与してきたと推理される材料を多く提供している。したがって,そのあたりの「真相」をわずかでも判明されうる手がかりが,国会の審議のなかで漏れ出すことを,それはそれはもう,ひどく “心配” している。

 補注2)本日〔2017年11月3日〕『朝日新聞』朝刊投書欄にはつぎの意見が寄せられていた。題名は「野党の質問削減,国会の力弱める」(小野瀬良武,茨城県,無職・73歳)で,こう批判していた。

 政府・自民党は,衆院での国会質疑で野党の質問時間を減らすことを検討している。行政をチェックする国会の力が弱まり,政府の方針を追認する「下請け機関」のようになってしまわないか。国会法には,質問時間の配分について明確な規定はなく,与野党が協議して決める。旧民主党が与党のときに,「与党2,野党8」の割合となり,自民党が政権をとりかえしたのちも慣例は続いてきた。

 野党の質問時間が多いのは,与党は法案について,政府から国会提出前に説明を受ける慣行があるためだ。与党の意向は国会審議前に政策に反映される。それなのに,質疑時間の多くを与党側に割けば,審議が形骸化しかねない。記憶に新しいのは,1年前の「カジノ解禁法案」の審議だ。自民党の議員が「一応質問は終わった」が「あまりにも時間が余っているので」と前置きし,般若心経を唱えだした。

 安倍晋三首相は,森友・加計学園問題などについて「丁寧な説明」をするというが,野党の質問時間削減はそれに矛盾する。選挙に勝てば,なにをやってもよいというものではない。政権には余裕も見識もないのかとさびしく感じる。

c)  の記事本文に戻る→〕 10月22日に実施された衆議院解散総選挙において,与党は小選挙区で48%,比例選挙区で40%を切っていた。いずれも野党の総得票数に達していない。投票率を加味すると,実に全有権者数の3割程度の得票数だけで,衆院議席の3分の2を確保するという選挙制度こそ,みなおされるべきである。

 これが民意を反映しているというなら,民意の定義を変えなければならない。選挙制度は普遍的なものではない。いかなる制度がもっとも民意を反映できるか,試行錯誤でもってより最良のものへ移行していくのが望ましい。議席数を民意の結果という人たちがいる。これは現有の選挙制度によって定められた数値であり,実際の得票数こそが民意を反映している。

 自民党が質問時間の見直しを要求するなら,野党時代に9割の時間を要求した根拠を,いま一度,明確に釈明すべきである。政権与党から提示された法案を,野党が十分な時間をかけて質疑するのは当然のことであって,野党に十分な審議時間を与えず,時間が経過すれば法案通過というのなら,そこには「謙虚さ」の微塵すらみられない。(引用終わり)

 どだい,この首相に対して「謙虚さ」を期待することじたいが間違いである。安倍晋三君・流にたどってきた人生の経路は,おそらく,謙虚とか謙譲とか寛容とか寛恕といった「漢字」が意味する “人間の「諸感性」” とは,ほとんど無縁の「行程」であったと推察される。安倍のこれまでにおける生きざまは,その程度にしか軌跡を描いてこなかった。政治家としてウソをつくことなどは「あたりき車力よ車引き(あたりきしゃりきよ,くるまひき)」であった。安倍によるウソ一覧に関する記述は,すでになんどか言及してきたので,ここではあらためて説明しない。

 d) 論評:その3
 つぎに参照するのは「議会の質問時間配分,欧州でも野党に多く」(『朝日新聞』2017年11月3日朝刊3面)である。こう説明している。

 政府・自民党が,国会での質問時間を議席数に応じて配分するべきだという考えを示した。実現すれば,質問時間の大半が自民党に与えられる。独仏など欧州では,野党の質問の時間や件数を,議席の比率より多く認めている。議会の役割を「政府のチェック」とみなしているからだ。

 日本の国会図書館は2013年,各国議会による行政の監視活動について調査し,そのひとつとして議員の質問に触れた。〔たとえば〕日本と同じ議院内閣制のドイツでは,会派ごとに経済,教育,外交など大きなテーマを扱う「大質問」や,会期中に毎週政府が議員の質問に答える「質問時間」などの制度がある。

 国会図書館の調査がまとめた2005~2009年には,ドイツは大連立政権で,議席の7割を与党が占めていた。だが野党の質問件数が占める割合は大質問98.4%で,質問時間80.7%である。その大半を野党が使っていた。

 ドイツ連邦議会の公式サイトは議会の主な役割を「立法と政府の統制」と記す。議員の多い与党は法案作成に携わり,法案採決などあらゆる場面で野党より強い。質問による政府の監視は,野党の存在意義そのものだ。

 やはり議院内閣制の英国では,質問者は締め切りまでに質問を出した議員から抽選で決まり,与野党の区別はない。ただ首相が答弁する水曜の30分間だけは,野党第1党の党首が6問まで質問が認められている。またフランスでも,法案の審議時間の最低60%を議会の野党会派側に割り振る決まりになっている。

 ※ 監視機能を重視 ※  学習院大学の野中尚人教授(比較政治)の話。先進国の多くは,少数派が自分の考えを述べられる機会や,政府を監視する機能を重視している。野党の質問時間の削減は,まったく違う方向だ。一方で,他国では首相が委員会に出席しないなど,異なる点があるのは事実。与野党が入れ替わったとしても必要な仕組とはなにか,時間をかけてでも議論をすべきだ。

  

 2)「結局,すべて『総理のご意向』どおりに! 加計学園獣医学部が認可の見通し,疑惑は何ひとつ晴れていないのに」(『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』2017年11月2日)

 

 a) 選挙が終わるや否や,これである。本日〔2017年11月2日〕,文科省の大学設置審議会が判断を保留してきた加計学園獣医学部新設について課題に改善がみられると評価し,10日の答申において来〔2018〕年4月開学で認可される見通しだといっせいに報道されたのだ。

 しかし,驚きはまったくない。認可が下りることは最初から既定路線だったからだ。あらためて,疑惑の発端となった内部文書と,昨〔2016〕年10月21日に当時の官房副長官であった萩生田光一氏が,文科省の常盤豊高等教育局長に伝えた内容がまとめられた文面を確認したい。

  「平成30年4月開学を大前提に,逆算して最短のスケジュールを作成し,共有いただきたい」


  「(設置の時期は)これは総理のご意向だと聞いている」


  「総理は『平成30(2018)年4月開学』とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でやる。今年(2016年)11月には方針を決めたいとのことだった」

 これらの内部文書が作成されたのは,加計学園が今〔2017〕年3月に文科省に開学を申請する以前のことであり,設置審が検討に入るずっと前から2018年開学は決定していたことを示している。つまり,この期に及んでも,すべては「総理のご意向」どおりに「加計ありき」で進んでいるのである。今回の選挙にしても,選挙後に答申発表となるように日程が組まれたことは想像に難くない。

 しかし,安倍首相に向けられている疑惑は,いまだなにひとつ晴れてはいないのだ。
 註記)以上,http://lite-ra.com/2017/11/post-3558.html

 b) 国会開催要求無視,突然の解散,野党の質問時間削減,追及から逃げまくる安倍首相。しかも問題は,このように雪だるま式に膨らんでいく「加計ありき」への疑惑だけではない。

 加計学園獣医学部が新設される今治市のキャンパスについては,病原体を封じこめることができないのではないかという疑問が噴出し,高病原性鳥インフルエンザの検査や実験・研究をおこなうのはむずかしいというみかたも出ている。さらに,加計学園が高額な補助金をうるために建設費を水増ししているのではないかという疑惑までもちあがっているのである。

 こうしたさまざまな角度から不正の疑いがありながら,安倍首相は野党からの臨時国会招集要求を4カ月も無視しつづけ,ようやく国会を開いたと思ったら,冒頭解散するという解散権の濫用によって追及から逃亡。あげく「丁寧に説明する」といいながら,昨日〔2017年11月1日〕からはじまった特別国会では当初,質疑に応じない姿勢までみせた。

 この態度が反感を買ったことで,結局,国会を12月9日まで開くことにしたが,実際は安倍首相にはトランプ大統領の来日や外遊日程が詰めこまれており,所信表明演説は今〔11〕月17日。実質審議はたったの1週間程度しかないのではという見方も広まっている。

 そして,安倍首相はついには,議院内閣制を完全に無視して野党の質問時間を削減するとまでいい出した。この暴挙もまた,森友・加計学園の追及を受けたくないという理由であることは明らかだ。

 だが,繰り返すが,これだけの大問題になりながらも,2018年4月開学という「総理のご意向」は,今回の設置審判断によって完遂されたのである。国民からあがる疑問の声には耳も傾けず,いまなお,安倍首相はお友だちしかみていないのだ。森友・加計問題がこのまま有耶無耶になれば,安倍首相による政治の私物化を許したことになる。これは異常なことだという民意をいまこそ叩きつけなければならないだろう。
 註記)以上,http://lite-ra.com/2017/11/post-3558_3.html

 

 3) 山口敬之による伊藤詩織に対する準強姦事件と安倍晋三の立場

 さきにここで,山口敬之が以前公刊していた本の表紙を,画像で出しておく。

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 出所)https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=135978

 a) 安倍晋三の手によってもみ消されようとした山口敬之の性犯罪 

 この準強姦事件は「ちまたの推理」によっても明晰に提示されているように,政権側の手回しによって,安倍晋三のオトモダチである山口敬之は,逮捕されて身柄を拘束される寸前に,特別に「救済」されていた。山口敬之は,安倍晋三ヨイショ本を書いてきたジャーナリストである。

  『総 理』幻冬舎,2016年6月。 

  『暗 闘』幻冬舎,2017年1月。

     f:id:socialsciencereview:20191221062338j:plain

   出所)この本も,要は「安倍晋三がいかにすばらしい日本の政治家」であるかをヨイショしている。https://ameblo.jp/gc57/entry-12258763993.html

 ここでは,「ジャーナリスト山口敬之氏が伊藤詩織さんに対して取った行動の不可解さを検証」(編集部稿『東京 BREAKING NEWS』2017年11月02日)という記述を参照する。こう推測する文章が書かれている。

 --初めて飲んだ女性が正体をなくすほど泥酔していたら,どうしたか。伊藤詩織さんが実名をさらして,ジャーナリスト山口敬之氏を告発した。それに対抗するように山口敬之氏は,月刊『HANADA』花田紀凱編集長のネット番組に出て,反論しはじめた。

 また山口氏はFBではご尊父が体調を崩して,入院した旨を投稿。これに関しては同情を禁じえないが,ここはあえて,山口敬之氏のいいぶんを飲みこんで,「では自分〔編集部の書き手(男か?)〕だったらどうしたのか」を検討してみたい。

 山口氏のいいぶんはこうだ。「アメリカでキャバクラで働いていた伊藤さんとしり合った,→ジャーナリストに興味があるので相談,→いけきつけの焼き鳥屋,寿司屋をはしご,→酩酊状態の伊藤さんをタクシーに乗せるわけにもいかず自分が宿泊していた高級ホテル,シェラトン都ホテルの一室に泊まらせる」。

 ここまでは,山口氏がネット番組でいっていたことを要約したものだ。

 不起訴処分とはいえ,この種の男女間の案件は非常に判断がむずかしいこともたしかだ。しかし,山口氏がいう,キャバクラでしりあった(強調していたが)だけの女性を,1回飲んだだけの仲だ,そして泥酔していたとはいえ,ホテルに泊めるだろうか。山口氏のいいぶんでは,伊藤さんが泥酔し,帰りのタクシーのなかで嘔吐。それに動転した山口氏は,このまま帰らせるわけにはいかないとしてホテルに宿泊させた。

 が,同じネット放送では,ホテルの監視カメラで伊藤さんが「しっかり歩いている」という旨の発言をしている。矛盾している。すなわち,山口氏が事実を発言しているのか疑問が残るのが一点。山口氏の行動をトレースしてみる。初めて飲んだ,キャバクラでしりあった程度の薄いしりあいの女性がタクシーで嘔吐をしたほど泥酔していたら,どうするのか。

 まず,意識がはっきりしているのか確認をする。話せるようだったら,ホテルシェラトン都に泊まれるぐらいの財力があるくらいだから,タクシーの運転手に行先を告げ(女性からもよりの駅を聞いて),金額を渡す。これで一度だけ飲んだ程度のしりあいの密度なら,十分義理を果たしたといえる。

 タクシーの運転手が拒否をしたとする。タクシー内で吐かれるのは,タクシー運転手にとっては損害賠償にあたるぐらいの被害だからだ。匂いがなかなかとれず,商売あがったりになる。しかし,そのタクシー運転手の証言は確認できていない。ともかく,拒否されたとする。その場合,緊急アルコール中毒の心配をし,救急車を呼ぶくぐらいの事をするのではないか。あるいは交番に連れていく。

 宿泊ホテルに泊まらせるというのは,よほど親密か(付きあいの年数があるかである)ではないか。一度会って,しかもネット番組では山口氏の話だと,店ではたまたま同席していた “さかなくんとの会話” に夢中になって,伊藤さんとは会話もあまりしなかったほどだ。ぞんざいに扱ったというイメージだ。(山口氏にとって)そういう素性のしらない人を同宿させるのか。非常に不可解だ。山口敬之氏の反論は逆に,不可解さを増すだけのようななっただけのようだ。(編集部)
 註記)http://n-knuckles.com/case/doubt/news002483.html

 b) 伊藤詩織の反撃
 ここでは,アマゾンに投稿された伊藤詩織『Black Box』(文藝春秋,2017年10月)への書評を紹介するのが便宜である。本日〔2017年11月3日朝〕までに投稿されていたそのうちから,「☆5点満点の批評」(それも「トップカスタマーレビュー」)を引用しておく。

 これらを読めば,安倍晋三〔政権問題〕の関連も含めたうえで,日本における性犯罪(とくに強姦の問題)の特質が,いったいどのようなかたちで潜在化させられているかが理解できる。なお,全文を引用していないものや,文意に明快さを欠く場合は適当に補正して箇所もある。念のため断わっておく。

   イ) 「投稿者 ロビンベスト 2017年11月2日,メディアがもっときちんととりあげるべきだし,山口敬之は社会的に制裁を受けるべき」

 伊藤詩織表紙山口敬之による卑劣な準強姦被害に遭われながら,泣き寝入りすることなく,警察に被害届と告訴状を提出し記者会見をおこなうなど,勇気ある活動をされた伊藤詩織さんの手記。
 補注)上杉 隆は,日本の大手報道機関がそろって,伊藤詩織が被害を受けたこのレイプ事件を報道しようとしていない奇妙な実情を指摘・批判している。

 タイトルの『blackbox』というのは,逮捕状まで出された山口が,空港での逮捕直前になって当時刑事部長であった中村 格によって,理由不開示のまま逮捕とりやめにされたこと,その不可思議としかいいようのない処置をとった日本警察の構造を指している。

 山口敬之は事実を微妙に捻じ曲げて反論を書いたり,ネット番組でも,この事件をネタにして笑いをとったりしているという話を聞いて,信じられない思いでいる。詩織さんはあくまで冷静な筆致で本書を書いておられるけれども,精神的にどれだけ深い傷を負っているか,私のようなものにはとても計りしれない。

 本書では自分の受けた被害をもとに,日本と世界におけるデートレイプドラッグ(簡略にはレイプドラッグ)事件などのレイプ被害や,スウェーデンのレイプ緊急センターについて現地に取材して書かれてあり,ひとりのジャーナリストとして,実のある仕事にまで昇華されている。その勇気と精神力には本当に頭が下がる。

 ひとりでも多くの方が本書を読まれ,性犯罪被害者の受ける傷や,加害者が社会的地位や警察にコネクションのある人間であれば,警察が逮捕をしぶるという理不尽,また「筋が悪い」事件に対する日本の大多数のメディアの弱腰など,自分の問題として考えるきっかけになれば,著者も本望であると思う。

   ロ)「投稿者 香桑 2017年10月27日,そこに血を残しなさい」

 本書の内容には,大きく3つの要素がある。

   ・被害者がどのようにして,被害に遭遇するか。
   ・被害状況直後から,どのような症状や状態が出現するか。
   ・被害者が必要なサポートに,いかにつながりにくいか。

 この3点を,被害者自身のまだ真新しい記憶にもとづいて,体験を記述している。広く読まれてほしい本である。被害者の受けた傷がどれほど深刻で,あとあとまでいかにダメージを与えつづけるものであるか,これが一般常識になるためにも参考にしてもらいたい。

 被害者が必要なサポートにつながりにくいところは,医療や司法の方はもちろん,自衛のために,しっておくべき部分である。被害者が恥ずかしいと思わなければならないことが間違っている。恥じなければならないのは,加害者のほうである。

   ハ)「投稿者 TAMO 2017年10月22日,彼女の行動によって救われている人がいる」

 性犯罪の被害を受けた人が声を上げることにどれだけ勇気がいり,苦しい思いをしているかがよく分かった。レイプといえば多数の場合,みしらぬ人からされる性行為をイメージするということ,しかし実際は,顔見しりの人や信頼している人にされてしまい,声を上げることを諦めることが多いこともしり,納得がいった。

 詩織さんが会見をされていたときには,一部の報道からは,職を斡旋してもらおうと2人で食事におこなった時点で,詩織さんにも原因があるなどといわれていて,一理あるなどと感じていた。だが,その認識は間違っていたと思う。なぜ,被害に遭った側が責められ,加害側が守られるのか。相手を信じていればこそ,被害に遭うことが想定できなかったのではなかったか。

 詩織さんは,山口や中村を責める意図ではなく,同じ苦しみを他の人に経験してほしくないという意図で行動していることが,この本の内容で伝わってきた。

   ニ)「投稿者 na_na_mi_o 2017年11月3日,むしろ男性に読んで欲しい」

 女性ならば,レイプなどとはいわなくても,彼氏や夫が自分より力が強いとか体力があると,感じない方のほうが少ない。詩織さんの場合,薬を飲まされた可能性が高く,より陰湿である。レイプする人じたいが男女のどちらであるかは問わずとも,同じ男性の側でも〔山口敬之には〕生理的嫌悪を感じる1件であったと思う。

 そうでなければ日本人は終わっている。家族や友人を思いやれることが普通という感覚をもつ若くて努力家でワールドワイドな視野で仕事をしようとしてる人の人生を踏みにじって先輩ジャーナリスト面している山口敬之は恥という感覚をしらない。恥ずかしい日本人です

   ホ)「投稿者 Me Too 2017年10月19日,Me Too」

 政治的立場から批判コメントが掲載されているようですが,まずは文章が抑制されており,構成力も高く,優れたジャーナリストであることを証明する一書であることを評価します。

 そのうえで,批判コメントにあるような人びとが含まれる大衆の前に立って,感情ではなく「事実」を優先させた本を完成させたことに最大限の敬意を表します。そして,「沈黙は平穏をもたらさない」という言葉をくださったことに,心から感謝いたします。

   ヘ)「投稿者 まがりゃんいす  2017年10月22日」「勇気の書」

 この本を読むと,いかに著者が想像を絶する苦痛を味わってきたか(の千分の1くらい)が分かったし,その行動の動機が1人の尊厳有る人間の希有な勇気であると分かった。その勇気の光が,反対側のY〔山口敬之〕とそれを庇う一味の卑俗低劣さのみならず,この国の性犯罪対応の遅れをきわだたせ,さらに,この著者が自分語りに陥ることなく普遍的に,この問題を世に問うことに成功している。本当のジャーナリストとしての文章力・調査力・構成力が,これからを期待させるものであるかと,人間の可能性に,勇気づけられ,感動する。

 (とてもとてもひどいいい方になるが,その痛みをしるがゆえに,著者には,大会社の地位も安定も約束されたジャーナリストもどきには,とうてい〔精神能力的に〕できないことを,ものすごく強く〔伊藤詩織に〕期待する。ゆっくりとで良い。旗をときどき置いても良い。だが,自分が他のだれかの勇気である事を,どうか忘れないで欲しい。)

 社会的地位が高いことは,モラルが高いことを絶対に意味しない,権力が強いことは,それを行使する資格があることを絶対に意味しない,この絶望的な社会で,魂を一度は引き裂かれながら,それでも立ち上がる人間はいるのだ。

 そして,組織の末端,まったく名もなく地位もない人間でありながらも,本当に大事なことを,つまり良心と真実を,けっして手放さない誇りある人びと(捜査官のA氏,タクシードライバーの方,ホテルの清掃員の方)〔がいる〕。こんな,本当の人間たちもいるのだ。

 そして,この本を〔2017年〕10月20日に出した文藝春秋も,侠気がある。まだ日本人は,完全に権力に,その陰にある暴力に,恫喝に,支配されてはいない。これこそ勇気100倍である。著者は,とても疲れただろう。どうかゆっくり休んで欲しい。そして,願わくば一番近くに居る家族と友人は,人類が守るべき勇気を,優しく包んであげて欲しい。

 著者を批判する方々には,恋人・姉・妹・娘・妻・母親はいないのか(むろん,弟でも息子でも基本は同じだが)。実際に身内が,著者のような目に遭ったら,どう感じるのか。貴い犠牲だといって,喜んでその身体も魂も,どうぞいかようにもしてくれと差し出すのだろうか。それが『美しい国』(へ!)なのか。
 補注)実はこの安倍晋三の本も,文藝春秋が公刊。

   ト)「投稿者 Kindle ユーザー  2017年10月27日,この本が性犯罪に対する意識を変えるきっかけにならなければいけないと思いました」

 警察が詩織さんに「よくあること」といったように,悲しいことに同様のことは日本では「よくあること」なのです。そして被害に会った女性たちは泣き寝入りするか自分を責めるしかない。詩織さんが訴えるようにレイプされたあとに,どういう行動をとったら良いかを周知すること,そしてそれを受入れる機関を作ること,そしてなによりも,性犯罪に対してもっと社会全体が厳しくあることを訴えていくべきだと思いました。

 詩織さんが会見したあとに,ものすごいバッシングがネットに溢れましたが,バッシングをした人たちこそこの本を読んで欲しいです。バッシングされていたことについて詩織さんが冷静に説明されています。そして,いまだに詩織さんのことを韓国籍だとか民進党であるとかまことしやかに書いている人がいます。

 だが,本書ではっきりとそれは詩織さんが否定していますし,なによりも「私が仮に左翼であっても,民進党の議員であっても,韓国籍であっても,性暴力を受けてよい対象にはならない」と書いていることは本当にそのとおりだと思います。

 そして,逮捕状がとり消された経緯についても疑問ばかりが残りますし,そもそも性犯罪に対する日本の法律が被害者にとって理不尽すぎることばかりで,いろいろな面から問題提起されている作品だと思います。

 --山口敬之の性犯罪をともかくも隠蔽しておき,当座においてうやむやにしたうえで,最終的にはなきものにするよう画策してきた捜査当局の対応は,間違いなく安倍晋三とこの政権一統の使嗾(しそう)にしたがって採られ,実行されていた。そう観察しておくほかない状況証拠があった。

 安倍にとってみれば,山口敬之が伊藤詩織に対して犯した準強姦事件は,女性の立場(被害)側にまつわる性犯罪の問題としては,ともかくも「隠蔽するに値する」ものとみなされ,そのように措置されたのである。それはまた,権力の横暴であり,かつ濫用であった。

 「首相としての安倍晋三」を盛んにヨイショする本を制作してきた「ジャーナリスト山口敬之」が,まさか性犯罪を犯していたとなれば,そのヨイショする本の中「身もフタもありえない話」になりさがってしまう。なんとしてでも安倍は,山口をかばいとおす必要があった。

 要は,今回における伊藤詩織に対する山口敬之の性犯罪は,こういう事実を意味している。

 政権・支配体制が権力構造そのものを悪用して行使した「もみ消し工作」は,女性に対する全般的な差別「観」をめぐって判定すれば,いまだに全然払拭できていない「自民党極右政権の歴史反動的な本性(=女性蔑視)」を,真正直に露呈させている

  自民党極右政権が女系天皇はおろか,女性天皇も認めない「政治思想(的)にも淀んだ死に体的な感覚」を抱いているのは,以上のような大昔風の封建制的な反動思想の本性を正直に現出させているからである。

 

 憲法9条を超えた伊藤詩織さん」天木直人のブログ』2017-11-01,http://kenpo9.com/archives/2786

 

 伊藤詩織さんはへこたれなかった。ついに上記の『ブラックボックス』という告発本を出版し,10月24日に日本外国特派員協会で記者会見を開いて被害者救済を訴えた。この勇気ほど,頭が下がるものはない。そう思っていたら,その告発本に寄せられた各界からの賛辞の数々をみてさらに驚いた。

  津田大介(この国の司法制度に対する真摯な問いかけだ),

  林真理子(女性がNOといったら絶対にNOなのだ。それを無視したら絶対に犯罪なのだ),

  佐藤 優(あなたの誠実さと勇気に敬服します),

  三浦瑠璃(娘をこのように育てたいと思いました)

など,およそ立ち位置の違う者,権力にする寄っている者,憲法9条に否定的で私と敵対するような者たちまでもが,こぞって伊藤詩織さんを絶賛しているのだ。(引用終わり)

 この,いまや完全に『醜い国:日本の政治』になっている生活環境のなかで,しかも,とても「〈ふつう〉にはみえない首相」が現にいて,いまだにいい気になって,のさばりつづけている。この男,「傲慢で幼稚・暗愚で無知・驕慢で粗暴」という形容がなされ(本ブログ筆者),「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』の主が常用する)というあだ名も付与されていた。

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 この国に生まれ暮らすわれわれ自身が,この醜悪さもその極致まで到達した総理大臣を早く排除しないかぎり,とうていまともな国家体制には戻れない。2020東京オリンピックを開催すれば,この国を少しでも盛り上げることができるなどと勘違いすることなかれ,すでに21世紀の日本は衰退への途を確実に歩んできたではないか。

 また非常にまずいことに,この「初老の小学生・ペテン総理」が,このすでに鮮明になっている国情の真相などおかまいなしに,自分だけのためである「私物化の政治路線」を推し進めてきた。蟻地獄にも似たこの惨状にある事実を,この首相はまったく感知しようとしないまま,みずからがその穴に向かい飛びこむような為政を継続させている。

 このままだとこの国は,座して野垂れ死にを待つだけである。彼はまさしく「亡国の首相」であった。なるべく早く過去形の表現でもって,いまの政治を総括できる日を迎えるための努力が,一人ひとりの国民たちに要求されている。

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