天皇家が略奪した伊勢神宮の神道的権威,その祭主に皇族女性を送りこめる事情など

伊勢神宮遷宮問題;「天皇教」にもとづく政教一致を当然視する日本国の「重大問題」(1)
                  (2013年10月3日)

 

  要点:1 落ち目の国が《神》にすがる事情

  要点:2 アベコベミクスが,「政治・経済」に一貫する矛盾に,さらに「宗教」を絡めながら深めていく末期的な現象

 


  伊勢神宮遷宮に関する報道(『朝日新聞』2013年10月3日朝刊より)

 

 本日(2013年10月3日)のこの朝刊は,見出し「伊勢神宮で『遷御の儀』安倍首相,戦後初の参列」という記事で,こう報じていた。

 伊勢神宮三重県伊勢市)で10月2日夜,20年ごとに社殿などを一新する式年遷宮で内宮(ないくう)の神体を新正殿(しょうでん)に移す「遷御(せんぎょ)の儀」があった。1300年余の歴史を伝え今回で62回目,戦後4回目となる神道最大の儀式に,皇族代表の秋篠宮さまや安倍晋三首相らが参列した。首相が参列したのは1929〔昭和4〕年,58回の浜口雄幸首相以来で戦後初めて。ほかに麻生太郎副総理ら8閣僚が参列し,政財界関係者など約3千人が拝観した。閣僚らの参拝をめぐっては,国の宗教活動を禁じた「政教分離の原則」に抵触するかどうかの議論がある。
 補註)戦前・戦中への回帰が,いまさらのようにあらためて,それも露骨に始められた。さて,政権与党を組んでいる公明党は宗教団体(法人)創価学会にもっぱら支持された宗教的基盤に成立する政党であるが,このような自民党首相たちの宗教的行為に対して,なにもいわないで済ませるつもりか? そうだとしたら,この公明党と政党の存在意義はないものに等しいといわざるをえない。

 即座になんらかの態度表明が,公明党はむろんのこと,創価学会からも出されて当然・自然と思っていたが,http://www.seikyoonline.jp/news /headline/index.html(聖教新聞の on line 版) を今朝のぞいてみたが,「ホーム」の頁から「ヘッドラインニュース」および「今日のトピックス」の頁にクリックして進んでみた範囲内では,安倍首相が伊勢神宮遷宮行事に出向いた関係の記事は,見出しとしてなにも出していない。

 聖教新聞の on line 版の記事構成でみるかぎり,あいもかわらず政権与党の立場を享受しているゆえなのか,自閉的・独裁的な記事編集の方針だけは,確実に堅持されているように映る。創価学会の2人の創設者,戸田城聖および牧口常三郎は戦時中に国家側(=国家神道)から大弾圧を受けてきた。だがこの史実は「いまは昔の話」にでもなったのか? 

〔記事に戻る→〕 参道の常夜灯などの明かりが消されると,天皇の使いである勅使が「出御(しゅつぎょ)」を告げた。午後8時,旧正殿を出た神体の八咫鏡(やたのかがみ)は,白い絹の布で覆い隠され,神職ら百数十人に前後を守られるように進んだ。暗闇のなか,提灯(ちょうちん)の明かりにうっすらと照らされた白い絹の布が通り過ぎると,人々は頭を垂れ,柏手(かしわで)を打った。同40分ごろ,西隣の新正殿に「入御(じゅぎょ)」した。なお「3日午前5時に一般参拝者の受け入れを再開する。外宮(げくう)遷御の儀は5日」とのことである。

 

 式年遷宮,歴史を思う 20年後へ,職人『技伝える』」(同上より)

 

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 1)「首相参列,私人と説明  式年遷宮官房長官 政教分離,割れる見方」

 安倍晋三首相は〔2013年〕10月2日,三重県伊勢市を訪問し,伊勢神宮で20年後とに社殿を建て替える「式年遷宮」の儀式に出席した。現職首相の同儀式への出席は,1929年の浜口雄幸氏以来84年ぶり。安倍首相は伊勢神宮で,麻生太郎副総理兼財務相らとともに神体を新正殿に移す儀式に参加。神職らの列とともに旧正殿に進み,神体を新正殿に移す列にくわわった。菅 義偉官房長官は2日の会見で「私人としての参列だ。国の宗教活動を禁じる政教分離の原則に反するものではなく,本人が個人的に参拝したものだ」とし,問題ないとの認識を示した。

 補註)本当に完全・純粋に私的に行動しているならば,マスコミ関係はいっさい報道する必要もないはずである(だが,今夏,休暇でゴルフ場にいった首相の行動さえニュースになっていた)。しかし,そうではなく,いつも公的に行動している一国首相によるこの伊勢神宮遷宮行事「私的の参加」については,新聞が記事にして大々的にとりあげている。

 マスコミにはそのように書かせる材料を提供していながら,官房長官が「首相の私人としての参加」だとか「政教分離の原則に反しない」などと,とうてい屁理屈にもなりえない〈暴論〉を開陳している。政教分離どころか,その一致を正々堂々と実行しているのが,今回における首相の

 これほどにその意味の分かりきった首相の行為が「ことばのうえだけでごまかそうとされている」。そうなのであれば,なおさらのこと「伊勢神宮遷宮」行事への安倍晋三の参加については,よほどうしろめたい理由・背景があることになる。

 実は,このことを強く意識しているに違いないからこそ,官房長官がわざわざ,そのことを「あえて否定する」会見をしなければならないのである。いまのところ,安倍首相のこの行為については,前述のように創価学会のほうからは音なしである。だが,そのほかの宗教界からの反撥・批判がすでに表明されている。早速,キリスト教界からは非難が出されている。

〔記事に戻る→〕 日本キリスト教協議会靖国神社問題委員長,坂内宗男さん(79歳,年齢は2013年で以下も同じ)は「憲法に定められた政教分離の原則に反する行為だ。非常に深刻に受け止めている」と強い調子で批判。首相の正月参拝は定着しているが,戦後3回あった式年遷宮に首相が参列した例はなく,前回は官房長官らの参列にとどまっていた。靖国問題に関する著書もある児童文学作家の山中 恒さん(82歳)は「かつて伊勢神宮祭政一致,国体原理主義の総元締だった。安倍首相の行動は明らかに戦前回帰」と批判する。

 国学院大学大原康男名誉教授(71歳)=宗教行政論=は「安倍首相だけが突出しているわけではない」と話す。戦後の式年遷宮があった年の首相3人のうち,吉田 茂,田中角栄両氏は「遷御の儀」には参列していないが,機会をみて参拝をしてきたという。憲法が定める政教分離原則については,「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(1977年)で,目的として宗教的意義をもち,宗教に対する援助や助長などの効果がある場合に違憲になるという考えを示した。大原氏は「日本の歴史や伝統,文化に鑑みて首相が参列するのであれば,特定の宗教を援助や助長,促進することにならないから憲法違反ではない」と説明した。

 補注)だが,この大原康男の理屈は理屈にもならない「ことばのお遊び」になっている。首相が伊勢神宮遷宮行事に直接参加する行為じたいが,すでにりっぱに神道神社に対する「援助や助長などの効果がある場合」に該当している。それも明治以来,「日本の国教」扱いをされてきた神道神社:伊勢神宮に対しての,そうした「宗教に対する援助や助長などの効果がある場合」になっている。大原の理屈は実際は,こうした場合になっている状況を十二分に承知のうえで,そのように故意に否定的に語っているに過ぎない。

 誰の眼から観ても以上の判断はたやすく理解できる。すなわち,伊勢神宮の「日本の歴史や伝統,文化に鑑みて首相が参列する」さい,「特定の宗教を援助や助長,促進することにならないから憲法違反ではない」のではない。もとより,伊勢神宮の有するとされる「日本の歴史や伝統,文化に鑑みて首相が参列するの」だから,この行為がただちに「特定の宗教を援助や助長,促進することにならない」どころか,ただちに「憲法違反」そのものと受けとめるほかない「その行為」を意味している。

 伊勢神宮は明治以来とくに,大日本帝国が注力をして昔の姿(古代から江戸時代まで)とは似ても似つかない宗教施設として,それも《国家神道》のために改変され「創造されてきた」神社である。古代から通じるかのような伊勢神宮の姿をそこに想像していたら,これは大きな間違いである。

 「日本帝国主義の伝統:目的」のために,明治以降に再生されたこの神社の『宗教的なイメージ』をボカしておいたまま,その本筋に置かれている『ご利益』には触れないかたちで,日本国首相が伊勢神宮遷宮行事に参加した事実は,神道が国教である実質までを認めさせようとする強引な「政治的かつ私的な行動」であって,まさしく「政教分離の原則」を平然と踏みつけにし,日本国を神道による「政教一致の原則」でもって規制しようとする暴挙である。

 

 2)「遷御の儀に参列した8閣僚」

 麻生太郎副総理兼財務相下村博文文部科学相田村憲久厚生労働相,林 芳正農林水産相石原伸晃環境相古屋圭司国家公安委員長山本一太沖縄・北方相,稲田朋美行革相が徒党を組んで,いかにも「当然だろう」という顔つきで,伊勢神宮遷宮行事に参加していた。しかし「政教分離の原則」問題を,彼らは強く意識せざるをえない面相でもあった。

〔記事本文に戻る→〕 伊勢神宮の杜(もり)が20年に1度きりの闇に包まれた。1300年以上の歴史を伝え,つぎの世につなぐ式年遷宮。その中心的儀式「遷御の儀」が2日夜,内宮で厳かに営まれた。宇治橋の内と外で人びとは来し方を振り返り,行く末に思いをはせた。内宮は午後1時に一般参拝が止められた。夕方にかけて,遷御の儀に招待された背広や着物姿の参列者たちがつぎつぎと宇治橋を渡り,宮域へ入った。

 京都市山科区のくし職人,竹内 茂さん(74歳)は3度目の参列。18歳で職人になり,神宝となる木のくしを作りつづけてきた。今回の遷宮で納める約400本のくしを完成させ,「この日を無事迎えられて,ほっとしています」と笑った。つぎの遷宮へ,すでに素材のツゲの選定などにとりかかっていて,息子も職人だ。「20年はあっという間。技術をつぎの世代にしっかり伝えたい」

 午後9時すぎ,参列を終えた人たちが宮域から続々と出てきた。甲府市の水晶研磨師,土屋隆さん(42歳)は「派手さのない日本らしい雰囲気。日本人で良かったと感じ,日本の平和を祈った」。伊勢市の木材会社経営,中西英夫さん(72歳)は「神話の世界そのものが現在に生きている。日本の伝統文化を見直すことの大切さを強く感じた」と話した。

 補註)伝統を大事に思い,そう感じることじたいについては,誰もなにも否定しない。しかし,伝統だからといって「宗教である神道」の行事を誰にでも押しつけるとなるや,ここにおいて一気に宗教戦争が始まる危険性が生まれるので,注意したい。

 創価学会がいまのところ音なしに構えているのは,安倍晋三神道的な行動を批判すると,これはもうどうしようもない次元にまで葛藤・対立が高まることを,宗教集団として重々認識しているからである。 

 創価学会の支持する政党「公明党」は政権与党に入っているので,そうした宗教戦争に突入することは考えられない。けれども,公明党の政治的な節操のなさ:「ダラシなさ」だけが対照的に浮上している事実は否めまい。

 3)「闇の中,粛々と」

 神道では「浄闇(じょうあん)」という。たかれていた庭火や高張り提灯(ぢょうちん)などが消され,8年がかりで最高潮に達した「舞台」は,いったん漆黒の闇に包まれた。「カケコー」という鶏の鳴きまねの声が3度唱えられた。午後8時,「出御(しゅつぎょ)」。旧正殿から列が動き始めた。「御」とは神体をさす。「絹垣(きんがい)」と呼ばれる白い絹の布に覆い隠され,正殿の石階段を下りていった。

 西隣の新正殿まで 300メートルほどだろうか。神職ら百数十人が列をなし,たいまつと提灯の明かりを頼りに進む。静寂のなか,神職らの浅沓(あさぐつ)が玉砂利をきしませる音が響き,雅楽の調べが参道をはうように流れた。2時間以上前から待ち構えていた約3千人の参観者たちが背筋を伸ばす。「絹垣」が目の前を過ぎると,静かに頭を垂れる影が動き,柏手(かしわで)の音が右から左に追いかけていく。20年に1度の儀式は粛々と終わった。

 

 4) キーワード:〈式年遷宮とは

 内宮・外宮の両正殿や,14別宮の社殿・門・板垣のほか,鳥居や宇治橋などを造り替える。また,新正殿に納める武具や楽器といった「神宝」,正殿の壁に張り巡らせる帳(とばり)などの「装束」,遷御の儀式に使う品々など計714種1576点も新しくする。祭主で昭和天皇の四女,池田厚子さんを補佐するため,天皇陛下の長女・黒田清子さんが昨年,遷宮が終わるまでの臨時祭主に就任した。

 補註)明治以来,天皇家のための神社になっていた伊勢神宮であるからこそ,祭主が池田厚子昭和天皇の四女であり,これを補佐する臨時祭主に黒田清子=平成天皇の長女が就き,遷宮が終わるまでの務めとはいえ就任していた事実に,われわれは注目しなければいけない。

 憲法の第1条に「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」と規定されている。だが,伊勢神宮で起こされていた宗教行事は,それを逆立ちさせた関係になっている。

 つまり「天皇の意思:主権在君にしたがい,日本国民は統合され,象徴されている」事実をよく承知しておけという含意が,伊勢神宮遷宮行事を介して,それも無言の圧力をもって,全国民に強要されている。明治憲法下では本当に,そういう大日本帝国の仕組になっていた。だが,この仕組は実体において,敗戦したのちの日本国にそのまま継承されている。

 昭和21〔1946〕年の正月元旦に昭和天皇は,いわゆる「人間宣言」をおこなった。だが,これは「自分がまだ神の座に列席している」確信は抱いていながらの,国民〔本当はGHQ:日本を占領していた連合国軍〕に向けて,単にポーズとして「自分には人間である側面ももちあわせている」ことを表現=演技するための〈宣言〉であった。

 安倍晋三が今回のように,伊勢神宮遷宮行事にあえて参加をしたことは,この含意をますます強めることになる。事態は単に「政教分離の原則」ウンヌンの問題など,すでにどこかに打ち捨てられたかのような様相をもって進行しているのである。「信教の自由」は確実に半ばは破壊されたと,深刻に受けとめねばならない。神道界はさておき,仏教界・キリスト教界はそれ以外に「今回の事件」を認識できないはずである。

 日本共産党は当時,つぎのように批判していた。しごくまっとうな真正面からの基本的な疑問提示である。

      ◆ 首相・8閣僚 伊勢神宮行事参列
    憲法政教分離原則違反天皇中心の国」狙う◆
      =『しんぶん赤旗』2013年10月4日 =

 

 安倍晋三首相は〔2013年10月〕2日,伊勢神宮三重県伊勢市)の式年遷宮の中心的行事「遷御(せんぎょ)の儀」に参列しました。首相が,伊勢神宮の同儀式に参列したのは戦後初めてです。麻生太郎副総理兼財務相下村博文文科相ら8閣僚も同行しました。

 伊勢神宮は戦前,全国民を「氏子」として侵略戦争に駆り立てた神道の国教化(国家神道)のもとで,各地の神社の頂点と位置づけられた神社です。とりわけ,「遷御の儀」が行われた内宮は,神話で天皇の「祖先神」とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつっており,特別な位置を占めています。

 日本国憲法は,戦前の「国家神道」が国民の信教の自由を侵害したことから,第20条1項で “いかなる宗教団体も,国から特権を受けてはならない” と明記。同3項「国及びその機関は…いかなる宗教活動もしてはならない」と規定しています。安倍首相らの活動は政教分離の原則に反する重大な違憲行為です。

 また,いまだに天皇を「神」とする宗教団体の行事に参列したことは,自民党改憲草案で「天皇元首化」を明記していることとあわせ, “天皇中心の国づくり” をめざす動きとしても重大です。

 一部マスメディアは伊勢神宮の社殿建て替え工事である式年遷宮を千数百年の伝統行事だと宣伝しますが,天皇家が分裂した南北朝時代(1336年~1392年)以降,約130年の空白期間があります。アジア太平洋戦争後も1949年に式年遷宮をおこなえず,1953年に延期した経緯があります。

 

  J-CAST ニュース「天皇家長女,黒田清子さんが就任『伊勢神宮の臨時祭主』どんな役職なのか」(2012/5/8 19:19 より)

 

 伊勢神宮に関する事務を管理する神宮司庁(三重県伊勢市)は2012年5月7日,天皇陛下の長女,黒田清子(さやこ)さん(43歳)が4月26日付で,臨時神宮祭主に就任したと発表した。20年に一度の式年遷宮が2013年に控えており,「万全を期すため」という。インターネット上では,「伊勢神宮に住みこむことになるの?」といった素朴な疑問の声も挙がっている。臨時祭主は,どんな役割を担うのだろうか。

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  出所)遷御の儀のため,正殿に参進する臨時祭主の黒田清子(中央)と神職たち(2013年10月2日午後6時10分),http://digital.asahi.com/articles/NGY201310020061.html?ref=comkiji_redirect 

 a)伊勢神宮は2013年は,20年に一度の式年遷宮」。--神宮司庁広報室などによると「伊勢神宮」は通称で,「単に『神宮』が正式な名称」だ。伊勢神宮は,皇室の「御祖神」である「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)を祭る内宮(ないくう)と外宮(げくう)の総称で,別宮や末社などを含め,計125の宮社がある。全国の神社の「本宗」(ほんそう)と位置付けられている。
 補註)要は伊勢神宮が日本の神社の〈総本社〉だといいたいのである。「伊勢神宮」は通称で「単に『神宮』が正式な名称」だとする,かなり傲慢な発言が放たれている。アメリカに席を置く「インターネットのホーム・ページのアドレス」には「国籍」を表示する〈末尾〉の文字はないが,これになにかが似たかのような発言である。

 「神宮とは伊勢神宮のことである,そう心えておけ!」といっているわけである。こうなると,皇居にある宮中三殿天照大神を祭っている賢所は,明治になってそこに創られた祭殿であったから,伊勢神宮に比べたら明らかに格下という位置づけになる。もとはといえば,伊勢神宮の祭神である天照大神の〈形代(かたしろ)--神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種--である鏡の「分身」が,皇居には祭られていることになっているのだから,そういう理屈になるのはいうまでもなく当然である。

 また式年遷宮は,20年に一度,神宮の社殿を建て替えるなどする「わが国最大のお祭り」で,「(西暦)690年から1300年にわたって続けられている」という。(なお,これについては」「そうではなく,断絶があった」事実は,『しんぶん赤旗』も前段のように指摘していた)。

 なお神宮祭主は,天皇陛下の代理として神宮の祭事をつかさどる役職で,天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」の役職だという。現在の祭主は,昭和天皇の4女の池田厚子さん(81歳,下掲の写真参照)で,1988年に就任していた。戦後の祭主には,皇族出身の女性が就いている。過去には,男性がなったり,華族らがなったりしていた。

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 出所)http://blogs.yahoo.co.jp/arctos_more/44763385.html  池田厚子の履いている「靴」が興味深い(ほかの画像も探して観察してみたが,そちらでも,ごくふつうの靴にしかみえなかった)。ふつうの西洋風の靴にしか映っていない。男性たち神官の履いている靴は木靴で,「浅沓(あさぐつ)」といい,桐材をくりぬくようにして作り,漆で黒く塗られている。2008年10月の神嘗祭のとき。

 補註)「伊勢神宮が皇室のものだ」ということになった明治以来の「創唱になる伝統の設置:決定」に沿って,前段のような説明がなされている。だが,伊勢神宮に関する当該の問題(明治期以降に限定されたもの)に,明治以前の諸事までをすべて混ぜこんだような説明となると,端的にいえば「歴史の歪曲・混同」,これを換言すると「歴史の捏造」である「創作物語」を,意図的に想像しながら構築していると批判されてよい。

 14世紀ごろまで続いていた,未婚の内親王らが務めた「斎内親王」(斎宮)とは,「イメージが重なる部分もあるようだが,まったく別もの」だ。祭主のはじまりははっきりしないが,平安時代まではさかのぼるとされる。神宮では現在,年間「千数百回」ものお祭りが行われている。祭主が直接,神事に携わる(ご奉仕する)のは,このうち神嘗祭(10月)など一部に限られている。このほかに,出席するだけの「ご参列」もある。
 補註)本来であれば(古代神道史からの伝統・格式で観れば),未婚(処女)が務めねばならないのが祭主であった。それでいながら,ここでは突如「その祭主のはじまりははっきりしない」といいわけされている。ということで,実にあいまいな表現でのみ「説明(?)されている」だけであって,どうやら,あまり信頼の置けないのが「この祭主のありよう」に関する歴史認識である。

 そもそも基本的には,深くまで詮議し,関連する事情を的確に入手しておこうとする気すら,はじめからもちあわせていない気分すら感じさせる。だいたいにおいて,よく分かりもしないのだが,大昔から継承されているはずの「伊勢神宮の歴史的な事情」をめぐっての話となっているので,ともかく天皇家の血縁者につなげておこうとする配慮や情熱」だけは,以上の記述のなかから伝わってくる。明治維新の直前までにおける伊勢神宮天皇家の直接的なつながりは,ほとんどなかったゆえ,以上のように解釈しておくほかない。

 したがって,皇族の女性が直接「祭主」になるといった伝統があったかという点,いいかえれば,古代史以降に継続されてきた祭儀の仕方であったかどうかは不詳であり,確実な根拠はみつからない。要は,明治以来の創作物語に依拠した「伊勢神宮要の祭主像の展開」を,「こういうモノ:近代における制度」に具現しておいたと,とらえておくのが,せいぜい無難な〈理解〉たりうるに過ぎない。

 b)「住みこみの必要」なし。--2013年の式年遷宮に向けては,すでに2005年から関係する祭りが始まっており,2012年も今後,5月と7月に予定されている。2013年には16の祭りや行事がある。祭主みずからが「ご奉仕」するのは,「遷御」(10月)など主な祭りだけだ。祭場は非公開で,神職らが祭場に向かうまでの「参進風景」は見学可能,という例が少なくない。詳細は未定だが,前回の式年遷宮の例では,一般の人と一緒に祭主が参加する行事もある。

 臨時祭主に就任した黒田清子さんは今後,祭主の池田さんと祭りの担当を「分担」するかたちになるのだろうか。神宮司庁広報室によると,「具体的には決まっていない。式年遷宮を控え,万全を期すためにお願いしている」とのことだった。また,祭主や臨時祭主は,神宮内もしくは周辺に「住みこむ」必要があるのだろうか。ネットの2ちゃんねるには,そうした疑問が書きこまれていた。

 祭主の池田さんは三重県外に住んでおり,必要があるときに神宮を訪れるという。祭主が直接にかかわる祭りは限られているためだ。黒田清子さんも,同様の対応となりそうだ。黒田清子さんは「紀宮(のりのみや)さま」としてしられていた天皇家の長女で,2005年に東京都職員の黒田慶樹さんと結婚して皇籍を離れた。最近では,2012年4月の天皇,皇后両陛下のご結婚53年の記念日に,黒田清子さん夫妻も,皇太子,秋篠宮両ご夫妻と一緒に両陛下と夕食をともにしてお祝いしたことなどが報じられている。
 註記)http://www.j-cast.com/2012/05/08131411.html?p=all

 ついでになるが,黒田清子の配偶者黒田慶樹については,以前ある記事をみつけ読んでいた。そこで,再度,検索してその記事を探したところ,みつけた。以下に引用しておく。なにやら意味深長にも読める記事でもあった。

   ★  “サーヤ”  の夫・黒田慶樹さんの慎ましい夕食

        大戸屋」で黒酢あん定食をひとり頬張る ★
 =『デイリー新潮』2018年3月9日,https://www.dailyshincho.jp/article/2018/03090631/?all=1&page=2

 = 画像は https://www.dailyshincho.jp/article/2018/03090631/?all=1&page=1 から =

 

 掲載の写真は,東京都建設局での勤務を終え,都内某所の「大戸屋」で食事する黒田さんである。「黒田さん? ああ。サーヤの旦那さんね。ご近所に住んでるみたいだから,よくみますよ」というのは,この店の常連客。「『鶏と野菜の黒酢あん定食』がお気に入りみたいです」

 

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 時に卓上のふりかけに頼りながら,およそ900円のディナーをひとりで済ました黒田さん。清子さんは昨〔2017〕年6月に伊勢神宮の祭主を務められているから,お忙しいのだろうか。だが,黒田さんが見せた孤独のグルメに,宮内庁担当記者は  “夫妻は不仲なのでは……”  との懸念を明かす。

 「昨〔2017〕年10月20日に皇居でおこなわれた,皇后さま83歳の  “お祝い御膳”  に夫妻で参加するはずが,清子さんだけだったのです。黒田さんは残業を理由に欠席したと聞いています」。清子さん同様,課長の肩書をもつ黒田さんもまたご多忙の身であろうが,毎年の大事な行事をドタキャンするとなれば,おだやかでないとみる。

 黒田さんご本人に,欠席の理由を尋ねてみると,「せっかくですが,取材はご遠慮いただいているので。いいたいことは答え,いいたくないことは答えない。これは私の信念としてやりません。本当に申しわけないですけれども……」。

 丁寧な応対の反面,頑なだった。当初の予定では,皇族を娶るにあたっての心構えを小室〔圭〕さんに指南することになったかもしれない黒田さん。いまとなっては,小室家の事情でその可能性はきわめて低いのだが……。 

 

 【未 完】

 

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 以下は,「本稿(2)」として,明日以降に続く予定。

 

 ④ 関連する議論

  1) 皇居にある宮中三殿
  2) 「曖昧な元首の地位」
   a)「〈神仏分離〉政策」
   b)「〈政教分離〉政策」
   c)「政教分離どころか,その一致を図った明治帝国政府」
   d)「村上重良の国家神道批判」

 ⑤ まとめの話

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