天皇家が略奪した伊勢神宮の神道的権威,その祭主に皇族女性を送りこめる事情など(続)

伊勢神宮遷宮問題;「天皇教」にもとづく政教一致を当然視する日本国の「重大問題」(2)
                  (2013年10月4日)

 

  要点:1 落ち目の国が《神》にすがる事情

  要点:2 アベコベミクスが,「政治・経済」に一貫する矛盾に,さらに「宗教」を絡めながら深めていく末期的な現象

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           =「本稿(1)」の目次 =

 ① 伊勢神宮遷宮に関する報道(『朝日新聞』2013年10月3日より)
 ②「式年遷宮,歴史を思う 20年後へ,職人『技伝える』」(同上)
 ③ J-CAST ニュース「天皇家長女,黒田清子さんが就任『伊勢神宮の臨時祭主』どんな役職なのか」(2012/5/8 19:19 より)
  〔以上,昨日〕
  〔以下,本日「本稿(2)」〕
 ④ 関連する議論
   1) 皇居にある宮中三殿
   2) 「曖昧な元首の地位」
    a)「〈神仏分離〉政策」
    b)「〈政教分離〉政策」
    c)「政教分離どころか,その一致を図った明治帝国政府」
   d)「村上重良の国家神道批判」
 ⑤ まとめの話

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  関連する議論

 1) 皇居にある宮中三殿
 日本国の天皇夫婦が居住する東京都千代田区千代田は皇居と呼ばれ,約115万㎡の敷地面積を有する。明治の以前,天皇家の住まいは京都御所にあったが,天皇江戸城に入ると東京城となった。東京城はのちに皇城から宮城に改称され,1948〔昭和23〕年以降は皇居と呼ばれてきた。

 皇居は,1888〔明治21〕年に完成した宮殿を初め,宮中三殿宮内庁吹上御所・新吹上御所・東御苑などからなる。とくに吹上地区には,伊勢神宮の神体である八咫鏡の形代(やたのががみのかたしろ)が安置された賢所,歴代の天皇や皇族を祀る皇霊殿,八神と天神地祇を祀る神殿からなる宮中三殿が1888〔明治21〕年に完成し,宮中祭祀の舞台となった。
 註記)原 武史・吉田 裕編『岩波 天皇・皇室辞典』岩波書店,2005年,330-331頁参照。

 

 2) 「曖昧な元首の地位」

 現在,天皇家の家長である天皇は,「日本国の象徴」であるよりは,日本国で一番エライ人物である立場(=元首!?)を踏まえている。それも政教一致風にはきわめて曖昧模糊とした,それも,みようによってはきわめて得手勝手な決めつけに依拠した想定でのそれでもある。この国ではまだまだ,〈言挙げ〉する醒めた批判精神を,天皇家の現実問題に突きつけて思考を徹底しようとする伝統がない。

 現行憲法にある規定の《象徴》という「天皇の地位」,そして,彼のおこなうべき〈国事行為〉の定義・内容は,最大限に拡大解釈され,その実際においても可能な範囲で,いかようにでも新しく創出されている。皇室〔=宮内庁〕は,そうした体裁を整えながら,日本の政治社会のあらゆる場面に皇族たちが登場する舞台を用意させ,そこで彼らが華々しく演技・活躍する機会を,多種多様に確保してきた。いってみれば天皇は,日本国の最頂点から目配りをしているといった要領でもって,まさしくこの国の全体を「親裁(あるいは神祭・親裁)」するかのように統べている。

 そもそも政府・内閣は,いったいなんのために『元首である「首相」』を抱えているのか。皇居内の宮殿などに居住する「天皇がなにゆえ,元首であるのか」の「ようにも,いつも振る舞っている」のか。これは愚問ではなく,至当な疑問の提起である。そういった「文化的には癒着し,政治的に釈然としない,それでいて日常的には相互に分離したかのような関係を固有の特徴とする〈日本の政治的な検討課題〉」は,歴史的にはいつも棚上げ状態にしておくことが,なぜか最良の現状維持策とされている。

 問題は,たとえば瀧川政次郎『律令大嘗祭-御代始め諸儀式-』(国書刊行会,昭和63年)における言及に即していえば,いまでもなお「民主主義」ではなく「君主主義」のままでよしとし,そして「主権在民」ではなく「主権在君」を選びたがるところに淵源している。大嘗祭を祭儀の頂点とする政教一致天皇天皇制が,現代の政治制度のありかた:「民主主義」と両立可能かどうか,当初より問題外であるかのような口吻である。これでは,宗教論としてはさておいても,政治論としては噴飯モノの妄論である。

 瀧川はいう。「私は,幕末維新の国学者達と同じく,天皇が神と共食することによって神性を身に附けられて,アキツミカミ(現神)となられる大嘗祭の祭儀は,神国日本にとって闕くことの出来ない重要な儀礼である」。「日本国憲法,第2条には」「皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する」と,「占領政府によって定められた」条項があるのだから,「既に世襲天皇を認める上は,その即位の伝統をも認めなければならない。日本天皇の即位には必然的に大嘗祭が伴っている。故に新皇室典範にいう『即位』には大嘗祭が含まれていると解すべきである」と。
 註記) 瀧川政次郎『律令大嘗祭-御代始め諸儀式-』国書刊行会,昭和63年,13頁。

 その意味でいえば瀧川の思考方式は,「 “8・15” の体験が生かされているか考えざるをえない」ものであり,また「誤った神話解釈がミリタリズムと結合して,多くの人びとを破滅と不幸に陥れた暗い記憶への反省が,研究の上にどれだけ生かされているであろうか」註記)といった懸念などからは,まったくかけ離れた別世界に生息していた。そこには,「国家的な神道」風に呼びもどしたつもりの「古代的な妄想の世界」が,奈落の底のように広がっている。その底に立っているつもりでもある瀧川は,国民に対しても奈落にほうに誘うための学問に従事してきた。
 註記)岡田精司『古代王権の祭祀と神話』塙書房,昭和45年,431頁。

 

 3)「明治国家の過ち」

 山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎解く日本の真相-』(日本文芸社,2010年)は,国家神道および皇室神道を生みだした「明治国家の過ち」を,伊藤博文の責任をめぐって討究している。

 a)「〈神仏分離〉政策」  近代以前の日本人の伝統的な信仰は,神と仏を同時に礼拝し,信ずるところに成立していた。神仏共存の宗教であり,神仏信仰といってもよかった。しかし,明治国家の神仏分離政策により,人びとは神か仏がそのどちらかの選択を迫られた。「神も仏も」という神仏共存の伝統的な観念が「神か仏か」という二者択一の新しい理念にとって代わられた。

 ところが,その変革は1千年にわたる「日本人の信仰のありかた」を,根底から変えようとする「上からの改革」であった。むろん現実には,この神仏分離の理念が,神仏共存の伝統観念を完全に覆すほど強力に作用したのではなかった。「歴史」のそのような破壊が,一片の法令や政策によっておこなわれるはずもなかった。だが,この「神仏分離」の政策がその後の日本人の内面に与えた精神的外傷は,甚大であって,今日,その傷痕の深さを過小評価しがちでいるのは,その問題の本質の深刻さに気づいていないからである。 
 註記)山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎解く日本の真相-』日本文芸社,2010年,270-271頁。

 b)「〈政教分離〉政策」  明治の「政教分離」政策はどのような経過をたどったのか。それは実は,中途半端な政教分離であった。伊藤博文(1841-1909年)らが渡欧して諸国の憲法を調査し,ヨーロッパの憲法において人心を帰一させる機軸として,キリスト教が絶大な力をもっている事実をしり,帰国する。そして,そのキリスト教に対抗しうる「国家の機軸」を日本においてみいだすとすれば,「皇室」以外にはないと判断した。

 この判断がやがて,大日本帝国憲法第1条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」に結実した。伊藤は,国家の基盤を支える精神的支柱となる宗教としては,仏教も神道も力を失っており,すでに時代遅れだと結論づけた。これは,伊藤の個人的な意見ではなく,明治国家の建設に参画した開明的な政治家たちの共通の認識であった。こうして,万世一系天皇」が「大日本帝国」「ヲ統治ス」という国家の機軸が,西欧社会におけるキリスト教の威力に対抗しうるただひとつの精神原理であると考えられ,伝統的な神道儀礼がそれに応じて再編成されたのである。
 註記)山折,前掲書,271-272頁。

 さて,天皇家の神話上の祖神「アマテラスオオミカミ」は,近代国家の始祖として拡大解釈され,新たな皇室祭祀が形成された。「アマテラスオオミカミ」が西欧社会における「神:ゴッド」と対比しうる聖なる権威の源泉とみなされ,「伝統神道キリスト教化」の軌跡を残していた。これはまさしく「神道の西欧化」であり「神道一神教化」の試みであった。

 記紀神話において「アマテラスオオミカミ」は,〈最高神のひとつ〉に過ぎない存在であったにもかかわらず,急激に〈地位上昇の機運〉に乗せられ,《唯一至高の高み》に祭り上げられた。しかし,ここに大問題が生じた。皇室の万世一系性を国家の機軸に据え,それを神道儀礼に結びつけたゆえ,「政教分離の原理」に反するという批判が国内外から集中した。
 註記)山折,前掲書,272頁。

 

 c)政教分離どころか,その一致を図った明治帝国政府」  明治国家は,近代化路線を軌道に乗せるために,なんとかこの批判をかわす必要があった。そこで政府が苦肉の策として創りあげたのが『神道のなかで祭祀儀礼と宗教性とを分離する』という応急措置であった。すなわち,神道のなかから冥界信仰・葬儀・民衆教化といった宗教機能を切りはなし,神祀りの祭祀儀礼だけを非宗教的機能であると強弁し,その非宗教的機能なるものを国家による直接の管理下に置こうとした。これを一般には「神道における祭祀と宗教の分離」といい,国家に直属する神道から宗教色を抜いて,非宗教的な祭祀と国家の統合は政教一致ではない,したがって「政教分離の原則に反しない」という〈説〉を立てて,形式的な政教分離を主張した。
 註記)山折,前掲書,273頁。

 ここまでの山折哲雄を見解を聞いただけでも,「明治国家のご都合主義」にもとづく宗教政策=「政教分離」の観念のデタラメさは,十分に理解できる。国家神道であれば,伊勢神宮にしても靖国神社にしても,「神話霊」や「皇祖皇宗霊」や「英霊」に対する信仰が「冥界=あの世」と無関係でありうるわけがない。

 たとえば,明治神宮明治天皇の遺体は収められていなくとも,つまり葬儀とは一見無縁であるかのような場所ではあっても,冥界信仰と深く結びつけられた〈神宮〉そのものなのである。明治神宮はさらに,日本帝国を支持する民衆教化という宗教的感化力を十二分に潜在させ,実際に発揚させてきた事実は,帝国臣民・庶民の誰しも実感してきた歴史である。

 ともかく,その中途半端な政教分離政策のお陰で,日本の神道はしだいに神道そのものの非宗教化という思わぬ花実を手に入れた。神道一神教化という近代化の政策が,皮肉なことにほとんど同時に「伝統神道の非宗教化」をも促進する結果を招いた。
 註記)山折,前掲書,274頁。

 

 d)「村上重良の国家神道批判」 保守国粋民族派神道学者たちが蛇蝎のように嫌う神道研究者の村上重良の著作,『慰霊と招魂-靖国の思想-』(岩波書店,1974年)に,靖国神社の歴史的な淵源を聞くことにする。

 政治上の支配者である天皇を,そのまま現人神,すなわち普遍的価値を体現する生き神とし,全国民に天皇崇拝を強制する神道国教化政策は,その出発点から,人間の基本的権利に根ざす信教の自由とは無縁であった。日本の神社は,これが本来もっていた歴史的な伝統や性格にかかわりなく,天皇に直結する《伊勢神宮》のもとに中央集権的に再編成され,一括して「神社」と呼ばれることになった。

 つまり,日本全国のすべての神社は,天皇崇拝を国民に普及するための国家的公的施設に変質した。伊勢神宮じたいも,1871〔明治4〕年の神宮「御改正」で,天皇の祖先神であり国家神道最高神であるアマテラシマススメオオミカミを祀る至聖所へと,つくりかえられた。同時に政府は,より直接的に天皇崇拝の普及定着に役立つ新しい性格の神社を,つぎつぎ創建していった。
 註記) 村上重良『慰霊と招魂-靖国の思想-』岩波書店,1974年,68頁。

 明治維新直後の神祇官再興は,形式のうえでは,古代天皇制国家の神祇制度の再現であったものの,政府が実際に志向した神道国教化は,古代の神道とは異質な,19世紀なかばの時点でにわかに創案された新しい「神道」であった。古代の神道では,神として祀られる対象は,天神地祇,すなわち天っ神・国っ神であり,天皇・皇族はもとより,人間が神社の祭神として祀られることはなかった。神道と仏教,儒教陰陽道などとの習合が進むとともに,強い霊威を備えた死者の霊,さらに生きている人間の霊が,鎮め祀られるようになっても,復古の見地からいえば,特定の人間の霊を祭神とする神社は,神道としては異質の存在であった。
 註記)村上,前掲書,75頁。

 

  ま と め の 話

 1) 原始的宗教で国民(市民)全体を拘束するなかれ

 以上の議論をしてくれば,なぜ伊勢神宮遷宮行事をめぐっての首相や後続関係者たちの「かかわり・行動が問題になる」のか理解できるはずである。彼らが惹起させようとしているのは,「政教分離の原則」の,いよいよ本格的な破壊である。日本国を国家的次元において神道という原始的な宗教で覆いつくそうとする算段なのである。明治時代の「神道非宗教論」すら,もちだしかねない様子である。熱心な神道信者のみのならず,なんとなく地元の神社はなじみがあり,それなりに信心しているような気分で生活している人たちまでを,十把一絡げにして誰彼問わずに『伊勢神宮靖国神社』の「2社セット」による「日本神道の国家的な枠組」のなかに,それも乱暴にほうりこもうとする企てである。

 一方で,日本国憲法は,天皇家の家長を国家の象徴に戴きながらも,第20条において「信教の自由」をこう規定している。 

  「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない」

  「2 何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」

  「3 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」。 

 この憲法のなかで天皇は,天皇制度として憲法によって守られているが,彼とその一族も含めていえばきわめて特殊な立場に置かれ,一般人のような基本的人権は保障されていない。

 どうみても,皇族集団は特別階級(特権一族)として処遇されていると観察するほかない。彼らには選挙権も被選挙権も与えられていない。『戸籍』は,天皇夫婦について〈天皇ごとの代数〉を掲示し,一般戸籍事項のほかに〈追号・大喪儀の日時および陵名など〉を記載した『大統譜』,および,皇族について「出自天皇別に区別され,形式は大統譜」に準じた『皇統譜』をもっている。要するに『大統譜』『皇統譜』は,一般国民から皇族集団を切り話す「貴種の戸籍」を表現している。

 天皇一家の家長:昭和天皇が1975〔昭和50〕年11月21日を最後に靖国神社参拝を止めていた事情は,靖国神社A級戦犯を合祀したことが直接の契機になっていたものの,当時まですでに日本社会においては靖国神社が国営化法案として政治問題化し,国営しようとする法案をめぐり日本社会を大いに騒がせていた。

 

 2) 伊勢神宮靖国神社は「同じ穴の狢」あるいは「おしどり夫婦」のような関連をもつ宗教施設

 そこで,日本の政治家たち行動にかかわる靖国神社参拝という話題に入ることにしたい。期日でいえば,政治家たちが8月15日(←敗戦の日であって,アメリカに対して開戦した12月8日ではない。なぜ,この日なのか「?」であるが……)靖国に出向いて参拝するさい,公人でなく私人としてだとか,玉串料も私費であるとかいいわけするのがつねである。

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 出所)写真は,2011年1月4日に伊勢神宮を参拝した時の菅 直人首相。   http://www.asahi.com/special/hibi/TKY201101040317.html

 また,その話題と並んでたとえば,菅 直人が首相であった2011〔平成23〕年1月4日に,三重県伊勢市伊勢神宮を参拝したことを挙げておく。菅首相は首相在任時に,靖国神社公式参拝」はしなかった。しかし,その代わりに伊勢神宮に「参拝」しており,マスコミ関係でもその事実が報道されていた。この菅首相の宗教的な行動については早速,キリスト教系の日本長老教会が抗議声明を出し,抗議していた。

    首相の年頭の伊勢神宮参拝に抗議します

 

内閣総理大臣 菅 直人殿

 

 私ども日本長老教会社会委員会は,菅 直人首相が年初(1月4日)に伊勢神宮参拝を行ったことに抗議致します。

 日本国憲法20条の政教分離原則は,戦前戦中に政府が記紀神話に基づく神の国信仰を一律に強制し,国内外の人々の信教の自由を侵害した苦汁の歴史から学び取った尊い財産です。しかし日本国憲法制定後も,歴代の首相による年頭の伊勢神宮参拝によって政教分離原則は遵守さ れることなく今に至っています。

 伊勢神宮神社本庁でも「本宗」という位置に置かれている日本の神社神道を代表する宗教施設であり,ことに伊勢神宮は戦前 戦中において靖国神社と並んで国民の思想統制の中核的役割を果たした神社でありながら,自民党政権の時代からほぼ毎年内閣総理大臣による年頭の伊勢神宮参拝は慣例化され,それは政権交代後の民主党鳩山政権においても変わることがありませんでした。

 私どもは菅内閣が2010年8月15日に靖国神社参拝を行わなかったことを評価をしつつも,不参拝の理由がアジア諸国との関係の重視にのみ留まり,政教分離原則を守るという観点が欠落していたことに大変危惧を覚えております。菅直人氏は民主党が野党だった時代の2003年1月4日に,年頭の伊勢神宮参拝を行った理由として「政権交代を睨んで,首相となる準備に備えて伊勢神宮を参拝した」と発言しました。それは日本国の首相となる以上には記紀神話に基づく神の国日本という理解に立たなければならないという,政教分離原則に明白に反する発言であり,首相としての立場 にもと悖るものであることを私どもは深く憂慮しています。

 私どもは内閣によって日本国憲法を遵守した政治が行われ,マイノリティーに至るまで国民の思想信条の自由が守られる ことを切に願っています。また菅内閣によって,歴代の政権の悪しき慣例が正され,日本国憲法99条に則り,憲法を遵守した政治が行われることを切に期待し ています。内閣総理大臣というお立場での神社参拝等の宗教行為から今後一切決別されることを切にお願い申し上げます。

 

   2011年1月6日
     日本長老教会社会委員会
        委員長 星出卓也

 註記)http://cms.chorokyokai.jp/index.php/archives/text_d_top/1/31/ 2013年3月26日検索。

 

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 出所)画像は星出卓也。http://jpnews.org/pc/modules/mysection/item.php?itemid=554 

 今回の伊勢神宮遷宮行事に参加した安倍晋三に対しては,日本キリスト教協議会靖国神社問題委員長,坂内宗男が抗議し,批判する見解(「本稿(1)」で言及)を披露していた理由は,この日本長老教会による抗議文と共通している。

 

 3) 天皇天皇制は私家と公事とが激突するほかない矛盾の場

 皇居の宮中三殿賢所には天照大神の形代(かたしろ)が祭られている事実は,首相が伊勢神宮遷宮という行事に参加することの政治的・宗教的な意味を,如実に物語っている。そもそも,明治以来,国家の宗教施設とされてきた伊勢神宮にしても靖国神社にしても,そして宮中三殿賢所にしても,いまでは「民間の宗教法人」であり,あるいは「天皇家の私物・私事」でありながらも,とくに後者が憲法上において公的に,国家の人物=天皇制度として存在するところから,基本的な矛盾が,むろん「政教分離の原則」に関する論点として集約的に,突出してこざるをえないのである。

 伊勢神宮皇室神道とのあいだの,今世紀的な視点からする「国家的次元における両者の濃密な宗教的関連性」を再確認しようとする政治的な行為が,今回のごとき,安倍首相の伊勢神宮遷宮行事参加であった。これを契機に,時代を「明治に復帰させよう」とする形態をもって,いままさに露骨に披露されているのが,時代錯誤の政教一致的な一国首相のこの演技なのである。

 補註)なお,伊勢神宮遷宮について,新聞報道では1300年余の伝統が連続してあるかのように書かれていたが,これは正確ではない。というのは,中世の戦国時代において経済的に困窮した伊勢神宮は,遷宮の行事を中断せざるをえない時期をもっていたからである。内宮(ないくう)では 1462年から123年間,外宮(げくう)では 1434年から129年間,それぞれ中断していた。

 かといって,この話題はけっして古代にまでは遡れるようなものではなく,単に明治帝国への復帰を郷愁する「岸 信介の外孫」の「反動的な政治行為」の一環に過ぎない。だが,この時代錯誤以外のなにものでもない核心の部分(国家神道の再生目標)は必死になってごまかしながら,それでいてそのわけもよく分からぬ誤信=「その信仰が古代史にまで遡及できるかのような仮想」を,《いちじくの葉っぱ》として用意することを忘れていないようである。

 日本国が政治面・経済面ともに生彩を欠いていくほかないこの21世紀に,再びこの日本国=「神の国」を燦然と輝かすためには『伊勢神宮への〈神頼み〉の政治』によって,つまり,民主主義の政治理念ではなく,19世紀的な神国日本の帝国主義像への復帰を狂信したいかのような政治運営がめざされている。軍事面では日米安保体制のもと,集団的自衛権を発動できる国家体制にすると意気ごんでいる安倍首相である。だが,この考えは,アメリカ側からそのまままともに相手にされているわけではなく,また周辺諸国からは,よりいっそう日本という国家は猜疑心でもって対されるほかなくない。

 

 4)「日米,同床異夢 米国,中国との衝突を懸念 2プラス2-日米が想定する安全保障上の課題-」(『朝日新聞』2013年10月4日朝刊,前半部分のみ引用)

 急速な軍備拡大を進める中国とどう向き合うか。10月3日の日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で,最大のテーマは「中国」だった。米側は経済的なつながりや東アジア地域の緊張緩和も重視して融和を模索。一方,尖閣諸島の問題を抱える日本側は,日米で厳しく対抗する姿勢を打ち出そうとするなど,日米両国の思惑に隔たりもみえた。

 米国のケリー国務長官ヘーゲル国防長官がそろって来日するのは異例のことだ。日本を重視する姿勢の表われといえる。さらに異例だったのは,2人がまず訪れたのが,皇居近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑だったことだ(下掲の動画・写真)。国立の同墓苑は特定の宗教にとらわれず,A級戦犯らが合祀されている靖国神社とは異なる。同墓苑によると米政府の閣僚が訪れるのは初めてという。

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 同墓苑には第2次大戦中に海外で亡くなり,引きとり手のない約36万人の旧日本軍兵士や民間人の遺骨が眠る。2人は献花台に花束を供え,黙祷した。閣僚らの靖国神社参拝をめぐって日本と中国,韓国とが摩擦を繰り返すなか,今〔10〕月17日からの秋の例大祭では安倍政権の閣僚の参拝もとりざたされている。この時期に米国の2閣僚が千鳥ケ淵に足を運んだのは,先の大戦をめぐって関係が膠着(こうちゃく)状態にある日中韓に対し,大戦の当事国でもあった立場から和解の重要性を示したともみてとれる。

 --ケリー国務長官ヘーゲル国防長官がこうして,わざわざ千鳥ケ淵戦没者墓苑に出向き献花したのは,靖国神社に対する日本政府の姿勢に対する婉曲な当てつけである。靖国神社にはA級戦犯が合祀されている。こちら(九段)の祭神になった戦没者が,第2次大戦日中戦争・日米戦争〕にかかわる戦争責任を問われ,アメリカを中心とする連合国軍が開廷した東京裁判極東国際軍事裁判)において死刑判決を下され,それも昭和天皇の身代わりになった関係のなかで,絞首刑になった東條英機らを指すことはいうまでもあるまい。

 この靖国神社に,日本を敗北させたアメリカの高官が参拝したりもしくは寄ったりするような行為は,この神社の歴史と性格をまがりなりにでもしっている人間であれば,けっしてとりえないものである。ましてや靖国神社は本来「戦争神社」であり,それも「勝利神社」であったのだから,日本帝国を敗北させたアメリカが,この神社をまとも

 戦争の犠牲者という普遍的な共通概念,つまり,戦没者に対して悼む気持に国境はないという立場・姿勢でもって,両長官(それも国務と国防の2人である) が,千鳥ケ淵戦没者墓苑にいって花を手向けて慰霊する行為をした事実は,実は,靖国神社に対する間接的ながらも強烈な批判を意味するのみならず,本ブログの行論の運びからすれば,伊勢神宮に対するきびしい批判を示唆してもいる。

 1975年11月21日の靖国参拝を最後に,ここには,いきたくとも・いけなくなった昭和天皇も,そしてこの父の遺志を受けてやはり靖国には絶対にいかない平成天皇(2019年5月から退位し上皇)も,A級戦犯が合祀されているこの神社に参拝にいったりしたら,敗戦にもかかわらず維持できていた「自分たち皇位」そのものに,歴史的に内包されている『敗戦以降』の「皇室一家の存在価値」が大きく破損されることを,絶対に忘れることなく深く認識しているのである。

 したがって,アメリカの両長官が千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花した行為は,天皇家に対する婉曲なあてつけにもなっていた。もちろん,安倍晋三政権に対しては〈直接の非難〉を政治的に意味させていた。

 

記1 2013年10月5日午後10時記述】

 2013年10月5日夜に『天木直人のブログ』をのぞいてみたところ,2013年10月4日が「ケリー,ヘーゲルが千鳥が淵墓苑に献花した衝撃」という題目で,こう記述していた。

 「私が安倍首相が日米同盟になじまない首相だと思うのは,ケリー国務長官ヘーゲル国防長官がそろって千鳥が淵墓苑を訪れて献花したことをしったからだ」。

 「これが衝撃的な外交事件だ」。「安倍首相はさぞかし腰を抜かしたことだろう」。「これは,米国が日本の戦没者を追悼する場所は,安倍首相がいうような靖国神社ではなく,千鳥が淵だといっているのである」。

 「米国のアーリントン墓地に相当するのは靖国ではなく千鳥ヶ淵であるといっているのである」。「これ以上ない米国の安倍首相に対する警告である」。「安倍首相は米国の国益に沿わない首相と見なされている」。

 「それにもかかわらず安倍首相はせっせと対米従属政策を進めようとしている」。「私が日米同盟にそぐわない首相であると思う理由がそこにある・・・」。

 

追記2 2013年10月6日午前9時記述】

 2013年10月5日『日本経済新聞』朝刊「春秋」欄から,前半部分を引用しておく。

 「千鳥ケ淵戦没者墓苑はアーリントン国立墓地に『もっとも近い存在だ』。米国のケリー国務長官ヘーゲル国防長官が千鳥ケ淵墓苑に献花したことに関し,米国防総省高官はこう述べたそうだ。5月の安倍晋三首相の発言と引き比べると,そのメッセージはよくわかる」。

 「アーリントン墓地はバージニア州にある戦没者慰霊施設。安倍さんは米誌とのインタビューで,靖国神社を同墓地になぞらえて靖国参拝は自然なことだと主張した。これに対し両長官は『靖国とアーリントンを一緒にしないで』と,行動で伝えたわけだ。同時に,安倍政権を警戒する中国や韓国へのメッセージでもあろう」。

 

 5) 副島隆彦『最高支配層だけが知っている日本の真実』(成甲書房,2007年)の関連発言

 本書のなかで副島隆彦は,2007年に安倍晋三が首相だったとき,2006年7月20日の『日本経済新聞』が「富田メモ」〔昭和天皇が,A級戦犯を合祀した靖国神社には,もう参拝にいけなくなったと嘆いたことを書いたもの〕を1面冒頭で掲載した点について,こう解説している。

 「この富田メモの公表という時点で,はっきり表に出た」のは,当時まだ政権を握っていた自民党の「小泉〔純一郎〕と安倍〔晋三〕に,靖国神社公式参拝するな,アメリカは反対である,というはっきりとした意思表示をこの時,出した」ということであった。ところが「小泉と安倍は逆らった」。

 註記)副島隆彦『最高支配層だけが知っている日本の真実』成甲書房,2007年,27-28頁。

 安倍首相は,2012年12月に自民党が政権を奪回すると,再び首相になった。しかしそのあと,たとえば2013年8月15日に,靖国神社に参拝にはいっていない。というのは,前段のような経緯が彼の意識のなかに強く残響しているからである。その代わりに,今回のような伊勢神宮遷宮という行事であれば,心置きなく参列できるということで,こちらには胸を張って正々堂々とくわわっていた。

 「本稿(1)」でかかげてあった該当の写真を,再度,出しておく。この伊勢神宮の神々は安倍晋三のトンデモな為政に対して,よほど心強い御利益を賜わるとでも理解しているのか?

 なお,両端に同道してこの画像に写っている「SPの男性2人」の服装・身なりに注目。上着のボタンをかけていない,ネクタイピンもしていない。なぜか? 腰回りには警備に必要な装備を一式着装しているはずである。

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 以上の指摘に参考となる記事があった。「セキュリティポリス(SP)がボタン留めない理由」『excite.ニュース』(ラジオライフ.com)2019年4月1日 17:05,https://www.excite.co.jp/news/article/Radiolife_30747/

 もっとも,伊勢神宮靖国神社も皇室の宮中三殿もこれらはすべて,天皇天皇制においていえば,日本の国家神道体系の中核部分を有機的かつ不可欠に構成する〈それぞれの宗教施設である〉。したがって,この程度の知識をいまでは知悉しているアメリカ側は,この時期にあわせたかのように,あえてケリー国務長官ヘーゲル国防長官に日本を訪問させ,そしてわざわざ千鳥ケ淵戦没者墓苑に出向いて献花するという「意思の伝達の〈仕方〉」をしたのである。

 首相官邸側は,こうしたアメリカ側の政治的メッセージを,こんどは慎重に分析・解釈しようとするはずである。恐らく陰では,安倍首相が神経をピリピリさせながら,外務省の担当官に説明させているはずである。問題の焦点は,アメリカが東アジアにおける軍事的な関与を中心にした国際的な政治経済関係を,最近においてどのように再構築しようとしているのかにあると思われる。

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