萩生田光一議員に文科相という職位は重すぎ不適であり,国立大生用の奨学金に関した「制度の端境期」発言の愚かさ

安倍晋三「首相」のオトモダチである「不肖・萩生田光一議員」は,まさしく「反面教師」的にも文部科学省大臣の器にあらずして,その不適マークを添付されるべき「選良」としてならば「太鼓判間違いなし」の,本当の通俗的なる無識人


  要点:1 「こんな人たち」が首相や◎◎大臣をやっている「この国政府の自壊度」には際限がない。国立大学生用・奨学金制度変更の「基本的ななんたるか」など,なにも理解できていないまま,2度目となる重大な無責任発言を放った萩生田光一は「アベの子分にふさわしい黒会・議員」

  要点:2 もっとも,安倍晋三君にしても萩生田光一君にしても,自分の発言が本来もつ意味すらよく理解できていないゆえ,なにかを得意げに語るたびに「自身の愚かさ」を,世間に向けて暴露しつづけている。まったくもって,初めから語るに落ちていくだけの「彼らの暗愚さ」,その奥行きは深い

 

 「〈池上 彰の新聞ななめ読み〉萩生田文科相巡る報道『端境期』発言,反応せよ」朝日新聞』2019年12月27日13面「オピニオン」

 このコラムで池上 彰が,あの問題児的な文科相であった萩生田光一議員をとりあげ,まっこうから手厳しく批判していた。この記事を書いた池上は,遠慮することなく関連する分析・批評をくわえて,つぎのように論駁していた。

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 大学入試に民間の英語試験を利用する案は,萩生田光一文科相の「身の丈発言」で潰れましたが,萩生田大臣は,またも問題発言をしています。朝日新聞12月24日付朝刊の34面に,つぎの記事が出ていました。

 --来〔2020〕年度から大学など高等教育の学費負担を減らす文部科学省の新制度で,従来なら支援を受けられたのに対象外となる新入生が出ることについて,萩生田光一文科相は〔12月〕23日,「先輩はこういう家庭環境でこうだったのに,俺はという不満はあるかもしれない」としたうえで,そうした学生が出ることに対し,「制度の端境期なので,ぜひご理解を」などと述べた。

 文科省によると,対象外となる新入生は国立大だけで約5千人になるみこみ。これは由々しきことです。制度を変えることで支援を受けられない新入生が出ることは,制度設計の欠陥というべきでしょう。官僚が制度設計をした結果,対象外の学生が出ることが明らかになったら,政治家の出番でしょう。

 政治主導で救済策を考えるべきなのに,政治家がみずから「端境期なので,ぜひご理解を」とは,なんたること。弱い立場の人への思いやりが感じられません。これでは,「身の丈に合わせて」という発言と大差ないではありませんか。子どもたちに教育の機会均等を保障すべき文部科学省のトップの発言とは信じられません。「身の丈発言」がなぜ批判されたのか,その意味がわかっていないのではありませんか。

 補注)本ブログは旧ブログで「この問題」,すなわち,国立大学における学費の減免制度の変更にともない不利をこうむる学生が出てしまう事態については,すでに言及していた。できれば,この記述のあとにつづけてその記述を復活させたいが,ここではとりあえず,池上 彰の指摘がもっともな議論を提示し,批判を展開していたとだけ述べておく。

 こんな重大な問題発言をしたのに,朝日のほかは日経新聞が24日の夕刊10面に小さく載せただけで,読売新聞や毎日新聞は,この萩生田発言を報じていません。これはどういうことか。他の新聞記者たちは,この発言の重大さにすぐに気づかなかったのでしょうか。気づかなかったのならば,記者たちの感性の鈍さに驚くしかありません。

 その点,朝日の記者は問題を感じたのですぐに記事にしたのでしょう。その点で高く評価しますが,これだけの問題発言なのに,その後の続報がないのは,ちょっとがっかりです。朝日の記事を朝刊で読んだあと,同日の毎日新聞夕刊2面の「あした天気になあれ」というコラムに,こんな記事を見つけました。

 フィンランドで世界最年少の女性首相が誕生した。サンナ・マリーンさん,34歳。1児の母。新内閣の閣僚は女性が12人,男性7人。しかも連立政権に参加する他の4党の党首は全員女性という。もっとも,私が今回,マリーン首相誕生のニュースで一番心を動かされたのは,その若さでも性別でもない。彼女の経歴だ。

 幼いころに父親のアルコール依存が原因で両親が離婚。貧困を経験した。本人が「レインボーファミリー育ち」と語るように,その後,母親とその女性パートナーに育てられた。中学までの成績は振るわなかったが,高校や自治体の運営する施設で自分の居場所や仲間をみつけ,親族のなかで初めて大学進学を果たした。「私を救ってくれたのは福祉制度と学校の先生」と政治家の道を志したという。

 フィンランドは幼稚園から大学まで学費が無料。だから貧困のなかからでも大学進学のチャンスがあり,首相までの道が開けます。コラムの記者は,こう文章を続けます。

 ため息が出た。いまの日本でこの人生は可能だろうか。ひとり親世帯の貧困率が5割を超え,生活保護世帯や養護施設出身者の大学進学率は極端に低く,文部科学相が教育機会を語るのに「身の丈」などという言葉をもち出す国なのだ。

 まったくの同感です。制度改革の狭間(はざま)で不利益を被る学生たちに対し,「端境期」という言葉をもち出す大臣の神経を疑います。国連の国別幸福度調査でフィンランドは2年連続の首位であるのに対して,日本の幸福度は世界58位。その理由が,これで分かろうというものです。子どもたちへの愛情が感じられない大臣と,感性の鈍い記者たち。これでは少子化を食い止めることができないではありませんか。(引用終わり)

 萩生田光一という文科相を務めている議員自身は,配偶者と娘,息子が1人ずついるらしいが,安倍晋三には配偶者の「例の公人兼私人」的な女房の昭恵がいるが,子どもは儲けていない。彼ら:男2人のなかでも萩生田は,自分の子どもたちの進学に関していろいろ心配や苦労はなかったのか? 萩生田光一にはそう問うてみるのもいい。世帯・家庭それぞれに個別の事情はあっても,である。

 荻生田光一の家族構成などについては,すでにいくつかのブログが書いていた。萩生田が自分の子どもたちの進学関係で,とくに経済的に苦労をしたという様子はないかように観察できる。だが,安倍晋三については子どもがいないので,そのあたりに関してはうかがう必要がない。

 萩生田光一は,早稲田実業学校高等部を卒業したのち明治大学商学部に進学している。高校在学時,卒業パーティーのパーティー券を売り歩いて一度目の停学,高田馬場で朝鮮高校の生徒と大乱闘になり,二度目の停学を受けていた。彼は,この二度の停学の話を自慢話となっているそうであるが,このあたりの履歴が,もしかしたら安倍晋三に気に入られていたのか,などと勘ぐってもみたくなった。

 話を本題に戻そう。 

 
 「私大授業料,90万円 昨〔2018〕年度,7年連続で増加」日本経済新聞』2019年12月27日朝刊39面「社会1」

 2018年度に入学した私立大学部生が初年度に支払った授業料の平均額は前年度比0.5%増の90万4146円で,7年連続で増加したことが〔12月〕26日までに,文部科学省の調査で分かった。全国581校分を集計した。

 入学料については0.8%減の24万9985円で,施設整備費は0.3%増の18万1902円。実験実習料などを含めて初年度に支払う総額は0.3%増の146万776円だった。授業料を学部別でみると,もっとも高いのは歯学部で322万5206円,医学部が266万6458円で続いた。もっとも安いのは神・仏教学部の73万658円で,次いで社会福祉学部の74万8868円だった。

 文科省は2019年度に私立の幼稚園と小中高校に入学した子どもについて,1人当たりの授業料や入学料,施設整備費などの合計の平均額も調べた。結果は幼稚園が1.5%増の38万8690円,小学校が0.1%増の81万9748円,中学校が0.8%増の79万6193円,高校(全日制)が0.8%増の73万6677円だった。(引用終わり)

 この記事は,前段で池上 彰が比較に挙げていた話題,「フィンランドは幼稚園から大学まで学費が無料。だから貧困のなかからでも大学進学のチャンスがあり,首相までの道が開けます」という教育の環境条件とは,それこそ天地ほどの大差がある。日本の国立大学はいままで保護者の年収が低い層については,授業料の減免制度があった。ところが,これに制度の変更が生じていた。

 萩生田光一が放った問題発言は,「先輩はこういう家庭環境でこうだったのに,俺はという不満はあるかもしれない」としたうえで,そうした学生が出ることに対し,「制度の端境期なので,ぜひご理解を」といって,相手に対して生じていた不公平・不平等を,ともかく文句はいわずに甘受せよという口吻であった。それゆえ,池上 彰はこの問題発言にあえて噛みつき,きびしく批判を放っていた。

 萩生田光一自身が「ぜひ理解を」してほしい「制度の端境期」などないようにするのが,「国家百年の大計」である教育にたずさわる文部行政の最高責任者の責務である。ところが,その端境期は一時だけ発生する問題だから,大目にみて勘弁してくれてもいいのではないか,という理屈が開陳されていた。

 国立大学における保護者が低所得層世帯である場合,当該の学生が減免制度をどのように利用できるかという点に関しては,なるべく不備や不利がないように事前に手当をしたうえで制度の変更をすべきところを,「まあいいじゃないですが,ここはひとつ,あなた方が我慢してくれれば済むことだし……」と,いいはなっていたことになる。

 日本学生支援機構,昔は日本育英会といっていたが,この奨学・育英機関は貸与型が主軸であって,最近では民間金融機関の “優良な融資先” になってもいる。つまり,本末転倒というほかない奨学事業が,国家的機関によって推進されている。

 この点に関してくわしい説明は,つぎの ③ に説明させたい。前段で話題になっていた「フィンランドでは・・・無料」といわれていた点を念頭に置いて,読んでみたい文章である。

 

 奨学金は “学生ローン” に改称すべき 学費返済に追われ続ける若者たち」『『BLOGOS』2019年06月27日 10:40,https://blogos.com/article/387259/

 この記事は長いので全段は引照できないが,大約の意味はとれるように引用する。

 --2018年度,大学・短期大学への進学率は,文部科学省の調査で57. 9%に達し,過去最高を更新した。私立大では,入学希望者が定員を下回る定員割れも発生し,進学を望めばほとんどの人が高等教育を受けられる時代だ。ただ,私立大文系では卒業までに少なくとも約400万円が必要とされ,大きな学費負担はネックになっている。

 学びたい気持を叶える手段が奨学金だ。日本学生支援機構(JASSO)が設ける貸与型奨学金を活用するのが主流で,大学生の4割が利用しているとされる。ところが,卒業後も返済に苦労し生活に困窮する若者も少なくない。奨学金とは名ばかりで,実質的にはローンだ」との声も聞かれる。奨学金をめぐる課題や実情を取材した。

 ※-1 貸与型奨学金利用者は2. 7人に1人

 ※-2 延滞額は854億円 回収へ訴訟への移行件数も激増

 ※-3 奨学金は数百万円の借金,「いまや人生最大の買い物」

 東京・下北沢に本部を置くNPO法人posseブラック企業や未払い賃金の問題など労働相談にくわえ,奨学金返済の問題にも力を入れている。「奨学金を借りるということは,若くして数百万円の借金を背負うということ。そんな実態があまりにもしられていない」。

 「景気の低迷でまともな職もえられず,ブラック企業で働くことを余儀なくされる人も多い。そんななか,多くの若者から家を買うという選択肢は消え,車を購入するのもむずかしい。すると,奨学金というのは人生のなかで最大の買い物になるんです」。

 補注)「奨学金というのは人生のなかで最大の買い物になる」と日本学生支援機構「貸与型奨学金」の本質に関する説明を聴いて,耳を疑ったほうが当然の正解である。人生の経路のなかで学生時代に奨学金で借金,それも多額になるそれを背負うようになる事態の発生は,奨学金という制度が本来狙っているはずもない,いわば「論外(想定外?)の波及効果,それも負的なそれ」である。ところが,奨学金を借りたばっかりに若者の人生に躓きを与える契機をもたらすというのであるから,本末転倒である。

 ※-4 重い奨学金返済に首が回らず 20代で破産のケースも

 この問題の背景には,貧困の連鎖があるという。家計が貧しい状況ならば,大学に進学して良い就職先を確保したい。そのためには,400万円以上に及ぶこともある奨学金を借りてでも,大学への進学を選ぶ。だが,卒業後もまともな就職にありつける保証はなく,ブラック企業や非正規での労働を余儀なくされる場合は多い。賃金が十分に支払われなかったり体を壊したりして,たちまち奨学金の返済はおぼつかなくなるという。

 ※-5 返せないのは「若者の甘え」との指摘は不適当

 ここでは,萩生田光一の発言「制度の端境期なので,ぜひご理解を」に関連する説明が出てくる。ここの説明は,この文科相がいかに文部行政に疎い議員であるかを教えてくれる。

 --大学など高等教育機関の無償化を図る大学無償化法が成立し,来〔2020〕年4月に施行される予定だ。国や自治体が授業料や入学金を減免するほか,返済がいらない給付型奨学金の普及についても盛りこまれた。ところが,住民税の非課税世帯をメーンの対象としていることから,奨学金が利用できる対象が現状より減る可能性も指摘されている。

 要は「奨学金をめぐっては,世帯の年収や成績といった面で,どうしても『選別の要素』が出てきて,不公平感が生まれやすい。奨学金の対象とならなかった人からのバッシングも考えられる。ならば,学費を海外のように無料にしてしまうことが重要ではないか。最低でも,給付型の奨学金を拡充させることが必要」。

 そして,「奨学金は雇用の変化に密接にかかわる一部の人の問題ではない」。なによりも「奨学金は,ブラック企業生活保護などの問題も深くかかわっていて,日本型雇用が解体されていった文脈のなかでとらえるべきだ。一部の人の問題として位置づけるのではなく,日本社会全体の普遍的な問題として取り組まれることが大切であり,雇用形態の変化のなかで返せない人が増えたのはけっして偶然の話ではない。今後も爆発的に増える可能性はある」。

 ※-6 あるべき奨学金の姿とは,有識者に話を聞いた(ここではなにが論点になっているかについてだけ抜き書き的に参照しておく)

 「制度の存在が周知されていない」。「世界における奨学金の好例」(※)がしられていない。後者(※)については,こう説明されている。たとえば,スウェーデンは完全に無料で,生活費も昔は給付で在学中はかか」らない。「フランスやドイツも授業料はなく,ローンを使わなくても学生生活を送れ」る。

 日本の「学費は20,30年前より上がり」,また「家計の可処分所得が減ったことも影響してい」て,「とくに,国公立大学では,2006年はあまり所得の差がなかったものの,それ以降は差が広がった。所得が低い人がいきにくくなってい」る。

 ※-7 日本の奨学金制度は貸与型が主流

 返済が必要な制度にもかかわらず,「奨学金」という名称にしている。特別な「学生ローン」とした方がよい。以前,日本育英会は「ジャパン・スカラーシップファウンデーション」との名称を使っていた。スカラーシップ(=奨学金)とは,実質的には奨学金ではなく,英訳するさい際にも貸与奨学金を「スカラーシップ・ローン」という変な訳になっていて,海外では,スチューデント・ローンという名称が主流である。日本でも英語名称も含めて,すべて検討し直すべきである。

 ※-8 JASSOの延滞金徴収,公平感うるためいっそうの工夫を

 このJASSOは,利用者の返済が遅れると延滞金を課している。もともと延滞利息は10%と高く,いまは5%に落としたが,金利を考えたら高いといえる。延滞金は月々の返済額に対してかかりるが,それでも,毎月払わないと雪だるま式に増えてしまう

 ※-9 家計が苦しくても学ぶための手段は奨学金ばかりなのか

 大学の教員などの有志が,奨学金を用意するケースも完全になくなったわけではない。昔は貧困家庭の学生を周囲が支えることもあり,そういう支えがあったからこそ奨学制度が貧困でよかったという皮肉な面もある。

 現状は「無理する家計」と名付けているが,なんとかがんばって学費を調達する親もいる。衣料費や,旅行の費用,娯楽費を全部節約して教育費に充てる。しかし,いまの経済状況ではそうがんばれる親ばっかりではない。

 ※-10 大学無償化法をどう分析しているか。

 2017年に給付型奨学金ができたが,規模が小さくて220億円ほどであった。毎月の給付も2万から4万円ほどだったのが,今回から一気に拡大した点は評価すべきである。

 大学への初年度の納付金は私立の場合,100万円ほどで,よほど学資保険をかけたり,貯金をしたりしてないとむずかしい額であるが,入学金まで免除する仕組ができたことは意義がある。

 さらに,在学中に親が亡くなったり離婚したりするなど,急に経済的な困窮する「家計急変」も対象となった。

 一方,問題だらけなのもなお事実である。まず,奨学金の額を決定する家計の所得区分が3段階だけで,非常におおざっぱである。1円の差で奨学金が交付されるかが決まるのが実情で,働かない人が出るなどモラルハザードが起きる可能性もある。

 ほかにも,大学側において入学定員の充足率が8割未満という状態が3年間続くことを認めていないことなどは問題である。

 成績が下位4分の1に連続して入ると,奨学金を打ち切るという内容も盛りこまれている。生活が苦しいなかでアルバイトをして,がんばっても下位4分の1に入ってしまう可能性はある。奨学金をもらう学生の実情を反映した制度といえるのか。

 補注)いろいろ関連する問題がまだあるものの,この「成績が下位4分の1に連続して入ると,奨学金を打ち切る」といった制度設計じたいが,貧困目線型の奨学金制度を端的に表現している。

 「奨学金(給付型)」の問題が,単に経済的状況だけを考慮した制度運営ゆえ,4分の1以下の成績の学生は打ち切りにする仕組だというけれども,これでは実は奨学金とはいえない。

 アルバイトうんぬんまでも関連づけた議論にならざるをえない基盤からしても,「制度設計そのもの」に関する発想が貧相に映る。いってみれば,奨学金制度になにやら疫病神(貧乏神)がまとわりついている様子がうかがえないわけではない。

 ※-11 大学独自の奨学金制度 縮小の可能性も

 ※-12 奨学金制度を考えるうえで,今後どんな視点が重要になるか。

 大前提は,高等教育に進学したいが,経済的な理由であきらめざるをえない若者をなくすとの視点である。教育の機会均等は,憲法でも教育基本法でも書かれ,大事な理念である。親の世代の経済的な格差が子供に影響することは許されず,平等,フェアであるべき競争が保たれていないとしたら大きな問題といえる。

 また,誤解を恐れずにいえば,学力も意欲もある若い子が進学できない状況は,その個人だけではく,社会全体にとってもマイナスでる。そういうロスをなくす視点も必要かもしれない。(以上で引照終わり)

 さて,ここでは「高等教育に進学したいが,経済的な理由であきらめざるをえない若者をなくすとの視点」と「学力も意欲もある若い子が進学できない状況」とをかけあわせて,換言すると不即不離に再考する余地がある。

 一方で「進学への意欲(希望)」があって,同時に「学力もある若い子」がいる。他方でその意欲があっても「学力がない若い子」が,大学へいく必要があるのか? こちらの若者群を受け入れているのが,現状ではとくに私大の非一流大学(2流以下のそれこそ,3流・4流だとみなす大学)である。こちらの若者群に対して,新しい奨学金制度を提供することは,問題がありすぎる。

 「学生自身の勉学意欲」と「学生の学力水準」と「保護者の経済力」という3つの関連要因のうち,実際の「学力水準」に対する評価は,奨学金制度に関連させてどのように評価づけされればいいいのかという論点が,なぜか影が薄い。基本的な議論の方向に間違いがあるのではないか。機会均等といっても,なにをどのように評価するのかという論点が,学力水準に関連させた議論としてみるとき,遊離していてバラバラになっている。

 

  日本学生支援機構は「奨学金制度を利用した国営の金融機関」であり,資金を提供する民間金融機関の上得意

 本日(2019年12月27日),本ブログ筆者が出かけて電車に乗ったとき車内でみかけたある広告があった。それは,日本政策金融公庫なる機関が,まるで銀行あるいはサラ金まがいだと受けとるうほかない「奨学金貸付を宣伝するための広告」をかかげていた。下段では,ホームページから関連する紙面を紹介しておく(下部の方向:部分は切り捨ててこの画像に出している)。この紙面には,電車のなかの広告にも出ていた内容(コンテンツ)が含まれている。

 補注)株式会社日本政策金融公庫(Japan Finance Corporation, JFC)とは,株式会社日本政策金融公庫法にもとづいて,2008年10月1日付で設立された財務省所管の特殊会社である。日本に5つある政策金融機関(政府系金融機関)のひとつだという。 

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 このように日本においては, “教育が単なる金儲けの道具” になっている場面が現実的に旺盛してきた。学資保険はすでによくしられている「保険的な学資積立」の方法である。

 それにしても,いったいいつから,この国は大学生向けの奨学金を金融製品に仕立てあげたのか? この種の商売を大学生に向けて開業させて営業している状態そのものが,きわめて異常であり,かつまた特殊に異様なのである。

 萩生田光一文科相の立場から,「先輩はこういう家庭環境でこうだったのに,俺はという不満はあるかもしれない」としたうえで,そうした学生の感想が出ることに対して「制度の端境期なので,ぜひご理解を」などと,国立大学における奨学金制度の変更にともなって生じている不具合・不都合,いいかえればその整合性・一貫性のない無責任さを,若者側にだけ押しつけて我慢せよといった発言(放言)は,池上 彰が的確に批判したように,あまりにも「無神経で冷たい態度」であった。

 というか,もとから萩生田光一には,文教政策に関与する資格・見識・能力など備わっていなかったと判断するほかない,不用意で軽率な発言をしていた。

 日本の国民たちは,安倍晋三政権の終末期に登場した「このトンデモな文科相萩生田光一」という人物の,実に身勝手で不作法な采配ぶりを再度にわたりみせつけられてきた。やはり安倍君のオトモダチだけあって, “ろくな奴がいないね” などとと感想を述べながらも,あらためてひどく落胆させられる思いである。

 要するに日本は『教育貧国』である。先進国である意識を保っているつもりならば,この貧国「面」の恥ずかしさは,とうてい否定できまい。

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