司馬遼太郎の遺志を踏みにじって『坂の上の雲』を大河ドラマ化したNHKの罪業

 司馬遼太郎坂の上の雲』の映像化問題-政府によるNHK支配-

                   (2015年1月3日)

 

   要点:1 国営放送局まがいのNHKは,落ち目の日本国を力づけようとする

   要点:2 日露戦争に勝ったと信じる日本だが,本当は欧米帝国主義が停戦させていた

 


  辻井 喬『私の松本清張論-タブーに挑んだ国民作家-』2010年11月

 

 1) 司馬遼太郎の敗戦体験

 辻井 喬を筆名とした堤 清二(つつみ・せいじ,1927-2013年 )は,日本の実業家・小説家・詩人,現在は財団法人セゾン文化財団理事長であった(2010年11月当時)。西武流通グループ代表,セゾングループ代表

 辻井の本書『私の松本清張論-タブーに挑んだ国民作家-』を3分の2近く読みすすんだところで,今年〔2010年〕11月からNHK(準国営放送)が放映しはじめている,原作・脚本を司馬遼太郎坂の上の雲』に求めた同名の番組「坂の上の雲」が話題に出ていた。辻井は,知人でもあった司馬遼太郎に関する有名な話をとりあげている。

 a) 大東亜戦争中の1943〔昭和18〕年11月,学徒出陣した司馬は戦車部隊に配属され,1944〔昭和19〕年4月,満州国の陸軍戦車学校に入校,12月に卒業すると,満州国牡丹江に展開する久留米戦車第1連隊の小隊長となった。

  1945〔昭和20〕年,本土決戦に備えて新潟県・栃木県に配属され,陸軍少尉として敗戦を迎えた。アメリカ軍の日本上陸作戦が実行されたと想定し,栃木から東京に移動・攻撃をおこなう作戦のさい予想される「市民と兵士が混乱」する事態が起きた,「そうしたばあいどうすればいいか」という疑問を,司馬がある将校が提起したところ,大本営のその少佐参謀は「轢き殺してゆく」と答えた。

 当時,22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのか? いつから日本人はこんな馬鹿になったのか」という疑問を抱いた。「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」と考え,「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している。敗戦時の体験は,その後の作家生活の原点になったといわれる。その後すぐに図書館通いを始める。

 この a) の記述は,どこにでも書いてある司馬遼太郎に関する有名な話である。つぎの b) の記述は,辻井『私の松本清張論』から引用するかたちで紹介する。「ノモンハン事件(戦争)」1939〔昭和14〕年5月~9月での出来事である。

 b) ソ連の戦車は性能が良く,日本軍の速射砲では鋼鈑を撃ち抜けない。たちまち席巻されてしまう。ところがその実情を報告すると,「馬鹿をいうな,精神力で撃ち抜け」といわれる。それを聞いた司馬は後年,「辻井君,僕は日本はこれで敗けるなと思った」と良く話していた(辻井,114頁)

 司馬自身はこう語っていたという。

 

 「この戦車の最大の欠陥は,戦争ができないことであった。敵の戦車に対する防御力も攻撃力もないに等しかった」。

 

 「防御力と攻撃力もない車を戦車とはいえないという点では先代の八九式と同様にで,鉄鋼がとびきり薄く,大砲は八九式の57ミリ搭載法をすこし改良しただけの,初速の遅い(つまり砲身のみじかい)したがって貫通力のにぶい砲であった」。

 

 この「チハ車は昭和12年に完成し,同15年ごろには各連隊に配給されたが,同時期のどの国の戦車と戦車戦を演じても必らず負ける戦車だった」(戦車・この憂鬱な乗物)。
 註記)https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1806/05/news054_3.html

 司馬のエッセイ『街道をゆく』(1971年9月から1996年11月,朝日新聞社,43巻目で絶筆)には,ちらちらと反戦的な感情が,日露戦争からつづいている日本の思いあがりに対する嫌悪感が出ていた。その司馬が『坂の上の雲』だけは「映像化しないで欲しい 」といっていた。なぜなら「あれは演出のしかたによっては,日露戦争で勝ったことを美化し,軍国主義をあおりかねない危険性がある」からだということであった。
 註記)司馬遼太郎『「昭和」という国家』日本放送出版協会,1998年,34頁参照。

 

 2) 司馬遼太郎の遺志を踏みにじった国営放送局まがいのNHKのやりかた

 だが,現に脚本の原作に司馬遼太郎坂の上の雲(『文藝春秋』1969年4月 ~1972年9月に掲載され,単行本はまず3分冊で1973年6月~1973年8月に公刊。『司馬遼太郎全集』は第24・25・26巻)を求めて制作され,いま〔=当時のこと〕放映されているNHK総合テレビによる放映番組「坂の上の雲」は,日露戦争を過当に美化し,明治以来の日本帝国主義軍国主義をあおる危険性を現実に発揮していた。

 その危険性をみずから認識していた司馬は,つぎのようなNHKとのやりとりを残していた。元NHKプロデューサーでスペシャル番組部長の経歴を有する北山章之助からの話である。

 北山章之助さんはNHKに勤務され「日本史探訪」等の制作ディレクターを長年にわたり担当された方です。司馬遼太郎さんとのお付合いも25年以上になるそ うです。司馬さんと親しかった北山さんに,当時のNHK会長が「坂の上の雲」の映像化を司馬さんに了承してもらえるように交渉を依頼されたそうです。会長 の頼みとあって,その場ではすぐ返事されなかったそうですが,下記のような断りの手紙を受けとったそうです。

 

 その後,考えました。やはりやめることにします。  “翻訳者”  が信頼すべき人々ということはわかっていますが,初めに決意したことをつらぬきます。あの『坂の上の雲』を書きつつ,これは文章でこそ表現可能で,他の芸術に  “翻訳”  されることは不可能だ(というより危険である)と思い,小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。(いまもそう思っています)

 

 小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きたのだという思いがあります。日本人とはなにか,あるいは明治とはなにか,さらには,江戸時代とはなにかということです。バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」が沈んだときから,日本は変質します。山伏が,刃物の上を素足でわたるような気持で書いたのです。気をぬけば,足のうらが裂けます。

 

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   出所)http://www.obc1314.co.jp/bangumi/shiba/

 

 単行本にしたときも,各巻ごと,あとがきをつけてバランスをとりました。たしかにソ連は消滅し,日本の左翼,右翼は,方途をみうしなっています。状況がかわったのだということもいえます。が,日本人がいるかぎり,山伏の刃渡りにはかわりません。日本人というのは,すばらしい民族ですが,おそろしい民族(いっせい傾斜すれば)でもあります。『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。

 

 以上,このことについては議論なし,ということにして。

 

  平成4〔1992〕年6月23日 司馬遼太郎

 この話を紹介した人は,こういう寸評を口にしている。--「司馬遼太郎さんの遺言ともいえるこの手紙,まだ,NHKに保存されている事と思います。この手紙のなかの,司馬さんの  “『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います”  」。

 「この言葉の意味をもう一度熟慮する必要があると思います。司馬遼太郎さんが大好きです。『坂の上の雲』を映像でみたい気持もまったくないといえば嘘になります。しかし,私としては,「映像化してはいけない」という気持ちの方が強いのです」。
 注記)http://blogs.dion.ne.jp/tontonton/archives/3811829.html

 

  映像化を担当していたNHKプロデューサーのいいぶん

 

 NHKの番組表のなかには,「坂の上の雲」の制作を担当する西村与志木(エクゼクティヴ・プロデューサー)の解説が記述されている。

  西村与志木:「遥かな道・夢の実現」☆

 

 司馬遼太郎氏の代表作ともいえる長編小説『坂の上の雲』が,完結したのは 1972(昭和47)年とのことです。それ以来,あまたの映画やテレビの映像化の話が司馬さんのもとにもちこまれました。無論,NHKのドラマの先輩たちもその1人でありました。しかし,司馬さんはこの作品だけは映像化を許さなかった,というように聞いています。

 

 『坂の上の雲』が世に出てから40年近い歳月が流れました。そして,いまでもこの作品の輝きは変わっていません。いや,むしろ現代の状況がもっとこの作品をしっかり読み解くことを要求しているのではないでしょうか。

 

 この40年の時代の流れを見るとCGを始めとする映像表現の進化は目覚ましいものがあり,世界は新しい構図のなかで動き,日本もこれからの方向性を模索しています。司馬さんのこの作品の映像化の封印は,いまこそ解かれるべき時であると私たちは確信します。

 

 栃木県佐野の戦車部隊で敗戦を迎えようとしていた司馬さんは,避難してくる人々を轢き殺して戦車を進めよという隊長の言を聞き「国民を守るべき軍隊が国民を轢き殺して行けという。なぜ日本という国はこんな情けない国になってしまったのだろうか」と想い,小説を志したそうです。司馬さんが40歳代のすべてを賭けた小説『坂の上の雲』の映像化は私たちにとって長い間の夢でした。その夢の実現に向けて,遥かな道へ力強く踏み出そうとしています。
  注記)http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/about/

 この西村の解説「遥かな道・夢の実現」は,『坂の上の雲』の映像化だけは許さなかった司馬の遺志を,この小説が公表されてから40年が経った時点であれば,「曲げてもよかった・無視してもよかったのだ」と判断している。

 「現代の状況がもっとこの作品をしっかり読み解くことを要求している」とか「世界は新しい構図のなかで動き,日本もこれからの方向性を模索してい」くとかのいいわけを用意できた西村は,「この作品の映像化の封印は,いまこそ解かれるべき時であると私たちは確信し」たところに,その「司馬の遺志を無視できる」時代的な理由があると明言していた。

 補注)本ブログ筆者がこの記述を,この『はてなブログ』に復活させて書いている “今日の日付” は,2019年12月30日である。西村与志木が前段のように説明し,「司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』の大河ドラマ化に関して弁解した「理屈」の根本は,しょせん,コジツケ(牽強付会)になっていた。

 安倍晋三たちのような政治屋たち,極右・反動・保守・国粋の単細胞的な分子たちであれば,多分,大喜びするに違いないいいぶんであった。しかしその態度は,故人(司馬)が生前堅持していた「小説家としての政治思想としての矜恃」を踏みにじる行為であった。要は,あとはただ,いいわけのための理屈の開陳になっていた。

 

  「21世紀に衰退する道を歩む日本」には「過去の栄光という虚妄の記憶」が要求されている

 

 1) 日本帝国主義残影

 辻井 喬は,「司馬遼太郎」に対しては「『最後の国民作家』という呼び方が使われ」るし,「たしかにナショナルなものの残光を追う最後の人で」あったと指摘する(辻井『私の松本清張論』143頁)。日露戦争の直接的な狙いは,欧米帝国主義による〈暗黙的な合意の枠組〉のなかで日本帝国主義がこれらの国々に倣い,朝鮮〔当時は大韓帝国〕を完全に植民地化するための戦いであったという点にみいだせる。

 そして,ここでとくに忘れてならないことがある。今年〔ここでは2010年のこと〕は,日本帝国がその大韓帝国〔朝鮮〕を完全に植民地化してから,つまり「日韓併合」(1910年8月22日)が強行されてからちょうど100年になったことである。伊藤博文が安 重根に暗殺されたのはその前年:1909年10月26日であった。伊藤を狙撃したあと安 重根は,ロシア語で「韓国〔朝鮮〕万歳を意味する」「コレヤ ウラー! (Корея!   Ура!)」と,大きく叫んだという。

 補注)下の写真は旧千円札に使われていた伊藤博文像である。韓国・北朝鮮でこの伊藤博文は「極悪人の政治家」とみなされる。この伊藤博文を暗殺した安 重根は,日本ではテロリストあつかいされている。

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 日本国の準国営放送局(2019年段階では,ほぼ99%純国営放送局)であるNHKは,過去に日本・日本民族が記録してきた帝国主義侵略路線の実現過程における出来事・事件をとおして,すなわち

   a)   1910年以前にも,被圧迫民族の立場から韓国・朝鮮人側が起こしてきた反発の動きや,

   b)   その後にもつづく朝鮮の独立運動という歴史的事実,

   c)   結局は敗戦してもとの4つの島に戻って生活するはめになった〈日本帝国のみじめな顛末〉などよりも,

   d)   明治末期からは「坂の上の雲」をめざした結果,日露戦争の〔薄氷の〕勝利によって,「欧米帝国主義」と肩を並べて浮かべるかのようにみえはじめた「日本帝国」へと飛躍させえたと,

 ときには理想化し〔 d)  について〕,ときには完全に無視し〔 a)  や  b)  を〕,ときには沈黙する〔 とくに c)  について〕するために必要な「粉飾用の《おとぎ話》」が,歴史「物語風」の大河番組を制作するための脚本としてほしかった。

 なんといっても「最後の国民作家」司馬遼太郎は,そのためにもっともふさわしい〈物語を書いた小説〉として,作品『坂の上の雲』を「ナショナルなものの残光を追う最後の人」(最近風にいえば “日本スゴイ番組” )の立場から残してくれていた。

 NHKのエクゼクティヴ・プロデューサー西村与志木は,司馬『坂の上の雲』の映像化を実現させるには40年の歳月を要したといった。しかし,当の作者自身が『坂の上の雲』だけは映像化しないで欲しいと考えていた。

 というのは,その「演出のしかたによっては,日露戦争で勝ったことを美化し,軍国主義をあおりかねない危険性がある」と,生前から心配していたからである。ところが,NHKはさすが準(純?)国営放送である。司馬がひどく嫌がって応じなかった『坂の上の雲』の映像化に,当人の死後,こぎ着けたのである。

 

 2) 国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」

  2010年8月7・8日の両日,東京大学弥生講堂一条ホールで「国際シンポジウム「『韓国併合』100年を問う」が開催された。主催は国立歴史民俗博物館,共催が「『韓国併合』100年を問う会」,後援に岩波書店朝日新聞社。このシンポジウムには1000人超える聴衆が参加した。その案内文(国立歴史民俗博物館)をつぎにかかげ,講演の内容も一部紹介しておく。

 このシンポジウムは「植民地主義を克服し,問題解決の転換期に」という狙いのもと,2日間で4つのセッションと特別セッションが開かれ,27人の学者・研究者らが幅広い視野・視点から講じ,「韓国併合」100年について問題提起と発言をおこなった。

 国立歴史民俗博物館の平川 南館長は開会のあいさつにつづき,韓国の成均館大学校東アジア学術院教授の宮嶋博史があいさつに立った。同シンポの意義について「『韓国併合』にまつわる諸問題がいまだ解決していない状態のまま,101年目を迎えてはならないという思いからこのシンポを開くこととなった。この問題解決の転換期になれば」と述べた。

 セッションに先立ち,奈良女子大学の中塚 明名誉教授が「歴史をもてあそぶのか-『韓国併合』100年と昨今の『伊藤博文言説』」と題して講演をおこなった。

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   出所)http://jirou.jcp-nara.jp/?eid=1251899

 中塚は「今〔2010〕年の5月10日に発表された日韓知識人共同声明で,『韓国併合条約』について当初から不当で無効なものだと日本政府が一刻も早く認めるよう求めた。いま,日本で『韓国併合』そのものについてしらない人が圧倒的に多く,知識人のなかにも存在するのが現状である」と,日本人の無知と歴史離れを批判した。

 「韓国併合」から35年を経た1945年,日本帝国主義が第2次世界大戦によって敗戦したことは,日本史最大の教訓であると述べ,「朝鮮民族はもともと一つであるのに,敗戦から65年が経ってもなお日本は南北分断を固定化する動きに精力を傾けている。『韓国併合』100年のこの年にあらためて考える必要がある」と述べた。

 --さて,NHKの番組『坂の上の雲(2009年11月29日から2011年12月25日まで足か3年にわたり,NHKで「テレビドラマの特別番組」として放送されていた)は,司馬遼太郎の小説を原作・脚本に使い,「歴史ドラマ風に仕立てられた」日本帝国主義を美化・高揚する狙いを切実にこめた〈大河小説:ドラマ〉である。

 前段で中塚 明が指摘した「旧日本帝国の歴史的に記録した罪悪」,具体的には「日本帝国による韓国併合という歴史的な罪悪」には目をつむった状態で,いかに明治維新以来の日本がすばらしい近代化をとげたか,このことばかりを称賛するテレビ番組に仕立てられていた。

 日本帝国は1説に,日露戦争までは国際外交・軍事交渉のルールを誠実に順守しながら「戦時の交戦」をおこなってきた国であったといわれているが,その後,革命を起こしたソ連へのシベリア干渉戦争を経て,「満州事変→支那事変」→大東亜戦争へと進展・深化させる大戦においては,国際法などいっさいかまわぬ軍事行動をする2流帝国主義国になっていた。

 このように,日露戦争までは〈善〉として,その以降は〈非善〉とみなす日本帝国に関する軍事史観(これは司馬もおかしいと自己認識し,反省していた日本史観)は,軍事史そのものの観点に関して基本的な疑問を抱かせる。日本近代史の実相を直視したくない者の「後ろ向き」にのめっていた歴史観である。

 たとえば,旧ソ連〔それ以前のロシア〕の軍事的侵略を常時受けてきた隣国,たとえばポーランドにとって,いついつまでのロシアの侵略は〈善的な軍事行動〉であって,それ以降の侵略は〈不善的な軍事行動〉であると認識するごとき区分は,無意味どころか,ポーランド人の猛烈な怒りを呼びおこすだけである。それだけでない。日本・日本人はソ連〔ロシア〕の永久的同盟国:味方であるかとの誤解すら惹起させかねない。

 

 3) 帝国主義的な嫌がらせの実例

   a)   日本帝国は属国「満洲国」を建国させる日を「1932〔昭和7〕年3月1日」に決めた。1919〔大正8〕年3月1日に朝鮮独立運動が起きていた。

   b)   1945〔昭和20〕年3月9日未明から10日の米国空軍による東京下町大空襲は,その日が日本帝国「陸軍記念日」であったことに合わせていた。--日露戦争のとき,1905〔明治38〕年3月10日の奉天会戦日本陸軍は勝利していた。

 その勝ち戦を記念して制定された祝日が「陸軍記念日:3月10日」であった。陸軍省は,翌年の1906〔明治36〕年1月25日奉天会戦1周年を迎え,毎年,この3月10日を祝日として祝ってきた。しかし,その東京下町大空襲の1年あとの 1946年からは廃止された。

   c)   東京裁判極東国際軍事裁判〕の結果,絞首刑の判決を受けたA級戦犯7名は,昭和23〔1948〕年12月23日 巣鴨プリズン刑場において死刑を執行された。この日は,当時皇太子であった現天皇明仁の「15歳の誕生日」であった。 

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  出所)写真は1949年の明仁,家庭教師としてアメリカから派遣されたヴァイニング夫人と。http://ja.wikipedia.org/wiki/明仁

 この12月23日が,1989年から2018年までは「平成天皇」の誕生日として「国民の休日」とされていた。話はずれるが,「国民の象徴」である「各代天皇の誕生日」によって,「国民の休日」の日付〔月日〕がかわるというのも,実に変妙な話である。

 ともかく,司馬本人の遺志〔死者の意向〕を完全に踏みにじったうえで,NHKが映像化し,放映した「坂の上の雲」は,いまでは反故でしかない「旧日本帝国主義観点」=「東アジア侵略合理化史観」にどっぷり漬かった架空物語を,わざわざ「大河ドラマ:動く紙芝居」化した愚作といってよい。

  21世紀になってからこの日本が徐々にひどく困窮しつつある現況のなかで,NHKは司馬の意図に反するだけでなく,それからはるか遠くに逸脱してしまった,しかも本ブログの筆者「風」にいえば『動く紙芝居』風の大河ドラマ=「坂の上の雲」を映像化した。

 NHKの受信契約者と不契約者とを問わず,そしてNHKを視聴するとしないとにかかわらず,この歴史的に根拠もなにもない英雄物語「大河ドラマ坂の上の雲」を,公共の電波に乗せて,日本の社会に垂れ流し,押しこんできた。もっとも,そのようにNHKが無理な番組作りをし,あえて放送をしてきたところで,現状の日本がはたして,いま以上に元気になれるかどうかの保証はない。この事実は本日(2019年12月30日)になっても,同断であると明確に表現していいのである。

 しょせんは「過去の栄光」,それも日露戦争にようやく判定勝ちできたに過ぎない『日本帝国の「虚像である明治末期・像」=「青い鳥」』をさがすような準国営放送の報道姿勢は,哀れをとおりこしていて,たいそう惨めであったと形容されて当然であった。

 辻井 喬は,こういっていた。

 皇国神話を基礎にしたビック・ロマンは望むべくもありませんから,司馬の眼差しは,たとえ虚構であれロマンを描くことのできた明治の時代へと注がれることになったのでした(辻井『私の松本清張論』152頁)

 

 4) 参考文献による補足的な考察

 司馬「明治史観」に対する批判書はたくさんある。ここでは,ある2冊から,肝心と思われる批判点を参照・引用しておく。

   a)「イギリスの日本支援」(山田 朗『これだけは知っておきたい日露戦争の真実-日本陸海軍の「成功」と「失敗」-』高文研,2010年11月から)

 --日露戦争日本海軍が動員できた戦艦6隻はすべてイギリス製であった。装甲巡洋艦8隻のうち4隻もやはりイギリス製で,最新鋭のものであった。なぜ,イギリスは戦艦・巡洋艦を日本に販売したのか? 

 イギリスは,バルチック艦隊が極東に向かう航路で一貫して妨害をくわえたりし,日本を支援してくれた。だが,この種の日本支援は,あくまでロシアを「満洲」に進出させないためのものであった。イギリスにすれば日本が大勝して「満洲」を独占するのは困る。

 だからイギリスは,日本海海戦直後にロシアに接近しはじめ,これ以上日本との戦争をつづけると元も子もなくなるから,もう戦争は止めたほうがいい,いいかえれば,ロシアがある程度「満洲で力をもっている」時期に,日本と講和したほうがいいと説得していた。イギリスにとっても日本の「勝ちすぎ」はよくないことであった。ここに帝国主義時代の大英帝国のドライなところ,自国の権益を最優先する立場が明快にでている(54-56頁)

 アメリカも日露戦争の講和を斡旋していたが,その意図はイギリスとほとんど同じであった。ロシアが「満洲」に全面的に進出することを防ぐと同時に,日本の「勝ちすぎ」も防止したい。だからアメリカは,日本海海戦後に積極的に講和の斡旋をしていた。アメリカ側は,日本が決定的でないかたちで戦争に勝ち,ロシアもある程度北部「満洲」に勢力をもつ均衡状態のあいだに入りこんで,「満洲」進出を進める戦略であった(57頁)

 しかし,日露戦争のときは良好な関係であった日米であったものが,その後,日本がロシアと裏で手を組んでアメリカが「満洲」に入ってくることを妨害し,イギリスもロシアと協約を結んだために,日本はロシアを敵とする戦略をとりにくくなった。この結果,アメリカは対日感情をいっそう悪化させ,のちには日米関係が破局をむかえ大東亜〔太平洋戦争〕に突入する原因を作る(58頁)

   b)「明治の栄光という虚光」(高井弘之『誤謬だらけの『坂の上の雲-明治日本を美化する司馬遼太郎の詐術-』合同出版,2010年12月,187頁参照)

 --明治以来における日本の近代化の成功,戦後における民主主義,高度経済成長,「先進国」入りなど,日本の近・現代の歴史は,近代の出発以降,日本が朝鮮に対しておこなってきた加害・侵略の歴史との,まさに相関関係において成立してきたものばかりである。 

 そもそも司馬は,その小説『坂の上の雲』のなかに打ちこまれていた「基本的な欠陥」を認識していたのである。にもかかわらず,NHKの似非歴史番組『坂の上の雲』は,ありもしなかった「明治期日本の理想像」を勝手に造形しておき,これを「日本の国民」に追い求めさせるかのような「愚かな番組」を,制作・放映している。

 20世紀初頭における日韓の国際関係史,さらに超えては世界史的な事情のなかで司馬が描いた「歴史の物語」を読みこまないことには,そして,これを冷厳な事実の歴史的な展開として認識しないことには,いつまでもNHKが捏造した「司馬遼太郎歴史観」「大日本帝国万歳」の地平に足をとられつづけることになる。

 「現実の政治は,歴史小説のようにはいかない」。
 注記)『日本経済新聞』2010年12月31日朝刊「大機小機」

 

  国家権力にのっとられたNHK-準国営放送機関が国営放送局になりさがった現状-

 

 1) 司馬遼太郎の遺志を踏みにじったNHK

 2014年12月19日に松田 浩『NHK-危機に立つ公共放送-新版』(岩波書店)が公刊されていた。本書は司馬遼太郎が『坂の上の雲』が映像化されることに同意していなかった事情に言及している。

 周知のように,司馬遼太郎は生前,この「坂の上の雲」の映像化を拒みつづけていた。その理由は,この小説が日露戦争を頂点として,主人公秋山好古秋山真之兄弟ら明治の青春群像の生き方を描いており,その映像化がミリタリズムの鼓吹に結びつけられることを恐れていたからである。

 生前,親しかったNHKの遠藤利男プロデューサー(のちに放送総局長)がドラマ化を要請したにも,司馬は熟考したすえ「やはり,この作品の映像化はさせない,墓場までもっていくよと頑なに断わっている(遠藤利男「司馬さんの眼と『坂の上の雲』」『Tuchi・つち』2009年10月号)

 この小説の欠陥に,晩年の司馬は気づいていたのかもしれない。映像化の許可は,司馬の没後3年経った1999年,海老沢勝二会長(当時)の時代に遺族を猛アタックして著作権管理団体の司馬遼太郎祈念財団(理事長=上村洋行,司馬の義弟)からえたという。

 実は,そこには大きな問題点があった。司馬のこの原作には,日露戦争を日本がやむにやまれずやった受け身の祖国防衛戦争とみる誤った歴史認識がある。それが朝鮮からロシアの勢力を逐いだし,日本が朝鮮を単独支配するために日本のほうから主体的,積極的にロシアに戦争をしかけて始まった日露戦争の歴史的真実を歪めて,視聴者のなかに間違った歴史認識を植えつけ,さらには戦前の日本を美化して偏狭なナショナリズムを煽る政治勢力に利用されることへの懸念があったからである。
 註記)松田『NHK-危機に立つ公共放送-新版』141頁。

 

 2) 従軍慰安婦問題への関連性 -政権によるNHK  “乗っ取り”  -

 以上に論じてきた話題を念頭に置きながら,最近(当時)の新しい話題に注意を向けてみたい。安倍晋三は2012年12月26日,この国の首相に返り咲いていた。

 安倍は2014年後半,みずから先頭に立って,従軍慰安婦問題の「歴史的な実在問題」を全面否定するため,政治権力者としての立場を悪用してきた。それは,学術的・歴史学的にみればきわめて不適切な,しかも,根拠もなく針小棒大的なこじつけをもってする「強引な政治的な干渉:権柄づく」であり,従軍慰安婦問題の存在そのものを,頭から認めない政治的な態度であった。

 松田の『NHK-危機に立つ公共放送-(新版)』は,2000年末から2001年に入って当時の自民党政府がNHK側に圧力をかけて番組を改変させた事件を,第4章「ETV番組改変事件が提起したもの」で言及している。その番組は「問われる戦時性暴力」という題名であった。これだけいえば,安倍晋三との関係にすぐに気づくはずである。

 当時の安倍晋三自民党第2次森内閣内閣官房副長官に就いていた。安倍晋三中川昭一衆議院議員)とともにNHK当局に圧力をかけた事実は否定しようもないが,問題はそうした政治家,しかも権力側に座っている人間がじかに,NHKの番組に対して具体的に「ああしろ,こうしろ」と口出ししていたことである。

 ETV2001シリーズ「戦争をどう裁くか」という番組がNHK教育テレビの44分番組で,つぎの4回を組んで放送された。このうち,自民党筋の圧力をとくに第2回「問われる戦時性暴力」であった。

   第1回(1月29日)「問われる戦争犯罪
   第2回(1月30日)「問われる戦時性暴力」
   第3回(1月31日)「いまも続く戦時性暴力」
   第4回(2月1日)「人類の和解のために」

 昨年(2014年)後半に日本社会を大騒ぎさせてきた朝日新聞従軍慰安婦誤報問題」へとつながる事件が,そこに先行していた事実が理解できるはずである。こうした問題の発生・経過を通して,なかでもなにが深刻な論点になっていたかについては,松田『NHK-危機に立つ公共放送-新版』の解説が要領よく伝えている。

   ☆ 著者からのメッセージ

 

 権力からの自主・自律を生命とする公共放送が,時の政権の人事支配下に組みこまれる--このことじたい,民主主義社会にとって由々しいことです。しかし,なぜ,いまそれが起きているのか,筆者のもう一つの関心は,そこにあります。

 

 この1年,憲法「改正」を悲願とする安倍政権のもとで,戦後初の言論・治安立法ともいうべき特定秘密保護法(2014年12月10日施行)が強行採決され,つづいて憲法9条を空洞化させかねない集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。

 

 一方,ジャーナリズム分野では,メディアのなかに強力な親政権ウィング(勢力)が形成され,従軍慰安婦報道や原発報道をめぐって猛烈な朝日新聞バッシングが展開されています。

 

 政権によるNHK “乗っ取り” は,そうした政治権力の大きなメディア・情報戦略の一環としてとらえる必要があると,筆者は考えています。NHKの危機が,日本の民主主義の危機でもあることを,ぜひ,多くの読者に訴えたい。その思いに,NHK再生への願いを重ねて,本書を書きました。

 

 3)「大人の放送局BBC」とは好対照である「子どもの国の放送局NHK」〔最近における別名は「イヌ・あっち・イケー放送」と呼ばれている〕

 松田がとくに強調しながら比較の材料に出していたのが,イギリスの国営放送局であるBBCであった。このBBCが完全に国営放送局でありながら報道の自由・独立性を必死に守っているのに比べて,NHKは敗戦時までの経営体質に向けていまや,再回帰せんばかりの体たらく:堕落ぶりを現象させている。

 イギリスがフォークランド戦争(紛争)に突入したさい(1983年3月開始),BBCは自国イギリス軍のことを「わが軍」「敵軍」とは呼ばず「英国軍」とよび,そして「アルゼンチン軍」との戦闘・戦況を客観的に報道しつづけた。

 この放送のしかたに対して,当時の首相サッチャーは激怒した。だが,BBCは「家族を失った悲しみは英国人もアルゼンチン人も変わらない」と方針を変えなかった。

 いまから30年以上も前にイギリス国営放送が貫いた報道機関としての客観性・公正性・中立性など,NHKに望む余地などまったくない。BBCの爪の垢でも煎じて飲めばいいのが,安倍晋三やそのお友達であるNHKの籾井勝人現(元)会長などであった。

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  出所)https://m.newspicks.com/news/1853368?block=side-news-similar
    

 慰安婦問題に関するこの籾井の意見は,売春問題の全般的な知見に関して,完全なる無知をみずから表明していた。

   ☆「慰安婦『戦争国どこにも』」NHK新会長が暴言

      =『しんぶん赤旗』2014年1月26日 =

 

 NHKの籾井勝人新会長は〔2014年1月〕25日の就任記者会見で,旧日本軍の「慰安婦」問題について「日本だけがやってたようなことをいわれる。戦争をしているどこの国にもあった」と述べ,旧日本軍の歴史的犯罪行為である「慰安婦」の存在を合理化し当然視しました。

 

 「慰安婦は必要」と発言し国内外で批判を浴びた日本維新の会の橋下 徹共同代表と同じ発想で,日本の公共放送を担う責任者として許されない重大な暴言です。

 

 籾井氏は,ドイツ,フランスなどの国名を挙げたうえで,「欧州はどこだってあったでしょう」と発言。さらに「韓国が,日本だけが強制連行したみたいなことをいっているから話がややこしい。(補償問題などは)日韓条約で解決している。それをなぜ蒸し返されるのか」などと述べました。 

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  出所)これは『朝日新聞』2014年1月26日の記事と思われる。http://adayasu.hatenablog.com/entry/20140126/1390732946

 日本政府は1993年の河野官房長官談話で,「慰安婦」について旧日本軍の関与を認め,「強制的な状況のもとでの痛ましいものであった」ことを認めており,この見解にも逆行する発言です。また,第2次世界大戦で軍が組織的・系統的に「慰安婦」制度をつくっていたのは日本とナチス・ドイツだけとされる歴史的事実にも反します。

 

 籾井氏は昨〔2013〕年12月,安倍晋三首相の意向に沿う人物で固めたNHK経営委員会でNHK会長に選出されました。籾井氏から国際的にも批判を受ける暴言が飛び出したことで,問題の経営委員を送りこんだ安倍首相の責任が問われます。

 

 歴史的事実にも反する-日本共産党山下書記局長。……日本共産党山下芳生書記局長は〔2014年1月〕25日,NHKの籾井勝人新会長の暴言について,マスメディアの質問に答え,「日本軍『慰安婦』について軍の関与を認め謝罪した河野談話など政府の立場とも,歴史的事実とも異なるもので,公共放送の会長としての資格が根本から問われる」と述べました。 

 籾井勝人会長は,NHKの会長に就任したとき,こうも発言していた。「政府が右といえば左とはいえない」などと〈喝破〉していたのである。だから,慰安婦問題でも安倍晋三のいうとおりに「右向け」といわれれば,そのまま「右向き」になっているわけ……。

 籾井会長はまた,戦争と性暴力問題に関する政治学および社会学からする学問的な蓄積にも無知であるが,この自分の知識の限界についての自覚はなく,常識次元以前の従軍慰安婦否認のヘリ理屈しかしらないで,前段のように発言していた。

 日本は,国営放送局のあり方に関して韓国や台湾よりもすでに遅れをとっているどころか,時代に逆行する方向に走り出している。また,NHKの経営委員会が急速に保守反動化している事実(安倍晋三のお友達「経営委員会」化している)そのものについては,ここではとくに触れられない。

 補注)2019年も12月30日に至った現在,安倍晋三の為政のためにこの国は,もう完全にボロボロの状態にまでなりはてている。子ども宰相の「なれのはて」が「国家溶融の事態」を招来している。まさに救いようのない惨状である。

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