明治謹製であった「創られた天皇制」が民主主義とは絶対矛盾的に自己同一している基本問題

平成天皇が生前に退位(譲位)した日本政治社会,明治以来の問題である「創られた天皇制」をめぐる虚実(その1)

                  (2016年12月3日)

   要点:1 なにが問題なのか,日本の天皇天皇

   要点:2 民主主義国家体制のなかでの天皇制度の問題議論が混迷する事情など

   要点:3 平成天皇の皇室生き残り戦略を考えるための論及


  高森明勅天皇生前退位」の真実』2016年11月

 本日〔2016年12月3日〕の朝刊に幻冬舎の新刊広告が出ていた。高森明勅たかもり・あきのり,1957年生まれ)の新書版で,『天皇生前退位」の真実』(発売日 2016年11月30日)である。この本の宣伝用の解説はこういう記述になっている。 

 平成28〔2016〕年8月8日,天皇は異例のビデオメッセージで国民に気持ちを伝えた。「高齢のため象徴天皇の役目たる公務が十全にできず平成30〔2018〕年に譲位したい。が,制度改正とその可否は国民に委ねる」と。世論調査で国民9割が「陛下の願いを叶え,譲位認めるべし」と賛成。

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 譲位に憲法改正は不要だが,皇室典範改正は不可欠だ。案外簡単な変更で済む。改正せず特措法にすれば退位と新天皇の即位自体が「違憲」となり,譲位直後に「皇太子不在」「皇室永続の危惧」問題が浮上する。転換点の今,天皇神道研究の第一人者が世に問う「皇室典範問題」のすべて。
 註記)http://www.gentosha.co.jp/book/b10490.html

 高森明勅は「皇位継承問題については,2004年の時点では男系継承を支持する立場をとっていたが,翌2005年からは側室制度が廃止された状況下では皇統を維持できなくなるとして女系天皇容認に立場を転じる。同年6月に開催された有識者会議では直系を優先し,兄弟間では男子を優先すべき旨の提言をおこなっている」。

 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/高森明勅

 この高森の立場に向けてはごく通説的な反論であるが,つぎのような批判が寄せられている。いうなれば非常に陳腐な発言ではあるが,いちおう聞いておきたい。

 『SAPIO』(〔2012〕1/11・18)に高森明勅氏による《「女性宮家創設」議論で避けて通れない天皇陛下のご意思と「女系・女性天皇容認論》という記事が掲載されているので,その内容について批判したいと思います。

 

 (旧宮家の男性は)一般国民として生まれ,民間で生活していた者が結婚という事情もなく,ある日,突然,皇族になったところで,国民から尊敬の念を集められると思えない。ここでいうところの国民とは,現代のみの国民です。50年後,100年後の国民にとっては,ある日,突然に皇族になった方ではありません。

 

  “時間の縦軸” ではなく “水平軸” でしか捉えられないのが,女系論者の特徴です。水平軸優先は,まさに理性主義です。50年後,100年後の国民にとっては,皇籍復帰なさった旧宮家の方々は,生まれながらに皇族なのであって,神武天皇から父子一系でつながる正統なる皇位継承資格者なのです。現代人の感想が,未来も同じであると考えてはいけません。世論調査の結果は,日々変更していくことをみても明らかです。
 註記)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/takamorijokeiron.htm

 ここで,あえてまぜっかえしていっておくが,神武天皇には父や母はいなかったのか 註記),というふうに聞いておかねばならない。こういう「理性主義」をもってする「疑問」を突きつけられて,まともに答えを出せる尊王論者はいない。誰もいない。多分,そんなトンデモナイ質問をするな,「オマエは不敬のヤカラ」だと反撃するのが精一杯である。もっと,この国に関する〈悠久の歴史〉(?)にまでさかのぼって天皇天皇制を再考する余地がある。

 註記補注)中山正暉(議員だった人物)が以前,国会において関連する議論をおこなっていた。この論点については,別途記述を予定している。

  鎮西迪雄,元内閣法制局参事官「〈私の視点〉天皇の退位 特例法対応は憲法違反」(『朝日新聞』2016年12月3日朝刊「オピニオン」)

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 この鎮西迪雄(ちんぜい・みちお,画像)の主張に盛られている見解は,高森明勅と同旨である。ともかく以下に引用する。

 --天皇の退位をめぐって,「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で検討されており,専門家へのヒアリングもおこなわれた。報道によれば,「政府は今の天皇陛下に限って退位を可能とする特例法を軸に法整備を検討している」(『朝日新聞』2016年11月15日付朝刊)とされている。しかし特例法による法整備について,憲法違反ではないかという疑義が,政府・法律学者・法曹関係者・ヒアリング対象の専門家・報道機関から提起されたとはあまり聞こえてこない。かつて内閣法制局参事官の職にあった筆者には,不思議なことに思えてならない。

 憲法第2条は「皇位は,世襲のものであって,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する」と明記している。天皇の退位は,皇室典範の改正によってのみ可能なのであって,特例法その他の法律による対応は明白な憲法違反であることに議論の余地はない。

 法体系上は,皇室典範も法律として位置づけられるが,皇位の継承,摂政の設置について憲法による直接の委任を受けた特別の法律である。憲法で,下位法令を固有名詞で引用するのはきわめて異例だ。特例法を含め,他の法律では代替できない。憲法も,第4条第2項では「天皇は,法律の定めるところにより,その国事に関する行為を委任することができる」,第5条では「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは」とするなど,明白に書き分けている。

 このように自明なことがなぜ政府内でチェックされていないのか。「恒久措置が皇室典範の改正であり,現天皇に限っての特例措置は特例法だ」という思いこみや,憲法皇室典範の特別な関係への無理解があるのではないかと考えざるをえない。当否はさておき,退位を現天皇に限っての特例措置とするのであれば,皇室典範の付則に条項を追加するという改正で対応するのが,憲法第2条の解釈として当然のことである。

 天皇の退位については,恒久措置とするか,特例措置とするかにかかわらず,憲法上,皇室典範の改正以外の選択肢はありえない。特例法による法整備は選択肢になりえないのである。

 最後に,一国民としての考えを述べたい。8月〔8日〕の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」で,天皇が直接の表現は慎重に避けながら,可及的すみやかな退位の意向を示された。そのことに圧倒的多数の国民が共感し,天皇のお気持に沿った対応を望んでいることは,疑いの余地がない。政府及び関係者のとるべき対応の方向は,この一点につきると考える。

 --鎮西迪雄のこの意見から読みとれるのは,旧憲法大日本帝国憲法)と同時に準備され,とくにこの憲法と同等・別格〔あるいは以上〕の法律として制定されていた「旧皇室典範」(⇒敗戦後の皇室典範も)がかかえている〈現代的な問題性〉である。皇室典範は敗戦後も,実質的には基本精神においてなにも変えられずに,天皇天皇制に対する法律として再利用されてきた。すなわち,新憲法日本国憲法)のもとに,実は「旧」皇室典範がほとんどそのまま残されていた。それゆえ,それも21世紀のいまごろになってから,明仁天皇の「お言葉」を受けた前後関係において「新皇室典範」が急遽問題にされてもいた。

 

 「象徴天皇 見解に違い-専門家16人,退位への賛否に影響」(『日本経済新聞』2016年12月1日朝刊2面〔参照〕)

 天皇の退位をめぐり,政府の有識者会議(座長・今井敬経団連名誉会長)が聴取した専門家16人の意見が出そろった。退位をめぐるそれぞれの立場は

   (1) 一代限りの特例法で容認
   (2) 恒久制度化して容認
   (3) 退位そのものに反対

の大きく3つ。全体を通じて焦点となったのは,象徴天皇の役割をどう位置づけるかである。国民に寄り添ってきた天皇の活動へのとらえ方が,退位の賛否に結びついている。 

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  補注)これら人物のなかには憲法学や天皇問題の専門家というにはふさわしくない(というか,当初から不適であり,好ましくない)者も何人か混じっている。安倍晋三流のえり好み・偏向性がいちじるしく濃く反映された人選になっている。平川祐弘渡部昇一櫻井よしこの3名がそのその該当者である。 

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  補注)これは『朝日新聞』2016年12月1日朝刊から引用しているので,若干「分類上で意味の相違」もある。『日本経済新聞』同日・記事の本文にかかげられた分類はと,よく比較対照してみる余地がある。『朝日新聞』同日・記事からはつぎの日程表(予定)も紹介しておく。

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〔日経記事に戻る→〕 憲法天皇の役割に関し,国事行為しか規定していない。だが,天皇は被災地訪問などの公的行為を繰り返し国民に寄り添うことで「象徴としての務め」を果たそうとしてきた。8月の「お言葉」は,高齢化でそれが十分に果たせない場合は退位した方がよいとの問題提起だったが,専門家の間ではそもそもの天皇の役割をめぐる意見の違いから退位の賛否が分かれた。

 16人の専門家のうち,条件付きも含めて退位を認めたのは9人。京都産業大名誉教授の所 功氏は,天皇の公的行為は「それぞれの天皇の考えで違ってよい」と指摘。陛下のご意向を尊重し,高齢化で象徴としての務めが果たせなくなった場合は退位に道を開くべきだとの持論を展開した。

 元最高裁判事園部逸夫氏は,被災地訪問などを通じて「天皇が象徴であると国民に受け止めている」との考えを強調。ジャーナリストの岩井克己氏も約30年間,皇室を取材した経験から,いまの陛下の活動について「象徴として生きる責務であると同時にやりがいでもある」と語った。

 容認派の9人のなかでも,退位実現に向けた法整備のあり方は主張が割れた。一代限りの特例法での対応に理解を示したのは5人。残りの4人は皇室典範改正などで恒久的な制度化を求め,数の上では拮抗した。これに対し,退位に反対を表明したのは7人。帝京大特任教授の今谷 明氏は「天皇は存在じたいが重大,貴重だ」と強調。ジャーナリストの桜井よしこ氏も陛下の活動には敬意を表しつつ「天皇様は何をなさらずともいてくださるだけでありがたい」と述べた。

 補注)つまり櫻井よしこは,天皇は祭壇に祭られて黙って座っていればよい,われわれが「玉」として利用するのだから,という根本思想(?)である。旧大日本帝国憲法日本国憲法も突き抜けてしまい,どこかへすっ飛んでいった立場を示唆している。

 東大名誉教授の平川祐弘氏は,陛下が熱心な被災地訪問などについて「陛下の個人的解釈による象徴天皇の役割」と指摘。「少し休んでいただいても象徴としての意味は薄れない」との見方を示した。反対派はいずれも伝統的な天皇の役割を強調し,それができない場合の対応策として摂政や国事行為の臨時代行の活用を主張した。

 政府は内容を精査し,年明けにも論点整理を公表する。政府高官は「将来にわたり退位を客観的に認める要件を定めるのは難しい」と指摘。恒久制度化は避け特例法を軸に検討する姿勢を崩さない。ただ特例法には「しぶしぶ一時の『抜け道』をつくる安易な対処との印象を与えかねない」(岩井氏)などの異論は根強い。各種世論調査でも国民の多くが恒久制度を求めている実態があり,政府が拙速に制度設計を進めれば,天皇の地位を「国民の総意に基づく」と定めた憲法に違反するとの指摘を招く可能性もある。

 『識者の考え方』(この日経記事のなかで論評した2名の意見)

 ※-1「法制上の論点,ほぼ出尽くした」(阪田雅裕・元内閣法制局長官の話)

 専門家への聴取を通じて,天皇の退位をめぐる法制上の論点はほぼ出つくした。退位後の呼称など法技術的なことは段階を追って議論すればよい。専門家の意見が何人対何人と判断するのではなく,論点について多くの国民や与野党の納得をえられるよう政府は説明を尽くすことが大事だ。大きな論点は退位を認める場合,皇室典範改正か,特例法で対応するかだが,恒久制度の議論に時間がかかるとの意見も目立った。今回はいたずらに議論に時間を費やすのではなく,政府は一定のスピード感をもって対応すべきだ。

 ※-2天皇制のあり方,変化の視点欠く」(河西秀哉・神戸女学院大准教授-日本近現代史)の話)

 ヒアリングでは退位による権威の二重化への懸念など古い史実を論拠にした意見が目立ったが,象徴天皇のあり方は時代と社会の変化とともに変わってきた。戦後築かれた象徴天皇像をどうとらえ,将来の天皇になにを求め,象徴天皇制をどう運用するのかという視点がもっと欲しかった。保守色の強い論者が多く,人選のバランスを欠いていた。今後の象徴天皇制に関する議論なのに若手や女性も少なかった。論点ごとに賛否が大きく割れており,意見のとりまとめは相当難航するのではないか。

 

  なぜ,日本の天皇論(問題)は迷走するのか

 1)「玉」に近きつもりの者たち

 a) 橋本 明『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』(朝日新聞出版,2009年)は,明仁天皇と「単に学習院で机を並べたわれわれは『同級生』に過ぎず,マスコミが勝手にご学友と読んできただけだ」註記)といいながら,「〈玉〉に近い自己の誉れ」を心秘かに誇る書物である。まさかこの「〈玉〉を手玉にとっている」つもりはないと思うが,橋本は同時に,戦後における天皇天皇制の歴史が,いかに高貴でありえたかのようにもいい,日本の皇室に関して具体的には確かだとみなせる根拠のないまま,手前勝手に恣意的な判断を下している。

 註記)橋本 明『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』朝日新聞出版,2009年,266頁。

 この橋本『平成皇室論』は,次世代における天皇天皇制の問題を,「日本国の民主主義の状態(ありかた)」とという問題に重ねて議論することとは,無縁の立場にいる。橋本は,皇室会議天皇が入っていない点に関して,「皇室の出来事はまず天皇が中心になって考えるのが当然なのに,法の整備という観点から見ると皇室典範の不備具合はきわめつきである」と断定する。

 註記)橋下『平成皇室論』314頁。

参考の説明 ※          

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 橋本 明(1933年5月24日- ,画像)は,日本のジャーナリスト・評論家。天皇明仁の「ご学友」であった。

 

 さまざまなメディアから皇室の諸問題に関する意見を求められる立場にあるせいか,ご学友だったという立場を嵩に,「陛下の御意志」を勝手に憶測・主張することが多く,現皇室からは遠ざけられている。大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の孫で,内閣総理大臣を務めた橋本龍太郎高知県知事を務めた橋本大二郎は父方の従弟。

 

 経歴は,以下のとおりである。--共同通信社会部次長,外信部次長,ジュネーヴ支局長,ロサンゼルス支局長,国際局次長,共同通信社役員待遇,ジャパンビジネス広報センター総支配人,共同通信社特別顧問,共同通信社国際スポーツ報道顧問,日本パブリック・リレーションズ協会理事,長野オリンピック組織委員会メディア責任者,国際オリンピック委員会報道委員会委員,学習院桜友会機関誌(季刊)編集長などを歴任した。現在は,いくつかの会社の顧問などを務めながら,フリージャーナリストとして著書出版・講演活動をおこなっている。

 

 とくに「銀ブラ事件」が有名である。学習院高等科在学中,同級生だった当時皇太子の今上天皇から銀座にいきたいと相談され,「今宵,殿下を目白の方にご案内したい」と皇太子側近を騙し,同級生で出雲国造家出身の千家崇彦と3人で銀座に繰り出し,大騒ぎとなった。このとき銀座4丁目あたりで慶應ボーイ4人と出会い,慶應ボーイは「殿下こんばんは」と挨拶したという。居場所を突き止められると,銀座に警察官が20~ 30メートル置きに配置されてしまい,これ以上散策ができなくなり終了した。また,連れ出した学友は警察と皇室関係者にこっぴどく叱られた。
 註記)画像も,https://matome.naver.jp/odai/2147066272622455601

 ちなみに,皇室典範に規定されている第5章「皇室会議」は,「議員10人でこれを組織する」うち2人を皇族に振りわけている。しかし,その橋本による天皇天皇制の理解は,その踏みだす第1歩からして大きなまちがいを犯している。すなわち,日本国憲法第1条「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存在する日本国民の総意に基く」という規定が理解できていない。

 補注)橋本『平成皇室論』は冒頭において,日本国憲法第1章第1条~第8条を引用・掲示しているのだが,この程度の理解で話を進めている。

 天皇一家は日本国の「国民」ではなく,その象徴であるという意味で特異な階級(社会階層・集団)である。橋本は,天皇自身がなぜ,皇室会議に入っていないかその意味を理解できていない。これでは『馬の耳に念仏』である。橋本が気づいていないのは,「象徴である天皇」が1人の人間・皇室の主として,勝手に歩きだし話しだすことになれば,この象徴の規定そのものに自家撞着が生まれる点である。

 明仁は「天皇として憲法を守る」と決意し,「象徴である天皇」=自身の立場を遵守すると言明していた。天皇の地位は「国民の総意に基く」ものであって,橋本が主張するように「天皇がともに,あるいは中心になって考える」それではない。ところが,橋本は憲法に反する提言をしており,憲法を遵守するといった明仁の本心を,皆目理解できていない「ご学友」であった。

 敗戦後における日本の民主化は,「皇室典範」で身分差別・女性差別・障害者差別を規定した象徴天皇制との共存であった 註記)。橋本は『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』の最終頁で「本文では敬称を略しました」と,いわずもがなの断わりを付記している。だが,本文中の記述方法では,皇室関係者に対する「尊敬語」などの使用を一貫して回避できていない。

 註記)安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識-日本近代史像をとらえ返す-』高文研,2000年,9頁。

 b) つぎに紹介する橋本の文節は,科学的・学問的に歴史上の根拠を求める手だてもない,単なる独断話法である。

 いうまでもなく,われわれは日本という国に住む日本人である。ではこの国家と国民を結ぶ節目はなにか。正統な血の流れを保ち,さらに誰もが「これは適わない」と敬意を表してしまうような徳を保持する者,すなわち天皇である。天皇がすっくと結節点に立っていることによって日本という国は保たれてきた。これからも変わりあるまい。高い徳を養ってこそ天皇の象徴性は拡大し,「この方こそ」と慕って国民は安心を覚える。
 註記)橋本『平成皇室論』309-310頁。

 この文句は「日本人であれば誰でもそうであるに違いない」と決めつけており,かつまた「迷妄の,のぼせあがつた,単なる確信」に依拠する『〈天皇教〉の吐露:信仰告白』に過ぎない。いいかえれば,「日本人民の道徳の根元を,天皇に置くべしととなえる人は,果して本気であるのか,へつらい者であるのか。歴史を知らぬがゆえに,かかる迷信者となるのであろうか」ということである。

 註記)蜷川 新『天皇-誰が日本民族の主人であるか-』長崎出版,1988年,89頁。

 つぎの引用は,橋本の告白したような,天皇観の底辺に潜む「無意識の感性」の欠陥・制約を説明している。

 要するに,どんな場合にも守られてしかるべき “何か” が天皇をめぐって存在していると考え,それが日本人にとって最も大切な価値-日本そのもの-だと信じていることが,共通の大前提となっているのだ。国学者流にいえば,それは万世一系の価値なのであろうか。

 

 なにか破りがたいものが天皇をめぐってあり,そこに日本の価値,天皇をもつ日本の価値を認めようとするものである。天皇があるがゆえに日本であり,天皇があるがゆえに日本は尊いという発想である。

 

 そうして,はなはだ厄介なことに,過去の日本人は,世界に対して日本の独自性を主張する方法を,つきつめたところ,それしかもたなかった。現在でも,あるいはそうかもしれない。
 註記)久野 収・神島二郎編『『天皇制』論集』三一書房,1974年,〔松浦 玲「日本人にとって天皇とは何であったか-政権・朝廷・国体-」〕382頁・上段。 

 いまここで,明仁天皇に関してはあえて問わないとしても,裕仁天皇過去帳には,「高い徳」とは縁遠い「自己保身」の経歴が記入されている。天皇家の「正統な血の流れ」という表現を聞かされると,その反対側の極地に追いこまれ,「穢れた血の流れ」を受けつぐとされた日本民族部落民〔など〕の存在を思い起こさざるをえない。

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 被差別部落問題については,数多くの著書が公表されている。ここでは,高橋貞樹被差別部落一千年史』(岩波書店,1992年。初版は更生閣,1924年),上杉 聰『天皇制と部落差別』(三一書房,1990年)の2著のみ挙げておく。

 「〈日本人単一民族〉説を批判する」註記1)高橋『被差別部落一千年史』は,「部落問題」の理解皆無とみうける橋本の浅学さを露呈させるに違いないし,「家制度が作り出す幻想」「現実には存在しない血縁幻想」註記2)を批判する上杉『天皇制と部落差別』は,橋本の意図を根本から粉砕するに決まっている。

 註記1)高橋貞樹沖浦和光校注『被差別部落一千年史』岩波書店,1992年,〔沖浦和光「解説」〕345頁。
 註記2)上杉 聰『天皇制と部落差別』三一書房,1990年,139頁,140頁。

 橋本『平成皇室論』は,この日本国の「次の世代(みよ)へむけて」,なにをいわんとするのか? 橋本は皇室の維持・継続を当然とする改革論を提唱している。同書第7章の題名は「東宮家の選択肢」であり,皇太子夫婦の別居・離婚〔皇室典範の改正が必要〕・廃太子などの問題に言及した内容である。

 c) 橋本はそれでも,月刊雑誌『WiLL』2009年9月特大号に『平成皇室論』第7章と同旨の寄稿をしていた。その題名は「『別居』『離婚』『廃太子』を国民的議論に 雅子妃問題に一石!」とある。橋本はどうやら,天皇天皇制問題に関する議論の火付け役を演じて,これから活躍したかったかのように映っていた。

 橋本は「正統な血の流れ」を汲むと信じる「皇族集団に近しい自分」を誇るかのような著作を,世に公表した。この橋本の自意識,すなわち「天皇への近さを量ってみずからの位置も周囲に誇示しようとする奇妙な選良意識」は,以前より天皇天皇制に不可避にまとわりつくところの,根本的解決を要する「日本社会内に寄生する」奇矯な問題であった。

 しかし,「自ら気づかないままに」「そういう誤謬をおかす点において」「天皇制の明治的伝統を引き継いでいる」「『ふつうの日本人』」註記)の橋本の立場なのであるからには,なにをかいわんや,であった。時代錯誤も甚だしい幻想的な見解を,いかにも衒学ぶって披露していながらも,いっこうに臆するところがない。
 註記)奥平康弘『「萬世一系」の研究』岩波書店,2005年,12頁。

 「つまり,差別化の度合いは,一般社会との乖離度に比例し」ている。「天皇家に見られる儀式も」「特にそれが日常から遮断され,閉鎖的であればあるほど,一般人との心理的差別化が起こるので」ある 註記1)。その意味でも,皇室神道の諸行事を懸命になって神秘化させようとする宮内庁の意図はみえすいてもいるし,さらには,その驥尾に付そうとする橋本の意向もかえって,ひどく俗っぽく映る。橋本は,「宮内庁は,イデオロギーとしての密教的な天皇制を保守して来て,戦後もそのまま存続させてい」る歴史を鵜呑みにする元外交官であり,本気で「戦後型の皇国史観」を信じてもいる 註記2)

 註記1)加治将一『石の扉-フリーメーソンで読み解く世界-』新潮社,平成18年,111頁。
 註記2)住井すゑ古田武彦・山田宗睦『天皇陵の真相-永遠の時間のなかで-』三一書房,1994年,135頁。

 ここでは,この加治将一の最近作も紹介しておく。出版元の水王舎(http://www.suiohsha.jp/)では,加治将一の最近作(下の右側画像,『朝日新聞』2016年12月1日朝刊1面に出稿された広告,本の表紙カバー)が,現在(当時)において売れ筋第1番だという。この1冊だけでこの新聞広告を出稿したのだから,その事情が理解できる。

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  d) 小田部雄次の論述などを借りて,橋本の空論「性」を説明し,批判する。

 「ジョン・万次郎は,アメリカでは『殿様』を投票で選ぶことに驚いた。あれから百五十年,日本ではいまだに世襲制が有力な制度として機能している」。「われわれはもっと天皇制について率直に議論すべき時期に来ている」。「みずから構成する社会の問題を自由に語れない社会に希望や未来はない」。

 註記)小田部雄次『雅子妃とミカドの世界』小学館,2002年,220-221頁。

 中村政則象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺-』(岩波書店,1989年)は,天皇が代替りした年に刊行されていた。中村は,「昭和天皇なきあと,象徴天皇制は,これから本当の試練に立たされることになろう。結局,象徴天皇制の将来は,日本における民主主義の成熟度いかんにかかっている」と述べるとともに,「ヨーロッパの現君主制:8カ国」の王室の生きのこりは「民主主義に奉仕することによって」いる,という見解を紹介していた。

 註記)中村政則象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺-』岩波書店,1989年,209頁。

 はたして,「民主主義」と「王族・皇族」という組みあわせで論題を語ることによって,究極的に「民主主義」と王室・皇室が折りあえる地点をみいだせるというのか? 「日本の皇室はすばらしい」という思考停止の想念,いいかえれば「バカのひとつ覚え」のごとき倒錯の観念にはまりこむことを避けるためにも,「ヨーロッパの現君主制:8カ国」の王室だけでなく,すでに崩壊・消滅した多くの王室とも並べて皇室を,比較し検討することが必要ではないのか? 民主主義の原理的立場に忠実に思考するのであれば,天皇制「不要・無用」をとなえねばならないことは,いわずもがな,必至の論結である。

 e) 2009年8月1日時点での話となる。当時日本国の首相であった麻生太郎は,実妹麻生信子が現天皇の従弟三笠宮寛仁の配偶者である。麻生の外祖父吉田 茂は首相を務めていたとき,1952年11月におこなわれた皇太子明仁立太子礼,すなわち,内外に皇嗣たる皇太子に就任したことを宣言する儀式に臨んださい,昭和天皇に対して「臣 茂」と称し,マスコミから「時代錯誤」と批判された。

 麻生太郎が,衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で開口一番,支援者など聴衆に対して「下々の皆さん」と発言した話は有名である。だが,姻戚関係のあるこの麻生兄妹であっても,皇室一族の感覚からすればさらに「下々」の各階層の1群でしかない。

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 出所)http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/827.html

 なお吉田 茂元首相は,自分の三女和子が配偶者麻生太賀吉とのあいだにもうけた三女の麻生信子が,昭和天皇の甥である三笠宮寛仁に嫁ぐときには反対しなかったけれども,正田美智子と明仁との結婚話に対しては反対するという,矛盾する態度を採った。この種の手前勝手な観念精神的な矛盾は,天皇天皇制という個人的な役割や旧封建的な制度に必然的にからみついて生じている「不可避の非条理」そのものである。

 なかんずく,日本国憲法により設定された「天皇制」はそれじたいが矛盾態であり,この基本認識を否定し解消することはできない。当該のこの矛盾態に対応する憲法原理が不在であり,一義的に認識・解釈することが不可能であるゆえ,その矛盾現象への接近はいきおい,原理を踏まえた理論的なものではなく,原理・原則を棚に上げた〈暫定措置〉にならざるをえない。

 f) 結局「象徴天皇をいただいた民主主義は,偽りの民主主義にすぎない」。「共和制への移行は,日本人の民主主義が試されることであり,同時に敗戦後の真の独立を意味する」。「天皇制は民主主義と両立しえず,民主主義は共和制とむすびつくほかない」。
 註記)奥平康弘『「萬世一系」の研究-皇室典範的なるもの」への視座』岩波書店,2005年,208頁,209頁,382頁。

 日本国民の知識の向上,日本社会の近代化に伴い,早晩天皇制が消え去ることは疑いない。世界中で消滅してきた制度,あるいは消滅しつつあるものが,日本にだけは残ると考えるのは,戦争中の「皇国史観」「日本だけは特別」という考えと同じ迷妄に過ぎないい。

 皇室外交とかいって,日本の皇室関係の人が,世界中を用もないのにうろうろすることは,国費の乱費などという段階ではなく未開野蛮という,あるいは “異様な国・日本” というマイナス・イメージを世界中にふりまいているようなものである。 

 天皇の日本国民への謝罪と贖罪は,日本が侵略した被害国に対しても速やかに果たさねばならない。それは天皇制を廃止することである。

 註記)若槻康雄『日本の戦争責任-最後の戦争世代から- 下』小学館,2000年,280頁,269頁,279頁。本書の上・下巻の表紙カバーを画像で紹介しておく。

 補注)ここで若槻泰雄が指摘した問題,「天皇制を廃止することである」という主張は,この若槻自身が人生行路で出会った体験にもとづいて,強く提唱されている。若槻の考え方については,著作を1冊でも読んでもらえればすぐに理解できるはずである。

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 1940〔昭和15〕年の10月16日から28日のわずか2週間で,1万6千部も発売された啓蒙書,室伏高信『新体制講話』(青年書房,昭和15年10月)は,同年8月15日に既存の政党組織がすべて解党したのち,10月12日に実現した大政翼賛会結成の日程をにらんで制作されていた。本書をもって室伏は,「全体主義時代においてそれの最高実現の段階に到達した」「皇道国家の実現」「八紘一宇の精神」「わが国体の高貴さ」を高唱していた。
 註記)室伏高信『新体制講話』青年書房,昭和15年,154頁,161頁,318頁。

 ところが,室伏は,戦後1966年に公表した『戦争私書』(全貌社)のなかで,「いまの憲法の大原則は主権在民ということである」から,「デモクラシーの筋をとおそうとすると天皇制は邪魔になる」といいきった。しかしそのさい,「皮肉とは真実を抉ることである」註記)自己批判的に(!⇒ 噴飯的に?)歴史を回顧することも忘れていなかった。

 註記)室伏高信『戦争私書』〔全貌社,昭和41年〕中央公論社,1990年,355頁,10頁。

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 【未 完】  明日以降に続く。④ の 1)  までが「本稿(1)」。

 

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