麻生太郎が説いたつもりの「日本は単一純粋民族論」は虚妄であり,もとはといえば「敗戦後的な風説」

麻生太郎の「ミゾウユウの常識ハズレ発言」がまた始まった,今回は「日本通史に関する無教養」がわれわれ「下々のみなさん」に向かって放たれたが,まことに迷惑千万で不躾な政治屋の放言である

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  要点:1 「こんな世襲3代目の大▼カ政治屋」が,日本国の副首相の地位に重ねて,なんとか大臣を兼ねているという「恐ろしい政治的な惨状」

  要点:2 「人為的な大迷惑というか自然的な災害にも観察しうる自民党の与太論的な慢心政治家の発言は,政治責任的にも害悪性を発揮している」

  要点:3 「首相の安倍晋三にくわえ,この副首相の麻生太郎がいっしょになってこの国を治めているかぎり,国民たちにとっての不幸や不運は無限大に拡延されていくほかあるまい」


 「麻生氏,日本は『長く一つの民族』 政府方針と矛盾」朝日新聞』2020年1月14日朝刊27面「社会」

 この麻生太郎という「世襲3代目の大▼カ政治屋」が,またもや「トンデモなア▲発言」をいいはなった。いまどきになってもまだ,いわゆる「単一純粋民族観」に相当する,それも放言まがいのデタラメ「日本民族社会構成観」を披露した。麻生は「自分の無教養」と「見識の欠落」に気づくこともなく,つまり性懲りもなくこの種の発言を繰り返している。

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  出所)https://all-souzoku.com/554/

 吉田 茂(元総理大臣)の外孫だというこの国会議員麻生太郎は,完全に間違いであった “個人的な感想” を,いつものように繰り返してであったが,それはもう “エラそうに述べていた” 。この記事を以下に引用する。

 --麻生太郎副総理兼財務相は〔1月〕13日,地元の福岡県直方市で開いた国政報告会で「2千年の長きにわたって一つの民族,一つの王朝が続いている国はここしかない」と述べた。政府は昨〔2019〕年5月にアイヌ民族を「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法を施行しており,麻生氏の発言は政府方針と矛盾する。

 補注)この「2千年の長きにわたって一つの民族,一つの王朝が続いている国」という,これじたいが定義づけにはけっしてなりえない「麻生太郎流の断定」からして,基本的に大間違いであった。2千年という歴史の長さを尺度に当てて(前提に置いて),このように定義的に論定できる問題が,日本列島にありえたことはない。その間「2千年の長きにわたって一つの民族,一つの王朝が続いている」わけでも,この「国」が続いてきたわけでもなかった。

 現在の北海道から沖縄県までを視野に収めて「日本という国」だと理解しておくとしても,そうした批判点は麻生太郎のデタラメ三昧に対して,完全に当てはまる。「今回における彼の発言も」また,まともな主張としては全然通用しないし,とりわけ,いろいろな学門領域で説明されてきた既存の知識にも,みごとに反している。太郎は,あいもからわずバカばっかりヒット(スクイズ・バント?)させてきたが,ともかく自分だけがいい気になって,ただ「ビバ,ヤマト!!!(ニッポン・マンセー)」と発言してきた

 そもそも,この日本では「2千年の長きにわたって一つの民族,一つの王朝が続いている国」だという定義(?)的な説明(!)からして,なんら必要かつ十分な証明はなされた中身になっていない。繰りかえすが,日本列島の南北・東西の全体にわたる話題として,そのような認識をもって「この国の民族に関する全容が説明」ができるかといえば,古代史の専門家でさえ,そこまでできるとはけっしていわない。

〔記事に戻る→〕  麻生氏は〔1月〕13日の国政報告会のなかで,昨〔2019〕年のラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表チームの活躍に触れ,「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本がまとまった」などと指摘。そのうえで「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。

 補注)この考え方(独断)は,「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国」だから,「ラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表チームの活躍」が……,といいたい発言だとしか受けとれないが,この前後した「2つの点」,つまり,21世紀における「ラグビーの日本代表チーム」という点の上に,「2千年の日本(といえるかはあとで議論するが)の長き・・・」という点を,いきなり重合させるとする観念は,こじつけでなければ,なんら確かな根拠もない迷説のたぐいである。

 どだい,日本の天皇天皇制が「2千〔6百〕年」近く,本当に「その皇統を連綿させてきたか」という疑問に関してさえ,これに十分満足に答えられる中身がないのが,日本古代史における研究状況である。神話の世界に便りを出して問いあわせて,都合のよい返事がもらえるならばともかく,無理筋・独断の決めつけ的な話題が先行しているだけ……。

 少し長くなるが,『朝日新聞』2017年1月3日朝刊2面「総合2」に掲載された特集記事,新年企画「我々はどこから来てどこへ向かうのか  vol. 2  日本人」が,こういう解説を与えていた点を紹介しておきたい。

 この記事のなかでの中見出しの文句が「『単一』『混合』 変遷する民族意識」であったが,ここからつぎの記述を抜き出し,紹介しておく。

 --歴史社会学者の小熊英二氏は,1995年の著書『単一民族神話の起源』」で,明治から昭和の時代,日本人の自画像がどう移り変わったか,当時の言説をつぶさに分析した。

 戦前は,人類学の見地から,日本人は太古からアジアのさまざまな民族が混じりあった,という学説が主流だったという。学校では,神話が教えられ,熊襲蝦夷を,「大和民族」に同化された異民族として紹介する教科書もあつた。

 1910年の日韓併合で,朝日新聞天声人語は「日本民種が世界の雑種なることは人種学者の一致する処」と説いた。こうした「混合民族論」は,日本人がアジアの諸民族を統治するにふさわしい,という根拠に利用された。

 〔ところが〕敗戦で一転,朝鮮人や台湾人は,日本国籍を失った。日本は昔から,基本的に一つの民族が島国で平和に暮らしてきた,という「単一民族論」が現われる。小熊氏は「国際関係への自信の喪失や,戦争疲れの心理に合致した」と指摘する。

 「同質」は高度経済成長期の会社を中心とした社会にマッチした。経済大国としての位を確立すると,政治家は「単一民族」を,日本の強みや特殊性として語るようになった。

 補注)麻生太郎の迷説・珍論のたぐいとしての「単一純粋民族・万歳(ビバ:マンセー)論」は,せいぜいこの小熊英二が分析・解説する理解・認識のなかに十分に消化されて収まる。しかも,麻生の発言の場合,デタラメ度としては “かなり小物” でしかなく,それも不規則的な単発の発言でしかない。しかし,それでも当人はあの「ひょっとこ」顔(『くろねこの短語』の形容)で,いかにもオレ様風にかつ大仰に「大和民族,イヤサカ説」を放っていた。

 昨〔2019〕年のラグビーワールドカップ(W杯)の「日本代表チームの活躍」を,麻生太郎は換骨奪胎的に “ヤマト民族スゴイ・ぞ・論” にすり替えたい気分を横溢させる口調であった。だが,このチームの存在そのものが実は「単一純粋民族・万歳論」を支持しえない実質:実体を有する点を,麻生はしごく都合よく転轍させうるような発想を,彼なりに工夫している。

 日本社会の現在においては,いわゆる「混血:ハーフ・ダブルの子どもたち」がどんどん増えている最中である。テレビに登場するそうした範疇の芸能人もめだつ昨今である。この子どもたちの話題としては,いまでもまだ日本の学校では「茶髪の子ども(生まれつき黒色でなく,これ以外の色の頭髪をもつ者たち)」は,黒色(黒髪)になおせ(染めてこい)と要求されている。先日も話題になっていた。

 この頭髪の色の問題ひとつをとっても,単一純粋民族・万歳論でもってヤマト国はすばらしいのだといいたがる話題は,たとえ「ラグビーの日本代表チーム」の事例であっても,同様に強いられる “同調圧力の問題” になりかねない。この問題が全的に解決できていないまま,ラグビーチームがW杯で活躍した結果を残したせいなのか,大和民族論のほうへこのチームの存在を,ともかくなんでもかんでも牽強付会させたがる日本側の解釈論が,麻生太郎のように学問的な根拠とは無縁のかっこうで,つまみ食い的に叫ばれている

〔記事に戻る→〕 日本社会に根強い「移民」という言葉への抵抗には,「単一民族」へのこだわりがのぞく。

 「同質という幻想につかり,自分自身の個性を大事にできない人は,他者の異なる個性も肯定できない」。こう語るのは,福岡県立大学の岡本雅享・准教授。出雲の出身だ。在日韓国人らの権利擁護に関わり,海外のマイノリティー政策を研究した。政治家の「単一民族」発言を調べるうちに,それが何民族を指すのか,示されていないのを奇妙に感じた

 「もしそれが『大和民族』というなら,出雲の自分は違う」。戦前に広まった「出雲民族」の言説をたどり,国や日本人をみつめなおしている。「戦後の『単一民族』もそうだが,『民族』の意識は,思いのほか短期間でつくられる」。

 江戸時代の出雲の地図を,岡本氏がみせてくれた。現代のものとは上下逆で,「裏日本」と呼ばれた地域は,日本海を通じて,新しい文化をもたらす大陸に開かれているように見えた。出雲には,朝鮮半島新羅や北陸の越(こし)から土地を引っぱってきたという,記紀にない創世神話がある。

 いま,街頭やメディアでさかんに「日本人」という言葉が唱えられ,一部で外国人排斥さえ露骨に叫ばれる。郷土や企業といった,かつてのよりどころを失った人びとが,「日本人」の誇りにしがみつくことで安心感をえようとしている,と岡本氏はみる。

 日本列島に住む人々の4万年の歴史を1年に例えると,明治時代以降は,大みそかの1日だけにあたる。世界で人の移動が加速するなか,「日本人」がよりどころとして,守っていくものは何だろう。

 付記)以上,途中に挿入した前後関係になっているが,『朝日新聞』2017年1月3日朝刊の「この記事」からの引用は,ここで終わりにしておく。またこの ① に引用していた,本日:2020年1月14日朝刊の記事からで,まだ引用されておらず残っている段落は,後段の ② に移ってからその残りを引用することになる。

 ともあれ,今回における麻生の発言は,その4万年の歴史=1年とした場合でも,多分「数秒」分しか当てはまらないような,それこそ太郎1人が手前勝手にオダを上げて放っているつもりの部分・断片であった。ちまたの余人にいわせれば,相手にもされない俗説以前の珍・迷論が,あのしたり顔をして語られている。日本の世襲政治家の無教養,見識以前の基本知識の欠落には呆れるほかない。

  本記述の公表後にみつけた「麻生太郎の発言」に「怒った人の文章」として,以下の2点を紹介する。

 

   ★「何の反省もないのか」★

 『BLOGOS』2020年01月14日 07:12,

   https://blogos.com/article/429242/

  元記事 ⇒ 『はたろぐ』2020年1月13日,

   http://hatarogu.blogspot.com/2020/01/blog-post_13.html

 

 麻生副総理が「2000年にわたって同じ民族が,同じ言語で……」などと発言したとのこと。とんでもない! 過去にも麻生副総理は同様の発言をしていたはずで,なんの反省も認識もないことを露呈した発言です。

 

 まがりなりにも昨〔2019〕年にアイヌ民族支援法が成立したばかりで,みずからも賛成していたはずではないですか。「真意は……」とか「文脈は……」とか,いろんないいわけが出てこようとも納得などできません。

 

 どれだけアイヌが苦しめられてきたでしょうか。昨年の法改定のときにも政府として謝罪をとの声があった意味が,このようなかたちで証明されてしまうだなんて悲しいことだし,腹立たしいかぎりです。

 

 国会でガツンといいたいところですが叶わないなか明日からの党大会も成功させて,来たるべきたたかいに向かいたい。

 

 【今日の句】  この国の不幸は 心なき政治

 

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 『くろねこの短語』本日(2020年1月14日)が,麻生太郎を馬鹿呼ばわり(罵倒)して,こう記述していた。ところどころを拾って引用する。
 註記)http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-efa582.html

 

 「馬鹿は死ななきゃ治らない」

 「馬鹿につける薬はない」

 「自慢高慢こうまん馬鹿ばかのうち」・・・

 

なんて言葉ではとてもじゃないけどいい足らないほどの馬鹿がいる。いわずとしれたひょっとこ麻生だ。この男の暴言・妄言は枚挙に暇がないんだが,性懲りも泣くまたやらかしてくれたってね。

 

 さらに,昨日〔1月13日〕は国政報告会の場で,かつての鮫の脳みその「神の国」発言に勝るとも劣らない時代錯誤な放言をしてくれちゃいました。いわく,「2千年の長きにわたって一つの言葉,一つの民族,一つの王朝が続いているなんていう国はここしかない」。

 

 論評する気にもなりません。メディアは「またしても失言」なんて報じているけど,これって「失言」ではなくておそらく「本音」なんだね。そうでなければ,ただの阿呆だ。「麻生節」なんてことでこれまで野放しにしてきたメディアのおかげで,ひょっとこ麻生は人としてどんどん壊れていっている。

 

 いま中東を漫遊中の男とともに,この国には大きな「馬鹿の壁」が立ちはだかっていることをつくづく思いしらされる今日このごろなのだ。 

 

 「あほの坂田」(1941年生まれ)

 昔,関西系の芸人で「あほの坂田」という芸人がいた。ウィキペディアの説明はこう指摘している。本名は地神利夫じがみ・としお,1941年10月7日- )で,通称を「アホの坂田」といい,漫才コンビ「コメディ No.1」の元メンバーであった。以下に「持ちネタ・芸風」を解説した段落からひとつだけ,「アホ」に関する個所を引用しておく。

 みずからをアホ(阿呆)と称し,他人に軽蔑されても意に介さず,また明石家さんまなど後輩から「もう『師匠』なんですから仕事を選んで」とたしなめられてもアホに徹する芸が代表的。

 

 アホのキャラクターを演じはじめるようになったきっかけは,ある日の舞台で相方・前田に「お前はアホか」と振られた時に「そうやアホや」と返しただけというかけあいだったが,その時に客がドッとうけ,「これや!  と思った」という。

 

 また,吉本によって坂田が「一番アホそうやから」としてアホキャラで売り出すことになったということもあった。「ギャグの多くは偶然の産物。ウケようと思うて作れるものではない」と語っている。

 「あほの坂田」は人びとに笑いもたらすのが仕事である芸人だからいっこうにかまわないのであるが,政治家(政治屋?)である麻生太郎が本格的なアホの根性を,それもしたり顔で「日本民族の優秀性」を意味させたいらしく独白した意見,つまり,ラグビーチームに関してだが「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本がまとまった」などと指摘し,そのうえで「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べるのは,個人的には勝手・自由に属するとはいえても,一国の副首相がのたまえるほど確信をもって述べられるような中身ではありえない。

 もっと具体的に指摘する。なぜ「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国」になっているのは,「ここ〔日本〕しかない」ゆえ「よい国だ」と,無条件・無限定にいえるのか? 2千年などという以前に,いまの日本,それもここ7~8年間,安倍晋三君が首相を務めてきた期間にあっても,絶対に間違いなく「よい国だ」といえるか? そんな「アホなこと」は,実際問題としてありえなかった。これは事実にもとづく意見,判断である。

 2千年という日本の歴史の長さを,実際に本格的に勉強をしたようには感じられない麻生太郎であるが,ともかくも,この2千年になる日本の歴史を得意げに説くときと同じように,最近のいま〔2019年から2010年あたり〕におけるこの「日本」が本当に「よい国」でありうるのは,「天皇という王朝が続いている国」だといったら,これこそ本当の与太話にしかならない。

 いまの日本がよい国でありうるかという問題が,天皇天皇制が存在するか否かという問題に直結していると考えられる人がいたら,この人は分からず屋もいいところである。そして,1945年8月15日の旧大日本帝国は「天皇天皇制」があったから,しかも,この天皇の聖断であの戦争がうまく敗戦できたのだから「よい国」だといえるような意見は,「負け惜しみ」以外のなにものでもなかった。ある意味では誰かたちの責任逃れを許す言辞でもある。

 このような投書の記事が『朝日新聞』2019年1月6日朝刊に掲載されていたが,この庶民のひとつの声をとっても,「天皇という王朝が続いている国」は「よい国」だと,それも念仏のように唱えられるわけがない。

 

      〈ひととき〉祖母の手,私の手 ★

   =『朝日新聞』2020年1月6日朝刊19面「生活」=

 

 幼いころ,両親を亡くした私を育ててくれた祖母が旅立った年齢に近づいた。

 

 祖母は若くして夫と死別し,2人の息子は南の島で戦死。追い打ちをかけるように娘一家の4人を東京大空襲で失い,1人残された当時3歳だった孫の私を育て上げた。その手は,働きづめでゴツゴツと節くれだっていたけれど,私をいとおしく包み込んでくれた温かい手でもあった。

 

 幼いころ,どこにいくにも祖母の手をにぎっていた。幼いふっくらとした私の手も,年を重ね,しみ,しわ,血管が浮き出している。まさしく老いの手だ。私はこの手でなにをしてきたのだろうか。育児,家事をこなした。ボランティアをした。義父母をみとった。人生を切りひらいてきたこの手は,私の生きた証し。祖母のぬくもりが残った私の宝物。

 

 現在は夫と2人の穏やかな生活だけれど,昭和,平成を生き抜き,令和を迎えたこの手に,もう少し頑張ってもらおう。大切な人たちにそっとぬくもりを伝え,自分自身の命を明日へとつなげるために。そして何よりも生きていることに感謝し,今日という日を楽しむために。まだまだ頑張れる。

   (東京都足立区 湯田弥生,主婦・78歳)

 ところで麻生太郎は,初代である神武天皇が紀元前660年に登場(即位)する点を承知で2千年を云々(デンデン)していたと受けとっておくが,紀元はその660年+2020年だから,2640年もの歴史の長さを有していることになる。だが,古代天皇史については,例の「欠史八代(けっしはちだい)の問題があった。

 『古事記』『日本書紀』のなかでは,系譜(帝紀)は存在するものの,その事績(旧辞)が記されていない。それゆえ「現代の歴史学」は,第2代綏靖天皇(即位は紀元前581年)から第9代開化天皇(同,前158年)までの8人の天皇を実在した系譜とは認めず,後世になって創作された存在と考えている。

 補注)神武天皇(即位,紀元前660年)も神話のなかの天皇だから「同列」であるが,つぎの段落では論外に置いた論旨にしてある。

 ということであれば,ひとまず皇紀の長さを誇る場合でも,「紀元前158年から2020年までの2178年」がせいぜいとなるわけで,麻生太郎君の2千年になんとなく近いという判断もできるから,この点に関して太郎はそれほどデタラメをいっているわけでもない。しかし,2千2百年前のこの国の歴史問題に向けて,2019年のW杯ラグビーをただちに結合させる話題は,飲み屋で飲んべえ同士が盛り上がったときの話であれば通用しようが,一国の政治家が本気で語れるような話題ではない。

〔 ここで ① で引用されず残っていた記事に戻る→〕 麻生氏は同日,同県飯塚市での国政報告会でも「2千年にわたって同じ民族が,同じ言語で,一つの王朝を保ちつづけている国など世界に日本しかない」と発言。政府は昨〔2019〕年9月には,アイヌ施策推進法にもとづき,アイヌの人々の差別解消に向けた取り組みや支援の実施を盛りこんだ基本方針も閣議決定している。

 麻生氏は総務相時代の2005年にも「一文化,一文明,一民族,一言語の国は日本のほかにはない」と発言し,北海道ウタリ協会(当時)から抗議を受けた。(垣花昌弘)(引用終わり)

 補注)この記事の署名者(クレジット)の姓は垣花であるが,これは沖縄県発祥の日本の姓である。


 「民族衣装で大人の門出 全国各地で成人式 新宿,留学生ら多く」日本経済新聞』2020年1月14日朝刊27面「社会2」

 

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 外国人が新成人の半数近くを占める東京都新宿区で〔1月〕13日,成人式がおこなわれ,約1200人が出席した。華やかな民族衣装や振り袖を着た若者が多くみられた。

 アイルランド人の父をもつ金森多思菜さん(19歳)は振り袖姿で式の司会を務めた。取材に「日本はまだ外国人への偏見が多いと感じる。国籍に関係なく,すべての人を尊重できる国であってほしい」と話した。

 区によると,新成人は4266人で外国人は1932人。区全体の外国人比率は12. 2%だが,大学や日本語学校が多いため若い留学生が集まり,今後も増える見通しという。


  ※ 横浜の会場では爆竹音など騒動 ※

 市町村で最も人口が多い横浜市で〔1月〕13日,成人式が開かれた。新成人は3万7325人で,午前の式典は約1万2千人が参加し,横浜アリーナで開催された。

 会場ではトラブルを防ぐために手荷物検査がおこなわれたが,式典中に時折爆竹音が響いたほか,壇上によじ登ろうとする新成人もいて警備員や警察官が止めに入る騒ぎとなった。

 林 文子市長は「新成人というめでたい年に東京五輪パラリンピックがあり,一生の思い出となるだろう。世界情勢は厳しいが,未来には素晴らしい道筋があるはずだ」と祝辞を述べた。

 新成人を代表してあいさつをした中尾宏次朗さん(20歳)は,大学でとりくんでいる農作物の研究に触れ「得意なことを生かして行動を起こせば,より魅力的な横浜や日本をつくることができる」と決意を述べた。(引用終わり)

 さて,麻生太郎のいいぐさによれば,こうした日本国内の国際化に関した場面も,つまりは「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」だと形容されるとしたら,これはずいぶんおかしな,ちぐはぐでもある「統一性のとれない・そぐわない発言」となる。

 「2千年の長きにわたって一つの場所で」というのはまだいい。もともと決まった一定の場所のことを意味しうるからである。だが,そうはいえても「一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国」でなければとまでいわれる段になると,だいぶ話がおかしくなる。日本は「ここ〔に〕しかない。〔よそにはない〕よい国だ」という盲信はさておいても,言葉と民族と天皇については,つぎの批判が必要である。

 ※-1「一つの言葉」って?  でも,たくさんの言葉ができたほうがいいのでは? 成人式を向かえた若者たち,できれば何カ国語かを流暢に使えたほうがいいに決まっている。大学生・専門学校生などの立場にすれば,就職(就活)にさいしては,大いにより有利になるよね。

 ※-2「一つの民族」?  成人式でこの表現にこだわったら,「成人式が成人式になるめえ……。そうだよな,太郎」。国籍別・民族別・人種別にでも式をやるっ,ていうのかい? アメリカ合衆国星条旗はなんのためにあり,なんのために利用されているか。まさか,そこまでも太郎がしらないとは思いたくないが,参考にまでふれると,日の丸にはそれほどの効用は期待できない。

 ※-3「一つの天皇という王朝」?  そもそも「欠史八代(けっしはちだい)」の問題があった。さらに南北朝の問題があった。いわゆる「皇統連綿の問題」にしても,きわめてあやしい “大昔に関した疑問点” が,いまだに解明を要するものとして,いくつも残されたままである。

 近代になると,明治天皇については大室寅之祐とのすり替え説もあり,これも完全には否定できていない「天皇家の歴史問題」である。極端な話となると,大正天皇の子どもたちは “本当にそのタネの子どもたちか” (?)とか,秋篠宮明仁の次男といえるのか(!)などの疑問も,ちまたで話題になっていないわけではない。

 前段でとりあげた『朝日新聞』2017年1月3日朝刊の記事は「われわれはどこから来てどこへ向かうのか vol. 日本人」という題名(見出し)をかかげていたが,そのさい,最初の大見出しを〔日本人という民族・人種の〕「DNA〔は〕多様なルーツ」をもつと書いていた。

 この点からだと,麻生太郎の「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない」ゆえ,日本は「よい国だ」という提唱(信念的な考え)は,初めから成立しえない。どこまでも太郎1人による妄想的な思念である。近現代民主主義の国家体制のなかに『王朝というもの』が残る点は,政治的にはどのように解釈されるべきか? 太郎に問うても「馬の耳に念仏」……か。

 仮にだが,麻生太郎のそのいいぶんが成立しうるとしても,その中身に関した歴史的な解釈上の前後関係は,まさしく「にわとりと卵の関係」になってしまい,「コロンブスの卵」のように都合良く「日本神国論」みたいな創り話を,しかもとっかかりのところで,観念論的にもちこんでおかないことには,うまくはもちだせない話題であった。

 結論的に判定すると,麻生太郎の発言は学問・科学とは無縁であるほかない,単なる与太的な盲論・血迷った珍説なのであった。すなわち,学術的な根拠などわずかも用意されていない,彼の身勝手で独りよがりの発言でしかなかった。自分(吉田 茂が義祖父である)の妹が皇族(三笠宮家の寛仁)に嫁いでもいるせいか,麻生は自分がすっかり格別の人間だと思いこんでいる。例の発言「下々の皆さま」が,その事実を裏づけていた。

 最後に一言付けくわえておくと,『朝日新聞』2017年1月3日朝刊の記事は,少子高齢社会に突入している日本の社会を踏まえて解説記事を書いていた。また参考にまでいえば,本日〔2020年1月14日〕の『日本経済新聞』社説は「〈出生86万 逆転への道〉(中) 医療イノベーション賢く生かそう」であった。

 いまの日本において,非常に深刻化している少子化の問題を踏まえていえば,麻生太郎のような「単一純粋民族・万歳論」にこだわっているようでは,日本をみずから陥穽へ招くほかない必然的な意味関連を,もう一度まじめに思いだすべきである。いまどき,「2千年の長きにわたって一つの場所で,一つの言葉で,一つの民族,一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない」と,独善的に,悦に入って独白できるような立場=思考方法は,それこそ「バカのひとつ覚え」でしかなく,自国の問題に対する本質的な把握とは無関係に脳天気は発言をしているとしか解釈できない。


 【参考記事】

 「縄文・弥生人の『混血』 遺伝子解析で裏付け 総合研究大学院大など発表」日本経済新聞』2012年11月1日朝刊

 日本列島の先住民である縄文人と,朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を,総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ,日本人類遺伝学会が編集する〔2012年11月〕1日付の国際専門誌電子版に発表した。

 これまでも同様の研究結果はあったが,今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し,結果の信頼性は非常に高いとしている。

 チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者),中国人,欧米人など約460人分のDNAデータに,アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たにくわえて解析した。その結果,アイヌ民族と遺伝的にもっとも近いのは沖縄出身者で,次が本土出身者と判明した。本土出身者は韓国人とも近かった。

 補注)日本と韓国は一番近い「外国」同士なのだから,このようなDNA分析の結果が出るのは当然といえる。

 この結果は,日本人全般が縄文人の遺伝子を受けついでいる一方,本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく,混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。

 日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」,縄文人弥生人が追い出して定着した「人種置換説」もしられているが,総研大の斎藤成也教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。

 チームは今後,縄文遺跡でみつかる人骨のDNAを分析するなどし,日本人のルーツの解明を進める。〔共同〕(引用終わり)

 最後に一言。麻生太郎君,いい加減にバカやアホなことをいつまでも垂れ流すのはもう止めにして,ついでに国会議員もいますぐに辞めたらよい。いまごろでは,あまりにも遅すぎるのだが,ともかくそうするのが,ベタにベター……。

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 【その後の続報】

  ◆「麻生太郎副総理,一つの民族発言を訂正! 『誤解が生じているなら,おわびのうえ訂正します』」◆

  =『情報速報ドットコム』2020.01.14 14:53,https://johosokuhou.com/2020/01/14/23853/ 

 麻生太郎副総理が1月13日に福岡県の会合で「日本は一つの民族が続いている国」などと発言した問題で,発言内容を訂正すると表明しました。

 報道記事によると,1月14日の会見で記者から質問を受けた麻生氏は「誤解が生じているならおわびのうえ訂正します」と述べ,一連の発言を訂正するとコメント。アイヌ民族などの存在を否定してしまったことについては,「政府の方針を否定するつもりはまったくない」としたうえで,誤解を招いてしまったと強調していました。

 この発言をめぐっては野党議員からも「先住民を否定した」というような批判を浴びており,ネット上でも話題トレンドに浮上するほど話題となっていたところです。
ただ,麻生氏が訂正発言で「誤解」と強調していた部分にも批判の声が相次ぎ,現在進行系で炎上状態が続いています。(引用終わり)

 いい年して,なにをいったら誤解を招くかもしれないかどうかに関した「判断力はゼロ,ないしは,完全にマヒし欠如している」のが,この有害・有毒・無益男の麻生太郎である。すでに「馬鹿とか阿呆」の立場としては,自分が停車(降車;引退)する「駅」の名前すら忘れた御仁である。

 1964年に松竹が制作・公開した,山田洋次監督・ハナ肇主演『馬鹿が戦車でやって来る』(読み方は「ばかがタンクでやってくる」)という映画があった。麻生太郎の場合は「阿呆が馬鹿でかい大型ドローンに乗って来た」とでも形容すべきか? 

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