経営学者伊丹敬之が唱えた人本主義企業は日本の経営体制を質的に強化できず「苦い経験」をしただけに終わっていた

経営学者伊丹敬之に問われた「理論提唱」をめぐる「学者の倫理」問題はどこへ消えたのか

                   (2015年10月15日)

 

  要点:1 「経営の理論と実際」に関してまともに・きびしく問われてこなかった「経営学者の立場」は,今後においても同じ針路をとりつづけていくのか

  要点:2 人本主義企業の提唱は21世紀の日本経営になにをもたらしたか? その負的な後始末を放擲したままに過ごしている “経営学者のありよう” を再考する 


 社外取締役の報酬」朝日新聞』2015年10月15日朝刊「経済気象台」の指摘 

 本ブログは,経営学者伊丹敬之(東京理科大学大学院イノベーション研究科MOT技術経営専攻教授〔2020年1月現在は国際大学学長〕についてすでに,なんどかとりあげて議論したことがある(本ブログ内では未公開である関係の記述が何編かあるので,近日中に公開するつもりである)。

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 出所)https://www.iuj.ac.jp/jp/about/president/

 本日〔2015年10月15日〕『朝日新聞』朝刊コラム「経済気象台」が,つぎのように言及していた中身を読み,伊丹敬之に関する記述を再度,復習しておくことが必要ではないかと感じた。

 そこで,以下に関連する段落を抽出する体裁をもって,本日における議論( ② 以下のこと)を再構成してみようと考えてみた。

 まずその「経済気象台」のいいぶんを紹介しておく。

   ☆〈経済気象台〉社外取締役の報酬
   =『朝日新聞』2015年10月15日朝刊 =

 

 上場会社に適用される「コーポレートガバナンス・コード」のなかで,もっとも話題となっているのが,独立社外取締役を複数選任すべきだとする原則である。会社の持続的な成長と価値向上を図るため,経営監視機能を高める必要があるからだ。

 

 しかし,社外取締役が複数選任されていたにもかかわらず,経営者主導の不正行為などに対してまったく機能していなかったという事例は,東芝だけでなく複数ある。

 

 2001年に経営破綻した米エンロン社の場合は,高名な社外取締役を多数選任し,公開会社のなかで最高額の役員報酬を支払っていた。そのために,社外取締役みずからも認めていることだが,判断が鈍ったとされている。会社が高額報酬と引き換えに社外取締役の名声と信用をうまく利用していたことになる。

 

 ただ,独立社外取締役の重要性を主張する米国でも,無報酬に近いかたちで職責を果たしている者も多くいるという。貢献に社会的なリスペクト(尊敬)や栄誉を与える環境が定着しているからだ。

 

 企業価値を毀損し,市場の信頼を失墜させるような不正を見逃すことがあれば,自身の名誉に傷がつく。そのため,経営監視の役割を最大限に果たそうとするのである。

 

 わが国の場合,社外取締役の報酬は有価証券報告書に開示のとおり,庶民感覚からすると,一般に高額である。経営者の暴走に対しては,職を辞する覚悟で臨むこともあり,報酬の誘惑を断ち切る気概と責任感こそが社外取締役の原点である。

 

 実際に財団法人や社団法人などの評議員や理事,監事の場合,社会的にも地位が高く高名な人たちが無報酬で重責を担い,広く尊敬の念をえている例がある。これに倣いたいものである。

 このコラムの内容は,まったく読んでそのとおりであって,なにもむずかしいことに言及していない。「むずかしいのは」むしろ,ここに指摘されているような〈社外取締役〉の使命・任務が「きちんと・まっとうに」遂行されることが,いかにむずかしい課題・業務であるかという事実に気づくことである。

 最近〔この記述がなされていた当時〕,東芝における「社外取締役の問題が」とりあげられ,批判されていたる。そこで,本ブログが記述してきた文章のなかから関連する箇所を,もう一度以下にとりあげ,再構成してみることにして,問題のありかを再確認することにした。なお,再掲に当たっては一部の表現に補正した箇所もある。

 

 「問われる経営学者伊丹敬之の真価,その企業問題に関する『理論と実際』の落差」 

 経営学者が理論(頭脳)で語る「事業の実践」は本物か?

 --企業の重役とは「株式会社の取締役・監査役など役員の総称」である。この理解を前提に踏まえて,以下の論及がおこなわれていた。

 1)『日本経済新聞』2015年10月3日朝刊11面「企業総合」の記事--「東芝  室町社長の取締役選任 4人に1人『反対』,臨時株主総会  社外・前田氏ら支持9割」(本ブログ,2015年10月05日の記述から)

 東芝は2015年10月2日,9月30日に開いた臨時株主総会での賛否結果を発表した。取締役選任では室町正志社長の賛成票比率が76%強にとどまり,株主のほぼ4人に1人が反対した計算だ。不適切会計に対する株主の厳しい見方を背景に6月の定時総会(賛成率約94%)に比べて反対票が膨らんだ。

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 半面,資生堂相談役の前田新造氏ら新任の社外取締役6人はいずれも98%前後と高い支持をえており,社外取締役主導のガバナンス改革への期待を反映した格好である。

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  出所)この画像は2015年8月18日,手前の渋い表情が伊丹敬之,http://www.jiji.com/jc/foresight?p=foresight_15604

 再任は室町氏のほか,代表執行役専務の牛尾文昭氏,社外取締役で指名・監査委員会委員の伊丹敬之氏。賛成率は牛尾氏が74%強,伊丹氏が67%台にとどまった。 

 この記事には,関連の数値を記入した「表」(前掲)が添えられていた。なかでも,伊丹敬之に対しては3票に1票が不信任の投票をしており,つづく記事にも書かれているように「室町正志・牛尾文昭・伊丹敬之」の役員3名に対する不信任票比率さは,日本企業の株主総会の舞台では通常,見逃せないほどの高い数値になっていた。

 とくに伊丹敬之は,経営学者の立場から東芝の社外重役(取締役)の1人にくわわっていた。もしかすると,その立場・役目に就いていながら伊丹が,「居ても・居なくとも」同じ結果,つまり肝心の「取締役という重い役」を存分に果たせていなかったとすれば,これまで,数多くの論著をもって理論的な発言をおこなってきたはずの「彼の立場」 〔=経営理論と実践に関するその思想?〕は,今回の出来事を機にあらためて,問いなおされねばならなくなっていたはずである。

 筆者は,伊丹敬之の「経営学・理論」をなんどか本格的に,つまり純粋に学術的な分析をおこない,「社会科学としての経営学」としての真価を,徹底的に追究してみたことがある。伊丹は,非常に早い歩調で多産的に,日本の産業社会に対する実践論的な発言を積極的におなってきた。彼の「経営学の理論とその実践」が,実は,このたびの東芝の経済事件をもってとても明確に,そのチグハグさ:ぎこちなさを露呈させられた。

 いうなれば,ともかく饒舌でありつづけてきた経営学者の, それも表見的には「理論的武装を装ったかのような発言」のなかに伏在していた《一定の危うさ》は,ほかの学者たちも薄々は気づいていたものゆえ,いまさらとりたてて驚くような「問題の対象」ではなかった。それよりももっと「驚いていいことがら」があった。それは,この手の経営学者が「企業経営の理論と実践」に対する “たいそうな権威筋” であるかのように,大事に処遇されてきた事情にあった。

 前段に引照した記事でもその語感が強く出ているように,伊丹敬之に関する報道記事の論調は,あくまでも穏やかである。日本経済新聞社と伊丹敬之は,以前より親密な関係を維持してきた。この程度の指摘では,伊丹が自分なりの判断を下して,東芝の重役(社外取締役)を辞任する意向は,まだないようにみうける。

 日本企業の開催する株主総会で3票のうち1票に否定(信任拒否)される社外取締役は珍しい。この事実を当人がどのように真摯に受けとめているのかどうか,第3者には察しえない事情(個人心理)であるので,この点の揣摩憶測は,ここでは無用である。

 前掲の記事そのものに戻って記述する。--会計問題に詳しい青山学院大学の八田進二教授は,「伊丹氏は以前も社外取締役を務めており,経営を監視できなかった責任は重いとみる株主が多かったのでは」と指摘した。

 補注)八田進二は別所では,こうも指摘している。「東芝社外取締役は “お飾り” だった」。「東芝の内部統制は『(逆の意味で)優等生』だった」。
 註記)http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/073100058/

 室町氏ら3人の再任取締役については米議決権行使助言大手が事前に反対を推奨していた。半面,前田氏,三菱ケミカルホールディングス会長の小林喜光氏,アサヒグループホールディングス相談役の池田弘一氏はいずれも98%台だったという。

 今総会では個人株主による14の株主提案があったが,いずれも反対多数で否決。弁護士など社外出身者6人からなる取締役選任議案の賛成比率は全員が14%台だった。室町社長は10月1日,「株主からの厳しい評価を真摯に受けとめ,再建に向け最大限の努力をする」とコメントしている。

 さて『ダイヤモンド ONLINE』2015年4月6日号は,伊丹敬之の「一流の経営者はデータの向こうに現場が見える(上)」という寄稿を掲載していた。ここでは「現場」という用語を鍵に置く議論がなされていた。この論稿もくわしく紹介するつもりないので,冒頭に置かれていた要旨(編集側の説明)のみ聞いておく。

 日本の経営学の発展に大きな貢献を果たしてきた伊丹敬之氏は,いま経営者の多くが「会計データ依存症」に陥っており,「現場想像力」の習得が必要であると訴える。この現場想像力とは,いかなる能力か。

 

 すなわち,会計データを一瞥して,いま現場ではなにが起こっているのか,現場の人たちはどんな問題を抱えているのかなど,現場の実態を想像できる経営リテラシーのことである。

 

 伊丹氏によれば,稲盛和夫氏に代表される名経営者と呼ばれるビジネス・リーダーたちは,財務リテラシーのみならず,この現場想像力にも長けているという。 ただし,その習得は一筋縄ではいかない。会計データと現場の現実の突き合わせをなんども,いや何年も続けて,初めて会計データの裏側に隠された現場の実態 がみえてくる,というのであった。
 註記)http://diamond.jp/articles/-/69031

 2)新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告『新時代の「日本的経営」』日本経営者団体連盟,1995年と「経営学者伊丹敬之の存在価値」

 非正規労働者階層の増加がいちじるしい時代の趨勢になってきた。2014年には37.4%まで上昇している。いまから20〔25〕年前(半世紀前に),そうした非正規労働者階層を増加させるための業界指針書が執筆され,著作として公刊されていた。

 1995年に公表されていた本書,新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告『新時代の「日本的経営」』(日本経営者団体連盟)は,つぎの図解のように設計された「労働者の階層分化」(より正確には分解あるいは破壊)をもくろみ,これまで成功してきたといえる。

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   出所)同じ図解を2つ並べてみたが,下の画像は,http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-08-27/2009082705_01_0.jpg  『新時代の「日本的経営」』の原図では32頁。

 この日経連のもくろみに協力してきた経営学者としてたとえば,伊丹敬之(前一橋大学商学部教授,現在は東京理科大学教授を経て国際大学学長)がいた。伊丹は,新自由主義規制緩和という国家方針の水先案内人を務めながら,みずからもすでに「人本主義」といった奇矯な経営概念を提唱していた事情(経緯:いきさつ)もあって,財界側の意向に全面協力する学問の立場を率先推進させる役目を,存分に果たしてきた。

 補注)伊丹敬之『人本主義主義-変わる経営・変わらぬ原理-』(筑摩書房,1987年)は,「激動する環境のなかで経営の具体的な制度は,変えるべき 部分は当然出てくるが,原理は貫いたほうがよいとして,戦後40年の企業経営の科学的精髄を理論化したのが人本主義主義なのである」(『日本経済新聞』 1988年1月24日朝刊「書評」)と解説されていた。つまり,しっかりと日経の書評欄ではヨイショされていた。

 だが,戦後70〔75〕年を迎えたいまの段階までにあって,伊丹敬之のこの著作の主唱であったらしい対象ないしはその実体についていうのであれば,これが提唱していたはずの『日本の経営の「変わった姿」のなかに,「変わらぬ原理」がある』とされた核心部分は,いったい,どこにどのような相手としてみいだせばいいのか,不明瞭のままに推移してきた。

 現段階における日本の「企業経営の現実・環境」に対面させられている,この『人本主義主義-変わる経営・変わらぬ原理-』の基本概念であった「人本主義=企業」論は,実のところ「奇妙かつ奇怪な概念」を構築していたに過ぎない。この事実だけが,いまさらのように,日本の産業経済・企業体制のなかでさらされつづけてきた。つまり,当初より破綻(破産)するほかなかった理論を提唱していた。また,この理論じたいに対しては以前より,「現実の立場:企業の実践」の圏域からも,同様な事実が宣告されていた。

  もっとも,あえて指摘するとしたら,その「変わらぬ原理」とは資本制企業の利潤追求である。

 そして,その「変わった姿」なるものは,現実の生活のなかで暮らす「庶民の立場・視点」から観れば一目瞭然なのであるが,昨今における日本企業内部の実態・内情の顕著な変転ぶりを指している。

 そこにうかがえるのは,「人本主義の企業論」 などわずかも立ち入れる隙間がないほど,きびしく冷酷である産業社会における現実の様相である。

 人本主義企業「論」という空虚な中身を「主唱:理論枠組」に据えた伊丹敬之の本来的な立場は,『人本主義企業義-変わる経営・変わらぬ原理-』の表紙に巻かれた帯の謳い文句,「時代と国境をこえる日本企業の新しいビジョンを求めて」という点に絡めていわせてもらうとすれば,つぎのように論断してよかった。

 結論的にいえば,人本主義によって「求められていた目標」は,なにも与えられることがないままに終わっていた。それどころか,その代わりに「与えられた現実」というものは,そのビジョンをすら求める術を喪失していった「日本企業のその後=現在の姿」であった。

 さらにいえば,その企業の内部にひたすら抑圧管理的にとりこまれたり,または冗員とみなされてそこから排出されたりしてきた労働者たちが体験してきた「悲惨な末路の様子」が,人本主義企業論の展開とは別個であったとしても,実際のところでは同時並行的に生起しつつ随伴していた。

 伊丹敬之のこの本については,アマゾンの書評欄にはフルマーク(★5つ)を付けたブック・レビューが並んでいる。しかし,その評者たちは「人本主義企業」論という〈青い鳥〉がいまの時代にあって,実際にはどこの空を飛んでいたのかという事実把握とは,無関係の記述をおこなっている。

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  出所)これは,https://ameblo.jp/positivementalhealth/entry-12156765487.html から借りた。

 前掲,新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告『新時代の「日本的経営」』の図表「財界が描く雇用形態の3グループ」は,3分類(分割)された労働者の各グループごとに,採用形態における「安定⇔不安定」の程度に関する 明確な違いも意味されていた。それには,従来における日本式経営の「年功制・終雇用制・企業内組合」という「大企業:正社員」雇用体制の基盤をも,根柢から突き崩す経営思想の積極的な意図がこめられていた。

 この新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告『新時代の「日本的経営」』が公表されてから,早20〔25〕年が経過した。労働者にとっての経済・産業環境はひどく悪化してきた。たとえば,冨山和彦の提唱する「大学の大半 職業訓練校に』変えろ」という現状認識は,日経連の同書に含意された意図を創造破壊的的に否定しうる性質のものでなければ,ほとんど意味がない。

 労働者の立場が不利・不幸ばかりになってきたここ25年間の産業界の進捗模様では,労働組合の組織率の大幅な衰退,反体制派健全野党勢力の顕著な弱体化など,労働者にとっては不利な条件ばかりが連続してきた。

 

  経営倫理学は経営者のためだけでなく,経営学者のためにも必要な学問ある 

 すでに四半世紀ほど以前から,経営学界のなかでは経営倫理に関する研究,企業倫理学が盛んになってきた。もちろん,経営学者たちが「企業の倫理」を論じるのであるが,産業界とのつながりを密に保持する経営学者自身の立場においても「倫理の問題」が関連する課題として,それも理論研究と実践行動の両域において関連的に形成される必要性が,このところ強く要請されている。

 ところが,経営学者の研究対象となる「企業の倫理」問題であっても,

   ★-1 「経営活動そのもの」を論じるときと,

   ★-2経営学者自身が企業経営の実践問題にたずさわる」さいに,その論点を論じるときとでは,

 そのあいだには,どうみても一貫した学的倫理が存在するようにはみえなかった。 

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 伊丹敬之の略歴は上図にも書かれているが,簡単には,こう紹介できる。一橋大学名誉教授,東京理科大学教授を経て,国際大学学長。その間,2015年9月から東芝取締役会議長と務めていた。現在,国際大学のホームページに紹介されている伊丹敬之の経歴は,つぎのように記されている。

  ◆ 伊丹敬之(いたみ ひろゆき学長プロフィール ◆

 

 1967年一橋大学商学部卒業

 1969年同大学院商学研究科修士課程修了

 1972年カーネギー・メロン大学経営大学院博士課程修了(Ph. D.)

 

 スタンフォード大学経営大学院客員准教授,一橋大学商学部教授・同学部長,商学研究科教授,東京理科大学イノベーション研究科教授,同研究科長等を歴任

 

 2008年一橋大学名誉教授,2010年ブロツワフ経済大学(ポーランド名誉博士

 

 紫綬褒章(2005 年)受章,宮中講書始の儀御進講者(2009年)

 

 日経経済図書文化賞(1978年),経営科学文献賞(1981年),日経経済図書文化賞(1982年)

 日本公認会計士協会中山MSC基金賞(2002年)などを受賞

 

 現在,外部役職JFEホールディングス株式会社,商船三井株式会社の社外監査役

  註記)https://www.iuj.ac.jp/jp/about/president/

 ところで,前段の記事によれば,東芝の会計不適切処理の問題発生に関連して開催された,2015年9月30日に開催の臨時株主総会においては,不適切会計に対する株主側からの厳しい見方が,社外取締役であった「伊丹敬之に対する賛否結果」として提示されていた。

 とりわけ,社外取締役で指名・監査委員会委員の伊丹敬之氏に対する賛否のうち,賛成は67%台に留まっていた。日本の企業の株主総会におけるこの種の議決としては,いちじるしく低い結果(3票に1票が不信任)となっていた。

 伊丹敬之はそれまですでに,JFEホールディングスと商船三井の社外監査役に就いており,また東芝では,指名委員会委員・報酬委員会委員にも就いていた。そして,今回発生した不適切会計に伴う役員8人辞任を受けて,穴が空いた監査委員会の委員長にも就いていたのである。だが,2015年9月30日に開催された臨時株主総会では,伊丹に対する賛否結果は,前段にも触れたように,きわめてきびしい評価(結果)であった。

 はたして,その結果を伊丹敬之自身がどのように受けとめていたのか,外部の者にはうかがいしれない事情(彼の所感・心情)である。ここでは,これ以上に特別に言及することはできない。しかし,前段までのような話題のなかに,どうしても割り切れない〈なにか〉が淀んでいたように映ることは,誰の感覚からしても自然受けとめ方である。

 最後に触れておくが,伊丹敬之は経営学者として,他者からの理論的な批判に応えるいとまもないくらい八面六臂の活躍をもって,実際界に対する貢献をしてきたはずの人物である。もっとも,同業の学究からの学術的な問いかけを無視する学問姿勢は,往事の山城 章(戦中から戦後に大活躍した一橋大学教授)の姿を彷彿させてくれる。

 こういうことがいえる。--批判なきところに学問の発展はない。批判を無視する学問に留まるのであれば,自身が掘った穴蔵に自己閉塞的に籠もりこむ以外に,その発展(?)への手がかりはつかめない。この点は,学究であれば先刻承知であり,共通の理解である。

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