東芝社外取締役を務めた伊丹敬之の体験は「理論と実践の谷間」にはまりこんだ経営学者「性」を実測させた

経営学者が〈理論と実践の谷間〉に落ちた瞬間-東芝における伊丹敬之の場合-
                   (2016年4月11日)

 

  要点:1 違和感を抱かせる「経営学者の理論発言」と「経営の実際への関与」との関連性,つまり「齟齬していた問題」 

  要点:2 伊丹敬之流「経営学の理論と実践」の真価が問われた瞬間が確かに記録されていたが,いまでは,ひたすら「あとはおぼろ」


  伊丹敬之・東京理科大学大学院イノベーション研究科教授「一流の経営者はデータの向こうに』現場が見える(下)-経理・財務の経験者には『名経営者』に化ける可能性がある-」(「プロ経営者の教科書」CEOとCFOの必修科目 第5回」『DIAMON Donline』2015年4月13日)

 この寄稿「第5回」のなかには,伊丹敬之の以下のごときご託宣が披露されていた。

 ◆ CFOは,CEOの参謀役の1人です。CFOにこそ「現場想像力」が求められるのではないでしょうか。

 ◆ CFOや経理担当役員は,経理や財務といったお金にまつわる職能の責任者であり,そのほか税務や監査をつかさどったり,株主や証券アナリストなど市場関係者への説明責任を果たしたりといった仕事もしていますが,もうひとつ重要な役割を担っています。

 それは,さまざまな投資案件の判断,各事業の業績や業務プロセスの生産性の測定と評価など,全社の管理会計システムを構築・運用することです。ここには,もちろん会計データの捕捉・収集,加工,蓄積,共有といった情報システムとしての機能も含まれます。

 ですから,会計データから現場の状況を読みとる現場想像力に優れているべきなのですが,現実はそうでもない。逆に,その業務や立場の性格上,CFOは不利な状況にあったといえるのではないでしょうか。

 これまでずっと会計データとつきあってきましたから,必然的に役員のなかでもっとも財務リテラシーが高い。だから,どうしても会計データに偏ってしまう。しかも,会計データという「とくに努力しなくても手に入る」データを中心に扱っているから,情報や感情の流れという手に入らないものへの感度が鈍くなる危険がある。

 ただし,ひとつ確実にいえるのは,会計の修業を積んでいる人は,そうではない人に比べて,会計データと現場の動きの対応を深く意識しさえすれば,現場想像力の習得は速いと考えられます。会計数字の生まれる計算的からくりをしっているからです。だから,賢い経営者になれるポテンシャルが高い。その偉大な前例こそ,稲盛〔和夫〕さんでしょう。

 彼は27歳で会社を興した当初,資金繰りをはじめ,お金のことで大変苦労したことはよくしられています。だからといって,易きにつくことなく,会計の理解についても本質を追求する姿勢を貫いた。

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  出所)サフラ・カッツ,http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1104/26/news047.html

 ◆ CFOといえば,オラクルのサフラ・カッツ氏が注目されています。彼女は10年ほど,社長とCFOの2つの要職を兼務し,今年〔2015〕年1月,共同CEOの1人に指名されました。社長兼CFO時代には,創業者のラリー・エリソンに代わって,財務のみならず,製品や技術についてプレゼンテーションをおこなっていたりしました。 

 ◆ 女性でそういう人が出てくるというのは心強いですね。現場想像力という点では,イノベーションの優秀企業といえば必らず名前が挙げられる3Mの中興の祖もすごいですよ。ウィリアム・マックナイトという人です。
 註記)http://diamond.jp/articles/-/69032?page=3

 

  2015年夏,不正経理事件を起こしてきた東芝社外取締役だった伊丹敬之

 以下に紹介するのは,ツイートでの発言である。柿原正郎(Google シニアリサーチマネージャー)が 2015年8月18日に,こういっていた。

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 出所)画像は柿原正郎,http://www.j-cast.com/kaisha/2009/06/25044035.html?p=all

 ……氏も書いているが,社外取締役の改革も必要なことだとは思うが,それよりなにより社内の役員-経営幹部体制の刷新の話がみえてこないほうがよほど問題。なんだか順番が逆なんじゃないかと率直に思う。

 補注)この引用だけでは話の筋が分かりにくいが,東芝不正経理事件のさいこの社外取締役に就いていた伊丹敬之の立場(出処進退に関するもの)を問題にしている発言である。

 なお,関連する本ブログ筆者の記述は,つぎのものである。この2稿も読んでもらったうえでの議論としておきたいので,面倒でもこちらも参照し,一読を願いたいところである。

 ★-1 2015年10月15日「経営学者伊丹敬之に問われる『学者の倫理』問題」,副題「経営の理論と実際に関して,まともに・きびしく,問われていない経営学者の立場」。

 ⇒ 2020年1月14日に再公開。リンクは,https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/01/14/211344

 

 ★-2 2015年10月5日「経営学者伊丹敬之の真価,企業問題に関する『理論と実際』にかいまみえる『落差』」,副題「経営学者が理論で語る『事業の実践』のきびしさ」。

 ⇒ 20201月13日に再公開。リンクは,https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/01/13/160639

〔記事に戻る→〕 この社外取締役のメンツも,なんの新鮮味もない,いわゆる「財界大物のご意見番」型の人ばかり。伊丹先生は,今回の問題が発覚する前からの社外取締役だが,なぜ残ったのか。

 もちろん,大学教員として専門性の提供が主な役割の社外取締役が,財務会計的な面での責任を多大に負っているとは思わないが,会長・社長含めほぼすべてが退陣したなか,筆頭の社外取締役だった伊丹先生が残るのは正直違和感がある。どうせ人数を増やすのなら,なぜ30~40代の若手経営者やコンサルや大学教員を入れなかったのか。

 企業としての不正会計処理の問題は,このまま司法の手に委ねられないままうやむやになってしまうのだろうか。胸の奥にずんと重いものがのしかかる。

 註記)『NEWSPICKS』2015年08月18日,https://newspicks.com/news/1112937/

 現在(当時のことだが)は2016年4月中旬になっている。東芝経理不正事件も起きた時点からすでに75日以上は,たっぷり時間が経過してきた。① に引用した『DIAMOND』の記事はその「上編」を,前掲の ★ー1,★-2 を付した本ブログの記述中で,引照していたけれども,2015年5月ころに伊丹敬之自身が執筆した論稿の内容に照らしてみると,どうもチグハグさを感じとるほかなかった。いいかえれば,経営学者の立場としては,あまりそぐわしくない対応姿勢が記録されていた。

 しかも,それは,伊丹敬之の「理論編の問題」ではなく「実践編の課題」であった。とすればこれは,経営学の事例研究(ケース・スタディ)にでもとりあげてみたくなるような実例1件であった。東芝社外取締役に就任していたこの経営学者が,実際面において分かりやすく披露くれたのは,地位にしがみつきたがる〈人間一般の習性〉であった。

 出処進退のありように関しては,けっして好ましく映らない事例を残したかのような伊丹敬之のその種の軌跡をとらえて,柿原正郎(Google シニアリサーチマネージャー)は,前段のごときに「伊丹先生は,今回の問題が発覚する前からの社外取締役だが,なぜ残るのか」と,2015年08月18日のツイートで発言(意見)していた(この点は後段で言及があるが,2016年度から伊丹敬之は東芝から辞去していた)。

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  出所)この画像は2015年8月18日,手前の渋い表情が伊丹敬之,http://www.jiji.com/jc/foresight?p=foresight_15604

 経営学者の立場にとっても,やはり「言う〔=理論〕は易く行う〔=実践〕は難し」である。経営学者が経営現場において「事例研究」的な具体的状況に,つまり〈生きた経営問題〉邂逅したさい,図らずも発覚してしまった「問題:ある本性」が露見した。

 要は,実は・本当は,理論しかよくしらない経営学者の立場に終始していたためか,その東芝不正会計事件発生後も役員(社外取締役)の仕事を継続した点に関して,伊丹敬之は事件後においても,そのように「まだ,なぜ残っているのか」と率直な疑問を投じられていた。この疑問点は,伊丹自身における生涯の履歴のなかに永遠に刻みこまれるべき一項である。

 

  東芝不正会計問題に関する意見

 1)「刑事告発が噂される東芝不正会計事件の本当の問題点」『HARBOR BUSINESS online』BUSINESSb)すね2016年01月05日

 総論すると,東芝の不正会計は会社から第三者委員会,当局まですべて “グル” になって,問題を矮小化させた事件といえます。これを「悪意をもった粉飾決算」といわずして,なんというのでしょうか?
 註記)http://hbol.jp/74656

 2)「東芝不正会計  市場守る監査に立ち返れ」『産経ニュース』2015. 12. 27 05:00

 新日本は前身の会計事務所時代から60年以上も東芝の監査にあたってきたという。新日本にとって東芝は,年間10億円の監査報酬を支払ってくれる優良な顧客でもあった。そこに企業と監査法人の「なれ合い」はなかったのか。

 補注)「新日本」とは,「EY新日本有限責任監査法人(イーワイしんにほんゆうげんせきにんかんさほうじん,英文名称:Ernst & Young ShinNihon LLC)のことである。日本の大手監査法人であり,いわゆる「4大監査法人」のひとつである。Ernst & Young の日本における統括法人EY Japan に属する。。2008年7月1日,日本で最初の有限責任監査法人となっていた。

 日本では,監査責任者の公認会計士が5年で交代すれば,同じ監査法人であっても,ずっと同じ会社を担当できる。欧州では一定期間で監査法人を交代させることが検討されている。なれあいを防ぐ仕組づくりは日本でも必要である。

 今回の問題を,新日本による個別の事案として終わらせてはならない。なぜ不正を見抜けなかったかを検証し,監査手法のあり方なども含め,再発防止のために抜本的な見直しを図るべきだ。
  註記)http://www.sankei.com/column/news/151227/clm1512270003-n2.html

 3)原発事業体制と東芝会計不正問題

 郷原信郎「最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る『崖っぷち』」(ブログ名『郷原信郎が斬る』2016年3月14日)の記述内容は長文である。最後の段落のみ引用する。東芝会計不正問題の闇,その藪の中みたいな様相に注目する余地がある。国家のエネルギー政策にもかかわる問題の次元にまで広がりがある。

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 出所)郷原信郎http://book.asahi.com/author/TKY200904220151.html

 --東芝会計不正の背景に,国策としておこなわれてきた原発事業を守るためであれば,会計不正もやむをえないという考え方による歴代経営トップの経営倫理の弛緩があったとすれば,東芝の会計不正の核心が原発事業をめぐる問題であることが明らかになることが,逆に,刑事責任追及のハードルとなる可能性もある。

 原発事業をめぐる会計不正も含め,背景・動機について徹底した捜査をおこない,真相解明することは,国内の原発の再稼働や海外での原発事業を積極的に推進しようとしている安倍政権にとって,けっして歓迎すべきことではない。

 証券取引等監視委員会が告発できるかどうかも,検察当局が告発を受け入れ積極的に捜査に乗り出す方針を固めるかどうかにかかっている。検察に,そのような安倍政権側の意向を忖度することなく,原発事業をめぐる会計不正を含めて東芝粉飾決算事件に積極的に斬りこんでいくこと,適正かつ厳正な捜査をおこなって真相を解明することが期待できるか。

 『文芸春秋』〔2016年4月号〕が東芝の記事を含む特集を「アベノミクス崖っぷち」と題しているように,東芝会計不祥事は,コーポレートガバナンスの強化を柱として位置づけるアベノミクスにとっても,避けては通れない問題だといえる。

 「東芝会計不祥事をめぐる闇」はあまりにも深い。しかし,その闇の真相を明らかにし,責任を明確にしないかぎり,日本企業のコーポレートガバナンスに対する信頼の回復・確立はありえない。検察が,国民の期待・社会の期待に応えて,国の経済社会にとってもきわめて重要な経済事犯の真相を解明する使命を果たすことができるかどうか。最終局面を迎えつつある東芝会計不祥事から目が離せない。

 註記)https://nobuogohara.wordpress.com/2016/03/14/最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」

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 付記)本書は,日本経済新聞社から2000年12月に発行。

 伊丹敬之は著作に『日本型コーポレートガバナンス』(日本経済新聞社,2000年)がある。だが,伊丹は「持論の学説」であったはずの「人本主義主義」で理論武装をかためていたものの,東芝会計不正事件を社外取締役の立場からまったく感知できていなかったために,その発生を事前に予防する機能を皆目発揮できていなかった。結局,東芝社外取締役に要員化されていたけれども,肝心なときには単なる「雛壇に乗せられたお飾り用の学識経験者」でしかなかった。

 

  なんのための東芝社外取締役であったのか

 いうなれば,日本国内において産業経営スキャンダルとなった東芝会計不正事件は,原発という製品の介在によって,国際関係にまでその影響範囲が広がっていた問題である事実が分かる。

 伊丹敬之はまた,この日本を代表する電気製品製造会社の社外取締役に就いていた経営学者として,その地位・役職を根幹より問われる顛末になっていた。それでも伊丹は,大学教員の職位も同社の社外取締役の地位も捨てる気はないらしく,いまでもなお,つつがなく「理論と実践の両界」を,従前どおりにこなしていけてるつもりらしい。

 1)「〈経済気象台〉社外取締役の報酬」『朝日新聞』2015年10月15日朝刊

 上場会社に適用される「コーポレートガバナンス・コード」のなかで,もっとも話題となっているのが,独立社外取締役を複数選任すべきだとする原則である。会社の持続的な成長と価値向上を図るため,経営監視機能を高める必要があるからだ。しかし,社外取締役が複数選任されていたにもかかわらず,経営者主導の不正行為などに対してまったく機能していなかったという事例は,東芝だけでなく複数ある。

 2001年に経営破綻した米エンロン社の場合は,高名な社外取締役を多数選任し,公開会社のなかで最高額の役員報酬を支払っていた。そのために,社外取締役みずからも認めていることだが,判断が鈍ったとされている。会社が高額報酬と引き換えに社外取締役の名声と信用をうまく利用していたことになる。

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  出所)http://therespectinstitute.org/category/uncategorized/

 ただ,独立社外取締役の重要性を主張する米国でも,無報酬に近いかたちで職責を果たしている者も多くいるという。貢献に社会的なリスペクト(尊敬)や栄誉を与える環境が定着しているからだ。企業価値を毀損し,市場の信頼を失墜させるような不正を見逃すことがあれば,自身の名誉に傷がつく。そのため,経営監視の役割を最大限に果たそうとするのである。

 わが国の場合,社外取締役の報酬は有価証券報告書に開示のとおり,庶民感覚からすると,一般に高額である。経営者の暴走に対しては,職を辞する覚悟で臨むこともあり,報酬の誘惑を断ち切る気概と責任感こそが社外取締役の原点である。

 実際に財団法人や社団法人などの評議員や理事,監事の場合,社会的にも地位が高く高名な人たちが無報酬で重責を担い,広く尊敬の念を得ている例がある。これに倣いたいものである。

 2)「〈大機小機〉東芝事件の教訓」『日本経済新聞』2015年10月24日朝刊

 東芝の不適切会計事件は,東芝以外の企業にも貴重な教訓を残している。なによりも明白な教訓は,社外取締役による経営監視はむずかしいということである。ちょっと考えるだけでもこのむずかしさは理解できる。

 まず社外取締役は企業内部についての知識をもっていない。内部のさまざまな動きに関して詳しい情報をうることもむずかしい。経営執行部から提供される情報に依存せざるをえず,執行部がしられたくないことは容易に隠すことができる。監視側に知識も情報も不足しておれば,効果的な監視が期待できないのは当然である。

 さらに,社外取締役に経営監視のための追加情報を積極的に収集しようとする意欲をもたせることもむずかしい。その結果,粉飾が簡単に見逃されてしまう。これらの限界を考えれば,金融庁などの規制当局が推奨する社外取締役や監査委員会よりも,伝統的な監査役会のほうがよほど有効である。

 社内監査役は内部についての深い知識と情報をもっている。社外の監査役も,監査役会で社内監査役から深い情報をうることができる。調査権もある。東芝事件を受けて,社外取締役監査役会の傍聴を求める企業も出てきた。

 考えてみれば,日本の監査役は効果的な制度だった。経営監視に専念できる。4年とはいえ身分保障があるため,経営執行部に苦言を呈することもできる。取締役会での議決権はないが,株主への監査報告の内容しだいで株主総会を不成立にさせることもできる。議決権をもつが,情報をもたない社外取締役に監査させるよりは効果的だ。

 こう考えれば,監査役会を廃止し,監査委員会を設置させるという当局の制度設計は正しかったのかという疑問がわいてくる。社外取締役の増員を求めたコーポレートガバナンスコード(企業統治指針)も再考の余地がある。増員しない企業には説明責任が求められるが,増員を求める側にはもっと重い説明責任があることを忘れてはならない。

 東芝では不祥事への対応として,社外取締役過半数に増やすという。この対応は正しかったのだろうか。監視機能はますます弱くなる。社外取締役を増やすのなら,強力な監視補助組織を設置するか,監査役会を復活させた方がよいかもしれない。真摯な再検討が必要だ。

 3)「〈経営の視点〉相次いだ企業の不祥事 20世紀型経営から脱皮を」『日本経済新聞』2015年12月28日朝刊

 不祥事がもうすぐ発覚する。そんな状況下で経営者はどう動いたか。東芝の田中久雄前社長は今〔2015〕年4月6日,東京都内で新規事業の記者会見を開いた。事業は水素の製造,発電のための大規模システム開発。不適切な会計処理があった可能性があると公表した3日後だった。

 排ガス試験を不正に逃れていた独フォルクスワーゲンマルティン・ヴィンターコーン前社長。9月15日に電気自動車への思い切った投資を発表している。辞任を表明する8日前。米当局から約1年前に不正ソフトの使用を指摘され,発覚したあとの段取りを念入りにシミュレーションしていたという。不祥事と先端技術。偶然の一致というみかたもできるだろう。だが両社には会社の継続性を強調すべく,自社の存在意義や技術の将来性を示しておこうとの思惑もあったはずだ。

 2社に共通する不祥事の背景とはなにか。コンサルティング会社,クオンタムリープ(東京・港)の出井伸之最高経営責任者(元ソニー社長)は「20世紀的な価値観をぬぐい切れていなかったこと」とみる。個々の技術は優れているが,パソコンやテレビ,小型車と,モノだけで規模を追求する経営を変えられなかった。

 水素は脱温暖化に向けたエネルギー革命,電気自動車はインターネットと接続しつつ,付加価値の高い事業モデルを実現できる技術だ。だとしたら,新しい経営の方向性をもっと早くに打ち出し,事業の入れ替えを周到に進めておくべきだった。

 「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」。そんな言葉が海外で広がっている。ビッグデータ人工知能などIoT(モノのインターネット)の技術を活用し,企業を再創造する手法だ。

 スイスのビジネススクール,IMDと米シスコシステムズの共同研究によると,そうした動きがこれから加速すれば,20世紀から存在している主要12業種で,上位企業の4割がいまの地位を追われる可能性があるという。単純な規模追求の経済が終わりを告げ,デジタル化で新しい事業モデルを築いた企業が版図を拡大するわけだ。

 日本の経営者にも変化の兆しはある。企業買収で空調世界一になったダイキン工業の井上礼之会長は「数量の規模は今後も追いたいが,これはという異業種やベンチャー企業を機動的に中にとりこむ買収も必要になる」と話す。めざすのは異業種とのオープン・イノベーションやビジネスの融合だ。

 日産自動車は今〔2015〕年,米航空宇宙局(NASA)と自動運転車の共同開発を始めた。トヨタ自動車も米大学と提携する一方,人工知能研究の新会社をつくり,5年で1200億円を投資することを決めている。先端技術を集めた自動運転でも,業種の垣根を越えた連携が進む。

 今年(2015年)は大企業の不祥事が続いた。時代の移行期を象徴する出来事だったとするなら,来年はしっかりと前を向き,21世紀型経営へと脱皮を急ぎたい。立ち止まってはいられない。世界中の企業が一斉に変化を模索し始めている。

 4)いま,伊丹敬之という経営学者に存在意義はあるのか?

 はたして,経営学者伊丹敬之について思うに,その21世紀型経営学者へと脱皮するためには,どのような変貌を遂げられる可能性をこの人に期待すればよいのか? それとも時すでに遅しか?

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 出所)『日経ビジネス』2015年8月3日号。

 伊丹敬之稿「〈経済教室〉資本市場と企業統治 最終回-問い直される『企業支配』 問題起こす『投機家』会社法の理念強化は疑問」(『日本経済新聞』2006年6月20日朝刊)は,こう述べていた。

 「企業の支配権とは,たんに企業財産の処分権だけに止まらない意味をもつ。企業とは,財産の集合体であると同時に,そこに働く人びとの人間集団であり,共同体でもある。だから企業支配権は,その人間集団の運命を左右する権力をも意味することになる」。

 けれども,この理論的な著述は,社外取締役としての自身の実践(出処進退の問題も識者はとりあげていたが)とは,いったいどのような関連性がありうるのか,ぜひとも,あらためて訊いておきたいところである。

 伊丹敬之も実際に東芝という「企業支配権」の枠内に深く関与し,「その人間集団の運命を左右する権力をも意味することに」対して特定の関係をもちつつ,大なり小なりになんらかの寄与をしてきたはずである。

 その様相はいうなれば,学問として伊丹「自身が抱いてきた理論(人本主義企業論)」という構想が,「自身が関与した会社の行動」と実践的に遭遇して発生した出来事を意味していた。ところが,この「理論と実践」の突き合わせて,その人本主義企業論の学問としての妥当性や理論的な吟味という作業は,なされていなかった。

 「経営学者の立場」というものが再考されねばなるまい。すなわち,産業界における企業体制に向けて発想されていた〈人本主義〉という経営思想は,理論的には形成不全であった事実だけでなく,それゆえにか実践的にも破綻を余儀なくされていた。 

 伊丹敬之は社会科学者としてその貴重な体験を,東芝という場において与えられていた。だが,いまでは何事もなかったかのように「余生を過ごしている」。現時点〔2020年1月〕における,彼のこうした姿が第3者の網膜に映るとき,はたしてどのように観察されうるか。そして,とくに学究としてはいかほどに,その真価が評価されうるか? おのずとしれる点である。

 

  国際大学ホームページに脳天気にも紹介された伊丹敬之「社会貢献・情報」

 国際大学のホームページ(https://www.iuj.ac.jp/jp/2018/01/20180112-2/)内には,「日本経済新聞(〔2018年〕1月12日)/「検証  東芝危機」に伊丹敬之学長のコメントが掲載されました」と題する報告が出ていた。この国際大学のこの報告は,東芝社外取締役として関与してきた伊丹敬之の「実績いかん」に関する実態はそっちのけにしたまま・なにもしらないで,このように対外的に公表していた。

 当該の『日本経済新聞』2018年1月11日「記事」を引用しておく。前項 ④ までの記述を読んでもらった人であれば,この記事のなかに登場する伊丹敬之の発言そのものに関した「言及のされ方」が,これじたいとしてひどくトンチンカンである事実をみのがさないはずである。すなおにいわせてもらうまでもなく,単に鼻白む記述となっている。

 註記)以下,日経記事の引用は,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25584070R10C18A1TJ2000/


   ◆「原子力暴走(3)三者調査,原発素通り

       『臭いものに蓋』組織にまん延(検証東芝危機)◆

 2016年2月,上場企業の審査を担う日本取引所自主規制法人は,企業が自社の不祥事に対応するための「原則(プリンシプル)」を公表した。そこに,こんな趣旨の一文がある。「第三者委員会の名前をかかげることで,不十分な調査に客観性や中立性をもたせてはならない」。関係者は明かす。「これは実は,東芝問題が念頭にある」。

 2015年4月に東芝の不正会計が発覚し,翌月にはパソコンやインフラ部門を中心に実態を調べる第三者委が立ち上がった。当時,苦境にあった子会社の米原子力大手ウエスチングハウス(WH)は不正会計とのつながりも連想されたが,調査対象から外された。

 「なぜWHを調査しないのか」。2015年7月21日,第三者委が調査報告書を発表すると,多方面から疑問の声が噴出した。第三者委は「東芝に委嘱された調査を実施した」と繰り返すのみだった。  

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 「おわび申し上げる。今後も東芝を支援していただきたい」。同日,東芝社長の田中久雄は記者会見で頭を下げ,引責辞任した。関係者によると,田中は3カ月前,調査範囲の限定に向け委員会に働きかけるよう財務部の幹部らに指示した。「(すべて調べられると)会社の体質,組織的な問題に発展してしまう」。こうクギを刺したという。

 田中の意をくんだ部下らの根回しが奏功したのか,調査対象はパソコンなどの分野に絞られた。東芝はのちに発覚する巨額損失の芽を摘むどころか「隠蔽」の道を選んだ。

 WHは2012,2013年度に合計で1100億円を超える減損損失を計上した。東証の適時開示対象にもかかわらず,東芝は連結決算には影響がないとして,この事実を2015年11月まで公表しなかった。

 ある東芝元首脳は2006年のWH買収から始まった一連の海外原発事業の問題をこう振り返る。「臭いものに蓋。恥ずかしいけど,一事が万事,先送りの思考停止だった」。

 田中にくわえ西田厚聡佐々木則夫の歴代トップ3人が引責辞任した直後の2015年8月。社外取締役だった国際大学学長の伊丹敬之は,東芝の社内報でこんなエールを送った。「上からの圧力でやらされた,不適切な仕事から解放されるだけでも,エネルギーが出て組織は変わるはずだ」。

 補注)伊丹敬之は,2012年から東芝取締役・指名委員会委員・報酬委員会委員,2015年には東芝経営刷新委員会委員長を務めていた。ところが,以上のごとき東芝の蹉跌の連鎖に関しては,ほとんど他人事であるかのように聞こえる発言をしていた。2016年度以降,伊丹は東芝との関係を絶っている。

〔記事に戻る→〕 しかし,原発問題の深刻さはトップが変わっても変わらなかった。巨額損失を生む米原発建設会社をWHが2015年末に買収し,東芝原発事業にとどめを刺した。3トップの辞任後に社長に就いた室町正志はこれを食いとめられなかった。

 「社外取締役に十分な情報提供がなかった」「監査委員会は独立性に欠ける傾向があった」。東芝が2017年10月に発表した「内部管理体制の改善報告」をみると,暴走を止めるチェック機能が働かなかったことが分かる。

 ある元社外取締役は振り返る。取締役会で米原発事業の質問をすると,執行側は「メンテナンスで稼いでいるし,うまくいっている」と回答しつづけた。だが東芝は2016年3月期にWH関連で2600億円の減損を実施。「結局,誰も本当のことをいっていなかったということだ」と吐き捨てる。

 補注)ここに登場した社外取締役は伊丹敬之ではないが,だからといって,自分(伊丹敬之)もこの社外取締役と「同じ状況・立場にあった」といって済まされる問題ではあるまい。

 チェック機能の不全は現場も同じだ。「内部通報制度はあるが人事に筒抜けと聞き,使えなかった」。ある社員はこぼす。米原発の減損先送りや不正会計などに直面してきた現場にはあきらめにも似た閉塞感が広がった。そのひずみは深刻だ。再建に一歩を踏み出したいまも20~30代の若い社員の退職が後を絶たない。

 長年かけて東芝に根づいたものいえぬ風土。それが経営の暴走を助長し,隠蔽体質を醸成した。東芝が危機に陥るのは必然だった。(日経・引用終わり)

 なかんずく,伊丹敬之の創説であった『人本主義企業』論は,東芝の個別問題に関するかぎり,その出る幕などいっさいなかった。そうした結果になっていた。それゆえか,その「理論構想じたい」は,観方にもよるのだが,ともかく無傷の状態でもって,その「名」だけは後世に残せる可能性は絶たれていない。

 それらの事情はひとまずそれでいいとしても,まともに吟味をくわえてみれば,この「人本主義企業論の存在意義」は本来,いったいどこに・どのようにみいだせばよかったのかという「肝心な論点」が,いまさらにように疑問符が突きつけられたかっこうで浮上している。

 伊丹敬之流『人本主義企業論』という経営理論に関した構想は,日本経営学史において位置づけるとしたら,一種の「あだ花」であった。産業界に与えた影響はみかけだけに終始していた。

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