志位和夫のオジサンが志位正二,安倍晋三のオジイサンが岸 信介,ソ連の手先になった元陸軍少佐とアメリカの小間使いになった元A級戦犯

ソ連の手先だった志位正二とアメリカの小間使いだった岸 信介,そして,志位は志位和夫日本共産党委員長の伯父,岸は安倍晋三日本国首相の母方の祖父,どっちもどっちであり,「同じ日本人同士」として共有できている「ある特性」

 

  要点:1 人間という存在のエゴ丸出し的な人生の軌跡

  要点:2 この国では,右の道も左の道も「真っ暗闇ではござんせんか!」

  要点:3 人間は窮地に追いこまれるとなんでもやる生物(動物?)ということで,「目くそ,鼻くそを笑うなかれ」

 

 🌑    言 🌑

 最近,ウィリアム・F・ニンモ,加藤 隆訳『検証-シベリア抑留』(時事通信社,1991年)を古書で入手し読んでみた。ところで,この本のおしまい近くの個所で「志位正二」という姓名が出てきた。非常に珍しい姓ゆえ,すぐに日本共産党委員長志位和夫となにか関係がある人物かと調べたところ,その予想どおりであった。

 まずは,① の本文で登場する人物なので履歴などはここでは触れないが,関連して同時に,興味ある「ゴリゴリ・一辺倒の保守・右翼・国粋らしい人物の文章」に邂逅することになった(!?)。ということで本日の記述は,後者による記述を最初に紹介するところから始まる。


 志位和夫ソ連のスパイの甥っ子である」『四宮政治文化研究所』2019年1月30日,http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2019/01/post-31e3.html

【引用する前に断わっておく点】   「伯父と甥とは別人格」である事実は,血縁関係そのものがあっても「真実」である。この点を一言断わっておいてから,このブログ『四宮政治文化研究所』の主である四宮正貴の発言を紹介する。

 --私は昨日〔2019年1月29日〕の本欄において,安倍総理が施政方針演説で,明治天皇御製について語ったことに対して,志位和夫日本共産党委員長が,「日本国憲法の平和主義に真っ向から反するものだと強く抗議したい」と非難したことを強く批判した。

 志位和夫の祖父は,なんと陸軍中将・志位正人である。その息子で,大東亜戦争時の日本軍第三方面軍参謀(少佐)でシベリア抑留後は外務省職員でありKGBのスパイだった志位正二は志位和夫の伯父である。つまり志位和夫ソ連のスパイの甥っ子なのである。

 補注1)志位和夫の近親者系譜については,つぎのブログがいくらか説明している。⇒「陸軍と志位さん」『雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ』2017年11月02日 03時27分28秒,https://blog.goo.ne.jp/saikamago_n/e/70f62a6170f1557395159f6e3588c3b9

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 補注2)上段の本文を受けてこの補注2を記述する。--なんと「志位和夫ソ連のスパイの甥っ子なのである」である点は,そのとおり事実であった。だが,そうだからといって,志位和夫がこの伯父「正二」と二重写しにされ,同一化されて観られてしまい,そして「同じに × × なのである」という語感(筆法?)でもって,多分,非難・批判・攻撃をしているつもりだとしたら,これは単純な間違い以前の,はなはだしい勘違いである。

 日本共産党に対する好き嫌いに関する感情,この政党を支持するとかしないとかの政治意識とはかかわりなく,この種の “間違い以前の勘違い” は,確実に批判され排除されておく必要がある。この指摘は,前後する叙述にとって大前提になる大切な留意事項である。四宮正貴は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の口調で,無意識的になのかどうかはともかく,一方的に決めつけるための単なる極論を吐きまくっていた。

 確かに志位正二と志位和夫は血縁関係にあって,この関係は生物学的な遺伝面でもつながりがあるから,甥の和夫の立場からすれば「否定するもしないもなく,もともとの事実」である。しかし,だからといって,正二が「ソ連のスパイ」であった過去の履歴そのものが,どのような事情となってその内容が記録されていたかはさておき,和夫が「スパイの甥っ子なのである」という具合に非難したうえで,この発言のなかに特定の意味をこめておきたいかのように,それも格別に強調したかったのだとしたら,問題がある。こうした論法じたいには,初めから大きな過誤があり,逆に徹底的に批判される。

 たとい,ある殺人犯の男に妻がいて,そのあいだに息子や娘がいたとしても,この子どもたちにはなにも罪はないし,その親とはまったく別人格の人間存在そのものとして認められる。この種の「通常の人権」が尊重がされていて,当然も当然である。また殺人犯となったその男(父親)自身も,裁判を受けて下された刑期を終えれば,その罪じたいはひとまずあがなったという経緯になる。

 志位和夫の場合でいえば,伯父である正二が過去に残してきた人生の記録を,甥の立場という関係がどのようなかたちであれ,直接に背負わねばならないという因縁など,いっさいない。「それがある」というほうが,それこそ “要らぬ因縁” を付けている与太者の精神暴力的な屁理屈になる。

 志位和夫に配偶者がいたり,子どもがいたりしたらこの血縁者に対しても,四宮正貴しのみや・まさき,1947年3月17日生まれ,ブログ『四宮政治文化研究所』の書き手)は,以上の口吻を転じて同じように投げつけたりするのか? そうだとしたら,けっして常識的な社会認識ではなくて,自分流でしかない異様な感性を他者に押し売りする発言をしている。

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 出所)https://www.youtube.com/watch?v=r1b-Zn3gbmM

 

 ウィキペディアで「四宮正貴」を探ってみると,同じ右翼でもたとえば鈴木邦男とは右翼団体一水会」を創建した仲間であった。けれども,いまでは鈴木とはだいぶ歩いている経路が大きく枝分かれした様子がうかがえる。鈴木邦男はいまではすっかり有名人である右翼人士になっているが,四宮正貴はその点では世間:一般人にはしられていない。

〔四宮・記事に戻る→〕 佐々淳行氏の著書『私を通り過ぎたスパイたち』という本によると,志位和夫の伯父・志位正二は,シベリア抑留後の昭和23年4月にソ連諜報員となる誓約をおこない,モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春,瀬島龍三,種村佐孝らとともに諜報員,共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。

 帰国後は,GHQ参謀第二部(G2)に勤めた後,外務省アジア局調査員となり,二重スパイとして活動,ラストポロフ(ソ連の職業的諜報員,中佐)に日本の再軍備や米軍関係情報を約40回にわたって提供,65万5千円を報酬として受けとっていた。ライトポロフが亡命したあと,志位正二も日本警察に自首したが,不起訴になる。

 補注)なにゆえ,志位正二はその不起訴になっていたのか,判明しにくい事情があったはずである。前段に出ていたい姓名でいうと,瀬島龍三のほうがどのくらい「売国奴」的な役割を発揮していたか,注目しておく余地がある。瀬島は「日本人兵士など」が敗戦後,ソ連によって60万人近くシベリアなどに抑留された重大な出来事に関して,深く関与した日本軍の人物ではないかと目されている。瀬島は,旧陸軍で本部参謀を長く務め敗戦時は中佐であった。四宮正貴はきっとこの瀬島龍三のこともとりあげ批判しているものと推察しておきたいが……。

 その後ソ連東欧貿易会などに勤務し,シベリア開発の専門家になった。昭和48年,シベリアのハバロフスク上空を飛行中の日航機内で自殺した。死因は脳溢血とされ事件性は否定されたが,「御用済み」となってKGBに消されたとのうわさは絶えなかった。

 ともかく,志位和夫という男は,根っからの筋金入りの反日本主義者であり,國體破壊をめざす逆賊であることは確かである。まさに志位和夫共産主義革命思想の申し子であり,ソ連の手先なのだ。

 補注)志位和夫がいまどきに「〔旧?〕ソ連の手先なの」であり,「共産主義革命思想の申し子であ」って,「根っからの筋金入りの反日本主義者であり,國體破壊をめざす逆賊であることは確かである」とまで,しかもいまの時代・時期・時点における観察方法として,そのようにいいきれるかといえば,これは極度の被害妄想でなければ,たいそうな狂信に走った解釈による発想だとしか受けとれない。

 志位和夫は現在,日本共産党委員長であるが,この政党は「現在においては」天皇天皇制の存在を認めないとはいっていない。だが,四宮正貴は,この政党が天皇天皇制に対してどのような立場を採っていようとも,志位は,ハナから「反日本主義者であり,国体(四宮は旧字〈國〉を使用)破壊をめざす逆賊である」とのみ決めつけている。しかも,ひたすら排撃して粉砕したい「思考方式の一辺倒」でしか語っていない。この人物は,「たがいに議論を交わして批判もしあう相手」になりうるかという判断をする以前に,すでに「対話すること」じたいが初めから不可能な人物に映っている。

〔記事に戻る→〕 志位和夫に,アメリカの「民主主義思想・平和思想・人権思想」を三原理とする「現行占領憲法」に依拠して安倍氏を批判する資格などありはしないのである。ましていわんや,明治天皇御製に対し奉り,「日露戦争のさなかに戦意高揚のために使われた」などというのは不敬千万である。志位和夫は今日においてもまさにロシアの手先であることを証明した発言である。

 補注)四宮正貴は,「民主主義思想・平和思想・人権思想」だというアメリカが日本の押しつけてくれた「現行占領憲法」の〔多分〕「法哲学的な観点」から,安倍晋三を批判してはいけないとまで論断している。けれども,前段にとりあげてみた四宮正貴の発想の仕方に拠ってこのような独断的な発言がなされたところで,なお非常に理解しにくい論旨であった。

 大学時代は法学部に在籍していたはずの安倍晋三が,いまでは「世襲3代目の大▲カ政治屋」であるとしても,現憲法の基本特性くらいしっているかと思いきや,それどころか,トンデモなく無知に近いほどの理解力しかもちあわせていなかった。

 例を挙げて話そう。安倍晋三が『ポツダム宣言』をどうやらきちんと読んでいなかったいう点は,先日,ふとしたきっかけがあって,おおよそだが全面的にバレていた。恥ずかしいかぎりである。「こんなボンボンで甘々の世襲政治屋」がこの国の最高指導者である。ということで,志位和夫安倍晋三が基本からして無知かつ無恥であったその件について,『しんぶん赤旗』の紙上でこう批判していた。

  ポツダム宣言の歴史知らず「戦後レジームの打破」とは 志位委員長が指摘 ★
      =『しんぶん赤旗』2015年5月22日 =

 

 安倍晋三首相が〔2015年5月〕20日党首討論で,「ポツダム宣言」を「つまびらかに読んでいない。論評を差し控えたい」とのべたことが世間に衝撃を与えています。

 

 これに関連して志位委員長は21日の記者会見で,安倍首相が自民党幹事長代理だった2005年当時,『Voice』7月号の誌上対談で「ポツダム宣言というのは,アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと,『どうだ』とばかり叩(たた)きつけたものです」と述べていたことを示し,「政治家として根本的な資質が疑われます」と語りました。

 

 問題の発言は,「ポツダム宣言」にふれて小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝をただした民主党衆院議員を批判するくだり。「ポツダム宣言」について先のように述べたあと,「そんなものをもちだし,あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で,日本の総理を責めあげる。大変な違和感を覚えました」と語っています。

 

 こうした発言について志位氏は「事実誤認があります」と指摘しました。「ポツダム宣言」が発せられたのは1945年7月26日,日本が受諾通知したのは8月14日,公式調印したのは9月2日です。他方で原爆投下は8月6日と9日だからです。

 

 志位氏はこの時系列を端的に示し,「2つ原爆が落ちたあとに叩きつけたものではありません。一連の発言をみると本当に(ポツダム宣言を)読んでなかったことがうかがわれます」と述べました。

 

 「彼にとっては,(ポツダム宣言は)戦勝国が勝手な要求を突きつけたものであって,『破り捨てたい』というのが本心だと思います。それをいうわけにいかず,あのような(=読んでいない)答弁になったのかなと思います」と述べました。

 

 そのうえで,「総理の最大の政治信条は『戦後レジーム(体制)の打破』ですが,戦後政治体制の原点中の原点は『ポツダム宣言』です。それをよく読まないで,『打破』をいうのは,政治家として根本的な資質が疑われます」と語りました。

 安倍晋三があいもかわらず “政治家としての基本的な資質” が問われつづけているのは,周知の事実であった。だが,この志位和夫の安倍批判の点に関するあたりにまで,伯父の正二の過去における「シベリア抑留に発する問題」を結び〔こじ〕つけて「云々(デンデン)する理由」は,無理筋の難癖づけであるというよりも,ありえないコジツケのための屁理屈である。

 なかんずく,まったくの別問題というか,初めからなんら関係のない「それぞれに別個の政治的な話題」でしかない,すなわち,別人格の次元において個別に存在するそれぞれの問題をつかまえては,無理やりというか,強引に関連づけて論難するところからして,それじたいが暴論・妄説のたぐいでしかなかった。

 政治家として首相を務める人間(安倍晋三)が,『ポツダム宣言』をまともに一読したことも,ましてやその基本的な理解もないと疑われる程度の「自身の見識」しかもちあわせていないようでは,それこそ,まったくお話にもならない「国家最高指導者」の知的水準だとしか表現しのしようがない。それでも,四宮正貴は,とくに「反日本主義者」である志位和夫は「国体破壊をめざす逆賊だ」と断罪していた。

 だが,このような芝居がかった単細胞的な,一見,保守・右翼・国粋風を気どったかのような言辞の乱舞は,戦争中の蓑田胸喜みのだ・むねき,1894年1月26日~1946年1月30日)が記録してきた「日本の反共・右翼思想」の,好き勝手な恣意的言動と寸分も変わるところがない。四宮正貴のいいぶんは,自分の信じる意見を声高に叫んで開陳してはいるものの,その説得力はせいぜい「同類である一部の人びと」にしか共感できない作文に終始している。

 となれば,つぎの ② に紹介するブログが書いている中身とは,それこそガチンコ勝負のケンカ的討論が始まること必至に思える。ともかくも,こちらの意見を四宮正貴の文章に対峙させ,いったいどちらのほうが「事実の把握とその評価づけ」に関して,よりまっとうでありうるかを吟味してみるのもいい。

 だが,どうやら四宮正貴がかばっているらしい安倍晋三の立場は,反対側に陣営に立つ人びとから観ると,まるっきり本当にボロクソにいわれている。子どもの総理大臣だと失笑されているが,それだけでなく「初老の小学生・ペテン総理」とまで蔑称されてもいる(ブログ『くろねこの短語』命名)。本ブログ筆者は「幼稚で傲慢」「暗愚で無知」「粗暴で欺瞞」の総理大臣だと形容している。

 

 「右翼に刺された売国右翼,岸 信介襲撃事件と共謀罪」『金沢京子のブログです』2018年11月07日,https://ameblo.jp/minakatario/entry-12271637543.html

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   註記)1960年7月14日,東京・首相官邸

   補注)この写真でうかがえるかぎりでは,ズボンに血が着いているのはよくみえるものの,おしっこを漏らしていたどうかまでは視認できない。

  a) この写真は,孫である “ニセ右翼で売国奴安倍晋三” が尊敬してやまない〔同じく〕“ニセ右翼で売国奴の岸 信介” が,安保がらみで総理を退陣表明後,本物の右翼の男に襲撃を受け〔て〕刺傷し,官邸から避難するところです。噂ではこの時に失禁してたとか。孫のシンゾー並みな,ノミの心臓よね。

 本当の右翼は天皇を敬っておりますが,ニセ右翼は天皇家をないがしろにして,本当の右翼も敵に回して教育勅語を利用して,「お国に命を捧げよ」といけシャアシャアとのたまう……(中略)……〔し〕,さらに教育勅語を悪用し,福祉の金もバンバン減らしていくところ。

 暴漢の動機は,岸 信介が自民党の他の有力者との間に交わした禅譲を,反古にしたのを逆恨みしたともいわれている。なんか籠池〔泰典〕も右翼ですが,仲間割れで総理辞めるとかいうシーンが似てますね。因果応報,早く安倍も辞任せよ!

 b) また,岸が売国奴ということではA級戦犯容疑者であったのに,日米安保で日本を完全にアメリカに隷属させると約束をした岸 信介がA級戦犯容疑で収容されていた巣鴨プリズンを釈放されたのは,東條英機が絞首刑に処された翌日〔1948年12月24日〕だった。東条内閣の大臣を務め絞首刑にならなかったのは,米軍に協力し軍国主義から180度転向し,日本を事実上のアメリカの植民地化したから。

 しかし,延命のために売国奴になった二枚舌の岸の本心であった軍国化を引きついでいるのが,安倍晋三。表向きはトランプに51兆円を捧げ〔た〕。武器もいいなりに買い,年金はバンバン〔つまりこの資金を転用して〕アメリカの武器製造に投資する売国奴でありながら。

 〔その〕裏の顔は,武器をたんまり購入,金をばらまいて世界を支援&支配しているふうにみせかけて,国連の改憲反対を封じこめたいだけ。(〔それは〕寿司友の理屈の世界版。すでに5年で140兆円バラまき,国庫はカラで年金に手をつけている始末)

 c) さて,ここで先の戦争を振り返りましょう。死にそこなった特攻兵などは,死ぬまで生きて帰ったことを恥と思い,苦しみ隠れるように生きたといいます。戦地から帰還した兵士らは,現実を直視できずに苦しんだ。

 ところが,岸は内閣の仲間が処刑され,自分だけが生き残ったことを恥とも思わず,売国まっしぐら! アメリカのいいなり三昧も,安倍晋三は真似して国会も誤魔化し延命中。

 ヒトラーは真逆ですが(笑),ヒトラーの真似と,中国の言論弾圧の真似と,ポリシーゼロ! ともかく戦争して支配者気取りし,すべては開戦ありき,国庫がカラだということを隠したいだけ。

 で,岸のように本物の右翼に襲われたくないので,政治家を守る法案である,「共謀罪」を成立させたいんですね。共謀罪は,ただの保身目的です。

 d) 言論弾圧を危惧するスノーデン。外国人は日本を心配してますが,日本のメディアは安倍に追随中。大規模デモも放送しない。デモに参加している国民は読者であり,視聴者であることを忘れている。そして国民は納税者であるということも忘れている安倍内閣(引用終わり)

 さて,① に登場させてみた四宮正貴君,あなたがホンモノの正統派である愛国的な右翼思想の国粋的な持ち主であるつもりならば,このような岸 信介の孫:安倍晋三など,マゴマゴしていないで “徹底的に批判・糾弾する” のが本筋ではないのか。実際において,「反日本主義者」とか「國體破壊をめざす逆賊」とかいった表現にもっとも当てはまるのは,この安倍晋三によるとくに第2次政権の7年間の為政をみるまでもなく,明々白々である。

 安倍晋三は岸 信介の孫として,そのもっとも悪い「政治家としての〈負の実績〉」ばかりを積み上げてきた。志位正二の伯父「志位正二」に比較したら,安倍晋三の祖父「岸 信介」のほうが幾何級数的に上まわって「ワル」であり,日本の政治にとってもたらした実害もまことに甚大であった。志位正二は一定の期間,ソ連のためにスパイ行為をおこなっていた。だが,安倍晋三はいまもまだオジイサンの真似をして,日本(自国の利益)そのものを破壊する行為を,もっぱらアメリカのためにつづけている。

 

  斎藤貴男のばあい-反骨のジャーナリストを生んでくれた敗戦後史の事情-

 斎藤貴男といえば,よく名の通った独立系のジャーリストであり,数多くの体制批判をこめた啓蒙力に富んだ著書を公表している人物である。この斎藤は,つぎのような人物像に描かれている。

 リベラル派の立場から,節を曲げずに社会に警鐘を鳴らしつづけてきた,「ブレない」ジャーナリストである著者は,その厳しい権力批判と,弱者への優しい眼差しが,リベラル派の書き手のなかでも群を抜く「反骨のジャーナリスト」としてしられます。

 註記)「斎藤貴男が今あえて『平成』の暴虐を暴く!  次代をせめて『夜明け前』にするために」『福井新聞 ONLINE』2019年3月20日 午前9時00分,https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/818885

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 出所)https://kyodonewsprwire.jp/release/201903144258

 斎藤貴男は2016年11月に,『失われたもの』と題した著作をみすず書房から公刊していた。この本についてみすず書房のホームページは,宣伝用に解説する文句であったが,つぎのように書いていた。

 社会が変わってしまったと感じる人は多いのではないか。時代は新たな殖産興業・富国強兵,米国に寄り添う新しい大日本帝国に向かっているようにみえる。なぜ自分は危機的状況をうがつ仕事をつづけてきたのだろう。経済ジャーナリストである著者は,みずからの根っこを掘り下げる。

 

 11年間シベリアに抑留された父と東京大空襲の被災者だった母,戦争をひきずる両親は東京・池袋で鉄屑屋を営み,必死に昭和を生き抜いた……。失われたものは,誇りをもって生きていける自営業の暮らしと経済。自律したあり方を許容する社会。少年漫画の熱狂。「みんなが手と手を合わせれば」の歌。「ネーミング詐欺」ではない政治の言葉。

 

 いわゆる戦後民主主義共同幻想だったのかもしれない。現実には戦争も差別もあった。しかし体験に裏づけられた夢だった。当時と,平和と平等の理想さえ抱けない現在との差は,とてつもなく大きい。

 

 「いま,大きな渦があって,私たちはその縁(ふち)にいる……」。漫画家ちばてつや氏との25年ぶりの対話を収録。著者の初めてのエッセイ集は,会心の庶民史となった。

 註記)https://www.msz.co.jp/book/detail/08542.html

 なお,この解説には具体的には書かれていない「斎藤貴男と父親との関係」があった。その点はつぎのように説明されている。

 フリージャーナリスト斎藤貴男さん(57歳)の父は関東軍の特務機関に配属されていたため,ソ連側から戦犯とされた。1956年の最後の引き揚げで帰国し,家業の鉄くず業を営んだ。1979年に66歳で亡くなったあと,「あの人は最期まで公安の監視下に置かれていた」と母から聞いたという。「高等小学校卒の零細業者にどんな諜報(ちょうほう)活動ができるというのか」。斎藤さんの憤りはいまも収まらない。

 註記)「シベリア抑留 生還後も続いた苦難の歩み サザエさんより」『自然流の日々雑記』2015/10/19 11:50,http://natureflow1.blog.fc2.com/blog-entry-412.html?sp

 ウィキペディアの「斎藤貴男」の解説には,「父は1956年までシベリアにおり,約23年後の1979年に亡くなるまで公安の監視下に置かれていた。斎藤貴男本人によると『就職にも大いに影響した』とのこと」と書かれているが,この事実は斎藤の著作のなかにもくわしい言及がある。斎藤がジャーナリストとして堅持してきた反骨精神の源泉が,どこに求められるかは鮮明であった。

 最後に,冒頭に出ていた文献,ウィリアム・F・ニンモ,加藤 隆訳『検証-シベリア抑留』(時事通信社,1991年)から,本日のこの記述の核心を突く段落を引用しておく。

 日本人は長い間,よく働くが,権力に服従することでも有名だった。とくに後者の特性は1945年を境にして以前の世代の方が顕著だった。天皇をはじめ両親,教師,警察,指導者といった権力をもった人に服従することが戦前の日本の教育や思想のなかで強制された。ところが日本の敗北によって新たな権力者が代わって登場した。

 

 北東アジアの場合はソ連当局が新しい権力者となった。関東軍の元将校や兵隊は日本の敗北後しょげ返って混乱していたが,やがてソ連軍の指示にすなおにしたがった。この柔軟な行為は同じくソ連軍に捕らえられたドイツ人の態度とはまったく対照的だった。彼らも結局はしたがわざるをえなかったわけだが,日本人のようにすなおで,とりいるような態度はみせなかった。

 

 服従的な態度よりももっと驚きなのは,ソ連イデオロギーを宣伝するためにたくさんの日本人活動家が現われたことだった。元兵隊のおよそ20~25%が思想教育計画に積極的に参加していた。その結果残りのもっと多くのPOWたちが被害をうけたのである。確かに路線のイデオロギー教育への協力は日本に引き揚げるための第1要件であったが,しかし大多数のPOWのようにしぶしぶ受け入れた態度と積極的に参加した少数の人びとのそれとは明らかな違いがあった。

 註記)ニンモ『検証-シベリア抑留』第7章「総まとめ」214頁。

 補注)POWとは “prisoner of war” ,捕虜のこと。

 斎藤貴男の父も多分,その「少数の人びと」に属していたとは思われない。ただ「関東軍の特務機関に配属されていたため,ソ連側から戦犯とされた」事情があって,徹底的にソ連側から洗脳教育をほどこされたと日本の政府側に思われてしまい,死ぬまでその疑いをもたれつづけた。そしてその父の因果は子の貴男にまで降りかかっていた。大学卒業後に進路に決定的な影響を与えていたのである。

 すなわち,以上のごとき因縁が息子である貴男に対して理不尽にも降りかかっていて,彼の人生がとった方向を決定づける要因にまでなっていた。日本政府は,この斎藤貴男という優秀かつ有能であり,まことに正義感の強い,筋の通った体制批判を透徹できるジャーナリストを,あえてみずから育成してきたことになる。

 前段にもこう書いてあった。--斎藤貴男の父の立場,「高等小学校卒の零細業者にどんな諜報(ちょうほう)活動ができるというのか」といって「斎藤さんの憤りはいまも収まらない」。つまり,斎藤貴男にとっての現在の「いま」とは,昔からの『いま』にまでじかに連続している。安倍晋三が口にする「戦後レジームのでんでん」とはまったく異質である「斎藤が拠って立つ思想の軸芯」が,そこには控えている。

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