昭和天皇が敗戦後史に記録してきた「皇室一族の生き残り作戦」にうかがえた「人間らしさとしての我利・私欲」模様,沖縄は踏み台

   アメリカ占領下の昭和天皇,その裏舞台での政治的な行為

                   (2014年3月2日)

 

  【要  点】 日本国民(旧帝国臣民)たちをコケにしていた天皇裕仁の,アメリカへのご注進ぶり

 

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  沖縄県公文書館が公表した “天皇メッセージ”

 沖縄県公文書館は,平成20〔2008〕年3月25日に「米国国立公文書館から収集した “天皇メッセージ” を公開し」ていた。この文書は,1947年9月22日,米国による沖縄の軍事占領に関して,宮内庁御用掛の寺崎英成を通じて,シーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた〈天皇の見解〉をまとめたメモである。この “天皇メッセージ” (1947年9月22日)の内容は,おおむね,以下の通りであった。

 註記)http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/images/Emperor%27s%20message.pdf

 (1) 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

 (2) 上記(1)の占領は,日本の主権を残したままで長期租借によるべき。

 (3) 上記(1)の手続は,米国と日本の二国間条約によるべき。

 このメモによると,天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し,共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同もえられるなどとしていた。 1979年にこの文書が発見されると,象徴天皇制のもとでの昭和天皇と政治のかかわりを示す文書として注目を集めた。

 天皇メッセージをめぐっては,日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や,長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり,その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争がある。

 註記)http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html

 この “天皇メッセージ” が,敗戦後日本における政治過程の出来事として,どのような歴史的な含意を発揮してきたか,いまとなっては説明するまでもなく,明瞭になっている。宗主国に対する従属国の首長がこのように,「沖縄を生贄」にしたうえで,「日本=皇室:自分の一族だけはうまくサバイバルしていける」ようにと,ひそかに画策をしていたのである。

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 たとえば,2014年3月1日時点における,以下のような文章があるが,こうした日米関係のなかで昭和天皇がみずから深くかかわってきた歴史:敗戦後史の事実は,この領域を専門的に研究する政治学者であればいまでは周知のことがらである。

 「日本はたびたびアメリカのポチなどと揶揄されてきたが,少なくともこれまでは日本がアメリカから特別扱いを受け,アメリカの後ろ盾があったからこそ,国際社会も核に関する日本の特別扱いを容認してきた。そのような側面があったことは否めないのだ」註記)という文句を引用しておく。

 註記)http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/003195.php  参照。ここで「核」とは,原発の利用とこれに伴うプルトニウム40トン以上もの保有の事実を意味する。

 

 前段の話題は,今日(2014年の)3月2日の話(記述)としてとりあげたものである。だが,そもそも敗戦直後にあって,前段に説明したごとき “アメリカとの関係” のなかにはまりこんでいた人物がいたこと,しかも,ほかならぬ「昭和天皇自身のことであった事実」に関する話題になっていた。

 

 ともかく,彼自身が進んでそのような行動を起こしていた。そしてこの行動の動機には,もちろんのこととして,「特定の目的」がしこまれていた。彼が狙ったその目的については,以下 ② に紹介する「ホイットニー文書」を呼んでもらえば,理解してもらえるはずである。

 

  マッカーサー記念館の “ホイットニー文書”

 この「ホイットニー文書」は,昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が,全編にわたり記された《極秘》扱いの英文3頁以上にわたるメモランダムである。

 1946年4月から6月のあいだに,東京駐在の国務省員によって作成され,マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニー(Courtney Whitney,GHQの幕僚部民生局長)の「私物」として保管されたのち,1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークマッカーサー記念館に寄贈され,1978年に機密解除されている。

 このホイットニー文書の日本語訳をつぎに紹介する。日本人・日本民族としてこの内容に触れて,どう感じるか? 以下に本ブログ筆者の注釈も入れて引用する。

 註記)引用は,http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm から。


    ★ 日本の歴史上これ程卑劣な証言をした男がいただろうか? ★

  -ホイットニー文書(1946年4月~6月)におけるヒロヒトの発言記録」

 2,3週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。日本人の心にはいまだ封建制の残滓が多く残っており,それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

 日本人は全体として,自己の民主化に必要な教育に欠けており,さらに真の宗教心にも欠けており,そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。日本人の封建的特徴のひとつは,進んで人に従おうとする性格にあり,日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。

 補註)そのような教育や訓練は実は,戦前・戦中の日本人・日本民族においては「天皇の名のもと」に,徹底しておこなわれていたのだから,ここに天皇ヒロヒトが申したてている内容は,まったくの噴飯モノである。第3者の立場から聞いても赤面するほど恥ずかしい。

〔本文に戻る→〕 徳川政権は,民は指導者に従うべきであり,そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない,という論理のうえに築かれていた。かくして,平均的な日本人は,自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。かなり闇雲に従うという本能によって,現在,日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが,たとえば労働者の状況をみれば,彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し,本分と義務について考えていない。

 補註)同上。旧日本軍ではこういわれ,絶対の服従を強いられていたのではなかったか。「上官の命令は天皇陛下の命令である」。しかし,この天皇の軍隊がアメリカ軍に敗けたのである。とりわけこの段落における裕仁の発言は,江戸時代のことを悪くいっている。けれども,明治「維新」以来の1945年8月までのほうがもっと悪かったのではなかったか? 「史実」そのものから大きく目をそむけた発言になっている。

 敗戦という出来事にさいして,明治帝政時代と幕府時代の,いったいどちらが深い含蓄(?)のある時代かなどと,わざわざ設問するほうが奇妙であり,浅慮であった点はいうまでもない。裕仁は,19世紀後半から20世紀前半の歴史過程を,故意に伏せたかのようにご都合主義の発言をしていた。明治「大帝」は裕仁が尊敬する先代の人物であった。

〔本文に戻る→〕 この理由は,ある程度,長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。日本人が藩に分割されていた時代は,完全には終っていない。平均的日本人は,自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし,他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

 日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず,合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。しかし,たいていの神道信者は超保守的で,彼らと,神道超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は,しっかりと結びつく傾向をもっているので,依然として危険な面がある。政府は,信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり,現在彼らをとり締まる手段をもっていないために,こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。

 補註)皇室神道の存在を,天皇一家じたいが宗教と考えていなかったなど説明していたとしたら,大嘘になる。戦前・戦中の日本帝国には,まともな意味での信教の自由がなかった。国家神道皇室神道を尊崇する自由だけは存分にあった。裕仁の発言は,古来からつづいてきた日本の伝統である神道を,故意におとしめるような発言を放っていた。いくら “敗戦の将” がとりつくろいながら提示していた『いいわけの一環』であったにせよ,この饒舌ぶりには虚偽に相当する「論点ずらし」がたっぷりこめられていた。

 以上のようなことから,私はいまは日本人のもつ美点を述べている場合ではなく,むしろその欠点を考える時だと感じている。

 補註)自分の問題は棚上げしての「お説」ゆえ,いささかならず「裕仁のエゴ」というものがだいぶ “エグかった言説” には呆れるほかない。だが,それとともに,その低質な発言にうかがえる「自国民をみくびっていた」とみなすほかない思考方式も,国民たちなどの立場から観て,とうてい許容できない「彼なりの高慢さ」を,みずから鮮明にさせていた。

 私は,マッカーサー元帥と元帥のおこなっていることにたいへん大きな感銘を受けている。また,対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し,それが安定効果をもつと感じている。

 補註)「対日理事会」とは,太平洋戦争に敗北した日本を,連合国が占領するに当たり,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ / SCAP)の諮問機関として設置された機関。要するに,ここにおける裕仁の発言は,いわゆる外交辞令的なおべんちゃら。

 しかし,私はいま,この国の労働状況をかなり憂慮している。日本の労働者は,ものごとを真似することにおいて,義務を等閑にして自分の権利を利己的に追求しやすく,米国のストライキから有害な影響を受けるので,米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。

 補註)昭和天皇は,敗戦直後の時期においては「労働の民主化」の昂揚が心配でしようがなく,不安の種であった。戦前・戦中における治安維持法は,国体の変革を禁じ,私有財産制度を否認する自由をまったく認めていなかった。この治安維持法の重要な目的のひとつは,労働者側の経済・政治・社会運動を禁圧することであった。

 自分の治世に与えられた名前--昭和,この意味は啓発された平和--もいまとなっては皮肉なように思えるが,自分はその名称を保持することを望み,真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは,生き長らえたいと切に願っている。

 補註)とても長生きした昭和天皇の人生であったゆえ,その切望がかなえられる結果を迎えていたといってよい。

 私は,鈴木(貫太郎)提督の被った損失に心を痛めている。鈴木は,降伏準備のための内閣を率いるよう私が命じたのであり,海軍の恩給ばかりでなく,それは理解できるにしても,文官としての恩給までも失った。彼は侍従長を長く勤め,そして降伏準備の任務をよくこなした。

 彼の提督という階級と戦時の首相という地位が追放に該当するのは当然としても,彼は,皇室に仕えていた地位の恩給の受けとりも現在停止されている。私は,鈴木提督個人のためだけでなく,このような価値剥奪が日本人に理解されず,占領軍の利益にも日本自身の利益にもならない反米感情をつくり出すという理由から,不安を募らせている。

 補註)鈴木貫太郎昭和天皇が相当お気に入りだった人物(軍人出身の政治家)であったゆえ,このようないい方をしている。

 つぎの文章は,前段の「ホイットニー文書」を紹介していた人物が語っていた,昭和天皇に関する〈感想〉である。

 「天皇ヒロヒトのこのいいぐさには唖然,呆然とするしかない。それにしても,なんといういいぐさか。自国民310万人の命を奪い,2000万人以上に上るアジアの人たちを殺した侵略戦争の最高責任者としての自覚がないばかりか,戦後に至ってなお国民を売り渡し,形振りかまわぬ自己保身に終始している,あまりにもおぞましい姿がこの文書から読みとれる」。

 補註)こういうふうに強烈に非難されるべき言動を,彼がしていたのには,特定の事情がないわけではない。つまり,アメリカ側との関係において,当時すでに,ここまで勝手ないいぐさを彼にさせるような「ヒロヒトアメリカとの間柄」ができあがっていたということである。

 

 1946年9月27日,昭和天皇(旧大日本帝国大元帥で「まだ,あったとき」である)は,みずからアメリカ大使館の公邸にマッカーサー元帥を訪問し,会見した。例の有名なこのツー・ショットの写真が,このとき撮影されたものであった。

 

 「このような男の影響下にあった者たちが,いまもあの戦争を侵略戦争ではないといいはり,侵略殺人を正当化する暴言を吐きつづけている破廉恥行為は当然といえばいえる。家族を殺された者にとっては遣り切れない,許しがたいことである」。

 補註)要は,敗戦後の日本国憲法下になってからの日本・日本人・日本民族は,こうした天皇に対して「平和を愛好する生物学者天皇である〔もともとから,そうでもあったともされた〕」イメージをもつように操作(洗脳)されていった。

 

 それは,アメリカ統治下の占領政策のなかで許していた範囲内で,宮内庁が必死におこなっていた世論工作が挙げえた効果であった。その意味で日本の国民・市民・住民は,「まんまと騙されてきた昭和戦後史」を体験させられきたことになる。天皇の世代は,新しくなっている。けれども,いまもまた繰りかえして,同じように騙されないという保証はない。用心しなければならない。

  以上の「ホイットニー文書」を紹介した文章には,『野上弥生子の日記』昭和37年(1962年)7月4日のなかの文章も紹介されていた。このような内容であった。

 ……11時過ぎの「私の本棚」に……1,2日まえから入江〔相政(いりえ・すけまさ,昭和天皇侍従長を務めた人物〕氏の「天皇様の還暦」が読まれている。昨日から聞いて見ると戦後の天皇の御文庫内生活はだいぶ気の毒なものであったらしい。今日は彼のヒューマニティ-が書かれている。

 

 しかし国民にすまない〔と感じさせる〕ためにあえて不便不快な生活を忍んだの,学術的な研究にもムダな小魚を損はなかったの,花一つにもそんな心づかいを忘れぬ生活をしているといふなら,戦争であれだけの犠牲を払はした国民にすまない意志表示を何故しないか。そんなセンスを欠いていてなんの人道主義ぞやといひ度くなる。

 いってみれば,昭和天皇という人は,自分が嫌々戦争の指揮をとらされたのだとか,英米との戦争はやりたくなかったのだといいながら,それでいて,戦時体制期における実際の生きざまをみると,実にりっぱな大元帥:最高司令官ぶりを演じてきた。

 だからこそ,敗戦直後,この天皇の側近たちが鳩首会談のすえ,寺崎英成,ミラー,マリコ・テラサキ編著『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』(文藝春秋,1991年)という書物にも明らかにされているように,大元帥:最高責任者であった彼の立場を,敗戦後になってから,いかに「自己弁護させ,いいわけしておくか」に,懸命の努力を傾注していた。

 結局,東京裁判に出廷しなくて済んだのが,天皇裕仁の立場であった。

 彼いわく,「当時私の決心は第一に,このままでは日本民族は亡びて終ふ,私は赤子(せきし)を保護することが出来ない」,「第二に国体護持の事で木戸も同意見であつたが,敵が伊勢湾付近に上陸すれば,伊勢熱田神宮は直ちに敵の制圧下に入り,神器の移動の余裕はなく,その確保の見込が立たない。これでは国体護持は難しい。故にこの際,私の一身は犠牲にしても講和をせねばならない,これでは国体護持は難しい,故にこの際,私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思つた」と(テラサキ編著『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』125-126頁)

 そのように昭和天皇がいったとき,いちばん大事であったのは,まず「三種の神器」であって,つぎに自分(以上に挙げられた2つは,本当は逆の順序なのかもしれないが)であった。そして,そのあとにようやく(!?)「赤子」が位置づけられていた。

 このさい付言しておくと,彼において特有であった「国民に対したときの〈ものの見方・いい方〉」は,文句なしに120%は「上からの目線」のものであった。その点に注目してみれば,そうした彼の世界観・価値観は実に堅固であって,しかも敗戦をはさんで終始一貫していたものである。

 昭和天皇は死ぬまで,侍従たちをはじめ,首相や大臣までもすべて「苗字で呼び捨て」するという,たいへんエライ立場に立っていた人物であった。「ホイットニー文書」に記録されている彼の言動は,徹頭徹尾,自分の利害中心,自身の好き嫌いを判断基準にするといったごとき,「人間がエラくなれば」やはりどこにでもいる「人間の姿」そのものでしかなかった。

 とにかくも,彼にとっての敗戦後は,いかにして国体を護持するか,すなわち,生き残りを許された皇室=天皇家(自家)の立場・利害を,よりよく維持していくかという1点に関心が向けられていた。

 前段で昭和天皇は,自分のこの国家が戦争にボロ負けした状態を踏まえてであったが,「私が赤子(せきし:国民たち)を保護することが出来ない」ままであれば,この「日本民族は亡びて終ふ」のだと,絶対的な信念を抱いていた観念を,つまり『自身が神的な実在だ』と信じていた自分の信心を,当然のごとくに披露していた。

 「自国民310万人の命を奪い,2000万人以上に上るアジアの人たちを殺した侵略戦争の最高責任者としての自覚」が,はたして,彼にまったくなかったと断定はしないでおく。だが,それよりもなによりも,敗戦後における彼においては,ひたすら目先の「自分たち一族がいかによりよくサバイバル」していくかに最大の関心があった。

 天皇家にとっての「戦後体制=在日米軍付きの支配レジーム」は,敗戦から70〔75〕年近くを経てきたいまもなお,非常にありがたくて,とても好ましい,20世紀から21世紀にかけての外交関係の枠組でありつづけてきた。「象徴としてなりの天皇」を家長としていただくこの一家の存在は,日本国憲法をもって確実に保障されている。けれども,在日米軍の〈抱きあわせ的な押しつけ〉のその後がなかったとすれば,この「現・憲法の現在そのもの」もありえなかったはずである。  

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 だから,平成天皇が1989年に即位するさい「自分はこの憲法を守る」といい,先日〔2014年2月23日に54歳の〕誕生日を迎えた皇太子も「現憲法を守る」ことを,記者会見の場で初めて披露していた。そして,2020年のいまは,この人が天皇である。安倍晋三首相は,現憲法を改定したいらしいが,これに対して「皇室を構成する皇族の彼ら」は,連係プレーでもって牽制球を投げてきたつもりなのである。それにしても,この国はまるで,天皇一家のために存在する日本列島のように映ってもいる。

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