靖国神社の好戦性,国家のために「靖国神道と云ふは死ぬ事と見つけたり」,英霊に背負わされた死命観の残酷さ

    靖国神社の宗教的な本質-その好戦的な基本性格-
                  (2014年4月1日)

 

   【要 点】 靖国神社国民国家的な性格-日本ナショナリズムとしての靖国神社問題-,そして併せて,護国神社が存在する問題


  子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』2007年

 本書は,靖国問題に言及していた。端的にいえば「戦争神社」である点にこそ,その本性をみいだせる靖国神社の国家宗教的な役目は,なんであるのか? それは「国家のために死ねる人間」を,精神次元において無条件に受容できる帝国臣民を育成することにあった。

 要は,子安宣邦『日本ナショナリズムの解読』(白澤社発行・現代書館発売,2007年3月)は,その靖国神社の有する真性の宗教的な理念が「『国家のために死ぬこと』をその極限的な命題とすること」を,的確に指摘する記述を与えている。こういう。

 日本のかつての天皇制国家のナショナリズムでも,民主的国家を称するアメリカのナショナリズムでも,「国家のために死ぬこと」をその極限的なテーゼとすることにおいて変わりはない。

 「国家のために死ぬこと」が,ナショナリズムの対内的な極言的テーゼだとすれば,「国家のために殺すこと」とは,排他的なナショナリズムの極限的なテーゼである。「国家のために死ぬこと」のもうひとつの側面は「国家のために殺すこと」である。

 このふたつのテーゼ〔命題〕は表裏をなすものである。ナショナリズムが極限的にはこのふたつの命題からなるものであることを,いま冷静に,現実的な眼をもってみなければならない。

 註記)同書,はじめに7頁。

 かつて,日本の軍人は出征するまえに靖国神社に参拝した。日中戦争支那事変)以降敗戦まで,だいたいこうなっていた。

 1) 当初は遺骨が帰ってきた。それもだんだんと体の一部だけを荼毘に付したものへと変化した。

 2) 戦争が深まると,遺骨は一部でも帰らず,木箱に石ころや紙切れの入っているものが遺族のもとに帰ってきた。

 3) 戦死したかどうかさえ,敗戦後までわからず,遺骨どころではなくなった。

 神道は,不浄・穢れを忌み嫌い,これを振り払おうとする宗教である。靖国神社も仏教の寺院みたく遺骨を預からない。しかも,靖国神社は,戦死者の魂のみを「英霊」として迎え,祀り,これを再び「国家のために殺し,死ぬことのできる人間」たちを育成するために都合よく利用するのである。

 戦争神社のゆえんである。この点では,日本に各種ある神道の神社とは異なっており,明治以前にはみられなかった「異例の宗教施設的な存在形式」をまとっている。

 靖国神社という名称の「国営神社」が創設されたのは,明治12〔1879〕年である。

 

  防衛省殉職者慰霊碑など

  ☆-1 千鳥ヶ淵戦没者墓苑が,靖国神社には祀ることのできない「無名の戦死者」の遺骨を集合的に納めている。

  ☆-2 イラクに派遣された自衛隊員が遺書を懐に靖国神社に参拝したという話も聞く。

  ☆-3 戦後,自衛隊の殉職者は1700名を越えている。防衛庁防衛省〕殉職者慰霊碑は1962年,市ヶ谷台上に建立され,例年11月1日前後に自衛隊創立記念日行事の一環として慰霊祭がおこなわれ,総理大臣や防衛庁長官の参拝がおこなわれている。

 註記)http://www.kaikosha.or.jp/new2.htm 参照。

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  出所)写真は殉職者慰霊碑http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/8b5578740916bd632431f7f9eb6c1733

 自衛隊の殉職者慰霊碑は,1962(昭和37)年に建てられ,その後,風化による老朽化がすすんだことから,1980(昭和55)年に建て替えられた。

 その後,防衛庁 本庁庁舎(当時)の市ヶ谷移転にともない1998(平成10)年,自衛隊員殉職者慰霊碑や市ヶ谷に点在していた記念碑などを慰霊碑地区東方に移設し,「メモリアル ゾーン」として整理された。

 しかし,せまい地積であったため,儀仗隊をともなった慰霊行事などの実施がむずかしいなどの問題点があった。このようなことから,2002 (同14)年2月から同地区の整備が開始され,地積を拡大するとともに,休憩所などを新設し,2003(同15)年に現在のかたちにととのえられた。

 註記)http://www.clearing.mod.go.jp /hakusho_data/2007/2007/html/j3413300.html
 
 なお,「累計」は(警察予備隊以降,2013〔平成25〕年度追悼式まで),1,840名(陸自 1,010名,海自 402名,空自 403名,その他 25名)である。自衛隊殉職隊員追悼式には,総理大臣の出席が恒例である。
 註記)http://www.mod.go.jp/j/press/news/2013/10/25i.html

 補注)2019年までの自衛隊殉職隊員数累計は,1,976名である。

 註記)https://www.mod.go.jp/j/press/news/2019/10/10a.html

 

  自衛隊靖国神社護国神社
 
 現在の自衛隊は,靖国神社とは直接関係をもたない。しかし,各地に散在する護国神社には自衛隊員の殉職者が合祀されている実例がある(本人か遺族の同意が必要)。自衛隊員が戦闘行為で死んだ実例は,いままで正式にはない。

 日本国の集団的自衛権が現在(2014年に入っての話題),盛んに議論されているが,この自衛権を日本が発動するようになれば,いつ・なんどき,「殉職者」ではなく,戦争・戦闘行為による犠牲者=「戦死者」が出る事態にならないとは限らない。

 

  補  遺(2020年2月1日・2日)

 「補遺:その1」

 その後,2015年(平成27年)5月14日,国家安全保障会議および閣議において,平和安全法制関連2法案(安全保障関連法案)が決定され,翌日,衆議院及び参議院に提出された。その後,集団的自衛権を行使できるようになるこの安全保障関連法(安保法)は,同年9月19日,参院本会議で自民,公明両党などの賛成多数で可決し,成立した。戦後日本の安全保障政策の歴史的転換となった。

 憲法違反との批判が根強いなか,海外での武力行使に扉が開かれた。自衛隊の活動はどう変わるかという関心からすれば,自衛隊員にとって「メモリアル ゾーン」は,単に訓練中の事故死で殉職する隊員にだけ関係する施設ではなくなった。

 「補遺:その2」

 『朝日新聞』2020年1月28日朝刊5面に特集解説記事として,見出し「〈憲法を考える〉知事と護国神社,揺れる政教分離 長野県・支援組織の会長に就任,寄付も募る」が掲載されていた。

 この解説記事「本文」の段落は引用しないで,添えられていた「図解」のみ参照しておき,「解説」と「取材後記」については全文を引用する。    

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 忘れられる軍国主義との歴史 ◆

 「歴史を振り返れば,日本の政教分離は,憲法9条と並ぶ平和保障の原則であることは明らか。しかし,その意味が社会で真剣に受けとめられていない」。戦後を代表する政教分離裁判に関わり,キリスト教徒でもある今村嗣夫弁護士はいう。

 長野県護国神社のために,知事が寄付を呼びかけても,県民の反発が大きく広がるわけではない。天皇の代替わりに伴う宗教儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」に約24億円という巨額の公費が投じられても,国会で激しい論議がかわされることもない。

 憲法制定からすでに70年余がたつ。政教分離原則がなぜ必要とされたのか,その意味が忘れられつつあるかのようだ。

 さまざまな宗教団体が弾圧された戦前・戦中の記憶が生々しかった1955年5月,子どもたち向けの『わたくしたちの憲法』(有斐閣)が出版された。当時の学界を代表する憲法学者宮沢俊義と児童文学者,国分一太郎の共著。条文一つひとつの意味をやさしく解説している。

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 出所)https://kenpouq.exblog.jp/25059146/

 同書は20条の意味をこう記述する。「国が,いままでみたいに,神道を信じなければならないとおしつけていたのも,まちがいだったというのです。 (中略)  国や公共団体としては,どんな宗教にも,えこひいきをしないことになったのです」。

 津市の関口精一市議(故人)は1965年,市長を相手に住民訴訟を起こす。戦後を代表する政教分離訴訟とされる「津地鎮祭訴訟」。市立体育館建設のさい,神式地鎮祭をおこない,市が公費を投入したことが憲法違反ではないか,との問いだった。

 1960年代末以降,自民党靖国神社の国家管理を盛りこんだ「靖国神社法案」を国会に繰り返し提出した。結果的に廃案に追いこまれるものの,戦前回帰の風潮が高まった時代だった。

 今村弁護士はこの訴訟の二審から関わり,名古屋高裁で「違憲」判決を勝ちとる。高裁は判決文のなかに「歴史的考察」という項目をたて,「国家神道がいわゆる軍国主義の精神的基盤になっていた」と批判,政教分離原則を厳格に適用した。最高裁で逆転敗訴したが,15人中5人の裁判官が高裁と同じように国家と宗教が結びついた明治維新以降の負の歴史に触れ,「違憲」とする反対意見を述べた。

 今村弁護士は振り返る。「国により政教分離のかたちはさまざまだが,日本への導入の文脈を考えると,神道と国家の結びつきを断ち,超国家主義や自民族優位の『国粋主義』の復活を防ぐことに最大の狙いがあった。その意義を確認した裁判の意味は大きい」。

 戦争の悲惨さや平和の尊さをつぎの世代に引きつごうとの思いからだ。阿部知事の説明である。だが,政教分離原則もまた「平和」を守るために生まれた。島薗 進・上智大教授(宗教学)は「だれもが戦後,『平和』を願ってきた。しかし,世代が変わると,戦争と抑圧がなぜ生まれ,国家神道や不可分の神聖天皇崇敬がなにをもたらしたのか,社会が的確に捉えきれなくなる。政教分離を論じつづける大切さと困難さがここにある」と語る。編集委員・豊 秀一)

  取材後記 「あの時代に戻らない」が核心

 26歳の私が靖国神社の存在を認識したのは,小学生の時。小泉純一郎首相が毎年参拝し,中国や韓国の強い反発が盛んに報道されていたころだった。子どもながらに疑問だった。「戦争で死んだ人を弔ってはいけないの」。

 授業でA級戦犯合祀(ごうし)など靖国問題の背景の一端は,確かに教わった。でも,国家と神道が結びつき国民を戦争に駆り立てたことへの反省と,政教分離原則のなりたち,その関係を深く考える機会はなかった気がする。

 阿部知事は取材に「宗教活動をしている人は公職に就いてはいけないのか」と問い返してきた。歴代知事と同じ選択をしているのに,なぜ責められるのかといういらだちがあるのだろう。

 異論には謙虚に向き合ってほしい。国家権力が国民に同調を迫る時代に戻らない。私たち,戦争をし知らない世代が風化させてはいけない政教分離原則の核心と思うからだ。(大野択生)(引用終わり)

 安倍晋三は,最近ではすっかり口にしなくなったお得意の文句に「戦後レジームからの脱却」という信念(観念)があった。これは,以上の特集記事の立場に照らしていえば,完全に否定される考え方になっていた。実際,安倍晋三トランプ大統領を相手にするとなると,この脱却問題をすっかり「棚上げさせられる〈精神状態〉」に追いこまれるのだから,実に情けない男である。

 ともかくも,現在におけるアベ君のこの「脱却」問題に関する基本的な姿勢は,ウヤムヤ状態になっている。2016年3月,米日安保関連法が成立・施行されてからの日本は,より完全に対米従属国家体制を強いられる立場に追いこまれている。この外交関係を好んで選択したのがアベ君であったのだから,「戦後レジームからの脱却」などというセリフ(つまり実現不可能である『寝言』など)は,それこそ,いったいなにをかいわんやであった。

 要は「戦後レジームからの脱却」は国内的は成功したかのような様相を呈しているものの,その実体を,対米関係との構造的な枠組のなかでしかと観察してみれば,「戦後レジーム(敗戦後の日米安保体制)」がさらに固定化されてしまい,しかもその抜き差しならない従属関係は化石化されたかのごとき段階にまで高度化した。

 2020年1月28日の衆院予算委員会における,日本共産党の宮本 徹議員質問に対する首相答弁が,日本語として聞いたとき,とても不思議な,それも理解不可能に近い表現を放っていた。

 「私〔安倍晋三〕はですね,幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったのであります」。

 この「ご飯論法」の最低水準にも届きそうもない日本語力水準に合わせて,米日安保関連法体制を彼に形容させてみると,きっとこう表現するはずである。

 「わが国はですね,アメリカにただ従っているに過ぎないという認識でございまして,従属しているという認識ではございません,そういう立場であります」。

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