神社で売っている神的な商品である “おみくじ” は,明治時代に商品開発されていた

おみくじは「当たるも八卦当たらぬも八卦」である占いごとよりも「頼りがいある」福引きくじか? 伊勢神宮でおみくじが売っていないわけなど,お笑い的な話題も論じる  

 

  要点:1 おみくじで自分の運勢が分かるならば人生に苦労は要らない

  要点:2 世の中にはそれぞれなりに,吉凶を背負わされて生きている人たちがいるけれども,おみくじでその違い・区別が分かるほどこの世が甘いとは思えない

  要点:3 伊勢神宮にはおみくじがないというが,もっともらしい理由をいうその裏には,天皇制模擬国家主義の仮装精神が隠されているのか

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 「〈現代迎春考:4) おみくじのお告げ,今も頼り」朝日新聞』2020年1月3日 朝刊28面「生活 」 

 a) なにげなく引いても,思いがけず心に刺さるおみくじ。インターネットやSNSに情報があふれるいまも,アナログな「お告げ」が若者を引き付けています。定期入れに忍ばせた,半年前のおみくじ。昨〔2019年〕春就職したばかりの岡本麻佑(まゆ)さん(23歳)は時折,そっと取り出して,書かれた和歌を読み返す。

   《かき曇る  空さえ晴れて  さしのぼる  日かげのどけき  我こゝろかな》

 「仕事で悩んで気が重かった時にこの和歌がしみた。私の気持もきっとのどかになるはず,と思って」。岡本さんがおみくじをお守りのようにもち歩くようになったのは3年前から。手痛い失恋がきっかけだった。

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 出所)東京大神宮のおみくじ実例,http://secretomio.blog60.fc2.com/blog-entry-1146.html

 なぜか「神社にいこう」と思いたち,ネットで調べた東京大神宮へ。「新しい人と出会える」と書かれた恋みくじを引いて数週間後,気になる人ができたが,恋心は長くは続かなかった。その後引いたおみくじには「熱しやすく冷めやすい」。痛いところを突かれた,と思った。

 それからは初詣のほか,年2,3回参拝する。「『欲を離れて人のために尽くせ』なんて,誰かに面と向かっていわれたら説教チック。でも,おみくじに書かれている言葉だと冷静に受けとめられる」。

 補注)占いのご託宣も同じだが,一般論・抽象論でいわれるおみくじの文句であるゆえ,これを読む人のほうがどのようにでも,それも自分の立場に合わせて(こじつけて),具体的・現実的にいいかえると,ご都合的に変換させて解釈することができる。

 その点をよく踏まえて,おみくじなるものを,あらためて解釈してみる余地がありそうである。お遊びで買っておみくじを引くにしても,神社の収益(売上)貢献のためになっているという醒めた理解があってもいい。以下につづく記事の内容も,そうした「おみくじ・心得」に通じる話題になっているはずである。

 b) 神奈川県の会社員島崎由季さん(28歳)は,「おみくじが人生の転機になった」と思っている。歴史に興味をもち,中学生のころには京都への憧れが膨らんだ。ある日,離れて暮らす祖母から京都旅行に誘われた。祖母も歴史好きで,自宅の一室が埋まるほどの史料をもっていた。

 京都に着くと,いっしょに観光すると思っていた祖母は,別行動。島崎さんは仕方なく,地図を頼りにバスに乗り,地元の人に道を教わりながら寺社を巡った。そんなとき,八坂神社で目に入ったおみくじを引いた。詳しい内容は覚えていない。ただ「とりあえず,やるだけやってみなさい」という意味の言葉が心に残った。お守りに入れもち帰った。

 実は当時,同級生から冷たく当たられ,学校へいけなくなっていた。旅行は祖母なりの気遣いだったかもしれない。その後,再び登校できるようになり,大学は史学科に進学。祖母の蔵書も大いに役立った。10年ほど前,祖母が亡くなったさいには,感謝をこめてひつぎにあの時のおみくじを納めた。

 c) 若者人気のなか,おみくじも変わってきている。兵庫県西宮神社では昨〔2019〕年の正月から,黄金色の紙に書かれた「大福」が登場した。大吉より縁起が良いとの位置づけで,「願い 叶う」「商売 繁盛する」といった言葉が並ぶ。ほかにも「大大吉」など,幸福感を高めるようなおみくじが各地で増える一方,凶をなくしてしまうところもあるという。

 補注)この凶をなくしたおみくじというものについては,のちの話題とする伊勢神宮との関係が出てくる。途中だが先に断わっておく。

 ずばりと心に刺さる言葉で人気を集めるのが,大阪府松原市にある布忍(ぬのせ)神社の恋みくじ。はがき大の紙に一言「その愛でいいのか。」などと書いてある。宮司の寺内成仁さん(70歳)が,現代美術作家イチハラ・ヒロコさんの協力をえて作った。2年前にCMでとりあげられ,たちまちSNSで話題になった。

 寺内さんの考えるおみくじの意義は,吉凶に一喜一憂するのではなく,書かれた言葉をもとに自分との対話を進めること。とまどう参拝者には寺内さんが声をかける。「どんな愛がいいのか,自分なりに問いかけられたら素晴らしい」。

 d) おみくじの求心力は地域おこしにも一役買う。

 本土最東端の北海道根室市。人口2万5千人の小さなまちに立つ金刀比羅(ことひら)神社には,春の訪れとともにレンタカーに乗った若者らがやってくる。目当てはサンマをかたどった張り子の「福ざんまいみくじ」だ。

 考えたのは禰宜(ねぎ)前田穣さん(45)歳。Uターンで帰郷した15年前,寂れた町の姿にショックを受けた。根室が水揚げ日本一を誇るサンマを使って,地域を元気づけられないか。3年前に発案すると「うちにはイカ」「トウモロコシも」。道内の神職仲間も続き,道内7社に広がった。 

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 地元でもサンマ漁師がおみくじを引いて漁にもっていったり,親子3代で引きに来たり。境内はずっとにぎやかになった。時に耳の痛い「お告げ」を引いても,それが会話のきっかけになっている。

 e) 漢詩と和歌主流,多様化進む

 おみくじはなぜ,人の心をとらえるのか。おみくじを研究する成蹊大学の平野多恵教授は「人にはもともと,自分以外の誰かからハッキリなにかをいってもらいたい願望があるのでは」と話す。だが,相手が身近な人だと,助言を素直に受けとめられないことも。「おみくじは自分で選んで引くもの。その主体性と神聖性があいまって,『神仏の言葉』が心に響く」と分析する。

 補注)場合によっては「その一言で殺人事件発生!」ということも,絶対にありえないわけではない最近の世相もあるから,他人に向かいなにかモノをいうときは注意が必要である。このことは,皆が認めてくれる話題だと思う。それにしても「おみくじ」に関してさえ,「自分と神々(神と仏のこと)」としての「主体性と神聖性」の問題が控えているとは,どういうことか。この相対的な宗教的な関係性が「人と神その間柄」に関するモノだとしたら,そう簡単には詮議できない。ところが,神道の場合はこの種の議論は気安くできないわけではない。

 平野教授によると,おみくじが庶民の間で大流行したのは江戸時代。原点は室町時代までに観音菩薩(かんのんぼさつ)のお告げとして中国から伝来した「天竺霊籤(てんじくれいせん)」で,五言絶句の漢詩でお告げが示されていた。

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 出所)平野多恵教授-机の上に拡げられているのが昔の関連文献,https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20191226003135.html

 明治維新後に神仏分離令が出されると,神社では和歌のおみくじが広まった。「神様は和歌でお告げを託す」と考えられたからだ。この漢詩と和歌の二つが根底にありつつ,最近は方言で書かれたご当地みくじなどが登場し,多様化が加速しているという。(引用終わり)

 この最後の段落を受けていえば,今日のわれわれがしっている「神社におけるおみくじ」のその『由来』は,おおよそ明治時代に求めることができそうである。この点については,つぎの ② が少しくわしく説明している。

 

 「お寺と神社のおみくじの違い 寺院は漢文で神社は和歌」『NEWSポストセブン』2016.12.31 07:00,https://www.news-postseven.com/archives/20161231_479614.html

 もともとは,ご託宣の文章形式が違っていた。基本的に寺院が漢文なのに対し,神社のおみくじには和歌が書かれていた。おみくじは武士や僧侶が占うもので,彼らは漢文をたしなんでいた。江戸時代までは寺・神社ともに同じものを使っていたが,明治時代,神仏分離が政府からいい渡され,神社は寺と違うものを扱うようになった。

 神社で和歌が載せられるようになったのは明治中期である。女性解放運動を推進していた,山口県の二所山田神社の宮司が,『女子道』という機関誌を創刊するための資金源として,和歌を載せたおみくじを出したことが始まりであった。(引用終わり)

 ところで,垂迹(すいじゃく)ということばがある。これは「仏・菩薩(ぼさつ)が民衆(衆生しゆじよう)を救うため,仮の姿をとってこの世に現われることを意味する。とくに日本では,在来の神を仏・菩薩の垂迹であるとみなしていた。

 本地垂迹(ほんじすいじゃく)ということばもある。これは,仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想のひとつであり,日本の八百万(やおよろず)の神々は,実はさまざまな仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

 補注)「天部(てんぶ)」とは,天界に住む者の総称で,仏教の守護神のことをあらわす言葉。

 補注中の 補注)前後する記述において,黒字部分が参照している原文の引用であり,青字部分は本ブログ筆者の批評をくわえて記述した段落である。文字の色分けをしてあるので,その点は留意して読んでもらいたい。

 以上のように「垂迹本地垂迹」に関して説明される関係事項は,明治時代に入ってからの話となるが,国家が神道を「国教」そのものではないのものの,ほぼ同一に近い位置づけをおこなった関係で,一般の神社神道側も「独自の特色」を打ち出す〈意地〉を誇示する必要性に迫られたそのひとつの特徴として,「おみくじのヤマト化(!?)」が図られたものと理解できる。これもまた,近代日本に入ってからの「創造の一コマである特性」が発揮されていたといえよう。

 
 「理由を教えて欲しい。本当に伊勢神宮には『おみくじ』がないの?? 」伊勢神宮御朱印https://伊勢神宮-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/理由を教えて欲しい。本当に伊勢神宮には「おみ/ 理由を教えて欲しい伊勢神宮-おみくじがない/.html  から

 伊勢神宮には「おみくじ」が存在しない。伊勢神宮の内宮・外宮の双方がともに「おみくじ」ない。このことは,神職に直に聞いてみた事実である。しかし,いったいなぜ,日本で一番有名な神社である,伊勢神宮に「おみくじ」がないのか?

 伊勢神宮が建立されたのが,いまから二千年も前のことだと云われている。伊勢神宮は,日本史上でもっとも古い歴史をもつ神社とみなされてきた。その大昔から個人の運勢を占う「おみくじ」といったものはなかった。

 補注)仮におみくじがあったとしたら,古代史におけるそれは,どのようなかたちであったか? 「なかったもの」を想像するのは困難であるが,そのように尋ねてみたくもなる。また,伊勢神宮が本当に日本史上において一番古い神社であるかどうかについては,疑問符を付しておく。

 要は,伊勢神宮は「おみくじ」が一般的に普及しだしてからも取り入れることなく,いまに至っている。もともと伊勢神宮は,時代の流れに乗って「おみくじ」を設置できない理由があった。

 ※-1 伊勢神宮がおみくじを取り入れない理由:その1

 伊勢神宮主祭神であり,日本国民の総氏神である内宮に鎮座される「天照大御神」がいるので,吉凶を占う “おみくじのようなもの” は必要ないというリクツが示されていた。

 補注)ここで「日本国民の総氏神」という表現は,宗教学の見地に即していうまでもなく,当たっていない。つまり間違えている。明治以来にそう規定(想定)されたに過ぎない観念を,いきなり勝手に歴史通貫的に普遍化して述べるのは,ここの筆者が学究でないにしても,これはいけない。

 江戸時代を考えてみればよいのであって,キリスト教徒が隠れて存在していたし,仏教徒も大勢居た。明治時代に移っても同様である。ましてや,現在に至っても妥当しないのが,その観念である。このあたりは,多少にかかわらずデタラメな記述が混ざっている点を明確に指摘しておく。この「点」は,以下につづく記述を通してもあてはまる指摘となる。 

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 出所)https://joshuaworldtravel.com/isejingu/ 

 --伊勢神宮(内宮)には「天照大御神」が鎮座する。この「天照大御神」は日本国民の総氏神でもあり,神の中の神である。伊勢神宮は他の神社とは違い,大御神が鎮座するとされる「神宮」と位置づけられており,参拝するだけでありがたい幸運なことであり,「吉凶を占う “おみくじ”などというものは必要ない」ということになる。

 補注)このあたりに漂う,リクツみたいで,なおかつリクツにもなりえない説明は,それならば, “おみくじ” という「籤」そのものが「伊勢神宮」以外の「下々の神社」にだけかかわる「占いもの」なのだ,という印象を与えたいかのように聞こえる。

 明治時代になると政府の方針にしたがい,日本中の神宮や神社の格付けが一斉になされた事実をしっている人であれば,以上の理解を示されたとき,「まあ,そうだね」と答えるほかないかもしれない。ともかく伊勢神宮は別格も別格であって,日本の最高に位置する神道の神社だという話になっている。

 それでは,東京の皇居になかに設えられている「宮中三殿賢所皇霊殿・神殿」と伊勢神宮の関係とは,どうなっているのかという関心も出てくる。宮中三殿は,伊勢神宮とのいわば合わせ鏡的な地位を付与されている。

 とはいっても,江戸時代からあるいは明治時代を通り過ぎて大正・昭和の時代までも,まだ仏教による「死んだ天皇たち」に対する祭祀を完全に捨ててきた天皇家ではなかった。それゆえ,明治に入ってから創設された「伊勢神宮⇔とくに宮中三殿賢所」も関連づけて,以上に提示された問題が検討される必要がある。

 その宮中三殿賢所は,皇祖神の天照大御神を祀るとされており,その霊代である神鏡(八咫鏡の複製,実物は伊勢神宮の内宮に奉安)を奉斎している。また「かしこどころ」と読んで神鏡そのものを指すこともある。古代より宮中で祭祀された。掌典及び内掌典が御用を奉り,「忌火」(「神聖な火」の意味)を護りつづけるとされる。

 この前段の説明はウィキペディアを借りたものであった。要は,天皇家が東京に移ってきてから,徳川幕府から奪った場所(江戸城:千代田城)に皇居を据え,そのなかに宮中三殿賢所皇霊殿・神殿)を新しく用意した。国家神道の中心に居座わらねばならない天皇の地位であるからには,「伊勢神宮の権威」を笠に着せたうえで,臣民支配をするさいの神道宗教的な正統性の威光をひけらかすために,その宮中三殿を建造した。

 しかし,明治維新は19世紀の後半になってから近代国家体制を,「富国強兵・殖産興業」といわれた「産業化=近代化路線」を採って発進させねねばならなかった。その条件のなかで国家・民族の精神構造面に関する再構築の方法は,すでに触れてきたとおり前近代的・封建的である以上に,それはもうたいそう『古代史的そのものである伝統宗教神道』をもちだし,補填していかねばならないものであった。

 それは,明治維新の基本精神は「神武創業への回帰」であったといわれたように,未来に向ける発走のための跳躍台を大昔の神話のなかに求めていた。しかも,〈当時なりに〉拠って利用しなければならなかった『古代への回帰であった』のだから,そのときからすでに「1945年の敗戦」としての躓きを予望させていたといえなくもない。

 近代化するために必要であった一番肝心なところに,実は「近代ではないシロモノ」を無理やり押しこんでいた。明治維新は,米欧諸国に「追いつき追いこせ」路線を設定していた。だがはたして,21世紀の「いま:今日のこの日本」を観て,その「追いつき追いこせ」は本当に実現したといえるか? 神話時代の天皇神武をもちだして努力してきたその結果は,いまでも大いに誇れると信じられる人たちもいないわけではない。ある意味でいえば救いようがないそれらの人たちが,われわれのまわりにはまだいることになる。

 ※-2 伊勢神宮がおみくじを取り入れない理由:その2

 大昔の話である。「お伊勢参りに出かけて無事に詣でることができたことじたい体が幸運」だという話になる。車や電車が登場する以前の時代では,老若男女問わず,ほとんどの人が徒歩で伊勢神宮をめざした。

 遠方から伊勢神宮へ訪れるためには大変時間がかかり,飲食代や宿泊代などの費用もかさむので,誰でも簡単にできることではなかった。なかには旅の途中で命を落とす人もいた。

 それでも,庶民にとって伊勢参りは一生に一度はしてみたい「夢」であった。日本全国から場所によっては何十日も歩いて多くの人びとが伊勢神宮に参拝した。なかには「抜け参り」といって,子どもが親に,あるいは奉公人が主人に内緒で家を抜け出し,伊勢神宮に参拝するということも多くあったという。

 そのような状況だったので伊勢参りが達成された暁には,それだけで大変幸運なこと,つまり「大吉」だったとみなされたというわけである。

 補注)藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』岩波書店,1968年が,伊勢参りの日本史を簡潔に概説している。しかし,ここで「大吉」の話題を近・現代の神社におけるおみくじと結びつけるのは,苦しい説明にならざるをえない。というか,基本的には時代区分に注目して判断すると,あまりにも筋違いの,つまり時期を違えすぎた話題だと受けとるほかない。「歴史の流れの問題」を「あとの時代から見返し観察する」とき,その区分もなしにすべてがごたまぜ状態にされてしまっては,まともな歴史的な分析が妨げられる。

 ※-3 伊勢神宮がおみくじを取り入れない理由:その3

 伊勢神宮の正宮は「個人的なお願い事をする場所ではない」ということであり,天照大御神は皇室の先祖神なので,伊勢神宮は古来,国家の安寧や五穀豊穣を祈るための場所である。したがって,そこでおこなう占いといえば,国のゆく末を決めるような,個人を特定しない占いになる。

 補注)江戸時代まで歴代の天皇伊勢神宮を参った天皇はいない。初めて参拝したのは明治天皇であった。それゆえ,ここでの解釈=主張は,明治以来に関して創られた物語作を,古代史にまで無理やり戻した語り口になっている。「天照大御神は皇室の先祖神」だったとするならば,なにゆえ,明治以前において天皇たちは伊勢神宮に参拝していなかったのか?

 古くは,幣帛(へいはく)と呼ばれるお供え物を天皇以外の者が備えることを禁じた「私幣禁断」という制度も存在した。伊勢神宮で個人的なお願いごとをすることはよしとされていなかった。このことから,一個人のための占いは,伊勢神宮にはもともとなく,その伝統をいまでも受けついでいるという解釈ができる。

 補注)この段落の説明もだいぶ苦しい。江戸時代に伊勢参りをしていた「庶民」たちの実在意識について,こうした理由をもって「個人的なお願いごとをすることはよしとされていなかった」と断わってみたところで,説得力はない。

 だから「神職の方もいう『やはり参拝するだけで大吉!』といったふうな,伊勢神宮の神格化(!? ⇒「神社中の最高の神社なのだ」という位付け)を理由に挙げての説明になるほかない。おみくじそのものがないという伊勢神宮の事情を配慮してなのか,この神社でのおみくじ「なし」に関した説明は,どこまでも単なる解釈「話」。

 思うに,その種のリクツには,いちようそれらしさは感じられても,結局は,とって着けたような説明でしかない。伊勢神宮においては要するに,どうしても『不吉・悪凶ということば』じたいを忌避しなくてはならない理由があって,明治以来に意図された国家神道の創設の方針に則してそうした特質のとり決めがなされたと,こちらはこれなりにそう解釈せざるをえない。

 ちなみに現在,伊勢神宮においては黒田清子(平成天皇明仁の娘)が,元皇族の立場である関係上,伊勢神宮祭主」に就任していた。ここにいう祭主(さいしゅ)とは,もっぱら伊勢神宮にのみ置かれている神職の役職であるといわれている。黒田も明治以来に構築されてきた国家神道界の伝統を受けて,その祭主の役目をえていた。清子が2005年に結婚した配偶者黒田慶樹との生活状況は,週刊誌的興味ですら庶民のほうにあまり伝わってこないのは,不思議な事実である。

 付記)なお本ブログ内では,つぎの記述が上記の問題をあつかっている。

 ともかく伊勢神宮側いわく,「参拝するだけで大吉」になるゆえ「おみくじは不要」である。ともかく「1年の反省や良かったことなどを,大御神の御前にて手を合わせて報告すれば,大御神の大いなる神徳・加護を授かることができる……」。

 補注)そういうことであれば,これを信じられる人であればきっと,そうした信心のあり方を介してとなるが,ただちに「大吉」という文字が描けるに違いあるまい……。

 以上につづいて「伊勢神宮で個人的な願い事をするなら『別宮』へ!」という説明をする段落があるが,これは指摘のみとしておき,参照を終わりとしたいが,つぎの一言には失笑(失禁にあらず)……。

 「他の神社で,『凶』や『大凶』を引き当ててしまった方は,ぜひ,伊勢神宮へ参拝され,大御神へご報告にあがってください。あなたの努力しだいですが,状況(気持)は少し変わるハズです」。

 「ちなみに伊勢神宮じたいに『おみくじ』は存在しませんが,伊勢神宮の『おかげ横丁』には以下( ↓ )のような「おみくじ」が存在するようです」。

 さて,それでは「おかげ横丁で買ったおみくじで凶や大凶を引いたら,伊勢神宮にあらためて参拝にいくか……」ということにでもなるのか?

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