伊勢神宮の歴史宗教的な意味,日本国憲法と平成天皇夫婦の政治的発言,とくに「国民に寄り添う」ということば

      日本国にとっての伊勢神宮天皇明仁の宗教的行動
                         (2014年3月29日)

 

  要点:1 象徴天皇の伊勢参拝,その歴史的な意味はなにか

  要点:2 国民の象徴としての神道的な行為は,政教分離の原則に背く,堂々たるその国家的行為である

【前言の断わり】

 本(旧)ブログは先日〔2014年03月25日〕「『神器の動座』問題-天皇の訴求,天皇家の演技,宮内庁の支援,そして新聞社の記事報道など-」という題目で,三種の神器が皇室において有する意味を考えてみた(この記述は現在,未公開である。日付では逆の前後関係になるが,この記述のあとにつづけて再公表するつもりである)

 

 本日〔2014年03月29日〕はその間,天皇伊勢神宮参拝にいってきた行程の意味を,さらに考えてみた。そのためにまず,この行程の記録を追って,とくに『日本経済新聞』の報道記事から跡づけてみる。最初に触れるのは,天皇天皇制に関する新刊文献「書評」である。

 

  書  評(2013年12月15日),新谷尚紀『伊勢神宮三種の神器大和王権の象徴性と霊威力-』講談社,2013年11月,1800円)

 本〔2013〕年5月,出雲大社では60年ぶりの遷宮が,10月,伊勢神宮では20年ごとの式年遷宮が執りおこなわれ,多くの参拝者がかけつけ,たいへんな賑わいをみせた。数年前からのパワースポットや聖地霊場巡礼ブームも衰えてはおらず,総体として,日本の宗教と文化の根っこのところになにがあるのかについて関心は高まっている。 

   

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 そんな折,本書『伊勢神宮三種の神器 古代日本の祭祀と天皇』が出版され,冒頭の第1章で,前著『伊勢神宮出雲大社』を踏まえて,「伊勢神宮出雲大社大和王権の成立と伊勢出雲の二極構造」を再考しているのは,時宜をえた構成といえる。

 同章で,著者はまず伊勢神宮の「創祀(そうし)」を論じ,続いて出雲大社の「創建」を論じ,大和の王権が,武力・世俗王と宗教・祭祀王という二重性をもちながら,伊勢と出雲という対称性をもつことの象徴性と霊威力を,考古学と歴史学と伝承分析学としての日本民俗学を縒(よ)り合せながら考察し,いくつもの新知見と仮説を提示している。

 伊勢神宮については,

   (1)   卑弥呼から天照大神へつらなる古代日本の「日の御子」の王統譜,

   (2) 「東西軸の世界観にもとづく古殿地(こでんち)への往復運動」である式年遷宮は「御神霊の永遠の呼吸運動であり,そこには『日の御子』による日神祭祀の東西軸の世界観が古代以来今日まで連綿と継承」され,

   (3) 「太陽と女神と女帝という基本構造が,日本古代の王権以来の稲作を中心とするこの国の根幹として伝承され」,

   (4)心御柱(しんのみはしら)はその上方の神殿内の天照大神の御正体(みしょうたい=御形,みかた)の存在と,その神威,御稜威(みいつ)の呼吸運動と,を表象している円柱形中空回路から続く建築物表象の外部装置」などと位置づけられる。

 対して,出雲大社については,国造りと国譲りなどの神話,出雲国造神賀詞(いずものこくそうかむよごと)奏上の儀礼,巨大建造物の神社の3点から考察し,伊勢との対称性を指摘しつつ,そこに特徴的な民俗信仰的な龍蛇祭祀が宿す呪術性を大和王権が必要とした外部の力 / 装置として提示する。

 考証は手堅く示唆に富む。本書を読みながらなお謎として残ったのは,なぜ出雲大社があれほど巨大で垂直的である必要があったのかという素朴な問いであった。 京都大学こころの未来研究センター教授 鎌田東二

 補注)この伊勢神宮天皇が参拝にいった。なにをしに(?)か。伊勢神宮は,東京の皇居に明治になって造営された宮中三殿賢所」に祭ってある「形代」(かたしろ)〔簡単にいえば複製品〕の,その『本物』が祭ってあるとされる。そこには,天照大神が祭神として鎮座していることになっている。

 つまり,三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)を祀る場所がその賢所とされているが,八咫鏡そのものを祀るというよりは,八咫鏡天照大御神の御霊代として祀ると解釈されたほうが,より穏当な解釈である。

 

 「皇后さま79歳に『被災地に寄り添い続ける』」(2013年10月20日,各紙に報道された皇后美智子の「79歳の誕生日にあたり,宮内記者会の質問に回答した文書」という記事に関して)註記)

 各新聞紙にとりあげられていた上記の話題(記事)は,その全文は引用できないので,関心のある一部分の段落のみ紹介する。要は,日本国民に「寄り添う気持ちをもち続けなければと思ってい」るのが,この人の基本の考えである。つまりまた,天皇の妻である立場から発せられていた「おことば」である。

 註記)「皇后さま79歳に 宮内庁記者会への回答全文」『日本経済新聞』2013年10月20日朝刊(3363文字),nikkei.com では同日の https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1902O_Z11C13A0000000/

 補注)2019年5月1日,平成天皇の退位にともない,それまで皇太子であった徳仁天皇の座に就いていた。元号は令和とされた。2020年2月になった今日の時点では,平成天皇の妻:美智子は上皇后という名称をもっている。

 まさか,彼女がまさか《国母》になった気分でモノをいってつもりではあるまい。だが,皇族の一員の立場をめぐっては,彼らが「できること・できないこと」,換言するなら「いっていいこと・そうではないこと」に関する議論は,「われわれの側においてこそ」逆に,徹底的に詰めておかねばなるまい。

 この論点について,誰もが,なんとも意見できないまま,「関連する〈ことがら〉一式」が置き去りにされるとしたら,つまり,思考停止になって放置されるとなったら,いったいどうなってしまうのかというごく素朴な疑問があった。

 皇后のこの種の発言が,「天皇の国事行為」といったいどのような関連性をもちうるのか,より明快・適確に説明しようとする政治学者はいないのか。かといって,説明・吟味・検討・批判が不要であるわけなどないはずの「この種の皇后の発言」である。

 『明治憲法の公布前に地域住民が討議を重ね書き上げた「五日市憲法草案」に深い感銘を覚えた』とまで,美智子はいっていたのだから,日本国憲法において象徴に位置している天皇を夫にもつ妻の自説披露として受けとめるとき,そう簡単には聞き流せない言説であったというほかない。

 --皇后さまは〔2013年10月〕20日,79歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち,宮内記者会の質問に文書で回答。発生から2年7カ月余りたった東日本大震災について「次第に過去として遠ざかっていくなか,どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちをもちつづ続けなければと思っています」とつづられた。

 この1年の印象的な出来事では,2020年東京五輪パラリンピック開催決定や伊勢神宮式年遷宮などを挙げられたほか,「憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議がとり交わされていたように感じます」と記述。東京都あきる野市の郷土館で昨年1月,明治憲法の公布前に地域住民が討議を重ね書き上げた「五日市憲法草案」に深い感銘を覚えたことに触れられた。

 --だが,これは時期的な前後関係から判断して,2104年2月23日に54歳の誕生日を迎えた皇太子徳仁(息子)が「今後とも日本国憲法を順守する立場で」と発言した事実と抱き合わせにし,母子一体の発言内容だと解釈しておく必要がある。くわえて以前から,平成天皇も即位したときすでに「憲法を守る」と発言していた。

 このように,父母と息子3人がそろって「憲法を守る」というのは,奇異な印象を受ける。日本国の天皇憲法に規定されている人間として,しかも象徴の存在であるにもかかわらず,あえてそのように口に出して明言するところが不自然である。そのようにいっしょに発言する事由あるいは事情はなにか,いぶかしく感じてよいのである。しかも,その妻と長男まで同様な発言をしている。おかしくないか?

 彼らはまさしく,日本国憲法内に無条件に生息する一族でありながら,その種の発言を機をとらえてはおこなってきた。とりわけ,そのような発言を「家族の単位で意識的に重ねておこなっている」真意は,はたして,どこに・どのようにあると受けとめればいいのか。日本国の住民はみな,注意して観察する余地がある。

 

 「『静』」お題に皇居で歌会始 天皇陛下水俣の海詠む」(2014年1月15日)

 新年恒例の「歌会始の儀」が〔2014年1月〕15日,皇居・宮殿「松の間」で開かれた。今年のお題は「静」。天皇,皇后両陛下や皇太子さまはじめ皇族方,召人として招かれた東京大名誉教授で比較文学者の芳賀徹さん,選者のほか,一般応募2万1680首から選ばれた入選者10人の歌が,古式にのっとった節回しで朗詠された。

 宮内庁によると,天皇陛下は昨年10月に全国豊かな海づくり大会式典出席のため訪れた熊本県水俣市で,「水俣病慰霊の碑」に供花した折に見た慰霊碑の先に広がる水俣の海を詠まれた。

 皇后さまは,20年に1度社殿を建て替える伊勢神宮三重県伊勢市)の式年遷宮で最も重要な神事「遷御(せんぎょ)の儀」間近の昨年9月,臨時神宮祭主の長女,黒田清子さんが挨拶に訪れたさいの様子を表された。

 皇太子さまは毎年11月に天皇陛下のお供をして出ている新嘗祭(にいなめさい)のさい,静まりかえった皇居・神嘉殿の建物内で,外から聞こえる楽部の奏でる神楽の音色に深い趣を感じた心境を表現された。皇太子妃雅子さま東日本大震災で被災した岩手県釜石市を昨年11月に訪れた際,静かに凪(な)いだ海を見て,復興への願いを込めて詠まれた。

 --この記事には,歌会始に関係させて,いかに皇室の人間が日本の公害問題にまで心を痛めて心配しているかが表現され,伊勢神宮宮中三殿のかかわりにおいて,いわばその視野の広がりのなかに「東日本大震災」(2011年3月11日)が深慮されている姿勢が報じられている。客観的にみるにこのような新聞記事のもつ意味は,ともかくも,皇室の広報活動を無条件的に果たしているところにみいだせる。

 皇族が一丸となった自族の「存在価値」を売りこみ,しかも,日本国民のなかに自分たちに対するよい「印象:価値関係」が常時形成されつづけることを企図したそれである。さらに若干に皮肉をこめていえば,あの手この手で,日本国民における天皇家のよい評判づけを狙った「高等戦術の作戦的な展開である」と断じてもよいのである。

 

 「両陛下,伊勢神宮を参拝へ 25日から」(2014年3月6日)

 宮内庁は〔3月〕6日,天皇,皇后両陛下が今月25~28日の日程で三重県を訪れ,伊勢神宮に参拝されると発表した。20年に1回社殿を建て替える「式年遷宮」が昨年行われたことを受けた私的な参拝。皇位の印とされる剣と璽(じ=まがたま)も20年ぶりに携行される。

 --本ブログは,この天皇夫婦の行動・行程についてのくわしい吟味を,冒頭にも断わったようにすでに2014年3月25日に記述していた(この3月25日の記述もつづけて公開する予定である)。「神国日本に生きる天皇家」とはいっても,本来,東京の皇居(江戸城)内に建造された宮中三殿に発祥していた。これが「明治以来の伝統としての皇室なりの〈国家的な神道〉宗教の伝統」である。

 いまある宮中三殿のような《壮大・豪華な神殿》は,江戸時代までの皇族はもっていなかった。記録のない古代史の時代にどうあったかはしらない(専門家がもちろんあれこれ解明しつつある話題であるが)。ともかく,東京に出張ってきた天皇家が,明治の維新時に造営した宮中三殿に関する「この1点に関する歴史的な理解」をよそにしては,その宗教的な本質はまともに認識できない。 

 1)「両陛下,三重県伊勢市を訪問」(2014年3月25日)

 天皇,皇后両陛下は〔2014年3月〕25日午後,伊勢神宮参拝のため三重県伊勢市を訪問された。20年に1回社殿を建て替える「式年遷宮」が昨年おこなわれたことを受けた私的な参拝。両陛下は26日に外宮(豊受大神宮)と内宮(皇大神宮)を参拝し,28日に帰京される。

 今回の訪問では,皇位の印とされる「三種の神器」のうち剣と璽(じ=まがたま)を2人の侍従がそれぞれ黒いケースに入れて運んだ。宮内庁によると,剣璽が皇居の外に出るのは前回の式年遷宮後の参拝以来,20年ぶり。

 --ここでは「私的な参拝」であるとわざわざ断わられている。天皇家の信仰問題が私的な個人的な問題であるならば,このように記事にとりあげ,いちいち報道するという日本の新聞社の姿勢が問題にならざるをえない。「三種の神器」については,先日の記述で触れて批判したとおりであって,皇室神道にとっての大事な〈神器〉がそのようにとりあつかわれるにしても,この事実を新聞社がまじめに報道するところじたいに,疑念が湧いてきて当然である。 

 2)「両陛下,伊勢神宮を参拝」(2014年3月27日)

 天皇,皇后両陛下は〔2014年3月〕26日,三重県伊勢市伊勢神宮を参拝された。20年に1回社殿を建て替える「式年遷宮」が昨年おこなわれたことを受けたもので,外宮(豊受大神宮)と内宮(皇大神宮)をそれぞれ参拝。両陛下は順番に正宮へ進み,正殿前で拝礼された。両陛下の参拝は即位後4回目。 

 3)「両陛下,伊勢『せんぐう館』視察」(2014年3月27日)

 三重県を訪問中の天皇,皇后両陛下は〔2014年3月〕27日午前,伊勢神宮式年遷宮に関する資料を展示した「せんぐう館」(三重県伊勢市)を視察された。同館は2012年にオープン。両陛下は式年遷宮の神事「遷御(せんぎょ)の儀」を再現した模型などをみて回られた。 

 4)「両陛下 伊勢参拝から帰京」(2014年3月28日)

 両陛下 伊勢神宮参拝のため三重県伊勢市を訪れていた天皇,皇后両陛下は〔2014年3月〕28日午後,JR東京駅着の新幹線で帰京された。

 --このように天皇夫婦が3月25日から28日,3泊4日の行程で伊勢神宮参拝の旅行をしてきたわけである。伊勢神宮遷宮という工事が竣工して落ちついたころをみはからって,天皇夫婦はいわば皇室神道にとって宮中三殿賢所に形代があるが,「その御本尊」に当たる天照大神が祭神である内宮と,そして外宮を伊勢神宮として参拝したという。これは天皇家の信仰問題に関係する行事・旅程であった。

 だが,ここで参照していた『日本経済新聞』だけでなく各新聞紙も,この天皇夫婦の行動日程を,報道しなければいけない記事としてとりあげ,書いていた。天皇家の私事である伊勢神宮参拝が,もしも憲法上にもなんらかの関係がないとはいえない。むしろ「政教分離の原則」に抵触する問題がある。

 それに反する皇室一族代表者による国家的神道の発露=皇室信仰の行為が,国民の眼前において展開されている。この動向について疑問をもたずにただ漫然と,「ああ,そうですか。天皇さんたちは,そういうこともやるのですが」という感じ方では,日本国憲法の本質にまでかかわっている彼らの,それも「私的行動が有し,発揮する」ところの『問題性』は,いつまで経ってもまともに理解できないで終わる。

 

 宗教学者 堀 一郎の批判-なにが焦点の問題か-

 a)「祭祀と宗教の分離」 --国家神道を中心とした宗教政策は,明治政府が強行するかぎり当然,当時の開明化政策や信教の自由とは矛盾した。神道自身に宗教としての未熟さがあれば,なおさらそうなるほかなかった。

 そこで,国民側にこの神社神道を強制して起こる矛盾を回避するために政府が用意した理屈が「祭祀と宗教の分離」であった。「神社は宗教でない」「神社神道を宗教一般から切りはなす」ことによって,神社は祭祀のみに限定された。だが,国家がそのように神社神道を公認したことは逆に,この神社神道に国家宗教としての特権的な地位を与えることとなった。

 この「祭祀と宗教の分離」は,宗教ではないとするタテマエの国家神道が,教派神道・仏教・キリスト教のいわゆる神仏基3教の上に君臨する国家神道体制への道を開き,いわば「世界では類例のない,特異な国家宗教」を誕生させた。

 神社神道は,天皇制の正統神話と天皇を現人神として崇拝する古代的信仰に立って完全に固定化され,近代社会の宗教として自己展開する道をみずからとざした反面ではまた,国家にとってもっとも効果的な政治的・思想的機能を発揮できた。

 すなわち,神社神道の非宗教化というタテマエによって,逆にそれが国民をすべてその宗教的な網のなかに強制的に包みこむ国家神道への道が切りひらかれたのである。

 註記)田中 彰『明治維新講談社,2003年,241-242頁。

 b)神道非宗教の誤謬」 --宗教学者の堀 一郎はだから,明治維新時において錯誤的に復活させられた「祭政一致」の明治国家神道を,以下のように剔抉している。現代における神社問題にも通じる指摘・批判である。

 祭政一致というごとき古代社会の制度を復古維新の名のもとに近代社会に押しあてようとしたところに明治神道の錯覚があった。祭政はわが国でも早く崇神,垂仁朝に分離され,政教の分離は第8世紀後半に明白な形で打ち出されてきている。

 

 しかもこの歴史的過程を逆転して,祭政一致を観念的に,儀礼的に強行しようとするアナクロニズムが,他方では近代的な政教分離と信教自由の原則確立という相矛盾した事態に直面して「神社は宗教にあらず」とする詭弁が生れてきたのだ……。

 

 不完全に過ぎない……不備なる定義を盾にとって,神社は宗教にあらずと主張するのは,サギをカラスと言いくるめるのたぐいである。この自明のことわりを知りつつ主張するものが,もしありとすれば,それは神社を再び信教自由の原則の外に置きたいという暗々の意図が秘められているとも邪推させる危険があろう。

 

 人間が神を信ずる心が,統治者あるいは元首によって左右されるという如き,また日本国の元首は必ず神道祭祀を行なうのでなければ元首たり得ないという如き思い上った意見が,道ならぬ一個の人間のいかなる権利に基づいて発し得るのであろうか。……基本的人権の無視これよりはなはだしきはない。国家神道を護持し,国体を擁護すると自覚しつつ,かえって神と天皇を冒すことになりはしないか。
 註記)『堀 一郎著作集 第4巻  遊幸思想と神社思想』未来社,1981年,467頁,467-468頁,561頁。

 天皇天皇制を根っから支持し,大いに賛同する人びとに限って,敗戦後においても天皇は「日本国の元首」なのだと主張する。

 だが,堀 一郎のような批判を当てて考えてみるに,明治維新後に《創られた皇室の神道信仰》というものが,敗戦以降も昭和天皇から平成天皇まで連続してきた体裁でもって,一説には元首と目されるもする人物の言動・行為となって,いまもなお「政教分離の原則」を日常的に破損しつづけている。

 それでも,あたかも「国家神道無宗教」であるかのように装いながら,そして同時に,「日本国憲法」のもと「第1条から第8条まで」の地盤の上に生きていながらも,現代における日本社会のあり方を「民主主義の根本義」から引き離すための力学動因を提供している。

 『象徴にものを語る権利がある』のか? この象徴がなまじ人間であるがために,そうした疑念に原因する諸問題がいつまでも・どこまでも発散されつづけるばかりであって,これを受けとめて収束させうるための議論が未熟・不備である。天皇家の構成員には基本的人権があるのかなどと詮議されねばならない「不思議の国,ニッポン」である。だが,この論点を本気で討究する専門家が最近はあまりみかけない。なぜか?

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 【付 記】 冒頭にも断わりを入れておいたが,本(旧)ブログの2014年03月25日の記述「『神器の動座』問題-天皇の訴求,天皇家の演技,宮内庁の支援,そして新聞社の記事報道など-」は,本日〔2020年2月3日〕の記述のあとにつづけて復活させるので,再掲できしだいここにリンクを表示することにしたい。 

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