「三種の神器」を天皇家の皇統連綿性の証しとしたいフェティシズム(呪物崇拝)を支持する日本国の宮内庁とマスコミ

「神器の動座」問題-天皇の訴求,天皇家の演技,宮内庁の支援,そして新聞社の記事報道など-
                   (2014年3月25日) 

 

  【要  点】 天皇家の「明治謹製になる宗教的な私事」を報道するもしないも報道機関の自由だが,三種の神器はしょせん,オモチャに過ぎない

 

 「剣と璽 20年ぶり『外出』両陛下の伊勢参拝」asahi.com,2014年3月24日19時46分

 昨夜〔2014年3月24日〕,THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,つまり『朝日新聞』ウェッブ版を観ていたところ,「剣と璽20年ぶり『外出』両陛下の伊勢参拝」と見出しのついた記事が,このインターネット版(2014年3月24日19時46分)で,冒頭(最初)にかかげられる報道の仕方になっていた。

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 出所)この画像は本文とは直接関係はなく,ひとまず別物ではあるが,類似の画像を用いて「当該の様子」をしるために挿入したものなので注意されたい,https://matome.naver.jp/odai/2139577302539377601/2139577929840946903

 前段のこの記事に添えられた「写真」は,1990〔平成2〕年11月に撮影されていたものであった。「即位の礼などが終わったことを報告する『親謁の儀』を終え新幹線で帰京するためJR名古屋駅のホームに到着した天皇皇后両陛下。侍従(左後方)が剣を携行している」と解説が付されている。つぎに,この記事本文を紹介しつつ,批評もくわえて記述したい。

 --天皇皇后両陛下が〔3月〕25~28日,20年ごとに社殿を一新する式年遷宮があった伊勢神宮参拝のため三重県伊勢市を私的に訪れる。これに伴い皇位のしるしとされる「三種の神器」の剣と璽を持参する剣璽(けんじ)動座」がおこなわれることになった。剣璽が皇居外にもち出されるのは20年ぶり。

 三種の神器皇位継承の象徴とされ歴代天皇に引き継がれてきた。剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」,まが玉は「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」,鏡は「八咫鏡(やたのかがみ)」。

 ただ皇居に安置されているのはまが玉のみ。剣は熱田神宮名古屋市)鏡は伊勢神宮に置かれ,いずれも分身としての複製品が両陛下の住まいである皇居・御所内の「剣璽の間」に収められている。側近によると布のようなものに包まれ中をみることは許されていないという。

  補註)その「中身」はみられないという約束事にしておくことによって,この神器の神聖性・神秘性・ご利益さ(秘中の秘!)が確保・発揮されるという寸法であるらしい。簡単にいえば『偶像崇拝的な物神性の典型』事例である。だがそれでも,この「三種の神器」にかかわる天皇の行動が,このようにおおまじめに新聞報道される意味はなにか,よく考えてみる余地もある。

〔記事に戻る→〕 剣とまが玉は天皇の近くに置くべきものとされ,戦前は天皇の宿泊を伴う地方訪問に侍従によって持参されていた。戦後は,地方訪問の増加による警備上の理由 などでいったん廃止されたが,神社関係者を中心に要望があがり,昭和天皇伊勢神宮に参拝した1974年に復活した。即位の礼などを終えたことを報告する 1990年の「親謁(しんえつ)の儀」や,1994年の式年遷宮後には,それぞれ伊勢神宮参拝のさいにおこなわれた。

 補註)要は「三種の神器」が天皇である身分証明になっているというわけである。だから,天皇が動くときはこの神器も一緒に〔近くに・そばにあるように〕「動座する」という理屈が立てられている。もっとも,この動座の事実や神器の歴史じたいに関して,ある程度知識をもっている人にとっては,ずいぶん「単純な理屈」が示されている。

 いまの「三種の神器」は,いつ・どのようにして,この「神器の3点」が皇室用の「三種の神器」だと決められたのか。歴史の過程において紛失した神器もある。そうなるといまの神器には偽物=「あとで追加・製作」したものもある。このへんの問題に関する議論になると,相当の専門家でもかなりいい加減なことをいいだす。「三種の神器」なんぞ,なくなったり破損したりしたら「新しく作ればいいのだ」と平然と語る歴史家もいた。瀧川政次郎がその代表格である。

  

 註記)この本が,瀧川政次郎『日本歴史解禁』創元社,1950年であるが,読んでみたらびっくりさせられる内容が叙述されている。なお,「Amazon 広告」リンク付き。

 それよりもなによりも,「三種の神器」を保有する者が天皇であると定義されるのであれば,いまの天皇天皇ではなくなるのは,この神器を奪ってしまえればいいという理屈も出てくる(実際,この指摘は正しく,まったくに妥当する意見となる)。南北朝の時代,どちら側の天皇がこの神器を……という,よく考えてみればたわいもないような,いうなれば「非常に大切なオモチャの奪いあい」にもみえた〈天皇の歴史〉も記録されている。

 それでも,21世紀の現在になっても,冒頭に紹介した記事に報道されているように,この神器が天皇に付いて動くというので,新聞社がわざわざ報道している。

 日本国憲法下における「皇室典範」には「三種の神器」に関する規定はない。ないのは当然で,いまの時代に宮中三殿でとりあつかわれる天皇家の神器のことまでを,皇室関連の法律とはいえ,じかに規定の対象するわけにいかない。旧皇室典範にも該当する条項はなかった。そこに規定しておくような対象ではないのである。

〔記事に戻る→〕 今回の剣璽動座にあたっては特別な態勢が組まれる。お付きの侍従を通常の地方訪問の2人から4人に増員。うち2人は剣と璽をそれぞれ担当し,剣璽をもち運ぶ。名古屋駅から伊勢神宮に近い宇治山田駅伊勢市)に向かう近鉄特急「しまかぜ」では,両陛下の隣の車両を剣璽専用にして安置。両陛下が車で移動するさいも専用車で車列とともに運ばれるという。

 補注)前段において別物としてかかげておいた画像資料が,この段落で記述されている「剣璽動座」の光景を撮した写真に相当する。それは,新幹線に乗りこむときの様子を撮していた。

 両陛下が伊勢神宮に参拝するのは〔2014年〕3月26日。最初に豊受大神を祀る外宮に続いて,天照大神を祀る内宮に参拝する。両陛下の訪問に伴い一般の伊勢神宮参拝は,一時停止される。三重県警は4日間の日程中,伊勢署と県警本部に警衛警備実施本部を設置。中部管区警察局などから応援を得て特別態勢で警衛にあたる。

 補註)この光景に感じとれるのは,まるで,戦前のままの風景とみまごう事実である。戦前に似ているから問題だというのではなく,こうした光景じたいに含意される〈宗教的な意味づけ〉が問題にされてよいのである。神国日本の天皇が,伊勢神宮に祭られている,それも皇室・国家用でもある神道上の「神々」に参拝にいく。三重県警はそのための警備本部まで設置するという。いずれやってくる天皇代替わりに備えての地方版「予備訓練」と受けとめたら,うがちすぎになるか? 民主主義国家体制のなかに天皇天皇制の存在することの意味はなにか? この事実をまっとうに再考するための格好の素材が与えられている。

 註記)以上の記事引用は,http://digital.asahi.com/articles/ASG3N4D3CG3NUTIL01L.html?iref=comkiji_redirect

 なお,以上(黒字)で紹介した記事にあっては,ウェッブ版(THE ASAHI SIMBUN DIGITAL)にしか出ていない段落部分もあって,昨日〔2014年3月24日〕の『朝日新聞』夕刊には,それに該当する記事が出ていなかった。その段落の記事に該当する報道はまた,本日〔同年3月25日〕に配達された『朝日新聞』朝刊にも出ていなかった。そのうち,3月24日夕刊(14面)のほうでは,その代わりに充てられたらしい「ほかの皇室関係」に関するベタ記事が出ていた。見出しが「皇后さま美術展へ 東京・六本木『ラファエル前派展』」と付けられた以下の報道であった。

 皇后さまは〔2014年3月〕24日東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展  英国ヴィクトリア朝絵画の夢」(朝日新聞社など主催4月6日まで)を鑑賞した。シェークスピアの悲劇に題材をとったミレイの代表作「オフィーリア」には「思ったより大きくないですね」と感想を語っていた。

 まあ,これをみた人たちのなかには,「じゃー私も,この展覧会を観にいくか」という人も出てくるかもしれない。その程度の記事である。天皇家の人びとの日常はその一挙手・一投足が報道されている。そのようにしておかないと,日本社会においてはなにかまずいことが生じるのかのようにも受けとれる。そう感じてなにも不思議はない。

 補注)大手紙においてはだいたいだが,社会面の記事が複数面に報道されている場合,見開きでみたときは右側紙面に,皇室・皇族関係の日常生活が逐一,ニュースになって記載されている。

 ともかく,〔2014年3月〕25日朝刊紙面をのぞいても(ただし筆者の購読紙のみの観察である),この ① にとりあげているウェッブ版の記事:「剣と璽20年ぶり『外出』両陛下の伊勢参拝」(これは通常,社会面に出ることになっている)はみあたらなかった。その前の24日夕刊の記事では,皇后美智子の芸術鑑賞の機会をとらえて,上に引用した記事の報道がなされていた。庶民のまなざしに映るところでは,まことに優雅な生活をしている「皇族の行動」の一コマが紹介されていた。

 --その後,〔2014年3月〕25日夕刊になると,ようやくこの記事:「剣と璽20年ぶり『外出』両陛下の伊勢参拝」が出ていた。ウェッブ版に1日もまえに出しておくというのは,異例ではないか。ふつうの記事の出し方(報道の仕方)ではない。新聞とは「新たに聞く」である。明らかに,なんらかの特別あつかいなされている記事であったと判断しておく。それともウェッブ版の活用の仕方に関して,今回はなにか特別の配慮がなされていたことになるのか? もっとも最近は,「紙面」版と「ネット」版にそれぞれ報道する記事の内容については,かなり幅をもたせて使い分ける方法も採られていて,その上で相互に関係づける編集もなされている。

 

  三種の神器の本質-ある説明の例-

 三種の神器については,つぎのような〈ひとつの説明〉が試みられてもいる。

 「三種の神器」とは「鏡」「玉」「剣」の三種をいい,皇位を保証する宝物とされ,代々の天皇が継承してきた。一般には「八咫鏡(やたのかがみ)「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)まではよくしられている。

 玉は「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)という。鏡と玉は天照大神の岩戸籠もりのときに造られ,剣は素戔嗚尊が山岐大蛇やまたのおろちを退治したとき,その尾のなかから出現し,霊剣ゆえに素戔嗚が天照大神に献上したとされている。

 補註)しかし,「皇位を保証する宝物」として「代々の天皇が継承してきた」というふうにまで完全に断定することは,できない表現であった。このことは,歴史学の分野では常識に属する理解であった。

 もとより「原則としてはそうであったかもしれないが……」という程度の説明しかできないゆえ,そこまで自信をもっていいきったら間違いになる。それゆえその点を,天皇家が「途切れなく〈三種の神器〉を保有していた」と誤解させるような記述をしているのは,まずい。厳密にいえばウソになってしまうからである。

 いずれも,日本神話の高天原世界の話となっていて,現世とは異なったいわば「超空間」における事象である。「三種の神器」と天皇家の結びつきを強く否定する意見も,学会には存在する。すなわち,前期古墳に顕著な鏡・玉・剣を,天皇家の「三種の神器」と結びつけたり,古代豪族の系統に天皇家の祖系をたどったりして,その源流を弥生時代北九州の墳墓に求めようという動きなどは,意味がないというのである。

 補註)なにせ古代における話題である。歴史の解釈のしかたによって,いかようにでも説明できる論点となっていた。これが三種の神器に関する議論の特徴であり,出発点に置かれるべき前提にもなるから,あれこれと議論はつきない印象もある。

 鏡・玉・剣のセットは本来民俗祭祀に依代(よりしろ)として用いられてきたものであって,天皇家の神璽とはかかわりがないし,また,前期古墳の鏡・玉・剣セットともなんら関係ないともいう。むしろ,この民俗祭祀が「記紀」編纂にあたって,神話のなかにとり入れられたというのである。これは,津田左右吉の流れを組む学者たちのなかに見受けられる見解である。本来は「人民(大衆・庶民)の宝物」であったとする主張である。

 補註)ここに引用されている論者は,「これこそなんだか政治的な臭いがしてしょうがない」とコメントしていた。だが,三種の神器そのものが〈政治性そのもの〉の問題である「基本的な特性」をもっている。それにもかかわらず,そのようにコメントするのは見当違い。

 もちろん,この場合における政治性とは,皇室をありかたをめぐる問題であり,〈三種の神器〉に限定された議論になる。ここでのいまの課題は,南北朝の時期まで歴史をさかのぼらなくともいいのであって,明治維新以来の皇室における「三種の神器」の存在が,旧大日本帝国の根っこに植えこまれた宗教的なアイコン(icon;ものごとを簡単な絵柄で記号化し表現するもの)になっていたこと,そして,この神器がなければ「天皇の地位」もありえないものと信仰されていたことをしっておけば,それはそれで充分なのである。

 明治時代以来,「神聖にして冒すべからざる」とされたこの「天皇の地位」を保障するアイコンが,すなわち,三種の神器なのである。ここまで話が進むと,こう思いたくなる。「古代ローマ帝国」や「神聖ローマ帝国」よりもずっと大昔の時代に,建国のためのイメージ創りの原点を求めた大日本帝国のことである。遠い「祖先神の時代に関する物語」については,想像力を存分に働かせて考えねばならなかったものと思われる。

 しかし,いまは21世紀である。「三種の神器なければ天皇位なし」みたいな話題とならざるをえない《動座》に関する情報が,新聞の紙面を借りたかたちで提供されている。それもおおまじめに,国民・市民・住民・庶民に向けられた「宮内庁の宣伝」でもあるかのように,新聞が神々しく報道している。

 学問的には,鏡・玉・剣のセットが民俗祭祀に用いられたという証拠はない。むしろ,鄭重に埋葬された「権力者」や「豪族」と思われる弥生墳墓や古墳から,それらは出土している。民俗祭祀の依代よりも,「権力」や「財力」の象徴として使用されたことは明らかである。

 それゆえ,「大和朝廷」を確立し,体制・基盤を確固たるものにした初期天皇家にとっても,それらは宝物であった。「三種の神器」を追究することの意味は,ただ単にそれらがどんな形状で,どんな大きさ重さをもっているかといった興味などではない。

 「三種の神器」がいかにして「三種の神器」となっていったか。天皇家はいかにしてこれを皇位継承のシンボルとしたかなどを探り,これによって「大和朝廷」成立前後における日本古代史を解明する必要がある。好む好まざるとにかかわらず,「天皇家」と「三種の神器」は強く結びついている。
 註記)引用文(黒字部分の直近前述の3段落)は,http://inoues.net/mystery/3shu_jingi.html  参照。

 以上に参照した「三種の神器」に関する「ひとつの見解」については,まだ議論の余地が多くあるが,ここでは最初の話題に戻って,伊勢神宮天皇家の関係を考えてみたい。

 

  伊勢神宮天皇家の付きあいは明治以降

 伊勢神宮天皇家の関係は,7世紀後半から緊密となっていた。しかし,伊勢神宮明治天皇が直接参拝に出かけたのは,明治天皇からであった。つまり,歴代天皇が直接伊勢神宮に出かけることはなかったのである。明治時代までの皇室は長いあいだ,仏教を信心してきた。これが事実である。

 伊勢神宮はそもそも,天皇家の祖先を祭るのではなく,霊験あらたかなる農業神を祭る神社であって,内宮と外宮の関係も外宮のほうが大きな力をもっていた。明治政府は,庶民信仰の対象であったこの神宮を一変させ,全国の神社を統べる頂点として,またなによりも近代天皇制国家のもっとも神聖な祭場として再編してきた。

 さて,伊勢神宮天照大神を祭神するが,これが神武天皇とは神話的な連関性をもち,この神武天皇が,いまの現実の天皇にまで,これまた神話的につながりも含めて「皇統の連綿性」「万世一系性」を誇るという,まさしく神話的な物語が連なって構築されている。今回(昨日,2014年3月24日新聞夕刊)に報道されたごとき「神器の動座」とは,天皇の地位を証明し表現するとされるこの神器のことゆえ,いつもこの天皇に着いて動くという意味になる。

 天皇家神道という宗教,それも皇室流に明治以降新編成した独自の信仰をもって生活している。これは,彼らの宗教生活のことがらゆえ,誰も口出しできない。しかし,天皇らは日本国憲法に規定される存在であり,日本国・民統合の象徴といわれており,しかも国家予算に裏づけられて全生活を維持されているからには,ここから大問題が出てくる。

 日本に住むあらゆる人びとが神道教徒であるのではない。この国に存在する人びとすべてを,勝手に神道教徒にしてしまうかのような天皇家宮内庁の皇室行政がある。天皇家の私家版宗教があたかも,日本国の全国版宗教でありうるかのように,そうであると「理解(誤解?)」させたいかのように,「神器が天皇に着いてまわる事実」が報道されている。思えば「異様な光景」である。日本は神道を国教とはしていない。ましてや皇室神道は……。

 明治維新は「神武創業」を理想とし,明治天皇は初代「神武」になぞらえられた。とはいっても,「神武」の政治体制は不明につき,実際には,天武・持統朝に成立した古代律令制が形式上の模型(モデル)とされた。そして,岩倉具視の国事意見書に「万世一系」と書いたことから,明治維新からこの「万世一系」という近代語が,正式に用いられることになった。

 万世一系の理念に裏打ちされた「王政復古-祭政一致神祇官復興 -版籍奉還」といった一連の動向のなかに,明治2〔1869〕年3月の明治天皇伊勢神宮参拝があった。明治天皇を神武と二重写しにするとともに,〈皇祖アマテラス ⇔ 初代神武 ⇔ 明治天皇〉の系譜を視覚化し,万世一系の理念を体現させたのである。

 伊勢神宮を頂点とする体制が,「古代」官社制を再構築する一大体系として創出され,全国の神社が序列化された。この改革は神宮そのものに及び,その頂点に立ったのが「皇祖を祭る伊勢神宮」であった。ただし社格はなく,すべてに超越する「神宮」と位置づけられた。
 註記)武澤秀一『伊勢神宮天皇の謎』文藝春秋,2013年,211-212頁。

 上段の記述は,「伊勢神宮を頂点とする体制が,『古代』官社制を再構築する一大体系として創出され,全国の神社が序列化された」とも書いている。この伊勢神宮に参拝にいく天皇が,皇居にある宮中三殿の神器を動座させるという新聞報道に関連させて学ぶべき「日本歴史に関する基礎知識」であった。

 天皇天皇家宮内庁が,今回報道された「三種の神器」の動座という天皇の行為を通して,いったいなにを狙っているのかを,われわれは敏感に観察する必要がある。天皇のこうした行為が単に「天皇家の自家宗教に関する動向である」ならばよい。しかし,そのように受けとるわけにはいかない日本国の特殊事情がある。

 天皇は公人である。この公人である天皇が「自家用の皇室宗教」にかかわってなす「特定の私人の行為」が,あたかも国家次元の行事であるかのように報道されている。これは尋常ではない。異様である。「政教分離」の問題から観ても重大である。天皇家が宗教面で日本国の総本山・総本家であるのか? そう思っている人もたくさんいる。しかし,それでは民主主義国家体制のなかでは問題を惹起させるほかない。

 

 三種の神器-本(旧)ブログ「2008. 10. 25」の解説-

 「三種の神器の不可思議」は「天皇家の秘宝だといわれる」が,この三種の神器は,天皇自身もみてはいけないものとされている。そうやっておけば,天皇家じたいの神秘性・神政性も,より上等になりうるという考えである。

 つまり「三種の神器」とは,日本国の「天皇家の伝統的存在性」を称する物的な,つまり目にみえるところの宝物らしい。ところが,それらを実見することは “天皇自身もかなわない仕儀だ” とされてきたのだら,「証明不能あるいは確認不要」の「皇室神道信仰用の小道具」という位置づけにならざるをえない。

 『ウィキペディアWikipedia)』の解説に,あらためて,ひととおり聞いておく。

 --「神器」とは『神の依代(よりしろ)「神霊が依り憑く〔よりつく〕対象物」』を意味する。天皇の即位にさいし,この神器のうち『〈鏡〉と〈剣〉のレプリカおよび〈勾玉〉』を所持することが,日本の正統なる帝として皇位継承のさいに「代々伝えられている」。ただし,過去には後鳥羽天皇など「神器がない状態」で即位した事例もあり,必ずしも即位の絶対条件ではない。

 三種の宝物とは,「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣」(「草薙剣」)であり,この「神器」といういいかたが一般化したのは,南北朝時代ごろからといわれている。

 『古事記』では,天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま),鏡,また草薙(くさなぎの)剣」を授ける。

 『日本書紀』本文には「三種の神宝(神器)」を授けた記事がなく,第一の一書に「天照大神,乃ち(天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほのににぎのみこと)に,八尺瓊の曲玉及び八咫鏡草薙剣,三種(みくさ)の宝物(たから)を賜ふ」と記している。

 古代において,鏡・玉・剣の「三種の組みあわせ」は天皇家だけに特有のものではなく,一般に支配者の象徴であったと考えられる。

 たとえば,仲哀天皇熊襲征伐の途次,岡県主の熊鰐,伊都県主の五十迹手らはそれぞれ「白銅鏡・八尺瓊・十握剣」を差し出して恭順の意を表している。

 また,景行天皇に服属した周防国娑麼の神夏磯媛も「八握剣・八咫鏡・八尺瓊」を差し出している。また壱岐市原の辻遺跡では最古の「鏡・玉・剣」の組みあわせが出土されている。

 現在では八咫鏡伊勢神宮皇大神宮に,天叢雲剣熱田神宮に神体として奉斎され,八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されている。

 皇居には八咫鏡天叢雲剣の形代があり,八咫鏡の型代は宮中三殿賢所に,天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに御所の剣璽の間に安置「されている」と「される」。

 儒学伝来以後,鏡は「知」,勾玉は「仁」,剣は「勇」というように,三種の神器は三徳を表わすという解釈もある。

 平成天皇は,1989年1月7日に宮殿松の間でおこなわれた「剣璽等承継の儀」において神器を継承した。

 なお,これら3器を「三種の神器」と総称する用例は『平家物語』『神皇正統記』などにみえる。また『神皇正統記』では「三種の神宝」(さんしゅのしんぽう・みくさのかむだから)とも称される。

    
  稲田智宏『三種の神器-謎めく天皇家の秘宝-』学習研究社,2007年6月)

 稲田の本書は,日本国の天皇家に継承され,とくに昭和の時代における裕仁天皇などの宗教意識をめぐり,この天皇家の「自家宗教=天皇神道」の由来・根源を,本当に物的に裏づけると「されてきた」『三種の神器』を,分かりやすく論及している。

 神道にかぎらず,世界中のどの国・どの地域であれ,そこに発祥した宗教は,当初の原始的な段階ではみな,幼稚ながらも神秘的な教義や基本的な教理を樹立させつつ,これをその宗教の原理的な基盤に据えてきた。

 とはいえ,日本の天皇家の信仰する神道の物的な証拠とされる「三種の神器は神話的な背景をもち,またさまざまな神威を示したものと伝えられている。それらが本当かどうかはともかく,そしてまた物理的存在としての『器』の正体もともかくとして,神器は日本という国の政(まつりごと)を時代により,程度の差こそあれ担いつづけてきた天皇と,分かちがたく存在してきた」。

 「いわゆる三種の神器」「とくに天照大神の御霊代(みたましろの神鏡八咫鏡は,天皇が拝する対象であると同時に,その天皇がもっている権威の源泉とみなしてもいい。いわば神器を仲立ちとして天皇天照大神と結びつき,天照大神のカリスマと身にまとうのである」(以上,稲田,212-213頁)

 現在の日本国憲法第1条から第8条までが天皇関係の条文から構成されていることは,いうまでもない。この天皇「家」が先述のようなアニミズム的・トーテミズム的・シャーマニズム的な宗教精神にもとづいて存在している〈家系〉をもって,ともかく今日まで継承されてきた。

 日本国憲法は,それまでの大日本帝国憲法明治憲法〕とは根本的に異なっており「民主主義」のために制定された〈憲法〉だったはずである。ところが,以上の記述に鑑みればともかく,まことに「原始的に稚拙な宗教観念」を保持する特定集団の存続・介在を許す体系であったことが理解できる。

 しかし,稲田智宏『三種の神器-謎めく天皇家の秘宝-』の語るように,三種の「神器を仲立ちとして天皇天照大神と結びつき,天照大神のカリスマと身にまとう」と解釈することは〈論者の自由〉ではあっても,「人の眼に触れることのない三種神器は,この日本社会において天皇が担わされている権威や果たされている不可思議な役割と同じように,暴かれることなく神話という箱のなかにこれからも存在し続けるに違いない」などといいきって,そのままに済ましておくわけにはいくまい。

 

  天皇天皇制に関する議論の方途

 日本の知識人たちは,天皇天皇制の問題になると,そしてその核心に迫る段になるととたんに萎縮するだけでなく,いつのまにか,しだいにびくつく論調をみせはじめる。

 それでは,『民主主義の根本原理』と天皇天皇家の「三種の神器」との関連性からかいまみえてくるほかない,いいかえればすなわち,この国の「民主主義の状態」の真価を問おうとするための好機をむざむざ逸することになる。問題の本質を,天皇天皇制の「不可思議な役割」に求めることから逃げていては,いつまで経っても日本という国家の本性である「暴かれることない神話」が,理解されないまましまいこまれるほかない。

 天皇家がいつ頃天皇家として確立したか。……古墳時代である。その萌芽は弥生時代にある。一部の人々を除き,今日我々は「天皇家」を容認している。「可哀想だから平民に戻せ!」という声も聞かないし,崇め奉って「神様だぞ!」という運動もない。

 

 あくまでも「象徴」として日本に存続しつづけることを,現代のわれわれは選択している。おそらく,天皇自身がいい出さないかぎりこの状態は続いていくと思われる。そこに,日本人の日本人たる由縁が隠されているような気がしないでもない。
 註記)http://inoues.net/mystery/3shu_jingi.html

 しかし,現状の天皇天皇制を宗教面において神秘性のベールのなかに閉じこめ,この国の歴史・伝統の本質的な真価を問わない論究に,いかほどの意味があるのか? 単なるオトギ話に終始していても,いいのか? 憲法改正の道はいかなる方途を採るべきか?

 「天皇自身がいい出さないかぎり」という理屈は,ひとつの理屈ではありえても,民主主義に対する「日本国民の主体性意識」の発揮に関して,救いがたいほどの深刻な問題を感じる。それは,没論理をもって現実から目をそらし,問題のありかを糊塗する感性でしかない。それはまた,無意識にもとづく〔?〕〈意識的な選択!〉である。

 補注)「いま:2020年2月3日」は,徳仁天皇になって元号令和を使っている時期になった。平成天皇明仁は2016年8月8日,象徴としての自分の務めについて「生前に退位」したい旨を希望する談話を,テレビ放送・インターネットを通じて発表していた。この明仁の行為は,日本国憲法を自分なりに任意に解釈しなければできない性質のものであった。

 「人間である天皇」が象徴である事実じたいについては,もとから基本的な問題が伏在していたわけで,そのなかで明仁は高齢を理由に引退したい旨をみずから国民に向けて表明し,これが受け入れられていた。この経緯に問題がないわけではなく,重大な論点を惹起させていたはずであった。 

 天皇天皇制というぬるま湯に漬かっているのもいい……。だが,民主主義の本来のありかた=〈理想型〉に対して,日本国憲法第1~8条の有する含意は,いったいなんであるのか,もっと真剣に考えられていいのである。その問題意識と天皇の意思を尊重することとは,もとより別次元の問題であった。

 戸矢 学『三種の神器』(河出書房新社,2012年)は,「明治天皇以前には,伊勢内宮を参詣した天皇は皆無である(皇太子は上皇は参詣している)」と強調していた(54頁)。これをわざわざ噛みくだいていえば,明治政府による「伊勢神宮の政治利用」という理解にならざるをえない。

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