コロナウイルスは安倍晋三に対する「忖度」はしない,読売新聞や産経新聞は「社会の木鐸」性なし,『朝日新聞』『毎日新聞』の足を引っぱっている

新型肺炎コロナウイルスの流行は安倍晋三君を「忖度」してくれずに進展しはじめている,いつものとおり彼は「ボクは一生懸命にやっている振り・感」を演技するが,病原菌の活躍にはまったく歯が立たない,またこの日本の首相はクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」を雪隠詰めにする対策を実行して非難を浴びた,これからの国内の感染拡大が心配

 

  要点:1 新型肺炎コロナウイルスへの対応に初動から失敗してきた安倍晋三政権

  要点:2 3流の世襲3代目の大▲カ政治屋の「徒党集団」に占拠された国会

  要点:3 社会の木鐸らしさなど皆無である『読売新聞』や『産経新聞』が,日本の言論界の健全化を妨害し,安倍晋三専制的独裁主義政治を側面から大いに支援している。

      

   ①新型肺炎の病名『COVID-19』 WHO発表」日本経済新聞』2020年2月12日夕刊1面

ジュネーブ = 細川倫太郎】   世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は〔2月〕11日記者会見し,新型コロナウイルスの感染による肺炎の名称を「COVID-19」に決めたと発表した。風評被害を避けるため,地名など固有名詞を含めなかった。中国を中心に感染者数の増加が続くなか,ワクチンについて18カ月以内に準備ができるとの見通しも示した。

 新名称は英単語の「コロナウイルス」と「病気」の短縮形に,感染が発生した年の「2019年」を組み合わせた。テドロス氏は命名による印象の悪化を避けるため「地理的な場所や動物,個人やグループなどに言及しない名前をみつける必要があった」と説明した。(引用終わり)

 ワクチンが間に合うのは最長で1年半だというから,それよりも早く準備できるとしても,ここ半年以上はコロナウイルスの流行に歯止めがかかる可能性は低いことになるのか。夏までには流行が下火になるのを願うほかない。それにしても,日本政府:安倍晋三君の防疫態勢は「下の下だ」という批判を受けている。 

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 ② 中村かさね「『第2の震源地を作った』新型コロナ,日本政府の対応に米メディアから批判相次ぐ 日本政府が情報発信に消極的だとして,『新型コロナウイルスをめぐる状況を悪化させている」と批判するメディアも。」『HUFFPOST』2020年02月15日 13時01分,https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e4742c3c5b64d860fcaf4bb は,この記事の冒頭をこう書き出していた。

 新型コロナウイルスの集団感染が発生している大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号への日本政府の対応に,「感染拡大の第二の震源地を作った」などと海外メディアから批判が向けられている。

 

 「クルーズ船 米国人期限待たず帰国へ 他国の対応も注目」『NHK NEWS WEB』2020年2月15日 15時45分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200215/k10012287121000.html

 アメリカ政府は,新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」のアメリカ人の乗客らを〔2月〕16日(本日)にも船から下ろし,チャーター機で帰国させることになりました。

 アメリカ大使館の発表によりますと,国務省は横浜港に停泊しているクルーズ船のアメリカ人の乗客らを帰国させるためチャーター機を手配しました。チャーター機は16日夕方に日本に到着するということで,準備が整いしだい乗客らを船から下ろし,帰国させる見通しです。

 クルーズ船の運航会社によりますと,およそ2600人の乗客のうちアメリカ人は416人と日本人に次いで2番目に多く,乗員も12人います。こうしたアメリカ人のなかにも新型コロナウイルスへの感染が確認されるなか,早期に帰国できるようアメリカ政府に対応を求める声が高まっていました。

 日本政府はこれまで乗客や乗員に対し,最初の感染が確認されてから2週間となる19日まで船内で待機するよう求めていましたが,関係する国のなかで初めてアメリカが期限を待たず国民を帰国させる措置に踏み切ったことで,今後,ほかの国の対応も注目されます。(引用終わり,後略)

 安倍晋三政権は,敗戦後における日本の政権のなかでもっとも忠実に対米従属国家体制を果たすようになっていた。新型コロナウイルスの感染の疑いがなくなる2週間をまたずに,アメリカ〔国籍〕人だけをさきに帰国させるというのは,ほかの国籍である乗客たちからみれば,複雑な気持になるはずである。

 その間,前項 ②『HUFFPOST』の記事でも触れられていたように,新型コロナウイルスの感染が日本国内で少しずつ拡大している状況のなかで,集団感染が起こっていたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の措置について,日本政府の対応に対しては,とくにアメリカのメディアから批判が出ていた。

 なかでも『ニューヨーク・タイムズ』は専門家の見方として,「公衆の衛生にかかわる危機について,『こうしてはいけない』と教科書に載る見本だ」と伝えていた。つまり,同紙は,日本政府の広報の仕方について「信頼を低下させた」と批判したうえで,「すでに汚染されたクルーズ船にこれほど多くの人を閉じこめておく以外に他の手段があったのではないかと思わせる」と批判していた。

 日本側の最高責任者(最高指揮官)は安倍晋三首相であるが,クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス』に対するあつかいについて,厚生労働省や医療関係機関の専門家の意見・助言があったのかどうかすら,これまで明確ではなかった。新型肺炎コロナウイルスの問題をよくしる科学者や医学専門家がいないとは思えないが,その存在感がまったく伝わってこない「これまでの政府の対応」になっていた。

 

 新型肺炎,国内初の死者 神奈川,80代の女性 和歌山では医師が感染」朝日新聞』2020年2月14日朝刊1面冒頭記事

 この記事は最初の段落でこう報じていた。

 厚生労働省は〔2月〕13日,新型コロナウイルスに感染した神奈川県の80代の日本人女性が死亡したと発表した。国内で新型ウイルスの感染者が亡くなったのは初めて。

 和歌山県では50代の日本人の男性医師の感染が確認され,同僚医師や患者にも感染が疑われる症状があるという。東京や千葉でも新たな感染例を確認。いずれも発症前に中国などへの渡航歴がなく,国内での感染が広がっている可能性がある。(引用終わり)

 

 「感染経路不明,相次ぐ 型肺炎,厚労相『新局面』認識 屋形船では新たに7人」朝日新聞』2020年2月16日朝刊1面冒頭記事

 本日〔2月16日〕のこの朝刊1面冒頭記事は,最初,こう報じていた。

 新型コロナウイルスの国内での感染の広がりが本格化してきた。加藤勝信厚生労働相は15日,記者会見し,「感染経路が判明していない事例がある。以前とは状況は異なっている」と述べ,国内感染が新たな局面に入ったとの認識を示した。和歌山の病院で医師や患者らの院内感染の可能性が高いことがわかったほか,東京では屋形船での新年会の参加者らで新たに8人の感染を確認した。(▼2面=「密室」屋形船,7面=各国催し中止,26面=米で批判,27面=院内感染か)

 この記事の最後部分も引用しておく。小見出しは「国内で確認された新型コロナウイルスの感染者」(人数)である。

 ※-1 クルーズ船  285人

 ※-2 検疫官・自治体職員 2人

 ※-3 チャーター便 13人

 ※-4 中国からの旅行者ら 12人

 ※-5 その他の国内感染者(北海道,千葉,東京,神奈川,愛知,京都,大阪,奈良,和歌山,沖縄) 26人

   合 計  338人
 
 ※-6 感染経路が追えない事例が確認された地域,北海道・千葉・神奈川・愛知・和歌山

 註記)2月15日午後8時半時点。厚労省の資料と都道府県の発表から。

 今回,日本に寄港したクルーズ船の内部は,乗船客を試験台にして,新型肺炎コロナウイルスの病原体を培養しているかのような「事態になっている虞(おそれ,可能性)」が指摘・批判されている。アメリカ政府は「その虞が濃厚である」という判断を踏まえ,本日:16日,アメリカ〔国籍〕人だけをクルーズ船から下船・帰国させることになっている。事後,アメリカ政府はそれ相応の防疫態勢をもって,その416人を受け入れるものと思われる。

 日本政府は,クルーズ船が横浜に寄港した段階で,この『ダイヤモンドプリンセス』の乗船客全員を分散させて治療に当たる必要があったものの,安倍晋三首相以下,そうした医療態勢を構えて本格的に事態に当たろうとする認識や覚悟はなかった。その後,例によって安倍は,自分の「やってる感」だけは熱心に演技したがる御仁であるけれども,ことが感染力の強い未知の新型肺炎コロナウイルス相手だったというしだいで,まるでドタバタ劇にもなりえないほど,後手後手の対応に終始してきた。

 ここからは少し論点をずらした記述となる。もちろん,ここまでの記述と深い関連のある内容をとりあげている。本日の『朝日新聞』朝刊・3面「日曜に想う」は,編集委員の大野博人が執筆しているが,読んでもらえればすぐに気づくように,これは全面的に “安倍晋三の為政” を批判した文章:中身になっている。

 

 「〈日曜に想う〉 議場の花は街頭のあだ花?」朝日新聞』2020年2月16日朝刊3面

 ヤジは,ときにすさまじい破壊力をもつ。独裁政権を倒す引き金になることだってある。

 1989年12月のルーマニア。東欧諸国を襲った共産主義体制崩壊の大波がこの国にも及びつつあった。まず地方都市で当時のチャウシェスク大統領の独裁打倒を叫ぶ反政府運動が起きた。波及を阻もうと大統領は首都ブカレストの広場で大規模な政権支持集会を開いた。

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 付記)チャウシェスク「最後の演説」のときの画像。

 ヤジが飛んだのは動員された群衆を前に大統領が演説を始めたときだ。「人殺しのチャウシェスク打倒!」 爆竹のような破裂音も。

 長年,強権への恐怖に縛られていた人びとの心が一瞬にして解き放たれた。政権支持集会は反政府集会へとみるみる変容。「王様は裸だ」を地でいく展開に。大統領は演説を中断して逃げたが,まもなく捕らえられ,即決裁判で処刑される。東欧革命の中でももっとも劇的な一幕となった。

 どこから,どれだけの人がヤジを飛ばしたのか,よくわからない。だが革命から1カ月あまりあと,あいつは確かに最初に叫んだ1人だったという話を聞きつけて,本人に会いにいった。

 当時35歳だったその男性は,集会に出かけるときからヤジを飛ばすつもりだったと語った。「これは僕たちの革命になると確信していたから」。早くも小さな政党を作っていた。自由で民主的な社会の実現をめざすのだからと,党名は「自由民主党」。一番嫌いなのは一党独裁だといっていた。

 補注)現在の日本における安倍晋三政権のことは「安倍1強〔多弱〕」と形容されている。その政治の手法は民主主義政治体制とは縁遠いものになってしまった。専制的であり,独裁主義志向である安倍の内政・外交は,いずれも民主制にもとづく政治のあり方を全面的に否定している。

 本ブログ内ではすでに触れてみたブログ『郷原信郎が斬る』は,「国民の命を守るため,安倍内閣総辞職を新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を」(『郷原信郎が斬る』2020年2月14日,https://nobuogohara.com/2020/02/14/国民の命を守るため,安倍内閣総辞職を~新型肺/)とまで断言していた。

 この郷原と同じ意見はここ数日中に数多く登場している。安倍晋三の「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』命名である基本性格は,「幼稚で傲慢」「暗愚で無知」「粗暴で欺瞞」である「世襲3代目の大▲カ政治屋」が組む安倍政権の基本特性ともなっており,このたび発生した新型肺炎コロナウイルスの疫病的な蔓延に対しては,そもそも適切に対応できる能力や情報,知識をもとよりもちあわせていなかった事実(体たらく)を,より鮮明に浮き彫りにするだけであった。

 現在,厚生労働大臣である加藤勝信も,仮にお飾り程度の大臣としてでもいいからと思うのだが,その存在ぶりを明確に発揮しえていない。それよりも厚生労働省の「国家官僚たちの存在感」が,今回における新型肺炎コロナウイルス対策にさいしてめだたない印象があるのは,どうしてか?

〔大野博人の論説に戻る→〕 2001年10月のパリでのヤジの威力もなかなかのものだった。フランスとアルジェリアのサッカー代表チームによる親善試合があった。かつて植民地として支配した国と支配された国。アルジェリアが独立して初めての歴史的な対戦だった。

 しかし,試合前に仏国歌ラ・マルセイエーズの演奏が始まると観客席から激しいブーイングがわき起こった。試合中も仏チームにヤジの嵐。ついにアルジェリアの国旗をもった若者たちがグラウンドに乱入し,試合は中止になった。騒いだのはアルジェリアから来たサポーターではなかった。移民系のフランスの若者たちだ。

 移民を支援する団体の幹部にきくと,若者たちのアイデンティティーはむしろフランス人だという。生まれ育ったフランスの市民だと思っているのに,就職差別などに苦しめられる。その不満を,あまりしらない祖父母や父母の出身国にこと寄せてぶちまけたのだと。

 「和解の試み」を台無しにしたヤジを批判する声は強かった。しかし,植民地支配という過去の清算と移民の統合が,どんな問題をはらんでいるのか,ヤジはそれをあらわにしてみせた。
 補注)日本でもフランスのそうした問題「元宗主国と植民地〈国〉の関係」がないとはいえまい。実際にはあったが敗戦後,日本の政治はその問題をなるべく不可視あつかいのほうに押しやって,ごまかしてきた。したがって,だいぶあとの時期になって想起されだした従軍慰安婦問題(軍性的奴隷問題)などが現実の話題になると,たいそう嫌がる人びとが大勢いた。直視したくない「歴史の問題」であったからである。

 安倍晋三はその代表格であった。「歴史の上で実際にあった事実」であっても,必死になって「ないものにしておきたい」と願望する「戦前的な頭脳細胞の機能」が,全面的に発動させられてきた。こうした「歴史非感覚の持主たち」がいるかぎり,いまの若者層にも悪い影響を与える余地・契機を残していた。とくに「反韓感情」を意図的に醸成させようとする倒錯までが,その後における日本社会のなかでは新たに出現したりもした。

 もっとも,最近の若者たちのなかにはそうした反韓感情とはまったく無縁に,韓国の伝統・文化・芸術,それも現代的な様相に表現されている芸能関係にも自然体で興味を抱きながら付きあっている様相も盛んになっており,その意味では二極化している側面もある。

〔論説に戻る→〕 日本の国会では,ヤジは「議場の花」と呼ばれるそうだ。今国会でも変なのが咲き乱れている。

 選択的夫婦別姓についての野党議員の質問中に「それなら結婚しなくていい」とヤジが飛んで問題になった。でも与野党は発言者を特定しないことで合意してしまった。せっかく咲いたのなら名前くらい特定してあげればいいのに。

 と思っていたら,こんどは安倍晋三首相本人まで咲かせた。野党議員の質問に「意味のない質問だよ」。これを問いただされると,質問が「罵詈雑言の連続」だからと罵詈雑言で答える始末。

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 去年の夏,札幌市の街頭で演説中の首相をヤジった市民が警察官に取り押さえられた出来事を思い出した。花は議場では首相までが好き放題に咲かせるけれど,街頭で咲くと摘みとられるらしい。この国では主権者が咲かせる花はあだ花か。切ない。

 ヤジは人びとがやむにやまれぬ思いを吐き出す手段でもある。街頭のヤジが耳に届かなくなれば,為政者は主権者からの切実なメッセージを受けとりそこなう。政治家の仕事は,議場で同僚にヤジを浴びせることより,街頭でヤジを浴びることだろう。浴びる機会を警察が奪ってどうする。(引用終わり)

 どうということはなかった。ただ,安倍晋三という3流の「世襲3代目の大▲カ政治屋」が,現在のところ獲得できている「安倍1強〔狂・凶〕」に悪乗りしたまま,粗暴な政治,いいかえれば,権力濫用の為政をいい気になり振るってきている。安倍晋三という反動形成的な政治思想(?)しかもちあわせない政治屋のボクちんが,なしたこと・やったことといったら,日本の政治をただ瓦解・溶融させる一途であった。

 さて,前段に紹介した朝日新聞社編集委員大野博人の文章は,観方にもよるが,安倍晋三に対して「私が書いているこのような事象(政治現象)」が,日本でも実際に本当に起きたら,きっと「安倍君,あなたも完全に震え上がるよね」という含意がこめられていたものと解釈しておく。

 安倍君,それほどにまで聴衆から投じられて飛んでくるヤジが嫌だったのか? でも,自分が国会のなかで野党議員に対してならば,いままで,それこそたくさん放ってきたヤジに比べれば,どうということはなかった。それも,ごくまれに街頭に出たときに浴びた「アベ辞めろ!  コール」であった。自分が他者に飛ばすヤジはいかにようにでも許されるが,自分に向けられるヤジはなにひとつとして絶対に許そうとしない。

 だから「君はコドモだ」といわれてきた。ただし,君がコドモだろうとなんだろうとかまわない。問題は「こんな人」が日本国の総理大臣をやっていることにあった。それにしても,君のせいで日本の国益がどのくらい損壊されてきたか,君にはまだよく分かっていないし,おそらくこれからも,なにひとつ理解できないと思う。とはいってみても,ここでもう一度断わっておくが,新型肺炎コロナウイルス菌は,君のことなどいっさい「忖度」などしていないよ。

 それよりも,安倍君のほうからは,そのウイルス君の立場をよく尊重してあつかっていかなことには,これからも国民・市民・庶民たちがその病原菌にやられていく。しかしまた,そのことよりもさらに問題なのは,安倍君自身が『民主主義を破壊する病原菌じたい』になりはてている事実であった。

 安倍晋三の祖父には母方の岸 信介がいたが,この政治家はさておき,父方の祖父にもやはり政治家の安倍 寛がいた。晋三は信介が大好きらしいが,寛は完全に無視。ここからし安倍晋三は大間違いをしていた。だが,この大間違いというほどの間違いも体験できないまま,つぎのような経路をたどり,晋三が世襲政治屋となっていった顛末のほうが,いまの日本国にとってみれば,非常に深刻な事態(地獄絵?)を生むことになっていた。

 問題は,そんな「悲しいまでに凡庸」な人物が,長年にわたって日本政治の頂点に君臨し,この国の姿を変容させているという現実である。この逆説をどう解くかは,青木〔理〕が世の中に投げかけた課題であろう。

 註記)「『悲しいまでに凡庸』だった青年が日本政治の頂点に君臨し,この国の姿を変容させるまで 安倍晋三氏のルーツを探る」『AERA dot.』2019.4.23 17:00,https://dot.asahi.com/dot/2019041600052.html?page=4

 要は,首相になるにはもともと,とうていふさわしくない器でしかなかったこの安倍晋三が,現にいま日本国の首相であり,しかも最長の任期を誇るまでなった。実は,この不幸・不運な事実そのものにこそ,この国の腐敗・腐朽の実情・実態がもっとも正直に表現されているというほかなかった。

 だから,この2020年の2月中旬にもなったいまの段階ではあるが,『朝日新聞』が2月16日(本日)に書いた,つぎの「本日の社説」のごときに批評するほかない「日本の政治の崩壊状態」が急速に進展している。なかんずく,安倍晋三は民主主義の破壊者である。それ以外に形容することばは要らない。

 

 〈社説〉検察官の定年 法の支配の否定またも」朝日新聞』2020年2月16日朝刊

 法の支配のなんたるかをわきまえず,国会を軽んずる政権の体質がまたもあらわになった。東京高検検事長の定年延長問題をめぐり,安倍首相は〔2月〕13日の衆院本会議で,従来の政府の見解を変更し,延長が許されると「(法律を)解釈することとした」と答弁した。

 政府は,唯一の立法機関である国会が定めた法律にもとづき,行政を運営する責務を負う。詳しい説明もないまま,内閣の一存で法律を事実上書きかえる行為が許されるはずがない。

 先〔1〕月末,異例の定年延長が閣議決定されると,検察の首脳人事を思いのままにしようとする政権の暴挙との批判が巻き起こった。あわせて,検察官の定年年齢は検察庁法に明記されており,閣議決定は違法だとの声が国会の内外で上がった。

 政府は,定年延長の規定がある国家公務員法を持ちだして,問題はないと主張した。だが,その規定が導入された1981年の国会審議で,政府自身が「検察官には適用されない」と説明していたことが,野党議員の指摘で明らかになった。

 衆院予算委員会でこの点を問われた森 雅子法相は「詳細はしらない」と驚くべき発言をし,それでも延長できるといいはった。人事院の幹部が,現在も1981年当時と同じ解釈だと答弁しても,姿勢を変えなかった。さすがにこのままでは通らないと思ったのか,首相は過去の政府見解を認めたうえで,今回,解釈を変更したといい出した。ドタバタ劇もきわまれりだ。

 補注)適切な修辞たりうるか分からないが,安倍晋三のこうした首尾一貫しないデタラメ采配(?)は,日本の民主主義国家体制にとって反革命的な行為〉である。彼は「戦後レジームからの脱却」を盛んに口にしてきたが,一事が万事の要領でもって,為政のすべてをデタラメという基盤の上でとりあつかい,そして,その一々を破壊しつくしてきた。

 その結果,この国の〈森羅万象〉において,デタラメがデタラメでなくなるほどにまで,この国の様相を変態させてきた。つまり,国家体制そのものが自己破綻を招来させていても,これに対して鈍感である以上に,もとより気づかないでいる。それがために,当人である安倍晋三は,いわば超然(平然?)としていられるのであった。

〔記事に戻る→〕 制定経緯を含め,法律の詳細を検討したうえでの閣議決定だったのか。人事院内閣法制局から疑義は呈されなかったのか。機能不全を疑う事態だ。なんのために国会で手間ひまをかけて法案を審査するか,政権は理解しているのだろうか。

 法案提出者の説明を通じて,国民の代表がその必要性や趣旨を点検し,あいまいな点があれば解釈の確定に努め,場合によっては修正する。質疑のなかで示された見解は条文と一体となって人びとや行政機関を縛り,行動の指針になる。裁判で判断を導き出すさいにも参考にされる。

 ましていま問題になっているのは,強大な権限をもつ検察官の資格や職務を規定し,国民の統制のもとに置くために設けられた検察庁法である。定年延長を実施しなければならない事情があるのなら,当然,法改正の手続を踏むべきものだ。

 安倍政権には,積み重ねてきた憲法解釈を一片の閣議決定で覆し,集団的自衛権の行使に道を開いた過去がある。今回の乱暴な振る舞いも本質は同じだ。民主主義の根幹を揺るがすおこないを,認めることはできない。(引用終わり)

 『朝日新聞』の社説としては1月ほど前,2019年12月13日にも,「安倍政権 道理失う ご都合主義」という論題で立てて論じていた。こちらも,安倍晋三をきびしく批判していた。この論説はそれなりに評価を受けていた内容であった。だが,朝日新聞社には安倍晋三との関係では,まだある問題があった。その点をつぎの ⑧ で論述したい。ここまでとりあげ批判してきた「問題点」に対する説明というか,ひとまず弁明みたいな論旨が開陳されている。

 

  「〈Media Times〉)首相と会食,権力との距離は 記者ら,飲食ともにする『懇談』」朝日新聞』2020年2月14日朝刊31面社会

 安倍晋三首相と報道関係者が会食することへの批判が高まっている。「桜を見る会」をめぐり首相が追及を受けていた昨〔2019〕年11月と12月,内閣記者会に所属する記者が飲食をともにする懇談会に参加したことに疑問が出た。メディアと権力の距離はどうあるべきなのか。

 内閣記者会は首相官邸を取材するメディアでつくる記者クラブ。全国紙や在京キー局など19社は「常勤幹事社」で,首相との懇談会の誘いを受けた。現場の記者を束ねる各社のキャップを対象とした懇談会は昨〔2019〕年11月20日夜,東京・平河町の中華料理店で開かれ,各記者が6千円の会費を払った。首相番記者対象の会は12月17日夜,神田小川町の居酒屋で開催された。会費は4500円だった。

 ともに開催日の直前に広報担当の首相秘書官が各社に声をかけ,大半の社が出席した。その理由を共同通信は「最高権力者である首相の肉声を聞く貴重な場」,読売新聞は「貴重な取材の機会」と説明する。

 朝日新聞は「首相の言動を最前線でチェックすることは政治を担当する記者の役割」との立場で,社内で議論したうえで出席を決めた。番記者懇談会への出席にあたっては,「官邸内で食事はなしで開催して欲しい」と官邸側に申し入れたが,実現しなかった。

 補注)『読売新聞』(『ゴミ売り新聞』)は実質,安倍晋三〔個人とこの政権〕のための拡声器を役目を遺憾なく果たしている。前川喜平文部科学省次官が現役だったときに事実無根のデッチ上げ記事を,それも内閣情報調査室の情報源を利用させられるかたちで,報道していた。

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 出所)「安倍首相 ハガティ米大使夫妻と野球観戦 渡辺恒雄氏同席」毎日新聞』2018年3月31日 00時42分,最終更新 3月31日 09時08分,https://mainichi.jp/articles/20180331/k00/00m/010/149000c 

 この新聞社の幹部記者も含めてこのように,「最高権力者である首相の肉声を聞く貴重な場」(共同通信)だとか「貴重な取材の機会」(朝日新聞)だとかいって,のこのこ出かける必要があるはずが,どうしてもあるとはとても思えない。

 常識で判断できることがらである。そもそも渡邉恒雄安倍晋三との仲はどういう関係としてあるのかについて,新聞界の人間がしらないわけがない。

〔記事に戻る→〕 一方で,毎日新聞は欠席し,朝日新聞の取材に「総合的な判断」と回答した。

 補注)なお『毎日新聞』の記者がその後,官房長官の定例記者会見ではまともに質問をするようになったとか。とても分かりやすい「官邸側と毎日新聞社側との」「前後関係に即した経緯が発生していた」ことになる。

 こうした懇談会は,首相によって開いたり開かなかったりだ。慣例で詳細を直接記事にしないオフレコがルールだが,各社は時々の政治課題などについて首相とやりとりし,関心や考え方をさぐる。ネットでは「本音が聞けても報道しないのであれば問題」「懇談のオファーがあった時点で拒否すべきだ」といった批判的な投稿があった。

 朝日新聞の読者を代表する立場から編集部門に意見を伝えるパブリックエディターの見方は分かれた。エッセイストの小島慶子さんは「読者の目は厳しい。会食で不信感を抱く」と批判した。社会活動家の湯浅 誠さんは「懇談に出ない選択肢はない。なぜ出るのかを読者に伝えるべきだ」と指摘した。

 上智大の音 好宏教授(メディア論)は「強大な権力をもつ首相に厳しく向き合い,国民への説明責任を果たさせるのが,内閣記者会の本来の役割。それができず,内輪の関係でご飯を一緒に食べたと国民に映った」と話す。

 補注)このとおりである。あえて,両者間には「距離を置く」配慮がぜひとも必要な業界の人たちが,「内輪の関係でご飯を一緒に食べた」という印象しか与えないことは,いったいどういう意味になるのかついては,わざわざ説明する必要もない。この程度の関心事について甲論乙駁するみたいな議論を要するとしたら,それこそ無駄な話しあいというか時間の浪費である。

 首相との会食は記者会に限らない。本紙首相動静欄を調べると,新聞,テレビの経営幹部との会食は月に1~2回程度開かれている。朝日新聞の経営・編集の幹部は2014年以降,会食はしていない。

 一方,先月10日に東京・京橋の日本料理店で各社のベテラン記者ら7人が首相を囲んださいには,曽我 豪・朝日新聞編集委員山田孝男毎日新聞特別編集委員が参加。本紙「声」欄には「記者の基本的な姿勢に対して読者に疑問を抱かせる」と批判が寄せられた。

 補注)こちらのほうの「首相との飲食の機会」は,朝日新聞社の場合,曽我 豪が常連というか担当係になっている。が,つぎのいいわけはコジツケの域を出ない。そもそも,いっしょに安倍晋三とメシを食わねば,「権力者がなにを考えているのか記事ににじませようと考えている」ことができない,というふうに聞こえる発言は,記者としての基礎的な取材能力に関する詮議を,あえて忌避したいいぶんに聞こえる。

 曽我編集委員は「独善に陥らず適正な批判をするには直接取材が不可欠だ。権力者がなにを考えているのか記事ににじませようと考えている」と話す。会食は記者側が主催し,首相の分も費用を出しているという。

 米国でも大統領と記者の関係が問題になることは少なくない。米国政治に詳しい上智大の前嶋和弘教授によると,テレビ中継もされるホワイトハウス記者会主催の晩餐(ばんさん)会では,記者と大統領が親しげに会話したこともあった。前嶋教授は「記者に認められた特権だという批判は多い」と話す。「権力者はつねに記者を手なずけ,情報をコントロールしようとする。嫌われても彼らにとって都合の悪い情報を書く覚悟がいる」。

 補注)本ブログ筆者が最近読んだかぎりでいうと,曽我 豪の文章は生ぬるい中身でしかなく,安倍晋三のために「チア・ガール的な支援」の立場を,確実に披露してきた。

 首相に直接の取材をしてきたジャーナリストの田原総一朗氏は「オフレコが原則の飲食を伴う取材に問題があるわけではない。本音を聞き出せる貴重な機会だ」と話す。一方で「『安倍一強』体制のため自民党イエスマンだらけで,メディアは権力批判をすると情報が取りにくくなるため,自由が弱まっているようにみえる。オフレコでも大事な話を聞いたら,懇談会後に記者会のなかで『これは書くべきだ』と議論をすればいい。権力とどう向き合うか,記者クラブの役割が問われている」と指摘する。

 補注)この「権力とどう向き合うか」という肝心な点について,曽我 豪の書く文章に接したかぎりでは,不詳である。ここでこそ,という個所になればなるほど,結局は韜晦になっている文章しか書けていないでいる。要は,初めから限界のある,つまり「寸止めの筆法」しか使えないでいる。そうした文章を読まされたほうが不満を感じるのは,当然である。

 そういえば,『朝日新聞』2月2日朝刊の「日曜に想う」は,曽我 豪が執筆していた。最後の段落がだいぶ奇妙な表現になっていた。なにをいいたのか? それも誰に対して,そういったつもりなのか? みずから韜晦に徹する立場を懸命に工夫しなければならなかった表現法を駆使するというのは,記者であるこの人にとってみれば,実に気の毒というか「みじめ」だと感じる。

 その2月2日「日曜に想う」のなかで曽我は,最後の段落をこう書いていた。この部分の含意はいかようにでも受けとれる。だが,このようにしか書かず(書けず?)に韜晦しておき,「天」域に逃げるかのような文章の構成のなかには,そもそも,曽我自身が避け切れないでいる問題(=限界:制約)があった。気の毒といえば気の毒でもある。


〔「〈Media Times〉首相と会食に戻る  ↓  〕

   間近で肉声を聞く,葛藤しつつ取材尽くすため

    = 政治部次長(政権担当)・円満亮太)〔のいいぶん〕=

 政治記者とは矛盾をはらんだ存在だと思います。政治家に肉薄してより深い情報をとることを求められる一方,権力者である政治家に対しての懐疑をつねに意識せねばなりません。

 厳しい記事を書けば,当然取材先は口が重くなる。しかし,都合の良いことばかり書くのは太鼓もちであって新聞記者とはいえません。また,取材の積み上げがなければ記事は説得力をもちません。政治記者が葛藤を抱えつつも重ねた取材結果が,朝日新聞には反映されています。

 政治家と時に会食することに,少なくない人びとが疑いのまなざしを向けています。とりこまれているのではないかという不信だと思います。官邸クラブの記者が首相との会食に参加したことへのご批判はその象徴だと受けとめています。

 私自身,かつて官邸キャップとして内閣記者会と首相の会食に参加しました。オフレコで直接の記事化はできないルールであっても,間近に顔をみて話を聞くことで,関心のありかや考え方など伝わってくるものがありました。

 今回の首相との会食への参加には,社内でも議論がありました。桜を見る会をめぐる首相の公私混同を批判しているさなかです。しかし,私たちは機会がある以上,出席して首相の肉声を聞くことを選びました。厳しく書きつづけるためにも,取材を尽くすことが必要だと考えたからです。とりこまれることはありません。そのことは記事を通じて証明していきます。(引用終わり)

 さて,曽我 豪は,官邸側に絶対に「とりこまれていないのか」? 曽我が実際に書いている文章は,なぜか「安倍晋三を直接に意識したそれ」が多い。この点はいうなれば,曽我がどこかにとりこまれているとか・いないとかいう「説明・解釈」「以前の問題のありか」を指示している。曽我はそれなりに,朝日新聞社のなかでは有用な役割を果たしているとしても,である。

 いかんせん,他者に対しては最後まで説明しきれていない問題点(違和感)を残していた。一番説明してほしいところが,どうしても説明しきれていない。いわゆる「スシ友である安倍晋三との関係性」は,時事通信社の幹部であった田崎史郎がもっとも有名であるが,この人の発言ひとつひとつが,実に嫌らしい意味をもっていた。

 要は,この田崎史郎は,安倍晋三の腰巾着・太鼓持ち幇間であり,しかも,彼自身がゴマすり棒を化身させている。記者の風上にも置けないエセ記者。

 朝日新聞社がいくら以上のように〈自社の構え:基本姿勢〉を意識した説明を弁明的にしてくれたところで,不自然に感じてしかたのない “残りカス” は消えないでいる。

 一方で,『朝日新聞』や『毎日新聞』や『東京新聞』の反極側に立っている『ゴミ売り新聞』や『惨軽新聞』は,「権力側との緊張感」などとは無縁であり,まさしく政権とのベッタリズムを実践する新聞社として存在する。こうした実情のなかで,朝日新聞社のように気張って「自社の置かれている立場」を一生懸命に説明してみてくれたところで,かえって,なにかを変に感じるほかない。

 というのは,そもそも『ゴミ売り新聞』や『惨軽新聞』は「社会の木鐸」らしさなど皆目なく,以前より完全に喪失していたのだから,こうした「反社」的な新聞紙の存在のために,いくら『朝日新聞』や『毎日新聞』や『東京新聞』ががんばっていたところで,新聞業界全体が「ひとつのまとまり」としては,完全に足を引っぱられている現状に変わりはない。それは,安倍晋三の立場にとってみれば,きわめて好都合な新聞業界の様相である。

 

 【参考記事】 本日の夜に閲覧することになった,⑧ までの記述に参考になるつぎの記事を紹介しておく。なお,⇒(  )は原文でリンクが張られている文句である。興味ある人は『くろねこの短語』のほうでじかに参照されたし。

 ◉「ペテン総理との会食についてお粗末な言い訳する朝日新聞!! 東京新聞・望月記者を叩きまくる毎日新聞!!」『くろねこの短語』2020年2月16日,http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-867972.html

 新聞・TVの幹部や内閣記者会が,たびたび初老の小学生・ペテン総理と会食していることについて批判が殺到なんだが,なんと朝日新聞が「首相と会食,権力との距離は  記者ら,飲食ともにする『懇談』」と見出しをつけて,いいわけにもならない記事を載せている。

 一読すれば分かるけど,いったいなにがいいたいのかさっぱり分からない。なぜなら,署名原稿でありながら,書き手の意見がまってたく反映されていなくて,単に関係者はこういっているという報告にしかなっていないからなんだね。

 そして,原稿の最後は,「オフレコが原則の飲食を伴う取材に問題があるわけではない。本音を聞き出せる貴重な機会だ」なんて電波芸者の田原君のコメントで締めくくっているんだもの,これではちょいと批判に答えてみましたっていうアリバイ作りみたいなものだ。もっとも,アリバイ作りとしても相当にお粗末な原稿だけど。

 読者から名指しで批判された,朝日新聞編集委員でひょっとこのゴーストライターでもある曽我君は,「独善に陥らず適正な批判をするには直接取材が不可欠だ。権力者がなにを考えているのか記事ににじませようと考えている」とさ。こやつの書く原稿のどこに「適正な批判」なんてのがあっただろうか。だったら,まずはひょっとこ麻生のゴーストライターの件を説明してみろ,ってなもんです。

  ⇒(文春の麻生手記は朝日新聞・曽我 豪氏による代筆だった)

 でもって,ペテン総理との懇談に参加しなかった毎日新聞なんだが,なんのことはない裏では官邸とツーカーのようで,政治部の官邸キャップが東京新聞の望月記者を叩きまくっている。下衆な野郎だ。

  ⇒(「望月記者は指させない」…事実に反するツイート拡散 菅長官会見巡る異常事態)

  ⇒(望月『東京』記者に示した『毎日』官邸キャップの “忠告” の中身)

  ⇒ 毎日新聞は望月記者を何故叩くのか? メディア関係者らが語る「記者会の闇」

 要するに,朝日も毎日も,読者を舐めてるんだよね。高給を食むなかで,「権力の監視者」なんてことを考えてみたこともないに違いない。記者会見に出たことがあるけど,その時の記者の態度はけっしてほめられたものじゃありませんでしたから。ほとんどの記者がノートパソコンに向かってバチバチと記者会見の内容を入力しているだけで,まともな質問なんか出てこないんだから。

 それはともかく,「最高権力者である首相の肉声を聞く貴重な場」(共同通信),「貴重な取材の機会」(読売新聞),「首相の言動を最前線でチェックすることは政治を担当する記者の役割」(朝日新聞)なんて木で鼻をくくったようなコメントしているようじゃ,新聞は絶滅危惧種としてひたすら終末に向けて歩くつづけることになるだろう。

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