社会科学方法論-高島善哉の学問(1)

       高島善哉「社会科学の基礎理論」(1)

                   (2014年11月16日)

 

  要点:1 高島善哉の学問・方法論

  要点:2 現代の社会科学方法論は,高島善哉を超えられるか?


  高島善哉の著作

 1)「とてもかなわない高島善哉-」(2009年1月5日)

 『私信雑録-「とてもかなわない」ノート-』(「とてもかなわない」人たちの魅力の周辺を綴る雑記帖)というブログは,高島善哉についてこう語っている。

 高島社会科学の〈創造の魅力〉は,独自の「ことば」に示されている。「本来の自然-人間的自然-社会的自然」の構造・局面・状況,「体制の構造」「経験的自然法」など,高島独自の用語は魅力に満ちている。

 「社会科学の基礎理論」として〈思想の磁場〉から〈科学へ探求〉の針を降ろしていく「方法態度」など,「理論と思想」「科学と世界観」の切ってもきれない結びつきをいいえて妙である。以上は『高島善哉著作集』(後掲)に当たってみれば納得できる,ついていける,一緒に問いかけ探っていく,という感じになれる。

 高島善哉は,視点を定め,ある方法にそって探求の歩を進めていく態度を「方法態度」という言葉で表現し,思想と理論を結びつける「ことば」として多用している。とりわけ〈科学をもたない思想〉〈思想のない科学を戒める高島の考えかたは,たとえば『社会思想史概論』(岩波書店)の「終章」がくわしく論及している。

 「市民社会派」としてよく引き合いにだされるのは高島善哉大河内一男大塚久雄丸山真男,内田義彦,平田清明である。

 『社会思想史概論』終章は大塚,丸山,さらに清水幾太郎務台理作を批判しているところをみるに,ひとつに括りきれない高島独自の視点があるのではないか。それは,近代イギリス思想史のホッブズ,ロック,スミスに代表される経験的自然法にそのモデルをみてとり,単なる思想だけではなく,また理論としての理論でもない,双方を含む「近代の社会科学観成立の梃子」として位置づけられている。

 高島は「主体-客体の論理」という表現も使っていた。「本当に客体を掴まえなければ個(主体)の確立はありえない」。青年にとってはこうした哲学的ないいまわしが体内に響いてくる。たとえば『実践としての学問-日本的知性批判のために-』(第三出版,1973年)がそうであるが,これまでのとっつきやすいが,同時に生ぬるい人生論の虚しさを噛みしめた思いにさせられる。

 『マルクスとヴェーバ』(紀伊國屋書店,1975年)は高島の社会科学的断想として,入門書としても専門書としても魅力を感じている。分からなくてもついていけそうなところが,また引っぱっていく力を感じさせるところが気に入っている。視野の広さも魅力である。

 註記)http://www.ai-shobo.com/zatu10.htm

 f:id:socialsciencereview:20200217061423j:plain

 出所)高島善哉1986年8月撮影。山田秀雄編『高島善哉 市民社会論の構想』新評論,1991年,口絵より。

 2)『高島善哉著作集』全9巻(1997年1月~1998年11月)

 本ブログの筆者は高島善哉の著作,そのほとんどを読んでいるつもりである。しかし,以下に紹介する著作集を一覧するとさらに参照しなければならない著作がありそうである。

 こぶし書房のホームページに出ている『高島善哉著作集』全9巻(1997年1月~1998年11月)の解説を,以下に紹介する。なお解説(概要)の付されていない第3巻,第9巻もある。

 註記)http://www.kobushi-shobo.co.jp/search/s2785.html

 『高島善哉著作集 第1巻-初期経済学論集-』1998年11月。--未発表の「卒業論文」を初めて公開。経済学批判に挑んだ若き高島の情熱と学問が,いま蘇る。綿密な考証による著作目録と年譜を付す。

 『高島善哉著作集 第2巻-経済社会学の根本問題-』1998年3月。--言論統制の戦時下の荒野に燃えた抵抗の書。スミスとリストを究めて,資本主義社会の克服を展望した若き高島善哉の処女作。

 『高島善哉著作集 第3巻-社会科学と愛国心-』1998年5月。--概要なし。

 

 『高島善哉著作集 第4巻-現代日本の考察-』1998年1月。--地理学的・文化人類学的・哲学的な風土論を批判的に考察し,風土論の再構築をめざした「ナショナリズムの社会科学論」。

 『高島善哉著作集 第5巻-民族と階級-』1997年1月。--20世紀は民族とナショナリズムの問題に席を譲った。21世紀はどのような時代になるのか。民族とは何かの問いに答える。

 『高島善哉著作集 第6巻-アダム・スミス市民社会体系-』1998年7月。--体系的な「市民社会」概念を構築し,スミス思想の全体性と躍動性を甦らせ,世界のスミス研究に一時代を画した畢竟の大著。

 

 『高島善哉著作集 第7巻-マルクスウェーバー-』1997年11月。--「マルクスヴェーバー問題」を,アダム・スミスを媒介として解明し,両者の二重性を正しく把握してうち立てられた高島社会科学。

 『高島善哉著作集 第8巻-現代国家論の原点-』1997年9月。--政治的共同体と経済的共同体の統一体としての市民社会という観点から「国家発生の秘密」と必然性をさぐり,国家論の原点に迫る。

 『高島善哉著作集 第9巻-時代に挑む社会科学-』1998年9月。--概要なし。

 

  高島善哉「社会科学論」:『実践としての学問-日本的知性批判のために-』第三出版,1973年

 高島の理解にだけかぎった話ではなく,どの学者の研究に関してもまず手始めとして,その研究業績を時系列的に追跡することが無難な接近となる。しかし,本ブログの筆者は今回,高島『実践としての学問-日本的知性批判のために-』1973年に注目することから始める。そのあとで高島のほかの著作に目を向けていく予定である。

 1)   高島善哉『実践としての学問-日本的知性批判のために-』1973年

 最初に,本書の第4章「社会科学の眼」に言及したい。--「人間不在の社会科学」といわれるのは,社会諸科学があまりに細かく専門化し,そのために本来の意味が忘却されたせいである。なんのための社会科学であるのか忘れられている。

 経済学は近経とマル経に分化・対立しているのみならず,近経もマル経も研究者相互間の交流が困難であって,相互に共通する場をもてないでいる。それも,おたがいがすぐ隣りあわせの場に住まいながら,まったく話が通じていない。

 アダム・スミスは,分業は労働の生産力を増進させる最大の原因といったけれども,分業はその反面に協業を踏まえており,この協業がない分業はエネルギーの浪費であると教えていた。

 社会科学における人間不在をとり戻すために,とくに大学の学習課程において共通の広場を開くためには,専門講座制の代わりに総合講座制が必要である。社会科学者にとっての「共通の広場」は,「歴史と社会のなかに生きている人間」,すなわち「歴史的・社会的人間である」事実を把握することを要求している(88-89頁)

 2)   丸山眞男『日本の思想』岩波新書,1961年)

 丸山真男『日本の思想』1961年は,専門化しすぎておたがいに話のつうじなくなった社会諸科学について「タコツボ型」だと指摘した。高島もとりあげていた丸山の同書は,第3章「思想のあり方について」で,つぎのように論及していた。

 「学際研究という学問的アプローチ」はその成否は別としても,近代日本が和魂洋才・羊頭狗肉の学問の専門化を推しすすめたことに対する反省であり,「学問のための学問」を超えた本質的なものへと近づこうとする試みである。西洋には教会など共通の基盤があり,細分化が進んでも価値の根幹の部分は共通しているために学際的交流の余地はあるという(ササラ型)。

 しかし,日本にはその基盤がなく,細分化していくとおたがいが不干渉になり,共通の言語もなくなってしまう。するとすべての意見が相対化されてしまい,その意見が互いに通じなくなり敵対関係・派閥意識を生むこととなる(タコツボ型)。

 つまり,ヨーロッパの学問の根底にあって,学問を支えている思想あるいは文化から切りはなされ独立に分化し,技術化された学問のワクのなかに,はじめから学者がスッポリはまってしまった。おのおのの科学を掘り下げていくと共通の根にぶつからないで,各学科がみんなタコツボになっている。

 これではいくら専門化したところで,それはその学科での理論的進歩であって実践的価値は生まれない。たとえば,医学的にクローンを作ることが可能になっても,倫理学的・経済学的見地など,学問のワクを超えて見直されるべきである。

 こうしたタコツボ型の危険性は,「自主的なコミニュケーション」がないためにステレオタイプにとらわれたまま,専門外のことを判断しがちな点にある。そのため「専門外」の者から意見されたときに,周りは「解っていない」などと無駄な被害者意識を抱くことになる。また,マスコミュニケーションはこうしたタコツボ型社会において,唯一の縁であるような思いこみを生むものとして存在する。

 しかし,他方では情報の均質化,それも学際ではなく単なる事実としての情報になり下がる,といった深刻な問題も孕んでいる。こうしたタコツボ型を克服するには,積極的に超学問的なアプローチを試み,「共通言語」を探るべきである。また,より実践的には,個人が自発的知識欲によって学際研究をおこない,共通した基盤がなくとも十分領域を越えた思想体系が生まねばならない。

 註記)以上,http://www.geocities.jp/nymuse1984/nihonnosisou.html 参照。

 3)   生命と生活の再生産-『経済の原点』-

 人間はなによりもまず第1に「生命の生産と再生産を欲する動物」である。家族・婚姻などの両性間的問題が人間にとって最大の関心事となる。そのために人間はさらに,生活資料とこれを獲得するための生産手段を入手しなければならない。これは一般に『富作りの問題』と規定され,いわば『経済の原点』を意味する。

 人間は第2に,家族から国家に至るまで相互の支配と被支配の関係を抜きにして共同生活〔社会生活〕を営むことはできない。経済面の発達はこの重要性を増し,政治の問題である『国作りの問題』の規定を要求する。

 最後に,社会成員の教育,とくに青少年の問題があって,これなしに人間の協働生活は完成しない。教育は政治や経済と並んで人間共同体の3本の柱のひとつである。経済は富作り,政治は国作りだとすれば『教育か人作り』だと規定できる。かくてこれら3本の柱は,結局合わせて1本になるべきものである(高島『実践としての学問』89-90頁)

 人間の共同生活は歴史的な生活でもあるから,政治と経済と教育において生きる人間は,社会的人間であると同時に歴史的人間である。人間はもともと歴史的・社会的動物である。現在の社会科学者はまず,この基本的な命題に立帰り,この命題と自己の専門作業とを連結する心構えが求められる。共通の広場との連関において自分の畑を耕すという作業態度が求められる。

 現代の社会科学に人間が不在であるといわれる意味は,社会科学者それ自身の問題として「生きた思想」をもたないただの技術屋となった点にある。思想と歌学の生きた連関は相関的に把握されねばならない。「思想のない学は生命のない肉体も同然である」。「科学のない思想は肉体のない精神であ」る(90頁)

 4)   社会科学の特質

 哲学思想史は宗教思想史・芸術思想史・文学思想史・倫理思想史として現前し,自然科学思想史と社会科学思想史とに分かれるが,これら思想史はすべて,歴史と生活のなかで生きている人間の思想の軌跡である。文学者は内から外へ,社会科学者は外から内へと人間を掴もうとする。すなわち,文学者がある特定の個人のうちに人間性一般の真実を探しあてようとするのに対して,社会科学者はある特定の個人主体のうちに社会的主体をみさだめようとする(91-92頁,93頁,97頁)

 政治にしろ経済にしろ教育にしろ,この世界における人間の営みは,個々の個人の行為であって,しかも単に個々の個人の行為ではなく,実は社会的行為である。それは,諸個人の行為の集合体を足場としておこなわれ,みずからもその集合体の一部となり,そこからさらに新たな集合力を作出する。しかもこの作出力の大小によってその個人・主体の社会的影響力の大小が測定される。もっとも医大な革命的・英雄的行為にしても,そのような個人主体の総則的な論理から事由ではありえない。

 社会科学者は人間の外枠だけを観ているという非難は当たらない。ただ,そういう非難を甘受する社会科学者が少なくない。もっとも大切なことは,現代の社会科学にとて,社会的主体の意識が抜けて落ちたことである。いまの社会で政治を動かし,経済を動かし,教育を動かしている主体はなにかという意識が,ある種の学者のあいだではまったく欠落している(97-98頁)

 5) 個人的主体と社会的主体

 個人的主体と社会的主体の相即的関係の保持が重要であるものの,その緊張関係の意識だけでは社会科学は生まれてこない。そのふたつの主体のあいだの階段をひとつひとつ登っていく必要がある。そこで社会科学者の仕事は,個人的主体と社会的主体のあいだを媒介することにあるゆえ,この媒介が不十分では「理論と実践の混同」が起きたり,「主体と客体のとりちがえ」が生じたり,あるいは「意識と存在の転倒」が不可避になったりする。いわゆる〈短絡の論理〉である。

 個人的主体と社会的主体の相即的関係は「内から外へ」「外から内へ」の相互の対比関係で表現できる。前者は文学者的な発想,後者は社会科学者的な発想という対照になる。その「内から外へ」と「外から内へ」との「不断の往復運動」は,絶対に必要不可避の課題であり,このような往復運動を哲学的に表現すれば「個人的主体と社会的主体の連関=相互媒介」となるわけである(99-100頁)

 

  社会科学の原点は人間である-風土概念の登場-

 1) 風土概念の提起

 まず,社会科学者にとって原点は人間〔の問題〕である。最後に復帰する問題,これが人間であるからである。つぎに,社会科学者が問題とす人間は,なによりも社会的人間である。それも社会のなかに住んでいる人間である(高島『実践としての学問』101頁)

 ここで高島善哉は《風土》という概念をもちだし,議論を展開する。というのは「人間は世界市民であると同時に国籍をもった人間である」からで,しかもこの「国籍というのは法律的な国籍をいうのではなく」「生まれ落ちたときからその血肉のなかにいわば体質としてとけこんでいる国籍のことをいう」からでもある」(185頁。ここからは第8章「ナショナリズムインターナショナリズム」)
 
 高島は,前段で記述した対象を《風土》ということばで表現する。この風土には自然的風土もあれば,社会的風土もあるし,さらに精神的風土もある。風土=自然的風土と狭くとってはいけない。自然的風土を社会的風土と精神的風土とのあいだには,不断に相互作用がおこなわれている。「風土というものを一定普遍な,超歴史的なものととってもいけない」。「風土概念の設定」によってこそ初めて,ナショナルなものをまっとうに掴みとることができる(185頁)

 この風土の概念も生かして nation を民族として把握することにすれば,ナショナリズムインターナショナリズムの関係が,ブルジョアジーの立場だけからではなく,プロレタリアートの立場からも有効に認識できることになる。植民地解放運動では民族の解放・独立が標榜された。

 資本主義的近代化の旗には国民国家の統一と書かれていたのに対して,社会主義的近代化の旗には民族の自主独立と書かれていたではないか。いまや,ナショナルなものとはなにか深く思いをめぐらすときが来た。高島の問題提起はここから始まっていた。風土とはなにか?(185-186頁)

 2) 社会科学論としての風土概念

 風土とは人間にとっての自然環境を表わすことばであったが,人文地理学の述語で用いられると「人間にとってのただの自然環境」というだけでなく,「人間と自然との交渉の結果として生まれた自然環境という意味を帯びるようになった。そうすると,風土は長い歴史的年月のあいだに人間との交渉の結果としてできあがってきたもの,すなわち〈自然的なもの〉と〈歴史的なもの〉との合成物という意味が付加されることになる(186-187頁)

 そこまでは人文地理学者の仕事であって,社会科学者はこのような風土の観方をもう一歩進めて,社会そのものに適用し,社会的風土という概念に到達することになる。もうひとつある。人間は社会に住みながらさまざまの精神的・文化的活動を営むのであり,この社会のなかに蓄積されている伝統や思想傾向によって規定されてくるゆえ,これを自然的風土ならびに社会的風土に対して,精神的風土としても概念化できる(187頁)

 以上に登場させた3つの風土は,現実にはひとつのものとして現われ,けっしてバラバラに存在していない。というのも人間がもともとひとつの存在であるからである。人間は一方からみれば自然物,哲学的には自然存在であるが,他方からみれば社会的存在であると同時に,精神的存在である。もともとひとつである人間において,この3つが結びつけられ統一されている。もっとも,人間はただこれらの3つの風土を結びつけて統一するだけでなく,そのまえに,この3つの風土が人間のありかたを左右し,決定づけているともいいうる。

 そのように人間と風土とのあいだにはつねに二様の関係がある。風土はただ与えられたもの,人間にとってにっちもさっちもいかない運命的なものと受けとってはならない。人間はその技術・その組織活動・その文化創造によって,三種の風土をいろいろと作りかえ発展させていくのである。かといって,今日から明日,今年から来年というように,まるで状況のようにかわっているものは風土ではない。風土といえるからには,相当長いあいだ人間の肉体的ならびに精神的生活のなかへ沈殿し,体質化してしまって,いわば第2の天性と化している。

 人間はそれぞれ独特の文化・独特の集団・独特の自然をもつものとして現われてくる。このことは,人間としてはすべて平等であり,人間は人類社会の一員としてすべて対等であるという思想と矛盾するものでもない。ナショナリズムインターナショナリズム民族主義世界市民主義の関係も,風土概念を媒介にしてみれば,少なくとも理論的には非常にすっきりしたものとなる(187-188頁)

 3) 社会科学論における風土の概念-日本の社会的風土-

 高島は,風土概念を人文地理学者の手から解放し,社会科学の畑にとり入れねばならないと考える。風土の問題は社会科学だけでは処理しきれず,まず哲学の助けを借りねばならず,さらに文学・芸術・宗教などすべての種類の学問の力も借りねばならない。それほど風土の問題は内容が豊かである。それもそのはずであって,ナショナルなものの解剖と同じ意味をもつからである(188頁)

 現代の社会科学に人間が不在だと非難されるようになったのは,社会科学の責任というようりはむしろ社会科学者の責任である。風土論においても,社会的風土が社会科学者にとって「本来の研究テーマ」である。ただ,自然的風土論から引きはなされた社会的風土論ではな困る。それでは民族の神秘の扉は開かれない。民族というものは,自然的なものと歴史的・社会的なものとの合成物だからである(189-190頁)

 日本民族はもともと農耕民族であり,とりわけ水田耕作民族であった。自然環境から来ているこの風土の特性が,日本人の衣食住の素材と形態を規定し,さらには日本人の共同体意識を規定した。衣食住の問題は,社会科学者の眼からみれば明らかに「経済の問題」であり「生産の問題」である。日本民族が近代的な民族国家を形成するに至った以前の,おそらく1万年もの長期間,このような生産の条件のなかで民族の火を燃やしつづけてきた。

 これが日本人の部落意識→集団意識→ひいては国家意識の上に,まさに〈日本的〉といわれるある独特の刻印を押しつけるようになった。天皇を中心とする一大家族国家のエトスは,そのような長期間の歴史のなかで,自然と人間とのあいだの相互作用が繰りかえしておこなわれ,いわばひとつの民族的な体質にまで固まってきたものではないか(190頁)

 日本ではよく封建的と前近代的とが混同される。しかし,前近代は必ずしも封建制の時代とは限らない。ただ,近代化が封建的なものに対して呼ばれるために,そうなっていた。高島が「社会的風土」としてとりあげるのは,そのような封建的なものの基盤としてそれ以前から引きつがれ,封建的なもののなかに溶けこんでいる日本人独特の社会的なエトスを指している。これは封建制が資本制にかわっても,そう簡単にやすやすとかわってしまうものではない。

 今日,封建制といわれるものでも,あれ〔明治維新〕から百〔147〕年も経っているのに,なかなか日本人の生活感情のなから払拭されつくしていない。もちろんそれはしだいに払拭されていくが,社会的風土のほうはもっと粘り強く,日本人の社会的体質として残るに違いない。体質だから人間の手によって改変できるとしても,それにはまた長い年月が必要となる(190-191頁)

 4) 精神的風土の問題

 精神的風土は,自然的風土および社会的風土から独立に作用しないけれども,いちおうこれから切りはなして考察できる。たとえば,日本人のもののみかた・考えかたはどうか,日本の文化体質は,というような問題として提起されている。日本文学や日本の芸術についてもいえるが,こちらのばあいは感じかた・みかたというよりは,表現のしかたがまず第1に興味をそそる。とくに日本人が異質の先進外来文化を受けいれるときに示した独自の態度,たとえば日本文化の受容性・雑種性の論議などがそれである。これも戦後ナショナリズムの復活に支えられてのことである。

 そうだとすれば,一面において日本の精神的風土に対する関心の高まりを高く評価すると同時に,他国においてそれが死の灰から再び甦りつつあるかのようにみえるうしろ向きの,古いナショナリズムに対する精神的支柱となる危険もある。すべてのナショナリズムの問題は両刃の剣である。だから,ナショナリズムや風土の問題は,ブルジョアジーとかプロレタリアートとか,そういった階級対立の問題以前の問題であるともいえる。日本の社会科学者は,学問を学ぶ知識人として,以上に論じた一連の問題にどのように対決すればよいのか(191-192頁)

--------------------

 【未完・続く】⇒ 「本稿(2)」は,以下である。  

--------------------

※ 以下の画像には Amazon 広告へのリンクあり ※