東京外国語大学国際社会学部ゼミ学生が「日本人の定義」をしらないで「日本人とは誰か」とアンケート調査した「国際社会学の無知」

「誰が日本人であり,また,そうではないか」と問いたかったのか,東京外国語大学国際社会学部ゼミ学生の勉強不足,国際社会学を学ぶなかで差別問題の基本知識を学習していなかったのか

 

  要点:1 差別社会学の初歩的な知識もないまま,アンケートで「日本人とはなにか・誰か」を訊いたのか

  要点:2 いまどき「日本『国籍』人」の定義をすることは簡単だが,「日本人(らしさ)」(それらしき「民族性」)を厳密に定義することは至難である


 「『差別的』批判,学長謝罪 東京外大ゼミ『日本人』問うアンケート」朝日新聞』2020年2月18日朝刊26面「社会」

 東京外国語大学国際社会学部のゼミが今月,SNSなどを通じておこなった「日本人」意識に関するアンケートについて,「差別的」といった批判がネットであがり,同大は〔2月〕14日付で,「はなはだ不適切な部分があった。深くおわびする」との文書を林佳世子学長名で出した。

 アンケートは2月上旬,都内で11日に開かれたゼミ主催イベントを前に,不特定多数に向けておこなわれた。イベントは,外国にルーツがある人が日本社会で直面する問題がテーマ。プロスポーツ選手の名前を挙げたうえで,

  「見た目は外国人風の人を日本人と捉えますか?」

  「在日朝鮮人と日本人の間に生まれた子どもを日本人と捉えますか?」

  「純ジャパ以外の日本人を『混ジャパ』と呼ぶことに抵抗はありますか?」

などと2択で質問。ネットを中心に「差別的」「多様なルーツをもつ人が直面する問題を,粗雑に扱っている」などと批判の声があがっていた。

 ゼミの担当教員は,平和構築などが専門の同大大学院教授。同大では今後,学内の審査会でアンケートについて検証し,担当教員への対応を含めて必要な措置を講じる。同大の担当者は「差別を助長しかねない設問もある。再発防止策を進めていきたい」と話した。(引用終わり)

 今朝,配達された朝日新聞のこの記事を読んだとき,いまだにこの程度の意識しか日本の若者,それもかなり学業成績優秀〔だったはず〕の東京外国語大学の学生たちが,このような勉強不足のアンケートを準備・設計して,実際に調査していたというのだから,びっくりさせられた。

 それに在日韓国人とか在日韓国・朝鮮人ではなく,在日朝鮮人という用語を使ったところからして,これにはなんらかの準備不足・認識欠落があったと察知する。たとえば,日本国内で学べる言語としての〈朝鮮語〉は,厳密にいうまでもなく「韓国語」でしかない。

 在日外国人としての韓国人(韓国籍をもつ人たち)が大多数であって,朝鮮人(旧大日本帝国時代からの因縁がある「便宜的な国籍名:朝鮮」を保持する)である彼らは,いまでは完全に少数派である。在日韓国人の人たちに向かって朝鮮人と呼んだら嫌がるに決まっている。

 韓国から来ている韓国人たちに対してそういったら,下手をするとブン殴られるかもしれない。「殴られる……」などと物騒な表現をしたが,「在日朝鮮人の」といったところで,この在日韓国人たちがもっている外国人登録証(いまは別の証明書をもたされているが)の国籍は「韓国」なのだから,「私は朝鮮人」ではありませんといわれたら,なんといって対応するのか? ともかく「韓国人」ですねと呼ぶほかあるまい。

 さて,昨〔2019〕年中のワールドカップ杯で登場した日本のラグビー・チーム所属の選手たちをみていたら,きっと(多分)「日本人」というか「日本民族」(?)とはなにかを,あらためて(初めて?)考えてみたくなった人たちが大勢いたものと推察する。

 だが,今回,冒頭のごときアンケート調査を実施したのが,東京外大「国際社会学部」の学生たちだという事実に接して,彼らのあまりにも無知さかげんに,いささか呆れかえるしだいであった。指導する教員も付いていたらしいが,この人の名前は報道に出てこない。

 さて,つぎの ② 以下の記述は,いまから四半世紀前もの時期に関した「日本における日本人と外国人」との社会的関係性の「問題」を「考察した」文章である。ここに再録し,今日の話題を考える材料に充ててみたい。

 

 「日本人と外国人」

 1) 最近は,いわゆる日本人の範疇に属するとされる人びとでも,いったいこれが日本人の範疇にはいるのかと疑いたくなる(よく分かりえない)人びとまで,そのなかに含まれるようになっている。

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 出所)https://japaneseclass.jp/img/金沢イボンヌ

 ジャマイカ生まれの父親と日本人の母親から生まれた,陸上の女性選手《金沢イボンヌ》は,ほとんど日本語もできず〔2歳のとき渡米〕,肌の色も顔つきも黒人に分類されるような見目形であるが,母方の日本国籍「も」もつためか,陸上選手として有望な彼女は「大和撫子」とマスコミで称される時代である。

 補注)ここでは関連する記事として,2017年7月7日の『日本経済新聞』の,こういう内容の報道を挿入しておく。

    ◆「ハーフアスリートの活躍が日本を変える」◆

  = nikkei.com 2017/7/7 7:30,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO18536430W7A700C1000000/〔~ C1000000/?df=2〕=

 

 日本陸上選手権の男子100メートルはガーナ出身の父親をもつサニブラウン・ハキームケンブリッジ飛鳥もいる。サニブラウンのように,最近は両親のどちらかが海外にルーツをもつ「日本人アスリート」の活躍がめざましい。

 

 国際化が進み,国際結婚は珍しくなくなった。ケンブリッジも父親がジャマイカ出身。陸上だけでなく,柔道,サッカー,バスケットボールにバレーボール,ハンドボールなど,各日本代表の候補にハーフの選手が1人や2人はいる。世代が若くなればなるほど,その割合は高くなる。

 

 バスケットにも父親がアフリカのベナン出身の八村 塁がいる。昨〔2016〕年のリオデジャネイロ五輪では,陸上男子400メートルリレーで銀メダルメンバーのケンブリッジや,父親が米国出身で柔道男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋らが活躍した。

 

 「日本を新たなステップに」 人口減,超高齢化の時代を迎えたこの国の重要なテーマが,だれもが居心地よく過ごせる快適な社会の実現だと思う。民族や国籍,性別,障害の有無,文化や価値観の違いなどを個性として尊重し,それぞれの能力をフルに発揮できる差別や偏見のない社会をつくる。だが,このテーマに取り組むとき,島国である日本人の意識にはまだ大きな壁が存在するように感じる。

 

 いまでもサニブラウンケンブリッジの活躍について,ネット上には「やっぱり純粋な日本人ではないから」などのコメントをときどきみかける,もちろん多数ではないが……。純粋な日本人とはなんなのだろう。

 

 多様なルーツをもつ日本人アスリートが地元開催の五輪・パラリンピックでかつての日本選手では考えられなかったようなパフォーマンスを披露して大喝采を浴びる。そんな光景は日本の社会を新たなステップに進める原動力になるのではないかとも思う。

 そういうことであれば,同じアジア系でも遺伝子構成の85%は「日本人」と共通するという在日「韓国・朝鮮人」の2世,3世,4世の子孫でも女子は,みんな,生粋の「ヤマトナデシコ」になれること,絶対に請けあいである。このことばはかつて,つまり大日本帝国時代においてであったが,朝鮮民族の女性に対して,むりやり使われたこともあった。

 いまや,日系南米人2世・3世,その配偶者である白人系外国人,および南米先住民系の人びとまで,日本人となってこの国で一緒に暮していく〔住んでいる〕時代である。

 中国残留孤児と称された人びととその家族は,正式に日本国籍を与えられているが,彼らは,在日の韓国・朝鮮人2世,3世,4世よりもずっと,「外国人であるかのような程度」が高い人生の履歴を,いやおうなしにもたされてきた。

 戦争中に在比日本人とフィリピン人とのあいだに生まれた混血児も,最近日本国籍をとれるようになった。彼らが,在日の韓国・朝鮮人2世,3世,4世よりも日本人らしいかと問われれば,明らかに否である。

 2)「日本人」から「非日本人」までの〈類型枠組〉を作製してみる。

 註記)以下は,福岡安則『在日韓国・朝鮮人―若い世代のアイデンティティー』中央公論社,1993年,2頁,以下参照。

 次表においては,つぎの中身のように類型分けされている。    f:id:socialsciencereview:20200218091821j:plain

    類型1は「純粋な日本人」
    類型2は「日系1世」など
    類型3は「海外成長日本人」
    類型4は「帰化者」
    類型5は「日系3世」「中国残留孤児」
    類型6は「民族教育をうけていない〈在日韓国・朝鮮人〉の若者たち」
    類型7は「アイヌ民族
    類型8は「 “純粋な非日本人” としての〈外国人〉」

 ◉ 前提1  「日本人と非日本人という観念」は,境界のはっきりした2項対立をなすものではなく,ひとつのスペクトル的(段だらの)連続体をなしている。

 ◉ 前提2   「血統」 「文化」 「国籍」の3要素のうち,「血統」イメージの優位性がうかがえる。

 ◉ 前提3 日本社会は,「単一民族社会」だとか「単一文化社会」だなどとはとてもいえない。

 日本は同質的社会だといいはるとき,それは,日本社会が多数派(マジョリティ)にとっての異質な存在に対して,きわめて許容度の低い社会だということを言明している。

 その言説は「日本は同質的社会であるべきだ」という価値観と組になっている。「事実認識」のよそおいをもって「価値判断」が語られるとき,無意識裡の不寛容が働きやすい。ここに問題がある。

 日本社会の “正当な” 構成員は日本人であり,非日本人はお情けでおいてやっているのだというかたちで,非日本人から日本社会の構成員としての資格を略奪していく。かくして,観念世界においては,日本は「単一民族社会」だという神話が,いつまでも生きつづけるのである。

 3) 以上の福岡の見解に関連して杉本良夫は,「日本人」という概念は「国籍・言語・血統・出生地・居住地といった次元だけではなかなかつかみきれない,おそらく,答えはない」というのが正解だ,と述べている。

 註記) 濱口恵俊編著『日本文化は異質か』日本放送協会,1996年,〔杉本良夫〕89頁。

 杉本は,福岡のものと似た「さまざまな〈日本人〉のタイプ」という類型枠組を作製している。次表を参照しよう。

 f:id:socialsciencereview:20200218092201j:plain   出所)濱口恵俊編著『日本文化は異質か』日本放送出版協会,1996年,〔杉本良夫〕270頁。 「南米人」とは,原表ではブラジル人。「?」は,どのタイプが日本のことをよくしっているか,あるいは日本人らしいか一概にいえない,という意味の記号である。 

 ちなみに,同じ日本人だとされている中国残留日本人帰国者や日系南米人は,日本においては「国籍」「血統」が同じであっても,「言語」「出生地」「文化」などの違いをもって,完全に差別〔仲間はずれに〕されている(そう処遇されてきた)。海外帰国子女たちも,同じ日本人でありながらいつのまにか,「日本人」らしくなくなった同国人として「いじめ」の対象にすらなっていた。

 同じ日本という地に生まれ,日本の教育をうけて日本語もよくでき,日本文化もよくしっている在日韓国・朝鮮人の2世・3世・4世を,いまだ「日本人」〔国籍と血統が同じ〕ではないゆえをもって差別待遇してきた。

 それだけかと思っていたら,さらにとんでもない(?)ことに,この国の人びとは自国籍人であっても,ともかく〈異質〉な人間に偏見を抱き,差別するのである。この国は,「異質」なものすべてとの “対等な交際・交流を拒否したい” かのようなしぐさをよく披露してきた。

 この国では,日本人自身の同胞である帰国子女が,「その英語能力のうえに差別を受ける」のである。この国における差別の構造は,「日本人対外国人のあいだで発生する部分」と「日本人対日本人のあいだで発生する部分」とが,あたかも同心円状に組みあわされている姿をみせている。

 現代教育のありかたのなかに一部として組みこまれているところの,「日本社会の異質なるものへの非寛容性」が,以上のごとき社会現象を発生させる原因になっていることは,間違いない。

 とりわけ,以前からつづいている「在日韓国・朝鮮人に対する差別はその典型的な事例」である。それをささえている感情は,異物が混入することのきわめて少なかった,「単一民族社会」と称する半径のなかだけで通用する「安堵感と優越感」である。そこに生まれるのは「内弁慶型の対外強がり」であったり,意味のない傲慢さであったりする。

 註記) 宮智宗七『帰国子女』中央公論社,1990年,14頁,99頁,142頁,179頁,181頁,209頁。

 4) イギリス人男性と結婚した日本人女性は,「私たちも夫婦間の国籍がちがうということで,お役所ではずいぶんといやな思いをしてきた。住民登録〔外国人登録のこと〕をするのに指紋を採られたり,入国管理局からは抜き打ちの家庭訪問のための地図の提出を迫られたり,まるで〔夫は〕犯罪者あつかいだ」と,憤懣やるかたない思いを新聞の投書欄に書いていた。

 註記)『朝日新聞』1996年7月11日「声」欄より。〔 〕内補足は筆者。

 外国人を配偶者にもつと,日本人であっても,このような目に遭わせられるのである。日本政府の,文部省(現在は文部科学省)にかぎらず関係官庁の役人たちは,日本国籍でない人間,およびこれとなんらかの関係をもつ人間には,なにかといじわるをする性質をもっていた。

 教育関係でみると,日本にくる留学生,とくにアジア方面からくる彼らの,日本に対してもつ印象は,いたって悪い。なぜか。日本社会においては,アジア人差別が留学生にまで蔓延しているからである。

 日本政府の留学生「十万人計画」から10年以上が経過したいまも,アジア人留学生に対する若い日本人の排他的な体質はあまりかわっていない。

 註記)栖原 暁『アジア人留学生の壁』日本放送出版協会,1996年,198頁。
 補注)留学生「十万人計画」については後段で言及がある。

 某〇〇大学社会学科学研究所の教授たちは,白人の客員教授とは仲良くしたがるが,アジア系の客員教授にはすこぶる冷淡な態度で,なかなか付きあってくれないそうである(これは1990年代の指摘)。

 以上のごとき問題は,在日韓国・朝鮮人子弟の民族教育に対する,日本政府文部省(文部科学省)の歴史(行政史)に記録されてきた「抑圧的な姿勢」と無縁ではない。

 

  日本人の由来

 a) 日本をよくも悪くも代表する知識人,津田左右吉和辻哲郎の論調は,戦後の象徴天皇制の論理を凝縮したものと解釈されるが,彼らのように,武力でなく文化に依拠した天皇を描こうとするならば,日本に異民族がいてはならなかった。それは,国民の内部に異質な者がいることを許さない構想であった。

 註記)小熊英二単一民族神話の起源』新曜社,1995年,345頁。

 日本政府および文部省(文部科学省)の文教政策は,明治以来,一般庶民〔の基本意識〕をそのように飼育し,その根幹となる〈単一民族神話〉を抱かせていてきた。しかし,この神話はあくまで神話であって,日本の歴史における社会の様相を,事実に即して観察したものではない。

 日本人集団は,絶え間ない民族移動のひとコマとして形成されたのであって,けっして神代の昔から,単一な民族を維持してきたのではない。日本人は〈混合民族〉というべきである。そのもっとも簡単なモデルとして,在来系「東南アジア系」と渡来系「北アジア系」のふたつの集団の〈二重構造〉が考えられる。

 註記)植原和郎『日本人の成り立ち』人文書院,1995年,212頁,245頁,277頁,298-299頁。

 弥生時代以後,日本に移入してきた渡来人は,いままで想像されていたよりもはるかに多く,土着の縄文系集団に与えた影響は,きわめて強かったと考えざるをえない。渡来人の影響は無視できる程度だといっていたかつての説は,日本人単一民族性の文脈で考えられた想像〔または願望?〕に過ぎなかったともいえる。

 日本人単一民族説は,先入観にとらわれ,日本人を一種の特殊な集団としてみる立場であって,人類進化のダイナミズムという視点が欠落している。実は人種主義は,もともと先入観の産物であり,あの悪魔的なナチズム〔「劣等」人種は抹殺!〕はそのひとつの典型にほかならなかった。

 b) 日本のある財界人はだから,こういわねばならなくなっていた。

 では,教育をどう変えていけばいいのか。……重視したいのは異文化,あるいは違った価値観を認める教育だ。現在の教育は価値観を同じにして,異分子を排除しようとする。だが,ホモジーニアス(同質)な組織では多様な発想が生まれずいずれゆきづまる。色々な文化が融合していくほうが組織としては健全だろう。

 註記)飯田 亮「私の意見:異文化認める教育を」『日本経済新聞社』1996年6月17日。

 この発言は,他民族・異人種の存在を前面で意識していわれているものではなかった。自民族内においてであっても多様性は認めようではないか,とくに教育の現場においては “価値観の多様性” を認めよ,といっていた。財界人の発想であるから,自社にとって有用な人的資源の輩出を願っての発言であることを割り引いても,しごくまっとうな意見であった。

 以上の記述における中身はすべて,いまから四半世紀もの前におけるのものであった。21世紀のいまとなっては,いささか陳腐化した中身がないとはいえない。だが,議論の枠組として底に流れている基本的な観点は,そのままそっくりいまにも通用する。

 問題がたくさんあるが,思いつくままにいくつか例を挙げて説明したい。

 c) まず「茶髪」の問題。最近の話題である。これは金髪に染め〔てい〕るとかいった以前の話題である。つまり,地毛が茶色である人たちの「事実に関する身体的特徴」をめぐるやりとりであった。ネットに出ている記事の題目だけを紹介しておくが,これだけでも「茶髪の問題」の特徴が理解できる。

 たとえば,石井志昂「12人に1人は地毛が茶色  学校で『浮いた子』だった21歳が校則を減らしたいと思った理由」『YAHOO!JAPAN ニュース』2020/2/12 12:02,https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20200212-00160582/ という見出しの記事がある。

 いまどき,このような校則がまだ現実に存在している。「日本人は黒髪が自然,当たりまえ」であって,「茶髪はおかしい,いけない,だから染めろ,黒にしておけ!」という理屈である。このような校則関係のド・ヘリクツは,まともに議論する気をなくすほど不条理に満ちている。

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 1980年代以降,国際結婚の比率が多くなりだしてから,この両親たちから生まれた子どもたちは,第1子だとすでに30歳前後の年齢になる。年齢的にはそう見当が付けておくが,欧米で白人系の親をもつコドモだちのなかには,黒髪とはだいぶ異なる色をもつのは当然も当然。

 だが,このことじたいを “いいとか,イケナイとか” いって接することじたいが,おかしい。という以前に,もしかしたら精神が「狂っている」としかいいようがないくらいに,異常な「頭髪色」に対する理解である。ここでの話,もちろん,とりえず「地毛」にだけ関したものである。

 d) 国会議員「蓮舫」の問題。以前,国会議員の蓮舫二重国籍をもっているとかいないとかで,国会内では相当激しく集中攻撃を受けていた。その様子はかなり異様に映っていた。この国籍の問題そのものについてはさておいても,彼女が日本人「風」の女性にみえないか(?)といった議論をしようとしたら,この試みじたいが実に馬鹿らしい発想になっていると感じる人は,おそらく大部分だと思う。

 e) 留学生の話となると,前述では「留学生十万人計画」という話題が出ていたが,その後日本は「留学生30万人計画」も達成していて,そのほか技能実習生の問題も含めて,とくに留学生(専門学校生も入れて)のほうは,週に28時間もアルバイト(就業)してもいい受け入れ体制になっている。

 現状において彼らが外食産業や商業・流通産業に就く場合が多く,日本が現在,単純労働力不足に非常に悩むなかで貴重な戦力の供給源になっている。彼らがいないと人員(従業員)の管理体制がやりくりできなくなる事業所も多い。

 f) 移民の問題。日本は移民が大嫌いであるが,実質的には移民大国。「OECD諸国のなかで,日本の外国人受け入れ数は独米英に次ぐ世界4位だ。人手不足が深刻になり,外国人なくしてサービス水準や収益基盤は維持できなくなった。政府の建前を横目に,すでに事実上の「移民大国」となりつつある」。

 註記)「既に『移民大国』日本人だけもう限界」『日経ビジネス』2019年8月16日,https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00191/

【前  提】 「移民」の定義論に「正解」はない。

 

  1 在留外国人の数は300万人に迫っている。

  2 永住資格をもつ外国人は100万人を超えている。

  3 国際的にみても日本で暮らす外国人の数は小さくない。

    註記)望月優大「ファクトで押さえる『日本の移民問題』。在留外国人300万人時代をどう捉えるか」『note』2019/04/01 07:59,https://note.com/hirokim/n/ndf03e49e263d

 このような21世紀における日本・国になってもいるのに,まだ「校則で日本人の子どもの頭髪の色は茶髪はいけない」(茶髪に「染めてはいけない」といっているのではない)とかなんとか騒いでいる。ここまで来ると, “ほとんどビョーキ的な発想だ” というほかあるまい。

 だから,つぎのように語る日本人自身も登場している。最新の話題である。

 g)「【私説・論説室から】アカデミー賞と日本人」『東京新聞』2020年2月17日,https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2020021702000144.html

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 出所)2020年2月20日https://www.arabnews.jp/article/arts-culture/article_9234/

 気になった発言だった。米アカデミー賞でメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞した日本出身のカズ・ヒロ(辻 一弘)さんが日本人であることの受賞への影響を聞かれ,苦笑いしながら答えた。

 「私は日本を去って米国人になった。なぜなら日本文化に疲れたし,夢をかなえることが日本ではむずかしいからだ」といった内容だったろうか。米国籍を取得し,改名までしていた。これだけの短いやりとりだったのでその理由まで聞けなかった。以下,勝手な推測だ。

 発言を聞いて真っ先に就職活動中の大学生の「学校では人と違うことをするな,みんな同じにといわれて育って,就活では個性を出せといわれてもできない」という嘆きを思い出した。日本は同調圧力の強い社会だといわれる。

 出るくいは打たれる社会であることは以前から指摘がある。その雰囲気が強まっていないだろうか。最近,そう感じる。16万人超の不登校の子どもたちや,ひきこもりの大人の増加も,社会が人と違うことを許してくれない生きづらさと底辺でつながっているように思えてならない。

 カズ・ヒロさんは独学を続け,その道の巨匠と文通で師弟関係を築き道を切り開いてきた。日本に「個」での生きにくさを感じていたのではないか。去られた側としては複雑な思いを抱いた受賞スピーチだった。(引用終わり)

 このカズ・ヒロの「受賞スピーチ」とは,2月9日に開催されていた「映画界の行事」に関係するものであった。

 アメリカ映画界の祭典で今〔2020〕年,第92回アカデミー賞で4冠となったのが,韓国のポン・ジュノ監督が制作した『パラサイト』という作品であったが,このアカデミー賞の授賞式がハリウッドで開かれたさい,注目された日本人もいた。

 その人が「日本出身のカズ・ヒロ(辻 一弘)であった。米映画『スキャンダル』メークアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのである。この人が「日本に『個』での生きにくささ」に嫌気をさして,日本を捨ててアメリカ〔国籍〕人になっていた事実が,アカデミー賞の話題にさいしてわれわれにしらされた。

 ということで,最初の段落の話題に戻る。「東京外大ゼミ」の学生が「『日本人』問うアンケート」を企画し,実施するに当たって,いったいどれほどの予備知識が「その日本人の問題」じたいについてあったのか,と疑ってみるほかない。「東京外国語大学国際社会学部のゼミ生」のそうした企図であったけれども,あまりにもお粗末であった。もしかすると,国際社会学の「標準的な,それも入門案内の教科書」を,まえもってきちんと勉強していなかったのか?

 最後に,「東京外国語大学 偏差値・入試難易度」を探してみたところ,たとえば『河合塾』の「2020年 偏差値・入試難易度」は,こう出ていた。

  「偏差値  60.0~ 65.0」と「センター得点率  81%~93%」

 このように頭脳(入試に必要なそれ)は優秀でも,「そのほかのなにか」に関しての企画力や実行力となると多分,アンケート調査の方法に関して準備不足があったか,あるいはまた「日本人の若者としての感性」に,もともとなにか問題があったということにでもなるのか? なお,この指摘は,その当該ゼミの学生たちが全員「純ジャパ」であるという「想定」を踏まえていってみたものである。 

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