社会科学方法論-高島善哉の学問(4)

       高島善哉「社会科学の基礎理論」(4)
                   (2014年11月18日)

 

   要点:1 高島善哉の学問・方法論

   要点:2 現代の社会科学方法論は,高島善哉を超えられるか?

          =目 次=

 ① 高島善哉の著作
 ② 高島善哉「社会科学論」:『実践としての学問-日本的知性批判のために-』第三出版,1973年
 ③ 社会科学の原点は人間である-風土概念の登場-
   〔以上,本ブログ,2014年11月16日記述〕

 ④ 社会科学の思想と立場
 ⑤ 高島善哉現代日本の考察』1966年
   〔以上,2014年11月16日記述〕

 ⑥「風土に関する八つのノート」1965年~1966年のための予備的考察〔その1:封建体制,資本主義体制,社会主義体制〕
 ⑦「風土に関する八つのノート」1965年~1966年のための予備的考察〔その2:階級,民族の問題〕
 ⑧「風土に関する八つのノート」1965年~1966年の本格的議論〔その1:民族の問題の基本的性格〕 
   〔以上,2014年11月16日記述〕

   〔以下,本日:2014年11月18日記述〕
 ⑨「風土に関する八つのノート」1965年~1966年の本格的議論〔その2:民族の問題の具体的性格〕
 ⑩ 風土の概念-和辻哲郎『風土』昭和10年

   〔未完:明日以降にもつづく〕

 

 「風土に関する八つのノート」1965年~1966年の本格的議論
     〔その2:民族の問題の具体的性格〕

 1) 階級の問題と言語の問題

 「血と土」が民族的自立の基盤ではあっても,ただそれだけのものではない。かといって,ここでは即断・誤解,そして危険な思想を避ける注意が肝要である。共同団体としての民族は,ただそれじたいのものではなく,その基盤の上に共同の生活・共同の文化が形成され,共同の意識も生まれる。さらには,経済生活や政治生活のような社会生活のなかでも,もっとも重要な部分が共同におこなわれていることにもなっている。

 つまり,言語や広い意味の習俗が共通しており,ものの感じかたは考えかたが共通しているなどの諸点を挙げることができる。とくに言語は,ひとつの民族の文化,その民族の感じかたや考えかたをしるうえできわめて重要である。日本語が西欧諸国の言語に対してたいへんな相違がある。翻訳された条約文がきわめて難解であったり,哲学や社会科学の翻訳語が日本文として理解しにくいのはそのためである高島善哉『社会科学入門-新しい国民の見方考え方-』岩波書店,昭和29〔1954〕年,50-51頁)

 ここで,高島がさらに「言語:日本語と西欧語」に関して論及するさい,「日本人のものの感じかた考えかたを,西洋人のように余り論理的分析的でない」(51頁)と指摘した点については,翻訳という知的作業に対してその後,議論がなされてきた成果を踏まえていえば,いささか常識次元に限局されていたと批判しなければならない。

 西欧のみならず外国語の文献・資料を日本語に翻訳して,これが読みづらい,高島の表現でいえば「論理的分析的でない」と感じるのは,翻訳作業をおこなう側での「精度・正確さ・日本語力」にも関連する評価であって,いちがいにそのように論断する根拠は乏しい。

 翻訳作業に〈誤訳〉は付きものであって,純粋に学問の世界でいうとたとえば,広西元信(国分 幸編・解説)『資本論の誤訳』(こぶし書房,2002年)は「マルクスの基本的カテゴリーの訳語を精緻に検証」し,「日本のマルクス主義研究は誤訳の上に築かれた(!?)」と議論する著作として,公刊されている。

 本ブログの筆者も外国文献,主に英語とドイツ語の専門書をとりあげて論文を書くさいに日本語訳がないときは,自分で訳しながら利用することになる。イギリスの有名な経営学者の書いた本について論文を書いてから数十年も経ってから,この「原書」の日本語訳が新しく公刊されたのを受けて,あるとき自分が翻訳した箇所をこの訳書と比較対照してみたところ,日本語してはおたがいにそれぞれ,よりいい箇所・よりよくない〔悪いではなく〕箇所があるという具合であった。翻訳作業の困難さをあらためて実感させられた。

 高島のいうように,西欧語に比べて日本語が一様に「論理的・分析的でない」という確実な根拠・理由はない。どの言語をもってしても「論理的・分析的でない」文章を書けば,これを翻訳した他の言語をもってしても「論理的・分析的でない」文章にならざるをえない。かといって,「論理的・分析的でない」原文を翻訳者が意訳を尽くし,無理やり「論理的・分析的である」文章に改変することになったら,これはもう翻訳とはいえなくなる。

 高島は文章記述に関して,西欧語と日本語のあいだには,克服できない「論理性・分析性の構え」の差異があるかのように語っているが,これは言語学の見地に裏づけられた見解というわけではなかった。

 社会科学論において東西の言語に関するこのような拙速の議論を投入したことは,いまから半世紀も以前での発言とはいえ,学問上の発言としてはなじまなかったと反省しなければならない。

 補注1)高島は,中国語も日本語よりもずっと論理的であるとも述べているが,ここではとくに言及しない。本文と同じに批判できるからである。

 補注2)1950年代において,日本マルクス主義界にも大きな影響を与えた「スターリン言語学」を註記しておく。--「スターリンの民族論」における《民族》の定義は,こうであった。

 「言語・地域・経済生活および文化の共通性のうちに現われる〈心理状態の共通性〉を特徴として生じた」=「歴史的に構成された人々の堅固な共同体である」というものであった。

 高島の「民族と言語」に関する言説がこのスターリン言語学から時代的影響を強く受けていることは,本日の記述からだけでも明白である。もっとも「スターリン言語学:民族論」から高島が具体的にどの程度に影響の受けたは別問題であって,別個に検討を要する論点である。

 2) 民族という問題の時代性

 「民族とはある国土の上に血縁を基盤として結ばれた人間の文化の共同体」と定義した高島は,こうも述べていた。民族は固定したものでなく,歴史とともに変化する。それにつれて民族文化・民族意識もまた変化し,民族問題のあり場所も変化する。以下はよくいわれる「各国人の民族性」とされる特性である。これを高島も記述していた。

  ☆ 日 本 人--もののあわれをしる民族。ことあげせぬ民族。
  ☆ イギリス人--歩きながら考える。
  ☆ フランス人--考えたあとで走りだす。
  ☆ スペイン人--走ってしまったあとで考える。
  ☆ ド イ ツ 人--考えたあとで歩きだす。

 もっとも,民族性だとか国民性だとかいったものは固定的でも永久不変でもなく,時代とともに少しずつ変化し,その性質もかえていく。したがって,日本人は元来こういうものである,ドイツ人は元来こういうものであるといった考えかたは,民族や民族意識の歴史性をまったく無視しており,社会科学的に正しい観方であるとはいえない(高島『社会科学入門』52-53頁)

 補注3)ここまではあえて触れることにしなかった「ある論点」を提示しておきたい。高島はしばしば「正しい」という修辞を使用する。高島がいいたいその意味は,学問の展開としてひとまず「現実に向かいより精緻に肉薄・密着した議論を展開する」と,控えめに推論しておき,以下の議論をしていく。

 しかし,それにしてもこの「正しい」という「修辞→用法」は要注意である。学問研究に従事する者は誰であっても「正しい」,正確には「より正しい」現実理解に到達するために絶えず努力をしているはずである。始めからその「正しい立場」を〈規準〉与えられている者は,誰1人としていない。

 ところが,この「正しい」という表現を常用しているうちにいつのまにか,自身は「正しい」見地に立ち,「正しい」方法を使い,「正しい」接近をしていると思いこみがちになる。

 本ブログの筆者は,こう考えている。社会科学の研究に従事する人間は,そのような「正しさ」という修辞にまつわる用法に慣れすぎてはいけない。この「正しい」という〈ことばの意味〉のなかには,間違いなく危険性が潜んでいる。いいかえれば,その「正しさ:目標」に向かって学問が努力する途上において,この「正しさ」にことじたいにこだわるあまり,かえってその正しい方途に向う努力じたいが希薄化されてしまう危険性もあるからである。

 3) 民族意識の芽生え国民国家誕生の背景-

 民族や民族意識は,いかにして歴史的に形成され,変化してきたのか。近代の民族意識の芽生えは西洋の諸民族のあいだにおいて初めて自国語が用いられるようになったときに遡る。これは,紀元6世紀ころのゲルマン民族の話である。

 民族意識の目覚めは一民族と他民族とが激しい接触をしたとき,すなわち,民族と民族との戦争状態においてもっとも自然的に発生する。このさい,その民族は血縁および地縁の団体としてすでに,経済的ならびに政治的にひとつのまとまりをもつほどに成長している。とくに近代国民国家の成立の時期,すなわち16・17世紀以後の時期に注目したい。この時期は資本主義体制の確立の時期であり,社会科学の成立にとってもきわめて画期的な時期であった(高島『社会科学入門』53頁)

 近代国民国家の勃興は15・16・17世紀の時期,イタリア諸都市に始まり,スペイン・ポルトガル,オランダとつづき,最後にイギリスが覇権を握るに至っていた。18・19世紀にかけてさらに,国民国家としての体裁をととのえたのがロシアとイタリアであり,19世紀後半に日本が国民国家を出発させた。

 近代国民国家の成立のためには,まず第1に政治的・経済的に国内がひとつに統一される必要があった。このためには封建的な割拠主義が打破され,固定した身分の支配の代わりに事由で民主的な市民の社会が実現されねばならなかった(53-54頁)

 その国内体制の確立は,一国の政治的・経済的統一を実現する,換言すれば近代資本主義の体制を確立するという意味である。イギリスがこの点で最初の成功を収め,それ以来20世紀の初めまで約2百年間わたって世界の政治と経済を指導した。だから,われわれ社会科学の勉強を志す者は,イギリス資本主義の生成と発展からもっとも多くのものを学ぶことができる(54-55頁)

 ところで,イギリスが世界の覇権を握るためには,スペインやポルトガル,オランダの精力を駆逐しなければならなかった。すなわち,ひとつの国民国家国民国家として成立するためには,同時に他の国民に対する対抗関係が強調され自覚されるようになる。国内の政治的・経済的統一と他国に対する対抗の意識,これがとりもなおさず近代の民族意識の発端をなすゆえ,一国における資本主義体制の確立と切りはなしては理解できない。このように,国民国家と資本主義体制と民族意識とは歴史的にみて密接不可分の関係にあった(55頁)

 4) 民族問題から体制問題へ

 高島はつづけてこう説明する。日本民族の民族的自覚は,浦賀に初めて米艦が来航したとき以後のことであり,それが全国民的なものにまで拡大したのは,明治維新政府がその不動の基礎を固めたあとのことであった。とくに,日清・日露の両戦役が日本人の民族意識の昂揚に役だったことは,日本人の民族意識の生成を考えるうえで忘れてはならない。

 19世紀末までの欧米資本主義諸国による植民地獲得競争は,第1次世界大戦に連なっていく歴史となっていた。その後における「もてる国」と「もたざる国」とに分かれての,別言すれば「民主主義国」と「全体主義国」との激しい対立は,かえって植民地を巻きこみ犠牲にする歴史であって,こんどは第2次世界大戦の破局につながっていった(高島『社会科学入門』56-57頁)

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 出所)大東亜〔太平洋〕戦争の初期段階(1941年12月~)における戦線図解。http://chacharekishi.blog.jp/archives/39759901.html

 結局,今日〔1950年代前半〕の民族問題は,資本主義体制末期の民族問題である。それは支配民族に対する被支配民族の問題である。民族意識はかつては支配のための心理的・精神的支柱となったが,今日〔同上〕では被支配のための解放の武器になった。

 民族意識はまた,第1次世界大戦以後は全体主義のために奉仕してもいた。ドイツ・イタリア・日本のばあいがそうであった。しかし,第2次世界大戦後においては,解放と民主化のために奉仕すべきものと考えられている。民族意識とはけっして固定不変のものでなく,またそれ自身中立的な無性格なものでもない(57頁)

 さて,今日の民族意識や民族自立の問題を考えるには,さらに体制の変化の問題を忘れてはならない。それは資本主義体制に対する社会主義体制の問題である。アジア,アラブの民族問題は,つまるところ2つの体制問題を抜きにしては理解できない。

 第2次世界大戦後の民族問題の異常な発展は,アジアにおける社会主義体制の進展を抜きには理解できない。ここで体制と民族との関係が進んで問われねばならない。どちらの体制がより多く民族問題の解決に役だつのか。そしてまた,この2つの体制の問題は2つの階級の問題であった。だとすれば,体制と民族と階級はどのような関係にあるもとして理解されうるのか(58頁)

 5) 体制と階級と民族の関係

 階級と民族との関係を考察するのにもっともよい材料が,今日のドイツと朝鮮である。ドイツ民族と朝鮮民族は民族してはそれぞれひとつでありながら,東西と南北に分かたれている。これはふたつの体制がひとつの民族をふたつに分割した生きた実例であるが,ともに統一を求めている。

 しかし,その統一を非常に困難にしている根本の事情は,資本主義体制と社会主義体制の問題であるためである。このばあい,体制と民族との関係は最高度に政治的なものであり,またかつ経済的なものである。民族の統一がなるかならないかは,ふたつの体制の対立と共存の実力関係がいかに政治的に処理されていくかに依存する(高島『社会科学入門』58頁)

 補注4)1990年10月に東西ドイツは統一されたが,韓国と北朝鮮はその後も統一できないでいる。その主な原因は北朝鮮側にあると判定できる。

 民族はもともと体制を超えており,体制のいかんいにかかわらず,ドイツ民族はドイツ民族であり,朝鮮民族朝鮮民族である。それは資本主義体制と社会主義体制の関係においてのみならず,封建体制との関係でもそうである。

 つまり,ひとつの民族の基本性格は,封建体制-資本主義体制-社会主義体制を超え,数世紀にわたって大きな変化がなく保たれていく。この意味で民族は超体制的である。民族統一への願望なり要求なりは,なによりもまずひとつの民族が民族共同体として叫ばずにはいられない〈本能的な欲求〉だといえる(58-59頁)
 
 今日の民族問題の実体は,ふたつの体制の問題を離れて理解できない。民族はもともと超体制的なものであるとしても,それは民族の性格が歴史の変化をよそに,永久に不変なものではない。民族の基盤をなしている血縁関係はもっとも自然的なもので,もっとも変化しにくいものと考えられる。しかし,数千年の歴史をとってみればけっしてそうではなく,一民族の文化の生命である言語も,数百年にわたって基本的に変化しないにしても,やはり時代とともに変化する。

 補注5)ここの指摘は韓国・朝鮮史にも妥当する。

 また,民族共同体を作りあげているそのほかの文化については,いっそう歴史的な制約が大きい。民族共同体の現実のあり方・生き方は,その民族の置かれている現実の時代と社会を抜きにしてはなにもいえない。すなわち,体制とか体制原理を抜きにして民族の問題を具体的に考えることはできない。この意味において今日の民族問題は最高度の政治的・経済的問題なのである(59-60頁)

 a)「ドイツの統一」 さて,いまとなっては,1990年10月3日 に東西ドイツが,それもドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland:「西ドイツ」)がドイツ民主共和国 (Deutsche Demokratische Republik:「東ドイツ」)を編入する関係で統一された歴史を経ている。

 統一されたドイツ内では,それまでの資本主義体制と社会主義体制との対立・軋轢に原因する問題が,なんら発生することなく済まされたのではない。同じ民族だといっても東西ドイツへの分割が,それもまったく異質の経済原理体制や相反する政治統治機構を長らく固定化させてきたがために,その民族内において「同じ民族」だと完全にいいきれない要素が生成されなかったとはいえない。

 前段の歴史的な事実は,1945年から1990年まで半世紀近い東西ドイツの分断の記録であった。数千年の歴史:視野における「なにか顕著な影響や変質」がそこに発生していたとは思えない。しかし,数百年の歴史:展望においてなのであれば,ドイツ民族内の伝統・文化的特徴が,東西ドイツ「両国」の流れのなか生成してきた「政治的・経済的な社会要因の土台」にも及ぶ変質を来していなかったとはいえない。これもまた自然であり必然の道筋でもある。

 b)「統一の幻想」 ドイツの再統一は,東ドイツ市民を無条件で裕福にするかのような幻想を生み出した。結局「ドイツ再統一」のスピードが余りにも速すぎたことは,その後に生じた経済的混乱によって実証された。世界屈指の経済大国であった旧西ドイツに対する旧東ドイツの経済格差は,一時的な幻想では覆いかくせないほど歴然としていた。

 現在でも東西の所得格差は残されている。また,旧東ドイツでは資本主義に適応できなかった旧国営企業の倒産によって失業者が増加し,旧西ドイツでは旧東ドイツへの投資コストなどが足かせとなって景気の低迷を招いていた。このため東西双方で市民のあいだに不満が高まった。

 註記)この段落は,Wikipediaベルリンの壁崩壊-前史,事件の経緯,事件の影響,エピソード,壁崩壊20周年』参照。

 東西ドイツの統一のばあい半世紀近い分離状態が,政治経済的な国家・自治体の行政機能においてのみならず,産業経営の具体的な管理力でも質的・量的に大きな格差を生んでいた。東ドイツは,統合以前は東ヨーロッパの優等生であって,東ヨーロッパ経済圏のなかでも,東ドイツ製の工業製品は品質が良いことで非常に人気があった。

 しかし,その東ドイツが西ドイツと一緒になってみるや,西ドイツの技術にはまったく歯が立たず,旧東ドイツ地域の経済はほぼ壊滅状態になった。そして,ドイツはこの旧東ドイツ地域の経済復興のために莫大な資金投入を余儀なくされ,1990年代の世界経済減速のひとつの原因となった。これは,戦後50年間に溜まった〈借金の返済〉を意味したとも解釈できる。

 註記)http://www.ffortune.net/social/history/seiyo-today/deutsch-toitu.htm

 以上の記述にくわえて,最新のドイツ事情をうかがわせる,つぎの意見を聞いておきたい。「ベルリンの壁崩壊から25年 東西ドイツ統一はいま」(2014年11月9日報道記事)から引用する。

   ◆「統一の歩みは正しかったと確信
        ホルストテルチク氏(74歳)◆

 ホルストテルチク25年前の〔1889年〕11月9日,私(テルチク,写真)はコール西独首相(当時)に随行し,ワルシャワにいた。「異変」を察知したのはポーランドのマゾビエツキ首相らとの夕食会の1時間前。特別回線で首相府長官から「壁が開きそうだ」との連絡が入った。われわれは迷ったすえ,マゾビエツキ首相らに「早急に戻る」と告げ,帰国した。

 

 混乱の回避が急務だった。東独には37万人のソ連兵がいた。軍事介入の恐れもあった。しかし,ソ連ゴルバチョフ大統領は,コール首相との電話できわめて協力的だった。実際,ソ連軍は動かなかった。

 

 壁崩壊の2週間後,コール首相はドイツ統一を決意した。当時,われわれは統一までに10~15年かかると覚悟したが,現実は1年足らずだった。なしとげたのは政治の力ではない。東独の人びとの熱意がそうさせた。

 

 それから四半世紀。統一の歩みは正しかったと確信している。世論調査でも旧東独の30歳以下の9割以上がそう答えた。旧東独で特権を失った人,共産主義政権に弾圧され,統一時には働き盛りを過ぎてしまった人もいる。彼らは共産主義と統一の2回の罰を受けたようなものだ。一方で,旧東独ではインフラ整備が進み,ドレスデンなどの都市は発展を遂げた。産業が衰退し,人口流出が続く地域もあるが,ドイツに限らずどの国にもある問題だ。

 

 東西の「心の壁」も消えつつある。私が教えている旧東独の大学では,外見も思考も旧西独の学生と違いはない。統一はほぼ完成した。今はそう信じている。

 註記)asahi.com 2014年11月9日12時59分,http://digital.asahi.com/articles/ASGC67JYXGC6UHBI031.html

  c)「朝鮮と韓国の統一問題」 ひるがえってみるに,朝鮮半島韓半島〕の南北統一が成就するとしたら,ドイツの事例とは大きく異なる様相を呈すると予測されてもいる。現在は,先進諸国の驥尾に付した韓国(大韓民国)であるから,東西ドイツの統一というある種の政治実験を観察しつつも,朝鮮〔民主主義人民共和国〕という独裁王朝への対応に警戒心を怠っていない。南北朝鮮のばあい,ドイツの統一とは格段に異質の困難の発生が予期されており,仮に統一化の方途が実現したとしても,韓半島朝鮮半島〕全体に激動が惹起されることが懸念されている。

 6) アジア・アラブ問題

 アジア,アラブの諸地域における民族の独立と自活の運動は,反帝国主義運動である。この常識は社会科学的に正しく評価されねばならない。この民族運動の基盤にはふたつの重要な要素がある。そのひとつは,民族が民族としてもつ自然的なまとまりの感情であり,いまひとつはアジアの民衆の生活を特色づける貧困の問題である。

 とりわけ後者の貧困打開の問題は,現在では社会主義および共産主義の問題につながっている。これは好むと好まざるとにかかわらず,後進資本主義国との戦いの域を超えて,資本主義体制そのものへの戦いにまで発展せざるをえない。かくて,民族の問題は必然に社会主義体制とその体制原理の問題に結びつかねばならない(高島『社会科学入門』63-64頁)

 昨今におけるアラブ諸国に起きた民主化革命,ミャンマーサフラン革命など,20世紀後半とは質的にも大きく異なる政治動向がアジア・アフリカ諸国には起きている。高島善哉が規定するようにはたして,それらが「後進資本主義国との戦いの域を超えて,資本主義体制そのものへの戦いにまで発展せざるをえない」といえるか,さらに「民族の問題は必然に社会主義体制とその体制原理の問題に結びつかねばならない」といえるかといえば,すでに高島の歴史認識は大幅に修正されるべき余地がある。

 つまり「ひとつの民族が進んで資本の支配に服するか,それとも進んで労働の支配に服するかということが,その民族の運命を決定する鍵となるともい」えるかどうか,現時点にあっては必らずしも確言できない時代に対峙している。体制問題の動向については,新しい歴史の解釈が要求されている。たしかに「体制と民族との関係をはっきりさせるためには,どうしても階級の観点を入れてみなければならない」かもしれない(64頁参照)

 というのは「階級は体制と民族との中間項として,その媒介者としての意義をもっている」からである。そうだとしても,このことが「資本主義体制そのものへの戦い」から「社会主義体制とその体制原理の問題に結びつかねばならない」課題であると解釈されるだけでは,もう済まない21世紀にわれわれは生きている。

 7) 体制-階級-民族

 民族は歴史的には体制を離れては存在しない。そして,体制は資本または労働という階級原理によってのみ初めて体制として発展する。階級の観点こそ,民族共同体を民族共同体として成立させる現実の力である。この点の認識が社会科学にとってはもっとも大切である。

 第1次世界大戦後,アメリカ大統領ウィルソンが民族自決の原則を打ち立てた。しかし,この原則は「資本の支配」のもとに完全に無視され,ひとつのうつろな政治観念になってしまった。第2次世界大戦を経てやっとこの原則が実現し,現実の問題となった。インド,ビルマインドネシアなどにおいては,すでにこの原則が実現されている。これは,資本主義体制に対する社会主義体制の進出,「資本の支配」に対する「労働の支配」の現代史的意義を十分に示している(65頁)

 民族の観点を体制や階級の上に置こうとする考えかたは,単に考えかたとして誤りであるばかりでなく,思想として危険である。それはすでに崩れ去ったはずの全体主義イデオロギーに結びつくものだからである。全体主義の思想には社会科学的な見地はみじんも存在しなかった。この思想はものごとを分析してみることが全然ない。ただ民族共同体ということだけで,それを規定し,媒介し,動かしていく現実の力をみない。これは非常に危険な思想であり,昔もいまもかわりはない。

 補注6)2014年11月現在,日本国の執権党である自民党〔プラス公明党〕は,民主主義制度によって選ばれた政権与党でありながらも,その基本的な政治党色はファッショ性に染められている。自民党の中枢は極右の政治家が盤踞している。安倍晋三を筆頭に彼らの脳中には「社会科学的な見地はみじんも存在し」ていない。

 安倍晋三フェイスブックを介してみずから発信している意見は,論理性も歴史性も欠くものが多く,知識・識見として信頼性がない。一国の最高指導者がサイバー空間でそのような発言を軽々に披露する姿は,醜悪さを通りこして,まさしく「幼稚と傲慢」の極致である。

 現代社会科学の考えかたとしては,体制と階級とともに民族もまた,きわめて重要な問題点であることを強調しておきたい。「体制-階級-民族」の基本点を正しく理解することは,現代社会諸科学のすべてに共通する問題であり,すべての問題としてこれに対決することを要請されている(66頁)

 

  風土の概念-和辻哲郎『風土』昭和10年

 1) 風土の概念の創出-和辻哲郎「風土」-

 高島善哉「社会科学論」は「体制-階級-民族」を議論することが主題であった。そこではまだ「風土の概念」は出ていなかった。民族が〈風土という基盤〉と密着した社会科学的な概念であると発題し,この概念を本格的に議論しはじめるのは,高島善哉・水田 洋・平田清明『社会思想史概論』(岩波書店,昭和37〔1962〕年)の終章「現代社会思想史の課題」であった。

 高島はいう。「血と土」(Blut und Boden)をいきなり無媒介に〈第3帝国〉と結びつけたナチズムの政治思想は,反合理的であり反人間的であったが,その非合理的な契機に触れることで国民的感情に訴えることもできたと指摘する。

 問題は「血と土」そのものにあるのではなく,その国民の歴史的・社会的人間関係を離れてひとり歩きするところにあった。ここでは,民族における自然的契機と歴史的・社会的契機との相互媒介的な関係を,まずもって正しく認識しなければならない。「風土」といわれる概念がその媒介項として引き合いにだされてよいのである。和辻哲郎『風土』(1935年)はその意味において先駆的な業績であった(370頁)。

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  出所)和辻哲郎http://www.city.himeji.lg.jp/bungaku/tokubetsutenn/watsujiten/watsujiten.html

 2) 社会的自然

 「和辻哲郎の風土論」をもちだした高島がつぎに言及するのは,現代マルクス主義の陥りやすい欠陥のひとつである「合理的一元主義」の克服である。主体としての階級に対して民族は母体であって,この両者の相互浸透的な関係を正確に理解しなければならない(372頁)

 さらに唯物論の思想でいえばこうなる。「本来の自然」=「第1次的自然」に対して「派生的な自然」=「第2次的自然」を考える。換言すれば「自然的自然」に対して「社会的自然」を区別することができる。だが,新しい唯物論にとっては,この2つの自然の区別は相対的であって,歴史的・社会的主体の側からの区別の意味が把握されることを要求する(375頁)

 社会科学は社会的自然の探求にその主眼を置く。政治と経済と教育が社会科学の第1次的な研究領域であることが,そのことから理解される。主体と客体との対立と統一の関係を掴む論理を,高島は「主体-客体の論理」と名づけた。そして阻害論の再評価と拡充によってこの論理を発展させうると述べた(375頁)。このさい高島が強く意識したのは「西ヨーロッパ的なものをいかにして日本の現実に風土化しうるかという課題の解決のために生涯を捧げたい」という点であった(377頁)

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 ※「本稿(4)」の続編は,下記である。

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