21世紀のいまもなお残存する天皇神格化をもって発足させた「近代国家明治帝政」の絶対矛盾的な根本の背理

明治維新は「脱亜入欧」路線に「天皇を神格化した近代国家の根本矛盾」を乗せた鈍行列車を出発させたゆえ,その後に問題をかかえたのは理の必然

                   (2014年12月19日)

 

  要点:1 鈴木正幸国民国家天皇制』校倉書房,2000年

  要点:2 近代国家体制に神権的権威をもちこんだ愚策の顛末


  明治天皇政治体制の確立に貢献した伊藤博文
 
 1) 伊藤博文による明治国家造り

 山折哲雄天皇の宗教的権威とは何か』(河出書房新社,1990年)は,1888〔明治21〕年における伊藤博文の言説に関して,こう論述している。本書にしばらく聞いていくかたちで議論する。

 明治21〔1888〕年6月18日,数ヶ月前に総理大臣を辞任して枢密院議長に就任していた伊藤博文は,その自分の掌握下にあるこの枢密院に憲法制定会議を召集して,威風堂々の演説をおこなった。なにゆえに威風堂々であったかといえば,いまやアジアの諸国にさきがけてはじめて「憲法政治」を樹立せんとする気概がかれの心に横溢していたからであり,ヨーロッパの先進諸国とも区別せられるべき特異に「君権」憲法の制定という大事業がかれを待ちうけていたからである山折哲雄天皇の宗教的権威とは何か』河出書房新社,1990年,124-125頁)

 伊藤博文はそのころまで,ヨーロッパとキリスト教の事情につうじた開明的な絶対官僚に成長していた。この伊藤が焦燥していたことがあった。ヨーロッパの憲法政治の歴史においては,千余年に及ぶ人民がこの制度に習熟して十分な経験を積んでいるうえに,キリスト教が人心を帰一させうる「国家の機軸」として絶大の役割を果たしている。それに比べて,日本では仏教および神道の宗教としての力量を軽侮されるほかなかった。

 佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも,今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖,宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ。是を以て此憲法草案に於ては専ら意を此点に用い,君権を尊重して成る可く之を束縛せざらんことを勉めたり(『枢密院会議筆録』「憲法草案枢密院会議筆記 第一審会議第一読会における伊藤博文枢密院議長の演説」明治21年6月18日,京都での憲法演説)

 この一文で分かるように伊藤は,明治憲法における〈人心帰一の機軸〉に神道や仏教ではなく「皇室」を選んだのである。ただし,彼自身が自覚的に,皇室という機軸を仏教とか神道などの宗教的な機軸の代替物になりうるとか,あるいは「宗教そのもの」の精髄になりうるとか考えていたかどうか不詳である。多分,民族の伝統的な智恵と心性を無意識のうちに代弁した結果と思われる。明治の治者階級が抱いた関心事はただひとつ,皇室という機軸が歴史的に実証しているかにみえる永続性とその根拠を,論理的に明らかにする仕事にあった(山折,前掲書,125-126頁)

 そこにみられる論理的に唯一の筋道は,皇室の不壊の存在理由を「皇祖たる祖霊」の加護という祖先祭祀の観念によって証明しようとするところにある。「神明」と「祖宗の霊」が皇室の永続性を保証することによって,国家の開始を告げる絶対のアニマ(anima:魂)としての聖位に登ったのである。皇祖皇宗の祖霊は,衆庶の祖霊の上に超越する絶対の威霊として荘厳され祭祀の対象とされねばならない。かくして,アニミスティックな階層制的神権政治の原型がここに像をむすぶことになる(同書,127頁)

 帝国憲法第1条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」は,天皇統治の正当性が代々継承され,断絶しなかった点に拠っていた。このことは,万世一系思想に接合された「天皇の機軸」が有した「一種の非宗教としての秘密」を示唆する。天皇統治の正当性はただ,その連綿たる継承性にのみ求められていた。「天皇の機軸」は,神道や仏教を止揚するかごとき「一種の宗教的有効性の観念」をすべりこませようとし,いわばその脱色された抽象的な表現のうちに「祖宗の霊」という超政治的な有効性の政治的利用を意図したのである(同書,127-128頁)

 2) アジア侵略路線を招来した明治憲法の理念

 こうして天皇統治の万世一系性は,その暗喩的文脈でいえば「皇室の祖先祭祀」に支えられてはじめて,その固有の政治的意味を発揮できるしかけになっていた。そのかぎりにおいて日本帝国の主権が「天皇陛下の玉体に集合する」(明治22〔1889〕年2月15日「府県会議長に対する演説」)との正当性が,内外に宣言されるに至ったのである。このばあい「陛下の玉体」は,万世一系たる王位継承者としての肉体であると同時に,皇祖皇宗の霊威の継承者としての肉体でもあると考えられていた(同書,128頁)

 しかし,以上の説明は,本質的にはあくまでも,明治の絶対主義官僚の思惑がつじつまを合わせるためにだけ案出した「巧知な解説」であった。仮に,万世一系という思想が可能であったとしても,その一系性の論理的な根拠は,歴史的にいったいどのようにして証明されるのか(同書,129頁)

 「『大日本帝国憲法』が一切の宗教的観念を排して,ただ皇室の機軸すなわち祖先祭祀にもとづく万世一系思想を表明し」た(同書,130頁)ところの,「皇祖皇宗を中心とする祖先崇拝が,実は政治的虚構の産物にすぎないものであ」った。「天皇自身がカミなのではなく,天皇『地位』がカミの性格を有していた」のであり,それが「明治憲法の精神的中核」(同書,133頁)を形成する思想であった。
 
 かくて伊藤博文は「帝国憲法」を起草し,近代天皇制の基礎を定めるにあたって,「皇室の機軸」の中に暗に含まれていた民族的特性を無意識のうちに先取りしつつ,政治的天皇制の契機と呪的天皇信仰の契機を統合することにほぼ成功したのである。とするならば,わが国における万世一系の考え方は,「皇位」と「天皇霊」の統合理念として救い主=王という観念を歴史的に内包してきた思想でもあった・・・。政治的価値が呪術,宗教的心情へと無限に拡散し,また呪的狂熱がナショナルな政治的膨張論へとはげしく急上昇していく近代日本のエトスが,そこに萌芽しているのである(同書,143頁)

 以上,山折哲雄明治天皇政治体制「論」は「万世一系」思想を説明していた。この「万世一系」思想は,日帝アジア侵略路線を軍事政治的に展開させてゆくさい〈必然の神国思想〉を提供した。「万世一系」思想に連なっている日帝的な各種思想は,「万邦無比」「八紘一宇」「神州日本」などとしても連係的に表現されていた。

 ただしそれらは,日帝流の特有な唯我独尊・夜郎自大の思想を,具体的に粉飾・修辞していたといえる。これらの文句に〈表出されるべき政治思想〉が「日本国内向けの神国思想」であるかぎりであればともかく,いったん国外へ向けられる事態になるとただちに,侵略思想に転換・利用されることになった。

 

  鈴木正幸国民国家天皇制』校倉書房,2000年

 1) 御前会議は帝国憲法体制の崩壊を意味した

 本書,鈴木『国民国家天皇制』2000年は,近代国家体制の実質である〈国民国家〉が天皇制と結合して構築された明治政治体制が,どのような運命をたどっていったかという問題を,本文の末尾で論及している。まずこれに聞こう。

 1941 年12月8日,日本はアメリカ・イギリス軍を奇襲攻撃して太平洋戦争を開始した。この時,日本は自らの国力を超える戦争を開始することによって滅亡への道を歩んでいった。

 戦争の過程で,国家理性を否定する天皇現人神化と天皇親政の実質化が進んでいった。そして天皇親政の実質化は,1945年(昭和20)年8月,日本が敗戦必至の極限状況に置かれたポツダム宣言をめぐる御前会議において鮮明にあらわれた。

 ポツダム宣言受諾をめぐっては,統帥部と内閣の対立だけでなく内閣内部でも対立した。天皇は権力と実質上も直接行使する君主として「聖断」を下した。たしかに明治憲法の建前では,政治諸機関が国家意思決定をめぐって分裂し対立し,相互に調整できなくなった時,それを調整し決定を下すものは最終的には天皇であった。

 しかし……帝国憲法体制は,特に日清戦争以降,天皇の実質上の不親政化によって,天皇親政の建前と天皇親政不可侵を両立させ,近代日本における君主制の安定化に成功してきたのであったから,この建前の実質化は事実上の帝国憲法体制の崩壊といってもよかった鈴木正幸国民国家天皇制』校倉書房,2000年,228頁)

 昭和天皇は,日本帝国が昭和20年8月の敗北を認めるにさいし,「君主の意思を国家理性の範囲内にとどめるという,明治維新以来築いてきた近代国家に必要な原則を放棄する」ことになった。つまり「現身の天皇が皇祖皇宗の遺訓という形式をとった国家理性によって」,そして「自己を律し,臣下も遺訓遵守を要請するという形式で」もって,「自己の外にある規範として自己を律していた皇祖皇宗の遺訓の存在」を守ろうとしてきたにもかかわらず,「天皇を現人神化し,したがって皇祖皇宗と現身の天皇を一体化することは,現身の天皇が,それまで自己の外にある規範として自己を律していた皇祖皇宗の遺訓をあいまいにするものであった」(同書,226頁)

 2) 皇室・国体と戦前日本の政治体制-2・26事件時の天皇親政など-

 「1936年の2・26事件を経て,軍部による国政制覇が決定的となった時,天皇の神格化は,軍内部だけでなく全国民に浸透させられることとなった」。「天皇を現人神として絶対化し,絶対的無答責化することによって,それに直属する軍の絶対化と国政制覇と可能にする必要」(同書,225頁)のあったのは,軍部であった。

 「軍部のかかげる天皇親政の実質化は,これら〔軍部の独走を強く批判していた」「美濃部の憲法学説」「天皇機関説」〕では天皇に責任が及ぶことなる」という帝国憲法じたいの問題よりも,「天皇親政をかかげ,天皇親率のもとに自己の優越性を主張し,さらには総力戦に名を借りて軍事以外の国務一般にも介入しようとした軍部にとって」(同書,224頁。〔 〕内は224頁別所より)の利害しか視野に入っていなかった。

 明治以来,皇室・国体を政治圏外に置いたかたちで実現された政党政治が,それ〔天皇親政〕を引きいれたとなれば,帝国憲法体制下にあってはみずから墓穴を掘ることになった。昭和1桁年代に右翼運動が広まってきたのは,皇室・国体を政治的争点と化し,しかも政党政治の腐敗と外交危機=「政治国難」,経済恐慌=「経済国難」,左翼運動の展開=「思想国難」の3条件が出そろったときであった(同書,205頁)

 大正後期から盛りあがってきた日本の左翼は,国体論とナショナリズムを切断して,民衆のうちにあるナショナルな意識を,自己のなかにとりこむことに成功しなかったし,またそのことじたいを自覚できていなかった(同書,194頁)

 左翼もまた客観的には,その主張の論理において国体を自己利益の実現のための手段として利用しており,国体の発揚を目的にかかげていた。このような目的と手段との転倒的な表現が不可避であったのは,弾圧のためのカモフラージュのみでなく,“万邦無比” なる国体に対抗させて,代わりうる「民族の共同体の象徴」を提示することができなかったことの結果であった(同書,195頁)

 3) 大正デモクラシー期における皇室・国体問題

 真の国民的利益は国家という名を関する必然性はなく,国体に対立する。現実の国家と対置された「国家」は,日本国民ないしは日本の勤労人民の総体的利益を体現する,いいかえれば,日本民族・勤労人民の共同生活体を表徴する概念として理解される。したがって,この「国家」の利益を擁護することは勤労者の国民的ナショナリズムであり,国際主義と矛盾しない。この「国家」は国体と結合する必然性はない(同書,189頁)

 「民族の共同体の利益」と「国家の利益」が一致しないにもかかわらず,「国家団結の基礎としての民族精神」あるいは「日本固有の君臣の道徳文化として国体の存在」を是認したことは,この分離の徹底化を困難にさせていた。この分離を可能にさせる思想は,国家を階級国家として把握し,この国家と日本民族の圧倒的多数を占める勤労人民の利益との背反を説く社会主義であった(同書,190頁)

 第1次大戦前は,万邦対峙・富国強兵がまさに「世界の大勢」であり,国家的価値と「世界の大勢」は一致していたゆえ,「世界の大勢」は支配者に有利に作用していた(同書,184頁)。大正前半期ころまで労働者の権利主張は,往々にして国家的有用性を証明する形式で国家的価値に結合しておこなわれた。というのも,国家的価値が積極的に価値序列の頂点に位置づけられていたからである(同書,185頁)

 だが,第1次大戦後は「世界の大勢」はデモクラシーと国際平和主義にかわり,支配者には有利でなくなってきた。戦後に出現した国際協調体制は「天皇の権威」の再生産を困難にさせ,天皇制国家の枠組そのものを動揺させた。デモクラシーの要求は,現実の国家はもちろん,国体的国家をも相対化させはじめた。現実に国体を無視したり対抗したりする利益が主張された。ここに天皇制という君主制の危機の1条件が形成された(同書,186頁)

 第1次大戦後の日本でも,君主制の世界的危機のなかにあって君主制の安定を図るべく君主人格の確立,すなわち人格的シンボルによる社会統合が画策された。明治天皇日清戦争以降ナショナル・シンボル化したのは,たとえ多分に演出されてはいたものの,明治天皇という人格と関係していた。しかし,大正天皇明治天皇のカリスマ性を引きつげなかった(同書,179頁)

 第1次世界後における君主制の世界的危機は,日本君主制を安泰にするためには,君主人格の構築を皇太子裕仁に期待した。この皇太子の洋行が,第2次大戦後における皇太子明仁の成婚に匹敵する一大イベントとして演出され(同書,181頁)明治天皇が強国化の権威的ナショナル・シンボルとしてカリスマ化したのとは違い,敗戦後における皇太子〔明仁天皇〕一家がマイホーム的な社会シンボルとなって,その存在意義を確保したのに似た演出がなされていた(同書,182頁)
 
 かつて「シラス」型統治論において “天皇に私なし” を全面に押し出して天皇統治の正当性が語られたのとは反対に,天皇(摂政宮)の自然人としての私人格,私生活を積極的に公開することによって,社会的シンボルとして君臨することへの国民的合意を得ようとしたのである(同書,182頁)

 私財を福祉・公共事業になげうつ一大名望家としての皇室,市民生活の “憧れ” としての皇室,そうしたものの人格的シンボルとしての天皇(摂政宮),そして事実上 “君臨すれでも統治しない” 天皇,これが第1次世界大戦によって出現した君主性の世界的危機への日本君主制の対応=メタモルフォーゼの理念型であった。そしてそのかぎりで,日本とともに君主制の世界的危機をクリアしたもう一つの強国イギリスの立憲君主制に近づきつつあった(同書,183頁)

 4) 戦前体制における天皇天皇の根本矛盾

 日清戦争後,皇室は日本国民の総本家(宗家)であって,分家末家である国民は総本家の家長である天皇に率いられるのは当然とする国体論,いうなれば「総合家族制度」国体論=家秩序的国体論が急速に広まっていった(同書,148頁,149頁)

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 出所)http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20110514/1305307873
 補注)『幼年倶楽部』昭和18年9月号に,当時の富国徴兵保険相互会社(1945年9月に富国生命保険相互会社に改称が出した「富国徴兵の広告。日本という「お國はせかい一」だったとのこと。明治維新以来の「殖産興業」を図り,「富国強兵」の道を歩んだ結果が「敗戦」であった。

 

 「富国=強兵」は失敗した。が,敗戦後15年も経ったころの日本は「経済大国」への予兆がはっきりと視野のなかに収まってきた。しかし,21世紀に入る前にはすでに,昨今におけるアベノミクス(?)的な「国家経済・社会全体の体たらく」を予見させるかのような様相が現出していた。バブル経済の破綻がその合図になっていたと回顧できる。

 

 その後,「失われた10年」と指称された歴史の単位期間が2回ほど反復された「2011年3月11日」に発生した東日本大震災とこれを原因とする東電福島第1原発事故の誘発という「世紀の記録」に残る「平和利用核エネルギー施設の爆発事件」は,ひと称して「第2の敗戦」と呼んだ。

 

 それでもなお,バカのひとつ覚えの要領でもって「戦後レジームからの脱却」を唱えてきた,それも近現代の日本政治史上,最悪・最凶となっている総理大臣安倍晋三がいた。戦後レジームという猿ぐつわを一番頑丈に嵌められている当人が,それからの「脱却」を大声で叫んできた様子は,まさしくマンガ的でもあった。

鈴木正幸の記述に戻る→〕 しかし,この形態で国体論が完成したために,他民族を国民共同体から排除する排外的性格を帯びざるをえなかった。台湾領有によって他民族を国家の範囲に包摂したとき,天皇がこの他民族を統治することの正当性は,その家秩序的国体論では弁証できなくなってしまった(同書,150頁)。「台湾という植民地統治が現実の問題となると,その正当性論理は至るところで困難に遭遇せざるをえず,“柔軟に対応して姿態変換を遂げ” ることができなかった」(同書,151頁)

 明治期日本の対外観は,たとえば森 有札が「赤裸々な主権国家の暴力こそが通用するとの,維新いらいの有司たちの国際政治への認識や信念」として「馬鹿正直」に語ったように,その「実践としての台湾・朝鮮への軍事政略は,まさに粗暴で,『無法ノ国』日本というイメージを,はやくも近隣諸国に焼きつけてしまった」(同書,122頁)

 対外関係における公理に対する便宜主義,それと裏腹の実力主義,これらはやがて他国を実力に応じて1等国・2等国・3等国と等級づけて差別する思想へと連なっていく。この思想「公理なき実力主義」は「人権における公理なき実力主義(そこに淵源する権利=利益説)」と符合していた(同書,123頁)

 5) 明治天皇の始源 

 近代国家の統治権天皇が独占する正当性を保証するために必要とされたのは,なにか。

 第1に,皇室の祖先が公共性のみを目的として国を建て,万世一系皇統にあるものがその『シラス』型統治を行ってきたという,皇祖皇宗(祖宗)の『シラス』型統治の神話伝承を事実として承認し,かつ国民にも強制することであった。

 第2に,近世の藩の主君が祖法(藩祖の定立したとされる不文の立法)に絶対服従したように,天皇も皇祖皇宗の不文の立法たる祖法(「シラス」という公平無私の統治方式)への絶対服従によって,統治皇位の無私性が保障されることを天皇にも強制し,自覚させる。そして,この天皇がことあるごとに皇祖皇宗に服従する儀式をおこない,それを国民に対して証明してみせる。

 こうして,大日本帝国憲法が祖宗遺訓であるがゆえに天皇は主権者であるにもかかわらず憲法遵守が天皇の義務となった」。憲法発布の「『告文』は祖宗への遺訓遵守の誓約であったのであり,そのことを通じて天皇が『シラス』型統治を義務づけられている存在であることを国民にも証明してみせたのである」(同書,87-88頁)

 以上が,天皇が近代国家の統治権を独占した正当性を保障するために必要な条件であった。したがって,天皇が祖宗に対してその遺訓遵守を不断に誓約し,このための祭祀儀式を執りおこなうことが,近代天皇制国家にとっては公的なことがらでなければならなかった。

 国家神道がそれゆえに,近代国家の統治権天皇が独占することの正当性を保障するために不可欠であった。天皇がそうである以上,その統治のもとにある国民も祖宗の遺訓遵守は公的義務とされねばならなかった。ここに,国家神道の祭祀儀式が国民に義務づけられたゆえんもあった(同書,88頁)(鈴木正幸の引用はここで終わり

 6) 天皇の仕事というもの

 21世紀のいまもなお,明治になって皇居のなかにしつらえられた宮中三殿において天皇一族は,現代風に意味づけたつもりである「皇室神道の国家宗教的な意義・影響」を発揮させたいかのように「国家神道であった皇室神道」の諸儀式・諸祭祀を執りおこなっている。日本国憲法は民主主義を反映する法律体系であっても,そのなかにはまさしく明治維新的な封建遺制を本旨とする宗教精神が色濃く残存させられている。

 ところで,国粋保守主義者の桜井よしこは,こう述べていた。

  ☆ 国民の幸せのための祈り ☆

 私ははっと気づかされた。多くの日本人は天皇陛下が折りに触れ,国民のために祈ってくださっていることや皇室の最重要の役割が国家,国民の安寧を願う祭祀であることを意識さえしていない。しりもしない。

 実際に天皇陛下はどのように祈ってくださっているのか。「産経新聞」の宮内庁担当記者だった山本雅人氏の『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)でみてみよう。ちなみに氏は担当記者として毎日拝見することになる以前と以後の「天皇像」に大きなギャップがあったとし,一般の国民も同じだろうと感じて本書をまとめたそうだ。

 報道される皇室関係のニュースでは,「一般参賀や地方訪問でのお手振り」などが皇族の仕事だと考えがちだが,実際はまったく異なる。もっと重要な,国民の幸せのための祈りは皇室の私的行事と位置づけられ,ほとんど報じられない。しかし,国民に伝えられない祈りこそ,皇室がつねに最重要視し,みずからの存在意義としてきた重要な活動なのである。

 補注)つまり,国民が『天皇陛下の全仕事』をしるとしらないとにかかわらず,天皇家側にあってはこうであったというのである。敗戦後においては「もっと重要な,国民の幸せのための祈りは皇室の私的行事」と位置づけられているのだが,「国民に伝えられない祈りこそ,皇室がつねに最重要視し,みずからの存在意義としてきた重要な活動なの」だと,櫻井は強調している。

 もっとも,それほど重要だとされる皇室の活動が国民にあいだに十分に周知されていない現状は,問題があるということなのか。だが,ひとまず現状のままでもいいと済ませておきつつも,そのうえで勝手に決めこんでいるのが,皇家側の価値観は「国民の幸せのための祈り」に「国民的=公的な行事」としての意味をもたせている,という国家「皇室神道宗教的な関連づけ」であった。

 そこではもちろん,皇室神道(私的行事)=国家神道(公的意味)という道筋が確固として想定されている。この想定はだから,明治時代からとなにも変わっていない。

 櫻井よしこはさらにいう。農業国日本の1年は,天皇が国民の安寧と五穀豊穣を神々に祈ってくださり,その祀りを軸に過ぎていく。国民の生活も祝日も同様である。1月1日の歳旦祭のあとは2月11日の紀元節,3月21日の春季皇霊祭,8月15日のお盆の日,9月23日の秋季皇霊祭,10月17日の神嘗祭,11月23日の新嘗祭などが続いていった。

 これらは戦後,春分の日秋分の日,文化の日勤労感謝の日となり,歴史とも文化とも,また四季とさえも無関係の祝日になった。皇室の祈りは天皇家の私的行事に矮小化されたまま,現在に至る。

 補注)ここでは,天皇家を中心にする〔いわば地動説的な〕この「天皇家〔へ〕の私的行事に矮小化」された「皇室の祭祀」という理解が示されている。

 旧来〔明治以前〕からの伝統である民間の「節句」(節日:せちにち,ともいう)は,日本の暦のひとつとして伝承されてきている。これは,伝統的な年中行事をおこなうために「季節の節目」となる暦であり,日本の文化・風習を表現する時間的な節目を表現する。

 ところが,櫻井よしこが前段に挙げていたような,皇室神道における「祈りの軸」だというそれらの祝日は,庶民・国民の側における節句を無視し,天皇家用に改変させ:すり替えていたものである。

 ここで,つぎの2つの図表をみてもらう。櫻井には,日本国全般の現状に関する社会科学的な理解において,重大な欠落がある。

 まず,農業人口関係統計を挙げておく。平成31:2019年における農業人口比率は 3.2%である。

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 つぎに「食料自給率」の『問題』に触れてみる。日本国内で消費された食料のうち,国産の占める割合のことである食料自給率は,農林水産省の発表によれば,2018年度において37%(カロリーベースによる試算)であり,これは過去最低を記録していた。これをおおまかに解釈すれば,日本で食べられているもののうち,37%が国内で生産されたもので,残りの63%は海外からの輸入に頼っているということになる。

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 こうなると,櫻井よしこが「農業国日本の1年は,天皇が国民の安寧と五穀豊穣を神々に祈ってくださり,その祀りを軸に過ぎていく」などといった,ほとんど現実離れとみなしていい発言(放言・妄言のたぐいか)は,そもそもその発言する根拠をもたないものであった。

 率直にいって,まともな識者の見地からすれば,もはやただオメデタイのだというほかない発憤ぶりまで披露しつつ,「日本は農業国」なのだという具合に,いまだに空想したがっている。どだい,明治以来における日本の産業化過程は,農業部門の比率を下げてきた歴史そのものであった。とりわけ,敗戦後におけるその比率の急激な低下はいちじるしかった。

 それにしても,いまどきにまだ「日本は農業国」だといいきれる櫻井よしこ流の「時代錯誤」の「産業経済認識」には,ただ呆れるほかない。ここではとくに,「日本の宗教」全般問題にかかわらしめていうに,皇室神道の本質認識に対する櫻井よしこの度外れた「時代認識の倒錯性」は,徹底的に批判され排斥されるべき「旧・日本史的な老廃物:有害汚泥」であった。

 つぎの段落に引用する櫻井のいいぶんはくわえて,天皇に対する盲目的な至上主義を独白している。はたして,「日本の文化文明の芯となってきた皇室と国民」とは,櫻井が強調するほどに頼りなくもかぼそい実在でしかなかったのか?

 櫻井はこうもいう。「皇室はいま国民の無関心や知識不足のなかで,皇位継承問題も含め大きな危機に直面している。そのことは,そのまま日本の危機である。日本が漂流しはじめたいま,日本の文化文明の芯となってきた皇室と国民の,来し方行く末を考えたいものだ。皇位継承の安定を保つためにも皇室典範の改正も急ぎたいと切望する」。

 註記)「国民に知ってほしい陛下の祈り」『櫻井よしこ オフィシャルサイト』2011.01.13,http://yoshiko-sakurai.jp/2011/01/13/2322

 「天皇教信仰国家体制の構築」が,多分,櫻井よしこのとなえたい最終目標である。しかしこれは,時代錯誤の極致をなす腸捻転的な見解であり,明治帝政時代を郷愁する国家主義的な想念のまさしく「今世紀的な(サクラの?)狂い咲き」である。

 「皇室の危機」が「そのまま日本の危機」などいう政治観念的な単純把握こそ,天皇教の狂信的信者というにふさわしい〈数世紀前的な時代観〉の産物である。

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 【※ 未 完 】「本稿の続編」は,以下である。

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