1945年3月10日東京大空襲,米軍指揮官カーチス・ルメイに勲章を与えた「佐藤栄作と小泉純也」は安倍晋三のオジと小泉進次郎の祖父

第2次大戦末期,日本本土への米軍B29による市民無差別殺人空襲作戦の指揮官カーチス・ルメイに,戦後の首相佐藤栄作安倍晋三の大叔父)が勲章を与えていた

                   (2019年3月10日)

 

  要点:1 1945年3月10日東京下町大空襲,そして5月25日東京山の手大空襲の記憶】

  要点:2 「敗戦」後,日本帝国臣民を空襲(絨毯爆撃)によって殺戮した張本人カーチス・ルメイに勲章を与えるよう推奨したのが「小泉純一郎元総理の父であり,当時は防衛庁長官だった小泉純也」であった

  要点:3 日本国憲法の規定によれば「天皇の承認なしには,相手が何者であっても勲章を受章されることはない」。その意味でいえば「無差別大量虐殺であった東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章を授与したのは天皇である」

  要点:4 カーチス・ルメイ勲一等旭日大綬章を授賞されたのは,1964年12月7日であったが,さすがに天皇裕仁は直接に手渡しすることはなかった

 


  1945年3月10日と5月25日
    -旧大日本帝国の陸軍と海軍の記念日-

 a) 最近ではあまりみかけなくなったが,以前であれば街路のどこかでみかけることがあった「防犯協会の注意書」の文句に,「気をつけよう甘いことばと暗い夜道」という標語があった。いまどきの安倍晋三政権にその標語を当てはめて考え,その改定版を造語するとしたら,つぎのようになるかもしれない。少し長ったらしい表現となるが。

 「気をつけよう」「美しい国へ」という美辞麗句,そしてご用心,「戦後レジーム〔という現実〕からの脱却」という「うすら寒いコトバ」。

 1945年8月以前において3月10日という日付は「旧大日本帝国陸軍記念日」であった。その年の3月10日未明から,米軍B29爆撃機の大編成部隊が東京都・下町地域に対して絨毯爆撃をおこなった。いいかえると,市民(都民)を無差別にかつ一方的に焼き殺すための攻撃行動が,それも主に焼夷弾を投下し,攻撃目標とされた地域を焦土とするための作戦として,しかけられた。

 ちなみに,旧海軍記念日であった5月25日につづけてその攻撃作戦がなされた東京都・山の手地域への空襲に関しては,こういう解説がなされている。

 3月10日陸軍記念日東京大空襲以来,名古屋,大阪など日本の主要都市をつぎつぎと空襲した米軍は,5月25日海軍記念日のメモリアル・デイ,再び東京に大規模な攻撃をしかけた。3月10日は,東京でも下町地区が攻撃対象,それに対し,5月24日,25日の空襲は,世田谷を含む山の手地区が攻撃目標となった。

 

 その5月24日,25日の空襲は,世田谷を含む山の手地区が攻撃目標となっていた。ちなみに5月24日,25日といっても24日は未明,25日は夜間の空襲であり,つまりこのときは,40数時間の時間差で,2回連続東京へ最大級の攻撃がおこなわれている。

   --中略--

 1945年3月から8月までの間に,米軍が爆撃の対象とした都市は64にのぼり,米軍の公式記録では,33万人の死者(日本側の記録は明らかではないが,百万人超といわれる),負傷者47万6000人,250万棟もの建物が破壊され,850万人の人びとが家を失う。3月10日と5月24,25両日を含めて戦争期間中東京は100回以上も火の雨にさらされ,市街地の6割を焼失し,687万人だった区部人口は253万人に減少した。

 註記)「5月24,25日 東京大空襲と経堂(2)」『経堂界隈』May 14, 2007,https://plaza.rakuten.co.jp/kd2006/diary/200705140000/
 補注) 1945年3月10日未明の東京下町大空襲の様子については,たとえば「東京大空襲(2)-2時間で10万人の市民を焼き殺した焼夷弾の大量投下-」(『太平洋戦争とは何だったのか』2017年3月3日,http://historyjapan.org/great-tokyo-air-raid-2)が,わかりやすく解説している。

 b) 第2次大戦末期における日本本土への空襲という歴史の問題については,大前 治などがつぎの著作を公表している。

   ※-1 水島朝穂・大前 治『検証防空法-空襲下で禁じられた避難』法律文化社,2014年2月。

   ※-2 矢野 宏・大前 治『大阪空襲訴訟は何を残したのか-伝えたい,次世代に』せせらぎ出版,2015年8月。

   ※-3 大前 治『「逃げるな,火を消せ!」戦時下トンデモ「防空法」』合同出版,2016年11月。

 この大前 治がちょうど1年前に,つぎの ② に引用する一文〔など〕を書いていた。本ブログ筆者は当時,まだ気づいていなかった大前のそれらの投稿であったが,1年後の今日にあっても,これを紹介する適当だと判断してみた(以上は2019年3月時点の話)。

 ところで,この大前の寄稿を読む前に想起してほしいのが,いままでなんどでもみられてきた「安倍晋三が〈北朝鮮の脅威〉を異常に(しゃかりきになってまで)煽る言動」であった。いまではすっかり沙汰止みになっている話題があった。以前であれば「北朝鮮からのミサイルが日本の本土に意図的に落される」ときは,すでに本格的な戦争状態(有事体制)への突入していた局面を意味するにもかかわらず,

 イ) 換言すると,そういった事態の発生など実際にはほとんど「想定外」(極端に低い確率)でしかありえない国際政治に関する事情であったにもかかわらず,

 ロ) さらに換言すると,「日本⇔北朝鮮」に関する軍事状況のあり方に対する即事的な認識としてさえ,完全に場違い:読み違いである対応をしていたにもかかわらず,

 北朝鮮が “各種のミサイル” を打ち上げるたびに,これをたいそう喜んで歓迎するかのように,「戦争が始まる!(戦争を始めたい!!)」かのように大騒ぎしていたのが,日本国首相安倍晋三であった。

 その軽挙妄動を象徴した日本側の軍事的な対応は「Jアラート」を発動し,一部地方の国民たちに避難行動〔の真似ごと:徒労〕をさせるといった具合に,実質的には完全に近いといいほど「無意味でしかない “非有効の行動” 」を求めていた。

 このあたりに関連する安倍晋三の政治家としての指揮ぶりに反映されている拙劣(幼稚)さは,国際政治の舞台のほうから日本に向けられてきた視線を思いだすと,この「一国の〈最高指揮官〉」である彼が「政治家としての資質」じたいを基本から疑わせる結末になっていた。

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   註記)http://www.kokuminhogo.go.jp/news/assets/20181221_kouhyou%28Jalert%29.pdf

 上掲の「文書」は政府広報〔2018年12月21日改訂〕であるが,「在日米軍(基地)」群の実質支配下(軍事管制下)に置かれている日本国の防衛体制のなかで,このような「国民に対する戦争遂行的な警告」を公告するというのは,「軍事問題」に関する実戦的な視点からみても,極端に空想的だという以上に非現実的な基本姿勢がうかがえた。

 c) 以前,北朝鮮が日本国土のはるか上空,すなわち領空とはいえない大気圏(以上の高度まで)を通過するミサイルを,なんどか発射した事実があった。だが,それが途中で日本のどこかに間違って(その飛行軌道が狂い)落下したとしても,その前に米朝が戦争状態(有事体制)にでもなってなければ,「ただちに日本も北朝鮮と戦争状態になる」などといった現実は起こりえない。もっとも,ここでは在日米軍基地の存在を抜きにできない『仮の話』をしている。

【参考画像】 

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 出所)「北朝鮮の標的は在日米軍基地 ミサイル発射で初言及,核攻撃ためらわぬ姿勢」『産経デジタル』2017.3.8 09:46,https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/photos/170308/plt17030809460001-p1.html

 補注)この手のニュース報道(  ↑  )は,産経新聞社系のネット・ニュースだとして受けとめ,読んでおく余地がある。以下にはつづけて,このニュースの本文も紹介しておく。いつも「戦争がしたくてしようがない “安倍晋三君の武者震い” が伝わってきそうな,政府御用新聞ならぬ「政府腰巾着新聞」である “サンケイ的な記事の筆致” がにじみ出ている。

 --北朝鮮朝鮮中央通信は〔2017年3月〕7日,在日米軍基地の攻撃を担う朝鮮人民軍「戦略軍火星砲兵部隊」が弾道ミサイル発射訓練を実施し,金 正恩朝鮮労働党委員長が立ち会ったと報じた。6日のミサイル4発を指すとみられる。韓国周辺で継続中の米韓合同演習に反発し,在日米軍基地を標的に核攻撃をためらわない姿勢を示した。日米両政府は日米同盟の抑止力を高めるため外務・防衛閣僚級協議(2プラス2)を4月末からの大型連休中に開く調整に入った。

 安倍晋三首相は7日,トランプ米大統領と電話で会談し,「地域や国際社会に対する明らかな挑戦だ。脅威が新たな段階に入った」との認識で一致。2プラス2の早期開催を確認した。首相は電話会談後,官邸で記者団にトランプ氏から「米国は百パーセント,日本とともにある」との発言があったと明かした。トランプ氏は「日米同盟は盤石であり,米国の日本の安全保障に対する関与は揺るぎない」とも強調した。

 米韓両軍は7日,米軍の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国配備を開始したと発表。4月にも実戦運用に入る。一方,朝鮮中央通信は,訓練は核弾頭のとりあつかい手順と作戦遂行能力を判定する目的だったとした。ラヂオプレスによると,部隊の任務として在日米軍基地の攻撃に言及したのは初めて。朝鮮中央テレビは7日,4発がほぼ同時に打ち上がる映像を放送した。韓国軍合同参謀本部は射程約1千キロの「スカッドER」との見方を示した。(引用終わり)

 以前,北朝鮮がさらに日本国土のはるか上空,すなわち自国の領空とはいえない大気圏〔のそのまた上空〕を通過するミサイルをなんどか発射し,飛翔させる出来事があった。だが,それらのミサイルが途中で日本の国土のどこかに間違って(その飛行軌道が狂い)落下したとしても(この想定すらけっしてめったにありえないが),もともと米朝が戦争(有事)の状態にでもなければ「ただちに日本も北朝鮮と戦争状態になる」などといった現実は,そう簡単には起こりえない。

 安倍晋三は,北朝鮮によるミサイル発射の問題を,北朝鮮との外交問題としてとらえるよりも,それによってすぐに戦争が起きてほしいかのように,つまり,戦争到来に願望をかける〔願をかける〕ための最適な対象として,いうなれば「北朝鮮が打ち上げるミサイル」になんらかの期待をこめているかのような態度を露骨に示してきた政治家である。というまでもなく,この日本国の首相には「政治家としてもっとも必須である〈基本の資質〉」が決定的に欠落している。安倍は国家を破壊し,国民たちの生命・財産を危うくするためであるかのように「日本の首相」の座に就いている。

 

  大前 治「10万人死亡『東京大空襲』の翌朝,政府が何と言ったかご存じですか 国民を守ろうとはしなかった…」(『現代ビジネス』2018年3月10日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614 から https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614?page=2〔~4〕)

 〔あの戦争中〕頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」といいつづけた日本政府〔であった〕。この方針は,一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても,変更されなかった。一度始まった政府方針は,簡単には修正されない。それでも,当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて,いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。

 1)10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」

 1945〔昭和20〕年3月10日の深夜0時08分,約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し,約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。現在の江東区墨田区台東区を中心に,千代田区江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し,罹災家屋は27万戸に上った。

 この大惨事を受けて,さすがの日本政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや,そうならなかった。空襲の直後,西尾壽造東京都長官(現在の知事にあたる)と坂信弥・警視総監も,都民にむけた告諭でつぎのように呼びかけた。

東京都長官と警視総監の連名による告諭】

  ・罹災者の救護には万全を期している。
  ・都民は空襲を恐れることなく,ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。

 「恐れるな」など無理な話だ。しかし,空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず,「被害は僅少」という大本営発表が報じられたので,それを信じる国民も多かったはずである。さらに,この日の午後7時20分,小磯國昭首相はラジオ演説でつぎのように国民へ呼びかけた。

 

【小磯首相のラジオ演説】

  ・敵は,今後ますます空襲を激化してくると考えます。敢然として空襲に耐えることこそ勝利の近道であります。
  ・断じて一時の不幸に屈することなく,国民が聖戦目的の達成に邁進することを切望する。

 家族と自宅を失って慟哭する国民に対し,「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけている。これ以上どうやって耐えればよいのか,その方策は示されていない。2日後には名古屋,その翌日には大阪が大空襲の被害を受けた。いずれも約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じた。

 3月15日付の読売報知には,陸軍当局が示した大空襲の教訓として「やはり初期防火の徹底である」という勇ましい呼びかけを掲載。同日の朝日新聞は,「初期防火と延焼防止 最後まで頑張れ 焼夷攻撃に怯まず敢闘」と一面に掲載した。

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 2)夜間大空襲の明朝に,内務省発した命令は

 空襲の夜が明けて,東京に広大な焼け野原が広がった。この光景をみてただちに,防空対策を担当する内務省が発した命令がある。残念ながら,「避難せよ,身を守れ」という布告ではなく,科学的見地から「このように消火せよ」という指示でもない。空襲予告ビラを所持するなという命令であった。

 空襲予告ビラとは,全国各地で上空から米軍機が散布したものである。時期により内容が異なり,1945年7月に散布されたものは,このように攻撃対象都市を列挙していた。予告ビラが初めて散布されたのは,東京大空襲の1ヵ月前,1945年2月17日であった。関東から東海地方までの広範囲で,落ちたビラを恐る恐る拾ったという体験談が多く残っている。

 

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 なお,ここに書かれた12都市は,1945年7月から8月にかけて予告どおりに空襲を受けている(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)。この空襲予告を国民が真に受けると,不安や動揺が広がり,都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり,政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。

 そこで,憲兵司令部は火消しに走った。「(ビラは)荒唐無稽だ」「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したらただちに憲兵隊や警察に届け出よ。1枚たりとも国土に存在させぬように」と発表し,それが新聞各紙にも掲載された。

 ところが1ヵ月後の東京大空襲では,空襲予告ビラに書かれたとおり甚大な被害が出た。今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。政府としては「つぎはこの街が攻撃される」という動揺が広がるのをなんとしても避けたい。

 そこで,東京大空襲の日に,「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めてしまった(内務省令「敵の文書,図書等の届出等に関する件」)。避難施設や消火機材の整備は遅々として進まないのに,こうした国民統制は迅速に進むのである。

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  註記)左から,朝日新聞1945年2月18日付,読売報知同年5月22日付,同年3月10日の内務省令。

 本来は,空襲予告ビラが撒かれたら,それを隠すのではなく,むしろ周知して「この街から逃げてください」としらせるべきではないか。そうすれば多数の生命が助けられたのではないか。悔やまれてならない。

 3)夜間大空襲の明朝に,内務省発した命令は

 空襲の夜が明けて,東京に広大な焼け野原が広がった。この光景をみてただちに,防空対策を担当する内務省が発した命令がある。残念ながら,「避難せよ,身を守れ」という布告ではなく,科学的見地から「このように消火せよ」という指示でもない。空襲予告ビラを所持するなという命令であった。

 空襲予告ビラとは,全国各地で上空から米軍機が散布したものである。時期により内容が異なり,1945年7月に散布されたものは,このように攻撃対象都市を列挙していた。なお,ここに書かれた12都市は,1945年7月から8月にかけて予告どおりに空襲を受けている(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)。

 予告ビラが初めて散布されたのは,東京大空襲の1ヵ月前,1945年2月17日であった。関東から東海地方までの広範囲で,落ちたビラを恐る恐る拾ったという体験談が多く残っている。この空襲予告を国民が真に受けると,不安や動揺が広がり,都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり,政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。

 そこで,憲兵司令部は火消しに走った。「(ビラは)荒唐無稽だ」「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したらただちに憲兵隊や警察に届け出よ。一枚たりとも国土に存在させぬように」と発表し,それが新聞各紙にも掲載された。

 ところが1ヵ月後の東京大空襲では,空襲予告ビラに書かれたとおり甚大な被害が出た。今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。政府としては「つぎはこの街が攻撃される」という動揺が広がるのをなんとしても避けたい。

 そこで,東京大空襲の日に,「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めてしまった(内務省令「敵の文書,図書等の届出等に関する件」)。

 避難施設や消火機材の整備は遅々として進まないのに,こうした国民統制は迅速に進むのである。本来は,空襲予告ビラが撒かれたら,それを隠すのではなく,むしろ周知して「この街から逃げてください」としらせるべきではないか。そうすれば多数の生命が助けられたのではないか。悔やまれてならない。

 補注)ここまで大前 治の記述を引用しつつ途中で断わっておかねばならないのは,21世紀の最近における「北朝鮮ミサイル騒ぎ」を盛り上げていた(扇動してきた)安倍晋三首相は,第2次大戦末期における日本政府とはそれこそ “似て非なる” 言動,すなわち,現実的な発生する可能性がほとんどありえない「〈北朝鮮〉の恐怖」を,懸命に煽ることに熱心であった。それが政権支持率を支えるための具材に利用されていたことも,たやすく理解できる。

 1945年における本土空襲の体験は本物であった。けれども,21世紀になってから本土に来襲(飛来してくるもしくは上空を通過)するといった具合での「北朝鮮ミサイルの軌道」に関する理解は,実質的には金 正恩君の “単なる軍事的な示威行為” に留まらざるをえない制限:「国際政治の力学関係」のなかでこそ,なされるべきものである。この点は,当初から判りきった「金君の行動様式」であり,かつまた「予想の範囲内に属するやり口」であった。

 しかし,日本国の「最高指揮官」ばかりはどういう反応であったかとみると,喜色満面に欣喜雀躍し,このときとばかり《戦争疑似体験》を国民たちに強要していた。端的には例の『Jアラートの「発動」』がそれであったが,実際的には(実戦向け〔!?〕には)なんら効果はなかった「その予行演習!」であった。要は,骨折り損のくたびれもうけだったとしかいいようがない “経過” になっていた。一言でいえば,「アベ児童の戦争ごっこ」のための自己満足行為に,国民側が無理やり付きあわされていた。

〔記事に戻る ↓ 〕

 4)焦土に立つ議事堂で「逃げろといっていただきたい」

 東京大空襲の翌日(1945年3月11日),午前10時9分から貴族院本会議,午後3時9分からは衆議院本会議が始まった。議事堂の周囲は,同年1月27日の銀座空襲と前日の東京大空襲により焦土と化していた。貴族院では小磯首相が演説した。空襲で傷ついた国民にムチを打つように,「職場に,防衛に,輸送に,国民ことごとく戦列につき,断じて我が国体と我が国土とを護り抜かんこと」を要望した。

 各議員からの質問は,国際情勢や本土決戦をめぐり政府を礼賛する内容が多かったが,最後に登壇した大河内輝耕(おおこうち・きこう)の質問は様相が違った。つぎのように政府の空襲対策を批判したのである。

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 出所)大河内輝耕,https://japaneseclass.jp/img/大河内輝耕

 政府のやることがすべて後手に回っている。たとえば防空の問題。疎開の必要性をわれわれは主張していたが政府は一向に聞かない。それどころか「疎開する者は非国民だ」とまでいいだした。ぐずぐずしているうちに,昨日の被害,死傷者が出た。

 学童以外の疎開を制限してきた政府方針を真っ向から批判する。空襲の翌日,焼け跡の異臭が漂うなかで,1人の人間として政府の方針を批判せずにはいられなかったのであろう。大河内議員は,3月14日にも貴族院本会議で登壇した。大達茂雄内務大臣が3月10日の東京大空襲の被害状況を淡々と報告したのに対し,「簡単に質問をいたします」と立ち上がり,つぎのように迫った。

 私の質問は,「人貴きか,物貴きか」と,こういう質問なんであります。防空施設を整えるという話もあるが,私はこうなっては間に合わないと思う。大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。つぎは東京が全部やられるかもしれない。その場合に,人を助けるか物を助けるか,どっちを助けるかをうかがいたい。

 

 私は,人を助ける方がよいと思う。消防などは二の次でよいから,身をもって逃げるということが一番よいと思う。内務大臣から隣組長などに,「火は消さなくてもよいから逃げろ」といっていただきたい。

 

 避難を禁止して消火義務を負わせる防空体制を根本から否定している。この大河内議員は,東条英機首相による選挙干渉を議会で批判するなど,時流に流されない立ち位置を維持してきた稀有な議員であった。

 

 これに対し,内務大臣は「焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております」「初めから逃げてしまうということは,これはどうかと思うのであります」と答弁。東京大空襲の惨状をみても,国民を守るための軌道修正をしようという姿勢は皆無であった。

 補注)なお,大河内 輝耕(おおこうち・きこう,1880〔明治13〕年~1955〔昭和30〕年)は,上野国高崎藩最後の藩主大河内輝声の長男,貴族院議員・子爵であり,妻は徳川慶喜の八女の国子であった。以上の論旨に,この出自に関する大河内の背景が,なにかの関連をもたらしていたと想像しても,あながち間違いとはいえまい。

 5)たとえ自衛戦争だったとしても

 それから敗戦までの5ヵ月間,全国の地方都市も空襲を受けていくが,政府は「逃げずに火を消せ」という防空法による方針を変更しなかった。広島・長崎の惨事をみたあとには「原子爆弾には初期消火をせよ」という指示まで発していた。

 補注)この「原子爆弾には初期消火をせよ」との文句は笑えるどころか,心肝を寒からしむる発言であったと,いまさらにように慨嘆するほかない。このような発想ができる人間が国家の指導層に実際に居た。彼らの存在,その発想を軽侮する以前に,なんとも表現のしようがない “末恐ろしい気分” に追いこまれる。

 日本が「わが国の権益を守るための自衛戦争だ」という名目で始めた戦争だったが,最終的には,国民が命を捨てて国を守るよう命じられた。たとえ自衛戦争だったとしても,国民を守るのではなく,国民が犠牲となって国家を守るという意味での「自衛」だったように思う。

 補注)侵略戦争そのものが「防衛戦争」だったとか「国防のための戦い」だったとかいいわけされることは,世界の戦争史のなかには常套句のように登場する。そのさい「国家の権益」を守るのだといっては,「国民たちの命」を楯にするだけでなく,なによりも矛にして最前線に送りこむ。ところが,いざ形勢が悪くなると「彼ら:国民たちのこと」なそっちのけで,「自分たちの命」だけを大切にして逃げまわるエリートたちが,これまたいつの時代にも “掃いて捨てる” ほどにいた。日本の場合,その最高格の代表者が誰であったかは贅言を要しない。

 こうした過去の事実は,現代の私たちにも示唆を与える。

 憲法改正自衛権行使のあり方が問い直されているが,もし将来,国家の自衛のために国民が愛国心をもって「国を守る義務」を負わされるとすれば,それは過去の歴史の繰り返しになってしまう。自民党が2012年4月に発表した憲法改正案は,国民は誇りと気概をもってみずから国を守るものだと明記している。それが道徳となり空気となることが恐ろしい。

 かつて日本政府は「戦争には必らず勝てる」「空襲の被害は軽微だ」という嘘を重ねた。それが国民総動員の原動力となった。いまの政府は,同じような過ちを繰り返さないだろうか。ニュースをみれば,資料の廃棄(南スーダン自衛隊派遣,加計学園問題)や,不適切な比較資料(裁量労働問題)など,不都合な事実を隠蔽しているのではないかと疑わしい事態が繰り返されている。

 補注)その後における直近の1年間をくわえていうと(ここに参照中の文章は2018年3月1日公表),安倍晋三政権がさらにつづけて恥ずかしげもなく披露していたものでは,「国家統計の不正なとりあつかい」であった(その後には「桜を見る会」や「検事総長の定年延長」問題もあった)。この格段と破廉恥で不当・不法な狼藉を意味する統計不正の問題などは,なにを意味したか?

 「国家そのものの態様をより正確に反映させる数値」だとみなされ,国家の運営のために利用されるはずのこの統計が『ウソの領域』のなかに引きずりこまれ公表されていたという「基本の事実」は,非常に深刻な政治の危険な状況,いいかえれば「国家の信頼性」に対する全面的な崩壊現象を惹起させた。

 安倍晋三麻生太郎〔首相と副首相兼財務相〕が,国家の運営をおこなっていくうえで,より高度に正確性が要求される基本資料をみずから歪曲させ,自分たちに都合のいい具合・方向に改ざんしていた事実は,日本という国の根幹そのものを溶融させ,徐々に破綻させつつある現況を物語っている。

 彼ら世襲政治家は,まさしく ”ゾンビ的なコンビ” の相方同士となって,この日本国を無責任な国家体制に変質・腐朽させていながらも,「自民党1強・他党弱」である日本の政治構造をいいことに,それでも平然とへらへら笑いながら「おらが春」のデタラメ加減を,腹一杯に享受している。彼らは「地盤・看板・鞄」のしっかりした中身を親の代から受けついでこれたからこそ,実際の実力は分からぬまま,いいかえれば「何流の政治家」であるかの保証のないままに,永田町くんだりにおいてとぐろを巻いている。 

 安倍晋三「政権」の面々は最近, “傲慢のきわみ” にまで突きすすんできた「自分たちの事実」などは全然意識すらできずに,つぎの記事ように “奇矯的に独断の文句” まで吐いていた。引用したこの記事は,スポーツ新聞に書かれていた「安倍晋三政権に特有」である「飛び抜けた傲岸さ」が頂点(絶頂)にまで到達しえた凶相を指摘している。

 --先〔2019年2月〕月26日の会見で防衛相・岩屋 毅は沖縄県での県民投票で「辺野古反対」の民意が示されたことに関し,「沖縄には沖縄の民主主義があり,しかし国には国の民主主義がある。それぞれに,民意に対して責任を負っている」と発言した。それを受け翌日の沖縄タイムス社説は「そこまでいうんですか」と嘆いた。

 すると今度は28日,衆院予算委員会立憲民主党・長妻 昭が「統計問題を甘くみない方がいい。あつかいによっては国家の危機になりかねない,という認識はあるのか」の問いに首相は「いま,長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが,私が国家です。総理大臣ですよ」といい出した。

 補注)安倍晋三は以前,「私は総理大臣なのだから,私たちの提出する法律の説明は正しい」(2015年5月20日,国会における党首討論の場)とまで,すでに豪語していた。この発言からしてすでに終末的な断言であったし,かつ幻想的な独断であったが,この安倍風の発言はどだい小学校(幼稚園?)レベルであり,堪えがたい「日本の民主主義」の破壊状態を教えている。

 〔この安倍晋三〕発言は「『朕(ちん)は国家なり』のルイ14世張りの絶対君主の発言」(野党幹部)だが,この発言を新聞はとりあげない。だから首相はがんばっているというニュースだけが支持者の心に届くのだ。しりたくない情報や興味のない情報だけを選んで求めれば,首相の支持は高止まりになるはずだ。本当に国民は首相の行状をみて判断しているのだろうか。

 註記)「報じられない安倍発言「わたしが国家」/ 政界地獄耳」『日刊スポーツ』2019年3月2日 7時44分,https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201903020000098.html

 以上の報道の内容じたいは,この『日刊スポーツ』紙でなくとも報道されている事実であった。ここまで安倍晋三が驕慢・狼藉のかぎりを暴虐的に披露していても,大手紙(とくに読売新聞社)やNHK(国営放送局)は真っ向から「コンナ 首相ハ イイカゲン ヤメヨ!」と直接口に出し,明確に批判できなくなっている。完全に腰砕け状態である。安倍君の『スシ友新聞社や放送局』がはやり,めだつ時代になっている。

〔ここで,大前 治の記事に戻る→〕 こうした体質の政府が「非常事態だから自衛のため武力行使をする」というとき,国民に向けて正しい情報と判断材料を提供するだろうか。もし疑問をもっても,特定秘密保護法が壁となって事実をしったりしらせたりすることは困難なのではないか。あらためて,戦争は国民になにをもたらすのか。政府は国民を守るのか。過去の事実から学ぶべきことは多いように思える。(引用終わり)

 安倍晋三という総理大臣がこの国の最高指揮官の地位を占めているかぎり,われわれのほうからは “例の「Jアラート」” を「このボクちん政治家」に向けて常時,本気で発していなければなるまい。いまの安倍の政府は,従来であれば(多分)5度以上は内閣総辞職に値する「デタラメ三昧」を強行してきた。「国民たちの側が甘い」という意味では「民主主義の成熟度」は,麻生太郎流に表現すると “とてつもなく未熟” だと判定される。

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