斎藤貴男『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂』2019年が語る「昭和敗戦後と平成期」の歴史的な意味

斎藤貴男『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂』への若干感想,平成とは天皇明仁の時代を表わす元号天皇裕仁に父を抑圧された息子・貴男の活躍
                   (2019年4月29日)

 

  要点:1 有能・活発なジャーナリスト作家斎藤貴男の「天皇天皇制に立ち向かう姿勢」に観てとれる,それも,もうひとつ徹底しきれない「苦しい立場」

  要点:2 旧日本軍兵士としてシベリアに抑留され,11年ぶりに帰国できた父を「抑圧し,イジメ抜いた国家:日本」に,息子の立場より対峙させられてきた斎藤貴男が,現今における天皇制度と決定的に対決しきれない理由はなにか

 

  斎藤貴男『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂』 秀和システム,2019年4月(価格は税込みで ¥1620-)

 本ブログ筆者は,この本を,先日読んでみた。斎藤貴男は非常に多くの著作を公表している。そのすべてを読了してきたわけではないが,今回の最新作は広告をみてすぐに購入し,興味をもって読んだ。

 分かりやすくあえて簡潔に採点すると「90点」はつけられる。100満点に満たない残りの10点分は,天皇天皇制に関してもうひとつ理解しにくい論旨が展開されている様子に接して,残しておいた点数分となった。

 書店(出版元)が本書に関して宣伝する文句は,つぎのようであった。なお,本書の文章は口語体である。

 ※-1「内容説明」

 タテマエとしての “平等” さえも破壊された30年―天皇は歯止めを買って出てくれたのか。そしてあるべき “小日本主義” への可能性。

 

 ※-2「目 次」

  序 章 余計なことばかりした,させられた平成の日本
  第1章 格差拡大の平成
  第2章 1995年
  第3章 排除と差別の平成
  第4章 9・11
  第5章 アメリカの平成
  第6章 反知性・反人倫の平成
  第7章 3・11
  第8章 平成と大日本帝国ごっこ
  第9章 平成の次をせめて「夜明け前」にするために

 

     f:id:socialsciencereview:20100722152206j:plain   2010年ころの斎藤貴男

 

 ※-3「著者等紹介」

 斎藤貴男[サイトウ・タカオ]は1958年東京生まれ,ジャーナリスト。早稲田大学商学部卒業,英国バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)後,『日本工業新聞』記者,『プレジデント』編集部,『週刊文春』記者などを経て独立。

 

 ※-4「出版社内容情報」

 平成になって日本人は貧乏になり,再び戦争の足音も近づいてきました。誰もが感じているが,言葉にしない不安を反骨のジャーナリスト,斎藤貴男が平成論にからめて論じます!

 たしかに平成と呼んだ時代があったのだと,天皇元号を区切りに使い観察できるこの時期の日本は,落ち目の一途であった。ところが,その総仕上げ作業を嬉々として熱心にとりくんでいるのが,あの「世襲3代目のボクちん政治家」の安倍晋三君であった。

  “2020東京オリンピック” の「あとの祭り」がとても心配である。この国はすでに低調となっていた国力の勢いを,その後もさらに落ちこませるのではないかと,憂慮させるほかない風景を提供している。

 補注)このブログの文章は「旧ブログ」の記述を復活・公表している。したがって,2020年に入ってからとくに2月中には大騒ぎになっていた「新型肺炎コロナウイルスの感染拡大」問題は,まだ先の話題であった。しかし,この問題が安倍晋三君の首相としての資質を,根源から再問する契機を提供した。コロナウイルスの問題じたいは,本日〔2020年3月15日〕まで,あれこれ議論してきた。その点のみ断わる補注としておく。

 「売国・滅国・亡国の首相である安倍晋三」の立場やその特徴は,そのやること・なすことのひとつひとつを通して,みずからがすすんで実証してきた。とりわけ,彼が「〈本物の国難〉である総理大臣」でしかありえない「活動状況(「P→D→C→A」)の悪循環」の進展ぶりは,時の経過とともにより明白になるばかりであった。それでも「自分1強」的な政権にすっかり陶酔できているらしい「彼のあの顔」には,まさに「国民たちにとっての〈国難の相〉」が色濃く浮かんでいた。

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 内政面をみると,この国を滅亡させかねない「現状のごとき対米従属国家体制」は,さらに肥大的に固定化させられている。外交面をみると,日本の国際的な立場が強められるどころか,世界中のなかでもとくに先進諸国の指導者たちに比べて格段も劣る「彼の外交手腕」をもってしては,この国の立場を高めることは,とうてい無理難題である。

 そのあたりの問題をとりわけ,より具体的に描写し,批判する議論を斎藤貴男は旺盛におこない,正論を堂々と展開してきた。

 

  斎藤貴男のジャーナリストとしての原点

 斎藤貴男はこの本,『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂』のなかで,こういう点(自家の歴史の記録)に触れていた。

 父は戦争に駆り出されたあげく,敗戦後はソ連にシベリアに抑留,それも日ソ国交が回復するまで11年間も,かの極寒の地で強制労働に従事させらた。その父がようやく帰国してみれば,こんどはシベリア抑留者は「ソ連のスパイ」だとみなされ,死ぬまで公安の監視がつづいた。徴兵と抑留,強制労働で人生を台なしにされた国民に,国はまともに償えといいたい。そうでなければまったく筋が通らない。父に支給された軍人恩給は雀の涙ほどであった(86頁)

 ところが,息子・斎藤貴男にも就職のときえらく不利益を受けた。大学卒業時,内定していた会社から土壇場になってからドタキャンで断わられた。理由は分からなかったが,のちに週刊誌記者になってネタ元の公安関係の人に聞いたら「当たりまえ」だよと笑われたという。「シベリア帰りのせがれなんか入れてくれる大企業なんか,あるわけないじゃないか」とのことであった(87頁)

 ところで,大昔は両親が揃って(生きて)いないと,大手の銀行では採用しないという慣行もあったが,斎藤貴男は自身が受けてきた理不尽な日本社会からの差別的な待遇に憤っていた。こうした彼の原体験は「特定のたしかな根拠・価値」を提供し,言論人としての活動を強力に推進させうる原動力になっていた。

 旧大日本帝国の兵士たちの60万人(くわえては,中国人兵士も約1万6千名,朝鮮人兵士が約1万2百名いたが)もが,敗戦後,ソ連によってシベリアに抑留されていた。だが,斎藤貴男の父みたく11年も抑留された人は少数派であり,最長の部類であった。しかもその総数のうち「約10人に1人が死亡」していた。

 それゆえか,日本の公安当局側はその人たちをとくにソ連に洗脳された危険分子とみなしたうえ,無条件に無期的にその疑いをかけつづけては,あげくにその息子までその疑いを拡大解釈する〈暗黙の了解〉を作りあげ,不利益なあつかいを実行してきた。

 

  斎藤貴男のジャーナリストして迫力ある活動ぶり

 斎藤貴男はそうした不当でしかない「人間の差別」を受けてきた。彼の精神内に発生せざるをえなかった「怨念めいた要因」が,その後における人生に強く反映されてきたのは,ある意味で必然的な事情であった。

 斎藤の,世の中の不正義・矛盾に対する分析・批判は非常に鋭く,かつ適切・的確である。その実例のひとつを挙げると,ごく最近に増補版が出版された『カルト資本主義 増補版』ちくま文庫,2019年3月があるが,この本に対するある感想文は,こうつづっていた。

 政府や経営者を一貫して批判的に考察してきた斎藤貴男氏が1997年に著わした作品に2018年の状況を加筆したもの。ヤマギシ会,EM農法,アムウェイ船井幸雄といったカルト集団,カリスマ経営者に取材。

 

 従業員の心を操り経営者の意のままに動く組織を仕立てる手段として,物質的な事実よりもスピリチュアルな主観を好む「ニューエイジ思想」が注目されており相性が良いことを示します。

 

 京セラ創始者稲盛和夫元号法制化や改憲運動で近年注目された「日本会議」は「生長の家」の教祖の谷口雅春氏を通してつながっている箇所を読んだときは,執筆当時の1990年代と安部一強の現在が地続きであり,「カルト帝国主義」の時代にさしかかっていることを感じさせました。

 註記)アマゾンのブックレビュー,hatayan(ベスト1000レビュアー,5つ星のうち 4.0,2019年4月27日),「1990年代に予見されていた『カルト帝国主義』」。 

 稲盛和夫が「ヒトラーを賞賛」していた点に,斎藤貴男カルト資本主義』は言及していたが(文藝春秋,1997年。引用は「文庫版」2000年,128頁以下),こうした日本の経営者側における重要な諸問題を指摘し,批評できる「感性と胆力」は,斎藤ならではの筆致に表現されている。

 しかし,この斎藤貴男の論調は,今回の著書『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂』になると,しかも明仁天皇に言及する段になると少し変調している。安倍晋三政権のいまごろ(乱暴狼藉:専制的強権政治)について斎藤は「民主主義が機能していないのは,あるいは他にも山積する問題の数々は,天皇制が元凶でしょうか」と問いかけ,「私にはそうは思えない」と自答しているのであった(282頁)

 それよりも「現代日本の元兇の多くはアメリカであり,彼らのスタンダードとしての新自由主義であり,彼らの命令を丸呑みにし,私たちを奴隷のように扱ってやまない政治体制であり,何よりもそんなものどもに抵抗もせず,唯々諾々と服従することにためらいがない私たち大衆自身です。戦前戦中だったらいざ知らず,天皇制を打倒したからといって,どうなるものでもありはしないと,私は確信しているのです」(282-283頁)と述べている。

 

  本ブログ筆者がさきに,斎藤貴男『平成とは何だったのか―「アメリカの属州」化の完遂』に対して,百点満点は与えられずマイナス10点として90点に採点した理由は,実はそこにあった。

 斎藤貴男は白井 聡の説を参照し,戦後日本における「国体のありよう:3段階」を

   1. 「対米従属の形成期」

   2. 「対米従属の安定期」

   3. 「対米従属の自己目的化」

というふうに段階づける見解をもちだし,このうち「現代は 3. もきわまった状態であり,天皇制や元号制度を廃止したとしても,私たちが直面している諸問題が解決に向かうことはありません」(283頁)と結論していた。

 しかし,天皇天皇制がたどってきた「敗戦後史的な政治過程」を回顧するとき,以上の3段階とは非常に密接な政治(内政と外交)の問題が,実際に介在していた。それこそ “裏表の関連” を有していた天皇制度(狭くは「天皇家家督者の対応姿勢」)が,まさしく現在までにおける日本(「対米従属の自己目的化」の完成)を創出するのに,深く関係していた。この事実(史実)を軽視してしまう観察方法だとしたら,大いに問題ありであった。

 斎藤貴男自身,「私は天皇にくわしくないので,見落としている問題はいくらでもあるとは思います」と正直に語っているが,このあたりに重要な論点が残っていないとはかぎらず,要注意である。父親がシベリア抑留者となってしまっていた人物としては,たとえば小熊英二慶應義塾大学総合政策学部教授)がいる。

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 出所)小熊英二https://k-ris.keio.ac.jp/html/100012450_ja.html

 小熊英二も非常に優秀で生産性の高い執筆家である。小熊もシベリア抑留者となった父のことを題材に活用した著作をもっている(『生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後-』岩波書店,2015年)。ただし,父の論じ方はより対象性(「客体」性)を高めた次元でとりあげていた。英二の父:謙二は,同じくシベリアに抑留されたある朝鮮人兵士の「戦後-対日本政府との補償交渉」に協力していた。

 小熊英二斎藤貴男は学究(教授)とジャーナリスト(言論人)の相違はあるとはいえ,彼らの物書きとしての原点には「父親の人生=過酷だった戦争体験」が不可避の背景・事情として控えている。ただし,小熊英二の分析視座は東アジア全体に広がっているのに対して,斎藤貴男の言論領域は日本国内中心であるがためか,この点から2人の発言・発想には,一定の顕著な差異が生まれていた。

 

  要約的に断言しておくこと

 斎藤貴男天皇天皇制に対する批判の見地を,「天皇明仁」に対しては急に遠慮(萎縮?)したかのような態度に変えていた。平成の天皇はたしかに,父(昭和天皇裕仁)の立場を反転的にであっても,忠実に継承・発展させてきた。前段に出ていたこの国の「対米従属の形成期」→「対米従属の安定期」→「対米従属の自己目的化」という《発展過程》の展開と結論めいた実体に対しては,平成天皇も協力し,貢献してきた。

 敗戦後史において昭和天皇が記録してきた「象徴天皇の立場を意図的に逸脱した行為」は,最近となっては専門研究者たちが詳細に分析し,批判もくわえている。だが,斎藤貴男の立場は,対米従属国家体制下に置かれてきた日本国の問題を,専門研究者たちよりも鋭く判りやすく解明してくれた矢部宏治とともに,

 天皇制度の分析論としては結局,『菊のタブー』を尊重する立場から脱却しえない方途を,選択していた。もっとも,矢部の場合はその「菊の栽培」にみずからとり組む姿勢も明示していた。もっとも,斎藤貴男のほうは,矢部宏治のような姿勢はみせていない。そこまで,関心が至っていない。

 たとえば『朝日新聞』2019年4月23日朝刊に掲載された連続ものの解説記事「〈平成と天皇〉第9部 令和への課題 下,意向反映 膨れた『公的行為』」という内容(下掲の画像資料はここから借りた)は,その「対米従属国家体制である日本国」における,それも例の論法によれば,まさしく「アメリカが日本に押しつけた憲法」だとみなされ,非難も受けている「日本国憲法」のなかでの「象徴天皇」の地位にまつわる話題であったが,(  ↓  へ続く)

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 この憲法のもとで2代目の天皇に即位していた明仁天皇が関連してくる問題にかかわって,斎藤貴男は,日本の「民主主義が機能」不全であるだけでなく,「他にも山積する問題の数々は,天皇制が元凶で」あるとは「私にはそうは思えない」と結論づけていた。

 あらためて批判される余地が残っている。白井久也『検証リベリア抑留』(平凡社,2010年)がこう表現していた「戦争責任問題」の「シベリア抑留」に関して,それでは,天皇明仁がなにか具体的に「国民に寄り添う」という態度やことばを発したことがあったか?

 当時の日本の支配層の「棄兵・棄民政策」の冷徹な論理が一本太く貫かれていた……。民主国家では到底考えられないことであった。まさに,天皇制を国体とする絶対主義国家に生まれ育った日本人が向き合わざるをえない,民族的な悲劇以外の何物でもなかった。

 

 だが,天皇制を存続させるために,その「人身御供」に差し出される兵や民は,たまったもではなかった。国の棄兵・棄民政策によって,後にソ連によるシベリア抑留を合法化する要因を作った「要綱」(これは当時,

 

 敗戦国となった日本側が「ソ連の歓心を買うために『兵力賠償』の提供まで踏み込まざるを得なくなった」約束をした文書のこと)は,「天皇制国家・日本」の本質とその非人道性を,世界に晒す典型的な歴史文書として,その悪名を残すこととなったのである(136-137頁,( )内は135頁)

 a) 参考にまで付記しておくと,1993年10月,ロシアのエリツィン大統領は訪日したさい,シベリア抑留の事実に関して「非人間的な行為」として謝罪の意を表わしていた。

 b) 敗戦後,ソ連軍に連行された元日本兵らが労働力として酷使された「シベリア抑留」の事実は,「『国体護持(天皇制を守ること)』のために日本政府がソ連と取り引きし,「私たち:日本兵らを生けにえにした」(約10名に1名は命を落としていた)ととらえられている。

 昭和天皇から平成天皇の系譜はその「国体護持」の証しであり,さらに令和天皇の時代の幕開けが2日後〔2019年5月1日〕に迎える。

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