日本相撲協会2020年春場所はコロナウイルスのために無観客試合,NHKの放映料5億円しか収益なし,女性差別する神聖なる土俵の維持もカネしだい

1 新型肺炎コロナウイルスのため,「日本相撲協会」2020年春場所無観客試合となってしまい,お茶屋関係業者は不戦敗,「土俵の上には金が転がっている」場所とはならず,神聖なる土俵もこの春場所は「カネにならず」,旨味:面白みもなし
2 「土俵の上は女人禁制」論の創作は明治以降,日本相撲協会みずからが「土俵神聖観」を構想したのは,相撲「道」を商売化するために好都合であったからで,神道の「穢れ概念」との関連づけはいろいろ事情があっての後知恵
                   (2018年4月5日)

 

  要点:1 「大相撲春場所 “強行” の思惑  入場料収入10億円が消滅,死守したい放送権料5億円」『zakzak』2020.3.2 https://www.zakzak.co.jp/spo/news/200302/spn2003020001-n1.html

  要点:2 非常識きわまる「土俵の上は女人禁制」論,この「日本の相撲の伝統」は人命より大事だという理屈,笑止千万どころか「伝統(?)の本末転倒ぶり」をみごとに表現

  要点:3 歴史的に由来があるオンナ相撲はどう考えるのか? 大学でも女性の相撲部があるが……

  要点:4 神道的な穢れの観念に関する「宗教的な思想(考え)」が女性差別を当然視させているが,明治以来の皇室神道も女性・女系天皇を認めない立場から女性差別に実質加担してきたし,いまもその立場を変えていない


 --本日〔2018年4月5日だったが〕の『朝日新聞』朝刊社会面に,つぎのような記事が出ていた。またか,という印象である。この ① の議論から話題を開始する。

 

 「土俵で心臓マッサージ,『女性は降りて』 八角理事長,アナウンスを謝罪 大相撲巡業」朝日新聞』2018年4月5日朝刊30面「社会」

 〔2018年4月〕4日午後2時すぎ,京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業「大相撲舞鶴場所」で,土俵上であいさつをしていた多々見(たたみ)良三・同市長(67歳)が倒れた。

 補注)市長が倒れた原因(病因)は「くも膜下出血」であった。

 市などによると,複数の女性が土俵で市長に心臓マッサージをしていたところ,少なくとも3回にわたって「女性の方は土俵から降りてください」などと場内アナウンスがあった。

 地元有志らでつくる実行委員会によると,女性2人が土俵に上がって心臓マッサージをした。直後に救急隊員が土俵に上がり,女性に代わって救命措置を始めた。その間に複数回,「女性は降りてください」と場内に流れたという。

 補注)このあたりの描写(記事の)は正確ではない点がある。後段に指示する住所の動画を観てもらうことにしたい。

 日本相撲協会八角理事長(元横綱北勝海)は4日夜,協会の行司が「女性は土俵から降りてください」と複数回アナウンスしたことを認めたうえで,「行司が動転して呼びかけたものでしたが,人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫(わ)び申し上げます」とのコメントを出した。

 市長は救急車で病院に運ばれ,意識はあり,会話もできるという。大相撲では「土俵は女人禁制」の伝統が続いている。(引用終わり)

 この記事を読んだとき本ブログ筆者は,「またやったか(いったか)」というふうに受けとった。日本相撲協会八角理事長は,倒れた市長に対して女性たちが救命措置をおこなっているあいだ複数回にわたり「女性は方は降りてください」と場内放送をした行司を,理事長である自分の立場(利害・都合)からと思われるが,かばうために「事後のいいわけ」をおこなっていた。

 しかし,日本相撲協会のその行司の頭のなかではふだんから,「土俵の上は女人禁制である」という固定観念(「相撲の伝統だと教えこまれてきた疑似の「神道宗教的な価値観」)が充満しており,それが即座に発揮されたと思われる。

 衆人の目前で倒れた市長の命が危ない。この人を救おうと救命措置の心得がある「複数の女性」(看護師資格をもつ人〔など〕)が,心臓マッサージをほどこしている最中に,なんとこれを「やめるように」場内でアナウンスしたというのだから,これでは「人命軽視の発言」をした行司自身の感覚が疑われる。

 補注) 市長が倒れた場面を撮ったユーチューブ動画記事は,下記にかかげておくが,このなかで放送されていた文句:「女性の方は降りてください」というのには,驚かされる。 

  

 この動画をみるかぎり,心臓マッサージの心得がある看護師らしい女性2人が,すぐに土俵上にかけつけ,そのうち1人の女性が,倒れている市長をただ囲んでいた男性たちと入れかわって,マッサージを開始していた。その動作の格好からみても慣れている人,医療関係者である。

 そのあとさらに,女性2人(たぶん看護師か医師であると推測する)が土俵の上にいったとき,即座に「女性は方は降りてください」という文句が放送されていた。

 そのように解釈されても,まったくいいわけのできない「日本の相撲の伝統的な価値観」が,このたびの「大相撲の春巡業」において露呈していた。それが「土俵の上での女人禁制」であった。神道の「穢れ」の観念が相撲という運動競技にまつわって存在していることになるが,それはあくまでも宗教的なひとつの想念に関する問題である。

 市長が土俵の上で挨拶をしている最中に倒れた。この緊急事態のさいには,「土俵にあるという神道的な(アニミズム)的な神聖性」は,できれば一時停止にする祈念を瞬時におこなっておき(そうしておいたつもりになって),対処しておけばよいことである。しかし,そのところになると,まったく融通が利かない。

 ともかく,日本相撲協会の価値界にあっては,「土俵の上に漂う神聖性」が「人の命よりも大事だ」という基本理念が抱かれていると解釈されてもしかたあるまい。くだんの行司はよほど頭の固い人間であったのか,それとも協会の信条に関しては,どこまでも忠実にしたがいモノをいっただけなのか。

 「倒れた市長」をすぐに土俵の下に移動させることはまずかったのか? しかし,救急救命ではそういった対応は厳禁されているゆえ,その場に応じてただちに措置をおこなうほかなかった。このようにも考えてみるが,それにしても「応用の利かない連中」であるのが,日本相撲協会内部の人たちであるらしい。

 補注) 本日〔2018年4月5日〕のこの記述全体を書いた直後に聴けたNHKラジオ第1(正午)のニュースは,こう報道していた。

   ☆ 大相撲巡業 土俵上で倒れた舞鶴市くも膜下出血で入院 京都 ☆
       =『NHK NEWS WEB』2018年4月5日 12時13分 =

 〔4月〕4日,京都府舞鶴市でおこなわれた大相撲の春巡業で土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市の多々見良三市長は,診断の結果,くも膜下出血のためおよそ1か月安静と入院が必要と分かりました。当面は副市長が職務を代行するということです。

 

 4日,舞鶴市内の体育館でおこなわれた大相撲の春巡業では,多々見市長が土俵上であいさつ中に突然倒れました。観客の女性が救命処置に駆けつけましたが,大相撲では女性が土俵に上がることは伝統的に禁じられているため,日本相撲協会の担当者が「女性は土俵から下りてください」と数回場内でアナウンスし,市長は協会関係者の男性に土俵から下ろされて処置を受け,病院に運ばれました。

 

 舞鶴市によりますと,多々見市長は精密検査の結果くも膜下出血と診断され,手術後の容体は安定していますが,およそ1か月安静と入院が必要だということです。舞鶴市ではこの間,堤 茂副市長が職務を代行することになりました。川端常太市長公室長は「市長が市役所に戻るまで,市政が滞らないよう最善を尽くしていきたい」と話しています。

 

 また,日本相撲協会は,救命処置にあたった女性への場内でのアナウンスが不適切な対応だったとして,おわびのコメントを出しています。

 註記)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180405/k10011391671000.html?utm_int=news_contents_news-main_007

 この日本相撲協会の反省,「救命処置にあたった女性への場内でのアナウンスが不適切な対応だった」点について,なにがどのように不適切であったのか?

 その後〔4月4日午後3時過ぎには〕,より正確な状況が報告されているので,ここにかかげておく。

 --複数の観客への取材と,ネット上に投稿された会場の様子を撮影した動画をもとに,なにが起こったのかを時系列にまとめてみる。

 1 多々見市長が土俵に上がり,挨拶を始める

 2 挨拶を始めるも「呂律が回っていないような感じがした」と観客

 3 途中でふらつき,突然倒れる

 4 関係者らしき男性たちが多々見市長に駆け寄る。

 5 2人の女性が土俵に上がり,うち1人が心臓マッサージを始める。続いて別の女性2人も土俵に上がり,多々見市長の駆け寄る

 6 「女性の方は土俵から降りてください」とのアナウンスが流れる

 7 警察官,救急隊員らしき男性たちが土俵に到着。女性たちは土俵から降り,様子をみる

 8 多々見市長が担架で運ばれる

 9 間もなくして,再開される

 そのほか。--観客への取材から「女性の方は土俵から降りてください」というアナウンスは少なくとも3回は流れている。また「男性がお上がりください」とも流れたことが確認できる。土俵に上がった女性について,舞鶴市役所担当者は「市の者ではない」と回答した。

 註記)https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/sumo-maizuru?utm_term=.suwlVD83l#.vpOEAwOnE

 さらに〔2018年〕4月6日に出てきた記事もここに追加して報告しておく。それは,錦光山雅子稿「土俵で救命に当たった女性の初期対応,医師が絶賛。『相当トレーニングを積んだ方と思われます』『救急蘇生のスペシャリストと考えられます。文句のつけようもありません』」(『HUFFPOST』ニュース,2018年04月06日 11時59分 JST,更新 14分前)である。女性が心臓マッサージを始めた様子を秒単位に分析して評価している。次段にその様子を引用しておく。

 註記)以下は,https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/05/rescue-doctor_a_23404339/?utm_hp_ref=jp-homepage

 --前段にも紹介した動画から確認できる「土俵上での大まかな蘇生の流れ」は,こうであった。

 最初は,関係者が周りを囲んでいるが,適切な救命処置はおこなわれていない様子

  13秒 女性Aが土俵に上がる

  21秒 女性Aが周りの人をかき分ける

  23秒 女性Aが胸骨圧迫
  (心停止した人の心臓のあたりを両手で圧迫して血液の循環を促す)開始。女性Bが到着

  27秒 女性Aが周りに指示

  43秒 女性C,Dが土俵に上がる

  45秒 AED(自動体外式除細動器)が到着

  47秒 「女性の方は土俵から降りてください」のアナウンス

  49秒 女性Aから女性Bに胸骨圧迫交代

  56秒 女性Bから救急隊員に胸骨圧迫交代

  69秒 救命バッグをもった救急隊員が土俵に上がる

  70秒 女性A,Bが土俵から降りる

  75秒 担架到着

  76秒 胸骨圧迫が中断された様子

    (AEDの解析中と思われる。AEDは作動させた形跡がなく,その後は心肺蘇生もおこなっていないため,脈と呼吸が確認されたか,生体反応が現われたと思われる)

  82秒 女性CとDが,土俵から降りる

  117秒 「救急車呼びました」

  145秒   救急隊員が瞳孔を確認している。
  (この時点では意識がなかったと思われる)

  161秒 担架に乗せる

  172秒 救命バッグ撤収

  186秒 担架で市長を搬送。胸骨圧迫,人工呼吸はおこなわず

 女性たちが当たった蘇生の様子について,大房さんはこう解説する。

 「関係者がとりかこみながらもなにもできずにいたところ(中心となって蘇生に当たった)女性Aが土俵に上がり,すぐに状況を把握し救命処置をおこなっています。たぶん,市長の意識はなく,呼吸は確認できなかったか,あっても死戦期呼吸(あえぎ呼吸)だったのではないでしょうか」。

 補注)死戦期呼吸は正常の呼吸とは違い,顎が動いているだけで胸が動いておらず,肺での酸素化ができていない。そのため,呼吸をしていない傷病者と同様に処置する必要がある。しかし,医療関係者以外が見分けることはむずかしく,呼吸していると判断されてしまうことが多い。

 「胸骨圧迫のスキル,周りへの指示の的確さから,相当トレーニングを積んだ方であると思われます。胸骨圧迫の早さや強さは完ぺきで,救急蘇生のスペシャリストと考えられます」。

 「特記すべきは隣の人に時間確認の指示を出している様子がうががえること。確認したのは,心肺蘇生の開始された時間だと思います。救命のポイントは心肺停止から蘇生開始までの時間にかかっています」。

 「できるだけ早い方が良いのですが,実際救命処置をおこなっても記録に残っていなければ,はたして正しい蘇生がおこなわれたか,後日の検証ができません。このため,蘇生の講習会では記録を残すよう指導しています。時間確認ができるのは相当冷静に対応していたと考えられます」。

 「AEDが到着し,女性Bに胸骨圧迫が変わりますが,ハンズオンリーCPR(人工呼吸をしない心肺蘇生)ならび胸骨圧迫交代のタイミングも文句のつけようがありません。経過を追ってみると,心臓疾患による急変ではないのがうかがわれますが,初期対応としては完璧です」。

 『朝日新聞デジタル』によると,実行委員会が〔4月〕5日,心臓マッサージの中心になった女性に感謝状を贈りたいと連絡したが,「当たりまえのことをしただけ。そっとしておいてほしい」と固辞したという。

 

 「伝統か男女平等か  それでも女性が土俵に上がれない理由」SAPIO』2016年4月号,引用は『NEW ポスト セブン』電子版 2016.03.13 07:00 から

 1) この『SAPIO』の記事紹介

 この ② に引用する文章に関していうと,実は,昨日〔2018年4月4日〕の記述でたまたま,「皇室内における男女差別の伝統」(とはいっても明治以来に固着化されたそれであるが)に関する言及をしていたが 註記),そちらの内容とも深く関係している。

 註記)旧ブログの記述であったので,未公開である。後日に公表して再掲したい。

 日本の皇族内では男女差別が制度化されている。日本相撲協会は大正時代末期に当時,大正天皇の摂政であった皇太子(裕仁)から下賜された金子をもとに,いまも使用している優勝杯(賜杯)を製作していた。この話題は,神道という日本古来から継承されてきた「原始的な宗教形態の思念」との関連性をもって,吟味されるべき余地を提供していた。

 さて,以下に引用する『SAPIO』2016年4月号の記事はちょうど2年前〔2020年からだと4年前〕の記事であったが,執筆者の「オンナでもある内館牧子」が日本相撲協会における女性「差別」を妥当視し,いさぎよく認定する意見を吐いていた。このあたりを論点にとりあげ議論をする。

 内館の議論は「事実理解に関するすりかえ」と「歴史把握の不足にもとづくゴマカシ」と「女性差別そのものを女性の立場から認容した価値観」などを提示していた。要は「女(性)の敵は女(性)だ」の好例・見本であった。以下に『SAPIO』を主に参照しつつ,批判的検討をくわえる。

 --大相撲の土俵に女は上がれないとした〈国技のしきたり〉をめぐり,「女性差別」だと訴える側と「伝統」を守ろうとする側で,なんども議論は繰り返されてきた。「大相撲は神事にもとづき女性は土俵に上げないという伝統がある」。

 補注)いまから12〔14〕年前(2006年8月23日付け)には,こういう報道があった。「東北大に土俵できた… 内舘牧子監督『プロの力士を』」。当時「横綱審議委員で脚本家の内館牧子監督(57歳)が率いる東北大相撲部に,念願の土俵が完成。〔8月〕22日,土俵開きの神事がおこなわれた」。

〔『SAPIO』の記事に戻る→〕 1992年に愛好会として発足以来,練習場も部室もなく,約3キロ離れた東北学院大の土俵を借りていたが,各運動部の施設移転に伴い,新設された。(中略) 5月の全国国公立大学対抗で過去最高の3位に入ったが,内館監督は「一番の名古屋大に追いつき,遠い目標としてはプロの力士を出したい」と笑顔をみせていた。

 註記)この段落のみは,http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20060823-OHT1T00123.htm から挿入。

 補注)以上の報道(読売新聞)のなかでも,「大相撲は神事にもとづき女性は土俵に上げないという伝統」に関連させて,「東北大学の相撲部」にとって「念願の土俵が完成」し, 「〔8月〕22日」に「土俵開きの神事がおこなわれた」と報道されていた。だが,この『〈神事である〉とされる相撲の伝統』については,根本から疑問が提示されてもいる。後段でさらに議論することにし,ここではひとまず,『SAPIO』の本文記事の引用に戻る。

 2000年,太田房江大阪府知事の「みずから土俵に上がり優勝力士に知事杯を手渡したい」という意向に,日本相撲協会はそう回答した。翌年も太田知事は再度「土俵上で手渡したい」と申し入れたが,やはり許可は下りなかった。同様の揉めごとはこれまでも繰り返され,そのたびに「女性差別だ」「いや伝統は守るべきだ」といった類の議論が起きた。

 補注)大日本相撲協会と名のってもいたが,この団体組織はあくまで相撲興行団体であり公益法人であって,簡単にいえばスポーツしての相撲競技を「商売のネタ:道具」にして営業活動をしている。

 日本相撲協会内の「アニミズム的な神道伝統」に関する理解に関しては,歴史的な側面からは,格別に注意して観察する必要がある。同協会内で現在いだかれている〈自分たちの価値観〉を守ることそのものに対していえば,他者の側からは,いますぐにとりたてて批判する必要はない。問題はもっと広い視野で観察する対象になっている。

 それにしても,大相撲の神事「性」をやたらありがたがるかのような基本姿勢でもって,「土俵の上に女性は上げない」という差別事項を固守する価値観そのものが問題になっている。

 開催する毎場所,NHKからえている放送料収益(5億円)や観客から入場料(10億円)〔など〕で成立している日本相撲協会の経営実態に関していえば,女性をないがしろにするような経営姿勢が問題になる。相撲ファンは男女を問わずに厚い層がいるのに,である。

 この協会じたいが実際において,いかほどの歴史的伝統を固有にもつかどうかはしらぬが(明示的に説明があるわけではないから,そのように表現している),「土俵の上での女人禁制」を強調するとなれば,それなりに合理的に説明できる立場をきちんと用意し,関連する方面に対しては説明しなければいけない。

〔記事に戻る→〕 古くは1978年,「わんぱく相撲東京場所」で,10歳の少女が勝ち進んだにもかかわらず蔵前国技館の土俵に上がれず決勝大会出場を諦めたことがあった。当時,労働省婦人少年局長だった森山眞弓氏がこれを問題視,日本相撲協会の理事を呼び出したものの結論は変わらなかった。1990年には内閣官房長官になった森山氏が,自分が土俵に上がって内閣総理大臣杯を手渡すといい出したが,これも拒否されている。

 好角家としてしられ,横綱審議委員会の委員も務めた作家の内館牧子氏はこう述べている。

 「伝統の『核』を成す部分の変革に関しては……その決定は当事者にゆだねられるべきものと私は考えている……大相撲に限らず,すべての伝統に関していえることだが,当事者はその核を連綿と守りぬき,結束してきた。……たとえば歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方に関し,現代の考え方で『男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台にあげよ』という訴えがあったとする。そしてもしも,それが受け入れられたなら,その時点で歌舞伎でなくなり,宝塚歌劇ではなくなる」(『朝日新聞』2001年3月17日付)

 補注)ここに内舘牧子が繰り出してきた理屈は,相手側に反論するための材料として「必要かつ十分な論理的な要件」を整えていない。「歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方」そのものが,日本の伝統的な宗教である神道の神事性と関連づけられ,とりあげられ,問題にされることはない。

 つまり,内館は核心部分においてじかに関連性すらない「歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方」をもちだしては,「比較にならない比較」をしつつも,このやり方でもって「日本相撲協会」の保持している〈神事性〉を擁護するための,反論の材料に仕立てあげていた。けれども,この論法は最初から「反証をするための論理の構築」としては不成立,失敗していた。

 そもそもの議論となる。要は「歌舞伎の女形宝塚歌劇のあり方」の問題に匹敵させうる(つまり「比較の材料」にとりあげうる)かのように考えて,「あちら〔歌舞伎と宝塚〕のほう」を「こちら〔相撲〕」にまで引き出し,同列に並べてみては,しかも「神道という宗教的な伝統」とは関係のない芸術興行領域である「あちらの問題領域」にまで,それも強引に問題をもちこむかっこうで,いわば無理やりに比較をしていた。

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  出所)https://blog.goo.ne.jp/distribute/e/58f241cfa6f9fb8f6f2829f1b192a0af

 しかし,そのように試みたところで「そもそも」からして “比較の方法論” において間違いを犯し,ボタンのかけ違いをしていた。いいかえれば,「比較する材料」としては不適なものであった「歌舞伎と宝塚」の「女形と男役」をもち出して,議論をしようとしていた。そちらの問題領域にあっては「神道問題の関連性」が必らず控えている事情など,もとよりなかった。

 そもそも,神学論争的にもその双方の実相(背景や事情)は,たがいに比べられうるような対象ではなかった。すなわち,内館牧子流の思考方式は最初から,ほぼ完全に異質であるほかない材料同士をもちだし,わざと突きあわせ,比較しようとしていた。

 それでは,どうやったところで,結果的には無効にならざるをえない「不当な反論」の提示にならざるをえない。それも,日本相撲協会のいいぶんを擁護する理屈として披露していた。内館も女性の1人だとは思うが,どうにも解しにくい論陣を構築していた。

〔記事に戻る→〕 なかでも大相撲の土俵は祭場であり,神迎えの儀式によって神を降ろし15日間とどまってもらう聖域である。取組は結界された土俵上を毎回,塩と水で清めてからおこなう。場所後には神送りの儀式をおこない結界を解く。大相撲は,これを250年以上守りつづけてきた。

 内館氏は著書『女はなぜ土俵にあがれないのか』で,大相撲の土俵を物理的には簡単に乗り越えられる〈無防備な結界〉の一つであるとし,それを理解するのは知性や品性だと指摘している。一連の議論で問われたのは,現代を生きる日本人の “知性と品性” だったのかもしれない。(引用終わり)

 註記)以上,本文の引用は,https://www.news-postseven.com/archives/20160313_392117.html

 ここでも,内館牧子流の詭弁的な論理,そのまずい運用法が披露されている。「大相撲の土俵を」「理解するのは知性や品性だと指摘している」が,つまりは反対する(「土俵の上は女人禁制」の考えを批判する)立場は,「知性や品性」を欠くのだという具合に,この牧子は論理を構築して(完全にすりかえて)いた。

 しかし,そうした理屈の展示は,神道の歴史も相撲の歴史もよくしらないまま,しかも自分流にしごく勝手でしかなかった解釈を「日本相撲協会」に対して与えてみたものに過ぎない。要は俗説の披露であり,単なる相撲好き女性の〈恣意的な議論〉に留まっていた。

 

  吉崎祥司・稲野一彦「相撲における『女人禁制の伝統』について」北海道教育大学岩見沢社会学研究室『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第59巻第1号,2008年8月,71-85頁

 この ③ に紹介するのは学術論文である 註記)。さきに,冒頭の『概要』だけを引用しておくが,これで内館牧子流に独自であったる日本大相撲「観」の基本的な誤謬,より正確にいえばデタラメな解釈論は,ただちに察知できるし,よく理解もできるはずである。

 註記)http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/933/1/59-1-zinbun-06.pdf

 

 ※-1「概要」

 相撲は,神道とのかかわりを理由に,土俵上に女性を上げないという姿勢をとっており,それは「伝統」とされている。しかし相撲の歴史をひも解いてみると,女性と相撲は古来より密接な関係を保ってきたことが明らかになる。

 宗教・差別・相撲の歴史などの諸側面・諸次元から相撲における「女人禁制の伝統」を批判的に検証することによって,「相撲は神道とのかかわりがあるから女性を排除する」という論理が,明治期以降に,相撲界による地位向上などの企図にもとづいて虚構されたものであるという帰結が導き出される。

 これは,「性別役割分業」がすぐれて近代的所産(ないし近代における再編強化)であるという社会学あるいは女性(史)学の基本仮説を,文化(スポーツ)領域においても実証するものであろう。

 註記)④ の表題,前掲稿,71頁。以下も本稿を参照する。

 本(旧)ブログが昨日(2018年4月4日,現在は未公開)の記述は,天皇のあり方に関して一世一元「制」が登場したり,そして女系・女性天皇「制」が完全に排除されたりした問題は,あくまで明治以来の出来事であって,つまり,それ以降における歴史の展開にかぎられた「事実である点」を指摘していた。

 内館牧子先生の経歴(1948年9月10日生まれで,現在69〔71〕歳)は,くわしく紹介するまでもないと思うが,なかからとくに関連する〈過去の経歴部分〉のみあえて引用しておく。出典はウィキペディアである。

 大の格闘技ファン,とくに好角家であることがしられ,2000年8月に女性初の大相撲・日本相撲協会横綱審議委員に就任。東京でおこなわれる場所は10日は会場に足を運んだ。

 

 そのほか,プロレスにも造詣が深く,2011年現在東京スポーツ催のプロレス大賞で特別審査委員も務めている。

 

 2003年,東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜を受験し合格。人間科学専攻(宗教学)へ入学し『神事としてみた相撲』を研究テーマに宗教学を専攻。2006年修了,修士(宗教学)。

 さて,東北大学内で内館牧子修士論文を審査した教授たちは,いったいなにを審査していたのか? このような疑問が抱かれて当然である。日本相撲協会の「知性や品性」に関していうと,「女人禁制」にかぎってはなにか,特別に例外的な事情でもあるのか。

 ともかく最近において,この協会があれこれ起こしてきた事象(出来事史:事件簿)は,日本の大相撲は神事だなどといった「神道に関連する要因」を,根幹から否定するだけでなく,その基本的な関連すら疑わせてきた。

 日本の天皇家(明治以来)が「国技としての〈大〉相撲」に対して好意を寄せてきたのは,それなりに大いに利用価値があったからである。天皇賜杯の存在について重ねて言及すれば,それは大正時代末期に用意されていた。

 つぎのように解説されてもいる。こうしたつながりによってこそ,日本相撲協会(当時は下述のように別の名称)は,皇室との関係を尊ぶ精神を活用しつつ,みずからの立場をより高みの地位に引き上げることに成功していた。

 --天皇賜杯は,大正14〔1925〕年,当時の摂政宮(のちの昭和天皇) から下賜された金一封をもとに,大阪造幣局に依頼して作製したものであった。大正15〔1926〕年1月場所から本場所の最高優勝力士に授与し,その名を刻むことになって現在に至っている。

 この賜杯は純銀製で,高さ108cm,口径33cm,容量36 ℓ (2斗) ,重さ30kgである。もちまわり制で,次場所返還 (実際は支度部屋で優勝の記念撮影をするとすぐに日本相撲協会へ返してしまう) のさいに,賜杯をかたどった小型の純銀製模杯(0.54 ℓ =3合入り) が贈られることになっている。

 註記)https://kotobank.jp/word/天皇賜杯[相撲]-176930 参照。

 

 ※-2「 関連する年譜」から

 1925年12月28日 財団法人大日本相撲協会設立が許可される。当時摂政皇太子であった昭和天皇の台覧のおり,下賜された奨励金から「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)を作ったが,興行主に過ぎない団体が菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず,財団法人設立の許可を受けた。この許可も,そもそも団体の存在に公益性がないことからどうやらむずかしそうだとみて,あえて年末に申請して強引に許可を受けたという裏話が残っている。

 

 1928年1月   大日本相撲協会に改称。

 

 1966年4月1日 財団法人大日本相撲協会から財団法人日本相撲協会に改称。                 (文部省関係許可認可等臨時措置令施行規則の一部を改正する省令,                         昭和41年文部省令第6号)

 

 2014年1月28日 公益財団法人の認定を受ける。

 

 2014年1月30日 財団法人日本相撲協会から公益財団法人日本相撲協会に改称。

 現在,公益財団法人日本相撲協会と名乗ってはいるものの,その実体はスポーツ興行団体(端的にいえば営利事業)のひとつであるに過ぎず,ただそこに日本の伝統,いいかえれば「神事」(古来の神道)にかかわるかのように,この法人に対する装飾が工夫され,演技もされているところから,そもそも問題であった「女人禁制」も登壇してきていた。

 明治以降における皇室・皇族は,女性差別(女系・女性天皇の完全排除)を当然とする価値観をいまだに維持している。日本相撲協会もそれに右へ倣えをしているつもりか? 日本の相撲界「史」に関する「本当の勉強・学習」をしたうえで,より正確な知識をもって「神事」性の問題を説明していく必要がある。ところが,その点は無視したままに,内館牧子流に恣意的な相撲「観」を保持しているのは,学術的にもそして常識的にも問題だらけである。

 こまかくは引用しないつもりであったが,直接読むのはめんどうだという人のために,この ③ の見出しに前掲してあった学術的な論稿,吉崎祥司・稲野一彦「相撲における『女人禁制の伝統』について」2008年から,つぎのように,関連の深い箇所を引用しておく。

  a) 「草相撲や野相撲ではなく,勧進相撲でも室町時代には女性が相撲を取ることができたのである。室町時代の相撲とができたのである。室町時代の相撲において,女人禁制の様子は見ることができない」(76頁・右段)

  b) 「女性は,形はさまざまであっても,長い間相撲と関わりを持っていた。江戸期には女相撲もかなりの人気を博していた。このことは既述の通りであり,紛れも無い事実である。しかし,『古くからの神道との関わり』という理由によって,相撲から女性は排斥されていった。明治の男尊女卑の風潮も加わってか,相撲は男性のみによって行われる『国技』となった。『えた』に関わっての相撲地位向上の一連の動きと,筆者の考える女性に関わっての相撲地位向上の一連の動きは酷似してはいないだろうか」(82頁・左段)

  c) 「しかし,相撲が『国技』となったのもまた,明治時代なのである。存続の危機に直面しつつも,それを回避し,国技にまで上り詰めた明治時代は,相撲にとって非常に重要な意味を持つ時代である」(同上)

  d) 明治16年(1883年),鹿鳴館が完成したことにより相撲界の危機はさらに強まると思われたが,欧化主義に対する国粋主義の出現や,翌年の明治17年に天覧相撲が行われたことで,禁止論は姿を消し,相撲は勢いを取り戻すこととなった。そして,明治42年(1909年),相撲は『国技』となり,不動の地位を獲得するのである」(82頁・右段-83頁左段)

  e) 「明治も時代が下がると,欧米諸国から頻繁に貴賓が来日するようになり,外国人の目を気にしての常設館設置の機運が高まり,かくして国技館が完成する。常設館の名称を決定する会議の少し前に,江見水蔭によって初興行披露状が善かれていたが,その中に『抑も角力は日本の国技,歴代の朝廷之を奨励せられ,相撲節会の盛事は,尚武の気を養い来たり』とあり,

 ここから『相撲=日本の国技』という認識が広まったところから,国技館と銘うたれることとなったわけである。国家機関が認めたわけではなく,相撲界がいわば自称として揚言したものが瞬く間に広がり,現在でも相撲は日本の国技とされるに至っている。相撲界としては,この命名は,相撲の地位を確固たるものにのし上げた大傑作であったということになる(83頁・左段)

  f) 「ちなみに,江戸期の相撲界の動きについて新田〔一郎『相撲の歴史』〕は,次のように述べていた。『そもそも木戸銭を求める興行を生業とすること自体への卑購視ともたたかわなければならないのが,相撲興行集団が背負ったきびしい宿命であった。“相撲は武道である” とか “朝廷の相撲節の故実を伝える” , “だからその他の興行物とは違う” という含意をもった主張は,そうした宿命からのがれようとする相撲興行集団の主張だったのである」。新田のこの見解は,相撲の女人禁制の『伝統』にも妥当するように思われる」(同上)

  g) 「筆者は,明治期に神道の桟れ〔穢れ?〕観を利用して,女人禁制という『伝統』が虚構された,と考える。あるいは,相撲における『女人禁制の伝統』は,1400年の歴史を持つとされる相撲にとっては,非常に歴史の浅い『伝統』であるといったらよかろうか。神道や仏教の女性差別確立までの流れと同様に,相撲も女性を差別する必要があって,その理由付けとして桟れ〔穢れ?〕観などが『後付け』されたと考えられるのである」(84頁・右段-85頁・左段)

  h) 「女性が土俵上で “取っ組み合う” 様子は,文明国家のものではないと考えられたのだろう。近代化・文明開化を図る日本の視点と相撲界の思念が合致したことも,女人禁制が進められた原因の一つであろう。また,家制度の制定に集約される男尊女卑の土壌が,相撲の女人禁制を浸透させていった理由の一角をなすことも疑いない(85頁・左段)

  i) 「相撲と神道との関わりが長い歴史を持つこと自体に疑う余地はなさそうである。しかし,神道が持つ女性に対する桟れ〔穢れ?〕思想と,これにもとづく女人禁制というものが前面に出てきて,相撲に大きな影響を与えたということについては,それほど古い歴史があるように思えない。相撲と神道との関わりは古くからのまさしく「伝統」であるが,「相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する」というような論理は,明治以降に相撲界の企図によって虚構されたものであると考えられるのである(85頁右段-86頁左段)

 以上,要は「歴史の事実」を無視したまま,ただ明治以来に「創られた伝統」でしかなかった俗説を鵜呑みにしたのが,まさしく「土俵の上での女人禁制」といった〈疑似神道的な宗教の観念〉の,いうなれば意図された「誤認的な創作」であった。

 明治以降において提供されてきた伝統に過ぎないそれを,いきなり古代史からの伝統であるかのように偽り,騙るのは,まさしく完璧に《ウソ:虚構》であり,歴史のねつ造である。安倍晋三君の「戦後レジームからの〔できもしていなかった〕脱却」(の問題)よりもさらに,一段とたちの悪い「歴史のねつ造」であった。

 

 【補  遺】

 「女人禁制は伝統ではない」,小林よしのり『BLOG あのな教えたろか。』2018年4月5日が,以下のようにまともな議論をしていた。

 --救命活動中の女性に「土俵から降りろ」とアナウンスがあったことが報道されている。相撲は「女人禁制」が伝統と信じこんでいる観客が騒いだので,行司が慌ててアナウンスしたらしい。

 人命を無視して心臓マッサージを止めるわけにはいかないのは当然のことだ。人名〔人命〕より伝統が大事というのは伝統を原理主義と勘違いしているカルトである。

 今回のケースを緊急時であるから特例だと考えてはならない。「女人禁制」は伝統ではなくて,「因習」であるからだ。相撲における「女人禁制」は,明治の「男尊女卑」の強化から伝統だと勘違いされていったものだ。

 日本書紀雄略天皇の記述部分に,最古の采女による女相撲の記述があるし,室町時代には比丘尼が相撲をとっている。江戸時代には女相撲は頻繁におこなわれていたし,明治15年にも山形県女相撲がおこなわれている。もちろん女相撲も上半身裸で乳房丸出しだ。

 だが明治になって,女性が取っ組みあ合う様子が野蛮で文明開化ではないと板垣退助が批判し,この文明開化の波に乗って,長年,相撲界に蔓延る男尊女卑の土壌が女人禁制を伝統として浸透させ,その論拠として神道の汚れの感覚が利用されたようだ。

 男尊女卑の感覚じたいが,実は文明開化なのである。これによく似ているのが女性宮家の排除とか,大嘗祭の女性皇族の排除とか,女性天皇の拒否とか,天皇は男系継承しかダメという,皇室に関する男尊女卑思想である。

 相撲とまったく同様に,明治の文明開化と,神道・仏教の女性蔑視思想がドッキングして伝統だと勘違いされたものに過ぎない。原理主義としての伝統など,日本には存在しないのだ。(引用終わり)

 

  【補  遺:続】

  ◇「救命女性が降りた土俵に大量の塩まく 複数の観客が目撃」◇
      asahi.com  2018年4月5日13時21分 =

 京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業で,土俵上でのあいさつ中に倒れた多々見(たたみ)良三市長(67歳)を救命中の複数の女性に対し,土俵から降りるよう場内アナウンスがあった問題で,救命行動後に,大量の塩がまかれていたことが分かった。

 複数の観客によると,女性を含む救護にあたった人たちが土俵から降りたあと,相撲協会関係者が大量に塩をまいていた。大相撲では,稽古中や本場所の取組中に力士がけがをしたり,体の一部を痛めたりしたようなときに塩をまくことがよくある。日本相撲協会の広報担当は取材に「確認はしていないが,女性が上がったからまいたのではないと思う」と話した。

 観客の60代女性は「周りにいる男性がおろおろしているなかで,複数の女性がすばやく救命措置をしていたので立派だった」。場内アナウンスについては「女人禁制の伝統があるのだろうが,人命救助にかかわることであり許されない。救助の手を止めていたらどうなっていたことか」と話した。

 多々見良三市長(67〔69〕歳)はくも膜下出血と診断された。手術を受け,1カ月ほど入院することになった。

 註記)https://digital.asahi.com/articles/ASL453VCJL45PLZB006.html?iref=comtop_8_04

 この記事が示唆するのは,救いがたいと観るほかない “日本相撲協会の後日談” である。場末の水商売での習俗に似た行為が,公益財団法人日本相撲協会のなかで平然となされている。人の命よりも協会の「縁起(穢れ意識の尊重)」のほうが,よほど大事なのである。

 そうした因習の行為はある意味で非常に悪質である。自分たち(男)は清く,女は穢れている存在だというふうな〈低次元の宗教意識〉がうかがえる。八角理事長の吐いた事後談的な「謝罪のことば」は,いったいなんの意味でいわれていたのか?

 

  【補 遺:続々】

 a) これは題名だけ挙げておく。

 「正気か?  土俵で救命する女性に『下りろ』,下りたあとの土俵に大量の塩…  そもそも “土俵は女人禁制” は本当に伝統なのか?」『リテラ』2018.04.05,http://lite-ra.com/2018/04/post-3930.html 以下。

 この『リテラ』の批判:疑問については,前段までの記述が説明してきた。日本相撲協会は,商売道具に「女人禁制」を利用(悪用)してきた。いまどき,この禁制のための「理論(理念・理論)」があるかどうはさておき,それを合理的に説明できる者はいない。協会の幹部たちの頭脳内構造は,19世紀後半に停泊(漂流)中である。

 日本相撲協会は「女人禁制」問題を,わが協会の伝統だという,理屈にもなりえない用語をもちだしては,自分たちの立場,それも公益財団法人の理念を説明できるとでも考えているとしたら,これほどの時代錯誤はない。

 女性差別にみずから加担する思考方式を,後生大事に守ろうとする日本相撲協会的な価値観は,昨今,問題になっている。「#MeToo」の観点からしても,この協会の「女性差別を当然視する明治的な史観(?)」として,とうてい許容できない。

 b) 吉崎祥司・稲野一彦「相撲における『女人禁制の伝統』について」2008年はさらに,女性差別にかかわる〈穢れ〉の問題で関心事となる「女性の生理(月経)の血」と「男性がケガとして血を流すときのこの血」とに違いなどまったくなく,両性に共通するその〈血の穢れ〉そのものとみなされていた歴史にも言及していた(84頁参照)

 同稿からはこういう段落も引用しておく。「えた」という用語の関連では少し分かりづらい点もあるが(「相撲」のほうが「えた」の差別に加担する立場にまわっていたという史実:場面のこと),このまま読みくだしてひとまず理解してほしい。

 「女性は,形はさまざまであっても,長い間相撲と関わりを持っていた。江戸期には女相撲もかなりの人気を博していた。このことは……紛れも無い事実である。しかし,『古くからの神道との関わり』という理由によって,相撲から女性は排斥されていった。明治の男尊女卑の風潮も加わってか,相撲は男性のみによって行なわれる『国技』となった。『えた』に関わっての相撲地位向上の一連の動きと,……女性の関わっての相撲地位向上の一連の動きは酷似してはいないだろうか」(82頁・左段)

 日本相撲協会の幹部たちは,女性差別問題に関して “そのイロハから勉強してもらう必要” がある。日本社会のなかには「差別の問題が歴史の問題」として数多くあった。しかも,いまだに残されているその種の問題がいくらでもあるなかで,日本相撲協会だけが「女性差別問題」に関しては,いちじるしく疎遠なまま取り残されており,あたかも孤島のごとき印象を強く抱かせている。

 相撲取り上がりの親方たちは,無給時代の若いころから「相撲は神聖な土俵の上でとるものだ」「われれ相撲協会の演じる神技のことゆえともかく神聖なのだ」と教えられてきても,その事実:主張に関連していたはずの「歴史の内幕」(真実・真相)については,本当のところ,ほとんど無知である。

 というのも,彼らが教えられてきた「相撲に関連する一定の歴史」は「合理的には説明不可」の内容であって,それ以外にはきちんとまともには教えられてこなかったからである。相撲界においては,これまで繰り返し起きてきた「多種多様の醜聞問題」はさておいても,そのように「わが協会の神聖さ」を誇ってきた自信のほどだけは,たいしたものがある。

 日本相撲協会が自組織内において不祥事が発生すると,みごとにも披露する口の堅さは定評がある。だが,女性差別の「土俵・観」に関して,その種の “堅固な意志” が控えていたとしても,なんの自慢にもならない。

 c) 最後に,こういう「歴史の事実」も挙げておく。

 明治17〔1884〕年,明治天皇の展覧相撲がおこなわれていた。そして明治42〔1909〕年,相撲はめでたく「国技」となり,不動の地位を獲得した。いまでは,毎年1月上旬,初場所を前にした日には,明治神宮拝殿前で日本相撲協会横綱力士によっておこなわれる。

 それは『手数入り(でずいり)』と呼ばれる奉納土俵入りであるが,要は「横綱の土俵入り」のことで「 神仏への祈願宣誓」をする。ここで指示される明治神宮のその『神』とは,もちろん「明治天皇その妻・昭憲皇太后」のことである日本相撲協会が「自会が神技の担い手であるという自負」を,非常に強くもっているその理由・事情が,どこから生まれているかおのずと理解できる。
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【 付  記 】 本編の続きに当たる記述は,近日中に再公開したい。   

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