新聞広告とネット広告,広告元の変化,「大学の広告の問題」

広告と社会,ネットの発達と新聞広告の凋落傾向の相互関係,そして新聞社経営が受けている影響

 

  要点:1 最近の新聞紙のページ数が減少している事実

  要点:2 広告までフェイクになりやすい時代

  要点:3 大学(学校法人)からの広告出稿は,新聞社にとってみれば,たいそうありがたいお得意先からの注文

 

 「〈いちからわかる!〉ネットの広告費,テレビを超えたの?」朝日新聞』2020年3月23日朝刊2面

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 【話  題】スマホが普及し,個人にあわせた広告が出せるのも強み」

 コブク郎  インターネットの広告費がテレビの広告費を初めて抜いたの?

    広告大手の電通によると,2019年の国内の総広告費は6兆9381億円だった。このうちネット広告は2兆1048億円で初めて2兆円を突破。テレビ広告費は1兆8612億円だった。ネット広告は2009年に新聞を抜き,それから10年でテレビも抜いた。

 コ  なぜそんなに増えているの。

  A  ネット環境の充実やスマートフォンの普及が大きいね。たとえば,検索サイトで単語を調べると,それに関する商品などの広告が表示される。検索連動型と呼ばれる広告だ。SNSなどスマホのアプリに表示される広告のほか,ネット通販の出店者が出す広告も増えているんだ。

 コ  人によって表示される広告が違う時があるね。

  A  ネット利用者の多くは,米国のグーグル,アマゾン,フェイスブック,アップルのサービスを使っている。「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるこのIT大手4社は,個人個人にあわせた広告を出せるのを強みにして急成長してきたんだ。

 コ  ネット以外の広告はどうなの?

  A  テレビ,新聞,雑誌,ラジオのマスコミ4媒体の広告費は合計で2兆6094億円。4媒体ともに前〔2018〕年を下回ったよ。景気の影響を受けやすく,消費増税や天候不順で企業が広告を出すのを控えたようだ。

 コ  大変だね。

  A  ただ,4媒体がネット事業でえたデジタル広告費は計715億円と前年より22. 9%増えた。この分はネット広告費に含まれる。ネットテレビ局やみのがし配信サービスなどパソコンやスマホでもみられるサービスが広がり,とくにテレビは46. 7%増えた。読者の年代や性別が明確なものが多い雑誌も20. 2%増だ。紙の落ちこみをデジタルで補っているよ。(引用終わり)

 以上のうち「みのがし配信サービス」によって視聴する民放テレビ番組の場合,宣伝・広告もそのまま「みのがしなく〈みせられる〉」ので,これをどのように評価するのが関心があったが,それもこれもテレビの宣伝・広告あつかいということらしく,深く考えてみるまでも当然の位置づけである。

 それにしても,民放のテレビでは番組途中で延々と広告がつづく時間帯があるのでウンザリすることこのうえない。15秒を時間の単位・区切りとする広告の制作ということだが,30秒単位や1分単位にも感じられる広告が,いくつも連続して来て,これを観させられるとなると,便秘状態でもなければ「トイレタイム」とは勝負にならない長めの時間構成である。

 

 「30年あまりにわたる広告費推移をグラフ化してみる(上)… 4マス+ネット動向編(特定サービス産業動態統計調査,最新)」『ガベージニュース』2020/02/20 05:23,http://www.garbagenews.net/archives/2031422.html

 経済産業省は2020年2月18日,特定サービス産業動態統計調査の収録データにおいて,年次ベースの時系列表の更新をおこなったった。当サイトでは,同データのうち広告費の主要項目について月次ベースのものを逐次【経産省広告売上推移(経済産業省・特定サービス産業動態統計調査)】として分析しているが,今回は年単位における中長期的な動きを確認していくことにする。

 註記)以下の引用は本文については適宜に取捨選択するが,図表については全部を拾い紹介したい。


 a) 伸びるネット,落ちこむ新聞,そしてテレビは…金額推移

 まずつぎの図表は,全体の額をグラフ内に盛りこんだために他の項目があまり目立たないかたちとなっているが,テレビ単独の額面の大きさ,インターネットの実情,屋外などの一般広告の市場規模などがあらためて確認できる。テレビは単独で年間1兆4620億円,インターネットは8299億円の広告市場をもっている。

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 月次ベースでは2013年でほぼ確定した「新聞とインターネットの逆転現象」(「新聞とネットの順位交代 … 今年一年の従来4マスとインターネットの広告売上動向を振り返ってみる(2013年」)が,年次ベースではすでに2012年の時点で起きていることが確認できる。それ以降,差は開くばかりの状態。

 機会をあらためて触れることにするが,たとえば雑誌はこの10年で半減に近いほどの減少ぶり。ラジオは1/4強の減少。「広告費」と「利用率・媒体力」はそのまま直結するわけではないものの(景気動向やライバル媒体とのパワーバランス,そしてコストの観点での効率化も影響する),激動する時代,そしてメディアの変貌の実情を感じさせる。

 b) 公開データでインターネットが独立項目として反映されるようになったのは2006年から。その時期から4マスとインターネットの合計シェアはほぼ同じ比率を示し,インターネット広告が他の4マスを浸食しているようすがはっきりと分かる。記録の限りでは,インターネットが項目として登場して以来,毎年シェアは増加しつづけている(2011年から2012年はグラフの表記上7. 4%と横ばいを示しているが,実数としてはそれぞれ7. 37%,7. 42%である)。  

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 一方インターネット以外では2011年以降,一般広告が大きな伸びを示すかたちとなった。これは多分に「特定サービス産業動態統計調査」,そして博報堂の広告費動向で言及しているように,東日本大震災の影響,たとえば強制的節電に伴い,電力消費での配慮があまり要らない一般広告への再注目の影響によるところが大きい。

 また昨今では4マスやインターネット,さらには一般広告にも分類しがたい,複合型あるいは別仕様の広告が多数登場し,既存の区分に該当しない広告の売上が「その他」にまとめて放りこまれている感はある。結果として「その他」が大きく肥大した形。金額面だけをみても2011年以降は急傾斜の上昇を続けている。ここ数年でようやく急上昇にブレーキがかかったという程度。

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 c) 2011年3月の震災の影響は少なからず広告業界・広告費にも影響を与えており,一部はいまだにその爪痕を残しているが,全体的な「震災前からの流れ」は継続中。むしろ震災によってその流れが加速化した感がある。今件は広告費の推移であり,部数・視聴者数の推移や媒体力,その業界の売上とはまた別のものだが,それぞれの媒体の「パワー」を示すひとつの指針との認識で間違いない。

 上記グラフ(上から3つめと4つめ)で黒枠を用いて囲った各メディアは今世紀に入ってから,とくにこの数年,胸を張って第三者に誇れるようなものではない,いろいろと大人げない,過去の実績・権威を汚すような動きをしている。とりわけ震災以後,頭に疑問符を浮かべてしまう質,内容,姿勢の動向を感じる人も少なくあるまい。そのような動きの原因の一つとして,今件データが示す実情を受けての「焦り」があるとする解釈は,決して的外れなものではなかろう。(引用終わり)

 最後の段落は意味がとりにくい。そこで,ここではいったいなにが指摘されている話題なのかを,つぎの ③ の記事を紹介しつつ考えてみたい。

 

  藤村厚夫・スマートニュース執行役員稿「ネット広告に構造的問題 政治工作や詐欺の温床に」nikkei.com 2017/11/2 6:30,https://www.nikkei.com/article/DGXKZO22823760X21C17A0H56A00/日経MJ 2017年10月30日付)

 a) 昨〔2016〕年の米大統領選をめぐって噴出した「デマ(フェイク)ニュース」騒動は,終止符が打たれるどころか,むしろその疑惑は深まっている。いま,米議会ではフェイスブックなどの大手交流サイト(SNS)が提供する広告が,ロシアによる大統領選への干渉を許したのではないかとの調査が進んでいる。デマニュース騒動がネット広告の分野に飛び火したのだ。

 残念ながら,ネット広告には,このような指摘を受ける構造的な問題点があるのを否定できない。2017年に入ってからも,グーグル傘下の動画投稿サイト「ユーチューブ」に掲載されている人種差別やイスラム国の扇動といった過激な動画に,英国の公営事業や大手企業の広告が自動的に配信されている事態が指摘され,多数の大手広告主が広告を差し止めるという「事件」が起きた。

 ここに来てさらに,フェイスブックツイッター,グーグルは,大統領選期間を中心に,ロシア政府とつながりの大きい企業からの広告を掲載してきたことがあらためて問題視されている。これは,必らずしも各社の広告掲載基準の逸脱を意味しないが,フェイスブックシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)は,ロシアからの干渉を許したと認め,対処を約束する事態となった。

 同氏は,これに先だつ9月にも,フェイスブックが広告主に提供するターゲット型広告商品で,「嫌ユダヤ人」という設定もできるようになっていたことを指摘され,謝罪と対処を約束したばかりだった。

 b) 大手SNSをやり玉にあげるような書き方になったが,「構造的な問題点」と書いたのを思い返してほしい。ネットメディアの仕組がもはや丹念な人の目と判断力では運用できないようなものへと変貌しているのだ。

 たとえば,米国のある調査によれば,広告主の2割は,1回のキャンペーンに1000ものメディアに広告を掲載する。ネット広告では,露出効果が高そうなメディアを自動的に選択して広告を配信する仕組が常識だ。この「自動配信」が,目も背けたくなるような記事や動画の横にブランド商品の広告を表示しながら,当の広告主さえそれに気づかずにいるという惨状につながる。

 膨大な配信先へと広告を配信する仕組には,そこに不透明な広告仲介事業者を招き入れる事態にもつながる。広告が「消費者」にクリックされたと報告される取引でも,実はロボットがクリックを装っていたといった「広告詐欺」ともいえそうな事態も増えている。

 一連の事件を受けて,世界的な広告主企業であるプロクター・アンド・ギャンブルは,月間2000社にも上る米国内での広告配信先を,1000社以下までに絞りこんでいるという。

 c) 出口がみえないようなネット広告の現況だが,だからこそ信用のおけるメディアと広告の組みあわせに期待が集まる段階にきたともいえる。第三者視点で広告運用を監査する仕組も台頭している。詐欺的な広告には,テクノロジーによる対応と,信頼を獲得するための人間的な取り組みが重要だ。デマニュースへの対処と同様に緊急度が高まっている。(引用終わり)

 ネット広告が急速に拡大・普及してきた現段階においてでも,その企業経営体の次元における広告管理の問題と社会経済面の次元における広告規制の問題については,いまだに,社会的な倫理観に裏付けられた視界のもとで,合理的に適正・妥当であるべき運営基準を提供できていない事実が,以上の議論のなかに示唆されている。

 ネット広告という媒体・手段はその性質上,従来型の4マスによる広告形態とは基本から異なっているために,これに対する新しい社会道徳的な規制基準を設けていく作業を,同時に迅速に確立していく努力がともなわなければ,いつも泥縄的に問題が発生してから,その難点に取り組むといった後追いの姿勢にならざるをえない。


  本ブログ筆者の個人的な観想

 以上 ③ までの記述は,本当は前論的な内容であった。以前からとくに気づいていた事項があり,それに少し触れてみたかったのである。新聞の現物を自宅や事務所(事業所)に配達してもらって購読するその読者の実数は,いままで徐々にだが,確実に減少してきた「各社新聞の発行部数」として把握されている。この事実はだいぶ以前から指摘されている。

 a) 新聞社(新聞紙という報道媒体を発行する会社)の存在は,昔であればある意味,報道機関全体をもっとも代表する存在であって,いうところの「社会の木鐸」の役割を前面で担っていたはずであった。

 だが,最近における日本の新聞社は一流紙であっても,無条件に政権側に肩入れする姿勢を基本とする『読売新聞』(通称「ゴミ売り新聞」)や『産経新聞』(安倍晋三君のための提灯持ち新聞紙,通称「3K新聞」もしくは「惨軽新聞」),そして『日本経済新聞』(通称「日本財界新聞」が本性)などは,社会の木鐸「性」とは縁遠い新聞紙となっている。

 いまもまだ,なんとかまともにその「社会の木鐸」という社会的な役割を果たせているのは,『朝日新聞』や『毎日新聞』『東京新聞』,そして地方紙のいくつかだけである。

 新聞社の「権力に対する布陣」のなかには,政権に対してゴマを擦るだけでなく,ときには権力者のためにご奉仕する情報機関の役目まで進んで発揮する社もあるのだから,まるで独裁国の御用紙そのものである。

 アベ政権の〈手先〉となってフェイクな報道をした新聞社もある。『読売新聞』が2017年5月に報道していたが,当時「文科相事務次官であった前川喜平」に対する “でっち上げ記事” を放った事件は,その最たる恥ずかしい見本となった。大手紙が体制側の手先になっており,落ちるところまで落ちていた。

 補注)その件,「出会い系バー問題」の概説(ウィキペディアから)。--『読売新聞』は2017年5月22日,前川喜平文部科学省在職中に売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りし,店内で気に入った女性と同席し,値段交渉したうえで店外に連れ出していたと報じた。

 同報道では,店に出入りしている女性の「女の子と値段交渉していた」「私も誘われた」といった証言も紹介された。それに対して『文藝春秋』2017年7月号は,2年前か3年前(2014-2015年)にテレビのドキュメント番組で出会い系バーをしったとの本人の証言を掲載した。

 週刊文春』は,出会い系バーで会っていたという女性のインタビューを掲載した。いまは百貨店に勤めるという女性は2011年に前川と出会い,前川とはもっとも親しかったといい,前川には身の上の相談や就職に関する相談にのってもらったとしたうえで,前川のおかげでいまがあると思っていると証言した。

 報道については,いまになって真実とは思えない報道がなされていると疑問を呈した。また性的な関係があったのかという問いに対しては,前川から口説かれたことも手を繋いだこともなくありえないと述べている。

 同記事のなかで前川は「確かにあの店で出会っていっしょにお寿司を食べたり,ダーツをやったりもしました。でも遊ぶことが目的だったわけでなく,彼女の生い立ちや現状について話を聞かせてもらうとともに生活や就職の相談に乗っていました」と説明している。(引用終わり)

 ここに登場した女性は前川喜平が “はめられているらしい情勢” を感じとって危惧し,自分の父親とも相談したうえで,『週刊文春』の取材(インタビュー)を受けて,前段のように発言していた。前川喜平がデッチ上げに苦しめられている状況をみかね,助けたかったといっていた。

 以上,内閣情報調査室がからんだ出来事であった。同室は「内閣の重要政策に関する情報の収集及び分析その他の調査に関する事務並びに特定秘密の保護に関する事務を担当」する政府・内閣の直属機関だというが,ほかにやるべき仕事がないくらいヒマを楽しんでいると拝察する。

 b) マスコミは「第4の権力」だといわれてきた。しかし,この権力性は「社会の木鐸」たる役目をよく心えてこそ生きてくるはずのものだから,ゴミ売り新聞や惨軽新聞みたく,その手先になるような報道姿勢を常時構えているようでは,現在までの「安倍1強〔凶・狂〕政権」に,みずからすすんで言論的な凶器を提供することになっている。

 アベ政権が第2次政権を組んでから7年と3カ月も経過してきたが,この国の政治・経済はもうガタガタと音を立てて「崩れ去った」と断言してもいいくらいの惨状に見舞われている。つまり,この惨状に率先して手を貸してきたのは『読売新聞』や『産経新聞』であった。『日本経済新聞』も日和見的にアベ政権に追従するしか能のない有力経済紙である。

 主要なテレビ放送局系も,新聞業界の勢力地図に似て「権力側に親しい局」と「そうではない局」に,ほぼ2分されてきた。テレビ各局の放送を視聴しているかぎりでは,日本の政治・経済の実相はまともに理解できない。アベの幇間みたいな評論家やジャーナリストばかりが全面に出てきては,いい加減なことばかりを,まるで汚いゲロを吐くように撒きちらしている。

 さてこの記述においては,広告の問題でもとくにネット広告を焦点に狙った議論にしている。その意味でいえば,まさに玉石混淆でもあるのがネット記事である。それゆえ,各自がそれらを注意深く判読するなかで,新聞やテレビのなかにも溢れているフェイクとフェイクもどきに氾濫するデタラメ情報に対面しながら,われわれ自身がきちんとマイニング(仕分け・判別・精錬)していける眼識が要求されている。

 その種の努力はそう簡単にはできない・しんどい作業ではあるが,ともかく自分なりに数をこなして閲覧を重ねて読みこんでいけば,そのうちだんだんと慣れてくるし,それなりに「みえてくるもの」もだんだんに増えていくはずである。

 とくにテレビが昼間に放映しているワイド番組は,そのほとんどがアジ演説的に一時の感情に流される中身が多い。読売新聞社系の関東地方でいえば,チャンネル4の「日本テレビ」などは,本ブログ筆者の個人的な印象では観る気さえ,ただちに喪失させられる。

 c) いうなれば「広告産業は第5の権力」にまで成長したが,その中身はまだ「第 4.5(くらい)の権力」である。広告といえば電通電通といえば広告。分かりやすくいえば2020東京オリンピックを仕切っているのは,この電通である。原発問題で国民たちに対して,完全なる虚偽の「安全神話」を広告させてきたのも,この電通である。

 新聞紙でいえば,記事の部分ではなく,広告の部分を介して「国民を洗脳する部門と担当している」のが電通である。なぜ,原発は「安全神話」を宣教してきたのか? いまとなってはその大罪的な過誤は覆うべくもなく,そのまま露出状態がつづいている。恥ずかしいかぎりである。

 電通はなぜ「オリンピックの感動詐欺」を喧伝しているのか? ごく一部の五輪貴族たちだけがいい思いをする,いわば『オリンピック上級市民』が「下々のボランティアたち」を11万人もただ働きで酷使する “社会構造的な機能関係” は,異様を通りこしている。奴隷社会のような印象さえ抱かせる。若干,幸いにも2020東京オリンピックは,最大で1年は延長されることになった。

 それでも仮に,2021年の盛夏に開催されることになったら,いったい,何人もの人間が熱中症などで命を落とすか心配でならない。この場合,命を落とすのはもっぱら『オリンピック:下級市民』のほうが中心になるに決まっている。選手も危険な競技環境のなかに放りこまれるから,非常に心配であるが,いずれにせよ,分かりきっている予想……。

 d) 新聞紙じたいの話題。だいぶ以前からであったが,配達される新聞紙のページ数が減っていた(正確なその時期は2019年4月1日からであった点は,つぎの ⑤ のなかで言及される)。そこで早速しらべてみると,この ⑤ のような記事もみつかる。本ブログ筆者が個人的に感じていた問題は,すでに識者が明確に論じていた。ドンピシャリの記事である。


 「新聞が “薄く” なり始めた? 部数減&巨大な販売網維持コスト上昇でステルス値上げか」『BUSINESS JOURNAL』2019. 06. 23  09:30,https://biz-journal.jp/2019/06/post_28455.html〔~ 28455_2.html〕

 最近,新聞が「薄く」なっていないか。そう感じさせる出来事が,3月から4月にかけて起こった。原価の高騰やコストの上昇などには,一般的には値上げで対処する。しかし,最近では「ステルス値上げ」といい,値段は同じながら内容量の減少などで対応するということも多くおこなわれるようになった。

 お菓子などでは,いままで多く入っていたものが少ない分量になったため,消費者から反発の声が上がっている。定食店のご飯の盛りなども減少し,満足感がえられにくくなっているという状況が起こっているが,同様の状況が紙の新聞でも起こっているのだ。

 1) 値上げにかじを切った新聞,値段を上げない新聞

 これまでのサービスを維持できない場合,値上げをするしかない。日本経済新聞は2017年11月に朝刊と夕刊のセット版を4509円から4900円(税込・以下同)に値上げし,読売新聞は今〔2019〕年1月から朝夕刊セット版を4037円から4400円に値上げした。東京新聞も4月1日に朝夕刊セット版を3343円から3700円に値上げしている。

 背景には,新聞用紙の値段,印刷体制や配達網の維持コストなどの上昇がある。これまでの新聞価格では既存の新聞販売システムを維持できないというわけだ。

 一方,値上げという選択肢を採用しなかった新聞もある。朝日新聞毎日新聞産経新聞だ。〔2019年〕4月1日,朝日新聞は紙面リニューアルを名目に紙面の内容を削減し,最終版配達エリアも再編されることになった。

 同日に東京都調布市の筆者(原文の)の自宅に届いた朝日新聞朝刊は,それまでと同様に最終版を示す「14版」と記されていたが,別の印刷所で印刷されたものになり,総合面の数が5面から4面に減り,記事の分量が減っていることがわかった。

 また,夕刊は最終版の「4版」ではなく「3版」になっており,従来2面にあった記事が社会面の片隅に入るようになり,純粋なニュース記事が減ったことになる。

 調べてみると,最終版エリアでは〔朝刊の場合〕「14版△」が配布されるようになり,そのエリアは東京23区内だと考えられる。つまり,最終版配達エリアの縮小と紙面の内容削減がおこなわれたようだ。

 別の新聞でも,紙面上の動きが起こっている。産経新聞では,3月25日付朝刊(東京本社管内では朝刊のみ)から最終版の「15版」が「14版」になった。最終版が配られているのは,東京23区内である。調布市周辺では「14版」が「13版」になっていた。単純に数字を繰り上げただけなのか,それとも印刷開始時刻を早めたのか。

 2) 紙面再編の理由

 朝日新聞社に総合面の縮小について聞くと,次のような答えが返ってきた。

 「弊社では毎年,コンテンツの見直しとともに,面の新設や改廃を伴う紙面改革をおこなっています。この春の改革はデジタル時代への対応として,朝刊では,深く掘り下げた読み解きや検証,解説を充実させることをめざしました。夕刊や別刷りを含め,コンテンツや面の構成を検討した結果の一つとして,朝刊の総合面は4ページとしました」。

 従来,総合面は1面が主要記事,2面は解説,3面は解説やニュース,4面はいわゆる政治記事,5面はその他のニュースというかたちになっていた。その5面を削減して,その他のところに振り分けるというかたちになったのだろう。また,読み解きや検証,解説の充実は,分量ではなく,内容の充実だろう。

 また,最終版のエリア削減について,朝日新聞社は「新聞の降版(締切)時間と配布エリアの対応関係については,具体的な回答は控えます」としながらも,以下のように回答した。

 「お客様のニーズや交通事情の変化などにくわえ,弊社の生産能力に応じて適宜見直しをしています。『版』は新聞制作及び輸送上使用している記号です。14版△も従来からある記号の一つですが,今春からは使用する頻度が増えました」。

 ちなみに,これまで「14版△」は最終版の紙面完成以降に,さらに情報を追加しなければならない場合に使用されていたもので,なかなかお目にかかれないものだった。

 また,朝日新聞社は3月末で世田谷生産技術実験所の操業を停止したという。この工場では,世田谷区や杉並区,武蔵野エリアなど朝日新聞のシェアがトップであるエリア向けの新聞を印刷していたが,そこを操業停止にしなければならないほど,新聞の部数はシュリンク〔縮小〕しているのだ。ほかにも,群馬県や栃木県で夕刊の刊行を2月末で終了し,厳しい状況が垣間みえる。

 産経新聞社にも「版」繰り上げについて聞いたところ,「『版』に関することについてはお答えできません」という返答だった。産経新聞社は,所沢工場の閉鎖や人員削減などの大きなリストラを行うほど経営が厳しく,販売網も他紙に比べると専売店が少ない。コストカットのために降版時間を早めていると考えるのが自然だろう。

 さらなる部数減を恐れて値上げのできない新聞社は,紙面の削減や降版時間の繰り上げなど,さまざまな工夫をしてコストカットを行おうとしている。新聞部数の減少は,読者にも目に見えるかたちで影響しているのだ。(文=小林拓矢 / フリーライター

 3) 本ブログ筆者がさらに関心を抱いたのは,新聞の記事と紙面の割合ではほぼ半分を占める広告の「その内容の変容ぶり」であった。とくに,新聞広告は「4つの強味」があるといわれている。

   1.  信頼性が高い
   2. イムリーに発信できる
   3.  部数の多さ
   4.  説得力が高い
 
 とはいっても,最近における新聞広告じだいに関する質的な容貌の変容ぶりが目立っている。以前から本ブログ筆者は,国公立大学も問わない大学による広告のあり方は,過剰であり無用でありムダでもあると批判してきた。

 「費用対効果」という関連性で考慮するとき,とりわけ「大学の理念と目的」に照らして吟味するに,広告がなによりも学生集めのためを主におこないつつ,かつ大学「自学像」の高揚・宣伝のためにも広告を利用しているとはいえ,その「費用対効果」の関連性については,マーケティング研究者も教育社会学者も研究をしていない様子である。

 営利企業ではない学校法人が宣伝・広告をしていけないという法はない。けれども冗費の支出しか意味しえないような,端的に表現すると,それもこのごろにあってはごく当たりまえに,大手新聞紙に頻繁に出稿されている大学の全面広告は,新聞社側にとってはとても大事な収入源になってはいても,教育費で家計が多いに苦しめられている実情に鑑みれば,けっして感心できるような「経済・社会現象」とはいえない。

 補注)なお,新聞広告の紙面単価は相当に低下していると思われるが,これは印象論なので,後日,もう少し調べてから話題にしたい。

 昔は弁護士業の宣伝・広告が禁止されていたが,そこまでではなくとも,学校法人が新聞広告にそれも全面広告を競って出稿している現況は,日本における受験競争の特殊な背景が控えているとはいえ,あまりにも異様な世相であると感じなければおかしい。

 もっとも,新聞社の経営事情が学校法人(国立大学であれば独立行政法人)が出稿してくれる広告を大歓迎しなければならない経営事情じたいは,よく理解できる。しかし,大学広告の関係がいまのままでよいとしうるような「法人経営的という意味で,教育倫理的に合理化しうる理由」はない。
 
 4)「教育の無償化」措置の新しい展開にともない,「生徒(ひとまず高校段階まで)⇒学生(大学・大学院)」という「教育の経路のあり方じたい」が問題としてとりあげられ,再検討されるべき時期になっている。

 けれども,その無償化の問題枠組じたいが「実質において空虚である」からには,いいかえれば,昨今の大学無償化に関連する制度変更は,この無償化という用語を消し去っており,「修学支援新制度」という用語に代替させられ,実際には育英・奨学金の制度としては後退させられた。

 日本の大学は,本来の研究力や教育力の次元で自学の価値を問うのではなくて,単なる経営力や宣伝力でもって「自学の存在性」を問うだけの教育機関になっている感もある。国立大学でも大学授業料などがさらに高額になる兆候もあるなかで,このままでは,『下級市民』に所属するほかない国民・市民・庶民の子どもたちは,大学進学を諦めるほかなくなる傾向がさらに高まる。

 「教育は百年の大計」である真理にいつまでも目をつむっているような国家のあり方では,すでに大幅に崩落しつつある日本の国力・実力が,さらに輪をかけて萎縮し,弱化していくほかなくなる。ところが,いまのアベ政権にはそうした問題意識は皆無である。小手先の大学無償化いじりでは,なにもはじまらないにもかからわず,あいも変わらず目先だけのちょろまかし戦術に終始している。

 以上,ネット広告への関心から大学問題にまでごく粗っぽい関連づけ(筋書き)になる議論をおこなってみた。新聞社にとってみれば大学(学校法人)からの広告出稿はありがたいお得意先であり,収益源である。だが,その裏側においては,大学進学関係で膨大な教育費が家計から支出されているという,つまり,大改革を要求されているはずの「日本的な教育社会問題」が放置されたままとなれば,現状をこのまま是認するわけにはいかない。

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