安倍晋三首相とAPA元谷外志雄

     APAの元谷外志雄と日本国首相安倍晋三の関係

                    (2017年1月19日)

 

 

  要点:1 衆議院特別委員会における参考人としての意見陳述に観る「軍事ジャーナリスト小川和久の心境変化」,なにが彼をそう変えさせるに至ったのか?

  要点:2 元谷外志雄安倍晋三はオトモダチであり,親しい事実

 

 ※-1 この記述はもとは,本ブログの2015年7月2日に公表されたものであるが,本日〔2017年1月19日〕,つぎに引用しておく『天木直人のブログ』の文章を読んだのをきっかけに,ここに再録してみることにした。ただし,今日にかかげる本ブログの題目は「APAの元谷外志雄と日本国首相安倍晋三の関係」と変更しておいた(この文句は本日では「副題の部分」にかかげる体裁になっている)。

 

 ※-2 さらに本日〔2020年4月8日〕は,昨日〔4月7日〕の安倍晋三首相の記者会見,つまり今年〔2020年〕に入ってからたいへんな問題として襲来してきた「新型コロナウイルスの感染拡大」の問題に関係する,また別の話題をとりあげる。それは安倍晋三流の政治手法である私物(死物)化という基本路線,いいかれば,オトモダチに対してだけは異様に政治的に優遇しすぎる問題を,APAホテルの関連を前提に置いて考えてみたい。

 

 ※-3 新型コロナウイルスの感染拡大「問題」に関連して,安倍「政府のアパホテル借り上げは美談でなく “アベ友優遇” !   安倍首相が直接電話で依頼、客室の歴史修正本も『撤去しない』と明言」『リテラ』2020年4月7日,https://lite-ra.com/2020/04/post-5356_3.html という記事を,昨日〔4月7日〕に読んだ。それで思いだしたのが,現在は未公開の状態になっていた〈この記述〉を復活させねば,ということであった。

 

 その『リテラ』の記事は長めの文章であるが,ぜひともさきに読んでもらえると,本ブログ筆者のこの記述との関係も,事前に分かってもらえると思う。その点をさきに断わっておき,本論に入りたい。

 

  元谷外志雄(もとや ・としお)という実業家・経営者がいる
 
 元谷外志雄(1943年6月3日生まれ,76歳)は日本の実業家で,アパグループ代表,ペンネームを藤 誠志と名乗る。妻は元谷芙美子,長男の一志はグループ統括会社のアパグループ株式会社代表取締役社長,次男の拓はアパホテル株式会社代表取締役専務。

 まず,天木直人が本日〔2017年1月19日〕に記述した文章を引用しておく。そのあとにつづき,② 以降の内容として,本(旧)ブログの2015年7月2日の記述が転載される,という順序となる。

   ◆ 中国・韓国に喧嘩を売っている安倍政権 ◆
     =『天木直人のブログ』2017年1月19日 =

 アパホテルの客室に「南京大虐殺」や「慰安婦の強制連行」を否定した書籍が供えられている事が発覚し,大きな問題になっている。そのことに対し,〔2017年1月〕17日,中国外務省の報道官は記者会見でこう不満を表明したという。

 

 「日本の一部の勢力がが歴史を直視せず,捻じ曲げようとしている」と不満を表明したのも,当然だ。これは,日本の一部の勢力(アパグループ)の歴史認識の無責任さを批判しているのであって,中国としてはこの問題を,これ以上日中間の外交上の問題にさせたくないという抑制されたものであることがわかる。

 

 しかし,その中国の報道官の言葉をしって菅〔義偉〕官房長官はなんといったか。18日の記者会見で菅官房長官はこういったのだ。「(中国外務省の)報道官の発言ひとつひとつに政府としてコメントすることは控えたい」といったのだ。アパグループを批判するどころか,それを批判した中国政府を相手にしないといわんばかりの傲慢な発言だ。この菅官房長官の発言は,中国の副報道官が17日の記者会見で語った言葉とは好対照だ。

 

 あのとき中国の副報道官は,「日本の一部の勢力が歴史を直視せず,捻じ曲げようとしている」と不満を表明した。安倍首相とアパグループ代表の元谷氏の関係が緊密であり,その歴史認識も同じであることは周知の事実だ。この菅官房長官の発言は,安倍首相の考えそのものに違いない。

 

 おりから安倍・菅官暴政コンビは,韓国の慰安婦像増設に激怒し,挙げたこぶしを振り下ろせないままだ。これでは日中関係も日韓関係も改善するはずがない。間違った歴史認識を抱く「この国の一部の勢力」と一緒になって,間違った歴史認識をもつ政治家たちがこの国の政治・外交を動かしてる。

 

 それがいまの安倍政権だ。日本の戦後の政治史のなかでいまは最悪のときである。

 註記)http://天木直人.com/2017/01/19/post-5931/

 以上のごとき『天木直人のブログ』が指摘した対象:相手は,現在の2020年4月段階になってもなにも変わらないどころが,もっと悪くなっている。アメリカやロシアの最高指導者に対してはまともに口もきけず,いつも圧倒されっぱなしである日本の総理大臣であるが,中国や韓国に対してだけは,なにゆえか,やたら居丈高の政治姿勢を維持しようと力みつづけるばかりであった。

 その政治姿勢が内政向けだけであるならばともかく,外交において他国,それも近隣諸国とその首脳に対するものだとしたら,あまりにも「幼稚で傲慢」「暗愚で無知」「粗暴で欺瞞」であり,つまりは「初老の小学生・ペテン総理」(『くろねこの短語』命名)の面目躍如でしかありえない。しかし,こうした安倍晋三の政治家としての資質の発揮ぶりは,国家じたいおよび国民たちにとっても,けっして好ましいものではない。

 『天木直人のブログ』が前段で関説した論点については,参考になる記事として,つぎの記事も挙げておく。これもさきに読んでもらうとよい。この記事の題名は現在〔2020年4月時点〕にも,そのまま通じる問題を教示しているので,念のために付記しておく。

 「アパホテル南京大虐殺否定本,中国SNSで炎上⇨同社は『客室から撤去しない』」『THE HUFFINGTON POST』投稿日: 2017年01月17日 18時55分 JST 更新: 2017年01月18日 10時38分 JSThttps://www.huffingtonpost.jp/2017/01/17/apa-and-nanking-massacre_n_14216356.html

 

 この記述のなかから,本日〔2020年4月7日〕にあらためて紹介するこの記述に関連させて,この『THE HUFFINGTON POST』の記事のなかに書かれていた,以下の段落を引用しておく。これは,「南京大虐殺否定本」といった「歴史認識の基本的に誤っている本」が,APAホテルの客室に常備されている問題に関する箇所である。

 

 その「本ではホテルや観光の話にくわえ,南京大虐殺について虐殺された人数の『計算が合わない』,また慰安婦については抗議記録が『まったく存在しない』ことから,『中国も韓国も自分たちの行動を棚に上げて,これらの虚構に基づく日本への非難を繰り返す』などと記している。さらに,『安倍政権が長期政権となるべく,私も最大限サポートをしていくつもりだ』と政治的な内容も含んでいる」。

 

  主題『小川和久は軍事研究専門家であるが,国際政治研究者ではないその特性と限界』 

 ここからが,本(旧)ブログ 2015年7月2日の記述を復活させ,再掲することになる。そして,全体の5分の3ほど読み進んだ箇所に,元谷外志雄安倍晋三がいっしょに写真に写っている画像が出てくる。

 

 この ② で論じるのは,とくに「衆議院特別委員会における参考人としての意見陳述に観る軍事ジャーナリスト小川和久の心境変化」,そして「なにが彼をそう変えさせるに至ったのか?」という2点である。

   日本軍事研究に関する小川和久の立場 

 1) 2015年7月1日,安全保障関連法案衆院特別委員会参考人質疑

 ウィキペディアには小川和久の軍事観を,こう説明した段落がある。「小川は県内移設を日本と沖縄の安全保障上の必要条件とみなし,日米安保に依存しない場合,国防費が数倍に跳ね上がり,沖縄における日本の軍事基地も相当増強しなければならない旨を主張している」。

 これは,普天間基地辺野古に移設されるという話題について,小川が披露した意見である。さて,この小川和久が2015年7月1日,安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会の参考人質疑として登場していた。『朝日新聞』2015年7月2日〔本日〕朝刊4面「総合」の記事を紹介する。
 

  集団的自衛権巡り意見   前提あいまい・日米同盟に必要 参考人質疑 ★

 集団的自衛権の行使を認める閣議決定からちょうど1年となる〔2015年7月〕1日。安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で参考人質疑がおこなわれ,集団的自衛権の行使を盛りこんだ法案について5人の識者が意見を述べた。与党は15日を軸に特別委での採決をめざす方針だ。これに対し,野党は反発を強めている。集団的自衛権をめぐっては,野党推薦で内閣官房副長官補を務めた柳沢協二氏が,行使の前提となる「存立危機事態」のあいまいさを指摘した。

 

 a) 柳沢氏は「他国への武力攻撃が,どういう因果関係でわが国の存立を脅かすようになるかは定義できない。概念に無理があるのではないか」と述べ,ときの政権や国際情勢によって判断基準が変わる問題点を挙げた。

 

 b) ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「集団的自衛権の行使は,米軍の行く所に可能性としてどこでも行ける」と主張した。

 

 c) 一方,軍事アナリストの小川和久氏は「同盟関係を結ぶ以上向きあわなければならない戦略の基本だ」と述べ,日米同盟を前提とする以上,集団的自衛権の行使は必要だとの見方を示した。

 

 「安保環境の変化議論」をめぐっては,安全保障環境の変化や,国際貢献の拡大についても議論が及んだ。

 

 d) 折木良一・元統合幕僚長は「安全保障環境は大きく変動し不透明だ。とくに東アジアはその不安定さが強い」と述べ,日本周辺の脅威が増していると指摘。そのうえで「切れ目ない制度を整えることで抑止力の向上が図られる」として法案に理解を示した。

 

 e) 一方,柳沢氏は防衛力と抑止力との関係について,「相手が自粛して(日本に)手を出さないなら抑止になるが,相手がそれでもやるという覚悟をもっていれば抑止は成立しない」と指摘。鳥越氏は,米国とイスラム過激派の対立が激化するなか,米軍への支援を拡大することで「日本がテロの標的になる可能性がある」と懸念を示した。

 

 f) 伊勢崎賢治・東京外国語大大学院教授は近年の国連平和維持活動(PKO)の現状について「(参加各国は)戦闘状態になっても撤退せず,住民保護のために武力行使する」と説明。新たに治安維持活動が可能になれば,住民保護に伴う銃撃戦や住民誤射が起こる可能性に言及した。

 2)  小川和久の紹介(1945年12月16日生まれ)

 小川和久(おがわ・かずひさ)は,日本の軍事アナリスト特定非営利活動法人国際変動研究所理事長,静岡県立大学グローバル地域センター特任教授も務める。その『特定非営利活動法人・国際変動研究所』は「世界平和と日本の安全をめざす」研究機関だと謳われている。こちらの自己紹介をみると,もう少しくわしく小川和久の経歴が出ている。

 1945年12月,熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了,同志社大学神学部中退後,地方新聞記者,週刊誌記者などを経て,日本初の軍事アナリストとして独立。

 外交・安全保障・危機管理(防災,テロ対策,重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案にかかわり,国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員,日本紛争予防センター理事,総務省消防庁消防審議会委員,内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。

 小渕内閣では野中官房長官とドクター・ヘリを実現させた。電力・電話・金融など重要インフラ産業のセキュリティ(コンピュータ・ネットワーク)でもコンサルタントとして活動。

 註記) https://sriic.org/

 本ブログ筆者が注目するのは,小川和久が2015年7月1日,国会で参考人として述べた意見である。以前より,日本における軍事問題に対する小川の専門的な認識は,きわめて現実的であり,まっとうな分析や提言をすると受けとめてきた。

 しかし,前段の経歴を重ねてきた彼のこれまでの人生航路も影響しているせいか,安倍晋三政権になってからははっきりと,紹介した新聞報道にも書かれているように,日米が「同盟関係を結ぶ以上向きあわなければならない戦略の基本だ」と述べるようになっていた。日米同盟を前提とする以上,集団的自衛権の行使は必要だとの見方を示したのである。

【参考画像】

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    出所)「『抱き枕』小川和久(似顔絵)」『お絵描き日記 ~イラストレーター 照井正邦』
2014-05-16 10:27:10,https://blog.goo.ne.jp/kowaza52/e/034016eca56974def54cd1a3f0adbed5

 小川和久は,米日軍事同盟関係の現実の様相そのものに関する認識を,ありのままに理解・説明する論著を公表してきた。ただし,小川の軍事観はあくまで軍事研究専門家としての態度や意見の表明であった。だが,非常に残念に感じるのは,「国際政治論」としての日米関係史を観察するための視座は弱体であるか,ほとんど介在させえない議論に終始している,彼の「特性と限界」である。

 どういうことか? 軍事問題の分析・専門家として発言する分には,他に追随する者がいないくらいの実力を蓄えてきた小川和久である。けれども,今回のように国会に登場して「集団的自衛権を日本の自衛隊も行使すべきだ」という意見を述べる段階に至っているにもかかわらず,実は,基本として関連させるべき重大な論点を欠いた議論しかできないでいる。

 それでは実際に,そのような緊急事態(集団的自衛権行使)にこの国がなったとき,日本の政治・経済・社会の全般状態がいったい,どのような具体的な様相になるのか明確には触れえていないからである。このへんの危険性については他に登場した参考人たちが指摘する点であった。

 だが,小川和久は最近作の『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書,2014年12月)という本において,いままではそれほど明確に態度を表現しなかった自分の〈日本に関する軍事観〉,いいかえれば日本の自衛隊アメリカの下請け部隊でしかない現状を是認するほかないその立場で,日本は「集団的自衛権行使を容認して当然」という自身の価値観=立場をより明らかにした。

 小川和久の以前における日本に関する軍事研究は,どこまでも実証的であり,地に足の着いた着実な議論をしてきた。しかし,今回,安倍晋三政権下において進捗してきた集団的自衛権行使容認に向かう政情を目前にして,とうとう自説からの〈政策的な提言〉を能動的に提唱することになったといえる。
 
 3)小川和久『日本人が知らない集団的自衛権』2014年12月

 前掲の小川和久『日本人が知らない集団的自衛権』2014年12月は「『尾崎行雄記念財団の「ブックオブザイヤー2014』に選ばれました」と誇らしげに記していた。同書の目次を書き出しておく。

   はじめに なぜいま集団的自衛権なのか?
   第1章  集団的自衛権とはなにか?
   第2章  日本の安全保障をゼロから考えよう
   第3章  政治家と官僚の無知が自衛官を殺す
   第4章  亡国の「マスコミ世論」
   第5章  「歯止め」としての集団的自衛権
   おわりに フレデリック・フォーサイスの警告

 本ブログ筆者はこの本が出版されたさい,すぐに購入し読んでみた。だが,当時,読了後に挟みこんでいた付箋に記入されていた「概評のメモ」は,こうあった。

 「軍事論あり ◎」だが「政治論なし ▲」である。

 小川和久の基本的な立脚点は前述のように,米軍「麾下(きか)の日本国防省自衛隊3軍が下請け軍隊としてであっても,軍事費総額関係の経済計算から配慮すれば,日本はアメリカといっしょに軍事行動していたほうがよい,はるかにお得だという計慮=結論なのであった。

 それゆえ,2国間における『軍事的な上下属関係』がどのような『国際政治次元の意味を有し,発するか』について小川和久は,先刻,十二分に承知であるはずであったが,あえてそのように彼は「発言する軍事評論家」に変身した。

 以前において小川和久は,集団的自衛権行使を日本もやるべきだという意見をはっきり具申するようなことはなかったはずである。集団的自衛権行使容認をどの国とおこなうかといえば,日本の場合はほとんどがアメリカと,である。

 よく考えてみたい。現状までの日米安保条約体制とこの米日軍事同盟関係史を,ことこまかに説明するまでもなく,以上のごとき小川和久の意見にしたがうのであれば,この日本国がどのような国家体制になるかは,歴然たることがらである。

 小川和久は御年が今〔ここでは 2020〕年12月になると,1945年12月16日生まれであったから75歳を迎える。自分が一生をかけて勉強してきた日本の軍事問題についての最終見解を,安倍晋三政権に対して “いよいよ大いに反映させ,生かさせる機会” が到来したと理解したのか。

 しかし,小川のこれまで築き上げてきた日本軍事研究の方途に鑑みていえば,集団的自衛権行使容認の問題次元を超えて,21世紀における日本の軍事問題のあり方に関する議論=展望を期待したいところであった。

 だがまた,この小川に対するそうした期待は,最近における自説の展開・主張を聴くかぎりでは,あまりもたないほうがいい,という性質のものに漸次,変質してきた。また,彼の軍事研究の特性からも,その限界点も明確になってきた。「そういうところ」に帰着したとみなせるのである。

 4)小川和久の特性と限界の意味

 小川和久『日本人が知らない集団的自衛権』2014年12月の内容は,最近になって急に,小川の軍事研究における基本思想を〈世俗化〉〈平坦化〉させた事実を教示している。

 アメリカと日本の軍事同盟関係を,敗戦後における宿命的関係性であるかのように認識「できている」小川だからこそ,未来に向けてこの軍事同盟的な米日の隷属関係から脱却する方途を模索する任務が,日本〔国籍〕人である彼にはあるはずであった。さらにいえば彼だからこそ,この軍事研究の現実的な課題に深くとりくめる実力があったはずである。

 ところが,小川和久が「間違いだらけの政治家,官僚,マスコミ,世論を一刀両断!」と宣伝で謳った『日本人が知らない集団的自衛権』というこの本(2014年12月)は,結局,目先の問題に関する議論に移行してしまい,飛躍した。

 要は,安倍晋三へのご奉仕に専念するような,いわば当面する議論だけの中身になっている。この本は,日本国憲法第9条にかかわる軍事問題を大いにとりあげているが,その前に位置している「天皇条項」(第1条から第8条),すなわち米日軍事関係史問題の前段に控える政治問題史には,一言も触れえないでいる。というよりは,こちらの論点はもともと,小川和久がよく対処しうる「研究の対象」ではなかった。

 軍事問題の研究専門家が,国際政治問題史の基本的な視座を欠かしたままに,集団的自衛権の問題にそれも戦争政策的に発言するようになった。そろそろ「よわい:70歳」になっていた小川和久としては,それなりに自分の人生のなかでの「なにか一定の決心と覚悟」があったものと推察しておく。

 けれども,軍事問題の研究にとりくむ専門家としての視野において,みずからの《限定性》をきわだたせる顛末ももたらしていた。

 なお,小川和久『日本人が知らない集団的自衛権』2014年12月の内容そのものについては,あとで再度言及することにし,つぎの記述をさきにおこなっておきたい。 

  本(旧・々の)ブログにおける関連の記述 

 2008年12月11日の「本ブログの旧(々)ブログ」は,主題「小川和久の自衛隊論」,副題「田母神論文軍事史学的意味」「田母神俊雄航空幕僚長の無教養と国家防衛意識の倒錯」という記述をおこなっていた。当時,世間を騒がせたこの元航空幕僚長田母神俊雄の話題からとりあげる。

 付記)なお,ここに再録するに当たっては,適宜に補正・加筆もおこなった。

 1)評論家たちによる田母神俊雄批判

 ジャーナリスト・ニュースキャスターであり評論家でもある田原総一朗は,田母神俊雄がAPAグループ代表元谷外志雄が創設した懸賞論文に応募し,それも元谷の独断的な選り好みの基準によって最優秀賞を授賞された出来事をとらえて,その「行動は言論クーデターだ」と指摘していた。

 また,軍事ジャーナリスト・評論家田岡俊次は,田母神俊雄みたいな「歴史に無知な軍人(自衛官高級幹部)」が論文「日本は侵略国家であったのか」を公表したが,このためにかえって「日本国自衛隊将官」の「おバカさ加減」が外国にも広くしれわたってしまった,これは機密漏洩事件だと,呆れかえって批判していた。

 さらに,軍事アナリスト小川和久は,田母神俊雄「論文」投稿・公表に対して,航空幕僚長としての「立場をわきまえない幼児的な行動」「内容も非科学的」「単純思考のタカ派が台頭」「との警戒感を世界に与える」「国家の存亡を左右する組織トップの不祥事」「厳しく処罰されるべきだ」(『毎日新聞』2008年11月1日)とすぐさま論断し,非常にきびしい批難を放っていた。

 補注)小川和久の2008年当時における肩書きは,(株)危機管理総合研究所代表取締役研究所長。当時の最近作として『日本の戦争力』アスコム,2005年12月などがある。 

 要は,小川と田岡の軍事問題専門家の指摘は共通している。田母神は,主観的には天下・国家を憂いたつもりで書いて投稿したその論文が,実はいかに粗雑・乱暴な記述内容であり,国際・外交関係にも悪影響を及ぼす可能性をはらんでいるかを自覚できていないかった。

 2)小川和久の田母神俊雄批判

 さて,小川和久は『中央公論』2009年1月号に「田母神論文を生み出した自衛隊の構造的問題」という一文(3段組で4頁分,210-213頁。以下の引用では頁をいちいち断わらない)を投稿している。これを紹介する。

 イ) 国益を損ねた」責任の大きさ

 現職の空幕長が政府見解を真っ向から否定する論文を発表した事実は,立場をわきまえない行動であり,日本の国益をいちじるしく損ねた。なかでも,戦前日本の敗戦に至る過程の評価に関する言説は重大問題であり,日本の外交・安全保障に悪影響を及ぼしかねず,きびしく責任を問われねばならない。日本に単純思考のタカ派が台頭している印象を世界にばらまき,周辺諸国のみならず,日本の右傾化に神経を尖らす同盟国・アメリカの不信感と警戒心をかき立てかねない。

 ロ) 自衛隊将官知的水準が問題

 また,論文のレベルの低さが国益を損ねたことも,思想の左右を問わず,国民は重く受けとめるべきである。その記述内容は,日中戦争を蒋 介石に引きずりこまれたとか,真珠湾奇襲を誘ったアメリカの背後には国際共産主義の陰謀があったとかとなえる主張は「引かれ者の小唄」でしかない。この程度のトップが率いる軍事組織の能力は低いとみなされるゆえ,日本の軍事的脆弱性を露呈する結果となった。その意味でも田母神は日本の国益を損ねている。

 ハ) 自国の歴史の正当性を主張するための「戦略性の欠如」

 小川はこう主張する。日本政府の「無様な謝罪外交」に終止符を打ち,国際社会の信頼のうえに,日本という国家の安全と繁栄を確実にしていく戦略的な取組が必要である。過去における日本の敗北に負け惜しみをいわない。

 むしろ,それを逆手にとって「自国が当事者となったような戦争の惨禍が世界で繰りかえされないために行動する」ことが必要となる。「自国の正当性」を「社会科学的な根拠をもって誇り高く主張し,世界史に刻みつけていく」ことが大事である。ところが,田母神論文はこうした戦略性を展開するための思考回路を欠落している。

 ニ) 自衛隊員に必要な社会性

 今回の田母神「論文」が意味するのは「幹部自衛官の行動様式における社会性の欠如」という1点に尽きる。問題は,社会人としての訓練がないまま自衛隊内で過ごしてきた人間が指揮官や教官となり,それを手本に社会性を欠いた自衛官が増殖していく構造である。自衛隊でしか通用しない価値観がシャバ(一般社会)でも通用すると錯覚する傾向が生まれる。

 田母神のような直情径行型の幹部自衛官を戴く同僚や部下は,自分の価値観と異なる見解が示されても黙って受けいれたりお追従笑いと拍手で迎えたりする。内輪褒めと手前味噌の世界である。かくして,自分の見解は正しく,発言しなかった過去の幕僚長は馬鹿か臆病者であり,自分の主張は国民に広く受けいれられているものだという錯覚に陥る。

 ホ) 幹部教育の見直し

 防衛大学校〔その前身は保安大学校〕の1期生から10期生前後までのエリートにみられた内省的な姿勢をとりもどし,幹部自衛官の教育課程(カリキュラム)に反映させること効果的である。アメリ国防省で日本部長を務めたジェームズ・アワーは,とりわけ,当時の「陸上自衛隊のニュー・ジェネラル(防衛大学校1期生以降の将官)は驚くほどリベラルだ」と小川和久に述べた。

 小川和久はとくに,こう主張する。陸上自衛隊は「平時に国民との信頼関係を構築しておかなければ専守防衛という制約のなかで国土防衛戦を戦えないという宿命」がある。それなのに,「戦後の自衛隊反対の世論と向きあっているうちに,世慣れた体質になったといってよい」。

 「世界のどこに出しても恥ずかしくない知性的な高級幹部を育てるための教育課程(カリキュラム)を編成し,実施する」。「世界に通用する人材が輩出するほどに,日本国の歴史と伝統を誇り高く語る発言力も増し,そこから生まれる日本対する信頼と評価が,日本の安全と繁栄をたしかなものにする」。

 3) 小川和久も招待に与かったAPAの「日本を語るワインの会」などについて

 a) 小川和久の不用心

 以上の 1) に紹介してみた小川和久の見解は,日本の国防(防衛)問題を真剣に考えようとする立場から,田母神と彼の書いた稚拙な「論文」を批判しつつ,日本の軍隊である防衛省自衛隊3軍のありようを真摯に問うている。

 ただし,今回の投稿のなかでは,小川も招待を受けてご馳走になったAPAグループ代表元谷外志雄主催の「日本を語るワインの会」(後掲に関連する画像あり)などに関して,直接言及するところはない。小川はのちに,元谷と同会に対する違和感を語っていた。とはいっても「あとの祭り」であり,あとづけでのいいわけにしかならない。

 補注)旧ブログにおいてこの段落には「APAと小川和久対談」という『APA GROUP』の正式ホームページのなかから,http://www.apa.co.jp/appletown/bigtalk/bt0401.html  に添えられていた画像資料を紹介してあった。だが,現在〔2020年4月8日〕では,これに該当するページは公表されておらず(つまり削除されており),その画像は参照できない。

 ともかく小川自身も「日本を語るワインの会」などへの招待を受けて「元谷と対談した事実」がある。しかも,この元谷は,日本において有数の「軍事方面の専門家である小川和久」の同会への参加を,自分および自社グループの宣伝材料に利用した。当初からの元谷の意図に潜伏していた「可能性=危険性」を,小川は事前にみきわめられず,迂闊にも油断があった。

 〈軍事アナリスト〉として小川は,その後に連なっていくそうした伏線を察知できなかった点で,きわめて不用心だった。小川は同会に呼ばれたさい,いかほど「報酬」「交通費」などをもらったのか,その金額を明らかにすべきである。それにより元谷の企図も,ある程度,判断できると考えられる。

 b) 元谷外志雄の開き直り

 ここで付言するなら,2005年11月以降,大きな社会問題となった耐震偽装隠蔽問題においては,APAグループのAPAホテル(元谷外志雄の配偶者芙美子が社長)が設計させ施工したビルに,その問題のある建築物がたしかに何棟かあった。ところが,それほど尾を引くこともなく終息していた。この推移に関しては,元谷が政治的影響力を発揮させうる余地があった観察されている。

 つぎにかかげる画像について少し言及しておく。

 f:id:socialsciencereview:20200404095753j:plain
  出所)http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-29.html 

 なお,この画像は元谷外志雄側が公開していたものである。安倍晋三の肩書きは自民党幹事長代理と読めるので,2004年ころ。また,小川和久について,これに該当する画像(前段で指摘したもの)は,すでに削除されていた。ネット上には出まわっておらず,筆者が捜した範囲内では,みつからなかった。 

 ちなみに,前掲の画像のごとき「日本を語るワインの会」への参加者のうち,その後,この会の中身・進行に関して「疑問あるいは批判あるいは言訳」めいた発言をしている人士がいた。小川和久(軍事問題研究家),平沢勝栄自民党国会議員),鳩山由紀夫民主党国会議員)。いまとなっては〈なにかいえば〉〈いえば,いうほど〉に,なんとなく野暮・・・。

  もしかしたら,前述した出来事,つまり「APAと小川和久対談」として,しばらくは『APA GROUP』のホームページに掲載されていた「小川和久が写っている画像」が削除されてしまった理由は,前述に触れた「その後に経緯」にあったのかもしれない。

 鳩山由紀夫がその「日本を語るワインの会」の時に撮影さいた集合写真は,ネット上にみつかる。これである。

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  出所)この画像資料は,以下から拾ってみた。

 小川和久の論調に照らして判断するならば,今回における田母神「問題」を惹起させた『中心人物である元谷外志雄』も,あわせてきびしく批判する相手にしなければならず,この点はいちじるしく均衡を欠く点になる。元谷のような人物が一枚嚙んでこそ,田母神「論文」が日本社会において事件にまでなっていた。

 それゆえ,この事件の裏地部分に相当する,いいかえれば黒幕だが堂々と表に出て,マスコミの取材に答えてはぬけぬけと,「民間会社がやる懸賞論文制度だから」「私がいいと思った人〔田母神俊雄〕に〔懸賞論文の最優秀〕賞をあげてもなんらおかしくない」と開きなおり,まさに居直ったような態度をとって憚らない元谷を,小川という軍事アナリストが放置しておいていいわけがない。

 それとも,小川の論評・批判においては適切な分析がよくできない相手だとでも考えているのか,この元谷に関して正式にまとまった言及はなされていない。

 c) 出来レースに駆り出された当て馬たち

 民間の会社が創設・運営する冠賞といえば,小説部門での直木賞芥川賞をはじめ,権威ある「◇◇賞」などが数多くある。本(旧・々)ブログはすでに「2008.11.21」「懸賞論文:懸賞金額に関する若干の吟味」(現在は未公表)で,上記2賞以外の冠賞を一覧している。元谷は自分のペンネーム「藤 誠志」も冠した「真の近現代史観」懸賞論文について,みずから「どうでもいいで〈賞〉」である点を公言していた。

 これは興味ある発言である。元谷外志雄は,自己宣伝のための賞であることを,マスコミに対しても放言したのである。なかんずく,自分の意見を金力に飽かしてでも世の中にあまねく伝えたい,そのためにその懸賞論文を創設・出発させたのだと,まさしく元谷自身が告白していた。

 だから,元谷外志雄が「最優秀藤誠志賞」を受賞させた「田母神〈論文:日本は侵略国家であったのか〉」は,実質では1頭しか出馬していない競馬みたいなものであり,みごとな〈出来レース〉そのものであった。その他大勢〔←とはいいにくい少ない応募しかなかったが〕の懸賞論文への応募者は,最優秀賞以下の各懸賞受賞者も含めて〈当て馬〉同然だったことになる。

 d) 戦略性を欠如した日本軍人の伝統精神「単純思考方式」
 いずれにせよ,小川のような立場にある軍事アナリストの目に映った前航空幕僚長田母神俊雄の姿は,旧日本軍人の典型を彷彿させるに違いない。戦前・戦中に田母神のような〈単細胞将官〉が日本帝国の戦争事態をひたすら混迷させ,国民・大衆を不幸のどん底にまで追いやったことを,「帝国臣民の子孫である〔あるいはそうだった〕」われわれは,けっして忘却してはいけない。 

 ここでは,戦時期日本に登場していて,そのように徹底的に無責任だった将軍たちのなかから,つぎの3人を挙げておく。

 まず東條英機。--敗戦後A級戦犯に指定され,昭和天皇の身代わりとなって,覚悟のうえ,刑死した人物。

 つぎが牟田口廉也。--無謀なインパール作戦を敢行し,大失敗。多くの旧日本陸軍将兵を戦病死・餓死させた頑迷・愚昧な将軍。

 さらに石原莞爾。--満州事変を起こした張本人の1人。旧日本陸軍軍人としてまれにみる壮大な軍事思想の持ち主だったと評価されている。だが,日本帝国の侵略路線を積極的に推しすすめた人物であったことにかわりはない。

 以上の3将官は,軍服をきちんと着て写真を撮影した画像をみると,勲章をたくさんぶら下げている点が共通する。まさか自分たちが殺した部下(将兵)たちを表わす徽章ではあるまいに。

 ここで一句。 “勲章を たくさんブラ下げ  絞首刑(吊るし首)”

 なお,田母神俊雄に比較するにふさわしい将軍は,あえて東條と牟田口の2名に限定する。石原を比較する人物に挙げるのは不適である点ぐらいは,いちおうでも明確に断わっておく。

 筆者の旧(々)ブログは「2008.12. 8」「戦略の本質論」註記)において,野中郁次郎らの著作『失敗の本質-日本軍の組織論的研究-』(ダイヤモンド社,昭和59:1984年)に言及した。現在の自衛隊においては,今回発生した「田母神俊雄〈論文〉」事件があったとしても,かつての時代のときのような狂気の世論を惹起させる力になりえないと考えてよい。にもかかわらず,旧日本軍がなんども懲りずに重ねて犯した過ちに酷似した言動を,田母神は性懲りもなく新たに現代的に演技していたというほかない。

 

  中村 元「集団的自衛権リカードの比較生産費説的解釈ー」(『中村元(Nakamura Hajime)のオフィシャルブログ』2015年1月6日参照)

 このブロガーが,小川和久に関連するこういう記述を残していた。

 --ご存知のとおり,集団的自衛権の効用や必要性についてはいろいろな説明があります。先般のブログ(集団的自衛権-より平易な理解を求めてマイナス〔H26年10月29日〕)においては「抑止力」という観点からその「効用」について意見しました。この度,集団的自衛権を「リカードの比較生産費説」的に理解すると,より必要性が明確になると考え,以下に整理しました。

 下記は,小川知久氏の書かれた『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)のなかから,国家間の比較優位性に関わる事項を列挙したものです。

 ☆-1 日米同盟ほど安上がりな安全保障はない

 2人の教授(武田康裕,武藤 功両教授)の試算段階とはいえ,日米同盟をやめてしまい,日本だけの力で日米同盟があったときと同じような平和と安全を維持していくには,このように毎年22兆~23兆円もかかるのです(『日本人が知らない集団的自衛権』54頁)。

 ☆-2 当然ながら,単独で日本を防衛するためには一定規模の兵力も必要となります。--中略-- 自衛隊の定員24万人(陸海空)では,装備品の性能や質はともかく,人員の面からして,まるで足りません。国民皆兵を検討する必要も出てくるでしょう(54-56頁)。

 ☆-3 自衛隊だけで高いレベルの平和と安全を実現するには,基地の数が足りません。沖縄にしても,島という島に自衛隊の基地をおくことになるでしょう。すべての在日米軍基地は自衛隊基地になるのです(56頁)。

 ☆-4 つまり,日本の防衛力は自立できない構造の自衛隊という軍事組織と日米同盟(アメリカの軍事力)という2本の柱によってなりたっているのです(38頁)。

 ☆-5 ☆-2はさておき,それ以外はすべて,同盟関係において軍事力を各国の優位性をもって分業する方が,費用対効果が大きいことを示しています。集団的自衛権を理解する上でこのような,リカードの比較生産費説的な考えも有用ではないかと考えたしだいです。

 ☆-6 『参考:リカードの比較生産費説』。リカードによって提唱された外国貿易および国際分業に関する基礎理論。一国における各商品の生産費の比を他国のそれと比較し,優位の商品を輸出して劣位の商品を輸入すれば双方が利益をえて国際分業がおこなわれるという説。(引用終わり)

 註記)http://ameblo.jp/asaoku215/entry-11973995556.html

 しかしながら,「リカードの比較生産費説」(平時経済問題)と「軍備経費論」(戦時体制問題)を「直結させる議論」は,奇想天外である(飛んでいる!)。生産・流通の国際政治経済の問題に軍事問題の経費論を重ねるのは,途方もない誤論である。ただ,前段の☆-1から☆-5の説明は,問題を考えるに当たって,いくらかの参考にはなる。しかしそれでも「譬え話」の域を出ていない。

 現状は,アメリカ軍が在日米軍基地を維持・利用しながらこの日本国全体を軍事的に覆いつくしている。この現実的な軍事的利害状況のなかで日本の軍隊:自衛隊3軍が,世界戦略的な軍事体制の一環として存在・機能している在日米軍のために完全に組みこまれていても,これを自然だと解釈する前提からして疑問がある。

 むろん,いまただちには,現状のごとき「米日間の上下関係的な軍事隷属関係」は変更させえないにしても,日本の政治家が何十年もかけてでもこれから必らず,この日米軍事同盟関係の構造と機能を変えていくのだという意欲をもち,これを立案・実行するつもりがあるのであれば,けっして不可能事ではないはずである。

 

  むすびの議論

 1)小川和久「日本軍持論」の変身ぶり

 だが,前段最後のごとき意図じたいに関していえば,はじめから諦めたような議論しかなされていない。小川和久の議論もそうである。しかし,小川和久はいまから30年前に公刊した本のなかで,こう指摘していた。

 戦後の40年間を通じて,日本がもし,同じ敗戦国の西ドイツやイタリア並みの明確な国家意識と民族の主張を前面に打ちたてて,本当の独立国家としての歩みを着実に進めていれば,日本へのアメリカの対応はもっとちがったものになっていたはずである。

 

 あたかも〔日本の国土を〕自分の国の領土のように,在日米軍将兵が信じこんで行動したり,また欧米諸国のみならず東南アジアや第3世界の国々にまで,「日本はアメリカの51番目の州」とみられることもなかったといえる。

 

 とはいっても,本当の独立国家として歩もうとすれば,軍事的にも独立しなければならない。それはアメリカとのあいだに,現在の経済摩擦以上の深刻な問題をもちこむことである。米軍の巨大な根拠地を守る “アメリカの手足” としての自衛隊が,バランスのとれた独立国家の軍事力として自立することを,はたしてアメリカが許すがどうか。日本政府の内部にすら,それを危ぶむ声が出ている。

 

 表面での軍事同盟の緊密化をひとつのターニングポイントとしつつ,日米関係はその底流でけわしい局面を迎えつつあるのではないか。そんな気がしてならない。

 註記)小川和久『在日米軍-軍事占領40年目の戦慄-』講談社,1985年,245-246頁。

 小川和久は30〔2020年からだと35〕年まえに公刊したこの著書,『在日米軍基地-軍事占領40年目の戦慄-』1985年のなかで,こういっていた。小川が40歳のときの記述であった。ここでは,筆者の解釈をくわえつつ,小川の表現をつぎのように紹介してみる。

 ★-1 「同じ敗戦国の西ドイツやイタリア並みの明確な国家意識と民族の主張」を日本はしてこなかった。

 補注)日本はいまもなお同じに歩んでいるだけである。集団的自衛権行使容認は,一見したところ表面的には,このような主張〔→明確な国家意識と民族の主張を日本がもつこと〕を体現させるかするかのように感じられる。だが,現状において日米間において実際に進行している事態は,日本を「本当の独立国家としての歩み」からは,さらに逆行させていくほかない〈国家的な判断〉がなされている。

 ★-2在日米軍将兵」は「自分の国の領土のように」「信じこんで行動し」ている事実は,21世紀のいまもなにも変わっていない。まさに単に「日本はアメリカの51番目の州」とみられ〔てい〕るに過ぎない。集団的自衛権行使容認は,現状の米日従属関係をより深化させ固定化する。

 ★-3 いまの小川和久にあっては,どうやら諦めたことがあるらしい。それは「本当の独立国家として歩もうとすれば,軍事的にも独立しなければならない」と認識していた「自身の日本国家観」の放棄である。「アメリカが許すがどうか」といわれれば,結局「米軍の巨大な根拠地を守る “アメリカの手足” としての自衛隊」になることを,現在の彼は当然であるかのように論及している。

 ★-4 小川和久は「自衛隊がバランスのとれた独立国家の軍事力として自立すること」,いいかえれば,21世紀の現段階にあって,この日本国が当面する軍事問題に読みとるべき本質的な課題を追求することを放擲した。

 さて,ここではもう一度思いださねばならない「歴史の事実」がある。小川和久は,「同じ敗戦国の西ドイツやイタリア並みの明確な国家意識と民族の主張を前面に打ちたてて,本当の独立国家としての歩みを着実に進めてい」たという史実を,もういっさい気にしないで済むようになれたとでも断言できるのか?

 以上,すべて小川和久の口から出ていた30〔35〕年前の見解を借りて,本ブログ筆者の側から反証的に批判してみた。また,小川は以前ならば「日本はアメリカの51番目の州」とみられることを問題視し,米日軍事同盟関係に関して許容しえない「アメリカ側の理解」だと観ていたはずである。ところが,いまではその理解をそのまま認めてしまうかのような論述をおこなっている。

 2)19世紀の不平等条約から20・21世紀の不平等条約を比較する

 江戸幕府が諸外国と結んだ不平等条約の改正への道程は長くかかっていた。明治27〔1894〕年になってようやく,その治外法権撤廃に成功し(第1次条約改正),明治44〔1911〕年にさらに関税自主権を回復(第2次条約改正)できた。その間〔一番古い条約は1855年だったから〕,その不平等条約を撤廃するためには〈56年も長い歳月〉を費やさねばならなかった。

 それに比して,現在にも継続されている日米安保条約日米安全保障条約)は,敗戦した大日本帝国が占領時代から続く国際政治的な軍事問題であった。出発点は 1951年9月に対日講和条約と同時に日米間で結ばれた条約であった。2020年4月だと,その間に69年もの歳月が流れてきた。

 「坂の上の雲」は明治の時代にはあったが,敗戦後においてそれはいっさい消えてしまったまま,再び現われることはないのか?

 ここで,先述に登場した「APAグループ代表元谷外志雄と小川和久の対話」を一部紹介しておく。

 ◆ 元谷  そういう意味で民族性だと・・・。

 ◇ 小川  ただ民族的突然変異みたいな人が,歴史の節目に出てきます。たとえば明治維新のリーダーたち。彼らは国がまさに西欧列強の植民地支配にさらされようとしている時に,「自分たちが無力である」ということを自覚して,世界に通用する政策を実現するための手を打った。おかげで日本は,西欧列強に追いつき,日露戦争を引き分けにできたのです。

 

 ◆ 元谷  明治維新以降の,日本をとり巻く情勢がその必要性を生み,日清・日露戦争までの短い期間のうちに急速に国力をつけた。それは相当な危機感から,その必要性があったわけですね。

 ◇ 小川  そうです。危機感はあったし,ワールドクラスだった。「あの人はワールドクラスな人だ」といわれたら,「世界どこへいっても通用するやつだ」ということです。世界に通用しなければ国が滅びるという自覚があったから,試行錯誤もやるわけです。

  明治のリーダーたちがやった象徴的なことは「世界の頭脳」を集めたことです。お雇い外国人を,金に糸目を付けずに連れてきた。軍隊を整備するよりも遥かに安上がりなのです。政府雇用の者,民間雇用の者,地方雇用の者を含めて千人以上いたでしょうね。

 

 ◆ 元谷 それには相当な高給を出したのでしょうね。いくら高給を払っても安いものですがね。

 ◇ 小川  お雇い外国人のトップの月給が6百~8百円。当時の日本のトップは関白太政大臣ですが,これよりも高い。ベルツという明治天皇の侍医の月給は千円です。いまでいくらかというと,月給で1億以上です。

 

 ◆ 元谷 そういうふうに西洋列強に追いつくために努力をしたわけですね。

 註記)http://www.apa.co.jp/appletown/bigtalk/bt0401.html

 補注)上の註記に指示したホームページは,現在は削除されていてみつからない。

 1952年4月28日,サンフランシスコ講和条約の発効による占領軍撤退後の日本の安全を保障するために,米軍の日本駐留が定められていた。そして,1960年の改定交渉によって新安保条約(正称名『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約』)が締結され,新たに日米両国の共同防衛義務・米軍の軍事行動に関する事前協議制度などが定められていた。

 1951年9月4日にその講和条約が調印されてから,今日は2015年7月2日〔2020年4月8日〕である。その間,何年〔と何日〕が経過してきたか? 引き算すればほぼ64〔69〕年間。このまま,小川和久のいうように日本は「アメリカの51番目の州」のごとく生きていくのか?

 小川和久の議論や主張に対しては「『在日米軍』に去ってもらうための努力」は,これからも永久(半永久)的にしなくていいのか,という疑問(質問)が残っている。

 だが,日本国防衛省自衛隊3軍は「米軍の巨大な根拠地を守る “アメリカの手足” 」である軍隊からさらに脱皮して,こんどは集団的自衛権をたがいに行使しあう軍隊同士にするのがいいと,小川和久はいいはじめた。これが小川和久が若いときから軍事問題を研究したすえ,結論として導出しえた意見・主張というわけか?

 --観方にもよるけれども,どうしても「語るに落ちた話」となった。小川和久が30〔35〕年まえの著書『在日米軍基地-軍事占領40年目の戦慄-』1985年で発言していたこの文句をなぞって,かつ,ひねりつつも,さらにつぎのようにいっておく。

 もっぱら米軍を仲間にしての話題になる。日本が「集団的自衛権を行使する」「軍事的な国家体制」になれば,いまも日本全国に厳在している「米軍基地の軍事占領」は,いまにおけるその後「何十何年目の戦慄」を,より深い意味で発揮しているのではないのか?

 以上は,小川和久自身がいままで熱心に真剣に研鑽してきた「在日米軍の軍事問題」から引き出した結論である。いま一度,この事実がなにを意味するのか考えてみたいところである。しかも,この記述を今日の時点〔2020/04/08〕で再掲したさいに感じたのは,小川の「過去における発言の現在までの変転」が,究極的にはなにを意味するのかという疑問である。

 3)小川和久は豹変したのか?

 以下の記述は,つぎの2つの画像資料を使い説明する。小川和久『この1冊ですべてがわかる普天間問題』(ビジネス社,2010年4月)の表紙カバーと最終頁の文章を紹介する。

f:id:socialsciencereview:20200408102652j:plain f:id:socialsciencereview:20200408102715j:plain

 この本の最終頁に記述されているこの文章の内容は,はたして,前段までに解説してきた,最近における小川和久の思考方式と十分に整合性がありうるのかといえば,この問題:疑念・批判から小川は逃げきれない。

 小川和久の個人的な思考方式では「矛盾などない」といいうるかもしれない。けれども,集団的自衛権行使容認の問題に関して彼の明確な判断をともなった発言を転機に,小川本来の議論は,みずから歪曲していかざるをえない経路に進入しだした。

 もっとも,当人の認識ではけっしてそうではなく,自説の発展・進歩であり,むしろ創造的な展開であったと,いいわけすることも可能である。

 だが,安倍晋三対米追従路線の露骨さの影に隠れるかのようにして,集団的自衛権行使容認の軍事路線を合理化・正当化するための議論の領域に,小川和久の立場は深く踏みこんだのであった。小川自身の軍事思想にあっては,すでに統一的かつ円滑に説明しきれない議論の要因が生まれていた。

 もうひとつオマケといってなんであるが,小川和久『日本の戦争力』(アスコム,2005年)から,つぎの286-287頁も,画像で紹介しておく。

 

 本日の記述の「本論」が結論した「米軍による日本の軍事占領:75数年目」の問題は,はたしてこのような思考の発展をもって,以後における,なんらかの「解決の見通し」につなげることができるのか?( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)

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