APA元谷外志雄と安倍晋三は親しいオトモダチという話題(1)

APA元谷外志雄田母神俊雄安倍晋三などに関する検討(その1)
                    (2017年1月21日)

 

   要点:1 時代錯誤の観念論者:航空自衛隊高官

   要点:2 田母神俊雄 航空幕僚長の「陳腐な文章」

   要点:3 過去の亡霊が航空自衛隊高官に乗りうつったその姿

【※断わり】 

 本記述の相当する原文はもともと,本ブログの「旧・々ブログ 2008年11月1日」に公表されていた。その後,APAグループのホテル経営業に関して国際的な問題が起きていた関連で,2017年1月19日の記述「APAの元谷外志雄と日本国首相安倍晋三の関係」を,あらためて公表していた。

 

 日付の順序としては,「旧・々ブログ 2008年11月1日」⇒「旧ブログ 2017年1月19日」,そして本日2020年4月10日の記述(基本は転載だが)へとつづいている。本ブログ内ではさきに公表された「関連する文章」として,2020年4月8日と9日の記述があった。

 

 また日付関係については当然のこと,この記述が執筆された時期に即して記入されている。そのあたりは承知のうえで読んでいただきたい。

 2008年11月1日早朝,講読している新聞の朝刊を拡げて以下の ① に記述する記事を読んだのち,さらにパソコンをのぞいてみることとし,すでに深夜に配信されていた「該当のインターネット版ニュース」も読んでみた。そこには,つぎのように報じられていた。まず『東京新聞』(インターネット版:2008年11月1日 03時37分)を参照してみる。

 

  田母神俊雄「論文」の受賞

  ★「空自トップを解任 論文で日中戦争正当化」★

 

 航空自衛隊トップの田母神俊雄(たもがみ・としお)航空幕僚長〔2008年で〕60歳)が「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬ」などと主張する論文を,民間の懸賞論文で発表したことが〔2008年〕10月〕31日,分かった。日中戦争を正当化するなど政府見解に反する内容で,浜田靖一防衛相は同日夜に緊急記者会見して「政府見解と明らかに異なる意見で,きわめて不適切。空幕長という職にとどまることは望ましくない」と述べ,空幕長の更迭を表明した。

 

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 出所)https://www.youtube.com/watch?v=gOU62D5QCZo  

 田母神空幕長は,全国でホテルなどを展開する「アパグループ」(東京都港区)の第1回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し,最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞した。

 補注)関連する最新(2017年1月現在で)の情報は,『アパ日本再興財団主催 第九回「真の近現代史観」懸賞論文 最優秀藤誠志賞を西 鋭夫氏が受賞!』というものがみつかる。

 註記1)アパホテルズ&リゾーツ 2016年10月21日 14時40分,https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000055.000018265.html
 註記2)http://prtimes.jp/a/?f=d18265-20161021-3492.pdf

 --田母神俊雄の論文は「日本は侵略国家であったのか」という題目で,日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは,すべて条約にもとづくものだったと指摘。日本は「蒋介石により日中戦争に引きずりこまれた被害者」「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」「東京裁判はあの戦争の責任をすべて日本に押しつけようとしたもの」などと持論を展開した。

 また「日本政府と日本軍の努力によって,現地の人々はそれまでの圧政から解放され,また生活水準も格段に向上した」「多くのアジア諸国大東亜戦争を肯定的に評価している」と主張した。自衛隊の現状については「領域の警備もできない,集団的自衛権も行使できない」「アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば,日本のアメリカ化が加速する」などとのみかたを示した。

 補注)集団的自衛権の問題は,2016年3月に施行された安全保障関連法によって,アメリカのために日本の自衛隊3軍がご奉仕する「集団的自衛権」の軍事同盟関係体制が確立された。その点でいえば,この田母神俊雄の「異見」は奇妙な立場に置かれている。東京裁判史観と大東亜戦争史観がせめぎあおうにも,そうはさせてくれない日米同盟関係ができあがってしまったからである。

 浜田防衛相は論文についてこの日初めてしったといい,「本人としては普段から思っていることを書いたのだと思うが,自分の立場をもう少し重く考えていただきたかった」と苦言を呈した。なお,アパグループは論文をホームページで公開,英訳して世界に向け発信する予定という。

 補注中の 補注)アパグループがそのように,英語でも田母神「論文」などを本当に「世界に向け発信」していたとしたら,これは「日本にとって恥さらし」である。従軍慰安婦問題も同じ類いの論点であるが,女性差別問題としてのその歴史的な本質面を,まったく理解できていない日本側の慰安婦問題『全面否定者』は,自分たちとその固執する立場が国際的にどのくらい悪評と軽蔑を買っているか気づかないでいる。

 --空幕長は2008年4月,航空自衛隊イラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁判決について「そんなの関係ねえ」と発言し,批判を浴びた。

【侵略に関する政府見解】

 1995年8月15日,当時の村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日に当たって」と題する談話を発表。過去の戦争などについて「わが国は遠くない過去の一時期,国策を誤り,植民地支配と侵略によって,アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と「侵略」を明確に認め,「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明した。その後も日本政府の基本的見解として踏襲されている。

 補注)2015年8月14日に安倍談話が公表されていた。これは,第97代内閣総理大臣安倍晋三閣議決定にもとづき発表した声明であるが,村山談話としての政府見解を否定しようとする意図が含まれていた。田母神俊夫は空幕長になる時期が早かったか?

 

  論文というに値する「文章」か? -稚拙な一文の中身-

 本ブログ(ここでは旧・々ブログのこと⇒)「2008. 4. 20」の主題「イラク空自派遣問題」,副題「イラクへの航空自衛隊輸送機派遣に関する議論の方法」は,航空自衛隊幕僚長田母神俊雄が,2008年4月18日に下された名古屋高裁(青山邦夫裁判長の)の判決:「イラク空自違憲の判断」に関して,同日の記者会見でこう語っていた点に触れている。

 「航空自衛隊イラクで行っている空輸活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決について,『私が(隊員の)心境を代弁すれば,大多数は「そんなの関係ねえ」という状況だ』と,有名お笑いタレントの流行語を引用して語った。

 航空自衛隊の最高司令官である航空幕僚長が,敗戦後アメリカ「帝国」 の下僕と化した日本国とその防衛省〔庁〕の軍事的に劣勢な立場を憂う発言なのかもしれないが,ずいぶんズサンな議論である。発言の内容は自分の考えに固執した〈きわめて偏狭な見解〉しか提示できていない。

 全国でホテル業を展開するアパグループが今回,「真の近現代史観」懸賞論文を募り,この「最優秀藤 誠志賞(懸賞金300万円・全国アパホテル巡りご招待券)」を授与されたのが,田母神俊雄の「日本は侵略国家であったのか」という『論文』だったというのである。

 途中で入れておくが,APAグループの経営者夫妻が日本会議憲法改正を訴える集会に参加したときの画像が,これである。雛壇に招待されるような関係である。

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 出所)http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1484830426/

 早速,http://www.apa.co.jp/book_report/ (最近〔2017年1月〕現在でみられる当該頁は,http://ronbun.apa.co.jp/ であり,前者で検索してもこちらに飛ぶ)に掲載されているその田母神「論文」を一読してみた。

 それは全部で7千字に満たない,4百字詰め原稿箋に換算すると,わずか 17. 5枚の分量しかならない「論文」(?!)である。この田母神の一文は論文というには拙なすぎるし,学術論文というには縁遠いどころか,「これ」を「論文」だと自称するとしたら,まったくおこがましい代物である。通常「論文」というには,形式・内容ともに最低限整えられるべき必要条件があるが,この〈論文〉はどだいその体をなしていない。

 註記)前掲の頁からも入れるが,http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf  で読むことができる。現在はこちらに公表されている。⇒ http://ronbun.apa.co.jp/images/pdf/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf (※)

 補注)もっとも,田母神俊夫のその文章がはたして,一読に値するかどうかの判断は,一読してみないと判らない(!)。この作文に田母神俊雄自身の独創性があるかといえば,正直いってほとんどなく,ゴミも同然の文章である。

 

 この画像(  ↓  )は(※)から切りとったものである。

 

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 要は,戦前におけるお決まりの「大東亜共栄圏」思想の二番煎じというか,せいぜい,お足のないその亡霊の再来と形容しておけばいい程度であるのが,今回の田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」なる〈文章の内容〉であった。

【参考画像】

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 出所)http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/45620279.html

 補注)いうなれば,「左翼のクソども」とののしる「右翼の▼▲ども」がいる。いわゆる「目くそ・対・鼻くそ」的な罵倒合戦が,いまも盛んであるが,2020年の時点になっては,「ネトウヨの左翼あるいはリベラルに対する悪口雑言のかぎり」ばかりが,よりひどくめだつようになっている。彼らは,人間としての品位・品格の問題とは完全に無縁である実相を,身をもって暴露しつづけている。

 

 しかもその総大将が安倍晋三であった。この「子どもの裸の王様である日本国の首相」が,いまでは,ノロマ,クズ,トンマなバカ馬」という代名詞で呼ばれるだけでなく,本質からし「セコイ,ズルイ,卑怯者」とまでこき下ろされている(板垣英憲の「評」で2020年4月7日発言)。 

 田母神のような立場に立つ人士たちは,自分たちの気に入らない論説を公表する相手をとらえて「サヨク」〔漢字で左翼とは書かないところが味噌!〕と呼び,なにかといってはひたすら,頭ごなしに非難・排斥する姿勢が濃厚である。これになぞらえていえば,この「田母神の文章」は『単純ウヨク(右翼)』の発想にもとづきながら,太平洋戦争敗戦「体験」を契機に想像・拡大させた〈被害者妄想〉を,それも手短に要領よく吐露・表現している。

 田母神のその文章を一読してみておかしく感じた点がある。まず,7点ほどある引用文献の形式においては,著者の氏名と著作の名称,出版社が指摘されているが,発行年,そして引用・参照された「頁(ページ)が付されていない」。

 つぎに,引用・参照された識者・著作のうち,主に世間に名をはせている氏名を挙げると,黄 文雄・櫻井よし子・渡部昇一・秦 郁彦などが目に付く。これら巷の有名人は「国家国粋主義・単純右翼」寄りの知識人ばかりである。渡部と秦は学者であるが,渡部は田母神の『論文』を最優秀「藤誠志」賞に選んだ審査委員会の委員長であるから,なにをかいわんやである。

 うがち過ぎた推測になるかもしれないが,その懸賞論文に「ヤラセ」的な印象さえ漂わせる雰囲気を感じるのは,筆者だけか? 田母神の文章は,前段の人士たちなどがすでに,十分過ぎるくらい宣伝してきた中身しかみられなかった。あるいは,渡部昇一も会員である「新しい歴史教科書をつくる会」制作の各種教科書に記述されている内容に相当するものばかりであった。なにゆえ,そのような論著が「〇〇〇賞」の候補に上がり,しかも受賞するのか不可解としかいいがなかった。

 補注)このもとの文章ではこのように「うがち過ぎた推測になるかもしれない」と,控えめに書いていた。が,いまとなっては,まったくそのとおりであったという以外に理解できない。

 「真の近現代史観」懸賞論文に応募し,この「最優秀藤誠志賞」に当選する〈秘訣〉も,なんとなく理解できるような気分になれた。独創性・新奇性など不要,論文としての形式的要件とも無縁,執筆分量はなるべく少なめでよく,いままであちこちで繰りかえし主張されてきた他者の陳腐な諸説「断片」を,ただそのままで適当に組みあわせて論旨を構成すれば,これでもって「〇〇〇賞」を受賞できそうである。これはべつに皮肉を放ったわけではなく,今回の田母神「論文」を一読しての「率直な印象」を述べてみたに過ぎない。

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 出所)秦 郁彦http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/41873544.html

 ともかく,私立と国立の大学教授を務めた近現代史家で,田母神も文献を挙げて引用された秦 郁彦は,田母神の一文を読み,「事実誤認だらけ」の「引用」であり「非常に不愉快だ」と反発していた。つまり,学術的には完全に失格との烙印を押されており,オマケに不快感まで表明されていた。もっとも「学術以前というか以外」の田母神「論文」であったから,当然も当然のボロクソな非難が提示されていた。

 木岡伸夫『風土の論理-地理哲学への道-』ミネルバ,2011年は,つぎのように語っていた。田母神俊夫とこの同類たちは,この文章の意味が理解できないのかと心配する。

 

 「日本の近代化は,西洋近代の技術を模倣するだけでなく,列強の他に向けた欲望の視線をみずから実践する過程であった。その過程が孕む自己矛盾の解消が,欧米列強からのアジアの解放を謳う侵略行為となった悲劇を想い返さねばならない」(346頁)

 

 旧大日本帝国は『坂の上の雲』だけをみつめて走ってきた。けれども,とうとう,1945年8月の敗戦に逢着させられた。要は,自分の足下で生起している時代の変転,いいかえれば「歴史の大きな潮流」がよくみえていなかったのである。それでいて,21世紀のいまごろになってもまだ,安倍晋三のように「戦後レジームからの脱却」「戦前回帰」を唱えていたとなれば,この文句を聞かされた「脳細胞」が「腸捻転」になりかねない。

 国際関係論を専攻する白石 隆政策研究大学院大学副学長は,「多くの歴史家がみても奇矯な説を〔軍隊の〕高官が公然と出すということは,日本人がそのように歴史を総括しているとみられてもしかたない」と評言している(『朝日新聞』2008年11月1日朝刊参照。〔 〕内捕補足は筆者)

 なぜ「奇矯」とまで表される文章に対して,渡部昇一を委員長に戴く「真の近代史観」懸賞論文審査委員会は,賞を与えたのか?

 

  経営者の〈虚飾や見栄〉の発揮のために手を貸す学者は誰か?

 もっとも,どのような学術論文であっても「一定の思想的・信条的な傾向・偏向」は不可避である。けれども,その作法とはあくまで,学術的な次元において明確に表現し,徹底的に意識しつつ記述してこそ,許容範囲に置かれる態度である。だから,その偏向・傾向は「どこまでも客観的に明視できる論調」で書かれていなければ,とうてい〈学術〉的とはいいがたいと論断される。

 そもそも,今回の懸賞論文の〈冠〉に乗っている人物の氏名 “藤 誠志” とは,誰か。これは「アパ株式会社(総合都市開発のアパグループ)」の代表取締役社長:元谷外志雄(もとや・としお)ペンネームである。

 会社経営者が,自分で儲けた金に飽かして,いささか学術的なるマントをまとったかのようにもみせたい,それも,自分のペンネームを冠した賞金付きの『〇〇〇賞』をかかげているのである。それは,世論に対する自分の影響力を少しでも発揮させたいかのようにも映る,そしてなによりもあたかも,自身の名誉心を世の中に宣伝させ,満足してみたいかのようにも感じさせる「元谷の気持」を,透視させている。

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 出所)渡部昇一http://ironna.jp/article/457

 元上智大学教授の渡部昇一といえば,これはもう,日本帝国主義的路線を懐旧してやまないガチガチの右翼反動主義・国家至上主義者であり,古代化石的な典型的見本と称せる人物である。この渡部が,懸賞金付きの「第1回藤誠志賞」に応募した,田母神の「論文」と称する「文章」を審査し,最優秀として評価し,権威づけるための役目を果たした。

 渡部昭一は,ホテル経営などで成功し,金を貯めこんだ事業者の名誉欲,いいかえれば「APAグループ事業の創設者である元谷外志雄」の「私的な感情=満足感の実現」を,具体的に手助けしてやって大いに高揚させてあげるために,その懸賞論文の制度運営に協力したというわけである。

 

  若干の議論

 田母神の「文章」は,反論するにしても,たわいない中身ばかりである。けれども,ここではつぎの1点のみとりあげ,批判的に議論しておく。

 李王朝の最後の殿下である李 垠(イ・ウン)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李 垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し,殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。

 

 この李 垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李 垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。

 

 現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥 儀(フ・ギ)殿下の弟君である溥 傑(フ・ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは,日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である(4頁上段)。 

  田母神俊夫への「反論」

 朝鮮史研究会編編集代表旗田 巍『朝鮮の歴史』(三省堂,1974年)は,こう記述している。

 13世紀における「モンゴル(元)の侵略」に対して最後まで抗戦した「三別抄(サムビョルチョ)」は,「朝鮮南部各地の農民の支持をえて抗戦したあと,ついに1273年に打ち破られた」。その後「約半世紀のあいだ,高麗にはさまざまな元の重圧がのしかかり,大きな影響を受けた。高麗王室は弱化した王権の回復を,元との一体化によって実現しようとはかり,歴代の王は元室から正妃を迎え,その子が即位した」(106頁)

 この歴史的な出来事は,当時における元の立場からみれば,どういう両国関係を政治的にもつものであったかを考えればよいのである。つまり,当時の高麗が,元から王妃を迎えなければ「どうなったか」である。

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 出所)李 垠と梨本宮(李)方子,http://hinode.8718.jp/korea_royalty_tokyo_house.html

 李 垠と梨本宮方子〔韓国での氏名は,李 方子(い・ばんじゃ)〕との政略結婚の狙いも,それにて類推すればよい。以前だが,国家・民族間の紛争において,特定の意味がこめられた「民族浄化」が叫ばれたこともあった。おぞましい歴史の事態が発生していた。

 いまでは朝鮮王朝は存在しない。「溥 儀の満州国」も幻と化した。日本の皇室は残っているが。日本の皇室も実は,敗戦直後しばらくの期間,非常に危うい状勢に置かれていた,とだけ付記しておく。

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