APA元谷外志雄と安倍晋三は親しいオトモダチという話題(3)

APA元谷外志雄田母神俊雄安倍晋三などに関する検討(その3)
                   (2017年1月24日)

 

    要点:1 時代錯誤の観念論者:航空自衛隊高官

    要点:2 田母神俊雄 航空幕僚長の「陳腐で稚拙な稿文」

    要点:3 死にそこなった過去の亡霊が空を飛ぶ

    要点:4 防衛大学校自衛隊幹部になる人間たちになにを教えてきたのか?

 本日の記述は,表題の内容で「その3」回目になる。前回(「その2」)の記述〔旧ブログ 2017年1月22日 ⇒ 本ブログ 2020年4月13日〕のなかにつづけて収録しておく予定であったが,分量が増えてきたために,その部分は今回の「その3」に移動させている。

 

  本ブログ「旧・々ブログ」の「2008.11. 2」に記述していた,主題「航空自衛隊幕僚長の繰り言を批判する」,副題「田母神俊雄稿『日本は侵略国家であったのか』」を再掲する構成となっているが,以上はまず ①  ② の記述となっている。

 

 くわえては,その続編であるやはり旧ブログの「2008.11. 3」に記述していた,主題「田母神俊雄の『稚拙な稿文』」,副題「死にそこなった過去の亡霊が空を飛ぶ」も,以上の記述に連結させるかたちで,以下につづけて記述する内容にしておいた。こちらは ③ 以下の記述となる。

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 🌕  言 🌕  「本記述」 の,とりあえず ① と ② のためのまえがき

 「航空自衛隊幕僚長の繰り言を批判する」(これは旧・々ブログ 2008.11. 2 の題名)必要があった。田母神俊雄の稿文:「日本は侵略国家であったのか」に対しては,まさに「そのとおりであった」と応えておけばいい。当時「航空自衛隊高官」であったこの人物から「完全なるアナクロ発言」が放たれていた。

 昨日の本ブログ〔実は旧ブログの2017年1月22日のことで,さらに旧・々ブログでは「2008.11. 1」〕の記述は,紙面が足りず,書いているうちに自動的に「尻切れトンボの状態」となる現象が起きたので,途中で筆を置き適当に切りあげておいた。

 補注)この「紙面が足りず……」は,当時,利用していたブログには書きこめる字数に制限があったので,このような表現をしていた。次段の説明のそうした事情に沿って書かれている。すでに済んだ経緯のことであるが,いきがかり上,そのままに再録しておく。

 「昨日(2020年4月13日)」の ④「若干の反論」(および ⑤「むすび」)につづけて,旧ブログの記述において振ってあった目次用の連番は振らないことにし,新たに ①  ②  ③  ……と連番を起こして記述することにした。ここでは新たに,『朝日新聞』の報道(2008年11月1日朝刊)「空自トップを更迭 懸賞論文で『日本の侵略ぬれぎぬ』」を参照するところから始める。

 --航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60歳)が「わが国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き,民間企業が主催した懸賞論文に応募していたことが分かった。

 旧満州朝鮮半島の植民地化や第2次大戦での日本の役割を一貫して正当化し,集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している。政府見解を否定する内容で,浜田防衛相は〔2008年10月〕31日,田母神氏の更迭を決めた。

 日本政府は同日深夜のもちまわり閣議で,田母神氏を航空幕僚監部付とする人事を承認した。政府は1995年に,植民地支配と侵略で「アジア諸国の人びとに,多大の損害と苦痛を与えた」とした村山首相談話を閣議決定した。麻生首相も継承する考えを表明している。

 実力部隊を指揮する制服組の高官が,アジアでの日本の侵略行為を公然と否定したことは,麻生政権のアジア外交にとって痛手となる。武器使用制約の緩和など自衛隊の運用政策にも踏みこんでおり,文民統制シビリアンコントロール)の観点からも問題視されることは必至。野党各党は国会で政府の責任を追及する構えだ。

 浜田氏は31日夜,防衛省で記者団に「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは空幕長として不適切で,速やかに職を解く」と述べた。麻生首相周辺によると,首相は同日夕に論文を読んで「不適切」と判断し,更迭に向けた調整に入ったという。

 首相は同日夜,首相官邸で記者団に「個人的に出したとしても,それは,いま,立場が立場だから,適切じゃないね」と語った。田母神氏は同日夜,東京都内の自宅で取材に応じ,更迭について「政府の指示に淡々と従います」と答えた。論文の内容については「来週以降に答えます」と述べた。

 論文の題は「日本は侵略国家であったのか」。ホテルチェーンなどを展開するアパグループが主催する第1回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀賞(賞金300万円)に選ばれた。同社は31日,ホームページで論文を公表。防衛省詰の報道各社に報道発表文を配布したことから,投稿の事実が明らかになった。

 論文は,日中戦争について「中国政府から『日本の侵略』を執拗に追及されるが,わが国は蒋介石により日中戦争に引きずりこまれた被害者」と主張。旧満州朝鮮半島について日本の植民地支配で「現地の人びとは圧政から解放され,生活水準も格段に向上した」としている。

 日本の安全保障政策についても「集団的自衛権も行使できない。武器使用も制約が多く,攻撃的兵器の保有も禁止されている。(東京裁判の)マインドコントロールから解放されないかぎりわが国を自らの力で守る体制が完成しない」と,抜本的な転換を求めている。(引用終わり)

 註記)引用は,http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html から。

 

  田母神俊雄「論文:日本は侵略国家であったのか」批判〔反論〕の続編

 田母神俊雄は,こういっていた。筆者流に事実を記述するかたちで,その主旨を再筆する。

 --旧朝鮮王朝において最後王族となった李 垠(イ・ウン)は,10歳のときに日本に連れてこられ,学習院に学んだあと陸軍士官学校29期の卒業生となり,のちに陸軍中将に栄進・活躍した。日本政府は,いわば人質だった李 垠を王族として丁重に遇したという。李の妃となったのは,日本の貴族〔華族〕:梨本宮家の梨本宮方子(まさこ)であるが,昭和天皇の妃候補にもなった女性である。

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 出所)http://seishin-do.jugem.jp/?day=20140312

 もし,日本政府が李王朝を潰すつもりなら,このような〈高貴な女性〉を李 垠のもとに嫁がせはしなかったという。宮内省(当時)は2人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また,清朝最後の皇帝で満州帝国皇帝に担ぎあげられた溥 儀(フ ・ギ)の弟君,溥 傑(フ・ケツ)に嫁いだのは,日本の華族嵯峨家の嵯峨 浩であった。

 以上のような「国際的政略結婚」の意図を〔多分しらずに〕無視した田母神の「文章」に対して,いちいち反論を差し向けるのは,実にくだらなくも思える。だが,かといって「その種の非常に粗雑で浅薄な主張」が,このまま無視されていいはずはない。彼のそうした痴論は放置できず,ここに重ねて批判を提示しておく。

 敗戦後において日本の皇族は縮小され,また華族制度は廃止された。ただし,天皇と直属の皇族は,日本国憲法のもとに再利用される政治的遺物=伝統となった。敗戦後,皇室はその根幹を揺るがされるような〈GHQからの圧力〉を受けていた。この事実は,日本国憲法のなかで天皇の位置づけが規定されて落ちつくまで,裕仁にとっては〈頭痛の種〉でありつづけた。

 ▲「反論:続の1」▼

 工藤美代子『ジミーと呼ばれた日-若き日の明仁天皇-』(恒文社,2002年)は,平成天皇の少年期に関する本である。

 「あなたの名前はジミーです」。「ヴァイニング夫人に送り続けられた天皇家のアルバムと手紙初公開! 若き明仁プリンスの愛と苦悩の戦後史を追う渾身のノンフィクション」などと,宣伝文句を謳っている本書であった。その目次は,以下のようである。 

  序 章 あなたの名前はジミーです

  第1章 戦渦の朝に生まれて

  第2章 敗戦・復興の中から

  第3章 レッスン開始

  第4章 「お濠ばた」の元帥

  第5章 青年皇太子

  終 章 「窓」の向うの世界へ  

 当時の皇太子明仁は,のちの1989年に平成天皇となるが,GHQ=アメリカの人質にはなることはなかった。けれども彼は,アメリカのよき理解者になるべく「家庭教師:ヴァイニング夫人」を派遣され,教育を受けていた。この体験は,現在の天皇にどのような精神的影響を与えたかは「興味ある経歴」である。

    f:id:socialsciencereview:20200414080755j:plain          

  ▲「反論:続の2」▼

 レイ・ア-ヴィル・ム-ア編『天皇がバイブルを読んだ日』(講談社,昭和52〔1977〕年)に語らせる。

 「1946年1月,〔昭和〕天皇が『キリスト教について勉強するため』に,賀川豊彦を宮中に招いた。約2時間にわたる会見のなかで,天皇キリスト教について多くの質問をし,賀川が聖書の一節を読むと,注意深く聞きいっていた」(レイ・ムーア『神の兵士』より。同書「帯」)

 「マッカーサーは」「最高司令官の特権を行使して,キリスト教から生まれる『精神的核』を占領政策に注入しようとした。彼の理解する任務は,既存のものの復活あるいは回復ではなく,日本人がかつて経験したこのないなにかを導入することであった」(24頁)

 昭和天皇は敗戦後の一定期間,自分の立場や生命が保障されるかどうかをひどく懸念していた。アメリカに対する自分の心証をよくする準備の一環として「キリスト教への関心」を強く示すための勉強もしたのである。皇居のなかでは一時期「聖書研究会」がもたれていた。しかし,昭和天皇夫婦は戦後の状況変質のなかで,自分たちの「皇族としての地位」が安泰であることに自信をもつに至った。

 結婚後まだ平成天皇が皇太子だったとき,弟にあたる常陸宮はつねに美智子を庇い,よき相談相手だったといわれる。だが,美智子がキリスト教についてこの正仁親王と話したことから,キリスト教を布教していると昭和天皇に誤解を受け,不興を買ってしまったと伝えられている。敗戦後の〈昭和20年代〉(もちろん占領下の時期のこと)とこれに対する〈昭和30年代〉とにおいて,昭和天皇キリスト教に対して抱いた姿勢は顕著に異なっていた。

 もともと,自家本来の伝統的な宗教である「神道を信心する天皇一家」にとって,キリスト教は「最強・最大・最悪の対抗宗教」を意味した。ところが,嫁入りしてきた美智子が配偶者の弟である常陸宮キリスト教について語りあった事実が発生した。昭和天皇夫婦は激怒する。その怒りは美智子を恐怖させた。美智子が昭和天皇夫婦に平身低頭して謝っても,とうてい許されなかった。

 美智子と常陸宮キリスト教に関する会話は,昭和天皇夫婦に対して,日本占領期における「昭和20年代の記憶として残されている〈皇室とキリスト教〉」の「辛く深刻だった関係問題」を彷彿させた。2人のその会話は,当時の占領軍に由来し,天皇一家=「自分たちの宗教生活に押しせまっていた」キリスト教問題,いいかえれば「天皇家に対して否応なしに生起させられた『宗教上の二律背反的な精神情況』を想起させた」のである。それだけに昭和天皇夫婦は,憎悪の念を燃えたぎらせて,その2人の会話そのものを全面的に否定,抹殺しておかねば済まなかった。

 くわえて,当時の皇太子明仁にあっては精神的に,キリスト教に対する「〈神道〉的な耐性」に関して,対抗しうる確実な自信がなかった。だから,昭和天皇夫婦の美智子に対する怒りは並外れたものであった。昭和天皇夫婦は,皇室の存亡にかかわるような「嫁のけしからぬ口出し:要らぬ議論そのものがあった」と受けとめていた。

 

  アパグループの代表〔C.E.O.:最高執行経営者〕元谷外志雄ペンネーム:藤 誠志)は,小松基地金沢友の会」を務めていた。

 元谷外志雄の著書『報道されない近現代史-戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い-』(産経新聞出版,2008年4月)の出版解説に付された文章を読めば,同年11月1日に報道されはじめた田母神俊雄航空自衛隊幕僚長が「〇〇〇賞」を受賞するに至った経緯に関して,なにか参考になるヒントがつかめそうである。紀伊國屋書店の bookweb に出ている解説をみると,こう記述されている。

 本書『報道されない近現代史-戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い-』は,誰も報じなかった近現代史の闇の部分を,ソ連の崩壊により公表された資料と1990年代後半になってアメリカが公開した当時のソ連の暗号を解読した情報「ベノナファイル」と,筆者が独自のアンテナ(海外友人情報ネットワーク)で知り得た情報をもとに,冷静かつ大胆に解析して白日のもとにさらしたもので,北朝鮮,中国,ロシア,アメリカと核保有国に包囲された今日の日本の国家的危機に際し,自ら守る力がなくては真の独立国とは言えないと,「憂国」の想いを込め執筆したものである。主要目次はつぎのようである。

 

  第1章 北朝鮮危機に備えよ
  第2章 中国は日本を狙う
  第3章 「核」を論ぜずして安全保障なし
  第4章 正しい歴史認識を問う
  第5章 もう一つの日本の危機と教訓
  第6章 溶けゆく日本に「覚醒せよ」と喝!

 

 著者紹介:元谷外志雄[モトヤ・トシオ]は,ペンネームに「藤 誠志」を使う。アパグループC.E.O.である。

 

 石川県小松市生まれ。現在,アパグループ(全14社)の代表取締役を務め,建築・設計中を含め全国に68棟・客室数17000室を超える全てのホテルを所有・運営し,所有・賃貸・運用・管理するビル,マンションなどは400棟を超える。

 

 近年は,リゾート業も含む総合複合都市開発事業に力を注ぎ,地上44階建アップルタワー(東雲キャナルコート)や地上46階建淀屋橋アップルタワーレジデンスなど全国に展開。また,世界65カ国以上に及ぶ諸国の遊学と経験と見聞で検証した歴史観・世界観・国家観で磨き抜かれた鋭い感性は,CMプロデューサー・コピーライター・プランナー・デザイナーとしても,いかんなく発揮する他,自ら編集長を務める月刊誌『アップルタウン』(毎月5万5千部発行)に,187回に亘りペンネーム藤誠志による社会時評エッセイを執筆。

 

 キューバカストロ国家評議会議長との鼎談をはじめ,李 登輝台湾元総統,森 喜朗元内閣総理大臣,金 泳三韓国元大統領,ホセ・デベネシアフィリピン下院議長兼与党総裁,リチャード・アーミテージ第13代米国務副長官と対談を行うなど世界各国に多数の交友関係を築いてきた。

 

 また,モータースポーツをこよなく愛しレース経験も持つなど,1990年にはオーストラリアF1Aワールドラリーにプライベートチームをエントリー,Nクラス総合世界第三位に輝く。2007年にはF15DJ型戦闘機に搭乗,空中戦闘訓練に参加し7.5Gを体感。その他,ウェーブ産経代表幹事,航空自衛隊小松基地金沢友の会会長などを務める。

 なお,元谷外志雄『報道されない近現代史-戦後歴史は核を廻る鬩ぎ合い-』(産経新聞出版,2008年4月)の出版解説に付されたこの文章を読めば,前段の解説に関連する事情が理解できる。

 航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き,「ペンネームに〈藤 誠志〉なる氏名」をかかげた元谷外志雄が経営する民間会社「主催の懸賞論文」の「第1回『真の近現代史観』」に応募し,最優秀賞を受けた。特別に勘がするどくなくとも,まともな識者であればただちに,そこには胡散臭いなにかを感じとてる。すなわち,出来合いのレース「応募 ⇒ 受賞」ではないかと。

 たいそう広い見聞・交遊をなしえて豊かな識見ももち,ホテル経営者としては八面六臂の活躍をしていると自己宣伝する人物「元谷外志雄」が,なぜ,田母神の書いた〈きわめて稚拙な軍事思想〉や〈とても狭隘な世界観〉しか提示できていない,そして「政治理論的・軍事思想的にもひどく未熟な論文(それも無知でなければ,ただの不勉強である論旨)」に対して,渡部昇一のような〈最右翼コテコテ老害知識人〉に審査を任せる方法で,自分の名称〔ペンネーム〕を冠した「〇〇〇賞」を授与したのか? 

 結局,ペンネーム《藤 誠志》を使う元谷みずから自己宣伝するところであるはずの,「諸国の遊学と経験と見聞で検証した歴史観・世界観・国家観で磨き抜かれた鋭い感性」は,いったいどこにどのようにみいだせばよいのか? しかし,この疑問に関する「おおよその解答」を用意することは,たいしてむずかしくはない。

 こう考えたのではないか。--他者の目線に映る範囲内でいい,探知の困難な『元谷=藤のその「鋭い感性」』は,広く世の中にしらしめなければならない。そのためには,元谷自身が創設した「〇〇〇賞」を山車に使い,この〈ひかり輝やく賞〉を世間に引き出すかたちをもって,あまねく認知させねばならない。簡単にいえば,藤の「自己顕示欲」を披露するための舞台を用意したい。彼がこれを文化装置として仕かけ,実現させるための財力・資力は,ホテル経営などで儲けており,十分にその準備ある。

 いずれにせよ,元谷外志雄〔=藤 誠志〕自身には「それだけの尊い価値」があり,この人物の「名を冠した賞」(最優秀賞)を授ける相手を,今回まず1人みつけねばならなかった。しかしながら,今回の「被受賞者の論文」が《軍人》田母神俊雄の筆になる点はさておき,それにしても「あまりに出来のよくない作品」であった。

 どちらかといえば,政治信条的にはまちがいなく「元谷=藤の思想・立場」にかなり近いはずの歴史学者秦 郁彦までが,その田母神の〈文章〉を一刀両断にした。この秦は,田母神に対する《ボロクソの寸評》さえ新聞に語っていたのだから,それこそ「誠に始末に悪い」「ニセ論文」の出場であった。おまけに,日本国自衛隊航空幕僚長:「軍人の学識的水準」の低さが,世界に向けて公表されるハメになっていた。

 究極的な狙いどころはともかく,元谷自身の名声を挙げる点にあった。しかし,そうした「自分をヨイショ」するための「〇〇〇賞」の創設が,はたしてこの世の中〔日本にだけかぎっても〕において今後,いかほど通用していくのか見物である。「お金」をたっぷり充当すれば「達成できるモノ」と「そうでないモノ」のみきわめは,誰にでも困難な業である。とくにいままでは,お金をたっぷり使えてなんでも自分の思いどおりになると自信を深めてきた人ほど,そのような傾向におちいりやすい。

 補注)2008年以降におけるその「〇〇〇賞」の状況については,当該ホームページ(APAグループの)に掲載されている。

 ところで,今回の田母神論文「日本は侵略国家であったのか」は,当時出来たてホヤホヤの総理大臣麻生太郎衆議院の解散を少しでもさきのばしし,自民党〔およびその褌担ぎみたいな公明党とからなる〕政権をなんとか長く生かそうとしている段階において,この政権に対する野党の格好の攻撃対象を与えたかたちとなってしまった。田母神の稚拙な「論文」はこのように,政局にも特定の影響をもたらしている。

 

 ◇「本記述」でさらにつづく  以降(旧・々ブログ 2008.11. 3 に記述分)のための「断わり」 ◇

 この2008年11月3日に執筆された旧・々ブログの題名は「田母神俊雄の『稚拙な稿文』」,副題が「死にそこなった過去の亡霊が空を飛ぶ」であった。

 本ブログ(ここではその旧・々ブログこのこと⇒)「2008.11. 1」「2008.11. 2」の各記述は,ともに紙白不足のため,記述していくうちに「尻切れトンボの文章形態」に終わっていた。そこで,両日においてはいずれも途中で筆を擱いていたので,まだ掲載できなかった文章部分を,さらに「2008.11. 3」につづけて補述していた。

 本日(こちらは旧ブログでは2016年1月24日)のこの記述「APA元谷外志雄田母神俊雄安倍晋三などに関する検討(その3)」は,「同稿(その2)」における ④「若干の反論」,および「同稿(その3)」として,前段に記述した項目 ⑤ と ⑥ につづけて,2008年10月31日に発覚していた田母神俊雄航空自衛隊幕僚長「懸賞論文」受賞事件を批判する論及をおこなうことになった。

 以上,前後関係の説明がゴタゴタしているが,容赦してもらい,本論の筋書きに戻る。

 

   2008年11月1日『毎日新聞』の報道から

 航空幕僚長田母神俊雄が「文民統制」の基本を無視し,軍人としての「立場もわきまえず」に懸賞論文への応募し,受賞した事件に関しては,すでに2008年11月1日の時点で,マスコミからつぎのように批判されている。

 ▽-1「軍事アナリストの小川和久さんの話」

 田母神氏の論文公表は,空自トップとして立場をわきまえない幼児的な行動だ。内容も非科学的で,自衛隊をはじめ,日本に単純思考のタカ派が台頭しているのではないかとの警戒感を世界に与える恐れがある。国家の存亡を左右する組織トップの不祥事だけに,厳しく処罰されるべきだ。

 ▽-2「作家の梁 石日ヤン・ソギルさんの話」

 航空自衛隊のトップがあんな論文を書くようでは,本当にシビリアンコントロールが働いているのかと思わざるをえない。旧満州朝鮮半島が,日本政府と日本軍の努力によって生活水準が向上したなど,とんでもない妄想だ。なぜこのような極右の人物を空幕長にしたのか。こんなことでは日本が本質的に軍国主義から脱していないと,アジアの国々から思われかねない。

 註記)『毎日新聞』2008年11月1日01時09分,http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081101k0000m010152000c.html

              

   2008年11月2日『朝日新聞』「社説」-空幕長更迭,ぞっとする自衛官の暴走-

 こんなゆがんだ考えの持ち主が,こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き,あきれ,そして心胆が寒くなるような事件である。田母神俊雄航空幕僚長が日本の植民地支配や侵略行為を正当化し,旧軍を美化する趣旨の論文を書き,民間企業の懸賞に応募していた。

 論文はこんな内容だ。「わが国は蒋 介石により日中戦争に引きずりこまれた被害者」「わが国はきわめて穏当な植民地統治をした」「日本はルーズベルト米大統領)の仕掛けた罠にはまり,真珠湾攻撃を決行した」「わが国が侵略国家だったというのはまさに濡れ衣である」。一部の右派言論人らが好んで使う,実証的データの乏しい歴史解釈や身勝手な主張がこれでもかと並ぶ。

 空幕長は5万人の航空自衛隊のトップである。陸上,海上の幕僚長とともに制服の自衛官を統括し,防衛相を補佐する。軍事専門家としての能力はむろんのこと,高い人格や識見,バランスのとれた判断力が求められる。その立場で懸賞論文に応募することじたい,職務に対する自覚の欠如を物語っているが,田母神氏の奇矯な言動は今回に限ったことではない。

 4月には航空自衛隊イラクでの輸送活動を違憲だとした名古屋高裁の判決について「そんなの関係ねえ」と記者会見でちゃかして問題になった。自衛隊の部隊や教育組織での発言で,田母神氏の歴史認識などが偏っていることは以前からしられていた。防衛省内では要注意人物だと広く認識されていたのだ。なのに歴代の防衛首脳は田母神氏の言動を放置し,トップにまで上りつめさせた。その人物が政府の基本方針を堂々と無視して振るまい,それをだれも止められない。

 これはもう「文民統制」の危機というべきだ。浜田防衛相は田母神氏を更迭したが,この過ちの重大さはそれで済まされるものではない。制服組の人事については,政治家や内局の背広組幹部も関与しないのが慣習だった。この仕組を抜本的にあらためないかぎり,組織の健全さは保てないことを,今回の事件ははっきり示している。防衛大学校での教育や幹部養成課程なども見直す必要がある。

 国際関係への影響も深刻だ。自衛隊には,中国や韓国など近隣国が神経をとがらせてきた。長年の努力で少しずつ信頼を積み重ねてきたのに,その成果が大きく損なわれかねない。米国も開いた口がふさがるまい。多くの自衛官もとんだ迷惑だろう。日本の国益は深く傷ついた。麻生首相は今回の論文を「不適切」と語ったが,そんな認識ではまったく不十分だ。まず,この事態を生んだ組織や制度の欠陥を徹底的に調べ,その結果と改善策を国会に報告すべきだ。

 

   2008年11月2日『朝日新聞』「天声人語

 ▼「珍しく」というべきか,時代小説の藤沢周平に政治がらみのキナ臭い問題に触れた随筆がある。先の戦争をめぐる教科書問題で騒然となったとき,〈(蹂躙された)相手の立場に立ってみることを自虐的などというのは軽率ないい方である〉と,その歴史観の一端を述べている。

 ▼ そうした相手の立場はおろか,みずからの立場も,日本政府の立場もおかまいなしの「突撃」には驚いた。航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と主張する論文を書いて更迭された。

 ▼ その名前に記憶のない方も,思い出すことがあろう。4月に名古屋高裁が「空自のイラクでの活動は違憲」と判断したとき,記者会見で「そんなの関係ねえ」とやった人だ。周囲から「猛将」と評されているらしい。

 ▼ あれは失言だったのかもしれない。だがこんどは「思っていることを国民や国家のために書いた」そうだ。民間の懸賞に応募し,最優秀に選ばれて公表された。個人としての応募というが,肩書は衣服と違う。都合よく脱いだり着たりできるはずもない。

 ▼ 内容はアジア諸国への侵略などを謝罪した政府見解を否定するものだ。この手の認識は国内では留飲を下げる者がいても,国境までいけば力を失う。その先へは広がらぬ独善にほかなるまい。

 ▼ 加害の意識を欠き,事実に目をつむる内向きの論理は危険なものになりかねない。冒頭の藤沢周平は,いつもの穏やかな筆致ながら,そう案じていた。不祥事続きの自衛隊である。後任は猛将より,知将が望ましい。

 

   2008年11月2日「ニュース 速報  YOMIURI ONLINE(読売新聞)」記事-前空幕長が論文受賞を事前承諾,主催者「本人から確認」-

 田母神俊雄・前航空幕僚長(60歳)(10 月31日付で航空幕僚監部付)が,昭和戦争などに関して投稿した論文の内容をめぐって更迭された問題で,田母神氏の論文を最優秀賞に選ぶさい,審査委員から「この論文を選出して,空幕長の立場は大丈夫なのか」との懸念が示され,主催者側が確認をとっていた。

 審査委員長の渡部昇一上智大名誉教授によると,主催者側からはその後,「(本人から)大丈夫との確認をえた」との説明を受け,田母神氏の作品を最優秀賞に選んだという。懸賞論文は,ホテル・マンション経営のアパグループ(東京都港区)が「真の近現代史観」をテーマに5月に募集。約230の応募論文のなかから,田母神氏の論文「日本は侵略国家であったのか」など20点余りに絞りこまれ,上位4点については,最終段階で経歴が明らかにされたという。

 防衛省によると,田母神氏は現時点で,最優秀賞の賞金300万円とホテル招待券を受けとっていない。一方,田母神氏以外に,複数の現役自衛官が同じ懸賞論文に応募していたことが関係者の話で分かった。論文を外部に発表するさいに内規で定められている届け出があったかどうかについて,同省では「現時点で把握していない」としている。

 註記)『読売新聞』2008年11月2日03時06分,http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081102-OYT1T00113.htm?from=main1 より。

 

 ⑦  2008年11月2日『読売新聞』「社説」-空幕長更迭 立場忘れた軽率な論文発表-

 航空自衛隊のトップという立場を忘れた,きわめて軽率な行為だ。政府は,「わが国が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」などとする論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長を更迭した。麻生内閣も,「植民地支配と侵略によって,アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として反省と謝罪を表明した1995年の村山首相談話を踏襲している。

 浜田防衛相は「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは,航空幕僚長として,大変不適切だ」と更迭の理由を述べた。当然だろう。論文の内容が判明した直後,迅速に人事を断行したのは,国会審議や近隣諸国との関係に及ぼす悪影響を最小限に抑える狙いもあったとみられる。

 論文は,民間企業の懸賞論文に応募したものだ。戦前の日本による植民地支配や昭和戦争について,一貫して日本の立場を正当化しようと試みている。日中戦争については,「わが国は蒋 介石により引きずりこまれた被害者」と主張している。だが,戦争全体をみれば,日本の侵略だったことは否定できない。日米戦争の開戦も「アメリカによって慎重に仕かけられた罠」と決めつける。

 論文は,事実誤認や,歴史家の多くが採用していない見方が目立っており,粗雑な内容だ。もとより,歴史認識というものは,思想・信条の自由と通底する面があり,昭和戦争に関して,個々人がそれぞれ歴史認識をもつことは自由である。しかし,田母神氏は自衛隊の最高幹部という要職にあった。政府見解と相いれない論文を発表すれば重大な事態を招く,という認識がなかったのなら,その資質に大いに疑問がある。

 論文には,集団的自衛権が行使できないとする政府の憲法解釈や自衛隊の武器使用の制約など,重要な問題提起も含まれている。だが,この論文の文脈のなかで主張しても,説得力をもたない。こうした問題の多い論文の発表を,なぜ,だれもチェックできなかったのか。これでは,自衛隊に対する国民や諸外国の信頼が揺らぎかねない。防衛省は,今回のような事態の再発を防ぐには,制服組の自衛官の教育と人事管理を強化する必要がある。政治の文民統制シビリアンコントロール)のあり方も問われかねない。

 出所)『読売新聞』2008年11月2日02時16分, http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081101-OYT1T00763.htm?from=nwla            
             

   アパグループについて

 ところが,以上新聞の各報道などがほとんで触れていないのが,全国でホテル業を展開するアパグループのCEOである元谷外志雄[モトヤ・トシオ:ペンネーム「藤 誠志」]の存在である。本ブログの筆者は,この元谷CEOこそが,今回事件を生みだした中心人物であると観察している。

 元谷は,自身の名誉欲を世の中に広め浸透させようと今回,「真の近現代史観」と名づけた自分好みの懸賞論文を募り,この「最優秀藤誠志賞に航空幕僚長田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」を選んだ。田母神論文の内容と主張がいかにズサンで時代錯誤であるかは,前段に引照した新聞各紙が十二分に説明している。

 アパグループCEO元谷外志雄が求めた「真の近現代史観」をもっとも優秀に語ってくれた田母神「論文」が,この21世紀の時代に日本社会から「総スカン」を食らうべき〈お粗末な中身〉であるだけでなく,近隣諸国からの反撥をわざわざ招く始末にもなっている。

 元谷の定義しているはずの「真の近代史観」がそれほどまで雑駁だったらしい事実は,「藤 誠志賞」の審査委員長を務めた渡部昇一の間接的・実質的な審査責任に遡及するものであるけれども,直接的・形式的な受賞責任にまつわる総括的な責任問題は,そもそも元谷に発源するものである。

 それにしても,ずいぶんいい加減な審査を実施した,いわゆる自虐史観「反対」の立場に固執する学者:渡部昇一委員長は,田母神に優秀賞を授与したら,世論から今回のごとき反撥や批判が即座に沸きおこる事態を予想すらなしえなかった。世の中における〈より健全な言論〉の動向に無頓着というか無感覚になった老齢(よれよれ)の元大学教授〔上智大学名誉教授,2017年4月17日死去〕は,自身が悟るべき「隠遁の時期の認知」を逸していたのかもしれない。老醜を世間に晒した。

 田母神も田母神である。「文民統制」の意識などコレポッチもない「軍人の立場」であり,旧日本軍人の意識感覚そのものに近い。「日本というのは古い歴史と優れた伝統をもつ素晴らしい国なのだ」った田母神論文,9頁)と断言するけれども,なぜか,その旧日本軍は英・米・蘭・中との戦争に敗けていた。田母神は「その歴史と伝統にもどれ」という発想が,自己矛盾(アポリア)に落ちこむ必然性を理解できていない。

 「その歴史と伝統」と田母神が形容した〈大和精神:魂〉は,まちがいなく一度,アメリカとの大戦争で木っ端みじんに粉砕された。その結果として,この国には「数多くの甚大な不幸・悲惨が招来された」。この歴史的事実が実在したにもかかわらず,田母神は,先輩軍人たちがたどった迷路に再び飛びこむ勇気だけは失っていない。笑止千万でしかない「21世紀風軍人精神」が,この日本社会に堂々とまかりとおるとも思えない。いまのところ,各社新聞の論調をみるかぎり田母神論文の主張は「まともに相手にされておらず,きびしい批判を受けている」だけである。

 

   2008年11月2日『産経新聞』「社説」-空自トップ更迭 歴史観封じてはならない-

 航空自衛隊田母神俊雄幕僚長が,先の大戦を日本の侵略とする見方に疑問を示す論文を公表したとして更迭された。異例のことである。田母神氏の論文には,日本を「蒋 介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ」とするなど,かなり独断的な表現も多い。さらにそうした論文を公表すれば,インド洋での給油支援を継続するための新テロ対策特措法の国会審議などに影響が出るのは明らかである。政府の一員としてそうしたことに配慮が足りなかったことは反省すべきだろう。

 だが第一線で国の防衛の指揮に当たる空自トップを一編の論文やその歴史観を理由に,なんの弁明の機会も与えぬまま更迭した政府の姿勢もきわめて異常である。疑問だといわざるをえない。浜田靖一防衛相は,田母神氏の論文が平成7年〔1995年〕,村山富市内閣の「村山談話」以来引きつがれている政府見解と異なることを更迭の理由に挙げた。たしかかに「村山談話」は先の大戦の要因を「植民地支配と侵略」と断じており,閣議決定されている。

 だが,談話はあくまで政府の歴史への「見解」であって「政策」ではない。しかも,侵略か否かなどをめぐってさまざまな対立意見があるなかで,綿密な史実の検証や論議を経たものではなく,近隣諸国へ配慮を優先したきわめて政治的なものだった。その後,談話を引きついだ内閣でも新たな議論はしていない。このため,与党内にはいまも「村山談話」の中身の再検討や見直しを求める声が強い。田母神氏の論文がそうした政府見解による呪縛について,内部から疑問を呈したものであるなら,そのことじたいは非難されることではないはずだ。

 政府としては,参院での採決の時期が微妙な段階を迎えているテロ特措法や,来月に予定されている日中韓首脳会談への影響を最小限に抑えるため,処分を急いだとしか思えない。テロ特措法の早期成立も中国や韓国との関係も重要である。しかし,そのために個人の自由な歴史観まで抹殺するのであれば,「言論封じ」として,将来に禍根を残すことになる。むしろいま,政府がやるべきことは「村山談話」の中身を含め,歴史についての自由闊達な議論をおこない,必要があれば見解を見直すということである。

 註記)http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081102/crm0811020318002-n1.htm

 この産経新聞の社説は,「綿密な史実の検証や論議を経たものではな」い田母神「論文」を,まともな「論文」とみなし,軍人が「内部から疑問を呈したもの」と位置づけたいらしい。産経新聞論説委員」たちの思想的立場は明白である。要は,単に田母神と同じということである。田母神「論文」に最優秀賞を授与した渡部昇一などが「産経新聞社と親密な関係にある」=「論調:立場をともにする」ことは,あえて指摘するまでもない事実である。

 

 「田母神氏 空自誌にも持論『侵略はウソ』」と(昨〔2007〕年の『鵬友』5月号で)主張

 戦時中の日本の侵略を否定する内容の論文を執筆して更迭された,防衛省田母神俊雄・前航空幕僚長(60歳)が昨〔2007〕年,空幕長に就任したのち,空自の隊内誌に同様の趣旨の文章を執筆していたことがわかった。浜田防衛相は更迭の理由として「政府見解と異なる意見を公にするのは空幕長として不適切」と述べたが,その文章が出た時点では省内で問題にはならなかった。空自は「個人のひとつの考え方という受け止め方だった」としている。

 文章は空自幹部らが購読する『鵬友』の昨年5月号に掲載された。幹部らが個人の研究を発表する場で,誌面で「発表された意見などは公的な見解ではない」と断っている。田母神氏は巻頭で「日本人としての誇りをもとう」と題し,「戦後教育の中で我が国の歴史と伝統はひどい無実の罪を着せられてきた。その代表的なものが,日本は朝鮮半島や中国を侵略し残虐の限りを尽くしたというものである」とし,「ウソ,捏造の類であると証明されているが,多くの日本国民はそれを事実として刷りこまれている観がある」と書いている。

 「南京大虐殺」に触れ,「混乱のなかで本当の民間人が巻き添えになったことはあったかもしれない。しかし日本軍が中国の民間人を組織的に虐殺したことはまったく無かったのである」と主張している。また,統合幕僚学校長だった2004年に同誌に書いた文章でも同様の歴史観を主張。隊員にも一般の月刊誌への投稿を勧めていた。

 註記)『朝日新聞』2008年11月3日03時01分,http://www.asahi.com/national/update/1102/TKY200811020198.html

 田母神「論文」の内容に関していえば,その主張・信念は学問的に実証されておらず,政治的・社会的にも許容されていない。『日本経済新聞』2008年11月3日「社説」は,「田母神空幕長の解任は当然」,航空自衛隊(の組織特性)は「勇猛果敢・支離滅裂」と評されるが,その典型が彼だと指摘していた。

 さて,2017年1月下旬の時点においてであれば,さらに,以上の議論にいろいろくわえてみたい意見や論点もあったが,ここではあえて触れない。田母神俊夫個人の執筆にかかわる問題として,とくにみのがせないのが「論文の体裁をなしていない書き方」があった。最近になっての(2017年1月からだと10ヵ月ほど以前の)指摘となるが,こういうものがあった。

  ☆ ffksrraku さん 2016/3/9 16:37:30 ☆

 

 いまさらながら,田母神俊雄氏の論文「日本は侵略国家であったのか」を読みましたが,これって論文のかたちをなしていないですよね?

 

 ・論文要旨がない。

 ・「目的」「対象」「方法」「結果」「考察」「結語」という基本的な構成が全くできて     いない。

 ・引用文献を記載していない。盗用と同じ。

 

 防衛大学〔校〕や自衛隊では,学術論文の書き方を教えていないんですか?

 註記)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detailq10156807940?・・・

 田母神俊雄「論文(?)」は,ここに指摘され要求されているはずである〈体裁の問題〉とは別次元の尺度をもって,それも自家製になる手前味噌の「なんとか懸賞論文」の評価基準からは優秀だとみなされてはいた。とはいっても,田母神の「その文章」はもとより,学術的な次元とは完全に無縁の代物であった。
 
 田母神俊雄のその「エセ論文」は,歴史学的に評価する以前の単なる駄文・雑文のたぐいである。そもそも,論文と称することじたいからして,とんでもない僭称とみなされてよい。ゴミ・クズのような文章が羅列されていた。だが,こういうものを材料に使い,いまさらのように,それもつたない「大東亜戦争史観」のいいつのる,いいかえれば「東京裁判史観」を否定したがる主張は,いまとなってみれば,2度目の首相の座に就いてからまる4年以上(2020年4月で7年と4カ月にもなる)も,政権を維持できている安倍晋三にとっては,きわめて好ましい世間の思潮のひとつになって歓迎されてもいる。

 以上,本日:2017年1月24日〔旧ブログ〕におけるこの “もとの記述” は,2008年11月初旬に〔旧・々ブログで〕なされていた(前者は後者になるさい,いくらか補正と加筆はなされていたが)。田母神俊雄が当時書きあげていた駄文が,このごろになっては,あたかもまともな中身でありうるかのように,しかも「オレたちの主張は正しいのだ!」と声高に,それもひたすら一方的・断定的に主張・強弁される時代になっている。

 完全に「アナクロの主張」がまるで,モノクロ技術しかありえなかった映画の時代で生きているかのように,換言すれば,21世紀のいまになっていても「天然色の映画フィルム ← そんなものはもともとなかった(!?)」とでもいいたいかのように叫ばれたのである。

 田母神俊雄の文章は,旧態依然の時代意識を抱いたままの自衛隊高官が,現在における「安倍晋三狂乱の為政」を支援するような中身を提唱していた。したがって,田母神俊雄を「現政権」の同伴者・併走者として観るとき,その文章じたいは「稚拙な文章」であり「狂雑な稿文」であっても,いまの与党勢力にとっては歓迎できるのである。

 なお,田母神俊雄のその後については,つぎの報道を引用しておく。

 『産経ニュース』ウェブ版(2016. 4. 14 08:29 更新)は,こういう見出しの記事を報じていた。

 

 「都知事選落選,元航空幕僚長の田母神氏を立件へ 政治資金横領や公選法違反 東京地検」。

 註記)http://www.sankei.com/affairs/news/160414/afr1604140005-n1.html

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