女優岸 惠子と力道山が64年前,フランスの空港で偶然に出会っていたという話題

1950年代後半,岸 惠子と力道山の邂逅,『日本経済新聞』に岸が執筆中の「私の履歴書」に出現した力道山


  要点:1 日本国内では徹底的に朝鮮人である「出自隠し」をした力道山が,海外の関係ではふつうに「私は朝鮮人」と名乗った,と書いている岸 恵子

  要点:2 日本のプロレス業界を本格的に創建した力道山,空手道に新しい領域を切り開いた大山倍達


 「〈私の履歴書  岸 惠子 13〉世界へ 外国人監督から依頼続々 燃える好奇心,英仏へ語学留学」日本経済新聞』2020年5月14日朝刊 

 a) この5月の日本においてはまだ,新型コロナウイルス感染拡大「問題」や安倍晋三政権による不埒な為政(悪政)の話題が絶え間なくつづく世相の真っ只中にあるが,そのなかで,1日から女優の岸 惠子が『日本経済新聞』に「私の履歴書」を書きはじめていた。

 さて,岸は文章を書くのがなかなか上手で,読みはじめてからその点に感心しながら毎日読みつづけていたところ,この「私の履歴書」が6回目(5月6日)の連載になったとき,そのなかで惠子は「私の超得意科目は国語だった。歴史や地理など社会科にも興味はもったが,数学はゼロ,英語も苦手だった」と告白していた。

 ということで,それまで感じていた点に関して,道理で納得できうる理由がみつかった。

 その点はさておき,本日〔5月14日〕に配達された『日本経済新聞』朝刊の岸 惠子の「私の履歴書」のつづき(13回目)をよんでいると,つぎのような文章が出てくる段落があった。話題の都合上,いきなりつぎの箇所を引用する。

 その私に「亡命記」を観たというフランスのイヴ・シァンピ監督から「長崎の台風」への出演依頼の電報が届いた。彼の「悪の決算」を2度も観て感激していたので急きょ,フランス語習得のため,パリに移った。目まぐるしい変化に私の好奇心は燃えた。

 

 大船撮影所からロンドン,ロンドンからパリ,英語からフランス語。私の生活環境はいちじるしく変わっていった。驚いたことに出演が決まった「長崎の台風」のプロデューサーから,額は忘れたが莫大な出演料の一部をいただいた。それを3カ月滞在のパリで全部使いはたしてしまった。

 

 帰国の日,エールフランスのカウンターで私は必死に抗議していた。のみの市で買い集めた大量の骨董品のせいでひどい超過料金を請求されたが私はすでに文無し。隣に英語でチェックインする大きくて強そうな人がいた。

 

 「お隣の男性,私の体重の3倍はあると思います。私と荷物を全部合わせても,彼の体重にはなりません」。「体重と荷物は別です」。必死な陳情のすえ,日本で後払いすることで決着した。

 

 のちに「忘れえぬ慕情」(「長崎の台風」から改題)の撮影中だった私に「僕は朝鮮人です」という手紙が届いた。「僕はあなたがパリの空港で『私の体重の3倍はある』と抗議なさった時の男です。力道山といいます……」。

 

 プロレスというものは観たこともないけれど,このころの私には摩訶(まか)不思議な偶然や出会いが重なった。

 このあとにつづいて岸 惠子の書く「明日の記述」がどうなるかはともかく,以上のように,いきなり力道山が登場したのには少し驚いた。しかし,それよりもっと驚いたのは,彼が「僕は朝鮮人です」という手紙が,あとで岸のもとに届いた,という話であった。

 力道山は,現在の北朝鮮を故郷(出身地)とする。敗戦前のこととなるが,力士として有望だとして現地で日本人にみいだされ,日本に来てから戦後,関脇にまで昇進した。だが,突如,廃業してプロレラーの道に転身していき,その後において,日本にプロレスというスポーツ業界を本格的に築き上げていく人生を歩んだ経歴は,高齢者の人びとであれば,だいたいがよくしる事情であった。

 ところが,その力道山は自分が朝鮮人(のちは韓国人)である事実を,どういうわけがあったか,徹底的に隠す人生を過ごしてきた。このあたりの問題に関する精神分析学的・社会心理学的な,あるいは差別社会学的・歴史社会学的な分析は,最近となってようやく,ほぼ学術的な水準にまで高められた研究書の公刊によって実現していた。

 前後して述べている “問題の焦点” には,力道山の「祖国・出身地隠し」の意図や背景がある。岸 惠子との前段のごとき邂逅話の1件は,日本の国外に出向いているときの「彼の心理を理解する」ための「ひとつの材料」になりそうである。

 b) 岡村正史『力道山と日本人』青弓社,2002年という本があったが,この著者である岡村はその後,『力道山-人生は体当たり,ぶつかるだけだ-』ミネルヴァ書房〔日本評伝選〕,2008年という本も書いていた。さらには,『「プロレス」という文化-興行・メディア・社会現象-』ミネルヴァ書房,2018年も公刊しており,社会学的な観点から力道山を総合的に解明するための努力をつづけ,それなりに意義ある貢献してきた。

 補注)粂川麻里生(慶応大教授)「『プロレス』という文化  岡村正史著」『BookBang』2019年1月27日,https://www.bookbang.jp/review/article/563083(元記事は Chunichi/Tokyo  Bookweb)が,参考になる意見を書いている。

 今日の話題は,1950年代後半(正確には1956年中の出来事),フランスの空港で岸 惠子が偶然に出会った力道山の存在に言及していた事実にある。力道山が当時,岸のことをしらなかったか,あるいはある程度は女優として映画で観たことがあったかは,ここではひとまずどうでもよく,ただあとになってからであったけれども,彼が彼女に手紙を出したそのなかで,「僕は朝鮮人」という事実を伝えていた点に注目する。

 そして「僕は」「力道山といいます……」と名のっていたのであった。ということは,その時点で岸 惠子のほうはまだ,力道山の存在をしらなかったという関係になりそうである。いずれにせよ,力道山は海外で岸に遭遇したさい,なにやらずいぶんだといえばいいのか,それともどう受けとめたらいいのやら,自分の体格との比較をフランスの空港で突如されてしまい,それ相応に不快な気分になっていたのかもしれない。否,美しい東洋人(日本人)の女優との邂逅:出来事であったなかでの一件だったゆえ,それほど不愉快な思いはしないで済んでいたのかもしれない。

 つぎの画像資料は『映画ファン』昭和31〔1956〕年10月号に掲載されていたものである。1956年中における「岸 恵子と力道山」との,このような仕事面での出来事も含めて,できれば月・日の単位についてまで時系列的にその前後する順序が分かるといいのだが,ここでは,その細かい点は不詳である。多分,フランスの空港でこの2人が偶然出会ったあと,日本においてはなにかのきっかけがあって,すでに既知になっていた2人は,この画像資料のごとき写真を撮影し,映画雑誌に載る仕事をすることになったと観るのが,順当かもしれない。すでに2人はともに有名人であった。

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 出所)https://www.pinterest.jp/pin/661607001487483794/
 補注)なぜかよく分からないが,ともかく,検索してみたらこの画像が出てきた。1950年代だと思われるが,いつごろの写真が判然としないのでさらに調べたところ,『映画ファン』昭和31〔1956〕年10月号に掲載されていた写真であることは,すぐに分かったなお,岸の体重12貫とは45キログラム。身長は161㎝。力道山は1963年12月15日に死去している。

 だが,ともかくこの岸 惠子の「私の履歴書」内における「力道山に関した発言」は,きっと岡村正史も見逃さないものと勝手に予測しておく。力道山は,日本国内に居るときは,神経質になるほど「自分の出自:朝鮮人を隠していた」。

 岡村『「プロレス」という文化-興行・メディア・社会現象』2018年は,第2章「力道山研究という鉱脈」の3「力道山,プロレス,デビューまで」のなかで,小項目の見出し文句を「出自をめぐって」「明かされる出自」「力道山『神話』の誕生」として設け,こう論及していた。

 要は,「力道山はあくまで自分が日本のプロレスを創始したという『神話』を創りたかった。力道山の歩みに関してはこの種の『神話』がつきまとう」のであった(57頁)

 力道山は,1956年に海外で出会った日本人の岸 惠子には,ごく自然に「僕は朝鮮人です」と応えていても,日本のプロレス業界史を展開していく過程のなかで,なおかつ,未来における「自分の位置づけ」を神話化したかったゆえか,日本国内では徹頭徹尾,出自を隠していた。

 もっとも,力道山には日本人としての国籍もあった。「あった」というよりは,支援者が彼の日本国籍を「就籍」してくれておいたのである。くわしい事情はここでは触れないことにするが,最近では混血系のスポーツ選手(アスリートたち)を,できればその全員を,日本国籍(日本人?)にしておきたい思考方式(感性的な志向性)を想起するとき,その原型が前段のごとき力道山の生き方にみいだしてもよい,とも考えられる。

 c) 力道山の問題は歴史的な視野にまで広げて考えるさい,旧日本帝国時代の置き土産であったという側面(経緯)からも観察できる。本田靖春『私のなかの朝鮮人文藝春秋1984年は,こう述べていた。いまから36年も前の記述であるが,いまどきのネット空間における在日差別の,その口汚く下劣な「偏見と差別の意識構造」の歴史的な源泉が,この文章からも感知できる。

 在日朝鮮人の置かれている立場からみると,差別構造は戦前とまったくかわらない堅牢さで生きつづけており,その点,戦後日本はいささかもかわるところがない。無知のなせるわざか,故意によるものか,われわれ日本人は,われわれの社会が抜きがたく抱えこんでいるこの不正に,目を向けることも,声もあげることも,ほとんどしなかった(88頁)

 もちろん,本田がそのように,日本社会の頑迷・固陋な在日差別を語っていた時期から現在に至っては,すでに大きく変化し,改善された要素が数多くある。だがそれでも,いまもなお,いっこうにあらたまらない基盤的な問題も残されたままにある。昨今,嫌韓・嫌中ということばがあるように,いまだに「差別構造は,日本人の手によってつくられた。したがって,『在日朝鮮人問題」は,疑いなく『在日日本人』の問題なのである」(88頁)事情を,まったく理解できない日本人たちが大勢いる。

 仮に,歴代首相のなかでは最低・最悪・最凶との悪評紛々でありつづけていて,間違いなく後世の歴史のなかにおいても,そのようにしか記述されえない〈予定〉である安倍晋三首相のことを,その祖先は「在日だ,朝鮮ではないか?」「だから……,〒%$#*x@ ÷ だ!」とわざわざ誇張的に指摘しておき,しかもそれだけでもって,なぜか喜びたがるような風潮までが,日本社会のなかを寒々しく吹き抜けている。

 たとえばネット空間においてだが,なにかにつけては「あれも在日,これも在日だ」といいつのっているうちに,そのうち,有名人・著名者には “純ジャパが皆無になりそうな雲行き” さえ感じられるとなったら,これでは笑い話にもならない。しかし,21世紀の日本社会のなかには混血系の日本人(それも日本生まれで両親の片方が外国〔国籍〕人)だという人びとは,いくらでもいる。

 芸能人・タレントでいえば,テレビ出演系でめだつ彼らは,主に白人種との混血系が多く,つぎにアジア系とのそれが多いが,黒人系はほとんど出てこない。もっとも,最近はごくたまにテレビに登場するだけだが,一時は芸能人として大もてであった黒人のサンコンは,もともとアフリカ系の1世であり,以上の話題の筋書きからはひとまず外れる。

 力道山の場合は隣国「朝鮮(韓国)」の出身だから,日本人に「化ける」には最高に(!)「偽造・捏造・安倍晋三」しやすかった。しかし,そうしたところで,力道山がもともと朝鮮系の人間である事実になにも変わりはない。

 ところで,なぜ,岸 惠子はヨーロッパで女優として人気が出ていたのか? ここではその “疑問の指摘” だけにとどめておくが,それなりに確かな,特定のなにか理由があったはずである。

 大山倍達のことも書くと冒頭,要約の箇所で挙げていたが,今日は論じないで,明日以降の続編をもって書くことにしたい。

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【2020年5月15日 記】 その続編は以下に記述した。

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