新型コロナウイルス問題への対応よりも非常に困難である原発事故の後始末と廃炉の問題

新型コロナウイルスに対して人類・人間は嫌々ながらでもなんとか付きあっていけそうであるが,原子力原発との付きあいはすでに破綻している,その証拠は現実に出そろっている

 

  要点:1 いまだに後始末も廃炉も見通しがついていない東電福島第1原発事故現場

  要点:2 それでも原発事故の責任をまともに追及しない旧・原子力村的な体質そのままである司法,黒川弘務東京地検検事長検事総長になったら「原発問題」もいたずらに放置・容認されるのか


 「〈科学の扉〉東日本大震災10年へ  福島第1デブリの正体  スリーマイルより不均一」朝日新聞』2020年5月18日朝刊15面「扉」

 この記事のような解説がときおり顔を現わすが,その内容はいつも決まっているかのようにしか読めない。2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災とこれに随伴して惹起された東電福島第1原発事故は,その後において足かけ10年の歳月が経過してきた。

 ところが,原発事故現場の状況状は,廃炉だとみなせる作業工程にまではまだ進んでいない。というのは,原発事故そのものに関した後始末に相当する作業処理が,完全に終わったといえないからで,現場の事情に関してはそのように理解するほかない事情が残されている。もっとも,その「後始末」という作業の内容そのものが,はたして具体的にという意味で適切に説明しきれたり,工学的にも「廃炉工程」から具体的に区切って定義できたりするのかといえば,まだ疑問があった。

 いずれにせよ,東電福島第1原発事故現場は10年近くが経っており,観た目には物理的には片付いている風景が整備されている。だが,原発のとくに「格納容器⇒圧力容器」という核心部分のその後における状態となるや,いまもなお,その内部の状態が正確に把握できていない。

 というしだいであって,最近になってもときおり大手紙は,この廃炉問題以前の後始末問題について解説記事を用意し,なんどでも掲載・報道することになっていた。以下,本日の当該記事から引用する。

 --東京電力が来〔2021〕年の取り出し開始をめざす福島第1原発の溶け落ちた核燃料「デブリ」。内部の調査や模擬実験などが進み,これまで参考にしてきた米スリーマイル島原発デブリと性質や様子が大きく異なることが分かってきました。

 補注)いうまでもないが,スリーマイル島原発事故(1979年3月28日)は,「国際原子力事象評価尺度(International Nuclear and Radiological Event Scale,  INES)によれば,7段階のうち5段階に当たり,概念的には「事業所外へリスクを伴う事故」であり,具体的には「原子炉の炉心や放射性物質障壁の重大な損傷」と定義される事故に相当していた。

 f:id:socialsciencereview:20200124081249j:plain

 

 f:id:socialsciencereview:20200124081437j:plain

 東電福島第1原発(2011年3月11日)は,7段階のうち一番「深刻な事故」に相当し,具体的な内容としては「原子炉や放射性物質障壁が壊滅,再建不能 」と定義される事故を起こしていた。

 チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)もこの7段階であった。チェルノブイリ原発事故現場は現在「石棺化」された状態で保存(?)されているが,いわば「重大・深刻な原発事故の後遺」を封印した状態を維持していくほかない結果を余儀なくされている。

 だが,東電福島第1原発事故現場においてはまだ,後始末から廃炉工程に進むという経路そのものが曖昧な区分しかできていない状態のまま,おまけに,いつまでも「今後の展望がみとおせない現状」に留めおかれている。

〔記事に戻る→〕 2011年3月,炉心を冷やせなくなった福島第1の1~3号機では,核燃料がみずから発する熱で融点を超える高温になり,溶け落ちるメルトダウン炉心溶融)が起きた。それが冷えて固まったものがデブリだ。原子炉圧力容器や格納容器の底部に溜まっているとみられるが,強い放射線を放つため,ロボットですら容易に近づけない。

 補注)「ロボットですら容易に近づけない」のが「原子炉圧力容器や格納容器の底部」の現状である。それゆえ,そもそも溶融を起こした原子炉の内部が,格納容器と圧力容器の全体として,いったいどのように破壊された状態になっているのか,それもとくに,底部がどれほど破壊されているのか。もしかしたら建屋の基礎まで到達していたり,あるいはそこも通過したりしてさらに地下まで到達しているのかまで,はっきりとは分かっていない。したがって,このあたりについての明確な説明が与えられたことはない。

 一言で「溶け落ちた核燃料」と〔デブリは〕説明されるが,実際にはいっしょに溶けた周りの金属などが混ざったものだ。ウラン燃料が詰めこまれた燃料棒はジルコニウム製の被覆管で覆われ,核分裂を止める制御棒はホウ素を含んだステンレスでできている。1~3号機のデブリの総量は800~900トン,うち3分の2が燃料以外と推定されている。

 実物を分析できず,正体がよくわからない「未知の物質」を取り出すため,研究者らが数少ない前例として頼りにしてきたのが,1979年に炉心溶融事故を起こした米スリーマイル島(TMI)原発デブリだった。だが,ここにきて,その性質が福島第1とは大きく異なる可能性がみえてきた。

     f:id:socialsciencereview:20200518182804j:plain

 手がかりになったのは,2018年に東電が撮影した2号機内部の映像だ。そこには,金属が主成分とみられる堆積物や,溶けきらなかった燃料集合体の部材など,TMIのケースからは予想できないような複雑な状態が映し出されていた。デブリを研究する日本原子力研究開発機構の倉田正輝・炉内状況把握ディビジョン長は「最初はTMIのような壊れ方を想定していたが,単純ではなかった」と話す。

 補注)東電福島第1原発事故現場で,1号機と3号機はそれぞれ別途に爆発事故も起こしており,2号機みたいな調査はおこなわれにくい。いずれも未知の世界に関する調査を放射能に妨害されつつおこなわねばならず,至難の作業に立ちいる段階以前に,現在もなお留まっている。

 補注中の 補注)たとえば1号機について東電側は,関連する現状をこう説明している。

   ◆ 1号機使用済燃料プールからの燃料取り出し ◆

 

 原子炉建屋上部にある使用済燃料プールには,発電に使用された使用済燃料等が貯蔵されています。水素爆発を起こした1号機は,原子炉建屋からの放射性物質の飛散を抑制するため,2011年10月に原子炉建屋を覆う建屋カバーを設置しました。

 

 その後,放射性物質の飛散抑制対策を施し,2017年12月に原子炉建屋を覆う建屋カバー解体が完了しました。現在は,使用済燃料プールからの使用済燃料等の取り出しにむけて,原子炉建屋上部のガレキの撤去作業をおこなっています。

 註記)東電ホームページ『TEPCO』,https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/removal/unit1/index-j.html 

 2019年には2号機内部のデブリの状態がさらに詳しく撮影された。目立ったのは,金属を多く含む「金属系デブリ」の量と多様さだった。原子力機構は,制御棒を溶かす実験でできた物体と,2号機で撮影されたものの外見が似ていることに着目。金属系デブリを3タイプに分類し,それぞれの組成や性質,リスクなどを推定している。

 「ストーン状」は,酸化したステンレスやジルコニウムが主成分。砕けやすく,粉状のウランが飛び散るおそれがある。「半溶融の金属系」は内部のジルコニウムが水蒸気と反応して水素を発生させ,火災を起こす可能性がある。「プレート状」はステンレスがホウ素で硬くなり,切りつるのがむずかしい。

 こうした特徴は,「模擬デブリ」による実験でも確かめられている。実験室でウランと金属を混ぜたものに,ホウ素を加えて高温で溶かしたところ,できた物質は非常に硬くなった。

 原子力機構の鷲谷(わしや)忠博・廃炉環境国際共同研究センター副センター長は「ホウ化物がどこにどれだけあるかで,取り出しがやっかいだと分かる。福島第1のデブリは非常に不均一。取り出しは非常にむずかしい」と話す。

 補注)2020年5月の段階でなお「福島第1のデブリは非常に不均一」「取り出しがやっかいだ」し,「非常にむずかしい」と断わられている。それでは,いったいいつごろになったら,この困難な状況になんらかの区切りがついて,なにかの作業がさらに可能になる時が来るのか? 残念ながらこの点に関した疑問に満足に応えられる材料がない。

 問題はデブリの性質の違いだけではない。事故の規模も福島第1の方が〔スリーマイル島原発と比較して〕ずっと大きい。

 TMIは事故炉が1基だけで,デブリの量は約130トンと福島の6分の1ほど。それも圧力容器内にとどまった。水を張って放射線を遮ることができ,人が近くで作業しやすかった。それでも,取り出しを終えたのは事故の約11年後だった。

 福島第1の取り出しは,国や東電の計画では,まず2021年(事故の10年後)に2号機で数グラムから試験的に始め,2031年(同20年後)を目標に3号機で本格的な取り出しにかかる。いずれも遠隔操作で,いつ終わるかは示されていない。1号機は溶け方がもっとも激しいとみられているが,内部の調査が難航し,デブリの存在をまだ確認できていない。

 補注)こうした,東電福島第1原発事故現場において,廃炉工程にも重なるはずの「後始末問題」は,現時点において10年で単位を区切ったうえで,その工程が少しずつでも進捗させうるという話題になっている。かといって,一定限度の区切りでもいいから,なにか進展が確実にありうる話題になっているわけではない。語られている展望が,いつものことながら実に頼りない。つまり,今後に向けた「現場の作業管理」のおおまかな,つまり10年単位の日程じたいからして,以上のように “非常に先行き不透明である現状” としか語られていない。

 以上,まだ引用中である記事全部の紹介が終わっていない段落ではあるが,ここでは途中でこうもいっておかねばならない。

 『朝日新聞』2019年10月18日朝刊15面「オピニオン」に,「「〈インタビュー〉原発事故の真相が解明されないまま『安全神話』はつづく,元政府事故調査委員長・東京大学名誉教授畑村洋太郎さん」という記事は,原発を導入した当初から「安全神話」がどうしても必要だった事情にからめた話となるが,東電福島第1原発事故に関する事後の理解として,つぎのように語るものであった。

 東京電力福島第1原発事故で強制起訴された旧経営陣3人に,東京地裁は先月,無罪をいい渡した。事故がなぜ起き,防げなかったのかは,いまも十分に解明されたとはいえない。7年前,みずから提唱する「失敗学」の手法で原因究明をめざした畑村洋太郎東京大学名誉教授は「いまも悔いが残る」と語る。「失敗」のわけを聞いた。

 皮肉な表現となるが,畑村洋太郎の「失敗学が失敗する必然性」について,本ブログはすでに論じてきた。原発の問題は,政治経済学の立場からも議論しないことには,必要かつ十分な検討は無理であった。

 「失敗学の失敗」は元来,失敗を前提に入れて十分に検討しえない事例にも対面せざるをえない点も踏まえていえば,原発の事故をこの失敗学でもって論じさせるには,基本的に “不適格性が含まれていた” (力不足であった)といわざるをえない。原発事故に関する裁判も進行中であるが,こちらの問題は後段でとりあげることにし,① の話題に戻ろう。

〔記事に戻る→〕 なぜデブリの性質がこれほど異なるのか。同じ炉心溶融事故でも,福島第1とTMIの炉のタイプが異なる影響で,溶け方が違ったからではないか,と倉田さんらはみている。

 メルトダウンの過程では,融点の低い金属がまず溶け落ち,圧力容器内に残る水で急冷されていったん水面に沿って板状の層をつくる。そこに核燃料が落ちてきて,燃料の上の表面も冷え固まり,殻のように覆われる。やがて下側の層を壊し,さらに下部に落ちる,とされる。

 TMIは加圧水型炉(PWR)で,炉心にある金属の多くを占める制御棒が全体に均等に並ぶ。このため,最初にできる水面に沿った層も均質な金属の板になり,密閉された層のなかで燃料が2500度まで上昇。やがて燃料の自重で板が壊れ,十分に溶けた燃料が一気に圧力容器の底部に流れ落ちた。このため,デブリも均一になった。

 一方,沸騰水型炉(BWR)の福島第1は,PWRと違って制御棒の断面が十字型になっており,炉心の金属の分布にややムラがある。水面に沿った板状の層にはすき間ができ,そこから入る水蒸気のせいで,核燃料の温度は2200~2300度に留まる。燃料は溶けきらず,固体が混ざった粘り気のある状態でゆっくりと落下した。このため,デブリは不均一になり,金属の割合も多くなる。落ちた金属と圧力容器の金属が反応し,容器の底に穴が開いたとみられるという。

 ※ 2号機で実物を分析 ※

 2号機でデブリの試験的な取り出しが始まると,実物の分析ができるようになる。これまでの研究成果と照らし合わせることで,より広範囲のデブリの性質も推定していく。本格的な取り出しに向けて,多様な性質やリスクをふまえた安全対策や装置開発,訓練などにつなげるという。(引用終わり)

 読んでのとおりの記事であった。隔靴掻痒だらけの解説記事であった。もっとも,現在においても,分からないことだらけである事故現場の様子に関してだから,多少の説明になってはいるが……。

 けれども,原発(原子炉)内部〔圧力容器⇔格納容器〕が,いったいどのような状態になっているのかについては,現場でさえよく把握できておらず,殺人(瞬殺)的な放射線が飛びかう原発内部を ,“手探りにもなっていない粗末な調査の方法” でもって,なんとか最低限の情報を断片的に入手できているに過ぎない。

 再度触れておくと,以上が2011年3月中旬に発生した東電福島第1原発事故現場の,現在:2020年5月中旬段階までにおいて把握できている状況である。単に前途多難だなどと形容して済ませられる「事故現場の現況」ではない。

 

  東電福島第1原発事故裁判

 『日本経済新聞』2020年4月20日朝刊22面「社会」に「風紋」という連載名を付けられた調査記事が掲載されていた。これは「原発事故9年,長すぎる避難の歳月」と題して,この問題について,これ以上「長い年月を要してはいけない」とむすんでいた。東電福島第1原発事故の被災者となった福島県民たちは,まるで敗戦時の帝国臣民のような扱いを受けていた。それゆえなのか,「3・11」は,日本国にとって「第2の敗戦」だと形容されてもいる。

 さて,2019年10月6日の『朝日新聞』社説は「原発事故控訴 疑問に答える審理」と題して,こう主張していた。

 福島第1原発の事故をめぐり東京電力の旧経営陣3人が強制起訴された裁判で,検察官役の指定弁護士が控訴した。無罪を宣告された者を被告の立場に置きつづけることの是非については,かねて議論がある。だが,東京地裁の無罪判決には承服しがたい点が多々見受けられ,指定弁護士が高裁の判断を求めたのは理解できる。

 

 たとえば,判決は「事故を防ぐには原発の運転を停止しておくしかなかった」と断じている。指定弁護士は,防潮堤の設置や施設の浸水防止工事,高台移転などの方策にも触れ,その実現可能性について証人調べもおこなわれた。しかし判決は,詳細に検討することなく退けた。

 

 結果として,社会生活にも重大な影響が及び,きわめてハードルの高い「運転停止」にまで踏みこむ義務が元幹部らにあったか否かが,判決を左右することになった。被災者や複数の学者が疑問を呈し,「裁判所が勝手に土俵を変えた」との批判が出たのはもっともだ。

 補注)日本の裁判所において原発事故などの問題を担当した裁判官たちが,原発推進派の立場である国家・電力会社に非常に有利な判決を出しつづけてきた事実が記録されている。もちろん,「3・11」以後にはそうではない〈逆の判決〉を出した裁判官もいるが,こと原発裁判になると過去においては,国家・電力会社側の立場を全面的に尊重した判決しか下されていなかった。それはそうである。

 

 国策民営でもって地域独占・総括原価方式の企業形態・経営管理まで認められてきた原発事業であった。その結果,「安全神話」などとは無関係に現実に起きていた原発事故の顛末であっても,国家側の司法体制が,あたかも全面的に擁護する経過をたどってきた。しかし,それでも「3・11」は,そうした原子力村的な国家事業体制下に庇護されてきた原発事業に対して,決定的に大きな衝迫を与えた。

 

〔記事:社説に戻る→〕 原発の安全性に関する判断にも首をかしげざるをえない。判決は,国の防災機関が2002年に公表した「三陸沖から房総沖のどこでも,30年以内に20%程度の確率で巨大地震が起こりうる」との見解(長期評価)の信頼性を否定した。根拠として,一部に異論があったこと,電力会社や政府の規制当局が事故対策にこの見解をとり入れていなかったことなどを挙げた。

 

 一体となって原発を推進した国・業界の不作為や怠慢を追認し,それを理由に,専門家らが議論を重ねてまとめた知見を否定したものだ。さらに判決は,当時の法令は原発の「絶対的安全性の確保」までは求めていなかったとも述べた。

 

 万が一にも事故が起こらぬように対策を講じていたのではなかったのか。巨大隕石(いんせき)の衝突まで想定せよという話ではない。実際,この長期評価をうけて,東電の現場担当者は津波対策を検討して経営陣にも報告し,同じ太平洋岸に原発をもつ日本原電は施設を改修している。こうした事実を,地裁は適切に評価したといえるだろうか。

 

 組織や人が複雑に絡む事故で個人の刑事責任を問うのは容易ではない。有罪立証の壁の厚さは織りこみ済みだったが,問題は結論に至る道筋と理屈だ。

 

 政府や国会の事故調査では分からなかった多くの事実が,公判を通じて明らかになった。判決には,それらのひとつひとつに丁寧に向きあい,事故との関連の有無や程度を人びとに届く言葉で説明することが期待されたが,それだけの内容を備えたものになっていない。高裁でのレビューが必要なゆえんである。(引用終わり)

 現在おこなわれている東電関係者に関する原発裁判は,あくまで強制起訴で起こされており,検事役には指定弁護士が就いている。つまり,通常の裁判として先行していた原発事故関連の裁判では,事故発生当時の東電幹部たちが「無罪」の判決をえていた。

 原発事故そのもの関していうと,東電側に対して免責事項が付されていた。とはいえ,公序良俗の理解度,つまり,ごくふつうの常識感覚から観て,とうてい許容できるその無罪判決ではなかった。

 「3・11」のころまで,電力会社側は「安全神話」を喧伝し,原発に重大な事故など発生することはありえないと主張してきた。そうであったならば,『当時の法令は原発の「絶対的安全性の確保」までは求めていなかった』という裁判所側の判断は,いちじるしく均衡を欠くものであった。

 

 地震・大津波の襲来は日本列島の宿命

 日本という国は地震国であるという地理的な特性をもち,大地震とともに海域で発生し,襲来する大津波の被害は,当然予想しておかねばならない。大地震と大津波が不可避の自然現象である事実は,とくに大地の歴史のなかに明確に記録されている。

 だから,たとえば『朝日新聞』2020年4月30日朝刊15面「科学」が,つぎのような解説記事を掲載していた。「3・11」の大震災のさいにともなって襲来した,大津波の2倍の高さにもなる高大な津波が話題になっている。

 ところが,東電は「3・11」以前に,このようなとくに大津波の被害を受ける可能性がある事実を,内部における関連の情報理解としては,けっしてしらなかったわけではなく,それじたいについてならばが周知であった。

 要は,企業経営の採算管理の視点:利害を最優先した結果,その自然史=災害史が明確に教示する「事実の問題」に,あえて目を閉ざしていたに過ぎない。まさしく「東電福島第1原発事故」が人災たるゆえんであった。「3・11」のときは,東北電力女川原発が同じ高さの大津波の襲来を受けていたが,こちらは対策が生きて,大事故には至らなかった。

  ★ 堆積物が導いた津波予測 北海道~東北,M9超地震で最大29.7メートル ★
     =『朝日新聞』2020年4月30日朝刊15面「科学」=

      

 北海道から東北の太平洋沖で巨大地震が起きると,北海道から千葉県までの広い範囲で津波が予想され,その最大高は30メートル近くに達する。そんな被害想定を国の有識者検討会が公表した。想定のもとになったのは,地層に刻まれた過去の津波の堆積(たいせき)物だった。

 

       f:id:socialsciencereview:20200518125757j:plain

 検討会は〔4月〕21日,東日本大震災震源域より北側の日本海溝と,さらに北に連なる千島海溝を震源に設定。日本海溝マグニチュード(M)9. 1,千島海溝でM9. 3の地震がそれぞれ起きると,岩手県宮古市で最大29. 7メートル,北海道えりも町で最大27. 9メートルなどの津波が押し寄せる可能性があるとした。震源によっては東日本大震災の倍の高さになる場所もあった。

 

 検討会座長の佐竹健治・東大地震研究所長は「過去に実際に起きた最大級の津波をもとに想定しており,蓋然(がいぜん)性が高い。住民の避難を軸に,津波対策に活用してほしい」と話した。今回の想定の根拠となったのが,津波で陸上に打ち上げられた各地の堆積物だ。

 

 津波が陸地を襲うと,引いた跡に海の底にあった泥や砂などが地層として残る。これを津波堆積物という。堆積物そのものや,その上下の地層を調べることで,津波がいつごろ来たのか,陸地のどれくらい奥まで水につかったのかなどが分かる。

 

 北海道や東北の地震津波は,文献が多く残っている南海トラフ地震と違って,古文書などの記載が少ない。一方,広い平野が農地などとして掘り返されずに残っているため,津波堆積物を調査しやすかった。地層には過去に火山が噴火したさいの火山灰も残っていて,時代も特定しやすかった。

 

 北海道や宮城県では早くから調査が進んでいたが,震災後に堆積物の重要性が再認識され,各地で調査が進められてきたという。検討会メンバーで,堆積物の調査を続ける平川一臣・北海道大名誉教授は「古くから人が住み,地面がなんども掘り返された地域は津波の痕跡が消えてしまう。これほど広い範囲で堆積物の調査が総合的にできているのは世界でここだけだろう」と話す。

 

 調査の結果,17世紀の地震では北海道・十勝付近で内陸6キロまで津波が押し寄せたほか,岩手県野田村の沿岸部は過去7千年間で18~20回の津波に襲われていたことなどもわかった。

 

 国の検討会は今回,北海道や東北でみつかった過去6千年間の堆積物のデータを検討。極端な例を除き,どんな地震の規模と震源だったら各地これほどの堆積物が残るのかを逆算して,過去最大級の津波の高さを再現した。

 

 平川さんは「津波堆積物を丹念に追えば,津波の挙動がわかる。局所的な堆積物のデータを使った想定はこれまでにもあったが,これほど広い範囲で使った想定は初めてで,画期的。防災計画に役立ててほしい」と話した。

 

 課題は,日本海溝のうち東日本大震災震源域より南側で起きる地震だ。東北南部や関東地方は,開発によって津波堆積物を調べられる場所が少なく,今回は試算しきれなかった。検討会は「今後の課題」としている。

 以上のごときに,千年もの視野に立ち,百年単位の視座でもって検討し,予測しなければならない大地震と大津波の問題は,電力会社にとってみれば,その営利の観点からは考慮などしたくなかった関連要因である。だが,現実に「3・11」の発生は,自国の災害史が記録してきた自然の特性を無視すると,いったいどのような “人為的な災害” になってしまうかを,文字どおり痛撃的に教えた。

 「女川原子力発電所が助かった理由」『原子力,エネルギー,放射線についての解説』2012年10月12日,http://oceangreen.jp/kaisetsu-shuu/Onagawa-Tasukatta-Riyuu.html  という記述は,大企業経営者の責務を電力会社における事例として,つぎのように解説していた。

 東京電力においては,この東北電力に居た人物に相当する人材がいなかった。それだけのことであった。そうであったにせよ,その違いが実は,大震災・大津波が発生した事態に直面させられたさい,重大な岐路を提供しうるか否かという点の違いを生んでいた。

 a)貞観地震

 福島第1原子力発電所の事故原因が議論されるなかで,869年の貞観地震が話題として登場した。これは,2011年3月の少し前の時期に地震の影響を検討する委員会で貞観地震が採り上げられたと報道された。貞観地震についての知見はきわめて最近のことと解釈されていた。

 その結果,東京電力の関係者が新しい知見を原子力発電所の安全対策にすぐに盛りこむことはむずかしかっただろうとも考えられた。しかし,女川原子力発電所の関係では,貞観地震の存在がかなり昔からしられていた。

 b)「勇気あるサムライ 平井弥之助氏」

 平井弥之助の勇気ある行動があった。女川原子力発電所は福島第1原子力発電所よりもあとの時代に建設された。設計は今から40〔50〕年ほど前のことである。いまから40〔50〕年前の時点で,東北電力の人びとは貞観地震で発生した津波のことを調べていた。

 平井は,ほかの人たちが想定した津波の高さよりも高い津波に備えることを強く主張し,自分の意見を実現させた。その結果,女川では主要施設が標高 14. 8mに建設された。巨大地震,巨大津波を想像する柔軟な思考,信念を曲げずに他を説得する情熱・説得力を備えた人材が存在したことを忘れてはならない。

 f:id:socialsciencereview:20200518093852j:plain

  出所)ウィキペディアから。

 c)「平井弥之助氏,女川原発津波から守った1人の男性から学べること」

 宮城県石巻市女川原発は,福島第1原発と同じく東北の太平洋沿岸に立地し,東日本大震災では高さ13 メートルの大津波に襲われたにもかかわらず,福島第1原発のような事態に陥ることはなかった。津波から女川原発を守ったのは 1986 年に亡くなった元東北電力副社長平井弥之助であった 。

 869 年の貞観津波を詳しく調べていた平井は,女川原発の設計段階で防波堤の高さは「12 メートルで充分」とする多数の意見に対して,たった1人で「14.8 メートル」を主張しつづけていた。最終的には,平井氏の執念が勝り14.8 メートルの防波堤が採用された。

 その40年後に高さ13メートル津波が襲来した。平井はさらに,引き波による水位低下も見越していたとのことで,取水路は冷却水が残るよう設計されていた。

 d)「決められた基準」を超えて「企業の社会的責任」「企業倫理」を追求しつづけた平井の姿勢は,敬服に値する。

 --東北電力の平井弥之助に比べて,いまも裁判が進行中なのであるが,「3・11」原発事故の関係で被告となっていた勝俣恒久・元会長(80歳),武黒(たけくろ)一郎・元副社長(74歳),武藤 栄・元副社長(70歳,年齢は2020年に多分迎えるそれぞれ)たちは,いまも逃げの一手である立場に終始している。

 f:id:socialsciencereview:20200518094134j:plain

  出所)asahi.com,2019年9月19日。 

----------------------------