新型コロナウイルス感染拡大「問題」にまともに対処できていない「国の民」の哀れ,「世襲3代目の政治屋」が仕切れない現状

新型コロナウイルス問題で露呈した「科学精神を欠いた政府:内閣」と「実践的な理論不在の医学専門家」,しかも,双方がマイナスの相乗効果的に輻輳させてきた「日本におけるコロナウイルス感染実態」のアイマイ化にみる現実遊離
憲政史上「最悪・最凶の政治屋」であった総理大臣安倍晋三は,コロナウイルスが相手となるや,お得意の「やってる感」がまったく通用せず,結局は茫然自失の日々を無為に過ごすだけでなく,国民・庶民たちが追いこまれている日常生活をまったく理解できない感性(=痴的限界)を,惜しみなくさらけ出してきた
だからか,適菜 収『国賊論-安倍晋三とその仲間たち-』KKベストセラーズ,4月30日は,その政治屋としての本性・資質をボロクソにダメ押しする

 

  要点:1  「こんな人」が第2次政権を組んでから7年と5ヵ月もの長期間,総理大臣を務めて(!?)きたのだから,この国がおかしくならないわけがなかった

  要点:2 世襲3代目のお▼カ政治屋」が,いざ緊急事態を迎えるといかほどそのダメさ加減を露呈させるか,国民・庶民たちは嫌というほど思いしらされている


  安倍晋三:政治家(屋)としての無能・無策ぶり

 以下は,豊永郁子・稿「〈政治季評〉コロナ禍,世界の中の日本 行動力も理解力もない政府」『朝日新聞』2020年5月21日朝刊11面「オピニオン」の紹介と吟味である。

※筆者紹介※ 「とよなが・いくこ」の専門は政治学早稲田大学教授,著書に『新版 サッチャリズムの世紀』『新保守主義の作用』。

 a) 新型コロナウイルスによって世界中が同じ危機と対峙したことで分かったのが,日本政府の能力の低さだ。なにしろ政府が行動しない。2月以来問題になっていたPCR検査の実施件数が,諸外国と比較して驚くほど低い水準にとどまりつづけていることが,これを端的に物語っている。政府にはなんとかしようという気は起こらないらしい。それはロックダウンへの態度からもうかがわれた。

 日本に感染爆発の徴候がみえた4月1日,安倍首相は「フランスのような(罰則を伴った強制力による)ロックダウンはできない」と言明した。すでに世界の過半数に及ぶ100以上の国が市民の外出禁止や移動の制限,店舗等の閉鎖命令などからなるロックダウンをおこなうなか,一種異様な言明であった。というのも,ロックダウンは感染爆発の抑えこみと防止のきわめて重要な手段であり,必要時に「できない」では済まない。

 そして現行法がどうあれ,立法によれば可能だ。引き合いに出されたフランスの例でも,政府がまず公衆衛生法の条文を根拠に政令を出し,ただちに議会が「公衆衛生の非常事態」法を制定して政府の権限を明確化し,罰則も強化,休業補償も定めた。首相がほのめかす憲法改正の必要などむろんない。問われるのはひとえに政府の,そして議会の行動力なのだ。

 補注)そのとおりである。日本の場合,いままでにおいて「問われてきた政府・議会の行動力」は,どういう経過を記録してきたか? この点は,本日の記述全体を通して考えていく論点となるが,安倍晋三という「いまの首相」は,コロナと戦わねばならないという緊急事態が発生したという「有事・非常時」に対峙させられているにもかかわらず,一国の最高指導者としての覚悟や決意に相当するなにかを,国民・庶民たちに向けてまともに発信できていなかった。いうなれば,「安倍1強〔凶・狂〕」の本質があらためてだが,真正直に暴露された。

 もっとも,自分だけの「やってる感」だけならば「得意中の得意の特技」としてもつ首相ではあったが,今回のごとき緊急事態に本当に迎えたときこの人,まるで腰抜け同然の指揮ぶりを披瀝していた。まともではない政治家のことを「政治屋」と呼ぶが,すでにその種の「世襲3代目のお▼カな政治屋」としてならば,確固たる世評をえている安倍晋三君であっただけに,その地がただそのままに剥き身になっただけだといっておけばいいのか。

 そのせいか,安倍晋三なりに「国家最高指導者の立場」を演じているつもりであっても,新型コロナウイルス感染拡大「問題」に襲来されて以来みせてきた彼の姿は,結局,うろたえたかのような言動に終始していた。

〔記事に戻る→〕 さらに政府は,外出等の自粛の要請によりロックダウン下に近い状態を実現しうる緊急事態宣言を,4月7日(全国には16日)まで出し渋り,知事がおこなう休業要請の範囲も狭めようとした。自治体の間では,行動しない政府を見切り,緊急事態宣言の法的枠組みによらず独自に外出や移動,経済活動を抑制する動きが起こったが,無理もない。

 b) 無能でやる気のない政府のせいで死にたくないと思ったのは私だけではないだろう。政府の行動力の不足によって,PCR検査やロックダウンといった世界が標準的に用いる手段が封じられていた事実は重い。防げた死もあっただろう。

 政府の理解もあやしかった。首を傾(かし)げたのが,2月27日の全国休校措置に関する説明だ。この措置には学校が媒介する感染拡大を防止する意味があったが,新型コロナウイルスによる子供の発症例が極端に少ないことがしられるなか,首相は「なによりも子供たちの健康,安全を第1に考え」たと説明した。

 補注)いままでのところでも「感染者数ゼロである岩手県」までが学校を休校にされた措置は,完全に間違いであった。この当たりの問題点に関して,安倍晋三が首相である立場からどう考えていたのか,われわれにはまったく不詳である。

 首相レベルでのこうした理解の危うさは,首相のみならず首相に助言する官僚と専門家の能力を疑わせた。大臣・省庁のレベルでは医療や自治体の現場の状況,個人や事業者の経済的困難を理解するのに時間がかかり過ぎ,政府の諮問を受ける専門家たちには科学者らしからぬ曖昧さと一貫性の欠如が目立った。

 補注)安倍晋三という何流かしらぬがこの政治屋は,国家官僚集団や医療専門家たちをまったく使いこなせていなかった。首相自身の政治家としての能力の小ささが,官僚や専門家の能力や専門知識を最大限に活用する方途を,みずから妨げていた。この首相の周りにとりついている官僚たちは優秀ではあっても,忠誠心は国家に対してではなく安倍晋三という首相「個人」に向けられているかぎり,その能力を有効に発揮できるわけもなかった。

 医療専門家たちも同然であって,彼らは実は自分たちの抽象的な医学理論の蓄えや備えはあっても,目前に襲来している新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する実践応用的な理論感覚や挑戦するための意欲を完全に欠いていた。

 もっとも,あの首相の程度のことであるから,その種の重大な自分たち側に「固有であった〈欠落〉」を,「彼らは」突かれることもないまま,もっとも肝心である感染症にかかわる「因果関係」,つまりその「目的-手段の連鎖性」が不確かな対策を,悠然と提言したあげく実施させていたのである。

 とりわけ「8割外出自粛」説はその典型的な意見であって,新型コロナウイルスの問題に対して疫学的に予防を徹底させるという観点をめぐり,総合的な対策をどのように講じればいいのかに関した手順は用意されないままで,いわば漫然と外出が「8割ならば・・・・(良くなるだろう),これが7割だと・・・・(悪くなるだろう)」という想定話が先走るだけの見通しに賭けていた。

 c) ところで4月15日,〔その医療〕専門家の1人が,まったく対策がない場合,新型コロナウイルスによる国内の重篤患者は85万人に上り,半数が死亡するという試算を発表した。重篤患者とは人工呼吸器が必要な患者だが,国内には利用可能な人工呼吸器が1万3千台しかないと述べ,予想される死者数はさらに大きいことを示唆した。

 この種の試算は危険の大きさと対策の意義への理解を助けてくれる。そして世界の動きに明るい政府ならば,3月20日に学校再開とイベント解禁を決め自粛ムードを緩める前に考慮しえていたはずのものだ。4月7日の緊急事態宣言も,同日決定された緊急経済対策も,もっと早く出て,中身も違っていただろう。

 というのも,同種の試算がすでに3月16日に英国の研究者たちにより発表され,世界を震撼(しんかん)させていた。試算は,まったく対策がなければ数カ月の間に英国で51万人,米国で220万人が死亡し(医療のパンクによる死は含まない),当時多くの国でとられていた感染拡大のスピードを抑える対策では,この死者数を半減させうるに過ぎず,医療崩壊も防げないとした。

 〔そして〕ロックダウンなどによる強力な封じこめが必要だが,ワクチンが用意されるまでの最短でも18カ月間は対策を緩めるとまた感染拡大が始まるという状態になるとする。それまで感染拡大を容認していた英国のジョンソン首相と米国のトランプ大統領は即日,ロックダウン路線に転じ,多くの国が続いた。

 d) 英国で51万といえば第2次世界大戦での死者数を上回り,米国の220万は米国史上最多の死者を出した南北戦争の2回分を超える。単純に人口比で考えれば,世界全体の死亡者数は5千万以上となり,第2次大戦に迫る。ちなみに日本の第2次大戦での戦死者は230万人,民間人の犠牲者は80万人だ。

 なるほど,世界大戦規模の災厄を避けるためであれば,各国の政府はロックダウンでもなんでもするであろう。日本の政府がこの間,緊急事態宣言や緊急経済対策でみせた経済活動継続へのこだわりや支援金の出し惜しみなど,問題になるべくもなかった。

 さて,ロックダウンのモデルでは経済活動は最大限停止,社会は助け合いモードに切り替わる。その先に新しい社会の可能性をみた人もいる。経済活動を最大限継続し,各自,自助努力で自粛経済を生き延びよとした日本は異質だ。長期化する感染対策と世界同時不況,経済社会の大変容に,これでは皆は耐え切れまい。(引用終わり)

 新型コロナウイルス感染による死亡者数に関しては,アジアとこれ以外の地域ではだいぶ事情が異なる。ウイルスの違いがあり,また関連する免疫がアジア諸国の人びとには備わっているようだという見解もある。

 なかでも,日本は10万人当たりの死亡者数が少ないと自慢するかのような口調で語る識者もいた。しかし,そこまでいうのであれば,つぎのような指摘にも答える必要がある。2020年5月5日時点の指摘として,こういう意見があった。② の項目として記述する。

 

   辺 真一・稿(ジャーナリスト,コリア・レポート編集長)「人口10万人当たりの死亡者数は日本は少ない」は本当!?」『YAHOO!JAPAN ニュース』2020/5/5 9:43,https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20200505-00176995/

 西村康稔経済再生相が昨日〔5月4日〕,「日本は人口10万人あたりの(新型コロナウイルス感染者の」死亡者の数は世界に比べて少ない)と発言していた。日本の感染対応が他の国に比べれば「うまくいっている」とでもいいたいのか,なんの慰めにもならない。

 (中略)

 他国と比較するならば,自分よりも成績の良い友達を引き合いに出して,反省し,がんばらなければいつまで経っても成績は上がらない。そもそも,1000人当たりのPCR検査数では米国は 16. 3,ドイツは30. 4という具合に,欧米諸国は 1. 9の日本とは比較にならないぐらい多くおこなっているので感染者,死亡者が多いのはある意味では避けられない。

 日本は人口10万人あたりの死亡者の数がけっして少ないとはいえない。そのことは累積で1万人以上の感染者を確認している同じアジアの国々と比較すると分かる。

 日本は人口1億2596万人に対して死亡者は549人だが,日本よりも2倍も人口の多いインドネシア(2億6189万人)の死亡者は845人である。また,2億人以上の人口を抱えるパキスタン(2億777万人)の死亡者は日本よりも92人少ない457人である。

 さらにインドは約13億5261万人と日本よりも約10倍も多いが,死亡者1391人で,日本の2. 5倍程度だ。ちなみに約1万8205人と日本よりも数千人も多く感染者が出ているシンガポールは18人で,日本の30分の1程度だ。

 感染者が1万人以上出てないので比較対象とはならないが,この他にすでに終息した台湾は6人,ベトナムカンボジアマカオ,モンゴルに至っては死亡者はゼロである。

 そして,日本よりも一足早く終息に入りつつある韓国の死亡者は252人と日本の半分以下だ。実際には韓国の人口は約5100万人と日本の半分以下なので10万人あたりの死亡者数はほぼ同じだ。しかし,1日1人ないし2人しか死亡者が確認されてない韓国に比べて日本ではこの2週間,日々2桁の死亡者を出しているので10万人当たりの死亡者数が韓国を上回るのは時間の問題である。

 補注)5月23日正午時点の集計によれば,日本の死亡者数は808人,韓国は266人。以下を参照。

 

 補注・続)【参考記事】

 「コロナ対策-『日本は上手くやっている』のウソ。成功グループの中では圧倒的に最下位」,投稿者・青木『阿修羅』2020年5月24日 13:52:59,http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/745.html

 なによりも軽視できないのは,両国の首都,東京都とソウル市の感染者数と死亡者数のギャップである。

 東京の感染者数は4654人なのに対してソウルは637人。東京はソウルよりも実に7倍も多い。PCR検査数ではソウルが10倍も多い状況下でのこの格差である。

 まして,死亡者数に至っては東京の150人に対してソウルは僅か2人。東京はソウルの75倍である。人口数で東京がソウルよりも420万人に多いことを加味してもソウルに比べて東京の10万人当たりの死亡者数が比較にならないほど高いことがわかる。

 ちなみに東京の初の感染者は1月24日で,ソウルは1日早い1月23日。また,感染者数も2月24日の時点ではソウルの31人に対して東京は32人とほぼ同じだった。それが,いまではこの差である。PCR検査や軽症者の隔離施設,病床の確保等を含め初動の対応を誤り,もたもたしてしまったことが原因だ。(引用終わり)

 ここまで引用してみれば,日本が新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対して,いかにモタモタした対応しかできていなかったか,実感としても伝わってくるはずである。

 比較的最近に書かれていたが,つぎの記述とそのなかに用意されていた表に留意しつつ読んでみたい。③ として記述する文章は,専門誌に寄稿された学術論文から引用となる。


 「[緊急寄稿]日本の新型コロナ対策は成功したと言えるのか─日本の死亡者数はアジアで2番目に多い(菅谷憲夫)」『Web 医事新報』2020-05-20,https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14724

※人物紹介※ 「すがや・のりお」は,けいゆう病院の感染症を専門とする小児科医師,同院参事も兼ね,慶應義塾大学医学部客員教授。WHO重症インフルエンザガイドライン委員。

 1.   SARS-Coronavirus-2(SARS-CoV-2)の日本の流行

 世界保健機関(WHO)は,本〔2020〕年3月11日に新型コロナウイルスSARS-Coronavirus-2(SARS-CoV-2)〕のパンデミックを宣言し,日本国内でも,2020年3月から流行が本格化した。4月7日に,東京,神奈川,千葉など7都府県に緊急事態宣言が出て,4月16日には,宣言が全国に拡大された。5月に入り,日本の流行も終息傾向がみられるようになった。Social Distancing や休校の効果が出てきたものと思われる。

 2.   緊急事態宣言解除の影響

 これからの問題は,休校,外出やイベントの自粛,飲食店の休業,テレワークなどの対策が解除されると,流行が再燃する可能性が大きいことである。いま,欧米諸国では,ロックダウンの解除,reopening が課題となっている。国によって差はあるものの,5月中旬から徐々に厳しい外出禁止措置が解除されつつある。これがどのような影響をもたらすかは注目されるところである。

 ロックダウン期間中に人びとが免疫を獲得したわけではなく,また SARS-CoV-2 が完全に消失するとは考えられず,単に厳しい外出制限により人と人の接触が減ったので,患者数が一時的に減少したに過ぎない。夏になると,気候により流行が下火になると期待する向きもあるが,インドやフィリピンの流行状況をみると,インフルエンザほどの季節性は望めないのではないかという意見もある。

 3.   日本の SARS-CoV-2 対策は優れていたか

 政府を中心に,日本の死亡者の絶対数が欧米に比べて少ないから,日本の SARS-CoV-2 対策は優れていたとか,成功したという論調が,最近多く聞かれる。ところが,アジア諸国は欧米諸国に比べて,感染者数も死亡者数も圧倒的に少ない事実がある。そして,アジア諸国間で,人口10万人当たりに換算した死亡者数を比較すると,日本は,フィリピンに次いで2番目に多く,日本の対策が優れていたとはいいがたい(表1)。

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 欧米諸国での人口10万人当たりの SARS-CoV-2 感染者数は,アジア諸国に比べて10倍から100倍以上も多い。スペイン,イタリア,フランス,英国での感染者数は,10万人当たり210~492人にもなるが,インド,中国,日本,韓国,台湾では,10万人当たり 1. 9~21. 5人に過ぎない。

 日本は,10万人当たり感染者数では,シンガポール,韓国,パキスタン等に次いで,5番目に位置する。シンガポールでは,最近,外国人労働者の宿舎で集団発生が起きたために,例外的に感染者数が488人と急増した。

 現時点での日本の感染者数は1万6203人,死亡者数713人である(5月16日)。致死率を計算すると,4. 4%(713 /1万6203人)と,かなり高率である。日本の例年の季節性インフルエンザの致死率は,1000万人のインフルエンザ患者数で,5000人の死亡者が出ていると仮定すると,0.05%(5000 / 1000万人)程度であるから,その約100倍の致死率となる。いずれにしろ,日本の感染者数は,国際的にも批判されたが,RT-PCR 検査数が異常に少ないことが影響し,信頼できる数値とはいえない。

 (中略)

 日本では,欧米と比較して SARS-CoV-2 死亡者数は少ないことは事実である。しかし,それは日本の対策が成功したとか,優れていたわけではない。アジア諸国の感染者数,死亡者数は,欧米に比べて,圧倒的に少ないのであり,そのなかでは,最大級の被害を受けているのが日本である。

 いま,第2波の問題が世界のトピックとなっているが,日本を含めたアジア諸国では,第2波は,欧米諸国と同じような激甚な流行となる危険性もある。そのため,日本の第2波対策は,欧米の被害状況を詳しく分析して,慎重に立案,準備する必要がある。とくに今季は,A / 香港型とB型の大規模なインフルエンザ混合流行が予測され,インフルエンザと SARS-CoV-2 の同時流行にも備える必要がある。(引用終わり)

 こうなると,2020東京オリンピックを最長で1年延期することにした「IOCと日本・五輪組織委員会の決定」は,ほとんど無意味化される可能性が大である。だからか,2日前の『日本経済新聞』2020年5月22日朝刊には,「五輪開催の条件 焦点,IOC会長『来年無理なら中止』『第2波』対策課題に」という見出しの記事が報道されていた。

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 五輪のエンブレムを風刺して上のようなデザイン(になる作品)が公表されていたが,さもありなんであったとみなしていい。ともかく,新型コロナウイルスの感染が拡大する「問題」が,それこそ1世紀に一度だと形容していい「世界的規模の感染症」の発生が大問題になっている。無駄金使いばかりの『国際大運動会』などやっている時か,という意見があって,当然である。

 

  医療科学者たちの無能ぶり

 以下は,神里達博・稿「〈月刊安心新聞 plus〉専門家によるデータ公開『科学を装った政治』を防ぐ」『朝日新聞』2020年5月22日朝刊13面「オピニオン」の紹介と吟味である。

※人物紹介※ 「かみさと・たつひろ」は1967年生まれ,千葉大学教授,本社客員論説委員,専門は科学史科学技術社会論。著書に『ブロックチェーンという世界革命』など

 先週,『フォーリン・ポリシー』というアメリカの外交雑誌のウェブ版に,「中途半端な日本のコロナ対策が,とにかく機能している」という題名の論評が載った。

 いわく,検査件数が非常に少ないだけでなく,「自主的なロックダウン(都市封鎖)」も多くの国と比べて厳格ではない。その一方で日本は世界で最も高齢化が進んでいて,さらに中国との距離も近く大勢の観光客が来ていた。にもかかわらず,アメリカやスペインはもちろん,制圧に成功しているとされるドイツと比べても,死者数は奇跡的なまでに少ない。同誌はこう指摘する。

 人口あたりの犠牲者数で比べれば,米国の約50分の1に抑えられている。この現状は,やはり驚くべきことだと,率直に思う。ただしその理由について,同誌は「運が良かったのか,政策が良かったのかは,分かりにくい」と判断を避けている。

 補注)この『フォーリン・ポリシー』の指摘:議論がアジア諸国との対比抜きであることは,ここまで記述からすぐに分かる点であるが,神里達博アジア諸国における関連事情に触れるところがないまま,議論をしていた。

 確かに,この国における新型コロナウイルス感染症の状況には,よく分からない点が多い。

 思い返してみれば4月上旬,安倍晋三首相は,このペースで進めば東京だけで「1カ月後には感染者が8万人を超える」と強い危機感を表明していた。さらに,「対策がなければ(全国で)最悪42万人が死亡する」という厚生労働省クラスター対策班の警告に,人びとは震撼した。

 しかし現状は,累計の死者数が約800人〔5月23日までだと825人〕,感染者約1万6千人〔同上,1万6608人〕となっている。検査件数が少ないがゆえに,取りこぼされている感染者や,一般的な肺炎など別の死因にカウントされてしまったケースがあるのではないか,という指摘もある。平年の同時期と比べ,統計的に死者数が超過しているといえるかを確認すべきだ,という意見もよく目にする。

 しかし,仮にそのような数字の間違いがあったとしても,少なくとも死者数については,「桁が違う」ことはありそうにない。日本での感染拡大の制御自体は,対策の不備が多々指摘され,政府の対応への国民の信頼も決して高くないにもかかわらず,目下のところは,世界的に見ても「成功している」というべきだろう。

 補注)この段落の意見は要注意であり,このまま全面的に受容はできない。この意見にしたがえば,日本以外のアジア諸国も日本以上に「成功している」と断わっておかねば,均衡のとれた記述にはなりえない。

 周知のとおり,全国に出されていた緊急事態宣言も,先週まず39県で,さらに近畿の3府県でも〔5月〕21日,解除された。普通に考えれば,このことをもっと誇ってもおかしくはない。だが政権じたいもこの状況をどう評価すべきか,迷っているようにもみえる。

 補注)ここでは,「誇る」とか「誇らない」とかいった議論の仕方がおかしい筆法になる点に注意したい。この注意は,前項までの記述の内容に照らしていえば,即刻理解できるはずである。神里はその意味でも今回のこの寄稿をだいぶズレた方向で書いたことになる。

 たとえば,コロナ対策の担当大臣である西村康稔経済再生相が,〔5月〕14日に緊急事態宣言が解除されたあと,「あちこちで気の緩みがみられる」と発言し,批判を浴びた。宣言の解除に対して責任をもちたくないのでは,といった声も聞かれた。だが,そもそも,感染者が減った理由が必らずしもよく分からないため,今後の予測も難しく,ブレーキとアクセルを同時に踏むようなことになっているのではないだろうか。

 もっとも,専門家も結局のところ,正確には先が見通せていないし,一枚岩でもない。政治はていねいにさまざまな価値を比較し,決断するしかないのである。しかし,現状はどうやら,政治家が専門家に重要な判断の責任を押し付けたり,あるいは専門家の側も自分の専門領域以上のところに踏みこんで,社会に対して説明を試みたりしているようにもみえる。そうだとすれば,政策に対する科学的助言のあり方としては,危うい面があるといわねばなるまい。

 補注)この段落でいわれている点,つまり「政治家が専門家に重要な判断の責任を押し付けたり,あるいは専門家の側も自分の専門領域以上のところに踏みこんで,社会に対して説明を試みたりしている」という光景が,これまで,政治の舞台でまさに展開されてきたと本ブログ筆者も感じる。

 例の「8割外出・自粛」説は,その理論の実践的な有効性が,まったく手探り状態でしか予測(?)できないにもかかわらず,絶対的な対策用の枠組でありうるかのように誤用されてきた。いわば,勇み足的な応用が無遠慮になされてきた。政治家も政治家であって,自分たちの「政治の次元における責任」から逃げ出す材料を,彼ら=医療専門家に求めていた。

 さて,神里達博の議論はここで,いったん中断させ,藤井 聡(京都大学教授)の関連する議論を途中に入れて聞きたい。なお,以下は4月7日時点の主張であった。

   ◆【藤井 聡】新型コロナを「正しく」恐れねばならない ~高齢者等の対策「さえ」徹底すれば,死者数は「10分の1」以下に抑え込める~ ◆
      =『表現者クライテリオン』編集部,2020-04-07 17:50,https://newscast.jp/news/475716

 (1)1万人前後に達した欧米の死亡者数。押さえこみでいま,ピークアウトしはじめた

 新型コロナウイルスに関する情勢は,日々変わりつづけています。(中略)  要するに,全面的な外出禁止措置を執れば,2~3週間程度で,死者の増加がピークアウト,つまり減少に転ずるという傾向が読みとれます。外出禁止をすれば家庭外の感染はほぼ抑止でき,かつ,新型コロナウイルスの潜伏期間は長くて約2週間ともいわれていますから,こうした結果となるのも,しごくもっともなことだといえるでしょう。

 (2)高齢者の感染「さえ」防げれば,死者数は20分の1から50分の1に押さえこめる

 いま手元にある報告によれば,死者の大半が「高齢者」です。なぜそうなるのかといえば,……高齢者においては,若年層の20倍~50倍もの死亡リスク,そして,重症化リスクがあると推計されています(そして,基礎疾患のある方も,高齢者と同等,あるいはそれに準ずるリスクがあると考えられます)。

 (中略)

 もちろん,高齢者と非高齢者と同居している世帯が多いことを考えると必ずしも高齢者と非高齢者との間の接触を完全に断つことは必ずしも容易ではありません。しかし,インフルエンザ感染者の自宅療養では,部屋を使って自宅内で隔離することは,どこの家庭でもおこなわれていますから,それくらいの危機意識をもって高齢者・基礎疾患のある方の隔離ができれば,必らずしも若者の外出や社会活動を「過剰」に完全禁止することは,必らずしも必要ではなかったとも考えられるわけです。

 ただし誤解を避けるために念のために記載しておきますが,……リスクのマネジメントにおいては,こうした統計的判断が決定的に重要になるという話しを申し上げているわけで,したがって,リスク対応を,若者と高齢者で分けて考えるべきだと申し上げているわけです。

 (3) 医療崩壊を防げれば,死者数はさらに4分の1に押さえこめる

 (前略)  医療需要が,その供給力を圧倒的に上回ってしまうことで生ずるのが医療崩壊です。この医療崩壊が「最悪」なのは,助かる命を助けられなくなる,という一点にあります。

 重症化するリスクは(全体で)「5. 6%」。この重症化した人びとに十分な治療を施せば,おおよそ4人のうち3人が回復します。しかし,おおよそ残りの4人の内1人が死に至ってしまいます。ところが,医療崩壊が起こり,人工呼吸器が準備できなくなると,重症化した人がほぼすべて死に至ることになります。

 (中略)

 だからこそ,わが国でもいまもっともっとも警戒しなければならないのは「医療崩壊」なのです。繰り返しますが,それは死者数を一気に4倍にまで拡大してしまうのです。

 (4)医療崩壊を導いた最大要因は高齢者の感染であった

 若年層と高齢者とでは,病状の進行が全く違います。高齢者は若年層の20倍~50倍の頻度で,重症化していくことになります。だから,若者に感染が広がっても,医療崩壊するリスクはとても低い一方,高齢者に感染が広がれば瞬く間に医療崩壊が起きてしまうのです。

 数字でいうなら,若者の感染の20倍から50倍ものスピードで高齢者は限られた医療資源を使っていってしまうわけで,したがって,20倍から50倍もの医療崩壊リスクをもたらすポテンシャルが,高齢者にはあるわけです。したがって,死者数を抑制するためだけでなく,医療崩壊を避けるためにも,高齢者の社会活動の禁止・自粛を徹底していくことが必要となっているのです。

 (5)高齢者等の社会活動からの「隔離」をはじめとした,高齢者対策を徹底せよ。

 この点を踏まえれば,高齢者の外出の徹底的抑止や,感染対策をおこなえば,それだけで,死者数は20分の1~50分の1にまで低減でき,かつ,医療崩壊を回避することも容易となり,それを通して,さらに死亡率を4分の1に縮小できる。

 ということを踏まえると,高齢者等の社会活動からの「隔離」を始めとした感染対策を徹底すれば,合計で80分の1~200分の1にまで,死者数を激減させることに成功することも考えられるのです。

 ちなみに,60歳以上の高齢者はいま,全人口の3分の1。「極端なケース」として,60歳以下の対策をまったく進めず,60歳以上の高齢者の感染対策「だけ」を徹底的に進めて感染がゼロになったと仮定するだけで,トータルの死者数は12%割程度に抑えられることになります。これに,「基礎疾患のある方」の感染対策を徹底すれば,健康な若者の活動をいっさい自粛させなくても,死者数は1割以下に抑えこめることになります。

 この取り組みを通して「医療崩壊」が回避できたとすれば,死者数はそのさらに4分の1に抑えこむことができます。結果,若年層の活動をかなり許容したうえでも,対策前に比べて総死者数は2~3%程度にまで激減させることも可能となるのです。

 むろん,こうした数字については,今後さらに報告されるデータにもとづいて精緻化していくことが必要ですが,こうした傾向があることは間違いないと,筆者は考えます。

 (6)狼狽えてはならない。狼狽えれば狼狽えるほど,人が死ぬ。

 とはいえ,とにかく感染を止めるという視点に立つなら,年齢を度外視して外出禁止にするのが効果的ではあります。しかし,それをあまりにやり過ぎれば,経済が崩壊してしまいます。

 むろん,(わが国は残念なことに不幸な例外ですが・・・)諸外国は,外出禁止と同時に徹底的な所得・損失補償を施しています。が,それだけでは,経済の崩壊は食い止められません。なぜなら,この状態を1年も2年も続ければ,早晩産業が崩壊することになるからです。

 そして事実,完全終息は,治療薬・ワクチンができるまでは不可能だと考えざるをえません。(中略)  欧米はいまは短期勝負で「外出禁止」とやっていますが,それによっていったん死者増が食い止められたとしても,少し緩めればすぐにまた,大流行になることは必至です。

 スペイン風邪のように,来〔2021〕年の冬ごろまでにウイルスの変異が生じ,さらに毒性の高いものとなっている可能性すら考えられるのです。そうなれば,この程度の毒性のウイルスに対してここまで激しく外出禁止をやっている以上,外出禁止の解除がますますできなくなってしまうでしょう。

 しかし,いまのような外出禁止がいつまでも続けられるはずがありません。食料をはじめとした「産業」がすべて止まり,人間が生きていけなくなるからです。どこかの時点で,ウイルスがどれだけ恐ろしくとも,社会・経済活動を再開せざるをえなくなるのです。

 いまのままでは,パンデミック世界大恐慌のつぎに,確実に「世界食糧危機」が訪れることでしょう(いうまでもなく,そうなったときに最大の被害を受けるのは,自給率の低いわが国日本でしょう)。そうした事態を避けねば,人類は生き残れなくなってしまいます。

 だとしたら,結局は,「高齢者と基礎疾患のある人びとの徹底的な社会活動への参加禁止」と「若年層の,可能なかぎりの社会経済活動の継続」が必要となるのです。もちろん,この政策展開において「抗体検査」も重大な役割を担うでしょう。つまり,社会活動の水準を調整するにあたり,抗体検査の結果を活用していく方法が考えられるのです。

 もちろん,ワクチン・治療薬さえ早期に開発されるなら,こうした問題はすべて解消されるのですが,それがいつになるか,不確実なのです。いずれにしても,こういう危機の時代には,入手可能なデータの範囲で,最大限の想像力を働かせ,最善の道を探りつづける態度が求められるのです。そしていつ如何なるときも,「狼狽えること」は避けねばなりません。

 第2次大戦では数千万人もの命が失われたこと,日本だけでも毎年10万人もの方が肺炎で亡くなっているという事実,日本のデフレ不況で15万人もの自殺増があったという事実,さらには,毎日平均3700人もの方がなんらかの理由で亡くなっているという事実にも思いを馳せながら,どのような原因で亡くなったとしても,いずれの命も貴重な命なのだという一点を忘れず,冷静にこのパンデミックに対応していかなければなりません。

 そう考えれば,為政者たるもの,「たかだかこの程度の殺傷能力のコロナウイルスごときに狼狽え,とち狂った過剰反応をしてはいけない」と構える程の胆力が必要なのです。なぜなら,そう構えることができて始めて,われわれは死ぬ人の数を最小化できるのです。

 逆にいうなら,過剰に恐れ,狼狽え,「高齢者の各離等の感染対策を徹底的に進める」という正しい整斉な判断ができなくなれば,その結果,死者数は何十倍,さらには本稿の論考に基づくなら,100倍,200倍にもなってしまうのです!(そしてまさにいまのわが国の安倍政権は,そうなりかけているのです。(引用終わり)

 この藤井 聡にくわえて 医学者の児玉龍彦もPCR検査体制の不足問題を訴えるユーチューブ配信(たとえば『デモクラシータイムス』2020年5月8日版)を積極的におこなっている。ところが,昨日〔5月23日〕にそのデモクラシータイムスのほかの番組のなかで司会者が,児玉龍彦と金子 勝が出演する新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対するそのユーチューブ配信(何編かあるが)が,ユーチューブ側当局によって削除されたと報告していた。ただし,これには司会者が抗議して善処されることを話してもいた。

 付記)児玉龍彦と金子 勝が出演したユーチューブ番組については,本ブログはつぎの記述でとりあげていた。

 

 

 補注)児玉龍彦が医学者として発言している新型コロナウイルス感染に関する説明は,たとえば,つぎの記述を参照するとよい。

 「『東京の感染者は8万人』抗体検査から推計 日本をコロナから守ったのは SARS-X?〔情報操作の可能性は?〕」投稿者・戦争とはこういう物『阿修羅』2020年5月1日,http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/188.html

 藤井にせよ,児玉と金子にせよ,新型コロナウイルス感染拡大「問題」については,いままで政府・内閣が展開してきた対策・措置が,かなりピント外れであり,また実効性において期待薄である事実を,きびしく批判していた。そのためか,ユーチューブ当局は,WHOの主張との整合性をウンヌンしていたという。だが,その姿勢は,これほどにまで深刻化している新型コロナウイルス感染拡大「問題」の,よりよい解決のための取り組み:努力を,闇雲に阻害するものといわざるをえない。

 --ここからは神里達博の主張に戻るが,これ以降はまずまず妥当な中味が展開されている。

 一般に,リスクマネジメントにおいて,政治の領域と科学の領域を峻別するのは,容易なことではない。そこでは科学と政治が,たかいいに連携し合うことで問題を把握し,解決していく関係でもあるからだ。よくないのは,政治の側が価値判断をひそかに忍びこませているのに,あたかも科学的に,自動的に導かれた結論であるかのように,みずからの政策を国民に説明することである。

 補注)もっとも,現状においては安倍政権・内閣と専門家会議という医療専門家集団との間柄においては,安倍晋三側が手も足も(もちろん口も)出せないないでいて,専門家会議のいいなりになっている。したがって,双方におけるそうした間柄から生まれるほかない特定の弊害が顕著になっていた。

 実際,ひとつのパラメーター(変数)が少し変わるだけで,まさに政治的に大きな決断をするのと同じ効果をもつ場合がある。それが専門性の壁によって,一般の人びとには認識できないことも多い。科学的な判断にもとづくように装うことで,政治の側は,するりと責任を回避することもできてしまうのだ。

 補注)とはいっても,実は専門家会議側の構成員たち自身が,今回の新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する対策の検討にさいしては,まったく自信がなかった雰囲気を漏らしていた。「8割外出・自粛」説などは,前段の藤井 聡の議論に照らせば,いくつかある対策の1側面・1手段でしかありえないにもかかわらず,ただ単純にそればかりを前面に出してを適用するという不器用・不具合になっていた。

 この種の問題を避けるひとつの方法は,判断の前提となるデータや理論を専門家が公開してしまうことだ。そうすれば他の研究者が,どういう意味の数字なのか,追試することもでき,政治的判断と科学的判断をそれぞれ評価することが可能になる。これは政府のなかで助言をする専門家が,自身の立場を守るためにも,大切なことだと思う。

 補注)ここで指摘されている点であるが,現状までおいていえば,全然期待できていなかった。「なんとかの判断そのもの」以前の問題が,対策を “するとか・しないとか” のそのまた以前の地点に残置されていたからである。

 最後に,個人的にいま,心配していることをひとつ付記しておきたい。それは自然災害,とくに地震である。たとえば,もしも巨大台風と大地震が重なれば,甚大な被害が生じるだろう。しかし,どちらも被害の継続時間が比較的短いため,現実に同時に起きる確率は,非常に低い。

 だが,コロナの流行は広範囲で長くつづく。災害と重なる可能性は,はるかに高い。すでに指摘されていることだが,いま,災害が起こると,避難所での感染拡大を防ぐのはとてもむずかしい。経済へのダメージも,相乗的に増えていくだろう。

 そのような複合災害に対して,どのようなプランで対処するのか。関係機関には,ぜひともいまのうちに具体的な対策の立案を求めたい。「弱り目にたたり目」にも用心だ。(引用終わり)

 ここ数年来,大規模になる自然災害が毎年発生していたが,その時々にみせていた安倍晋三とこの政権の態度といったら,まるで他国の出来事であるかのように反応していた。関連させて最後に,つぎの記述だけ紹介しておき,全体の記述を終わりにしたい。

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