「メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用」の概念的・理論的な未熟性,ことば:表現を変えただけでは本質まで変えられない問題

「メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用」という対・概念を「正規雇用と非正規雇用」と比較するとき,前者は定義・論理的に関して相互の整合性を欠き,対・概念の提案としては粗雑さを回避できていない,思いつき程度の概念規定が広く通用してきたが,労働経済学者・労務管理学者がこれに異を唱えたり,修正しようとする議論が聞こえない摩訶不思議

 

  要点:1 思考の次元においてズレを含んだまま,「メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用」という両概念を,定義的に並べて説明に使うことの違和感

  要点:2 日本的経営「論」に関していえば,従来にはなかった即製定義の「メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用」の組み合わせは,日本の企業をめぐる労働・労務問題を不要にも混乱させてきた


  最近,「田原総一朗氏『自民党や財界の幹部,日本の雇用制度は10年もたないと認識している』」『情報速報ドットコム』2020年5月27日,https://johosokuhou.com/2020/05/27/31593/  という記事を読んだ。さらには,「ジョブ型雇用で自分のスキルや能力を最大化 年功序列から脱却した働き方」『mazrica times』2020.02.13,https://times.mazrica.com/column/about-model-of-employment-job/ という記事もあって,こちらも問いかけていた。

 そのうちでも田原総一朗の発言を聞いて,同時に思い出してみたくなったのが,敗戦後史のなかでつぎのように発生していた,「日本の労働問題」の関連事情をめぐる推移や変化であった。

 a) この種の(田原総一朗の発言が触れた)労働・労務問題は,おおまかにとらえていていえば,戦前からも存在しなかったわけではない。けれども,敗戦後とくに,米軍を中心とする占領軍--正式名:連合国軍最高司令官総司令部あるいは「進駐軍」と呼ばれ,まれにSCAP[Supreme Commander of the Allied Powers]ともよばれていた--に支配・統治された旧日本帝国(新憲法下に日本国)はともかく,労働者の「賃金」や「労働組合」の問題に対して抜本的な労働改革を要求された。

 いいかえればそれ(労働改革)は,敗戦国となった日本における諸改革のひとつとして,GHQの政策的な圧力のもと,日本国政府の手によっておこなわれた「一連の民主化,自由化改革」を構成する重要な政策のひとつに位置づけられていた。

 具体的には,連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが1945年10月11日,当時の首相幣原喜重郎に対して口頭で,以下の5大改革指令を命じた。その内容はつぎのとおりであった。

   秘密警察の廃止

   労働組合の結成奨励

   婦人解放

   学校教育の自由化

   経済の民主化

 1946年,GHQは日本国憲法を成立させ翌年から施行した。大日本帝国憲法を改正するかたちをとり,主権在民象徴天皇制戦争放棄・男女同権などの理念を盛りこんだ。また,改革の大きな柱として戦争協力者の公職追放財閥解体・農地改革などが含まれていた。ただし,農地改革で自作農が飛躍的に増えたことによって,農村部の保守化につながった原因になったともいわれる。

 さて,2020年となった「いまの時点」において,それらの改革の理念と目標が実際にはどこまで実現されていたかと,あらためて問うてみるのもよい。2012年12月26日に発足した安倍第2次政権は,「主権在民象徴天皇制戦争放棄・男女同権などの政治理念」などの全般を,国民たちの頭越しに,一貫して否定する「戦後レジームからの脱却」を志向してきた。

 安倍晋三のその政治思想(という実体が彼の頭脳のなかで体系的にあるとは思えないが)の時代錯誤性は,民主主義の根本原理を否定したい「彼本来の立場」を特徴づけている。すなわち彼は,「旧・日帝に固有であった半封建遺制的・前近代的な国家体制」を郷愁するだけでなく,GHQが押し付けてくれたという日本国憲法を,無条件的・没論理的に毛嫌いする「アベ的な脳細胞の腐朽ぶり」を,遺憾なく存分に発揮することを,なんとも思わない政治感覚の持主であった。

 昨今,世界中を恐怖させてきている新型コロナウイルス感染拡大「問題」は,日本も対峙させられてきたが,安倍晋三が率いる「自民党公明党の野合政権」のていたらくな防疫に関する対応の態勢を介して,いまでは一般庶民のあいだでも「安倍晋三はダメな政治屋だ」という認識が浸透した。

 いかに敗戦以前が恋しかった安倍晋三君ではあっても,現実の問題として新型コロナウイルスが日本を襲来したとき,いうなれば,実際に「政治運営そのものの難局発生」に当面させられたときに,彼が披露しえた「政治家としての実力は」とみると,残念なことにやはり「世襲3代目のお▼カ政治屋」の限界を,ここぞとばかりにみせつけてきた。当然,彼に対する評価は大幅に下落した。

 b) 1990年を境に生じた日本経済の破綻現象は,21世紀になってややもちなおしたかにみえたところで,突如,2008年のリーマン・ショックの嵐に見舞われ,再度落ちこんでいた。その後,2020年の現段階までいわゆる「平成史の社会経済現象史」は,この国の衰退・凋落を記録するだけの経過をたどってきた。

 補注)この段落に関して挙げておきたい,現代日本史を総括的に説明・批判する著作として,金子 勝『平成経済 衰退の本質』岩波書店,2019年4月,および斎藤貴男『平成とは何だったのか-「アメリカの属州」化の完遂-』秀和システム,2019年4月がある。平成の時代・時期における日本の問題を分かりやすく説明している。

 安倍晋三による政治(アベノポリティックス)と経済(アベノミクス)は,ともにアベノリスクとアホノミクスを相乗効果的に昂進させあうための「両域の為政」にしかなっていなかった。総合的にいえば,ダメノミクスだとかサギノミクスだとかと指弾されるまでもなく,そうした「ナントカミクス」じたいが実は,当初から “虚空次元における政治と経済の〈やってる感〉的な政策” にもとづいた虚偽喧伝・文句に過ぎなかった。

 安倍晋三による為政(内政と外交)の本質は,新型コロナウイルス感染拡大「問題」に襲来されたところで,あられもなく端的に暴露された。たとえば,「アベノマスクの提供」にもよく露呈されているが(5月末日まででもまだ国民たち全員に配布されていない),安倍の為政に本来から付きまとってきた政治思想(不在?)の具現化,つまり「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の悪政ぶりは,その後における始末(尻拭い)を,国民たちに付け回しするだけのお粗末な結論になっていた。

 2020年に入ってから世界中を席巻している新型コロナウイルス感染拡大「問題」のために,日本も,経済・社会の機能を一部停止ないしは低迷させられる状態を余技なくされた。この歴史的な体験に遭遇させられた「労働者の立場」にあっては,失業率の高まりが懸念されているだけでなく,とくに非正規労働者群やフリーランス労働者群の立場は決定的な打撃を受けている。

 それでなくとも,労働者間における合理的な根拠がないまま「正規雇用」から「非正規雇用」が差別的に待遇される事情にくわえて,そもそも当初からその基準が正当化できない差別のための別々の各労働条件の設定は,この種の雇用形態において維持されつづけているこの国の労働経済事情にまつわる深刻な矛盾を意味する。

 この ① の冒頭では,「ジョブ型雇用で自分のスキルや能力を最大化 年功序列から脱却した働き方」『mazrica times』2020.02.13,https://times.mazrica.com/column/about-model-of-employment-job/  という記事の題目も並べてかかげてあったが,こちらの文章は,つぎのように問いかけていた。

 「ジョブ型雇用」ってしっていますか? 2013年6月の「規制改革会議」に議題にのぼり,経団連2020年の春闘方針で再び,ジョブ型雇用の普及の提言が盛りこまれました。本記事では,ジョブ型雇用とはそもそもどういうものか,ジョブ型雇用のメリット・デメリットについてあわせて解説します。

 はて,最初に触れてみた田原総一朗の発言と,そしてこの「ジョブ型雇用」に関する指摘が示唆するのは,現代日本の雇用実態に突きあわせていえば,70年以上も昔にまでさかのぼれる問題として連続性を有する点であった。本ブログのなかでは,つぎの記述が関連する事情に若干触れていた。本日のこの記述に基本的な関係がある記述だったのので,ここにかかげておく。長文であるが,興味をもてる人は,さきに読んでもらえると好都合である。

 c)  濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構労働政策研究所長)が,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対概念の提唱者であった。

 日本における雇用形態に関したこの分類「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」は,日本経営者団体連盟が「新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告」として,1995年5月に公刊した『新時代の「日本的経営」-挑戦すべき方向とその具体策-』という本が,正規雇用を抑え非正規雇用を拡大していくための指針を与えていくうえで必要な概念を,労働者をつぎの3つのグループの分類して示していた出来事と深い関連性をもっている。

   ☆-1 長期蓄積能力活用型グループ-これが従来の終身雇用(常用雇用)に相当-

   ☆-2 高度専門能力活用型グループ

   ☆-3 雇用柔軟型グループ

 現在,非正規雇用関係のもとで働く労働者は4割近くにもなっている。そこで,この非正規労働者は産業社会における労働者集団としてどのように位置づけられればいいのかという具体的な課題,あるいは併せて,どのように意義づけておけばいいのかという理念操作的な課題も必要になっていた。

  f:id:socialsciencereview:20200222092537g:plain

  出所)http://honkawa2.sakura.ne.jp/3240.html

 問題の背景を考えるためにまず,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」に関する説明はネット上にいくらでも与えられているので,適当にそのひとつを拾って聞いてみたい。

 まず,前提になる説明はこうである。

 働き方改革が進む日本。従来の雇用形態も見直そうという動きがみられます。日本のこれまでの雇用形態で主流だったのはメンバーシップ型というかたちでした。それに対し欧米で大半を占めるのはジョブ型で,生産性向上といったメリットにつながる働き方として注目する日本企業が増えています。

 そして「雇用環境の変化に対応し,成果を出せる組織作りを進めるためにジョブ型・メンバーシップ型の働き方それぞれの違いやメリット・デメリットについて押さえておきましょう!」と語っている。

 まず「ジョブ型雇用」について。 欧米で主流のジョブ型雇用。一言で表わすと “仕事に人をつける働き方” です。求人の時点で職務内容や勤務地,給与などがジョブ・ディスクリプション(職務記述書)によって明確に定められており,労働者はその内容に自分の希望・スキルが合っていれば応募します。ジョブ・ディスクリプションが更新されないかぎり,配置転換や昇給,キャリアアップは生じません。

 

 つぎに「メンバーシップ型雇用」について。  “人に仕事をつける働き方”。仕事内容や勤務地などを限定せず,候補者はポテンシャルや人柄を考慮に入れて採用されます。そのため,メンバーシップ型での採用は “就職” というより “就社” に近いといわれることも。昇給・スキルアップ・配置転換・勤務地の変更など勤務環境が大きく変わる制度となっている・可能性があるのが特徴です。日本企業の多くは終身雇用・年功序列とともにメンバーシップ型雇用を採用しつづけてきました。

 註記)「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用 2つの違いや今後の方向性を解説」『データのじかん』2019.11.14,https://data.wingarc.com/job-type-or-membership-type-21655

 d)「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」というふたつの雇用形態の違いに関する上記のごとき説明は,欧米との比較を念頭に置いた相対的な意味あいも含めているが,これは必らずしも絶対的な説明基準になりうるのではない。

 アメリカ企業でも終身的に採用をする会社がないわけではない。日本企業でも説明されている「ジョブ型雇用」に依った採用と雇用をしている会社はいくらでもある。薬剤師の資格や看護師の資格による採用は,ジョブ型採用である。

 ただし,そのうえで日本の会社においてはなにか(プラス・アルファー)がくわわらないわけではない。とはいっても,薬剤師や看護師の雇用に関していえば,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」よりも先行すべき採用基準がというものが控えている。いうまでもない論点であった。

 それでもある意味では「理念的な分類基準」として「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対・概念が用意されて,最近ではこの組み合わせによって,欧米と日本の雇用形態を分類する基準(標準)とみなす流儀がはやっている。しかし,そうした雇用に関した分類の方法は,この概念の中味を精査すると,あらためて疑問が出てこないわけではない。

 

 「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という分類基準の相対性(限界)

 新聞紙上にあっては,すでに関連する議論をした記事がいくらでも登場している。だが,日本における労働経済の具体的な論点になっていた,この「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対・概念の把握については,経済団体側が「非正規労働」という雇用形態を使用しにくくなっていた事実に,最初に注目しておく必要がある。政府側からは,非正規雇用という用語を使うなという発言があったとも聞く。そこまで,問題の本質「面:要因」をボカしておきたい政府・権力者の立場からは,きわめつけのご都合主義がうかがえる。

 要は,ここ30年間も日本経済全体は基本的に沈滞を余儀なくされてきた。この基本の趨勢に対応してきたはずの賃金形態〔正確には賃金水準のほう〕を,そのまま維持するのに都合よく合致できる「新しい雇用のあり方」が,それも流行語的に流行ったこの「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」ということばの組み合わせに,正直に反映されていた。

 以下につづいて紹介する識者たちが議論している内容は,この「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という雇用形態に関する概念規定を,当初,与えられた説明のとおりに反芻して利用するだけであった。すなわち,独自に使いまわすこともないままに勝手に一人歩きだけさせた理解として,この「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対・概念が,いわば野放図に利用されてきた。

 a)〈大機小機〉『開かれた集団主義』への道」日本経済新聞』2020年5月28日朝刊21面「マーケット総合2」というコラム記事は,こう関説していた。一部は飛ばして引用する。

 時代は「最善の時か最悪の時か,希望の春か絶望の冬か」。ディケンズの長編「二都物語」の書き出しである。新型コロナウイルス一段落後の日本は,どんな時代に入っていくのか。大きく変わるのか,これまでの日常に戻るだけなのか。

  (中略)

 また,社会を分断させかねない経済格差問題は,もはや放置できない。わが国の不均衡な飛躍への反省の動きが,具体化してくるだろう。米ソ冷戦の時代にはしっかりと意識されていた累進課税の強化など,分配への配慮は,これ以上先送りできない。

 

 発展の源泉のひとつであった集団主義は,その有効性に制約や限界がみえている。集団と個人,協調と自由の間のバランス調整は避けられない。企業は,多様化した現代市民社会で認められ生存していくために,閉鎖的集団主義から抜け出す。

 

 1980年代のバブル経済期から一部で予見されていたように,個人の自由や自主性・自己管理を尊重する「開かれた集団主義」へ移行していくだろう。非接触や分散志向の,新たな生活スタイルが背中を押す。エコノミスト香西泰氏は「わが国のもち味である集団主義密教から顕教に転化する」と言っていた。

 

 二者択一に陥りがちな,グローバルとローカル,市場と分配,集団と個人。前者から後者へのバランス修正は,ここにきて,にわかに出てきた課題ではない。かねて認識されていた。認識されていたにもかかわらず,はかどらなかった。しかし,未知の感染症による未曽有の危機を経て,いよいよ進捗することになるだろう。潜在的な問題意識の具体化だから,まったく新たなものの誕生を意味する,新生ではない。経済社会の,脱皮である。

  (中略)

 コマのように,ひたすら回転し続けることで安定を保ってきた日本。気候変動や巨大地震はじめ,不確実性への備えを強く求められるなか,脱皮が,落ち着きを取り戻してくれるだろう。ウイルスとの戦いは続くが,希望の春は決して遠くないと思う。(一礫)(引用終わり)

 このなかの段落で「集団と個人。前者から後者へのバランス修正は,ここにきて,にわかに出てきた課題ではない。かねて認識されていた。認識されていたにもかかわらず,はかどらなかった」という指摘があるが,これは,敗戦後史における日本の賃金体系や雇用形態の全容を意識しつついわれたものである。

 日本経営者団体連盟『職務給の研究』日本経営者団体連盟弘報部,昭和30〔1955〕年は,敗戦後10年が経過した時点で,日本企業における賃金体系を抜本から改革するための啓蒙書として公表されていた。ところが,その意図はいまだにまともに実現されたことがなかった。なぜ,そういう経過が半世紀以上も持続されてきたのか?

 要は,資本制企業の運営事業体である日本の会社も,利潤追求をする営利組織であるかぎり,賃金体系の問題や雇用形態の問題よりも,ともかく人事・労務費を管理するうえでは,年功制賃金のほうが「個別企業の観点から観て」「それじたい資本合理的であった」という要素にこだわってきた。

 それだから,本格的な職務給の賃金体系そのものが,日本の会社のなかにもちこまれることという事象は,遅遅としていて,せいぜい部分的・側面的な要因に留められていた。もっとも,新興のIT関連産業に属する諸企業などにおいては,職務給中心の賃金支払制度が普及してはいるものの,従来型に属する日本の会社では,年功制賃金が依然根強く残っている。

 そもそも「日本の経営」が世界中から注目され賞賛されたとき,「終身雇用制-年功制賃金-企業内組合」のことを〈現代の三種の神器〉とまで形容されたくらいであるから,敗戦後の労働経済史のなかで本格的に定着してきた,大企業体制を中心とするそうした日本型雇用のあり方は,いまとなってもなおそう簡単には根絶(?)できるわけがなかった。

 b)「春  秋」日本経済新聞』2016年3月22日朝刊は,こう寸評していた。

 仕事が同じなら,同じ賃金を払う。という「同一労働同一賃金」の考え方には,実は歴史がある。1955〔昭和30〕年に日経連(現経団連)が著した『職務給の研究』に同じ言葉がみえる。賃金は「同一労働,同一賃金の原則によって貫かるべきものである」と明記している。

 ▼ 当時日経連は,年齢や生活費で給料が決まるのは不合理だと主張した。景気の波が激しく,人件費の膨張を抑えたい思いがあった。着目したのが賃金を仕事の内容の対価と考える職務給だ。結局,配置転換をするたびに賃金が変わるのは不便とされ,職務給は広がらなかったが,もとの問題意識には理解できる点があった。

 

 ▼ 安倍政権が同一労働同一賃金の実現に向けた議論を始めた。ただ眼目は,仕事があまり変わらないのにパートと正社員で賃金に開きがあるなど,非正規社員と正社員の待遇格差をあらためることにある。もちろん重要テーマだが,正社員の間に職務に応じて賃金を決める仕組を広げることも課題だろう。古くて新しい論点だ。

 

 ▼ 職務給に背を向けた企業には長く勤めるほど賃金が上がる年功制が普及した。社員の会社への帰属意識を強めた一方,ぬるま湯体質を生んだとの批判がある。いまも年功制は根強く残る。「職務給の研究」は,賃金制度は生産性向上を促すものであるべきだと説く。賃金をめぐる議論の肝は,60年余り前にすでに示されている。

 にもかかわらず問題の本質面は,百年1日のごとくに進展するほかなかったとも形容でき,根本的・全体的という意味あいでいえば,それほど抜本から変化を起こす議論には至らないできた。ただ,使用されている関連の用語だけは表面的には変化してきた。年功制賃金を職務給基準にした賃金形態に変更させたかった試行は,いわゆる欧米型雇用に近づけるという目標にまでは至っていなかった。

 日本経営者団体連盟『日本における職務評価と職務給』日本経営者団体連盟弘報部,昭和39〔1964〕年という本も,前掲の『職務給の研究』から9年後に公表されていて,重ねてつぎのように強調していた。

 当面企業経営の諸管理態勢の刷新,合理化が必要とされるが,とりわけ賃金管理の中心課題となる賃金体系面においても,最近の労働力不足,技術革新に伴う生産技術の変化,若年層意識の変化などに即応して,根本的な再検討が要請せられている。すなわち,従来の年功序列的賃金体系より職務給,職能給体型への漸進的移行問題が,いよいよ重要性をくわえつつあるといえよう(はしがき,1頁)

 その間,日本経営者団体連盟『能率給の現代的考察-能率給近代化のために-』日本経営者団体連盟弘報部,昭和31〔1956〕年なども公表されていた。だが,その後において時代・時期ごとにフラついてきた「職務評価の必要性や職務給の導入問題」は,日本の経営がより国際化していくなかにあっても,なかなか本格的には進展していかなかった。

 c) 阿部正浩・中央大学教授「〈経済教室〉日本型雇用改革の論点(中)技術革新への対応,成否左右」『日本経済新聞』2020年5月22日朝刊23面

※人物紹介※ 「あべ・まさひろ」は1966年生まれ,慶応義塾大博士(商学),専門は労働経済学・計量経済学

 (前略) 2020年の春季労使交渉では,注目されていたテーマが〔もうひとつ〕あった。日本型雇用の見直し論議だ。経団連が1月にまとめた『2020年版経営労働政策特別委員会報告』は,日本型雇用が時代に合わないケースが増えており,職務内容と処遇を明確にする「ジョブ型雇用」の拡大を提案していた。以前から労使間で議論があったが,正式に交渉の俎上(そじょう)に載った。

 補注)日本経団連が非正規雇用という用語を使用しないのは,あくまで語感の問題に過ぎないのでもあるが,その間に,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という用語の組み合わせをもって,その点をうまく〈イチジクの葉っぱ〉の要領で隠してくれる便法が駆使できるようにもなっていたからである。

 日本型雇用の見直しが議論される背景には,2つの環境変化が影響していると考える。ひとつは,先端技術を活用して社会の課題を解決し,新たな価値を創造できる人材ニーズの高まりだ。(中略)  もうひとつは,ダイバーシティー(多様性)経営推進の必要性だ。グローバル化少子高齢化の進展で,性や年齢,人種にとらわれず人材を活用する時代だ。

 ワークライフバランスを考慮した雇用管理がいっそう必要となり,従来の長期雇用や男性だけが働くことを前提とした労働時間管理や処遇,人材育成方法では多様な働き方に対応できない。個人の適性や能力に応じた個別的雇用管理をすることが企業に求められ,労働者も自身のキャリアを自律的に決めることが求められる。

 終身雇用と年功序列,企業内労働組合で特徴づけられる日本型雇用慣行の見直し論議は,過去にもあった。その代表は,1995年に当時の日経連が出した『新時代の「日本的経営」』をきっかけとしたものだ。業務内容などに応じて人材を3つの型に分けて,それぞれの特性に応じて雇用管理する「自社型雇用ポートフォリオ」を提示していた。

 3つの型のうち「長期蓄積能力活用型」は従来の日本型雇用慣行の中で育成される企業特殊的な基幹的労働者,「雇用柔軟型」はパートタイム労働者や契約社員など短期雇用労働者だ。いずれも日本企業が以前から活用してきたタイプだ。目新しかったのは「高度専門能力活用型」だ。

 それは,転職を通じて高度に専門的なキャリアを築く有期労働者であり,その処遇などは職務型をめざすものだった。これが職能を重視する日本型雇用慣行の根本を揺るがすものだと,今野浩一郎学習院大名誉教授と佐藤博樹・中央大教授による教科書などで指摘されている。

 だが日本企業で活用されたかというと,必らずしもそうではない。大湾秀雄・早大教授の研究によると,2009年をピークに30代で短期勤続者が増えたが2015年には以前の水準に戻っており,若年層の間ではむしろ長期雇用関係が強まっていた。とくに2010年以降は大企業での定着率は高まっており,転職を通じて専門能力を築く層は多くなかったと考えられる。一方で,中小企業の高卒労働者については定着率が低下しており,二極化が進んでいるという。

 日本企業の雇用ポートフォリオに変化がまったくなかったわけではない。「労働力調査」による雇用者に占める非正規雇用者の割合は,1994年の20.3%から2019年には38.2%に上昇しており,雇用柔軟型の比率が高まっている。逆にいえば,日本型雇用の対象範囲である長期蓄積能力活用型の割合は低下しており,今回の見直し論議は雇用システム全体に及ぶものではない

 2020年4月から大企業について,同一企業内での正規・非正規間の不合理な待遇差の解消を促進するため,同一労働同一賃金が導入された(中小企業は2021年4月から)。帝国データバンクが2020年1月に実施した調査では,同一労働同一賃金に「対応あり」とする企業は6割程度しかない。

 また,2018年から有期契約労働者の無期転換ルールが本格的に始まったが,労働政策研究・研修機構が2019年7月に実施したアンケート調査では,正社員への転換実績は半分程度の企業にとどまる。非正規労働者だけでなく,今後増加が予想されるフリーランスやギグワーカーなど非雇用労働者に関しても雇用システムのあり方を考え,雇用不安が助長されないようにしたい。

 補注)ギグワーカーとは「インターネットなどで募集している単発の仕事を受注し,収入をえている労働者」のことである。

 f:id:socialsciencereview:20200601130508j:plain

 労働市場はこれまでも技術革新に影響されてきた。1990年代半ば以降,情報通信技術(ICT)の急速な進展とグローバル化は日本の職業構造を大きく変えた。1995年と2015年の職業構造の変化をみると,大きくシェアを下げたのは技能工・生産工程作業者で,次いで農林漁業作業者と管理的職業従事者だ(図参照)。一方,シェアを上げたのは専門的・技術的職業従事者で,次いで分類不能の職業と運搬・清掃・包装等従事者だ。

  (中略)

 電機メーカーや商社のケースでも部門縮小などは他部門への人材配転で調整され,新しい知識やスキルはOJTで補われているのが普通だった。日本で職業構造の変化と技術革新の影響が緩やかで安定していたのは,こうした社内での調整が寄与したと考えられる。

 今後,人工知能やロボティクスはタスクと職業構造に影響するはずであり,雇用システムにとってOJTの役割が試金石となる。新しいタスクや職業への移動に必要な知識やスキルを,市場で提供される教育訓練に比べてOJTの方がより効率的に補えるならば,ジョブ型雇用は画餅に帰すかもしれないからだ。ただし,時代に合う仕事遂行能力を労働者が自律的に身につけておく必要性が高まったことは,新型コロナ問題で明らかになったように思う。

 以上の論旨の〈ポイント〉の3点は,こう整理されている。

  ※-1 転職を通じて専門能力築く人材は限定的

  ※-2 フリーランスやギグワーカー対応課題に

  ※-3 教育訓練変えないとジョブ型雇用頓挫も

 この「経済教室」における阿部正浩の議論は,ジョブ型雇用そのものを,日本の労働市場労働経済全体)のなかで,どのように位置させて議論するかに特徴があった。つまり,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対・概念である議論の方向性が,現実の労働経済のありようとはズレている「事実」を,しかも直接には語らぬかたちではあっても,そのジョブ型雇用の意味づけには慎重であらねばならないその事実に触れている。

 そもそも「非正規雇用正規雇用」という対・概念に「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」というそれが,ぴったり当てはまらない要素がのこっているはずであり,またいえばこの対・概念同士を無理やりに同等視はしないほうがよい。このあたりの論点が初めから,そうは明確に議論できない点にどだい無理があった。

 

  小熊英二慶応義塾大学教授「〈経済教室〉日本型雇用改革の論点(下)企業越えた人材評価基準を」日本経済新聞』2020年5月25日朝刊

※人物紹介※ 「おぐま・えいじ」は1962年生まれ,東京大農学部卒,同大博士(学術),専門は歴史社会学

 (前略)

 問題はただひとつの要因から発生している。人材に対する客観的な評価基準がないことだ。それが日本型雇用の根本問題だ。他国では職種別の熟練度や専門能力の評価基準が,とくに1970年代以降に明確化した。そこでは「経営学修士号」や「英語がCEFRでC1」や「営業職としてA社とB社で職歴10年」といった学位や資格や職歴が,その人が就ける職務とその賃金額というかたちで評価されるのが原則だ。

 f:id:socialsciencereview:20200601102143j:plain

 これが可能なのは,その人が就く職務(ジョブ)が明確化されており,それに対応した学位がはっきりしているからでもある。米国の教育大学院では,学務登録や教育支援,国際教育などはそれぞれ専門課程があったりする。各自がその専門教育を受けて学位をとり,同じ職種で企業を替えながら経験年数を積み,キャリアアップすることになる。

 こういう働き方だと,リモートワークは容易だ。1人ひとりの職務が明確で,責任の所在や分担がはっきりしているからだ。大部屋での共同作業は必要ないし,あうんの呼吸に頼ったマネジメントもいらない。職務ごとに要求される学位や経験年数が明確なら,何回も面接しなくても,書類審査で絞りこ込みができる。

 図は1980年に労働省(当時)の田中博秀氏が作った対比だ。ただし「欧米の企業」の部分は,「部長」「係員」でなく「営業部長」「経理係員」などと職務を明記したほうがより正確である。

 このように職務が明確化している働き方は,日本では「ジョブ型」と呼ばれる。しかし単に職務が明確化しているだけでは足りない。重要なのは,企業を越えて通用する客観的な評価基準が確立されていることだ。

 補注)この段落の記述から抽出できるのは,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対比的・対照的な概念関係が,意図せずだとしても,不要な〈単純化の傾向〉を秘めていることであった。対比や対照を強調する概念関係であるために,ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の関係性のなかに,かえって要らぬかたちでのその「対比・対照」をもちこむ結果になっていた。

 こういうことである。メンバーシップ型雇用の労働であってもジョブ型雇用の要因がないわけではなく,逆もまた真である。そもそも,そのようにジョッブ型だメンバーシップ型だときれいに「対比・対照」化させてよかったのが,このふたつの雇用形態への分類であったのか,という疑問すら残されている。考えてみれば,ジョブ型雇用ということばを英語にあえて訳してみたら,どうなるか。

 「仕事・職務」型雇用ということだが,その強点をどこに・どのくらい置くにしても,メンバーシップ型雇用の人びとも会社のなかで担当する業務は「仕事・職務」である。つまり,後者の雇用の問題を,前者の雇用の問題に対比・対照させる手順そのものに一定の怪しさ(あいまいさ)を残している。説明のために用意されている概念そのものがさらに説明を要するのであり,これではまともな定義は導きだしにくい。

 要は「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という組み合わせになる雇用形態に関した概念(定義)づけは,次元だとか要因だとかに関して初めから混濁あるいは混同を来たしたまま,ただ単に世間受けを狙っただけであり,雑な規定になっていた。本ブログ筆者が冒頭の論題文句などで指摘したのは,その種の学問的・理論的には決定的にかけている緩さについてであった。それでも,いまでは世間に広く流通している。

〔記事に戻る→〕 少し考えてみよう。A社のなかで職務を明確化し,評価基準を作ったとする。だがそれがB社とまったく互換性がなかったら,その職務に見合う人材はA社で社内育成するしかない。A社専属の専門学校でも作らないかぎりは即戦力の新人も出てこない。A社の経験や評価はB社で通用しないから,人材の流動性も高まらない。

 社内教育で育成するなら長期雇用せざるをえない。新人採用も,面接を重ねて「人物」をみきわほかない。そうして育成された人材はB社では通用しないからA社にしがみつく。人材は社内の部署を移動させて使い回すしかなく,職務ごとの専門能力は育たない。これでは職務の明確化など空文化してしまうだろう。

 つまり,企業を越えた人材の評価基準がないために,企業を越えた労働市場が発達しない。だから社内育成・新卒採用・長期雇用・社内人事異動に傾くしかない。職務に即した評価基準がないなら,いちばん主観を交えない評価基準は,卒業大学名と勤続年数(職種の経験年数ではなく特定企業の勤続年数)になるだろう。

 いわば日本企業は各社が独立王国なのだ。王国内でしか通用しない地域通貨を使い,各企業の社内労働市場を動かしている。通貨の互換性なしに市場が生まれないように,各社が独立王国であるかぎり企業を越えた労働市場はできない。理工系の一部人材以外はこの状態がなかなか変わらない。

 補注)「理工系」の問題について,本ブログ筆者は前段で「薬学系の人材」に関して言及していた。

 こうした日本型雇用にもメリットはあった。比較的学歴の低い現場労働者の技能蓄積と士気が高くなることだった。勤続年数と社内経験を重ねれば,修士号や博士号がなくとも,賃金の上昇がみこめたからだ。それが「ものづくり」の現場力となり,日本企業の強みと評価された時代もあった。

 だが経団連は近年,日本型雇用慣行の見直しを唱えている。専門能力や知的産業が育ちにくい,年功賃金のコストがかさむ,人材の流動性がない,新卒一括採用の手間がかかるなど欠点が目立ってきたからだ。

 とはいえ筆者はこうした改革論には懐疑的だ。経団連や日経連は1950年代から,職務給の導入,中高年労働者の流動化,専門職の育成,成果主義の導入などを唱えてきたが,いつも頓挫してきた歴史がある。

 補注)この点も前段で触れてみた。

 なぜか。企業横断的な基準が導入されなかったためだ。他企業と互換性のない評価基準で成果主義や職務給を導入しても,経営者や人事部が恣意的に基準を決めるだけだと受けとめられ従業員の士気を下げる結果に終わることが多かった。

 1960年代には政府主導で評価基準作成が提言されたこともある。だが経営者たちが歓迎しなかった。政府の介入が強まり,企業内だけで賃金決定をできなくなることを危惧したからだったという。また互換性のある評価基準を導入すると,社内育成した人材が他企業に流出するという警戒もあったようだ。経営者が王国の独立性にこだわると,改革は進まないのだ。

 結果として実現したのは日本型雇用の基本形を変えないまま,賃金コストを削ることだった。それは具体的には,非正規雇用の増大・人事考課(成果主義を含む)による昇給抑制・子会社出向などのかたちで表われた

 だが,昇給が限定されれば残業代で穴埋めする傾向も発生しやすい。また労働組合は雇用維持のため,社内人事異動や単身赴任については容認した。いうまでもなくこれらがワークライフバランスの問題や,女性の進出の障害になっている。

 さらに人材評価の基準がない社会では,教育が人的資本を向上させる機能を果たし得ない。いまや世界中で大学院の進学率が上がり,大学院に入りなおす人も増えたが,それは修士号や博士号がないと高給の職務に就けなくなってきたためだ。

f:id:socialsciencereview:20200601103524p:plain

 しかし日本は大学院進学率が停滞し,他国と比べ相対的に「低学歴化」しつつある。これは長期的には日本の国力低下につながりかねない。また修士号や博士号が評価対象にならない社会に高度人材が外国からやってくるとは考えにくい。

 ではどうするか。人材評価の基準を明確化・客観化し,透明化することから始めるしかないだろう。

 たとえば「当社はこのポストに,こんな学位や経験や実績がある人材がほしい」と明確化し,社内と社外に公募する。候補者は社内でも社外でも,新人でもベテランでも,国内からでも国外からでも,自分の学位や経験を明記して応募する。できれば選考過程は匿名化して公表すべきだ。そうなれば,どの町のどの企業でどんなポストの公募が出ているかが共有され,市場が形成されていくだろう。

 無理だと思うだろうか。だが他国はもちろん完全にではないが,それに近いかたちに移行している。日本でも大学教員の労働市場はここ20年で「原則は公募」に変化した。日本だから変えられないということはない。

 今回のコロナ禍は,日本の働き方を再考する契機となった。「まず隗(かい)より始めよ」で,経団連加盟企業が率先し,役員や部課長の公募を検討してはどうか。それが無理なら,この先も変わらないだろう。

 以上に関して議論の〈ポイント〉は,つぎの3点に整理できる。

  ※-1 客観的な人材評価基準ないのが根本問題

  ※-2 雇用の基本形を変えずに賃金コスト削減

  ※-3 人的資本向上や高度人材の招致にも弊害

 

 以上の小熊英二の日本型雇用に関する現実的な分析は,労働経済学者や人事・労務管理学者ではない社会学者(歴史社会学者)から出ているだけに,いったい,本来の研究領域における研究者たちは,なにを分析・解明しているのかといぶかるほかない。

 また「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という概念を提唱した元国家官僚の発想が,学問的・理論的に洗練されてもいない状態のまま,世間一派に流通した弊害もばかにならないほどの悪影響を,関連する議論の展開にもたらし,まっとうな討議を阻害させる原因となっていた。

 ともかくもこの「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対・概念に同乗した関連する議論が多いわりに,本質的な領域における議論にまで発展する機会に乏しい。というのも,この2分類の雇用形態をただ単純に “標語的に利用する” だけに終わっている場合が多いからだ,といえなくもない。

 現状のまま同じように, “日本の労働経済のあり方” が基本的に変わらず進行していったら,この国における雇用形態は,「かつて先進国」として “ジャパン・アズ・№ 1” とまで呼称されていたけれども,21世紀のこれからに向かっては「先進国から脱落した・しかも特殊な労働慣行をいまだに有する」一国として,生きていかざるをえないかもしれない。なかでも大学院進学率の停頓という事実は,その事実を正確に予告しているのではないか。

 

  蛇  足

 昨日〔5月31日〕,水島朝穂早大法学部)からのメール・マガジンを受信したが,そのなかに,こういう戯れ歌(替え歌)が紹介されていた。「先進国落ち」しそうな安倍晋三政権下の日本国を憂う文句が並んでいるが,企業経営にも無縁な内容とは思えない。新型コロナウイルス感染拡大「問題」に向けた日本の会社がみせてきた基本的な態度は,とくに大企業の応答ぶりの悪さだけが目立っていた。

 記録もねえ,記憶もねえ,議事録まったくとってねえ,

 金 [給付金] もこねえ,マスクもこねえ,コロナ対応うそばかり,誠意もねえ,真摯でねえ,

 朝起きて夜寝るまで,外出自粛でテレワーク,子どもが周りでぐーるぐる,

 補償もねえ,謝罪もねえ,検事長週3賭けマージャン,カラオケねえ,ジムもねえ,

 届いたマスクは欠陥品,俺らこんな国いやだ,俺らこんな国いやだ・・・

 ちなみに,本ブログ筆者の自宅には給付金の申しこみ用紙が届いていたので,一昨日(5月29日土曜日)に,これに必要事項を記入して投函しておいた。だが,あの布製「アベノマスク」は未着である。さて,実際にそれが来たらどうするか?

------------------------------