日本における原発事業政策はすでに破綻状態にある

日本経済新聞』がとりあげる原発関連記事の支離滅裂さ,この経済新聞が「資本の論理」に忠実でない内容の記事をそのまま,しかも特定のイデオロギー的背景を容認して,編集し報道する摩訶不思議

 

  要点:1 ともかく無条件に原発擁護論者の意見をいわせるかと思えば

  要点:2 原発という製品(商品)のこの先,日本では完全に「トイレのないマンション化した状態」である事実を認める記事も掲載する

  要点:3 原発に未来はあるのか,その技術経済論に明るい展望がもてるのかといえば,すでに「その真逆であり,否である結論」は判りきっている


 「〈経済教室:私見卓見〉原子力再稼働と国際責任」日本経済新聞』2020年6月19日朝刊25面

 この『日本経済新聞』〈私見卓見〉への投書主は,日本エネルギー経済研究所理事長豊田正和である。要は,日本原子力村を構成する組織人の意見が,その〈私見卓見〉に寄稿されていたが,その内容はきわめて偏向していて,いまどきに表現された原発理解としては,「時代錯誤」と「状況音痴」に埋没した原発「観」である。そうみなされても文句はいえない程度にまで,とことん見当違いの「独自の見解」が披瀝されていた。その種に属するとみなすほかない,日経の「財界人用投書欄」への寄稿であった。

 予断になることを恐れずにいえば,この意見は独断・偏見,我田引水,非理に満ちている。書かれている一言,一言に矛盾が満ちており,自家撞着もはなはだしい論理構成になっている。いまどきによくも,このようなハチャメチャなヘリクツを投稿できたものだと感心するほどである。またこれを採用して掲載する日経の側も日経であった。


    日本エネルギー経済研究所理事長豊田正和「原子力再稼働と国際責任」★

 a) 原子力の目標達成について,国内で悲観論が増えているようだが,地球市民としての責任を忘れてはいないだろうか。

 政府の現行の電源構成(エネルギーミックス)における2030年の目標では,20~22%を原子力が占める。2011年の福島の原子力事故後,2012年に独立性を有する原子力規制委員会が設立され,新基準のもとで9基の原発が再稼働を果たした。目標の実現には30基ほどが再稼働する必要がある。

 補注)すでに突っこみどころ満載の独断・独善の意見が出ている。さきまわりして断わっておくが,つぎのごとき時代の趨勢や現状の把握とは無縁の論調になっていた。

  「地球市民としての責任」(?)は,脱原発しかありえない。

  「電源構成における2030年の目標」「20~22%を原子力」については,すでに資源エネルギー庁でさえ,それが実現不可能である現実を悟らざるをえないでいる。

  「独立性を有する原子力規制委員会」だといったところで,「国民の立場」からは独立しているとはいえても,原子力村全般のなかに埋めこまれているごとき,この委員会の存在と機能についての「独立性そのものをウンヌンしようとした」ところで,せいぜい架空の話題にしかなりえない。

  「新基準の下で9基の原発が再稼働を果たした」というが,5月25日現在においてはそのうち4基は定期点検などで停止しており,5基しか稼働できていない。

   註記)「日本の原子力発電所の運転・建設状況」http://www.ene100.jp/www/wp-content/uploads/zumen/4-1-3.pdf  参照。

 b) 一方,テロ対策の専用施設の建設が間に合わず,再稼働済みの原子炉の一部が一時停止を始めた。それが悲観論の根拠だろう。しかし,これは日本のエネルギー安全保障を危うくし,電力コストを高めることになる。再生可能エネルギーへの期待は大きいが限度がある。太陽光発電のコストは低下してきたが,一層の引き下げは容易ではない。

 補注)この記述もほとんど口から出まかせ的ないいぶんである。なぜ,原発が停止すると「日本のエネルギー安全保障を危うくし,電力コストを高めることになる」のか? 原発の安全性にかかわる技術的な問題が,規制委員会によって指導されていく過程にしたがい,原発の再稼働のために必要となる保守・管理「諸経費」(コスト経済面)が非常に高騰してきた。その点だけを,ただそのままにとらえて強調したい意見なのであれば,この点じたいとして理解できない意見ではない。

 だが,上の記述は,多くの原発が稼働できていない現状を踏まえて,その負担(原価はかかるが収益がともなわない事実)のために,日本の電力コストが全体的に上昇していると憂慮するのであって,原発そのものがすでに「絶対的に高コスト化した技術的な実情」にはしらんぷりを決めこんで,そのように強調だけしている。すなわち,意見の表明の仕方としては不公平・不公正の立場から,ひたすら一方的・偏在的な解釈のみを披露している。

 原発という装置・機械は,これを新製品として海外に売りこもうとしてきた企画がすでに気泡と化していた。現有する日本の原発を再稼働させる・させないという現実的な課題の以前に,すでに原発は経済的な採算のとれない電力生産方式になっていた。

 そうした原発の技術経済特性に関していうとしたら,その最新・直近の事情認識を踏まえて発言すべき論理とは,まったく逆方向での議論をしかけている。これでは,なにか特定の意図が隠されているのかとしか受けとりようがない。

 現時点においての話でいえば,エネルギー問題に関する基本認識として妥当性が共有されている点,つまり,原発という装置・機械の建造費そのものがすでに,「電力コスト」を高める最大の要因になっている事実や,原発そのものを製品として生産し販売する事業じたいが,もはや成立しえないほど高い原価水準にまでなっている事実からも,あえて目を背けたかっこうで以上のように発言するのは,よほどなにかの確信があってのことと推察する。

〔記事に戻る  ↓  〕

 c) 原子力の着実な再稼働には2つの重要な国際責任がある。第1に国際的に約束した,2013年比で温暖化ガス26%削減という目標は原子力の貢献が前提だ。さらに政府は2050年に80%削減の約束もしている。再生可能エネルギーだけで実現可能と思う人は少ないだろう。

 補注)これもいまでは詭弁である点は基本的に理解されている。原発が “炭酸ガスは抜き” であっても地球を温暖化させる有力な原因のひとつである事実を,すっ飛ばした意見である。また「原発の建設 ⇒ 稼働 ⇒ 廃炉の過程」ではそもそも,炭酸ガスを発生させる石油を大量に利用している事実にも,目をつむった意見である。原発は石油の2次製品といわれるゆえんがあった。

 だから,地球温暖化の問題についての「再生可能エネルギーだけで実現可能と思う人は少ない」という発言の仕方そのものが,実は相当にギマン的な表現になっている。今後に向けて「再生可能エネルギーだけで実現可能」であるのが,むしろこの問題に対する正解であった。世界全体において再生エネがいかほど開発され利用されているかについて具体的に触れないでする断定は,観念論にもなりえない盲目的な勇断(?)である。

 とりわけ,「当面する問題」と「中・長期的な問題」とを,わざとなのか区別もしないで,ごちゃごちゃにして混ぜっ返した議論をするのは,「3・11」において顕著に増えてきた原発擁護論者に特有の乱雑な理屈の一例であって,まともな科学的な論理の運びからは離れていた。しかも,とるに足らないような,それも単なるヘリクツに近い,粗雑という以上にたいそう乱暴ないいぶんを乱舞させていた。

〔記事に戻る→〕 第2に,福島の原発事故後,原発導入の計画中断や撤回に転じたものの,原子力なしでは気候変動に十分に対応できないと考えているアジア等の国々への責任だ。社会には原子力への懸念が強いのは事実だが,新規制体制により安全水準は大幅に向上した。

 リスクは英国の安全衛生庁が提唱し,欧米諸国で普及している「許容できるレベル」まで低下したと考えてよいだろう。原子力をもつリスクばかりが注目されがちだが,もたないリスクはないだろうか。世界保健機関(WHO)によると,このまま温暖化が進めば30年前後には,台風や山火事などの異常気象のために,世界中で数十万の人びとが犠牲になるという。

 補注)このいいぶんもまったくにヘリクツのたぐいである。原発の事故とその他の自然災害とを同列に並べて論じる方法じたいに,ギマンがたっぷりしこまれている。いわれているその「許容できるレベル」というものも,放射性物質に関した議論・説明であるかぎり,信用するわけにはいかないような,もともとからの性質を有している。

 また「英国の安全衛生庁が提唱し,欧米諸国で普及している『許容できるレベル』」だと言及するけれども,イギリスにおいて原発とその廃炉の問題に関連して発生している困難な諸問題や,国土の広いアメリカが放射性物質の後始末の方法に関して,もっとていねいな説明が「日英・日米比較」の問題として必要であるところを,平気で無視している。

 つまり,アメリカにおける高レベル放射性廃棄物は,民間の原子力発電所から発生する使用済燃料の再処理は見送りとしたうえで,ワンススルーによる核燃料利用を優先させるとの決定を下している。だが,国土が狭く地震国である日本では,その方法は採れないでいて,放射性廃棄物の問題処理については苦境に追いこまれている。

 d) 原子力規制委も事業者も,事故後9年を経て審査や工事に習熟したはずだ。対話を緊密化し,効率的な対応を期待したい。関西電力の不祥事は遺憾だが「企業統治の問題」と「原子力の価値」を混同してはならない。国民経済・生活の安定にくわえ,国際社会への責任を放棄するわけにはいかない。

 補注)この段落のいいぶんについても,理解するのにだいぶ困難を感じる。「3・11」の「事故後9年を経て審査や工事に習熟したはずだ」というけれども,東電福島第1原発事故現場は,いまもデブリを本格的に取りだせはじめていない。いつになったその処理日程が正確に設定できそうなのかについてさえ,いまだにその見当がついていない段階に留まっている。これが現場の実情である。

 また「『企業統治の問題』と『原子力の価値』を混同してはならない」とまで語っているが,この論法は現実の問題と原子力「信仰という価値」の問題とを,発言者のほうで故意に混濁させている。「原子力の価値」という論点そのものは,すでにいくらでも真剣に議論されてきている。

 たとえば,「3・11」の危険性を的確に予測した広瀬 隆,京都大学(研究所)内では冷遇されながら原発反対の研究を持続してきた小出裕章(たち・熊取六人衆),巨額の賄賂を提示され反原発の立場を封印するように迫られた体験をもつ高木仁一郎,原発コストがけっして安価ではない事実を明解に指摘した大島堅一などは,「原子力の価値」を多少でもまともに,つまり科学技術の問題として真正面より掘り下げて吟味したうえで,その『価値』そのものについて語るとなれば,それが「人類史」にとってもった意味は《悪魔の火》以外のなにものでもない事実を教えてきた。

 そのなかで「企業統治の問題」をそれも関西電力における一事例をもちだし,これのみを関連づけてあれこれいったところで,たいして生産的な議論にはなりえない。「原子力の価値」が唯一有効にみいだせる場所は,兵器・武器に利用・応用する分野・領域にしかありえない。

 e) 以上,逐条的に,日本エネルギー経済研究所理事長豊田正和の「原子力再稼働と国際責任」という一文が,いかにイデオロギー一辺倒の原発「観」を披瀝しつつ,それも論理破綻でしかありえない暴論を恥じらいもなく語った点を,遠慮容赦なく批判してみた。日本における原発利用はすでにその命運は定まっているというほかなく,この現状に非常な焦りを抱いている識者の吐いた意見としてならば,豊田のいいぶんを位置づけておく空間がどこかにみつかるかもしれない。

 そもそも,一般財団法人日本エネルギー経済研究所とは「エネルギーと環境,および中東の政治経済に関する研究・調査などを行う日本の研究所である」と謳っていた。また,この「1966年に設立された」,それも「元資源エネルギー庁所管の財団法人で」あったからには,経産省資源エネルギーの別働隊であって,いわば「旧官僚組織群」の天下り活動隊だということになりそうである。

 なお,この一般財団法人日本エネルギー経済研究所は,2005年4月1日付で財団法人中東経済研究所と合併したのち,公益法人制度改革により,2012年4月1日に一般財団法人に改組したというのだから,つまり公益財団法人にはならなかったという事情でもあれば,それなりに解釈ができる法人だといえなくはない。

 あえていうまでもないと思うが,経済産業省資源エネルギー庁原発推進路線の官庁組織部門であった。国策としてであっても,いまでは完全に破綻したのが「原発安全神話」や「原発コスト最安価」「原発でこそ電力安定確保」などの発想であった。

 ところが,それらの妄想をいまだに捨てきれずに執心し,いいかえれば時代から取り残されたまま,このエネルギー資源庁的発想そのものしかできないでいるようでは,四半世紀も以前の固定観念をもちつづけている国家組織が,この資源エネルギー庁であったと形容するほかない。

 安倍晋三が第1次政権の首相を務めていたときであったが,国会において日本共産党から提起された原発安全性の問題について,つぎのように答えていたが,いまとなっては完璧といっていいくらいの「大間違い」であった。

 

 「アンダーコントロール男」の「原発無知」そのものであった「恥さらし政治屋

 ところで,第2次政権を発足させてからの安倍晋三は,同じ大間違いを2020東京オリンピックを招致するためのIOC総会(2013年9月,ブエノスアイレス)での演説で,放っていた。「3・11」に遭遇させられた結果,決定的に破壊された「東電福島第1発電所の大爆発事故」を棚に上げたまま,この現地における地下流水の汚染問題は「アンダーコントロール」にあると,それこそ寝言にもいえないような「大ウソ」を,彼は吐いてきた。

 補注)関連する判りやすい説明としては,「安倍内閣,反省なき原発推進 事故を招いた『A級戦犯』」『しんぶん赤旗』2013年1月13日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-13/2013011301_04_1.html がある。原発問題に関していえば,安倍晋三という政治屋A級戦犯に相当することは,共産党の関係者であるなしにかかわらず,衆目が一致して認める事実であった。

 『しんぶん赤旗』は,当該記事の全文は引用できないので,冒頭段落のみ引用しておく。

  「安全神話」をふりまき,原発事故を引き起こした「A級戦犯」が,そのことへの反省もなしに,再稼働や新増設を口にするなど,絶対に許されない。日本共産党志位和夫委員長は,新年の党旗びらき(〔2013年1月〕4日)のあいさつで,こう指摘しました。東京電力福島原発事故を招いた安倍内閣の「A級戦犯」ぶりをあらためて検証する……。

 安倍晋三は政治家(首相の立場)において,現在もそのアンダーコントロール「精神」をかたくなに維持している。この立場は極論するまでもなく,異常・異様なエネルギー観としての原発理解である。東電福島第1発原発事故の大きな爪痕は,放射性物質の残存という非常にやっかいな被害がこれからも長年にわたり消滅することがないという事実によって,未来永劫に残っていくのである。

 いまとなってみれば,原発の安全性・安価性・安心性はもともと砂上の楼閣でしかなかった〈空疎な想定〉であった。だから,原発を売り物にして商売しようとしてきた日本の重工業会社,東芝日立製作所三菱重工業の3社は,すでに原発の製造・販売をもう諦めており,実質撤退させられた。

 要は,原発はなんといっても「高い・危ない・心配」の不安要因を,つまり3拍子そろえたかっこうで抱えこんでいる。つまり,きわめてあつかいにくい原子力という「害悪」要因を核心技術において利用するほかない「電力エネルギーの生産装置」である。そのかぎりにおいていえば,単にそのエネルギーを生産し利用する工程のみならず,機械としての耐用年数が来た廃棄されるときには,なんと,その耐用年数の数倍(実質的にはそれ以上の何倍)もの長期間をかけて廃炉という後始末を完全にしていかねばならない。

 当然のこと,実際に電力を「生産できていた期間」とその後における「廃炉工程にかけていかねばならない年数の期間」とは,後者の期間をどのように定義してその期間を計算するにせよ,もはや原発という電力生産方式は採算:経済計算が成立しえないものだという事実は,明証されている。
 
  木川田一隆

 東京電力には昔,木川田一隆という社長がいた(1961年から1971年が就任期間)。木川田は,東電の歴史において,つぎのごとき重要な舞台に関与してきた経営者であった。

    ★ 書評 「悪魔」と手を結んだ男たちの言葉 ★
 = 文:田原総一朗(ジャーナリスト)『文藝春秋 BOOKS』2011. 07. 20,https://books.bunshun.jp/articles/-/2990

 

 私(田原総一朗)が30〔40〕年前に書いた『ドキュメント  東京電力企画室』が,新たな文章をくわえて『ドキュメント東京電力  福島原発誕生の内幕』と改題され,復刊された。

 

 本書が描いているのは,GHQによって解体された電力事業が,東京電力という巨大企業に成長していく過程である。独立を保ちたい東京電力と,再国営化して主導権を握りたい通産省(現・経済産業省)との駆け引きは,壮絶なものがあった。

 

 その闘いのなかで,両者の「駆け引き材料」にされてしまったのが,原子力発電であり,東京電力でいえば福島原発である。

 

 1962年9月21日の東京電力常務会。ここで,東電の創業的経営者であった木川田一隆社長は「原子炉のタイプは軽水炉ゼネラル・エレクトリック社の沸騰水型(略)。福島県双葉郡大熊町です」と,有無をいわさぬ断定的な口調で原発建設を打ち明ける。居合わせた技術担当常務も寝耳に水だった。

 もともと木川田は,原子力発電についてこう語っていた。「原子力はダメだ。絶対にいかん。原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」。

 

 そこまで公言していた木川田が原子力発電所を建設するという,いわば「悪魔と手を結ぶ」ようなことを決断をしたのも,通産官僚たちに電力事業の主導権を取られたくないという思いからだった。 

 

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 出所)木川田一隆画像,http://setubikougyo.co.jp/publication/column/column312.pdf

 本ブログ筆者はたびたび原発のことを《悪魔の火》と呼び,赤の太字で強調してそう書いてきた。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)から25年後に発生した東電福島第1原発の大事故は,その悪魔の火に人間の側がわざわざ火を点けてしまう基本的な原因を提供していた。

 前段の話題でいえば,第1次政権時の安倍晋三首相は,国会で原発問題を質問した日本共産党の吉井英勝衆院議員(京都大学工学部原子力工学科を卒業していた国会議員)に対して,それもひどく小馬鹿にした態度で,つぎのように答えていた。安倍はこの答えだけでも,第2次政権の首相をやる資格はなかったというほかない。ともかく,2006年の12月における国会でのやりとり:質疑応答であった。

 吉井議員  「海外(スウェーデン)では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか」
  安倍首相  「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない」

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 吉井議員  「冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか」
  安倍首相  「そうならないよう万全の態勢を整えている」

 

 吉井議員  「冷却に失敗し各燃料棒が焼損した(溶け落ちた)場合の想定をしているのか」
  安倍首相  「そうならないよう万全の態勢を整えている」

 

 吉井議員  「原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測を教えて欲しい」
  安倍首相  「そうならないよう万全の態勢を整えている」

 

 吉井議員  「総ての発電設備について,データ偽造が行われた期間と虚偽報告の経過を教えて欲しい」
  安倍首相  「調査,整理等の作業が膨大なものになることから答えることは困難」

 

 吉井議員  「これだけデータ偽造が繰り返されているのに,なぜ国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか」
  安倍首相  「質問の意図が分からないので答えることが困難。とにかくそうならないよう万全の態勢を整えている」

 このように安倍晋三が首相の立場から吉井議員に答えていた中味は,本当のところ,自分自身が原発の技術経済問題については,なにもしらない「無学・無知・無恥」の政治家であった事実を露骨に表徴していた。

 

  まさに日本はすでに「トイレのないマンション」化した原発大国

 本日の『日本経済新聞』朝刊は29面の「ニュースな科学」欄に,「再処理工場  いばらの道  使用済み核燃料巡る安全審査,合格へ 度重なるトラブル / 乏しい需要」という見出しの解説記事を掲載していた。③ までの記述を読んでもらえた人には,この ④ の記事が,すでに絶望的になっている日本の原発事情全般を示唆する点は,即座に得心できるはずである。ということで,この記事は引用だけしておくかたちで紹介する。

 --原子力規制委員会日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)の安全審査で今夏にも正式に合格を出す。原子力発電所で出る使用済み核燃料を再利用する施設で,国策で進める核燃料サイクルの要になる。ただ完成が計画より20年以上遅れ,残る審査の手続きも1年以上かかる見通しで実際の稼働は2021年度以降になる。稼働しても再処理で作った燃料の需要は乏しく,いばらの道が待つ。

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 再処理工場は全国の原発で使い終わった核燃料から,原子炉内で燃えやすいプルトニウムとウランを取り出して再利用する施設だ。資源を輸入に頼る日本が原子力を「準国産」のエネルギーにするため,1993年に着工した。

 当初1997年の完成をめざ指していたが,度重なるトラブルや規制の強化で原燃は完成時期を24回遅らせた。再処理を商業的に手がける国内唯一の施設であることと複雑な再処理工程が壁になってきた。

 施設は幅500メートル,長さ1キロメートルにわたって,20近くの建屋が並び,安全上重要な設備が約1万点もある。規制委は東京電力福島第1原発事故のあとにできた新しい規制基準にもとづいて約6年かけて安全性を審査し,5月に事実上の合格証となる審査書案をまとめた。

 1) なお手続き1年超

 今夏にも正式な合格を出したあとも,稼働に向けては詳細な設計をまとめた設計・工事計画認可や使用前の検査といった手続が残る。通常の原発であれば半年から1年程度で終えるが,規制委員会委員長の更田豊志さんは6月3日,「機器の数から単純計算したら数年というオーダーになる」との見通しを示した。順調に進んでも1年はかかるという。原燃は2021年度上期の完成をめざすが,むずかしい情勢だ。

 審査の手続を終えて地元自治体の同意をえても,運転を軌道に乗せられるかは不透明だ。これまでの試験操業などでトラブルが続いてきたからだ。再処理工場は使用済み燃料を細かく切り,硝酸が入った液体に入れてウランやプルトニウムを溶かし出す。取り出したウランとプルトニウムから,通常の原発で使うウラン燃料の原料と,ウランとプルトニウムが混ざったウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料の原料をそれぞれ作る。使用済み核燃料6から,ウラン燃料1体とMOX燃料1体を製造できる。

 施設の完成に向けて鬼門となるのが,再利用できない高レベルの放射性物質の処分だ。施設では高温で溶かしたガラスを混ぜて固め,ガラス固化体を作る。高い熱と強い放射線を出す高レベル放射性物質は取り扱いがきわめてむずかしい。福島第1原発事故が起きる前の2008年には試験操業でガラス固化がうまくできず試験が止まった。試行錯誤の末にガラス固化試験を終えて,原燃は「安定して運転できる」としているが,楽観視はできない。

 2) 米国は削減求める

 技術的に稼働できても課題は残る。核兵器の材料になりえるプルトニウムの扱いだ。再処理工場は1年間に100万キロワット級の原発40基分に相当する約800トンの使用済み核燃料を処理して約7トンのプルトニウムをうる。日本はこれまで海外に委託して再処理した分を含めてすでに約46トン(2018年末時点)のプルトニウムをもつ。米国は日本に余剰プルトニウムの削減を求めており,これ以上増やすのはむずかしい。

 プルトニウムを減らすにはMOX燃料を消費する必要があるが,MOX燃料を燃やすプルサーマル発電ができる原発は現在4基だけ。7トンを消費するには10基以上の稼働が必要になるが,めどは立たない。エネルギー政策に詳しい国際大学教授の橘川武郎さんは「使用済み核燃料の全量を再処理する政策はすでに破綻している」と指摘する。

 ただ再処理をやめても約3兆円を投じる工場はほぼ完成し,内部は試験操業で放射性物質に汚染されているため,解体も簡単ではない。また全国の原発に使用済み核燃料がたまって,原発を動かせなくなる恐れもある。

 引くに引けず,余ったプルトニウムの問題で推進もしにくい「八方ふさがり」(橘川さん)の状態だ。本格的な稼働の前に再処理工場をどう生かしていくのか。原子力政策の抜本的な改革を議論すべきだが,国の動きは鈍い。(引用終わり)

 最後に一言だけ。以上の論旨が日本における「原子力の価値」というものに相当するものなのか?

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【関連記事】 いまや原発事故処理問題は「再エネの展開にとってお荷物」というか,完全に「迷惑モノ化」している。 

genpatsu.tokyo-np.co.jp------------------------------