「国民のための天皇」か,それとも「その逆」か,誰もまともに説明しようとしない・できていない日本の政治問題

「国民のための日本」か,その「象徴の天皇」の日本か,新天皇になる皇太子徳仁「誕生日」などの記事が溢れていた2019年2月23日『朝日新聞』朝刊の紙面構成(その1)

                   (2019年2月23日)

 

  要点:0(冒頭での断わり) この文章は,本日より1年と4ヵ月前の記事(皇室関係の新聞報道)をめぐり,上の題目をかかげ議論していた,「日本の天皇天皇制」の問題でも,とくに天皇代替わりの問題にかかわって,あれこれ考えてみた記述である

  要点:1 江戸時代までの天皇家とは天地の差があるのは,岩倉具視伊藤博文などによる明治維新=「天皇神格化」のおかげ

  要点:2 2020年からは2月23日も「国民の祝日」になる「天皇の誕生日」,この調子でこの種の祝日(天皇関連の)が増えていったら,2千6百年後における日本のカレンダーは〈祝日〉だらけ……(?)

  要点:3 過去にもまだ祝日に利用されていない「過去の天皇は100名以上いる」から(実在したと思われる天皇にかぎっても),これらも天皇の分も「国民の祝日」化に利用したら,1年のうちは平日よりも祝日が多くなるかも……

🌑 前   言  🌑

 

    ◆〈経済気象台〉海のもの,山のものとも ◆
    =『朝日新聞』2020年6月20日朝刊7面「経済」=

 

 東京五輪パラリンピックの延期に伴い,祝日を変える特別措置法の改正案が先の国会に提出された。成立はもちこされたが,五輪開会式当日の7月23日を「スポーツの日」,前日の22日を「海の日」とする内容だ。

 

 「山の日」も閉会式の8月8日に移し,翌月曜日の9日が振り替え休日となる。政府の当初案は,山の日を8月9日に移すものだったが,与党から反発を受けた。9日は長崎に原爆が投下された日だ。国民の祝日とすることに抵抗感があるのは,よく理解できる。

 

 そもそも海の日や山の日が,なにを祝うものかもピンとこない。関連の祝日をまとめて「自然保護の日」などとする方が,この国のめざす姿を世界に示せるのではないか。法律で定める休みの多さは,いつの間にか世界トップクラスとなった。国民の祝日,振り替え休日,国民の休日の3種類があり,今年は計18日に達する。

 

 連休も長い。昨〔2019〕年5月の大型連休は土,日を含め10連休にもなった。欧米主要国が最長3~4日にとどめるのとは対照的だ。これは日本経済にとってリスクになる。休みの間,国内の株式市場は閉まるが,海外市場で大きな変動があれば,国民は多大な損失を被る恐れがある。

 

 有給休暇の取得率があまり上がらないのも,公的な休みが増えたのと関係があるだろう。働き手が目いっぱい年休をとれば,働く日数はかなり減る。企業には悩ましい。だが大事なのは祝日の増加でなく,個人の都合で休める環境の整備だ。

 

 国の休日は,国民が思いを深くする日でありたい。もう一度,休日のあり方を見直してはどうか。グローバル化にも,働き方改革にもかなう。(穹)(引用終わり)

 

 この『朝日新聞』の「経済気象台」というコラム記事,けっこう興味をもてる小文が執筆されることも多い。本日〔6月20日〕のこの文章の中味に接して,あらためて思い出した旧ブログの文章があった。その後,未公開の状態にあったその文章を,「本日の本文」として以下に採録することにした。ともかくも,この『朝日新聞』のコラム記事を読んだのをきっかけに,この文章を復活させてみたくなった。その前につぎのような若干の追加説明を添えておきたい。

 

 --「海のものとも山のものとも分からない」という文句があるが,このコラムに出ていた「海の日」「山の日」という「国民の祝日」に関しては,つぎのような歴史的事情にも触れておくのが便宜である。

 

 「海の日」とは,日本の国民の祝日のひとつで,1996年から施行されてきた。制定当初は7月20日に置かれていたが,2003年に改正された祝日法のハッピーマンデー制度により,7月の第3月曜日に変更された。また「山の日」は,同上であるが,2016年1月1日施行の改正祝日法で新設されていた。

 

 いずれも「日本の国民の祝日の一つである」とされるが,海の日については,つぎのような由来があった。「海の記念日」という日付があって,これにもとづいて置かれた現在における国民の祝日のひとつとして「海の日」がある。

 

 1876年〔明治9年〕,明治天皇が東北地方を巡幸したとき,従来の軍艦ではなく灯台視察船「明治丸」で航海し,7月20日に横浜港に入港したさい,横浜御用邸伊勢山離宮へ帰着した史実から,1941〔昭和16〕年に逓信大臣の村田省蔵が提唱し,制定されたのが,当初の「海の記念日」であった。

 

 それに対して「山の日」は,2014年に制定されていた。祝日法(昭和23年7月20日法律第178号)2条は,「山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているが,山に関する特別な出来事などの明確な由来があるわけではない。

 

 戦前において天皇は,「国とこの民を統合する象徴である天皇」ではなかったゆえ,とくに「海の日」の由来を「明治天皇:睦仁の足跡に求める」という理由は,現代における歴史観としてはチグハグ感を否めない。


 「『平成の多様性,寛容の精神で発展を』 皇太子さま,きょう59歳」(『朝日新聞』『朝日新聞』2019年2月23日朝刊1面)

 昨日〔2019年2月22日〕夕刻に歯医者にいき,待合室で診療の順番待ちをしている間であったが,待合室にあるテレビを視聴していると,安倍晋三首相が皇太子〔徳仁,令和での現天皇〕に対して「新年号」に関することがらを説明するために東宮御所に直接出向いていた,というニュースが放送されていた。

 この事実は『朝日新聞』の場合,「首相と皇太子さま,異例の一対一で面会」(4面「総合」の左下に配置された記事で「首相動静」22日の記事の真上に置かれてもいた)という〈横組みの記事〉で報道されていた。この異例という語感は「現天皇抜きでいきなり皇太子のところへいった」安倍晋三の行動を指してもいたはずである。

 安倍晋三首相は〔2月〕22日,東宮御所で皇太子さまと面会し,約30分間「ご説明」をした。首相は天皇陛下に一対一で面会する「内奏」を不定期におこなっているが,皇太子さまと一対一で会うのはきわめて異例。

 政府は内容を明らかにしていないが,5月1日の新天皇即位を控え,国内外の情勢について報告したとみられる。政府は平成に代わる新元号について,4月1日の閣議決定直前,現在の天皇陛下とともに皇太子さまに伝達する方向で検討しているが,憲法との整合性を問う声が出ている。(引用終わり)

 この記事に報道されている内容じたいからして,あれこれと問題を発散させている中身であるが,ここではいちいち議論はせず,この朝刊の4面に掲載されていたこの記事を,ひとまずさきに引用しておいた。安倍晋三が首相として,このような “異例の行動” を採ったという点が,今後においてなんらかの問題の展開につながる可能性もなきにしにあらずである。

 それもとくに「宮内庁の関係性」をすっ飛ばした(蹴飛ばした)みたいな「安倍によるこの行動」は,いわせる者にいわせれば,大いに問題含みでありうる。というしだいで,さらに天皇問題研究者の見解を訊きたい出来事でもある。つまり,今回は安倍個人による「首相としての個人プレー」を敢行したという解釈もでき,対する宮内庁から一言も発言がないままであれば,結局,この宮内庁も安倍に「忖度する」官庁組織のひとつになったのかという疑問が浮かぶ。

 補注)参考になる記事としてつぎを挙げておく。「秋篠宮さま苦言…山本宮内庁長官は官邸子飼いのヒラメ官僚」『日刊ゲンダイ』2018/12/01 15:00,更新日:2018/12/01 15:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242869

 さて,以下からの記述が,① の記事の引用と関連する議論となる。

 皇太子〔徳仁〕さまは〔2月〕23日,59歳の誕生日を迎えた。この日に報道されることを前提に21日,東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に臨んだ。平成という時代を「人びとの生活様式や価値観が多様化した時代」と回顧し,「この多様性を寛容の精神で受け入れ,おたがいを高め合い,さらにに発展させていくことが大切」と述べた。(▼36面=皇太子さまの歩み,39面=連載「新天皇と新皇后」)

 皇太子としては最後の会見。〔2019年〕5月1日に即位を控え「これからのことを思うと,とても厳粛な気持」と心境を明かした。「国民につねに寄り添い,人びととともに喜び,ともに悲しみながら象徴としての務めを果たしてまいりたい」と新天皇になる決意も語った。

 補注)この発言の意味はより本格的に掘り下げて考えてみる価値がある。本当にこのとおりに「国とこの民を統合する象徴である天皇」が,国民に対して「つねに寄り添い,人びととともに喜び,ともに悲しみながら象徴としての務め」る仕事・任務とは,いったいどのようなものたりうるか,真剣に考えてみるべきだからである。

 政治家=首相としての安倍晋三は,前段のごとき課題を,それも本当にまじめに考えてきた政治家であったか? 安倍にかぎっていえば「完膚なきまでに〈否〉」であった。もっとも,天皇のほうで,それではなにが・どこまでできるかと問われたとき,ただちにこれに適切に答えられる人はいない。

 天皇をとくに象徴の問題として研究する学究(政治学者)もいるが,小田原評定みたいな議論は意欲的に展開できても,天皇の問題として厳正に学問的な討究をおこなったり,真っ向からの批判をくわえられないでいる。

〔記事に戻る→〕 天皇陛下〔平成天皇〕がビデオメッセージで退位の意向をにじませた2016年8月以来,自身が担う重責に思いをめぐらせる機会が増えたという。天皇,皇后両陛下からさまざまな機会に話を聞いていることが「大きな道標(しるべ)となる」とし,過去の天皇の歩みと,天皇は象徴であるとの憲法の規定に思いをいたし「国民と苦楽をともにしながら国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,望ましいあり方を求め続けることが大切」と述べた。

 補注)この段落は「国民⇒天皇」の方向性でもって,天皇のあり方を考えていきたいとする皇太子の希望である。「国民と苦楽をともに」というとき,なにを・どのくらい・どこまで「していくのか・やっていけるのか」といったふうな問われ方をさらに具体的にされたら,天皇や皇太子であっても,本当は返答に詰まってしまい,かなり困るはずである。平成の天皇が実際におこなってきて残された行跡は,端的にいってのければ「父・天皇の戦争責任」として残置されていた「大きな懺悔」問題に関連する「ひとつの行動録」であった。

 しかし,日本のマスコミにせよ多くの天皇研究者にせよ,「そこまで突っこんだ分析や解明」までは,ほとんど手を着けたがらない。そのあたりは,同じ日本人(民族?)であれば,いいかえると “阿吽の呼吸” でいけば,きっと,いわないくとも分かってもらえはずだと信じこんでいる〔のかもしれない〕。

 つまり,日本国内における「過去の歴史問題」に対して向けられるこの種の「解釈の仕方」は,どこまでの内政向けのものでしかありえず,外交面にかかわるより大きな「戦責問題」には届いていないし,もちろんまったく通用しない手法であった。前後に引用している皇太子誕生日関連の記事は,そうした問題意識とも絡めて読んでおく必要があった。

〔記事に戻る→〕 一方,「その時代時代で新しい風が吹くように」「時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい」とも語り,長年の水問題の研究でえた知見も,防災・減災を考えるさいに活かしたいと意欲をみせた。皇太子として活動するにあたり,皇室がなすべきことを的確に感じとれるよう,広く国民と接するようにしてきたといい,「今後も活動の大きな柱として大切にしていきたい」と語った。

 補注)この段落は「時代が(⇒)天皇へ」という “歴史の脈絡関係” に沿って考えているらしい皇太子の意見である。しかし,この意見をあえて敷衍・拡延させていくとなれば必然的に,「天皇から(⇒)時代へ」という意識的な政治性が,逆には「歴史からの操作」として,過去においてどのような問題を惹起させてきたかという「歴史の事実」に関する議論を不可避にする。

 はたして,「国とこの民を統合する象徴である天皇」がこの概念の枠内に,いつまでもうまく収まりうる存在として留まっていられるかという点を,具体的に説明できている政治家も研究者もいなかった。つまり,理論的に厳密な問題意識を用意するまでもなく,そこにはきわめて曖昧かつ茫漠とした問題領域が潜在している。

〔記事に戻る→〕 療養中の雅子さまについては「快復の途上」とし,新皇后として公務が増えても「一朝一夕にすべてをこなせるようになるわけではない」と述べつつ,海外での経験をいかした国際的な活動への期待もにじませた。

 補注)この「回復の途上」という表現が興味深い。皇太子の妻である雅子は,だいぶ以前から(結婚したのは1993年6月),この「途上」ということばを当てて表現された「〈精神的な疾患〉と思われる症状に関する治療」が必要だといわれつづけてきたが,いまもなお,まったく同じ状態にでもあるかのように,それも夫:皇太子の口からじかに指摘されていた。

 最近,テレビのニュースに登場する雅子の姿は,その様子を観るかぎりでは “心身ともにきわめて健康的” に映っているが,そうではなくて「まだ病的な因子」を完全に退治(根治)できていない,ということになるのか。正直な感想をいえば,どう観ても不可解だという印象は避けえない。

 皇室に入った雅子は十数年間もかけても,「お世継ぎ問題(男子を誕生させねばならないという課題)に応えることができなかった。この事情を主軸にしつつ,実際には「皇居や東宮御所」のなかをのぞけない庶民の立場からは,いろいろとミーハー的な観察をするほかなく,これがまた「あちら」側のほうへ反響する関係性が生まれていた。

 最近,こういう記事が最近書かれていた。「皇太子さまが再び立ち上がる日 雅子さま人格否定会見から15年」(『@nifty ニュース』2019年01月24日 16時00分 女性自身,https://news.nifty.com/article/domestic/society/12268-172846/)から後半部分を引用する。

 雅子さま適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは,2003年12月のこと。その半年後,皇太子さまが行動を起こされたことがある。雅子さまのお出ましが完全に途絶え,国民から心配の声が上がるなか,翌〔2004〕年5月の会見でこのように発言されたのだ。「雅子のキャリアや,そのことにもとづいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」。

 

  “お世継ぎ” となる男子を産めなかったのに,海外訪問ばかりを望み,公務を休み続けている。そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった “人格否定発言” だった。しかし,このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか,両陛下も困惑を示されることになった。秋篠宮さまは「せめて陛下と内容について話をして,そのうえでの話であるべきではなかったか」と皇太子さまに苦言を呈された。

 

 それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり,雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回,文書で発表するだけになった。

 

 「宮内庁はこの15年間,体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが,もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。雅子さまには,ご自身が国民の前でご症状について語られるには,少なからず恐怖があったはずです。一度でいいので,皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山リカさん)。

 

 2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは,例年のように会見に臨まれる。お代替わり前の会見は,この1回きりだ。 “最後のチャンス” に,皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。

 

 「現在は毎月,天皇陛下秋篠宮さまとの “三者会談” が開かれています。お代替わりに向けた話しあいのなかで,皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。今回は15年前とは異なり,お二方からの後押しもあるでしょうから,きっと雅子さまの不安をとり除く結果になるはずです」。(引用終わり)

 安倍晋三政権のなかでは,女性差別「発言」が隠然と平然とを問わず放ちつづけられてきた。しかもこの現象は,男性議員と女性議員とを問わず頻発するかたちで発生してきた。だが,まずこの種の現在的な問題と,つぎに「男系天皇制」といった “明治以来において旧・皇室典範(と明治憲法)” をもって確定された「〈女性差別〉のための政治社会的価値観」とが,相たずさえたかっこうで,21世紀における現在に日本においても連綿と継承されている。

 ちなみに,昨年(2018年)12月に話題のニュースとなったのが,「世界における男女平等ランキング2018」で日本は110位,G7中ダントツ最下位」という事実であった。この事実が「天皇天皇制」とはまったく “関係ありません” というわけにはいくまい。

 日本の評価は,項目ごとに優劣がはっきりしている。読み書き能力,初等教育中等教育(中学校・高校),出生率の分野では,男女間に不平等はみられないという評価で,昨〔2017〕年同様世界1位のランク。

 一方,労働所得,政治家・経営管理職,教授・専門職,高等教育(大学・大学院),国会議員数では,男女間に差が大きいとの評価で世界ランクがいずれも100位以下。そのなかでも,もっとも低いのが国会議員数で世界130位(昨年は129位)。その他の項目でも50位を超えるランクは,男女賃金格差のみ。

 註記)武田雄治「世界『男女平等ランキング2018』 日本は110位でG7ダントツ最下位」『BLOGOS』2018年12月19日 13:47,https://blogos.com/article/346250/

 補注)ちなみに,世界における「男女平等ランキング2020」は,日本を121位に位置づけており,史上最低となった。G7中でもダントツに最下位であり「中韓にも負ける」とまで書かれていた。

 天皇天皇制の問題は王族・貴族制度の残っている諸国に固有の政治問題となるが,こうしたランキングのなかで比較し,順位づける対象とはしにくい。だが,いずれせよ,以上のごとき「男女ランキング」をさらに引き下げる要因となって,「日本の天皇天皇制」が効いていることは確かである。

〔ここで,前段の『@nifty ニュース』の残りの段落を引用する→〕 秋篠宮さまが公費支出に疑問を呈した「大嘗祭(だいじょうさい)」については,「前例を踏まえ,政府で十分な検討をおこなったうえで決定したものと理解をしている」と述べた。(引用終わり)

 この最後に出てきた「秋篠宮」「が公費支出に疑問を呈した」「大嘗祭」の問題は,実は安倍晋三政権側からは完全に無視された “皇室側の希望” に終わっていた。この日本という国家における「民主主義の状態」の真価が問われる機会は,そうした体裁をとりながら皇族側からも「問題として提起されていた」ことになる。

 秋篠宮の発言はもちろん「兄と父の立場」をまとめて代弁していたから,いうなれば皇族側の基本的な関心事であり,とりわけ彼らにとって非常に大事な利害状況を改善させるためのものであった。

 

 「〈真相深層〉韓国,収め所なき『反日知日派議長,天皇陛下に謝罪要求」(『日本経済新聞』2019年2月日朝刊2面「総合1」)

 日韓関係が泥沼に陥っている。韓国国会の文 喜相(ムン・ヒサン)議長(画像)が従軍慰安婦問題で天皇陛下の謝罪を要求し,撤回を求める日本に「盗っ人たけだけしい」とも反発した。なぜここまでこじれるのか。背景には韓国の日本軽視が潜み,関係修復の意欲も乏しい。

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 「なぜあんなバカげたことをいったのか。日本をまったくしらない人ではないのに……」。韓国のある知日派知識人は文議長の発言にあきれる。文議長は米ブルームバーグとのインタビューで天皇陛下を「戦犯の主犯の息子」と表現。「そんな方が(元慰安婦の)おばあさんの手を握り『本当に済まなかった』と一言あれば(問題は)解決する」と語った。

 2004年から4年間,韓日議員連盟の韓国側会長を務めた文議長。2017年に革新系の文 在寅ムン・ジェイン政権が発足すると,特使として日本を訪問した。文政権では代表的な日本とのパイプ役の1人だ。

 元徴用工らへの損害賠償判決,自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射,慰安婦合意にもとづき設立した財団の解散。昨〔2018〕年来,日韓関係は悪化の一途だ。ここまで問題がこじれるのは,北朝鮮との南北融和を最優先する文 在寅政権にとって,日本の存在感が急速に低下していることがある。

 1)「私たちが主役」

 「私たちが朝鮮半島問題の主役になった」。文 在寅氏は〔2019〕1月の新年記者会見で胸を張った。北朝鮮の金 正恩キム・ジョンウン委員長を外交の舞台に引っぱりだし,米国との非核化交渉のテーブルに座らせたのは韓国だとの強い自負がある。

 「南北と米国が休戦協定や非核化を話しあっており,日本の役割はなくならざるをえない」。『朝鮮日報』によると,文氏の外交ブレーンである文 正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官は2月9日,東京でのシンポジウムで語った。「ジャパン・パッシング(日本外し)ではない」と否定したが,現政権の対日観を象徴する。

 経済面でも日本に部品・素材を依存する構造は変わらないものの,輸出先としての日本は2000年2位から2018年には5位に低下。代わって中国の存在感が高まっている。文政権が日本に意図的にケンカを吹っかけているとは思えない。ただ日本への関心が下がっているために関係悪化を食い止めようとせず,収めどころを考えない対日批判になっている。

 2013年までの保守系の李 明博(イ・ミョンバク)政権で駐日韓国大使を務めた申 珏秀(シン・ガクス)氏は「かつては関係が悪化しても水面下では改善に動いたが,いまはその努力がみられない。それが怖い」と語る。大統領府には日本通がほとんどいない。数少ない知日派だった金 顕哲(キム・ヒョンチョル)経済補佐官が1月,経済政策をめぐる失言が問題視されて辞表を提出。文氏はかばうこともなくあっさり受理した。

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  出所:左側)朴 槿恵と李 明博https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150409/frn1504091550002-n1.htm

 

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  出所)申 珏秀,https://ameblo.jp/kjroad/entry-11501840647.html

 外務省で花形だった「ジャパンスクール」の退潮もささやかれる。『中央日報』によると,対日外交を担う東北アジア局から中国を切り出して「局」に格上げする一方,日本をインド,オーストラリアと統合する組織改編の検討が進む。苦労の割りに処遇されないと,在日大使館は不人気職場だ。

 2)「節目」目白押し

 日本政府は島根県が〔1月〕22日に松江市で開く「竹島の日」記念式典に内閣府政務官を派遣する。式典出席は7年連続で,韓国は毎回抗議している。今〔2019〕年は「反日」の世論が高まりやすい節目が相次ぐ。3月1日は日本統治下で起きた最大の抗日独立運動三・一運動」から100年となる。韓国政府は大規模な行事を計画中で,北朝鮮にも参加を呼びかける。

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 続く4月には韓国が日本統治時代に中国につくった「大韓民国臨時政府」の樹立100年も控える。韓国の外交筋は「今年は対日外交で安易な妥協は許されない」と語る。日本との関係改善を「口にしようものなら『積弊(積み重なった弊害)清算』の対象になりかねない。ものいえば唇寒しだ」。ある政府関係者は肩をすくめる。(引用終わり)

 この『日本経済新聞』の解説記事は,日本側にいるはずの韓国通(?)の国会議員(主に自民党)の存在に明確には触れていない。日本のこちらの政治家たちがどのような姿勢で対応しようとするか,以上のごとき韓国側の動きをどうとらえているのか,ほとんど分からない。韓国側の動きが以上のように急展開をみせているのに,日本側がただ「指をくわえて」ただ傍観者的に放置しておくわけにはいくまい。

 「韓日外務大臣『真実』巡り論争,文 喜相議長の『天皇謝罪発言』波紋」(『統一日報』2019年02月20日

  ※ 意図的に問題を引き起こし,揉め事を誘発か ※

 韓日関係が悪化の一途をたどるなか,文 喜相国会議長の「天皇謝罪発言」が韓日政府間の距離をさらに広げてしまった。発言の主は,過去に韓日議員連盟の韓国側会長まで務めている,日本に対して一定の理解がある人物としてしられてきた政治家の発言ということもあり,波紋は広がりをみせ,事態は長期化の様相を呈している。

 韓日の外交トップが〔2月〕15日,ドイツ・ミュンヘンで会談した。文議長の発言も議題に上った。しかし,席を同じくしていたにもかかわらず,外務当局の発表は両国でまったく異なるものだった。日本の外務省は会談直後,河野太郎外務大臣が文議長の発言に対する日本の立場を伝えたと明らかにした。

 しかし,韓国外交部は「『日本政府として謝罪と撤回を求めた』という日本のメディア報道について,会談では同件に対する日本側の言及はなかった」と反駁した。康 京和長官も同じく,河野外務大臣による抗議の有無を問う韓国記者に対し「なかった」と断言した。

 まるでピンポンゲームかのごとく,日本側は再び反論した。河野外務大臣は17日,「(康長官に)大変驚き,残念に思うと伝え,韓国外交部にはしっかり対応するよう申し入れた」と語った。つづいて河野大臣は「韓国側はよく聞いてくれていたし,しっかりとメッセージは伝わっている。『しらない』ということにはならない」と述べた。

 韓日の外交トップによるミュンヘン会談は,非公開で約50分間にわたりおこなわれた。当初予定していた30分を大幅に上回った。韓国最高裁判所の徴用工賠償問題,韓国の駆逐艦と日本の哨戒機との攻防など,最近火種が大きくなっている韓日の諸問題を考慮すると,50分でも短いだろう。それにくわえ「天皇タブー」を抱える日本の実情を無視した文議長の発言は火に油を注ぐものにほかならない。

 補注)日本国側には「天皇タブー」が控えているからといって,外交関係上この問題にはいっさい触れないほうがいいという論法は一理ある。だが,日韓関係の間柄においては,この天皇天皇制問題が禁忌視されつづけていたら,永遠に解決できない「なにか,プラス・アルファー以上」の論点が両国間においては残されていくほかない,と考えるほうにも一理ある。注意したいのは,日本国のタブーが他国でもタブーになるべき絶対的な事由はないことである。

〔記事に戻る→〕 両国の外交当局による「真実ゲーム」の様相は,現在の韓日政府間の関係をそのまま映し出している。問題をかかげ,たがいの立場の違いを確認し,それぞれいいたいことだけを説明するとの見方だ。相手がなにをいおうとはなから考慮の余地はなく,きわめて形式的な会談といえる。

 補注)アベノポリティックスにおける最大の特徴は,「相手のいいぶんは完全に無視したまま」「自分のいいたいことだけを説明する」政治技法(?)にみいだせる。日本の国会のなかでいままで,安倍晋三という政治家が浸透させてきた「野党に対する不躾・不誠実な答弁の方法」が,こんどは外交関係面で伸してきたと受けとめるほかない。他国の政治内情への口出しができないこちら側の事情にも目線を向けた議論とする余地もある。

 〔2月〕8日,ブルームバーグ通信とのインタビューで,文議長が天皇に対し慰安婦問題に関する謝罪を求めたことを訝しむ声は韓国国内でも多い。「議長はいうべきことをいった」と評価するメディアもある。しかし,2012年に当時の李 明博大統領が言及した「天皇謝罪発言」よりも,文議長の発言をより深刻に受けとめる見方もある。

 文議長は韓日議員連盟会長などを務め,日本の議員とも交流のある政治家だ。ある程度は日本の事情を理解しているという点を考慮すると,意図的に天皇問題をもち出し,もめごとを誘発したのではないかとの疑いがもたれている。

 一方,文議長は騒動に対し「私が謝罪する案件ではない。10年前から変わらない私の持論だ。(戦犯の息子という表現については)戦争当時,日本国王の息子だったという意味であり,指導者として誠意ある謝罪を強調するという趣旨で出た表現」と述べた。(引用終わり)

 

 「〈いちからわかる!〉朝鮮半島で起きた3・1独立運動って?」(『朝日新聞』2019年2月23日朝刊2面)
  
    ★ 日本統治下の100年前,学生の「独立宣言」から全土に拡大 ★

 アウルさん  島根県などが〔2月〕22日,「竹島の日」記念式典を開いたんだね。

    2006年から毎年開いているけど,今年は韓国が特に反発している。

 ア  どうして?

  A  元徴用工らへの損害賠償問題などで日韓関係が悪化しているからだ。なにより今年は「3・1独立運動」から100年に当たる。それが大きいよ。

 ア  なぜ独立なの?

  A  大陸への進出を考えていた日本は1910年に大韓帝国を併合した。当時,朝鮮の人たちは言論や出版,集会の自由などの権利をうばわれていたんだ。

 ア  なにが起きたの?

  A  1919年3月1日,いまのソウル中心部にある公園で,集まっていた群衆のなかから1人の学生が「独立宣言」を読みあげはじめ,呼応して人びとが「独立万歳」をさけんだ。その後,約2カ月間にわたって朝鮮半島全土で抗議活動が起き,日本側の取りしまりも激しかった。朝鮮側の記録によると,約7500人の犠牲者が出たとされる。

 ア  韓国では3月1日は重要な日なんだね。

  A  そもそも元徴用工や元慰安婦の問題は,日本の統治がなければ起きなかったこと。当時を韓国では「日帝時代」と呼んで学校でしっかり教える。日本にとっては過去のことかもしれないけど,韓国の人たちはいまに続くことととらえる傾向が強い。韓国政府は全国で330余りの行事を計画し,文 在寅ムン・ジェイン大統領も3月1日午前に演説するよ。

 ア  日本への批判は,さらに高まりそうなの?

  A  釜山プサンでは日本総領事館のそばで市民団体が徴用工像をもちこんで集会を開き,ソウルでも慰安婦問題をめぐる集会がある予定だ。日本批判が燃えさかる様子は両国のメディアなどで伝えられ,日韓関係はまた悪化に向かうとのイメージが強く出ることになりそうだ。(ソウル=牧野愛博)

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【『未 完』】  つづく「本稿・2」は出來しだい,ここにリンクを貼る予定。 

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