在日米軍基地の軍事・在日的な特権,あたかもアメリカの属国であるかのように日本が映るその基地群の存在,砂川事件最高裁判決の不当性

連合国との戦争に敗北した日本は,21世紀の現在も,米軍基地に首根っこを押さえられた対米従属国家体制のままであるが,国民たちにその歴史的な事実の意味を的確に教えないでいる政府の立場


  要点:1 いまでもつづく在日米軍基地の「在日特権」,原子力空母の「母港」まであるその実態

  要点:2 在日米軍基地は特別製の治外法権地域であり,アメリカ本土の飛び地である

  要点:3 砂川事件最高裁判決1959年12月16日は,日本の対米従属国家体制がより本格的に定まった記念日といえる,そのときの最高裁長官は田中耕太郎であった


 🌑 前  言  🌑

 本ブログにおけるこの論題に関連する記述(正確には,旧ブログ,2014年2月21日)は,つぎのものがおこなっていた。興味をもたれる人は,さきにこちらも読んでもらいたい。

 本日〔2020年6月22日〕に記述する論題は,敗戦後史におけるつぎのごとき事件に関連する。以下にとりあげる『朝日新聞』の記事に関連させていえば,朝日新聞社自身の「砂川事件」に関する解説(「キーワード」)が用意されている。ごく簡潔にこう説明されている。ただし,この説明だけでは判りにくい論点(時代背景など)もあるので,つづいて別に,もうひとつの説明も添えておく。

 「説明:1」 1957年,東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対する学生ら7人が基地に立ち入り,刑事特別法違反の罪で起訴された。同法の前提である米軍駐留について東京地裁は1959年3月,憲法9条2項が禁じる戦力にあたり違憲と判断。全員に無罪をいい渡した。検察が跳躍上告し,最高裁は「日米安保条約違憲とはいえない」との結論を裁判官15人の全員一致で出したが,理由付けは12人の「多数意見」と,それとは異なる3人の「意見」に分かれた。(2020-06-13 朝日新聞 朝刊 1総合)

 「説明:2」  東京都砂川町(1963年立川市編入)にある米軍基地の拡張に反対し,1955年~1957年現地の基地拡張反対同盟を中心に展開された闘争をめぐる事件。とくに1957年7月強制収用のための測量のさいに,基地内に入ったデモ隊のうち7名が刑事特別法違反として起訴された事件は,憲法日米安全保障条約の関係が法廷で正面から問われる契機となった。

 第一審東京地裁(伊達裁判長)は,米軍駐留を定めた安保条約は憲法第9条に違反し,また駐留軍を特別に保護する刑特法は憲法第31条にも反するとして無罪判決(伊達判決)を下した(1959年3月)。

 その後,検察側の跳躍上告に対し最高裁は,国家の自衛権を確認したうえで,第9条の禁止する戦力は日本が主体となって指揮・管理権を有する戦力と解され,外国の駐留軍はこれに当たらないとして,原判決を破棄・差戻した(1959年12月)。

 さらに同判決は,条約のように高度の政治性をもつものは,裁判所の違憲立法審査権には原則としてなじまず,内閣と国会の判断にゆだねるべきであるとした。砂川事件では,日米安全保障条約は「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有する」もので,「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」司法審査権の範囲外にあるとし た(最判 1959.12.16.刑集 13巻 13号 3225)。

 ところで,前段において「統治行為」と表現された法的概念は,高度に政治性を帯びるため裁判所でその合法・合憲性を審査することが不適当とされる「国家の行為」(統治行為論)を指している。英・仏・独・米において学説・判例で認められ,日本でも衆議院の解散,安保条約の締結などについて認められていた。しかし,この理論「統治行為論」の安易な採用・乱用は,砂川事件に関する判断をめぐり,違憲立法審査権の放棄であるとする批判もある。

 (以上,百科事典マイペディアの解説を参照)

 砂川事件の「第一審の伊達判決」に対する,しかも跳躍上告という手続を経てから最高裁が下した以上のごとき判決は,国内問題としてだけではなく,在日米軍基地にかかわる国際問題に対した日本の最高裁の判決であっただけに,すでにサンフランシスコ講和条約によって独立していたはずの日本において,司法そのものがアメリカの対米服属状態にさせられた国際政治状況を正直に物語っていた。

 2020年6月13日『朝日新聞』朝刊の1面と社会面にすでに掲載された2つの記事,そして,本日:6月22日朝刊(7面「オピニオン」)に掲載された記事は,以上のように説明されていた「砂川事件・伊達判決」とこれに対する最高裁の判決を含めてとなっているが,敗戦後の日本の政治過程をめぐって,当時から現在まで深い関連を有する「在日米軍基地の問題そのもの」の “歴史的な含意” を,新しく発掘された資料をもとに報道し,その解説をくわえていた。以下,6月22日の記事からさきにとりあげ,紹介し議論する。


 「〈記者解説〉在日米軍と国内法『国際法』盾に不適用,政府説明に難」編集委員・藤田直央)『朝日新聞』2020年6月22日朝刊7面「オピニオン」

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 論点1 在日米軍への国内法適用制限は国際法による,という政府の説明の粗さが露呈

 論点2 米側は,駐留外国軍に関する国際法はなく個別の地位協定で権利確保をとの姿勢

 論点3  「嘉手納爆音訴訟」でこうした国際法の有無が問われており,最高裁判断に注目

 a) 日本国内での米軍機の飛行や騒音への規制,米軍関係者が起こす事件や事故の捜査などで,国内法の適用は制限される。日本の主権や国民の人権に関わる話なのに,なぜだろう。

 今年で〔1930年から〕改定60年になる日米安全保障条約は,米軍が極東の平和と安全のために日本で活動できると定める。同時に結ばれた日米地位協定には,その米軍にさまざまな分野の国内法がどこまで適用されるかが書かれている。

 ところが日本政府は,米軍に国内法適用を制限する根拠としてそれらを挙げず,「一般国際法上,外国軍には特別の取り決めがないかぎり,受け入れ国の法律は適用されない」と半世紀近く説明してきた。しかも,その一般国際法とは具体的になにかと問われても説明を避けてきたのだ。

 国会などで最近批判を浴びると,昨〔2019〕年1月,国会答弁や外務省ウェブサイトでの説明から「一般国際法」の言葉を削った。それでも政府は「国民にわかりやすくするためで,考え方に変わりはない」といいつづけている。

 一般国際法に言及してきた根拠について,私は情報公開法で文書開示を求めた。すると外務省は「探索したが確認できなかった」という。

 b) このずさんさはなんなのだろう。

 一般国際法をもち出す説明は,地位協定を改め,国内法の適用範囲を広げるよう求める世論の矛先をそらす役割を果たしてきた。考えられるのは,日本政府が日米安保体制を国益として聖域化するため,一般国際法を都合良く解釈して錦の御旗にしているのではないか,ということだ。

 こうした国会答弁は1972年の沖縄返還直後に始まる。ただ,私が入手した1970年代の外務省の内部資料では,一般国際法の解釈は答弁よりもずっと狭い。外国の軍人による公務中や基地内での犯罪の裁判権は受け入れ国にはない,とみなすにとどまる。

 沖縄返還によって,米軍が自由使用にこだわる在日米軍基地が一気に増え,国会では沖縄選出議員らが基地問題を頻繁にとりあげはじめた。それをしのごうと,一般国際法を拡大解釈したのではないか。ある駐米大使経験者はその見方を否定せず,「国際法なんていい加減なもんだから」と語った。

 現職の外務官僚は「国際法の解釈の根拠は国会でもいわない。国際裁判所で他国と争う時に主張するぐらいだ」とかたくなだ。国際法の解釈とは,国益がぶつかる世界で自国に有利なように柔軟になされるもので,いちいち国民に説明する必要はない,という姿勢がうかがえる。

 c) 一般国際法とは,国際関係で多くの国が認めるルールのことだ。わかりやすい例が国連憲章だが,外国軍への国内法適用に関して明文化されたものはない。ならばこの分野で多くの国による慣行,つまり国際慣習法があるかどうかが問われることとなる。

 その慣行を考えるさいに欠かせない存在は米国だ。世界各地に自国軍を展開,他国との地位協定は 100を超す。米国の最近の公文書をみると,実は日本政府と逆の見解が示されている。

 在日米軍のような平時からの外国軍駐留は米ソが対立した冷戦期に急増したもので,そこに国際慣習法はまだみいだせない。だからこそ,米軍の活動や関係者の人権を守るため例外を設ける地位協定を有利に定め,運用せねばならないという発想なのだ。

 米陸軍で軍法会議判事を育てる機関が2017年に編んだ『法運用ハンドブック』は,外国軍駐留に関し「歴史的な国際法はほとんどない」と述べ,「第2次大戦後に友好国の外国軍駐留が大幅に増え,そのためにできた地位協定は形式も内容もさまざまだ」とする。

 また,米国務省の求めで有識者委員会が各国との地位協定を分析した2015年の報告書は「ある国にいる者には,その国の法律が適用されるのが国際法の一般原則だ。地位協定は(外国軍駐留に関し)例外を設ける」とある。

 その米国の軍隊の駐留のために,日本政府は「外国軍に国内法は不適用という国際慣習法」があると主張する。苦しいといわざるをえない。

 d) こうした国際慣習法の有無をめぐり最高裁の判断を待つ訴訟がある。沖縄本島中部の米軍嘉手納基地の周辺住民が米軍機の飛行差し止めと損害賠償を求めた「第3次嘉手納爆音訴訟」だ。

 原告約2万2千人が日本政府を訴え,昨〔2019〕年までの一,二審で損害賠償は一部認められたが,飛行差し止めは日本政府にはできないと退けられた。それを織りこんで原告の代表者らが米政府を並行して訴えているが,二審まで門前払いが続いている。その理由が,「外国軍の主権的行為」は受け入れ国の裁判を免れるという国際慣習法が「ある」というものなのだ。

 根拠の一つが,2012年の国際司法裁判所(ICJ)の判決。第2次大戦中にドイツ軍に強制労働をさせられたイタリア人によるドイツ政府への訴えを,イタリアの裁判所が受け入れた件だ。ICJは,軍隊による国家としての行為は他国での裁判を免れるという国際慣習法に反する,と判断した。

 これに対し原告弁護団は,イタリアの憲法裁判所が国民の基本権保護の観点からICJ判決を違憲と判断しており,そもそもこの件は平時の外国軍駐留と無関係だ――と主張する。双方は各国の法律や判例も根拠として積み上げたが,法律家同士で逆の解釈を唱え,この分野で国際慣習法をみきわめるむずかしさが浮き彫りになっている。

 「ある」とする日本政府の説明の粗さがあらわになったなかで,最高裁が原告の上告を受け入れて実質審理に入るかどうかが注目される。(引用終わり)

 検察側による「跳躍上告という手続」を経て,砂川事件の「第一審の伊達判決」に対して最高裁が下した判決は,現在の時点においてもなお,以上の解説記事が提示する問題点,すなわち,国内法と国際法との折りあいがきわめてズサンでいいかげんなまま,いうなればご都合主義に徹してきた関連づけが今日にまで残存させられてきた事情を教示している。

 以下につづく記事などの紹介のなかでも気づく点となるが,日本は旧敗戦国であるドイツやイタリアに比較して観るに,アメリカにとってみれば一番与しやすい旧占領国でありつづけてきた。冒頭にも触れたように,横須賀や佐世保には米国海軍の艦船が母港と利用できる基地まで置かれている。

 かつて「鬼畜米英」と叫んで大東亜戦争・太平洋戦争を戦ってきた旧大日本帝国の面影は,21世紀のいまとなってはその面影すら感じられない。在日米軍が実質的に日本を軍事面から専有し支配する状況は,まずごく現象的には,米軍基地から発生する騒音問題の被害をもって,日本国民側が知覚させられている。厚木基地の問題はその代表例のひとつに過ぎない。

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 上に紹介したのは『時事通信』2016年12月8日の解説記事「【図解・社会】第4次厚木基地騒音訴訟の争点(2016年12月)」,https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_jsdf20161208j-12-w620 である。

 自国内に存在する他国の軍事基地が発散させつづけている諸困難に対して,ろくすっぽ口出しすらできない日本の裁判所の無力さが語られている。この実情にいきどおりを感じない「日本の国民」はいないはずである。だが,そうではない自民党などの政治集団,および各種各様の利害関係者たちが,この政権の存在にかかわって大勢「居る」。

 

  第4次厚木基地騒音訴訟の争点

  自衛隊機差し止め認めず=「運航,高度の公共性」-厚木基地騒音訴訟・最高裁

 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の周辺住民らが,騒音被害を理由に国を訴えた第4次訴訟の上告審判決で,最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は8日,「自衛隊機の運航には高度の公共性がある」として,夜間早朝の飛行差し止めを認めた一,二審判決を取り消し,住民側の請求を棄却した。米軍機の差し止め請求も退け,いずれも認めない判断が確定した。

 二審が認めた将来分の損害に対する賠償請求も退けた。裁判官5人全員一致の意見。過去分の約82億円の賠償は国が争わず,すでに支払われている。

 各地の基地訴訟では,民事訴訟での差し止め請求を不適法として「門前払い」する判決が定着。今回,公権力行使の違法性を問う行政訴訟でも自衛隊の公共性を認めた上で請求が退けられたことで,裁判を通じた軍用機の飛行差し止めは事実上不可能となった。

 原告は,航空機騒音の国際基準「うるささ指数(W値)」が75以上の区域の住民約7000人。

 最高裁は,住民らの騒音被害について「睡眠妨害の程度は相当深刻で,軽視できない」と言及。ただ,「厚木基地における自衛隊機の運航はわが国の平和と安全に極めて重要な役割を果たしており,高度の公共性がある」と指摘した。

 そのうえで,自衛隊が夜間早朝の運航を自主規制している点や,防音工事への助成費用として総額1兆円超を支払っていることを考慮し,「防衛大臣の権限行使は妥当なものだ」と結論付けた。

 米軍機については言及せず,飛行差し止めを認めない一,二審の判断を不服とした住民側の上告を棄却した。将来分の賠償は「あらかじめ賠償額などを明確に認定できない」として退けた。

 要は「米軍機については言及せず,飛行差し止めを認めない」という結論であった。日本の国民たちは厚木基地の軍用機騒音問題は,日本の自衛隊については対策を講じていながらも,ともかく「公益性=日本の平和と安全」にとって「重要な役割を果たして」いるだから, “我慢しておれ” といっている。

 それよりももっとひどいことは,その「米軍機については言及せず,飛行差し止めを認めない」という点にあった。アメリカさんの軍用機騒音問題に対して日本国側は “なにもいえません” という裁判所側の回答であった。要は,日本はいまだに対米従属国家ですと正直にいっている(「いえない」でいる?)。

 以上が,安倍晋三首相がつとに強調してきた「戦後レジームからの脱却」が意味する対象の現況である。つまり,安倍は日本国最高指導者の立場に居ながらも,全然できもしない目標を,しかもただ標語してのみ叫んできた。もっとも,最近における彼は,この標語のことじたい,ほとんど口にしない。

 安倍晋三2015年4月26日から5月3日まで,日本の総理大臣として9年ぶりに米国を公式訪問していたが。このとき,米日安保関連法が日本の国会でまだ議論の段階にあったにもかかわらず,アメリカのにいって必らず成立させますと「誠意のほど」を披露していた。

 つまり,安倍は日本の首相としてその日程になかで4月29日,「米国連邦議会上下両院合同会議」において演説をする機会を与えられ,「希望の同盟へ」という論題を用意し,つぎの点をも語っていた。自国民の存在はそっちのけにして,まずさきにアメリカに対してこのように報告を済ませていた。

 日本はいま,安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき,日本は,危機の程度に応じ,切れ目のない対応が,はるかによくできるようになります。この法整備によって,自衛隊と米軍の協力関係は強化され,日米同盟は,より一層堅固になります。それは地域の平和のため,確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後,初めての大改革です。この夏までに,成就させます。

 また安倍政権下,自衛隊の第5代統合幕僚長を異例に長く務め,2014年10月14日から2019年4月1日まで就いていた河野克俊は,軍人の立場からは完全に逸脱していて,重大な問題とされるべき “アメリカ側に対する言動” を記録していた。

 もっともこの河野は,安倍晋三がもっとも信頼する自衛官といわれ,歴代の防衛大臣からも厚い信頼をえていたせいか,法令(自衛隊法施行令)で定める定年年齢(62歳)を越えたあとも,3度の定年延長を経て統合幕僚長の地位に留まった。初代統合幕僚会議議長の林 敬三に次いで歴代第2位の在職(統合幕僚長としては最長)となった。

 この河野克俊は統合幕僚長に在任中,アメリカ政府関係者に対して,文民統制の基本をないがしろにするどころが,それを完全に破る言動を犯してきた。つぎのごとき発言を放っていた。

 安保法案を審議する参院特別委員会で2015年8月11日,共産党の小池 晃議員が,「安保法案成立時期の見通し」などが書かれた防衛省統合幕僚監部の内部文書の存在を暴露した。さらに9月2日には,同党の仁比聡平議員が,やはり自衛隊トップの河野克俊幕僚長が2014年末に訪米したさいの内部文書を公開。米軍幹部と会談した河野統幕長が,「2015年夏までには安保法制が整備できる」などと語っていたことが発覚した。

 

 統幕監部は「制服組(自衛官)」中心の組織である。自衛隊のトップが国会や国民の存在を無視し,米軍上層部に対し,単独で,まだ安保法案の中身も定まっていない時期に「2015年夏に安保法案が成立する」との見通しを先行して示していたのだ。

 

 自衛隊上層部は,国民によって選ばれた国権の最高機関である国会よりも,米軍の方に「忠誠」を誓っているようだ。「同盟国」とはいえ,他国の軍隊である米軍に「忠誠」を尽くしているとすれば,自衛隊は独立主権国家の実力組織とはいえない。「集団的自衛権の行使容認」の真の狙いが,自衛隊による米国の戦争の「下請け化」であることを示す事実である。

 註記)「統幕監部の『暴走』は安倍政権以前から ! ?  『日米同盟のために集団的自衛権を行使すべし』 青井未帆教授が新資料で明らかになったシビリアン・コントロール崩壊の “新事実” を暴露!」『IWJ』2016.2.21,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/288399

 この最高指揮官である統合幕僚長自身が,日本国防衛相自衛隊はまるで「アメリカ軍の三下としかみられない言動」を記録していた。つまり,米日間においては「軍事同盟的な上下の服属関係」がりっぱに実在している事実が,あけすけに語られていた。

 自衛隊3軍の最高指揮官がこのように,他国に出向いて自国の政治(外交)に関した事情を伝える(口出しする)という光景は,日本の国民たちにとってみれば「自衛隊」はいざとなったら「われわれを護ってくれる」軍隊であるかどうかに疑いをもたせる。

 なにせ,自衛隊3軍を束ねる司令官自身が『シビリアン・コントロールのABC』を完全無視していた。おそろしい事態が実際にできあがっている。自衛隊は国民のために存在するよりも,アメリカ・ファーストである軍隊組織になっている。

 

 最高裁判決直前,原案批判のメモ  担当調査官名で 『高度な政治判断は裁判の対象外』示した砂川事件朝日新聞』2020年6月13日朝刊1面

 a) きわめて政治性の高い国家行為は,裁判所が是非を論じる対象にならない。この「統治行為論」を採用した先例といわれる砂川事件(=キーワード=註記))の最高裁判決で,いい渡しの直前に,裁判官たちを補佐する調査官名で判決の原案を批判するメモが書かれていたことが分かったた。メモは「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」とし,統治行為論最高裁の「多数意見」といえるのかと疑問を呈している。(▼28面=矛盾突く)

 註記)『砂川事件』 1957年,東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対する学生ら7人が基地に立ち入り,刑事特別法違反の罪で起訴された。同法の前提である米軍駐留について東京地裁は1959年3月,憲法9条2項が禁じる戦力にあたり違憲と判断。全員に無罪をいい渡した。検察が跳躍上告し,最高裁は「日米安保条約違憲とはいえない」との結論を裁判官15人の全員一致で出したが,理由付けは12人の「多数意見」と,それとは異なる3人の「意見」に分かれた。

 統治行為論はその後,政治判断を丸のみするよう裁判所に求める理屈として国側が使ってきたが,その正当性が問いなおされそうだ。

 b) メモの日付は1959年12月5日。判決いい渡しの11日前にあたる。冒頭に「砂川事件の判決の構成について 足立調査官」と記されており,同事件の担当調査官として重要な役割を担った足立勝義氏がまとめたとみられる。判決にかかわった河村又介判事の親族宅で,朝日新聞記者が遺品のなかからみつけた。

 砂川事件では日米安全保障条約違憲かどうかが争われ,最高裁全体の意見とみなされる多数意見は,判事15人中12人で構成された。安保条約に合憲違憲の審査はなじまないと「統治行為論」を述べる一方で,日本への米軍駐留は「憲法9条,98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ」と事実上合憲の判断を示している。多数意見にくわらなかった判事のうち2人が「論理の一貫性を欠く」と判決の個別意見で指摘していることはしられていた。

 メモはさらに踏みこんでおり,原案段階での多数意見の内訳を分析している。安保条約を合憲とする田中耕太郎長官らは,合憲違憲の審査はできないとする藤田八郎,入江俊郎裁判官とは本来「相対立する」とし,田中長官らはむしろ,多数意見とは別の理由で「合憲の判断を示すことができる」とした判事らと一致していると指摘した。

 そして統治行為論を述べたものは最多でも裁判官15人のうち半数に足りない7人に過ぎないとし,多数意見としてくくられた考えが「果たして多数意見といえるか否か疑問である」「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない。しかも,その包容の対象を誤っている」とした。

 メモが生まれた経緯などは不明だが,判決の構成という核心部分について,最高裁内部でも異論があったことがわかる。最終的な判決をみるかぎり,メモが受け入れられることはなかった。編集委員・豊 秀一)(引用終わり)

 以上の解説記事は,砂川事件最高裁判決の根本事由とされた『統治行為論』そのものへの同意者が,実は「最多でも裁判官15人のうち半数に足りない7人に過ぎない」にもかかわらず,「多数意見としてくくられた考え」とされた点が問題になっていた事実を説明している。

 ところが,その「果たして多数意見といえるか否か疑問である」立場を,いいかえれば「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」ゆえ,「その包容の対象を誤っている」とされた『統治行為論』を,ただ強引に指揮して決めたのが,当時の最高裁長官田中耕太郎であった。

 もっとも,その間において田中耕太郎は,駐日アメリカ大使ダグラス・マッカーサー2世(連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの甥で,1957年1月から1961年3月まで駐日大使を務めた)を,いうなれば舞台裏に控えていたアメリカ側の相手(窓口)と相談・調整しつつも,砂川事件に対する第一審における伊達判決を,その統治行為論にもとづく最高裁判決を当て,否定した。

 本日の『朝日新聞』朝刊が報道していたもうひとつの記事をつぎに紹介する。

 

 「異例メモ,判決案の矛盾突く 『相対立する意見を無理に包容させたもの』 砂川事件」『朝日新聞』2020年6月13日朝刊28面「社会」

  砂川事件最高裁判決に至る主な出来事 ◆

   1959年3月30日 東京地裁が米軍駐留を違憲と判断
      4月   検察側が最高裁に跳躍上告
      8月3日 在日米国大使館が米国務長官あてに田中耕太郎長官の話として裁判の見通しを            航空書簡で送る
      9月7日 最高裁で口頭弁論が始まる
        18日 最高裁で口頭弁論が終わる(6回目)
      11月25日 最高裁,判決を12月16日に開くことを検察側と弁護側に通知
      12月5日 同日付の足立勝義調査官メモが作成される
        16日 最高裁が判決言い渡し

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 「砂川事件の判決の構成について」とタイトルのついた足立勝義・最高裁調査官名のメモ(画像右側)。「果たして多数意見といえるか否か疑問である」などと書かれている

 「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」。統治行為論を初めて採用した砂川事件最高裁判決について,判決原案のまとめ方を批判する内部メモがみつかった。統治行為論は,臨時国会の召集義務をめぐって〔2020年6月〕10日に判決があった那覇地裁の訴訟でも国側が主張。有無をいわせずに政治判断を正当化する手段としても使われてきた。判決はどんな流れで生まれたのか。そしてメモはなにを意味するのか。編集委員・豊 秀一)(▼1面〔これは ④〕参照)

 砂川事件最高裁判決をめぐっては,1959年8月3日に在日米大使館が米国務長官(当時)にあてた公文書の存在がしられている。布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)が米国立公文書館から入手した。

 それによると,田中耕太郎・最高裁長官(当時)は首席公使に,

  (1)判決は12月となるだろう

  (2)判決では世論を動揺させるような少数意見を避け,実質的な全員一致の判決を生み出すような評議が進むことを期待している

と伝えた,とある。

 実際,判決は〔1959年〕12月16日にいい渡され,結論は全員一致となった。

 最高裁がこの判決期日を検察側と弁護側に伝えたのは,11月25日。大法廷の合議は水曜日におこなわれる慣例で,判決までに合議できるのは,12月2日と9日の2回となる。今回みつかったメモが書かれたのは12月5日。最後の合議の機会の4日前にあたる。

 判決直前のメモは,15人の裁判官の審議に影響を与えたのだろうか。

 高見勝利・上智大名誉教授(憲法)は,判決の構成は変わらなかったが,裁判官の見解に影響を与えた可能性はあるとみる。メモによると,12月5日時点で,垂水克己裁判官は安保条約について「合憲と判断ができる」「私見によれば合憲であると判示してよい」との見解を示していた,とされる。しかし確定した判決文にこの表現はない。高見名誉教授は「足立メモで矛盾点を突かれ,見解を修正した可能性は否定できない」と話す。

 最高裁調査官の経験もあり,最高裁判事を務めた泉徳治弁護士は「メモは最後の〔12月〕9日の合議のために作られ,配布されたのではないか。ぎりぎりの段階まで判決案の細部を詰める作業が続いていたということだろう」とみる。「ただし,足立案を採用するとなれば,判決期日の延期は必至だ。12月9日の合議では字句の修正はあっても,ほぼ原案どおりとすることが確認されたと思う」と述べる。

 当時は最高裁が誕生して10年あまり。泉弁護士によると,裁判官が自説を主張し,調査官も遠慮なく意見を述べていたという。「自由な空気が異例のメモを書くことができる背景にあったのではないか」。

 足立勝義調査官は1964年4月に最高裁調査官の職を離れたあと,東京地裁や東京高裁,福岡高裁で刑事裁判を担当。佐賀地家裁所長を最後に退官した。

  ※ 多数意見,首尾一貫性欠いた ※

 

 長谷部恭男・早大教授(憲法)の話  砂川事件最高裁判決の多数意見は,裁判官たちのさまざまな意見をとりまとめた結果,政治的で首尾一貫性を欠くものになった。足立調査官のメモは,この矛盾を正面から突いたものだ。判決理由に説得力をもたせるためにはできるだけ多くの裁判官の支持をうる必要があり,無理をしたのだろう。

 

 半年後には,憲法7条を根拠に内閣が衆院を解散したことの合憲性が争われた「苫米地事件」の判決を控えていた。ここで統治行為論を採用する準備をしていたと思われ,衆院解散よりはるかに政治性の高い日米安保条約の合憲性というテーマで,統治行為論の先例を作っておく必要もあったのかもしれない。(引用終わり)

 敗戦後史においてそれも現在にまでもいえる事情であるが,「日本の政治の頂点」付近にはいつも「アメリカの暗い大きな影」が覆っていた。問題は,日本の国民たちに対しては,その影がまったくなかったかのように “遮ってきた人物” が現実に居たことである。

 田中耕太郎はそのもっとも代表的でかつ有名な人物であった。高位の勲章をぶら下げている人間がそのとおりに本当にエライなどと,勘違いしてはいけない。売国奴のような国家官僚群はいくらでも存在するし,政治家のほうでもアメリカさんにはヘイコラする言動しかできない者たちも大勢いる。

 ここでは,つぎの引用をして記述を終わりにしたい。

 --2016年2月16日,私〔IWJ岩上安身〕のインタビューに答え,鳩山由紀夫元首相は,自身が総理のときに公約としてかかげた〔沖縄県普天間米軍基地の〕「最低でも県外」を翻した理由について,これまで語ることのなかった真実を明らかにした。

 事の発端は,〔2016〕年2月2月4日におこなわれた「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」と題した講演会だ。

 世紀のスキャンダル ! ? 鳩山元首相が「最低でも県外」公約を断念するきっかけとなった書類がいまは存在しない ! ? 外務省がみせたペーパーに虚偽 ! ? 虚偽公文書の作成の可能性も ! ?  2016. 2. 4

 鳩山氏は,普天間基地「県外移設」断念の裏に,外務省の官僚から示された「極秘文書」の存在があったこと,また,そこに「虚偽」ではないかと疑われる内容が記されていたことを示唆した。時の総理の政治生命を賭けた公約を断念させるために,官僚が虚偽文書まで用いて騙したのだとしたら,一大スキャンダルである。その「世紀のスキャンダル」の内容を徹底的に聞いたのが,今回のインタビューである。

 註記)「『最低でも県外』を翻させた外務省の『極秘文書』の存在に『虚偽』疑惑!  官僚が総理をワナにはめた ! ?   真相に迫る!  岩上安身によるインタビュー   第616回 ゲスト  鳩山由紀夫・元総理」『IWJ』2016.2.16,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/287473

 前段に示唆されている「日本国外務省の当該官僚の立ち位置」と「砂川事件最高裁判決を指揮した田中耕太郎のそれ」とが酷似していることは,誰にも否定できない,厳然たる「歴史の事実:2点」であった。その間,すでに60年もの時間が経過してきた。

 結局,安倍晋三君が高唱した「戦後レジームからの脱却」など,しょせん白日夢であった。ただし,それがさらに倒錯して観念・妄想的な構図になり変われれば,「米日間の服属的な上下関係」としてだったが,現実的に継続されてきた事実があった。

 その点は,いまさら指摘するまもでなく明々白々であった「敗戦後レジームの実相」。

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