明治維新によって新しく創られた国家神道と天皇制度

       旧大日本帝国国家神道天皇天皇

                   (2010年7月28日)

 

  要点:1 明治時代から創られた国家神道天皇制政治支配のための宗教思想-

  要点:2 島薗 進『国家神道と日本人』岩波書店,2010年7月の解明

 

  明治以後に新たに創られてきた「日本の天皇制と国家神道

 「日本人のなかの国家神道-歴史的な淵源-」

 先日,島薗 進『国家神道と日本人』(岩波書店,2010年7月)の新聞広告が出ていた。本ブログの筆者にとって興味のある書物である。早速,購入して読んでみた。岩波新書であってか,それほど専門書風の記述方法はとっておらず,比較的読みやすい文章で書かれてもいる。ただし,本書の内容じたいは専門的な論究である。

 本書はとくに,いままでいささかむずかしい政治的な論点であるかのように議論されてきた対象,すなわち「明治維新以降における天皇天皇制の創造」,およびこれと密接に対応していた「国家神道の創置・展開」に関する〈歴史的な位置づけ〉を,的確に判断するための考察を与えている。岩波書店のホームページをのぞくと,本書を,かなりくわしくつぎのように解説している。さきにその目次などを紹介しておく。

   ☆ 目 次 ☆

 

 はじめに-なぜ,国家神道が問題なのか?-

 第1章 国家神道はどのような位置にあったのか? -宗教地形-
   1 「公」と「私」の二重構造   2 「神道国教化政策」とその挫折
   3 国民国家と皇室祭祀      4 大日本国憲法教育勅語
   5 信教の自由,思想・良心の自由の限界

 第2章 国家神道はどのように捉えられてきたか -用語法-
   1 国家神道の構成要素     2 戦時中をモデルとする国家神道
   3 神道指令における国家神道  4 皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて

 第3章 国家神道はどのように生み出されたか? -幕末維新期-
   1 国家神道の統合性      2 基軸としての皇道論
   3 維新前後の国学の新潮流   4 皇道論から教育勅語

 第4章 国家神道はどのように広められたか? -教育勅語以後-
   1 国家神道の歴史像      2 天皇・皇室崇敬儀礼システムの確立
   3 国家神道の基盤を固める   4 下からの国家神道の形成

 第5章 国家神道は解体したのか? -戦後-
   1 「国家神道の解体」の実態  2 神社本庁の皇室崇敬
   3 地域社会の神社と国民     4 見えにくい国家神道

 あ と が き

 

   ☆ 解 説 ☆

 

 「国家神道は,いまも生きている!?」 「あなたの宗教は何か」と聞かれれば,「特になし」「葬式だけ仏教」という人が日本人には多いかもしれない。キリスト教天理教創価学会など,特定の信仰をもち日々暮らしているという人も,もちろんいる。しかし,それらすべてを覆うように,「国家神道」はいまなお存在している--というのが本書の驚くべき指摘なのである。国家神道は敗戦でGHQによって解体されたのでは? といぶかしむ向きもあるかもしれない。

 

 しかし,国家と神社との関係は一応断たれたものの,重要な要素としての皇室祭祀はほとんど手つかずのまま残っている。そもそも明治国家の出発において,天皇はどのような存在としてあり,皇室祭祀と神社神道はどう結びつけられたのか,他の宗教と共存させるための整合性はどのような形でありえたのか,さまざまな政治家・思想家・宗教家の思惑を追い,偶然・必然の転変の後に,国民自身も自らすすんで国家神道を血肉化させてゆくに至るさまを,本書では丁寧に解きほぐしてゆく。

 

 さて,それらと現在はどうつながっているのか。著者は本書への意気ごみをこう記す。

 

 いうまでもなく,近代日本人の精神生活は複雑で多様な内実を含んでいる。だが,その全体像や見取り図はやはり必要だ。数多くの日本人論が生産されてきたのは,こうしたニーズが根強く存在していることを示している。本書は「国家神道とは何か」を論ずることで,こうしたニーズに応えようとするものだ。

 

 だが,それはもうひとつの日本人論を生み出そうとするものではない。むしろ,「国家神道とは何か」を解明することで,日本人論が生み出されてきた精神史的な背景を,かなりの程度,解明することができるという立場に立つ。国家神道は,精神生活の全体像を提示しながら,客観性において一段高い叙述を行うための鍵概念なのだ(「はじめに」より)。

  著者の島薗 進(しまぞの・すすむ)は,こう紹介されている。

 1948年東京都生まれ,東京大学大学院人文社会系研究科,文学部宗教学科教授を経て名誉教授,専攻は近代日本宗教史,宗教理論研究。現在〔2020年〕は,上智大学神学部特任教授・グリーフケア研究所所長。

 著書は,『現代救済宗教論』(青弓社),『精神世界のゆくえ』(秋山書店),『現代宗教の可能性』(岩波書店),『時代のなかの新宗教』(弘文堂),『ポストモダン新宗教』(東京堂出版),『〈癒す知〉の系譜』(吉川弘文館),『いのちの始まりの生命倫理』(春秋社),『スピリチュアリティの興隆― 新霊性文化とその周辺』(岩波書店),『宗教学の名著30』(筑摩書房)ほか〔以上は,2010年まで〕。

 さらに,2011年以降の主な著書には,つぎのものがある。

 『現代宗教とスピリチュアリティ』弘文堂〈現代社会学ライブラリー〉,2012年

 『日本人の死生観を読む-明治武士道から「おくりびと」へ-』朝日新聞出版,2012年。

 『つくられた放射線「安全」論-科学が道を踏みはずすとき-』河出書房新社,2013年。

 『日本仏教の社会倫理』岩波書店,2013年。

 『いのちを "つくって" もいいですか? 生命科学のジレンマを考える哲学講義』NHK出版,2016年。

 『宗教ってなんだろう? 中学生の質問箱』平凡社,2017年。 

 『原発放射線被ばくの科学と倫理』専修大学出版局,2019年。

 

  論旨は論点の「適当なる抽出」

 本ブログの筆者が,この島薗『国家神道と日本人』を読了し,とくに感じたことがある。それは,いままでひもといてきた『〈日本の天皇天皇制〉と〈国家神道〉』とに関する学問的な認識枠組として評価するに,その歴史的な由来と論理的な仕組を,相当程度本質的に解明しえている,という点である。

 本ブログの筆者がこれまで,いくつかの論著において強調してきたのは,基本的に日本の天皇天皇制が〈創られた〉時期は「近代の明治」時代に求められるという見地であった。本(旧々)ブログの記述はすでに,この論点をなんどもとりあげ議論してきた。ここ半年(当時)のあいだにつぎの8日分がそれを記述していた。これらの記述について本ブログは,追って徐々に復活させるつもりである。

「2010. 6.12」 「■昭和天皇の「玉音放送終結詔書)」と「人間宣言」■」
「2010. 5.26」 「■靖国神社における祭主:天皇の位置■」
「2010. 3.19」 「■喪服の色はなぜ黒なのか?■」
「2010. 1.13」 「■明治の時代が意図的に創ってきた皇室・皇族■」
「2010. 1.  7」 「■古墳と天皇家宮内庁■」
「2009.12.18」「■天皇天皇制の歴史・存在・意義・限界■」
「2009.12.17」「■思想問題としての天皇天皇制■」
「2009.12.16」「■天皇天皇制問題に関する著作2書■」

 1) 皇居にある宮中三殿-明治以来,いまの日本国東京都の中心にある天皇家のための神殿-

 まず最初に強調されるべきは,天皇天皇家が親祭する皇室祭祀,つまり天皇がみずから祭司の役割をになう祭司は13ある。しかしながら,そのうち「古代以来のもの」は,毎年の稲の新穀を天皇天神地祇とともに食する《新嘗祭》のみである。また《神嘗祭》は新穀を神に捧げるもので,伊勢神宮のもっとも重要な祭祀であるが,新たに「宮中」〔東京の皇居〕でもおこなうことになった。

 「他の11の祭祀」はすべて新たに定められていた。その新しい祭祀としてきわだつものは〈元始祭〉と〈紀元節祭〉である。1月3日におこなわれる〈元始祭〉は,天孫降臨,すなわち天津日嗣(あまつひつぎ,皇位)の始原を祝い,2月11日におこなわれる〈紀元節祭〉は初代天皇とされる神武天皇の即位とその日を祝う。

 天皇が親祭する「その他の9つの祭祀」は,例年おこなわれる『神武天皇祭,春季・秋季皇霊祭,春季・秋季神殿祭,先帝祭(明治期は孝明天皇祭)』など,『天皇家の先祖祭』であり,いわば神武天皇から現天皇に至るまでの「万世一系」と唱えられた歴代天応の祭祀である。とくに「万世一系」は国体論の核心をなす概念である(以上,24頁)。

 ここまでの島薗の記述を引用しただけでも,明治以来「創られてきた天皇制」の政治的なまやかしぶりは鮮明である。天皇家〔=個人・家族〕の祖先が日本の国体の由来になるなどと,恣意的に決めたその政治宗教的な価値判断は,いったい,いつ・誰がどのようにして決定したのか? 実在もしなかった「歴代の架空の天皇」=「天皇家の〈人間たち〉」が,なぜ,日本・日本国の祖先〈神〉とされねばならなかったのか?

 「万世一系」という歴史的連続性を無理やり仮想しようとする概念精神は,なにも天皇天皇家の人間たちに例外的に特有の〈系譜の事情〉ではない。いわば「アダムとイヴ」にまでさかのぼれる,われわれ人類全員に共通的にいえる〈万人:一系〉性である。その意味でも,これほど馬鹿らしい「万世一系」という「神話=童話的な作り話」はない。

 明治以来において「創られた〈作り話〉」,つまり,日本帝国=「国体」の万邦無比性を強説するための「それ」であったとみれば,おとぎ話としては多少は興味も湧かないわけではない。だが,それもあくまで稚拙な〈イワシの頭もなんとかのうち〉の域を出るものではない。

 なによりも,とくに明治天皇大正天皇とはだいぶ異なって,昭和天皇や平成天皇が本気になって「架空の天皇である神武天皇」の即位〔=紀元節2月11日〕を祝うだけでなく,自分たちの皇位の始原になったと信じこんでいる「天孫降臨」の観念にもとづいて,皇位:天津日嗣(あまつひつぎ)のための〈始原祭〉〔1月3日〕も祝うのであれば,日本国民みながこの天皇家における想像上の「架空祖先〈神概念〉」を,好むと好まざるとにかかわらず不可避に共有〔を強制〕させられるほかないハメになっている。

 そのような天皇たちを『象徴天皇に戴いている日本国民』は,はたしてそのような「天皇と国民〔臣民?〕」の〈上下関係〉を本当に望んでいるのか? 国民が望んでいるとしても,いつ・誰がそのように決め,これにしたがわせたのか? 明治憲法天皇睦仁との関係性はひとまず置くとしても,日本国憲法においていちばんエライ「人間」は,間違いなく《象徴であるはずの天皇裕仁自身になっている。

 われわれが忘れてはならない,だいじな1点がある。それは,明治維新以降の日本帝国は《天皇=玉》を担ぎだし,臣民〔国民〕支配の用具に創りなおし,政治体制的に利用しだしたことである。天皇制に厚化粧をほどこし,これをたくみに活用する国家の方途を開削していったのである。

 2) 「古来からの皇室の伝統」というおためごかし:歴史的にも大きなウソ

 いまも毎年・毎月・毎日,平成天皇夫婦が本気になってつづけている皇室祭祀は,「伝統的」とか「古来以来の」といわれることが多い。だが,その皇室祭祀は実は,明治維新にさいしてきわめて大規模な拡充を経ており,しかもその機能はいちじるしい変化をこうむってもきた。それは,ほとんど新たな制度の創出といえるほどの変容を起こしていた。この点をとりあげずに国家神道を論ずることは,近代日本の宗教地形を論ずるにならない。それほど,その変容は深い意義をもっていた(20頁)。

 島薗 進は,そうした明治維新を契機とする日本の皇室に起きた顕著な変容を,さらにこう語っている。

 近代の西洋で育てられた国家儀礼システムを参考にし,国民の忠誠心や団結心を鼓吹する方策を編み出していくことによって,古代的な理想の再現と理解された祭政一致の体制づくりが促進されたのだ。このように一見,後ろ向きにみえる理想とナショナリズムによる新たな国家建設という目標が共振するという事態は,けっして珍しい事柄ではない。現代世界の宗教ナショナリズム原理主義の興隆とも照応しあう現象といえる(28-29頁)。

 本ブログの筆者はここで,さきに釘を刺しておきたい。--「現代世界」に実在するという「宗教ナショナリズム原理主義の興隆とも照応しあう現象」として,日本の天皇天皇制をいきなり〈丸飲み的〉に許容・認識させようとするかのような「島薗の見解」は,要注意である。

 明治維新時に生まれ「創られた天皇制」は,日本の歴史的に特殊な事情に照応するかたちをもって,政策的・人為的に準備・普及させられていった。だからといって,現代世界にも類似主義の国家システムが多く実在するという理由を挙げて,明治期の天皇制度「存在」それじたいを無批判的に「是認するかのような」視点〔→語り口〕は,賛同できない。

 1) でも言及したように,日本帝国の臣民たちは「近代における天皇天皇制」というものをどのように受けいれていったのか? 歴史のなかにおいて現実的にみていき,その道程を具体的にしることになれば,日本の「天皇天皇制の作為性」はただ,「伝統」に大きく付加された「新しい創造:人工的な造作物」であるという事実が,的確に把握できるはずである。

 それゆえ,明治以降に創造された「日本帝国の〈国体〉概念」に立脚したつもりになって,日本という国の体裁がようやく整いはじめた時期〔7世紀〕さえもはるかに突きぬけさせたあげくに,「西暦の今年:2010〔2020〕年は紀元2670〔2680〕年なり」などと数えるのは,これが暴論でなければ,「歴史観の不在」を原因に発生させた〈自身の無知〉の全面公開である。もとより,絵空事の観念世界に飛揚しているという意識などさらさらないまま,そのような古代宗教の祭政的な精神次元に留まれる心性が問題である。

 もっとも,どの国の神話であれ,自国の歴史を物語的にとりあげるとなれば,長大・偉大・尊大に盛りつけるのがふつうであり,つまり,おおげさに・大仰に誇張して語りたがる。しかも,その自愛的・独善的な精神構造は,無限大的に広がっていく必然性を有してもいる。だが,まだそれだけならまだいい。往々にしてその種の神話をいただく国家にかぎって,隣国・他国を見下し,侵略・支配することを当然視する夜郎自大の国家精神を,当然のごとく抱懐している。こうした神話的な国家体制を有する国々は,歴史的に回顧するに,いつも国際関係のなかに紛争・対立をもたらしやすい。この事実に関しては,島薗も他所で指摘するところであった。

 

  日本国家神道

 1) 国家神道史の時代区分

 国家神道に関する有名な研究者に村上重良がいる。村上重良『国家神道』(岩波書店,1970年)は,国家神道の歩みをつぎのように時代区分している。

 第1期「形 成 期」--明治維新(1868年)~明治20年代初頭(1880年代末)

 第2期「教義的完成期」--帝国憲法発布(1899年)~日露戦争(1905年)

 第3期「制度的完成期」--明治30年代末(1900年後半)~昭和初期(1930年代初頭)

 第4期「ファシズム国教期」--満州事変(1931年)~太平洋戦争敗戦(1945年)

 この4つの時期は,世界史や日本史の時代区分を参照し,政治体制や神社制度や国体思想の影響力の変化にかかわる諸事象を踏まえており,およそ妥当なようにみえる。しかし,各時期の特徴づけには理解しにくいところがある。そのひとつは「国家神道神社神道皇室神道の相互関係」,ふたつに「国家神道が国民に強制した」とだけ把握されていて,「皇室神道や国体の教義」が国民生活とどのようにかかわっていたのか明確にされておらず,前段の時代区分を分かりにくくしている(島薗,138-139頁)。

 村上重良による国家神道史に関する時代区分を,以上のように吟味・批判した島薗は,自身による時代区分を以下のように提案する。

 第1期「形 成 期」〔1868年~1890年〕(村上と同じ)
 第2期「確 立 期」〔1890年ころ~1920年ころ〕
 第3期「浸 透 期」〔1920年ころ~1931年ころ〕
 第4期「ファシズム期」〔1931年~1945年〕

 島薗はなかでも,第2期を「確立期」と呼ぶ理由を,つぎのように説明している。

 この時期に(1)聖なる天皇と皇室との崇敬にかかわる儀礼システムが確立していくこと,(2)神話的表象にもとづく国体思想が生活空間に根づくようなかたちに整えられ,その教育・普及システムが確立していくこと,(3)神職の養成システムと神職の連携組織が確立し,国家神道の有力な構成要素である神社神道がその内実を固めていくことに注目したい(143-144頁)。

 2) 思想史的な視座の重要性

 島薗は,国家神道が国民自身の思想と実践のなかに組みこまれていく過程,いわば国民の心とからだの一部になっていき,これがさらに,国民各層から湧きおこるような精神基盤にまで作りあげられていく過程に注目する。だからそのさい,国家神道の素描は,宗教や精神生活の側面からも生活形式の歴史を叙述することが要求されるとも強調する(144-145頁)。

 いいかえれば,「宗教や思想の歴史を考えるには,なによりも観念や実践の流布・習得について調べてみなければならない。国家神道の歴史において学校や祝祭日システムやメディアが重要なのは,それこそが天皇崇敬やそれにかかわる神道的な観念と実践の流布・習得において決定的に重要な役割を果たしたからだ。『国体の教義』と『皇室祭祀』や『神社神道』を結びつけたのは,教育勅語や祝祭日システムやメディアだった。そこでは皇室祭祀や神社神道と国体論を結びつけた天皇崇敬を鼓吹する行為が,長期にわたり日常的に行われていたのだった」(94-95頁)。

 島薗が強調するのは,こういう点である。「国民国家の時代には国家的共同性への馴致がめざされるが,民衆自身の思想信条は為政者や知識階級の思惑を超えて歴史を動かす大きな要因となる。また,啓蒙主義的な世俗主義的教育が進む近代だが,にもかかわらず民衆の宗教性は社会が向かう方向性を左右する力をもつことが少なくない」。「日本の国家神道の歴史は,このような近代史の逆説をよく例示する」(181頁)。

 本ブログ筆者のばあい,経営学の原理的な研究の方向性を《思想史》から立ち入り,観察する方法論を打ちだして研究を重ねてきた。つまり「経営思想史の構想」を構築しつつ,日本の経営学説・理論や経営学者の主張を検討してきた。明治以来発展してきた「翻訳の社会科学」の欠点・弱みは,自国の企業発展史あるいは経営特性論とは距離を大きくとりすぎ,訓詁学・解釈学として営為するだけの期間が長く続いてきたことであった。

 日本における明治以来の国家神道形成史に立ちむかうための研究方法も,欧米の学問・理論を杓子定規的に適用するよりも,この国じたいに特有の宗教事情に合致した視座を形成することが要請されている。とすれば,島薗『国家神道と日本人』の接近方法は,日本の神道界事情により現実的に迫りえた著述をなしえている。

 

  東京都の真ん中に神殿を構え,年中祭祀をする
     夫婦を住まわせている日本国のアイロニー

     -国家・国民の象徴が自家の皇室神道行事に明け暮れていて,
      日本は大丈夫か。古代にもやっていなかった
      現代におけるまさに倒錯・幻想の宗教行為-

 明治維新を画期に新生させてきたはずの日本大帝国は,1945年の敗戦によって壊滅したかのようにみえた。しかし,戦後に日本の支配者となったGHQ総司令官マッカーサーは,「天皇制を維持して天皇の権威を利用することで占領統治を効果的に遂行しようとした」(187頁)。GHQの占領政策は「国家神道への対処」さいして「天皇家と皇室祭祀にある種の厚遇を与え,神道指令〔1945(昭和20)年12月15日〕によって生ずる衝撃や不満を緩和しようとした」(188頁。〔 〕内補足は筆者)。

 GHQの関係担当官たちは「皇室祭祀が残ったことにより国家神道がいまも生きていることに対して無自覚であっ」た。「日本人は国家神道の思想や心情の影響をふだんに受ける位置にいまもいる」。こういう島薗は「私の主張したいこと」を,つぎのように記述する。

 戦没者の追悼をめぐる問題や国家と宗教行事や祭祀の関わりの問題,ひいては諸宗教集団の活動の自由や公益性の問題を考えるとき,国家神道の現状についての正確な認識が欠かせない。また,国際社会での政教関係問題をめぐる相互理解の深まりにも貢献するはずだ。信教の自由について,西方キリスト教を基準としがちな思考枠組の偏りを見直す一助にもなろう」(189頁)。

 1) 日常的・季節的な皇室祭祀

 東京都の中心に位置する皇居のなかには,宮中三殿と呼ばれる賢所(かしこどころ)皇霊殿・神殿がある。ふつうの神社と異なり鳥居がない。皇居の宮中三殿は,けっして「先祖を祀らないはずの〈神社〉」ではなく,堂々と「先祖を祀っている」神社であるから,宗教施設そのものである。それは,8200平方メートルもの敷地を占める大きな神道礼拝施設と理解するのが自然である。

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   ☆-1「賢  所」 天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨のさい,みずからの分身として授けた鏡が神体として据えられている。本来の鏡は11代垂仁天皇のときに伊勢神宮に移されたとされ,宮中には「うつし」が置かれている。

  ☆-2皇霊殿」  歴代の天皇・皇后・皇妃・皇親の2200あまりの霊が祀られている。

  ☆-3「神 殿」  神産日神(かみむすびのかみ)高御産日神(たかみむすびのかみ)など『古語拾遺』に記されている八神と天神地祇が祀られている。

  ☆-4「神嘉殿」  新嘗祭がおこなわれる祭場である。

 天皇夫婦は,天皇自身を主役にするこのような皇室祭祀に明け暮れる毎年・毎月・毎日を過ごしている。「年中行事にあたる祭祀には大祭・小祭があり,くわえて節折(よおり)大祓(おおはらえ)などの神事があり,年20回を超える」。「小祭では天皇は拝礼をおこなうだけだが,大祭では天皇が祭祀を主宰する」(190-191頁)。先述にその名称だけは出ていたが,つぎのように皇室祭祀の年中行事がある。

  1月3日 原始祭           1月7日 昭和天皇祭  
  春分の日 春季皇霊祭・春季神殿祭   4月3日 神武天皇
  秋分の日 秋季皇霊祭・秋季神殿祭   10月17日 神嘗祭
  11月23日 新嘗祭

 これらの行事は,天皇家の私的神事であるという〈建前〉である。ところが,大祭のうちいくつかは内閣総理大臣国務大臣,国会議員,最高裁判事宮内庁職員に案内状が出されており,これら国政の責任者や高級官僚らは,出席すると天皇とともに拝礼をおこなう。明らかに国家的な行事として神道行事がおこなわれている(以上,190-191頁)。

 2) 天皇家のための日本国なのか?

 以上までの記述につづけてさらに,島薗『国家神道と日本人』から引照をつづけたいが,すでにだいぶ論及してきたので,このへんで終わりにする。最後の議論をしておきたい。

 はたして,日本国に暮らしている国民・市民・住民たちは,日本国憲法において自分たちの「国」「家」の〈象徴〉とされている「生物=天皇」の私的神事にこの国の首相はじめ政治家などが参加し,ともに拝礼するという儀式を,どのように受けとめ,観察し,評価しているのか?

 民主主義の憲法だとされる日本国憲法であるが,GHQは,日本の敗戦処理のためではなく,アメリカの戦後政策のために「日本の天皇天皇制をそのまま残し」ておいた。その結果,明治維新以降「創られてきた」「天皇天照大神神武天皇の子孫」という完全なる神話的世界の物語が,その憲法のなかに不自然に混入された状態を,いまもなお維持・残存させている。天皇家の私事行為である宮中神事に,内閣総理大臣などがうやうやしく参加する〈政治的な構図:ある種の古代再生版的な上下関係〉が,21世紀のいまにも無様に生き延びている。

 マッカーサーによる日本占領統治〔これはもちろんアメリカ本国の意向であったけれども〕によって,かろうじて存続できた天皇天皇制は,日本という国における〈民主主義〉の成長・発展にとって,いまでは軛である以上に,民主主義の状態をいつまでも不全・未熟のままに止めおく役目を果たしつづけている。「日本における民主主義の状態」のみとおしは,今後も暗い。

 3)「2020年」の令和天皇に関するひとつの記事(2020年6月28日 追記:1)

 『日本経済新聞』2020年6月25日朝刊38面「社会」に,つぎの記事が出ていた。この記事は「両陛下,コロナ禍で気遣い『国民に寄り添う』模索続く」という見出しをかかげ,こう報道していた。

 新型コロナウイルス禍で天皇,皇后両陛下と国民の接点も急減した。両陛下は感染状況をめぐり専門家の説明を聞くなど現状把握に努められているが,皇室活動のあり方は依然模索が続く。

 

 両陛下は〔6月〕23日,全国老人福祉施設協議会などの関係者と接見された。コロナの影響を受けている介護現場の説明を受け「大変だったんですね」などと気遣われたという。

 

 皇室でも多くの行事が中止や延期となった。そんななかでも継続的に設けられているのがこうした各界の専門家による説明の場だ。内容は通常非公開だが,陛下の発言を宮内庁が公表するといった異例の対応もあり,コロナ禍を案じられる両陛下の思いが間接的ながら伝わっている。

 

 もっとも「国民に寄り添う」との姿勢を示されている両陛下にとって,活動が大幅に制限される困難な状況に変わりはない。新型コロナを受けて国民に直接メッセージを出せば「政治利用になりかねない」(宮内庁幹部)側面もある。

 補注)この段落の記述は「?」である。天皇夫婦はその存在じたいが政治的なものでしかありえない。その人たちの言動が,新型コロナウイルス感染拡大「問題」をめぐって発せられたが,これを受けてこのように「政治利用になりかねない」と解説するのは,すなおにまっすぐに考えるとしたら,ただちに「?」がに浮上する。

 

 疫病流行に心を痛めた天皇は過去にもいた。戦国時代の後奈良天皇は人びとが苦しむなか「自分にはなにもできないが,せめて」と写経を続けたという。陛下は2017年,京都でこの般若心経を閲覧。

 

 案内した日本女子大の永村真名誉教授は「予定時間を超えていねいに読みこまれた」と話す。陛下は2018年の誕生日会見で後奈良天皇に触れ「過去の天皇が人びとと社会を案じつつ歩まれてきた道を振り返る機会も大切にしたい」と述べられた。

 

 永村氏は「専門家に状況を聞くなど人びとの苦しみに反応される姿は,後奈良天皇などと共通するようにみえる」と話す。過去の天皇の歩みにも学びつつ,2年目に入った令和の象徴像をどう形作るか,陛下の手探りは続きそうだ。

 まず,中世の時代において天皇が記録した言動をもちだし,つぎに,明治維新以降,1世紀半が経った現時点において存在する「いまの天皇」とも,それが深い関連がもともとあるはずだともいいたげな字句が並べられている。すなわち,そこには永い歴史を前後して貫く「なにか特別な意味の介在」が示唆されうるかのように,こうした記事「創り」がなされていた。この種になる皇室用の報道姿勢そのものが,実は明治期に創られはじめた天皇天皇制を,さらに練成させたい意欲を正直に伝えている。

 4)『原発放射線被ばくの科学と倫理』専修大学出版局,2019年に対する書評(2020年6月28日 追記:2)

 a)「哲郎」 5つ星のうち5.0 現在の日本を透視する明晰な解説
   (2019年3月13日に日本でレビュー済み)

 宗教学者であり,原発問題の最前線で発言してこられた著者の折り目正しい解説。今日の原発業界の「専門家」による言説の,どこがどうおかしいかを明確に示してくれる。とくに評者の関心が引かれた点を以下に摘記する。

 第Ⅰ部 放射線被ばくの「不安」と「精神的影響」

 人間活動の一環としての科学にアクセスする姿勢が,多様な知的活動の一環としてなされるべきものであることを注意喚起している。その意味で,オルテガ・イ・ガセト『大衆の反逆』で注意喚起している「大衆とはだれか」という問題を問い,それを「現代の科学者は大衆的人間の原型だ」と解説していることを指摘している点が興味深い(97頁)。

 簡単にいえば,原発をめぐる言説,ことに「リスク・コミュニケーション」の場で語られる「放射線被ばくの過小評価」など,原発事故以降我田引水の議論を振り撒く「専門家」らは,「専門ばか」の典型である。

 第Ⅱ部 放射線被ばくをめぐる科学と倫理

 現在,政府および業界は,ABCCのデータを基準にした放射線被害評価を福島にあてはめて,県民の発病は「原発事故が原因ではない」と強弁する「リスコミ」をおこなっている。加害者が被害者の症状は放射線被ばくが原因ではない,ということに,信頼性がないことは誰がみても明らかなのに,そういう構造を固執している行政機構しか持てないこの社会がいかにいびつであるかを痛感する。

 補注)ABCCとは,原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)である。原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために,広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカ合衆国が設置した民間機関。

 ABCCの直系の後継組織である〈放射線影響研究所〉は解体して,人事を入れ替え,別組織をつくるべきである。

 なお,加藤尚武と著者との対論が付録として掲載されているが,これほどに目下の社会的問題の実態を把握する能力がなくて,私的な関心の範囲に矮小化してしまう人物が「哲学者」として重きをなしているとは,日本の同業者たちのレベルを疑ってしまう。

 第Ⅲ部 原発と倫理

 ドイツの倫理委員会の報告書の論点をていねいに整理している解説は明快で勉強になった。日本の宗教界の原発に関する声明も,それぞれ真摯なものであることをしった。唐木順三が,当時の原子力にかかわった科学者たちを根底的な倫理の視点から批判していたことも教えられた。

 b)「桜井 淳」  5つ星のうち5.0 脱原発の論理と倫理の厳しい視点での体系化
   (2019年3月6日に日本でレビュー済み)

 第Ⅰ部 放射線被ばくの「不安」と「精神的影響」

   ・原子力と関係ない第三者の妥協のない資料分析と討論会などでの高潔で厳しい分析視点をもとに,現代社会の曖昧さを排除すべく,いささか,厳しすぎるとさえ感じるレベルの問題提起をしています。第三者であるがゆえの客観性は信頼に値します。

   ・これほど,一語一句,厳しい視点で吟味する研究者も,少ないでしょう。

   ・理想主義にもとづく社会科学的分析には成功(全体の10%くらいの不確実性ゾーンに内在する矛盾の整理と解決法の提言)。

 第Ⅱ部 放射線被ばくの科学と倫理

   ・リスクコミュニケーションのあり方(欠如モデルと双方向性モデル)。

   ・被ばく評価の国際的政治構造(チェルノブイリ後のソ連放射能対策の指導的医学者L・Aイリーンと同盟者重松逸造,「不安をなくす」ということの危うさ)。

 第Ⅲ部 原発と倫理

   ・宗教組織と宗教者の脱原発問題意識の宗教研究者による肯定的分析。

   ・脱原発の生命観と倫理の必然性の導出。

  ※ 総合評価 ※

 島薗先生は,冴える,冴える,頭が良すぎます。厳しいというレベルではなく,それを超えています。あらゆる面で,打ちのめされました。このくらい完璧な批判的分析がしてみたい。原子力界を経験してきた研究者の被ばくの現状認識よりも,その外側にいた社会科学系研究者の分析能力と到達レベルの方がはるかに的確であり,おのれのこれまでの学問のあいまいな部分を恥じた。(引用終わり)

 なお,桜井 淳はあまりしられていないが,原発問題に関しては個性的な発言・議論をしてきた識者である。くわしくは,桜井淳 - Wikipedia を参照されたい。

 5)簡単なむ す び

 以上の記述の全体そのものに疑問(違和感)を感じる人がいるかもしれない。ここでは,こう答えておく。旧大日本帝国の「第1の敗戦」は1945年8月15日であって,その「第2の敗戦」は2011年3月11日であった。

 前者においては,原爆の2発がこの国土に投下されていた。後者の原発事故においては,3基の原発が爆発事故を起こしていた。天皇天皇制の問題は,以上の歴史を通してさらに深耕すべき対象として,われわれの前に厳在している。

 1945年の原爆投下と2011年の原発事故の基本内容は同質・同類であり,確かに通底する歴史の連続性をもっていた。なぜか,東電福島第1原発事故現場のことを,いまだにアンダーコントロールだといいはる「変な初老のオジサン」がいた。

 また別には,あの敗けた戦争のことに関する責任を問われて, 「言葉のアヤについては,私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりません」と答えたオジイチャンもいた。

 そうなると「3・11」も「8・15」も,本当は起きていなかった「歴史の事件」だということになりかねない。「原爆:敗戦⇒原発:大事故」という歴史の節目となった大事件と天皇天皇制の問題とは,けっして切り離すことができない話題を提供してきた。

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