「創られた天皇制」物語(1)

明治に創られた天皇家の祭祀(祭儀)一覧などを具材にして吟味する大日本帝国の疑似古代性(その1)

                   (2010年8月17日)

 

  要点:1 伊藤博文天皇天皇

  要点:2 誰がなんのために「天皇のための祭祀(祭儀)」を創作・拡充していったのか

= 目  次 =

  ①『皇室祭祀令』(明治41〔1908〕年9月19日,皇室令第1号)
  ② 宮内庁HPの『宮中祭祀』年中行事:主要祭儀一覧
  ③ 山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎説く日本の真相-』2010年1月
   -以上,本日:2010年8月17日〔2020年6月29日〕記述分-

   -以下,明日:2010年8月18日〔明日以降〕記述分-
  ④ 近代国家体制に古代史的な皇室神道を混入させた「明治史」は無理無体の塊である
  ⑤ 結論と整理

 

 『皇室祭祀令』(明治41〔1908〕年9月19日,皇室令第1号)
 
 「朕皇室祭祀令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」という文句が冒頭にある,この「皇室祭祀令」の条項の全文をあえて以下に紹介する。

 第一章 総則
  第一条 皇室ノ祭祀ハ他ノ皇室令ニ別段ノ定アル場合ヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル
  第二条 祭祀ハ大祭及小祭トス
  第三条 祭祀ハ附式ノ定ムル所ニ依リ之ヲ行フ
  第四条 天皇喪ニ在ル間ハ祭祀ニ御神楽及東游ヲ行ハス
  第五条 喪ニ在ル者ハ祭祀ニ奉仕シ又ハ参列スルコトヲ得ス但シ特ニ除服セラレタルトキハ此ノ限ニ在ラス
  第六条 祭祀ニ奉仕スル者ハ大祭ニハ其ノ当日及前二日小祭ニハ其ノ当日斎戒スヘシ
  第七条 陵墓祭及官国幣社奉幣ニ関スル規定ハ本令又ハ他ノ皇室令ニ別段ノ定アルモノヲ除クノ外宮内大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム

 第二章 大祭
  第八条 大祭ニハ天皇皇族及官僚ヲ率イテ親ラ祭典ヲ行フ
        天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ前項ノ祭典ハ皇族又ハ掌典長ヲシテ之ヲ行ハシム
  第九条 大祭及其ノ期日ハ左ノ如シ
   元始祭    一月三日
   紀元節祭   二月十一日
   春季皇霊祭 春分
   春季神殿祭 春分
   神武天皇祭 四月三日
   秋季皇霊祭 秋分
   秋季神殿祭 秋分
   神嘗祭   十月十七日
   新嘗祭   十一月二十三日ヨリ二十四日ニ亘ル
   先帝祭   毎年崩御日ニ相当スル日
   先帝以前三代ノ式年祭 崩御日ニ相当スル日
   先后ノ式年祭     崩御日ニ相当スル日
   皇妣タル皇后ノ式年祭 崩御日ニ相当スル日

  第十条 式年ハ崩御ノ日ヨリ三年五年十年二十年三十年四十年五十年百年及爾後毎百年トス
        神武天皇祭及先帝祭前項ノ式年ニ当ルトキハ式年祭ヲ行フ
  第十一条 元始祭賢所皇霊殿神殿ニ於テ之ヲ行フ
  第十二条 紀元節祭春季皇霊祭神武天皇祭秋季皇霊祭先帝祭先帝以前三代ノ式年祭先后ノ式年祭及皇妣タル皇后ノ式年祭皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ先帝祭ハ一周年祭ヲ訖リタル次年ヨリ之ヲ行フ
         神武天皇祭先帝祭先帝以前三代ノ式年祭先后ノ式年祭及皇妣タル皇后ノ式年祭ノ当日ニハ其ノ山陵ニ奉幣セシム
  第十三条 春季神殿祭及秋季神殿祭ハ神殿ニ於テ之ヲ行フ
  第十四条 神嘗祭ハ神宮ニ於ケル祭典ノ外仍賢所ニ於テ之ヲ行フ
         神嘗祭ノ当日ニハ天皇神宮ヲ遙拝シ且之ニ奉幣セシム
  第十五条 新嘗祭ハ神嘉殿ニ於テ之ヲ行フ
         新嘗祭ノ当日ニハ賢所皇霊殿神殿ニ神饌ヲ奉ラシメ且神宮及官国幣社ニ奉幣セシム
  第十六条 新嘗祭ヲ行フ前一日綾綺殿ニ於テ鎮魂ノ式ヲ行フ但シ天皇喪ニ在ルトキハ之ヲ行ハス
  第十七条 新嘗祭大嘗祭ヲ行フ年ニハ之ヲ行ハス
  第十八条 神武天皇及先帝ノ式年祭ハ陵所及皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ皇霊殿ニ於ケル祭典ハ掌典長之ヲ行フ
  第十九条 左ノ場合ニ於テハ大祭ニ準シ祭典ヲ行フ
  一 皇室又ハ国家ノ大事ヲ神宮賢所皇霊殿神殿神武天皇山陵先帝山陵ニ親告スルト
  二 神宮ノ造営ニ因リ新宮ニ奉遷スルト
  三 賢所皇霊殿神殿ノ造営ニ因リ本殿又ハ仮殿ニ奉遷スルト
  四 天皇太皇太后太后ノ霊代ヲ皇霊殿ニ奉遷スルト
  前項ノ規定ニ依リ祭典ヲ行フ期日ハ之ヲ勅定シ宮内大臣之ヲ公告ス

 第三章 小祭
  第二十条 小祭ニハ天皇皇族及官僚ヲ率イテ親カラ拝礼シ掌典長祭典ヲ行フ
         天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ前項ノ拝礼ハ皇族又ハ侍従ヲシテ之ヲ行ハシム
  第二十一条 小祭及其ノ期日ハ左ノ如シ
   歳旦祭   一月一日
   祈年祭   二月十七日
   賢所御神楽 十二月中旬
   天長節祭  毎年天皇ノ誕生日ニ相当スル日
   先帝以前三代ノ例祭  毎年崩御日ニ相当スル日
   先后ノ例祭      毎年崩御日ニ相当スル日
   皇妣タル皇后ノ例祭  毎年崩御日ニ相当スル日
   綏靖天皇以下先帝
   以前四代ニ至ル 歴代天皇式年祭   崩御日ニ相当スル日
  第二十二条 前条ノ例祭ハ式年ニ当ルトキハ之ヲ行ハス
  第二十三条 歳旦歳祈年祭天長節祭ハ賢所皇霊殿神殿ニ於テ之ヲ行フ
歳旦祭ノ当日ニハ之ニ先タチ四方拝ノ式ヲ行ヒ祈年祭ノ当日ニハ神宮及官国幣社ニ奉幣セシム但シ天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ四方拝ノ式ヲ行ハス
  第二十四条 賢所御神楽賢所ニ於テ之ヲ行フ
  第二十五条 例祭及式年祭皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ例祭ハ一周年祭ヲ訖リタル次年ヨリ之ヲ行フ
          第十条第一項ノ規定ハ前項ノ式年ニ之ヲ準用ス
  第二十六条 皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ノ霊代ヲ皇霊殿ニ遷ストキハ小祭ニ準シ祭典ヲ行フ此ノ場合ニ於テハ特旨ニ由ルノ外拝礼ヲ行ハス
  前項ノ規定ニ依リ祭典ヲ行フ期日ハ之ヲ勅定ス

 

  宮内庁HPの『宮中祭祀年中行事:主要祭儀一覧

 宮内庁ホームページにその一覧が掲示されている,敗戦後〔最近〕における皇室の年中行事「主要祭儀一覧」を紹介する。

 1月1日 「四方拝  (しほうはい)」 早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮,山陵および四方の神々を遙拝する年中最初の行事
      「歳旦祭  (さいたんさい)」 早朝に三殿でおこなわれる年始の祭典
 1月3日 「元始祭  (げんしさい)」 年始に当たって皇位の大本と由来とを祝し,国家国民の繁栄を三殿で祈る祭典
 1月4日 「奏事始  (そうじはじめ)」 掌典長が年始に当たって,伊勢の神宮および宮中の祭事のことを天皇陛下に口上する行事
 1月7日 「昭和天皇祭  (しょうわてんのうさい)」 昭和天皇崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある。
 1月30日「孝明天皇例祭  (こうめいてんのうれいさい)」 孝明天皇崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある)

 2月17日「祈年祭  (きねんさい)」 三殿で行われる年穀豊穣祈願の祭典
 春分の日 「春季皇霊祭  (しゅんきこうれいさい)」 春分の日皇霊殿でおこなわれるご先祖祭
      「春季神殿祭  (しゅんきしんでんさい)」 春分の日に神殿でおこなわれる神恩感謝の祭典
 4月3日 「神武天皇祭  (じんむてんのうさい)」 神武天皇崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある)
      「皇霊殿御神楽  (こうれいでんみかぐら)」 神武天皇祭の夜,とくに御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典

 6月16日「香淳皇后例祭  (こうじゅんこうごうれいさい)」 香淳皇后崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある)
 6月30日「節 折  (よおり)天皇陛下のためにおこなわれる祓いの行事
     「大 祓  (おおはらい)」 神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のためにおこなわれる祓いの行事
 7月30日「明治天皇例祭  (めいじてんのうれいさい)」 明治天皇崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある)
 秋分の日 「秋季皇霊祭  (しゅうきこうれいさい)」 秋分の日に皇霊殿でおこなわれるご先祖祭
      「秋季神殿祭  (しゅうきしんでんさい)」 秋分の日に神殿でおこなわれる神恩感謝の祭典

 10月17日「神嘗祭  (かんなめさい)」 賢所に新穀を供える神恩感謝の祭典。この朝天皇は神嘉殿において伊勢の神宮を遙拝する。
 11月23日「新嘗祭  (にいなめさい)」 天皇が,神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々に供えて,神恩を感謝したのち,天皇自らも食する祭典。宮中恒例祭典のなかのもっとも重要なもの。天皇自ら栽培になった新穀も供える。
 12月中旬「賢所御神楽  (かしこどころみかぐら)」 夕刻から賢所に御神楽を奉奏して神霊をなごめる祭典
 12月23日「天長祭  (てんちょうさい)」 天皇の誕生日を祝して三殿でおこなわれる祭典
 12月25日「大正天皇例祭  (たいしょうてんのうれいさい)」 大正天皇崩御相当日に皇霊殿でおこなわれる祭典(陵所においても祭典がある)
 12月31日「節 折  (よおり)」 天皇陛下のためにおこなわれる祓いの行事
      「大 祓  (おおはらい)」 神嘉殿の前で,皇族をはじめ国民のためにおこなわれる祓いの行事

 --このほか,毎月「1,11,21日」の旬祭(しゅんさい),毎日の「日供の儀(にっくにのぎ)」「毎朝代拝(まいちょうだいはい)」もある。
 注記)以上,http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html 参照。敬語は省略。なお,12月23日は平成天皇の生誕日である。

 以上,① と ② の戦前・戦中(明治以来)における「立憲君主天皇と戦後における日本国「象徴天皇」とはともに,天皇家=自家用・個人製の宮中祭祀を盛んに執りおこなってきた歴史を記録している。神嘗祭新嘗祭など古代史農事に淵源する祭祀系統があるものの,なによりも祖先神にさかのぼろうとする「皇祖皇宗」の祭祀が圧倒的な重みをもつ一覧である。

 「天照大神-初代神武天皇」までさかのぼれる「万世一系」性は,架空・想像上の歴代天皇から今日在位する天皇までの「連綿の皇統性」を証しうるだけでなく,世界に冠たる〈神州:日本〉の卓越的優秀性を証するものとも信心されている。しかしこれは,けっしてもとより単一ならざる〈ヤマト民族〉の幻想的な古代観でもある。

 ごくたまに〈国家国民の繁栄〉〈皇族をはじめ国民のために〉(この2文句のみ出ている)という表現もみられるが,ほんの付け足し程度である。基本的には,どこまでもあくまでも天皇個人と天皇家一族のための儀式一覧であることは,一目瞭然である。

  11月23日の「新嘗祭 」に「天皇自ら栽培になった新穀も供える」とあるが,この「田植え行事」の起源は,昭和天皇が即位した翌年の1927〔昭和2〕年に始まっていた。この事実を思いかえせば理解できるように,「いかにも・いかに」であって,明治以降このように作為的に拡大・整備していった宮中祭祀(祭儀)の〈人為的な操作性:追加作業〉の背景・真意は,よく周知されておくべきである。

 簡潔にいおう。どうみても,後ろ向きの宗教的世界観(?)しかみてとれないのが「宮中祭祀」の中身である。祖先の慰霊祭にひたすらいそがしい天皇の姿がひどく特徴的である。毎年・毎月・毎週・毎日,それこそ年がら年中,このような個人向け・自家製の宗教儀式:祖先慰霊を,しきりなし多忙におこなっている。これが,天皇個人と天皇家に課せられた任務であり仕事であるのか。

 再言するが,皇室一族がこれほど多くの祭祀儀式をかかえるようになったのは,明治に入って以降に,それらのほとんどがわざわざ〈創られていた〉からである。この皇室神道にしたがい,宮中祭祀を執りおこないつづけているこの家族集団とその代表者は,いったいなんのための人生を過ごしているのか。正直いって,こういう疑問が噴出してくる。皇祖皇宗に祈ることが国民のためにもなる,というようなご都合主義の屁理屈,ついでにその残りものには「臣民向けの福もある」といったごときコジツケの皇室神道観は,ごめんこうむりたい。

 補注1)江戸時代までの,あるいは明治以降になってからも,皇室・皇族たちが以前からの宗旨であった仏教の信心が完全に捨てられていたわけではないし,その過去の歴史を消すことはできない。京都にある泉涌寺にはその記録となる歴代天皇たちの墓所が置かれている。

 補注2)泉涌寺京都府京都市東山区泉涌寺山内町27に位置する。ウィキペディアはつぎのように解説している。

 江戸時代に入ってからは皇室との関係はより密接となり,後水尾天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の葬儀を一貫して執りおこなったほか,その陵墓までもすべてて境内にある

  月輪陵(つきのわのみさぎ)
  後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)
  後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)

として築かれて祀られている。

 月輪陵と後月輪陵には合計で25の陵と9つの墓があり,後月輪東山陵孝明天皇陵である。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき,花を供える香華院となり,御寺(みてら)と尊称されている。

 しかし,明治時代に入り,廃仏毀釈の混乱のなかで上記の陵墓はすべて国家に没収されてしまい,宮内省(現・宮内庁)諸陵寮の管理下に置かれることとなり,以後は天皇・皇后の葬儀をおこなうことはなくなった。

 応仁の乱による焼失を初め,諸堂はたびたびの火災で焼失しており,現存の堂宇--四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物--は近世以降の再建である。大日本帝国憲法施行以来日本国憲法施行まで,営繕・修理費はすべて宮内省が支出していた。

 a)   泉涌寺内に陵墓のある歴代天皇の名を記した案内板。 

   f:id:socialsciencereview:20200629081627j:plain

   註記)https://h-sebata.blog.ss-blog.jp/2008-04-17

 

 b)  泉涌寺の位置とその敷地の全容がなるべく具体的に把握できるような画像資料を,つぎに列挙しておく。

 

 衛星写真:その1」 これを上下左右に4分割してみてみると,右下(第4象限の部分)に月輪陵(つきのわのみさぎ)後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)などが表記されている。この部分をさらに拡大した画像もつぎにもかかげておく。

 

f:id:socialsciencereview:20200629083001p:plain

 

 衛星写真:その2」 この写真に「赤の右向き(東向き)の矢印( )」を記入してみた。以下につづけてかかげてある,それも最初に挙げた画像に写っている「門塀」の正面に,この矢印は向かっている構図である。あとの画像2点はそれぞれこの敷地内部の画像となる。

 

f:id:socialsciencereview:20200629090411p:plain

 

 f:id:socialsciencereview:20200629084817j:plain 

 

 下の画像では,上の画像での「門塀の内側」が,左側の隅に写っている。前段,カメラの「矢印」の角度とは反対の方向から撮影された写真である。

 

 f:id:socialsciencereview:20200629085002j:plain

 f:id:socialsciencereview:20200629085039j:plain

  出所)以上は,https://japan-geographic.tv/kyoto/kyoto-senyuji.html

 

 こうした画像資料から感得できるのは,この泉涌寺にある歴代天皇の陵墓は,これを「陵墓」と呼ぶにはあまりにも貧しかった事実である。ただし,門塀の部分だけは,明治になって以後に建築されたものであり,それだけにかえって,敷地内部の様子とは相当に対照的な造りになっていた。 

 

 江戸時代において最後の天皇となった孝明天皇の陵墓は,明治時代に入って竣工しており,古代史に回帰したかのように巨大な墓所が建造された。前掲の衛星写真からもその輪郭がうかがえる。

 

 それは,「衛星写真:その2」内に記入されていた赤の右向き(東向き)の矢印( )の右方には,円形になるその墳墓の輪郭がみえる。

〔記事「本文」に戻る→〕 まさか,そうした皇室一族の暮らしが平均的・同心円的に日本・日本人・日本民族の日常生活を,ありのまま適切に〔象徴的に?!〕反映してきたなどとは,とうてい思えない。

 明治を契機に彼ら特殊な集団が,現在のような〈皇室用の神道儀式〉を創りあげてきた歴史には,きっとなにかとくべつの事情なり必要性なりがあったはずである。つまり,明治維新以降の日本帝国は,帝国臣民をうまく支配・統治するための国民国家の制度枠組を締めあげる政治的な道具として,先祖帰りをしたかのように〈前近代的な〉天皇天皇イデオロギーを設営・利用したのである。

 補注)前段に参照したが,泉涌寺に安置されている歴代天皇墓所群は,陵墓と指称するにはあまりにも質素な造りであった。当時であってもちょっとした金持ちであれば,いくらでも造営できる程度のお墓であった。「古代 ⇒ 中世 ⇒ 近現代」へと時代が流れるなかで,天皇家墓所が急速に先祖返りをしていたが,これは19世紀後半からの出来事であった。

 東京都の多摩地区にある大正天皇夫婦・昭和天皇夫婦の陵墓もまた,そしてすでにその隣接に場所が確保されている平成天皇用の陵基も含めた話題となるが,古代史における墳墓に酷似した墓所を建造してきている。現代史の話題としては奇譚といわざるをえまい。自民党日本国憲法を改定したときは,以上のような現実の天皇問題は,いったいどのように再考されることになるのか。そういった興味も湧いてくる。

〔記事に戻る→〕 「宗教であり」ながら「宗教ではない」とされ,〔その後に形成されていく〕『国家神道』の核心・中枢を用意したのが「皇族たちの神道」,すなわち『皇室神道』であった。ここで,日本の神道に関してとりあえずつぎのような区分を提示しておく。

 イ)「皇室神道  皇室一族が,古代からの伝統を想起・再生しようとする方途で,明治以降,一生懸命「新しく創りあげてきた」「神道式の祭儀(祭祀)」に則ったつもりでの「彼らのための神道一派」。

 ロ)「国家神道  明治維新以降,日本帝国が国家支配・統治のために,国民宗教精神・思想として用意・造成・強制した神道。この国家神道皇室神道をよりどころに置くがために,皇室一族の神道信仰を国民(臣民・庶民)に対して強要・強制する〈押しつけ宗教〉となった。一定限度,臣民(国民)のあいだに普及してきている。

 ハ)「神社神道  これは  イ)   ロ)  に寄りつく,かなり近い意味合いも有するが,一般民間の教派神道も含めての広い意味で使われており,日本における神道全般を意味するかのようにも使われることばである。

 ニ)「教派神道  これは〈何々教〉という神道宗派の名称で理解できる各派の神道集団・組織をまとめて表現することばである。

 ホ)「郷土神道  これは,以上に分類する必要のない,また当てはまめることもできない各地域に立地する単立の神社などである。

 

  山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎説く日本の真相-』2010年1月

 ところで,この山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎解く日本の真相-』(日本文芸社,2010年1月)は,日本の神道に関して,こういう解説を与えている。

 本書は「神との共寝共食の秘儀・大嘗祭こそが天皇制を支える秘密装置だった! 天武朝以来,連綿と続いてきた天皇制の核心を宮中祭祀から解き明かす」著作である。

 注記)紀伊国屋 BookWeb より。

 「日本人は,なぜ天皇を必要としてきたのか--。 天皇霊継承の秘儀・大嘗祭から天皇制の核心を解き明かす。皇位継承問題から象徴天皇制,皇室のあり方まで,宗教学の第1人者が放つ天皇論の決定版!」

 注記)http://www.nihonbungeisha.co.jp/books/pages/ISBN978-4-537-25736-6.html

 本書の構成はつぎのようになっている。

   序 章 世界のなかの象徴天皇
   第1章「皇位継承の意味するもの」
        大嘗祭皇位継承の基盤 重なり合う生と死-殯
   第2章「象徴天皇制を考える」
        天皇とは何か象徴天皇制の二重性 アジア的専制天皇
   第3章「日本人の死生観と天皇
        霊肉二元論と心身一元論 怨霊と祟り 靖国の先に見えるルサンチマン 祟りと鎮魂のメカニズム

 山折『天皇宮中祭祀と日本人』はとくに,第3章「日本人の死生観と天皇」のなかに〈明治国家の過ち〉という項目を設けて,こう論述している。

 「江戸時代まで保たれてきた日本の宗教風景は,明治維新を経て決定的な変化を遂げた」。その「問題の根源は明治国家がおこなった2つの宗教政策にあった」。その2つ過ちが「神仏分離」政策と「政教分離」政策であった(270頁)。

 1) 神仏分離

 近代以前の日本人の伝統的な信仰は,神と仏を同時に礼拝し,信ずるところになりたっていた。神仏共存の宗教であって〈神仏信仰〉といってもいいものであった。しかし,明治国家の神仏分離政策により,人びとは神か仏が,そのどらかを選択しなければならなくなった。「神も仏も」という神仏共存の伝統的な概念が「神か仏か」という二者択一の新しい理念にとって代わられた。

 明治維新を契機とする「その変革が,1000年にわたる日本人の信仰のあり方を根底から変えようとする上からの改革であったことに注意しなければならない」。現実には,そのような神仏分離の理念が神仏共存の伝統観念を完全にくつがえしてしまうほど強力に作用したわけではなかった。そのような〈歴史の破壊〉が,一片の法令や政策によっておこなわれるはずはなかった。

 だがそれにもかかわらず,その「神仏分離」政策がその後における日本人の内面に与えた精神的外傷は甚大であった。今日,日本人がややもすればその傷痕の深さを過小評価しがちであるのは,その問題の本質の深刻さに気づかないでいるからである(270-271頁)。

 2) 政教分離

 まず注意すべきはこの政教分離が中途半端であった事実である。伊藤博文(1841-1909年)らは,渡欧して諸国の憲法を調査した。ヨーロッパの憲法は,人心を帰一させる機軸としてキリスト教が絶大な力をもっていることを知識として帰国した。だから,伊藤博文〔ら〕はそのキリスト教に対抗しうる「国家の機軸」を日本においてみいだすとすれば,それは「皇室」をおいてほかにはないという判断に到達した。

 この伊藤博文の判断は,帝国憲法第1条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」になって実った。伊藤は,仏教も神道も宗教としての力を失っていると考え,国家の基盤を支える精神基盤としてのすでに時代遅れになっていると結論づけた。この認識は,明治国家の建設に参画した開明的な政治家たちに共通していた。

 「万世一系天皇」という国家の機軸が,西欧社会におけるキリスト教の威力に対抗しうるただひとつの精神原理であると考えられ,伝統的な神道儀礼がそれに応じて再編成されることになった。すなわちここで,天皇家の神話上の祖神とされるアマテラスオオミカミが近代国家の始祖として拡大解釈され,新たな皇室祭祀が形成された」。「オマテラスオオミカミが西欧社会における神(ゴッド)と対比しうる,聖なる権威の源泉とみなされるようになった」(271-272頁)。

 われわれはここで,近代国家を形成するための精神原理確立のために,日本が「古代神道の再生利用〔古物復活〕をおこなった」という手順に注意したい。明治以降の日本帝国はキリスト教の儀式をとりいれ,それを模倣する「神道祭儀の方法」を構築してきた。明治以来の日本宗教史は,キリスト教への宗教弾圧をきびしくおこなっていたころの,明治政府のキリスト教に対する異様なまでの〈対抗意識〉を物語っている。

------------------------------

  【未  完】 明日〔2020年6月30日〕以降につづく。(  ↓  )

------------------------------