「創られた天皇制」物語(2)

明治に創られた天皇家の祭祀(祭儀)一覧などを具材にして吟味する大日本帝国の疑似古代性(その2)

                   (2010年8月17日)

 

  要点:1 伊藤博文天皇天皇

  要点:2 誰がなんのために「天皇のための祭祀(祭儀)」を創作・拡充していったのか

= 目  次 =

  ①『皇室祭祀令』(明治41〔1908〕年9月19日,皇室令第1号)
  ② 宮内庁HPの『宮中祭祀』年中行事:主要祭儀一覧
  ③ 山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎説く日本の真相-』2010年1月
   -以上,昨日:2010年8月17日〔2020年6月29日〕記述分(  ↓  )-

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   -以下,本日:2010年8月18日〔2020年6月30日〕記述分-
  ④ 近代国家体制に古代史的な皇室神道を混入させた「明治史」は無理無体の塊である
  ⑤ 結論と整理

 

  近代国家体制に古代史的な皇室神道を混入させた「明治史」は無理無体の塊である

 1) 日本版〈ゴッド〉となった天皇の地位

 山折哲雄が論及した〈ゴッド〉〔キリスト教の God(英語),Gott(独語)〕については,日本の神道研究家によっては「神道におけるカミの概念」に,そのゴッドの意味を当てて・関連づけて解釈することは失当と強調し,反対さえする者がいる。

 この主張は,国家神道および皇室神道のみならず,そのほか「一般の教派神道」においても利用されていた「キリスト教式儀典」との,切っても切れない「親密な関連性=歴史の事実」を《直視させない》ためのものでもある。たとえば「神前結婚」および「神官」は「教会での結婚式」および「牧師」を物真似した実例である。

 日本の歴史・伝統である宗教「神道」における祭儀の方式が,実はキリスト教に由来するなどということは「口が裂けても」認めたくない。これが日本の神道イズム信奉者の真情・本音であるから,この気持を多少は斟酌してあげてもよい。

 山折哲雄の議論に戻り,つぎを引用する。--伝統神道キリスト教の跡をみることができるが,それは「神道の西欧化であり,神道一神教化の試みであった」。「記紀神話において,アマテラスオオミカミ最高神の一つに過ぎない存在であったが,それが急激な地位上昇の機運に乗って,唯一至高神の高みに祀り上げられるようになった」。

 注記)山折哲雄天皇宮中祭祀と日本人-大嘗祭から謎解く日本の真相-』日本文芸社,2010年,272頁。

 本来,唯一神教ではありえない神道の神々=八百万の神々に,国家神道は西欧流のそれをあえてもちこみ,適用していたのか? 天皇「教」じたいの構築が目的:目玉であったとはいえ,臣民に対する〈顕教〉の「玉(ギョク)」として,その高見よりこの天皇を示すとともに,政府指導者・高官たちのあいだでは〈密教〉の「玉(タマ)」として便宜に利用することが,その天皇「教」の狙いであった。

 なにゆえ,そのような「人為的な加工・操作・解釈」が『記紀神話』にくわえられねばならなかったのか? 昭和天皇・平成天皇ともに「朕はアマテラスオオミカミの子孫・末裔である」と,その〈玉:タマ〉になりきったかのように,本気で信じてきている。われわれは,そのような皇室神道=自家専用神道に対する宗教心の持ち主である「彼ら」を,日本国憲法=民主主義の憲法のなかに『象徴』=〈玉:ギョク〉として戴いている。

 敗戦後,アメリカの都合・利害・政策を最優先すべき立場にいたマッカーサーは日本を民主化させるさい,連合国最高司令官総司令部の立場において天皇裕仁を大いに利用してきた。逆にいえば天皇裕仁も,マッカーサーに代表されるアメリカ政府の意向を巧みにとりこみながら,うまく利用した。一時期は命乞いすべき自分の立場であったけれども,その間積極的に働きかけるなかで,その苦境をみごとに転換させえた。結局〈象徴天皇〉の地位を手に入れた。

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  補注)このMacと裕仁のツーショットは,敗戦直後,新聞に掲載された写真と同じものではない。判りやすく指摘すると,天皇の左足に注意してみれば,その点に気づくはずである。これは,当時,カメラマンが何枚も写真を撮っていたうちで,報道用には使用されなかったその1葉であった。

 アメリカは,敗戦後の日本支配・統治のために「皇室の部分」にかぎっては「その民主化=廃止」をめこぼしし,これをいかに政治利用するか苦心・努力してきた。そのために実際においては,日本という国を根幹から民主化させる手順は不完全なものに留めおかれた。その点でいえば「日本の民主化」政策は失敗を意味した。

 補注)21世紀の現段階(2020年6月末日)において,日本の民主主義の状態は,どうなっているのか? 安倍晋三の為政(第2次政権7年半)によって,敗戦後において蓄積されてきた「日本の民主化」への努力の多くは,破壊されてきた。安倍が首相として子どものように積み木細工をしてきた《負の実績》は,「戦後レジームからの脱却」などではなく,「戦前体制への回帰」の疑似体験版になっていた。

 けれども,その実際の中身は民主主義以外の政治状態,いってみれば発展途上国「化」,つまり,19世紀後半の時代への「21世紀的な後戻り」を結果させつつあり,まさしく愚者による国家運営がいかに有害無益であるかという1点のみを鮮明にさせてきた。

 この「世襲3代目のお▼カ政治屋」あるいは「子どもの〈裸の王様〉」首相,「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』命名である安倍晋三首相は,このところ世間において大きな話題になっている,広島県自民党河井克行前法相(衆議院・広島3区)の妻案里(参議院・広島)が初当選した昨〔2019〕年夏の参院選挙で,河井夫妻側(両名ともに検挙され拘置所に拘束中)が党本部から提供された1億5千万円の「全額」を,いったいなにに使ったが焦点となっている事件の黒幕と目されている。

 その1億5千万円のうち,使途がまだ不明(未解明)である1億2千万円分については,はたして,安倍晋三の周辺にどのように回流(還流?)されているのか重大な疑いももたれている。この点にまで司直の手がまともに及べば,この首相の政治生命が一瞬で終わる可能性がある。

 世間の関心はそこに向けられてもいるものの,より重要な問題は,このように国民の血税政党交付金)が選挙時の買収事件において違法に浪費されるという行為が,安倍自民党政権のもと,しかもこの首相個人の関心(意向)・利害(目的)に即して実行されていたとなれば,これはまるで後進国における選挙の実態となんら変わりない。

〔記事「本文」に戻る→〕 1940年代後半「戦前の日本中心勢力」が「アメリカの支配層の意向」に呼応して「新しい国体」が誕生させられた。1950年までには固まってきた「敗戦後の日本における政治形態」:「象徴天皇を中心にした国家体制」は,いまもなお継続されている。これはいまだに,日本の「民主主義の状態」に対する根本的な制約要因を提供してきている。

 2) 政教分離という大問題

 日本社会においては「天皇天皇制」という「過去の遺物」〔→古代の異物〕が,近現代の衣装をまとい隠れ蓑に使いながら,21世紀まで生き延びてきている。山折哲雄も指摘するように,明治維新において帝国政府が天皇天皇家を政治的に利用しようとしたさい,不可避に起きていた問題が「政教分離」であった。

 まさに・・・大問題が生じた。なぜなら,皇室の万世一系性を国家の機軸に据え,それを神道儀礼に結びつけようとするのは政教分離の原理に反するのではないかという批判が,内外からくわえられるようになった(272頁)。

 明治国家は,日本の近代化路線を軌道に乗せようとしていくさい,こうした批判をなんとかしてでも躱(かわ)さねばならなかった。明治政府が「苦肉の策として創りあげた対案」が「神道のなかで祭祀儀礼と宗教性を分離する」という応急処置であった。すなわち,神道のなかから冥界信仰・葬儀・民衆教化といった宗教機能を切りはなし,神祀りの祭祀儀礼だけを非宗教的機能であると強弁して,その非宗教的機能なるものを国家による直接の管理下に置こうとした。

 それは一般には,神道における祭祀と宗教の分離,いいかえれば「国家に直属する神道から宗教色を抜く」ことであって,非宗教的な祭祀と国家の統合は政教一致ではない,したがって政教分離の原則には反しないという説を立てて,形式的な政教分離を主張した。しかしながら,それはきわて不徹底で中途半端な政教分離にしかなっていなかった(273頁)。

 3) 明治体制の出発点,その根本的矛盾

 明治国家における基本矛盾は,キリスト教に対抗しうる強力な宗教的精神原理,つまり「天皇万世一系性」を国家の機軸に据えようとしたところに生じていた。これは「明治国家の近代化政策そのものに起因するジレンマであった」。その中途半端な政教分離政策のおかげで,日本の神道はしだいに神道そのものの非宗教化という思わぬ果実を手に入れた。「神道一神教化」という近代化の政策は,皮肉なことにほとんど同時に,伝統神道の非宗教化を促進する結果を招いた(273-274頁)。

 その意味でいえば,戦前の「国家神道」の成立経過はその一面で,神道そのものの一神教化によってうまれた《鬼っ子》である。また他面では,伝統神道の非宗教化によって創りだされた人工的な神道という側面ももっていた。この人工的な神道としての「国家神道」が解体されたのが,昭和20〔1945〕年8月(9月)の敗戦のときである。占領軍が財閥の解体などとともに,「国家神道」の廃止を決めた(274頁)。

 明治神宮は,明治天皇が死んでから「彼自身のために」ではなく,明治維新のあとに構築されてきた「日本帝国の伝統的威容を誇示するために」造営された神道式の大きな宗教施設である。面積約70万平方メートルもの境内に建造されたこの明治神宮は,明治天皇昭憲皇太后明治天皇の妻であるのに皇太后と正式に呼称している〕を祭神として,1920〔大正9〕年11月1日に鎮座祭がおこなわれた。

 明治神宮は,明治維新という画期がけっして,それまでの日本における神道の歴史的な伝統をじかに継承していなかった事実を,大々的かつ圧倒的な規模をもって,臣民たちに披露・宣伝するために建立された「近代的な〈封建遺制〉的な大伽藍」であった。明治神宮外苑がさらに東の地域に広がっている。またさらにその東に隣接しているのが赤坂御用地であり,この敷地内には迎賓館,皇太子の住む東宮御所がある。赤坂御用地の北側に接しては明治記念館本館も位置している。

 東京の明治神宮は内苑・外苑合わせて約100ヘクタールの広さをもつ。これは,皇居外苑・東御苑よりは狭いものの,東京23区内の他の都市公園よりも広い。

 注記)岡田荘司『日本神道史』吉川弘文館,2010年,321頁。

【 参考画像:明治神宮の地理】

 

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  出所)https://nufufu.com/travel/japan/meijijingu/

  補注)新宿駅と赤字で記入された下部の緑地区域は新宿御苑

 

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  出所)https://明治神宮-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/・・・ 

 4) 敗戦時,天皇人間宣言をしても,皇室神道「宗教宣言」をしていない

 山折哲雄の論及をさらにつづけて引照しておく。

 --敗戦後,a) 天皇が個人的に『人間宣言』〔1946年元旦〕をしたけれども,b) 伊勢神宮を含めて国家神道は「宗教宣言」をしていない。これと同じように c)皇室神道」も,「宗教宣言」をしていない。ところが,新憲法の冒頭条文においては「日本国・国民の象徴」になったはずの天皇〔とその一族〕が信仰する宗教=「皇室神道」が,戦前体制とまったくかわるところがない状態のまま,つまり「政教不分離」の状態でもって敗戦後の時代に横すべりしている。

 「皇室神道」は日本の国民(市民・住民)のうえにどっかり居すわっている。これは,民主主義の憲法のもとであれば,まさしく「国民と天皇」との,奇怪・醜悪というべき〈異常な上下の関係〉を意味する。われわれ々は,以下のような “他著の文章” も借りて挿入し,こう問うておかねばならない。

 「日本人と戦争」が奏でた世界とはなにかにつき,明治維新として語られてきた復古 ‐ 革命によって誕生した大日本帝国のありかた,そのもとで場をえた日本国民とはなんであったかを問い質すべく,歴史として身体に刻まれた記憶の多様なありかたを解析した〔ことはなかったのではないか〕。

 注記)大濱徹也『日本人と戦争-歴史としての戦争体験-』刀水書房,2002年,〔あとがき〕276頁。〔 〕内補足は筆者。

 もしも,明治憲法における君主天皇の地位とは遠く異なっていても,日本国憲法どおりに「天皇が象徴である」ならば,日本においては〈皇室の神道〉をこの国の全員が〈象徴的〉に信仰している,という筋書にならざるをえない。これほど「奇妙な〈政教不分離〉(一致?)の国家体制」もあるまい。キリスト教国やイスラム教国においても,似たような国家体制の諸国があるなどということなかれ。それらの国々には,キリストやマホメットのごとき〈神:そのもの〉は存在していても,人間天皇のような珍妙な「似非:神的な存在〈物〉」はありえない。

 敗戦後〈敗戦〉の契機を中途半端にしか生かせなかった「この国の生半可性」を,いまからでも遅くはない。まずもって徹底的に嘆き,反省し,軌道修正すべきである。日本国は〈信教の自由〉を保障しているはずである。皇室一族の信教の自由も保障してあげるのはいい。けれども,彼らが「日本国・国民の象徴である」からには,国民の側における信教の自由と衝突・軋轢・矛盾する実質的な現状を,これからも放置したまま黙過していくのか?

 

  結論と整理
 
 1) 皇室神道宮中三殿)と伊勢神宮靖国神社

 はたして,明治以来試図されてきた日本の近代化・現代化の路線は,本当に成就しつつあるといえるのか? 明治期の帝国主義的な立国は成功したが,1945年をはさんで昭和戦後期の再生はなお未完であり,これからもなお国民国家的な課題でありつづけるのか?

 ※-1 皇室神道は,明治維新のさい京都から東京に移動してきた天皇=〈玉〉のための神道の宗派であったが,明治国家が新たに創設していく国家神道全般の中心:土台とみなされていた。皇室神道は,「国内の統治のために用意された国家神道」に対してはさらに,その上部にそそり立つかのように「頂点に置かれた宗教的核体」であった。天皇一家が居住し,宮中三殿賢所(かしこどころ,けんしょ)皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん)〕が設置されている皇居(宮城)は,もとは江戸城であって,天皇家とは直接縁もゆかりもない場所・土地であった。

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 出所)http://www.hls-j2006.com/koukyo/bw_uploads/panf_zentai_map.gif

 補注)この地理案内図のほぼ中央,白抜き数字 宮中三殿のある場所。

 ※-2 まず,伊勢神宮〔の内宮(皇大神宮)〕が皇祖皇宗を祀っている神社として位置づけられ,しかもこの神宮〔の外宮(豊受大神宮)〕が「豊穣の神社」「生を意欲する神社」の性格をもち,いわば皇室神道の〈表口の明るい世界〉を象徴する神社とされた。

 ※-3 つぎに,明治政府がその後に展開していく帝国主義路線に必然する〈臣民の犠牲〉を慰撫しつつ,さらにこの日本帝国の軌範を確固たらしめる宗教施設として靖国神社が創設された。この神社は「飢餓の神社」「死を望む神社」の性格をもち,いわば皇室神道の〈裏口の暗い世界〉を代表する神社とされた。

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  付記)この本のアマゾン通販・画面は下部に用意してある。

 以上の ※-1  ※-2  ※-3 はまさに3点セットとなって,明治以来の日本帝国主義の国家体制を内部から固め,臣民をむりやりしたがわせ・強制的に支持させるために整備されていった。そこで,こういう整理ができる。

  イ)『皇室神道〔実は国家神道の本部:総司令部である〕が,
  ロ)『伊勢神宮〔表口の神社の機能を発揮〕と
  ハ)『靖国神社〔裏口の神社の機能を分担〕を麾下に置く

という三角関係(トライアングルの3点セット)が,読みとられるべきである

 いいかえれば,国民精神を宗教的に支配するための「しかけ:枠組」が,以上 イ)  ロ)  ハ)  の三角の構造とその機能の関係づけであった。とくに『皇室神道』は,日本帝国主義路線を宗教精神的に推進させるに当たって,国家精神面を支えるための《神道総司令部》の役目を遺憾なく発揮していた。敗戦後,天皇は「人間宣言」をさせられていたが,以上のようなトライアングルの相互関係において天皇の地位が保持していた卓越性からすれば,当然の措置であった。

 2) 日本帝国主義侵略路線の責任者:明治天皇伊藤博文昭和天皇

 天皇個人は,そのような「人間」宣言をあくまで「ポーズ=みせかけ」として,それもいやいやさせられていた。彼自身は現人神である点はひとまず否定しておいたものの,彼自身が「天照大神神武天皇」という架空・想像上の神々の子孫だと,どこまでも本気で〈信じていた〉。くわえて,その息子や孫たちもまた「同じような皇室神道にもとづく宗教の精神状態」を抱きつづけている。

 これでは,明治以来におけるこの国の天皇たちのうちとくに,昭和と平成の2人の天皇に顕著であった「前近代的な神がかり」の状況には〈尋常ならざるもの〉がある。明治天皇大正天皇は,あとに践祚した2人の天皇ほど狂信的に〈神話世界における先祖の実在〉を信じてはいなかった。

 山折哲雄は,伊勢神宮が「宗教宣言」をしていないことを問題にした。しかしまたいえば,皇室神道もそれを済ませていない。国民たちの信心する教派神道なども含めて,諸宗教全体をしりめに,「日本国・国民の象徴である」立場からその皇室神道をわれわれに勝手に押しつけている。日本国内では,このような「神道宗教に関して許されざる上下関係」が実在している。

 ただし,靖国神社だけは敗戦後「宗教宣言」をさせられ,「一宗教法人」に変身を余儀なくされていた。ところが,この靖国が,もはや〈不可逆の過程〉であるはずの,その「宗教宣言」の「廃棄」を願望してもきた。

 要は,日本帝国は1945〔昭和20〕年に明治体制をもって戦争に大敗していた。しかし,この敗戦を契機に始められたその抜本的な改革は,皇室神道および伊勢神宮のあつかいにおいて手抜かりがあり,失敗していた。また,靖国神社に関してのそれは中途半端なものを残していた。その意味では,このような日本の政治体制の大元を設計して実現させてきた伊藤博文の政治遺産がまだ,まともに清算されていない。

 --ちなみに,韓国でアンケート調査すると「日本の人物でいちばんよくしられている氏名」がこの伊藤博文である。台湾につづき韓国を植民地して当然とした侵略外交は,伊藤博文が東アジア全域に対して与えてしまった〈負の遺産〉であるが,この史実は伊藤博文だけの国家の方針ではなく,明治天皇を戴いた日本帝国臣民の意志であったという意味でも〈負の遺産〉といえる。

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