政治的存在である天皇を政治的に利用するな,などともいわれる頓珍漢

           天皇は政治的存在である
                  (2009年12月13日)

  【 要  点 】天皇の政治性」をめぐる政治的駆け引きの問題

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  朝日新聞社の批判表明

 『朝日新聞』2009年12月13日朝刊は「天皇会見問題-悪しき先例にするな-」と,同社の見解を示した。これは「あす〔2009年12月14日に〕来日する中国の習 近平(シー・チンピン)国家副主席と天皇陛下との会見が,鳩山由紀夫首相の強い要請で,慣例に反して決められた」点に対する,同社の意見表明である。

 今回「1カ月ルール」が破られるかたちで,天皇が外国の要人と会見する機会が設定されたことに関しては,羽毛田(はけた)信吾宮内庁長官が「天皇の中立・公平性に疑問を招き,天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明した」。というのは,「日本国憲法天皇を国の象徴として『国政に関する権能を有しない』と規定し」ており,「意図して政治的な目的のために利用することは認められない」からである。

 9月に「歴史的な政権交代があった。鳩山政権にも民主党にも不慣れはあろうが,天皇の権能についての憲法の規定を軽んじてはいけない。この大原則は,政治主導だからといって,安易に扱われるべきではない。今回の件を,悪しき先例にしてはいけない」というのが,朝日新聞「社説」の要点である。 

 註記)http://www.asahi.com/paper/editorial.html 参照。

 

  学識者の賛否など

 日本政府の対応について百地 章・日本大法学部教授(憲法学)は,日本「政府は天皇陛下の政治的中立性,公平性を守るべきだ。1カ月ルールを破るという強引な決め方そのものに,陛下を政治的に利用した印象が否めない。中国だけ認めたのは悪い先例になり,ルールが崩壊する危険性もある。二度とこんなことがあってはならない」と,きびしく批判した。

 一方で,横田耕一・流通経済大教授(憲法学)は「強い政治性を持つ行為に天皇を利用することは望ましくない」としながら,今回は「宮内庁の考えかたが前面に出すぎているのでは」と指摘する。「最終的な決定権は内閣にある。1カ月ルールは内規だから,内閣は尊重しなければいけないが,縛られることはない。宮内庁に振り回されるのはおかしい」と述べた。

 宮内庁によると,1カ月を切って会見の申請があったのは2005年,タイの上院議長との会見だけ。打診は1カ月を1日切っていた。同国がスマトラ沖大地震インド洋大津波で被災した事情があった。

   ◇ 解説 天皇の役割,厳密対応を ◇

 

 1カ月ルールは,1995年ごろから慣例としてあり,とくに平成天皇前立腺がんの摘出手術を受けたあとの,2004年からは厳格に適用されてきた。羽毛田長官は「国の大小とか,政治的に重要か,そうでないとかにかかわらず守ってきた」と述べている。実際,〔2009年〕11月に天皇陛下と米国のオバマ大統領が皇居・御所で面会したさいも,このルールにのっとって日程が調整された。

 

 それにもかかわらず,今回は来日の約1週間前に再度の強い要請があり,会見することになった。羽毛田長官によると,鳩山首相の意を受けた平野博文官房長官から「ルールは理解するが,日中関係の重要性に鑑み,ぜひお願いする」と要請されたという。

 

 天皇憲法で,政治的機能をいっさいもたない「国の象徴」とされている。平野官房長官の発言がこのとおりなら,天皇の政治利用とも受けとられかねない。内閣として,天皇の意義,役割をより慎重で厳密にとらえて対応していくことが求められる。

 註記)http://www.excite.co.jp/News/politics/20091212/20091212E10.033.html 参照。

 

  天皇は政治的な存在でしかない

 日本国憲法の第1条から第8条まで天皇条項が占めている。ところが,この憲法に規定されている存在,いいかえれば「政治的存在」そのものである《天皇》という「人間」の立場を,国際外交面において「政治的に利用」することのないように「利用」するかしないかという問題が,今回,中国要人の習 近平に対する「日本の天皇」の会見設定のしかたをめぐって,なにやらやかましくとりざたされている。

 この様子を観察していた本ブログの筆者は,いささかならずおかしな気分になった。というのも,日本国憲法に規定されている「天皇の地位」に関することがらゆえ,この地位に座する人物の動静は,どのようなものであれ,そのすべてが政治的なものであるほかない。それなのに「1カ月」以上以前に予約をすれば「政治的利用」にならないが,その期限を切って「天皇への会見」を要請するのは天皇の政治的利用になる,というふうにも聞こえる議論がゆきかっている。

 それにくわえて,平成天皇明仁」も高齢であるから「この人の健康も考えてほしい」という要素までが,政治的利用うんぬんの次元での話にもちこまれてもいる。考えてみればこれは,ずいぶん奇妙で非論理的な区分などにもとづく論法である。「国の象徴」ではあっても,もともと「天皇の地位」は政治的である。この人に会う約束をもらうのに1カ月を期限=基準に「政治的だ」とか「いや,そうではない」とか,甲論乙駁がなされている。
 
 そのような議論をしている暇があるなら,つまり,民主主義における国家体制を敷いているつもりである「日本国の政治的焦点」として,「天皇という政治的存在=天皇制」がどのようにみなおされるべきか,こちらを真剣に考えるほうが先決問題ではないか?

 要するに,政治的存在以外のなにものでもない天皇制を「政治的に利用しているのか否か」という議論の方途が,根本的にお門違いである。にもかかわらず,水に油を溶かしこむことができるかのように観念してでも,天皇に特定の役割が強く期待されている実相がうかがえる。

 だが,こうした感性的な認識水準の圏内に留まっているかぎり,なんら実りある当該論点の掘り下げは無理である。現象問題の追跡・その当否の議論にただ追われているばかりで,肝心な本質的論点が蒸発してしまっている。

 「天皇という〈人間〉」が日本という「国の象徴」であらねばならない本当の理由は,なにか? 憲法にそう書いてあるからか? そのような認識のありようで,なんら問題なく納得してよいのか?

 

  海外では,天皇国家元首であるかのように振る舞わせる,日本国の外務省

 網野善彦吉本隆明・川村 湊『歴史としての天皇』(作品社,2005年)は,こう語っている。

  a) 韓国「釜山の領事館」「建物の正面に菊の紋章と日の丸。そして天皇誕生日には必ず,領事館,大使館主催のパーティをやる」。「ペルーの場合,日系人の間では天皇誕生日-まだ天長節といっていましたね-が一番大きな祭りになっている」。「とにかく,そういう形で菊の紋章が外交で顕わに用いられているということは,日本国の元首は天皇であるということを外国に対して宣揚しつつあるということになりますね」(網野,157頁)。

  b) 「なにしろ,パスポートに菊の紋章がついています」。「結局,天皇,皇室を憲法ではっきりと “象徴” と規定している」。「菊の紋章,昭和という年号に日本のシンボルとして使われる」。「日本はそういう意味で対外的に自国,自民族をシンボライズするものを積極的にアピールしていない」。

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  出所)https://u-note.me/author/nagasawamaki/20181011/498062

  補注)パスポート用の菊紋は花弁が重ならない「一重」の種類であるが,皇室用の菊花紋は16枚の花弁が表を向いて重なっており,「十六八重表菊」と呼ぶ。 

  

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 付記)これは,昭和天皇が1987年5月,全国植樹祭のため訪問した佐賀県で乗った「お召し列車」に装飾されていた菊のヘッドマークである。

 註記)「お召し列車の『菊』初公開へ 昭和天皇全国植樹祭で佐賀訪問」『佐賀新聞 LIVE』2019/10/11,https://www.saga-s.co.jp/articles/-/438873

  c) 「日の丸,君が代,菊の紋章に対する排斥感はあっても,それに代わりうるものを何一つ反体制,左翼の側も打ち出せなかった」。「そういう空白の部分に積極的に天皇を推し出そうというグループがいて,それに押し切られている」。「天皇国家としての日本ではない対外的イメージの創出に,日本の戦後は失敗している」(川村,157-158頁)。

 これ〔とくに a)  b) 〕こそがまさに,天皇=皇室の端的な政治利用ではないのか? ところが,宮内庁はこうした現実を黙認どころか,大いに歓迎している。

 だから,今回のように平成天皇と「中国の習国家副主席との会見設定」の〈もっていきかた〉をした「政府当局者のやりかた」,いいかえれば「鳩山由紀夫首相の強い要請で慣例に反して,その会見が決められた」点を批判した羽毛田宮内庁長官の発言,つまり「天皇の中立・公平性に疑問を招き,天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明した」態度は,片腹痛いなどという珍妙な水準を飛びこえて,宮内庁側における〈自家撞着そのもの〉の言説である。

 日本国を代表する元首は,いうまでもなく首相であり,いま〔当時〕なら民主党代表の鳩山由紀夫である。この鳩山首相の頭上にかかげて「輝かせたい」かのように置かれている人物として「日本の天皇」が存在する。

 日本国は民主主義の〈国家〉ではないのか? 象徴である人間の天皇がこの国家を代表しているのか,それとも首相がこの象徴〔人間〕を戴く日本国を代表するのか? こういった基本的な疑問を表示されると,いきなり怒り出す御仁もいないわけではないこの国の内部事情もあって,問題そのものがややこしくなる可能性があった。

 以上のような事情をとんとしらない各国駐日大使が,赴任するために初めて日本に来たとき,日本国の象徴である「天皇陛下は,日本から外国に赴任する大使夫妻と赴任前に宮殿でお会いになり,引き続き,皇后陛下とご一緒に大使夫妻にお会いになっています」(宮内庁ホームページより)ということになれば,〈ふつうでまともな〉感覚の持主であれば,この天皇が「日本国の元首」だと勘違い〔←正しく理解?〕するのは,あまりに当然である。

 

 【参考記事】

 ④ までと関係の深いブログ記事が本日〔2020年7月12日〕に出ていたので,これを紹介する。安倍晋三は,平成天皇イジメを意地悪くネチネチと重ねてきた首相であるが,こんどはその息子に対する同じ種類の嫌がらせを開始している。

    天皇と雅子皇后はなぜ沈黙しているのか ★
 =『天木直人のブログ』2020-07-12,http://kenpo9.com/archives/6829


 コロナ危機で日本中が苦しんでいる時に,令和天皇がひとことも発しないのはどうしたことか。この疑問を最初にメディアで投げかけたのは月刊情報誌『選択』だった。そのことを私は6月15日のメルマガ第333号で解説してみせた。

 

 それからひと月ほどたって,7月10日に発売された月刊『文芸春秋』8月号に政治学者である原 武史氏が,「天皇と雅子皇后はなぜ沈黙しているのか」と題する寄稿を寄せた。せめてビデオメッセージでも発せられないものか,という問いかけである。

 

 いずれも天皇制の存続にかかわるきわめて重要な問題提起である。私は上皇天皇の時にコロナ危機が起きていたらどうされただろうかと思う。おことばの発出どころか,現場に足を運んで,苦しんでいる人たちとその苦しみを共有されたに違いない。

 

 もちろん緊急事態宣言が出されて,国民が皆自粛しなければいけない時はなにもできない。しかし,いまは違う。今日の報道をみると,安倍首相はあす熊本の豪雨被災地を視察するという。菅官房長官はきのう北海道まで出かけていって,先住民族アイヌの文化復興をテーマとした国立施設(ウポポイ)を訪れている。

 

 限定的ながら注意すれば行動はできるようになったのだ。『選択』の記事が書いたように,もし安倍首相が令和天皇には平成天皇のような勝手な真似はさせないと,みずから送りこんだ宮内庁の官僚長官に命じて象徴天皇の行動を差配しているとすれば,象徴天皇制は完全に形骸化する。

 

 おりから安倍首相は憲法9条をどんどんと形骸化し,最後は憲法9条をなくそうとしている。だったら安倍首相の手で象徴天皇制もなくさなければいけない。すなわち,憲法を変えようとするなら憲法9条とともに憲法1条から8条を変えなくてはいけないのだ。

 

 なぜなら,戦争責任の免除によって天皇制を象徴天皇制のかたちで残す見返りに,戦争放棄と戦力不保持を謳った憲法9条を受け入れたからだ。このふたつは,日本が国際社会に復帰したさいの,いわば国際約束なのである。

 

 戦争体験のある上皇はそれを承知のはずだ。だからあのことばを発せられたのである。令和天皇はいまこそあのおことばを再現させなければいけない。

 日本の国民たちは,1人ひとりがこのような政治的な現象の発生に気づいているのか? 一筋縄ではいかない「天皇や皇室のいろいろな問題」が絡まりついている「ある種の論点」が浮上している。ともかくも,安倍晋三が令和天皇に対して一定の行動制限をしているらしい様子は,確かに感得できる。と同時に,令和天皇夫婦側は,安倍晋三の圧力に対してあらがう知恵や工夫を模索しているものとも推察しておく。

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