喪服の色はなぜ黒なのか?

礼服に黒色を当てる風習はいつごろできたのか,しっているようでよくしらなかった衣服の習慣
                  (2010年3月19日)

 

  要点:1 神道式の葬儀では喪服に黒を用いない

  要点:2 明治時代に決められた黒色の喪服は欧米を真似ていた

 

  笠川紀勝『天皇の葬儀』1988年

 笠川紀勝『天皇の葬儀』(新教出版社,1988年9月)は,昭和天皇が死去する前年に公刊されていた。当時,国際基督教大学教授で憲法学を講じる笠川が,1988年2月~8月,雑誌『福音と世界』に連載した同名の論文を単行本化し,公刊したのが本書である。本書の目次を紹介する。

 Ⅰ 天皇の葬儀憲法学的研究-

  は じ め に
  第1部 問題はなにか
   1 政教分離の原則と信教の自由をめぐる問題
   2 国家・国民の統合原理
   3 葬儀の執行と機能
  第2部 天皇の葬儀の歴史 
   1 天皇の葬儀の法制度の概略
   2 天皇の葬儀の実際
   3 天皇の葬儀のモデルの成立-英照皇太后の葬儀の実際-
  第3部 今日の憲法問題
   1 神道儀式としての天皇の葬儀の問題
   2 国家・国民の統合原理の問題
  む す び

 Ⅱ 靖国神社をめぐる憲法問題

  一 信教の自由-靖国神社をめぐる憲法問題
  二 公式参拝憲法問題
 あとがき

 雑誌『福音と世界』はこの題名からも分かるように,キリスト教関係向けに現在も発行されている雑誌である。笠川紀勝『天皇の葬儀』が公刊されてから約4カ月後に昭和天皇は他界していた。この期日を迎える以前に本書は,「明治憲法日本国憲法の原理的断絶と歴史的現実の連続の葛藤」「を踏まえて,なお将来のあるべき選択を,日本国憲法の,世界に開かれた普遍的な人権保障において見いだそうとした一つの試みである」として公表されていた。

 

  黒の喪服を臣民に強制しながらも「彼ら」の喪服は黒色一色ではない

 1) 皇族の葬儀と喪服

 親族や親戚・姻戚,友人,近所,職場同僚,取引先などに不幸があったとき,とくに告別式においては必らず「黒の喪服」を着用することが礼儀に適った衣服であると観念されている。この葬儀に関する風習についてわれわれは,いつ・どこで・誰が・どのような理由で「葬式の喪服は黒色」と決めたのか,実はよくしらない。

 ところが,笠川の本書を読んでいると〔ほかの葬儀の歴史に関する著作のなかにも書かれているかもしれないが〕,喪服については『平凡社大百科事典 全16巻』1984-1985年を参照しながら,こう解説している。これは,「英昭皇太后」(1835年1月11日-1897年1月11日)が死亡したとき,日本社会がどのように喪に服したか論及したさいの記述である。

 なお,英昭皇太后の姓名は「九条夙子:クジョウ アサコ」(1836-1897 年),孝明天皇の正妻に当たる〈女御〉であった。明治天皇の皇太后。しかし,明治天皇:睦仁を生んだのは,別人の「中山慶子:ナカヤマ・ヨシコ」(1836-1907 年)であって,〈典侍〉という「側室=第2夫人」群のなかでも,その「2人目に位置する」女性であった。

 ところで,その英昭皇太后の死期が実際に近づいたとき,日本社会において意図的に創られた雰囲気があった。「そこには『上下喜憂を共にする』という以上に,『上』が『下』に喜憂を呼び起こし作り出す契機が強く働くし,また働いたと言わざるをえない」。「そして」「国民の側で『上』からの喜憂の創出の働きかけに乗り遅れたものは『不敬』」「な者と称された」(笠川,前掲書,76頁)というものであった。

 1988年から1989年の「昭和天皇の病が死に至る過程」において,そしてまた彼のための葬儀のさい日本社会が半強制的に,あるいは受けとめる筋や立場によっては完全に強制されるに至ったのが,経済活動の縮小や社会活動の自粛であった。しかしまた,昭和天皇の葬儀にかかわらせて日本社会が強制された「暗黙裡の統制とこの気分」は,一般大衆の少なからぬ反発を招いていた。この事実は歴史の記録に残されており,いまから回顧しても当時を様子をうかがいしることができる。

 さて,英昭皇太后が死んだ。すると日本政府は,臣民に対して喪に服する具体的な様式を指示した。

 上は高位高官から下は学校生徒と一般の人々に至るまで,そして町の道筋まで,哀悼の意表現として服装,左腕,帽子,佩剣,道筋の民家等を黒色で飾るということは,英昭皇太后までなかったことである。というのは,わが国で伝統的な喪服は素服すなわち「麻などの加工しない生地のままか白地の布で作った」ものであって,黒色による哀悼の意表現は「洋服の採用とともに西欧の制にならっ」た結果だからである(宮本馨太郎「喪服」『平凡社大百科事典』14巻975頁)。

 ただしこうした黒色による哀悼の意表現は,いわば非宗教的な高位高官から一般国民の間に限られ,それに対し,天皇の葬儀を担う中心的で宗教的な神官神職が伝統的な服装と色を継承していることは注意される。・・・/さて黒色による哀悼の意表現も・・・西洋とくにドイツの影響によると思われる(79頁,80頁。/は改行箇所)。

 2) 臣民の喪服と神道界の喪服とは,なぜ色が異なるのか?

 それでは,神官神職側における喪服の色調は,どのようなものであったのか。日本帝国政府は,一般臣民に対してその喪服に関する礼装や喪章についてことこまかに指示を出していた(内務省告示や内閣告示,文部省訓令号外など)のと同じに,つぎのような内務省訓令(第1号,1897年1月22日)を出していた。

 大喪にあたり神官神職が「霊柩(れいきゅう)ヲ奏送迎シ又ハ宮中喪期間皇宮行在所ニ参入スルトキ」の服装として,冠は巻纓(まきえい:けんえい,黒色で出来ている),袍(ほう,上衣のこと)は白,単(ひとえ)は白,袴(はかま)は鈍色(にぶいいろ:にびいろ,薄黒色,濃い鼠色,昔喪服にこの色を用いた),末広(すえひろ,扇のこと,墨色,骨は鈍色),沓(くつ)は黒と定めた(79頁)

 補注)なお,小文字にしておいた ひらがな ,引用者(笹川紀勝)が原文に対して独自に添えていたルビである。原典はつぎに画像資料として紹介する。

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  出所)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947350?tocOpened=1

 葬儀のときに誰がどのような色の喪服を着るのかまで,国家が臣民に指示・強制する。それも,江戸時代にではなく明治時代になって西欧:ドイツの真似をし,喪服は黒色と定めていた。しかし,孝明天皇のときは「仏式の葬儀が行われた」(63頁)けれども,英昭皇太后の葬儀になると「神道色が出ている」(85頁)。この変化に着目しても,明治時代に入ってから「国家神道」が意図的に制作されていった事情の一端を読みとることができる。ともかく,喪服について臣民などには黒色一色に統制しておきながら,神官神職は伝統の色々を使用している。

 明治の時代における葬儀において「神道流の伝統らしき流儀」をきわだたせるためなのか,臣民は黒色のみを弔意の意表現に使わせたやりかたは,きわめて意図的・操作的な政治・行政を感じさせるが,それだけではない。それは,皇族の葬儀を好機ととらえて,特別なる皇室の階級性・高貴性・尊崇性を臣民にしらしめる一大行事のための舞台として利用していた。

 

  庶民の伝統はもともと黒色の喪服であったのか

 1) 黒か白か-目を白黒させて聞くほどの話でもないが-

 『雑学なコラム』なるサイトは,「喪服の変遷」という項目でこう語っている。

 --母方の祖母の葬儀のとき気づいたのが「死者の白装束と生者の黒い装い」。当たりまえと思っているこのコントラストは,どこに由来するのか。神聖な色としての白はわかるとして,黒は?

 服飾史研究家の増田美子(学習院女子大学教授,日本服飾史・民俗文化史専攻)いわく,もともと日本の喪服は白であった。黒に変わったのは奈良時代天皇は唐にならい「養老喪葬令」をもって,直系二親等以上の喪に「錫紵(しゃくじょ)」〔薄墨色〕を着るように定めた。もっとも,この唐の錫衰とは灰汁(あく)で処理した麻布のことで,実は白色であったから勘違いであった。

 室町時代に喪服はいったん白色に戻り,江戸時代まで続き,再び黒になったのは明治維新後である。この二度めに外国から入ってきた黒の喪服は,外国に倣っていた〔先述によればドイツであった〕。しかし「死装束の白」は,昔もいまもかわらない。

 註記)http://zatsugaku.com/archives/2003/06 /post_332.html

 --以上の引用のなかで氏名の出た増田美子にも直接聞き,興味ある指摘を拾ってみたい。

 増田の推測である。養老喪葬令以降,上流階級だけが黒の喪服を用いてきたが,庶民は一貫して白のままであった。白い布を黒く染めるには染料が要り,手間もかかる。昔は人の死を「穢れ(けがれ)」と考え,喪服を処分していた事情を考慮すべきである。

 先祖代々の伝統をかえるには相当の勇気がいる。現代よりもはるかに信心深い時代であって,伝統を変えたためにたたりや災いが起こるのではないかという “恐れ” が相当強かった。結局,庶民は貴族の「黒」に圧されながらも,「白」という色を守り続けていたのではないか。貴族の影響力が薄れた室町時代になると,その “白文化” が盛りかえしたと考えられる。

 註記)http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000136_03.html

 補注)増田美子が喪服について語っている記事がその後,『朝日新聞2013年5月20日夕刊に掲載されていた。題名は「〈歴史探偵団〉喪服はいつから黒色なの?」。この増田の説明についてはさらに,最後の項目 ⑤ の解説を聞くことによって,基本的な理解に関する点については,ほぼ「白黒がつく」はずである。

 2) 筆者のみたある葬儀の実例

 筆者はだいぶ昔のことになるが,東京都下町のある地域に住んでいた。ある在日韓国人の知人の父親が亡くなった。その葬式にいって初めてみた家族の衣装に少し驚いた。みなが麻の生地で仕立てられた喪服を着ている。帽子も被っている。その喪服の色が「白」(正確には白ではなく黄ばんだ文字どおり「麻色」)であるのは,そもそも「無地」で仕立てられているからである。昔は,日本の庶民も韓国〔そして在日〕の庶民も,同じ「染色無しの生地」で作られた麻製の喪服を着用していたことになる。

 韓国の葬式風景は,インターネット上でも観察可能であり,最近では女性たちがまったく「白色の喪服」の民族衣裳〔チョゴリ・チマ(上着とスカート)〕をまとっている。これは,現代においては麻の無地に換えて「白そのもの」の喪服を着用しているものと観察できる。

 韓国のばあい,日本ではすでに廃れてなくなった「哭の儀式」(「哭」(こく)とは泣く・大声を上げて泣くなどの意味をもつ漢字である)が,いまもおこなわれている。これは,本能的な自然の泣きかたではなく「アイゴー,アイゴ・・・」と大声をあげて泣く儀式である。葬儀の期間中は朝夕必要とされ,喪服を脱ぐときまで続けねばならない。葬儀の期間が長いと喪主がしんどいので、泣くのを代理でする代哭制(泣き屋)もある。

 

  なぜ,明治期における皇室神道の葬儀は「何種類かの黒白色など」を使用したのか

 江戸時代と違い明治時代以後は,天皇家の人びとの葬儀は,神道式に則りなされるようになった。そのとき,臣民には「黒の喪服や喪章」を身に付けさせていながら,皇室関係者にあっては伝統的な服装=「何種類かの黒白〔鼠〕色などを使用した喪服」を維持させてきた。

 もっとも,つぎのような専門家の指摘もあり,喪服と皇室・皇族の「昔といま」に関する詮索・究明はそう簡単にはいかない面がある。

 本ブログ(旧・々ブログだが)はすでに「2009.12.18」「天皇天皇制の歴史・存在・意義・限界」(本ブログ内では未公表)において,「近代明治に創られた天皇のしぐさ・天皇制のしくみ」を議論し,いかにも古式ゆかしき伝統を忠実に守っているかのような皇室の儀式が,実は明治の時代にあってこそ制作・確立されてきたことを,あらためて記述していた。

 さらに,天皇の死去にともなう「践祚 ⇒ 即位 ⇒ 大嘗祭」という諸儀式そのものが,現在におけるIT社会においてはまさしく時代遅れの神道宗教による演技であることも言及した。明治の時代に意図的に新しく,臣民たちに黒色の喪服の着用や黒色の喪章を佩用させたのは,従来の皇室神道を絶対的にも相対的にも最優位に,つまり政治秩序的に至高の地位に置いた「国家価値観を確立し,浸透させる」ための一環であった。喪服・喪章,これは分りやすい小道具として,天皇尊崇を高める操作を担わされていた。

 「天皇の死」から「新しい天皇」へという交代劇のなかで,明治国家の宗教的装飾として不可欠な神道祭祀をもって,日本帝国は基督教国の表相的な物真似を図り,国家の基底の強化に努めたわけである。神道に特有な宗教思想である「神の世界と人の世界の未分離・連続状態」が,昭和天皇の治世になると〈生き神〉様を登場させた。その顛末たるや語るまでもない。

 笠川『天皇の葬儀』が「はっきりとした信仰告白の姿勢をもって」(〔あとがき〕212頁)公表されたのは,その「西欧から日本へ」という「モノ真似の関係」のなかにしこまれた劇場性を批判するがためであった。天皇代替り:交替場面において執りおこなわれる諸行事においてこそ,日本の天皇天皇制のもっともみえすいたカラクリが語られている。

 

  【補  記】-日本の伝統的な色-

 a) すでにいま(2020年7月)は,平成の天皇から令和の天皇の時代になっている。生前退位のかたちを希望した明仁から息子の徳仁へと天皇位が移譲されたのは,2019年5月1日のことであった。

 日本国憲法のなかでは,『旧・皇室典範』と基本理念・中身・役割がほとんど同一である「現行の皇室典範」のもと,天皇天皇制の存在形式が民主主義の国家体制とどのように折りあっていけるのか,この重大問題を政治形態あるいは社会体制などのあり方に関した問題として核心を突ける議論が少ない点は,この国における民主主義の質的な水準が奈辺にあるかを示唆している。

 b) 「喪服の色」の問題,皇室・皇族たちが現在使用するその色合いについては,つぎの記述が参考になる。つぎの画像は,2019年8月15日の戦没者追悼式における皇后雅子の衣服である。ここでは,前述の説明に出ていた「鈍色(にぶいいろ:にびいろ薄黒色,濃い鼠色,昔喪服にこの色を用いた)」という指摘にしたがい,「この色だと解釈しておく」。

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  出所)「天皇陛下お言葉全文 全国戦没者追悼式」『産経ニュース』2019.8.15 12:38,https://www.sankei.com/life/photos/190815/lif1908150031-p2.html

  補注)「黒白系の色 このカテゴリでは『黒白系』の日本の伝統色『45色』の一覧をご紹介します。」『伝統色のいろは -Traditional colors of Japan-』2019年12月,https://irocore.com/category/achromatic/  をのぞけば,関連する色々が原色を添えて説明されている。

 c)「〈佐多芳彦の服装の歴史学〉)古代の色彩:1 神事服,『白』を使い分け」『朝日新聞』2016年6月4日朝刊,be4面 は,日本の歴史のなかでは「白」が本来から大切な色調であった事実を指摘している。 

 8世紀初めに著わされた『古事記』は,天皇や朝廷からみた当時の日本の建国神話を伝える歴史書だ。同書には,白鹿や白猪など,神の化身としての白い聖獣が出てくる。白は清浄と神性を象徴する色として描かれている。  

 

 奈良時代以降,白い生き物,動物や鳥などが出現すると,吉事の前兆と受けとめられた。これを「祥瑞(しょうずい)」と呼び,「白雉」「白鳥」「白鷹」「白狐」「白亀」「白鼠」などが,上記『古事記』や同時期の歴史書日本書紀』などにみいだせる。

 

 たしかに,白は並外れた,常識外のきわだった色だ。白は「素」と書いて「しろ」と読ませることがある。「人の手に触れていない」という意味があり,それが「無垢(むく)」「清浄」観に結びつく。古代,天皇は朝廷の神事にさいして,おおむね2種類の白い服を着てのぞんだ

 

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 ひとつめは,即位や最上級の厳粛な祭祀(さいし)で使用された斎服(さいふく)である(上の図版)。ふたつめは一般的な神事での使用で帛衣(はくぎぬ)と呼ばれていた。神とまみえるために清浄な白のイメージが求められたのだろう。

 ここまでの専門的な説明を聞いてみるに,明治時代から世間一般には喪服の黒色が浸透してきた歴史があったにせよ,古来からの「白色」や「鼠色」(もしくは染色なしの無色:たとえば麻の地の色)などもまた,神道的な含意を有する色彩である場合も含めて,より幅広く理解しておく余地がある。その意味では世間一般の喪服が現在,黒色1色になっているからといって,過去の喪服の理解まですべてを “真っ黒色” に染めたりしたら,「関連する問題」の「歴史の解釈」は,真っ暗闇な空間のなかに迷いこんでしまう。

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