新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する日本国と東京都との無責任な責任転嫁の関係,堕落国家における政治屋たちの盲動は国民の生命も生活も守らない

 新型コロナウイルス感染拡大「問題」で,子ども的な次元でケンカをする国(官房長官菅 義偉)と都(知事小池百合子)のいいあらそいは,醜悪に過ぎる

  「日本国の中心である東京都」から観た「東京都は日本国に近い首都」であるが,新型コロナウイルスから観たら「日本も東京も同じに」ろくでもない「政治屋たちが跋扈跳梁する世界」になりはてている

 コロナウイルスよりも全然賢いとはいえない,ただ「愚かである政府側の暗愚な幹部」に対してとなるが,ひたすら「ただに狡猾な都のタヌキ知事」との口げんかは,世界に向けた日本の恥さらしになっている

 どいつもこいつも,日本の政治がいったい何流になっているかをみごとに教える “体たらくぶりだけは超1流” だが,実際における政治の世界は3流以下

 

  要点:1 新型コロナウイルス感染症「問題」への取り組みで,あえて醜態をさらす「政府と都府との」「実に低次元の口げんか」としての「責任転嫁ぶり」

  要点:2 国民・都民たちの生命と生活などそっちのけで,責任になすりつけあいを露骨に披露する安倍政権の醜業ぶり,またそれに劣らぬ小池百合子都政の無責任ぶり,その相乗効果の負的被害(付けまわし)を受けとらされる(押しつけられる)のは,国民・都民たちである

 

 「〈経済気象台〉コロナとの闘い終わらず」朝日新聞』2020年7月14日朝刊10面

 このコラム記事「経済気象台」,本日は実にまっとうな意見を述べている。だが,政府や都のコロナ対策の実際における展開ぶりを観ていると,もうウンザリ感しか湧いてこない。どうしてこの程度の3流にもなりえない政治屋連中が,国政や都政を担っているのか。これらの政治屋を選挙で選んだ有権者たちのミーハー的な感性以前に,その庶民としての政治感覚そのもののあり方に関して,反省が強く迫られているはずである。

 以下,このコラム記事を引用する。太文字の強調はもちろん引用者のものである。

 多くの専門家が危惧したとおり,緊急事態宣言の解除後,新型コロナ感染者数は再び増加している。すでに宣言発出当時を上回る数字なのに,政府も東京都も動こうとしない。というより「もう緊急事態宣言は出さない」と決めてかかっているようだ。

 

 諸外国は皆,科学的知見とデータに基づいた客観的な指標を公開し,それにもとづく専門家の判断を踏まえて政策決定をしているのに,日本は都合のいい時は専門家を盾に使い,都合が悪くなると使い捨てるように専門家を排除する。

 

 もはや「経済優先」にかじを切った政権にとって専門家会議は無用の長物,ある日突然廃止して,担当大臣が「もう誰も,ああいう緊急事態宣言とか,やりたくないですよ」などと無責任な発言を平然とする

 

 東京都はアラートの基準数値を廃止し,ことさらに「夜の街」を強調して感染拡大の元凶のような印象を振りまく。政府も都も,感染症予防対策は「市民は自衛を,事業者は自前の感染防止対策を」というだけで「市民の自覚と自衛」に丸投げし,他方で「最近の感染者は若者が多くて重症化しないから医療崩壊しない」「病床は確保してあるから大丈夫」と暗に示唆する。

 

 ちょっと待ってくれ。ベッドの数を超えなければ感染者が増えても構わないということか? 無症状の若者が感染を拡大しても構わないのか? 根拠のない希望的観測の拡散は,責任放棄だ。

 

 もちろん経済も大事だ。しかし多くの専門家がいうようにコロナとの闘いは長期戦。やるべきは,旧に復することはないと覚悟してコロナと共存できる新たな経済の姿を作ることではないのか。いまのやり方では,命も経済も守れない(呉田)

  新聞にせよテレビにせよ,またネットにせよ,最近はどうしたのか,安倍晋三という子ども総理大臣の影が薄い。日本を完全に近いまで破壊しつくしてきたこの首相,もう出番がなくなったとでも考えているのか。それとも体調不良がまたはなはだしくなっており,公衆の面前にはあまりその姿をみせたくないのかよく分からぬが,ともかく,いまでは幽霊化したのかと思えるほど,以前に比較したら「存在感がなくなっている」。

 その代わり,東京都知事のオバサン,変じて「コロナのたぬき」と命名されていいこの「女帝都知事」は,いままでやたらと自分の都合のいいように信号機をいじくりまわしては,都庁舎やレインボーブリッジをにライトアップして遊んでいた。とそう思っていたたら,その後,急に「東京アラート」なる警報の発動を止めると同時に,その幻灯機遊びみたいな遊戯も止めてしまった。

 それでいて新型コロナウイルス感染拡大が収まってきたのかといえば,とんでもない,逆に増え出している。したがって,こういうデタラメを自分本位で身勝手におこないながらも,なお平然としていられる都知事のことを,「東京アラート」に真似て小池百合子アラート」の発令が必要だと,本ブログ筆者はいってみた。

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   出所)『日本経済新聞』2020年7月14日朝刊。クリックで拡大・可。

 

f:id:socialsciencereview:20200714113216p:plain  出所)『東京新聞』2020年7月14日。クリックで拡大・可。


 「都が感染状況の予測文書2通を廃棄 1通は本紙の情報公開請求後に〈新型コロナ〉」東京新聞』2020年7月12日,https://www.tokyo-np.co.jp/article/41914

 新型コロナウイルスの感染対策をめぐり,3月に厚生労働省クラスター(感染者集団)対策班の押谷 仁・東北大教授から,東京都に示された感染状況の予測文書2通を,都が廃棄していたことが分かった。このうち1通は,5月下旬に本紙が都に情報公開請求したあとに廃棄した。小池百合子知事は予測内容を「対策の参考にした」と述べており,廃棄によって感染拡大直前の政策決定過程が不透明になっている。

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 都が廃棄したのは,押谷氏らが都内の感染者数などを予測・分析した2通の文書。都の説明では3月17日と19日に示された。17日文書では,現状の対策のままだと2週間後に都内で約1万7000人に増えると予測。都が提供した情報をもとに,押谷氏らが精査した19日文書では,感染者数が約3000人に減った。

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 押谷氏はさらに精査し,都と意見交換した21日に,最終的な予測として「320人」を示した。小池知事は23日の記者会見で,21日文書だけを公表し,「感染者が増加する見通しがあり,医療体制をしっかり準備していく」と述べた。

 本紙は5月下旬,厚労省の対策班から3月に都に提供された文書やメールを情報公開請求。都は6月中旬,21日文書以外は不存在とした。

 最初の3月17日文書について,都の吉田道彦・感染症危機管理担当部長は「あやふやな試算だったので押谷氏との会議後,すぐに廃棄した」と説明。つぎの19日文書は「中間の試算で,押谷氏からメールで受け取った」とし,「6月,メールの容量がいっぱいだったので削除した」と答えた。

 補注)この「メールの容量」ウンヌンは逃げ口上のための作り話である可能性大である。

 小池知事は4月6日の会見で,「最初1万7000,その次3000が出て,300になって数字が大きく揺れていた」と,廃棄された文書の中身に言及していた。これについて,吉田部長は「21日の文書を知事に説明した時,それまでの押谷氏とのやりとりも口頭で報告した」としている。

 都福祉保健局は廃棄した2通の文書について,「算出根拠が不十分な作業途中のもので,組織としての利用を想定していない」と説明し,「行政文書には当たらない」としている。

 補注)まるで安倍晋三政権下での公文書隠しにそっくりの対応が再現されている。

 押谷氏は対策班の中心メンバーの1人で,世界保健機関(WHO)で2002年に重症急性呼吸器症候群SARS)の対策を担った経験がある。押谷氏に一連の経緯を質問したところ,東北大を通じて「厚労省に問い合わせてほしい」と回答があった。厚労省の対策班は「有識者として押谷氏が都に助言したもので,厚労省が発出した文書ではない」としている。

 ※-1 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長「途中段階も公文書」

 途中段階の内容だから公文書に当たらないという都の説明は論外だ。途中の経過として暫定的に提供された文書でも,職務上取得して組織内で用いれば公文書に当たる。文書の中身は関係ない。都の説明にしたがえば,最終的に決まったものだけを残せばいいことになる。それでは意思決定のプロセスがみえない。都は,まだ収束していないコロナへの対応を場当たり的なものにしないためにも,適切に公文書を管理するべきだ。

 補注)このように指摘・批判されている小池百合子流「文書隠蔽操作」は,安倍政権のやり方と瓜二つであった。国政の安倍晋三,都政の小池百合子,この2人は文書隠しに対する情熱に関していえば,いい勝負である。文書を隠す行為は,だいたいが自分たちに都合の悪い事実がそこに記されているからである。この点は,その通り相場というか,通例の発現だといっていい。

 ※-2「検証逃れ」「証拠隠し」そしり逃れず

 東京都による感染状況の予測文書の廃棄は,意思決定過程を検証できるように記録を残す,という公文書管理の理念をないがしろにするものだ。都は取材に「文書を残すことで,なぜ前の試算を使わなかったのかという意見が出る可能性があり,あとに混乱を招くと判断した」と説明する。これでは検証を逃れるため,証拠を隠したと取られても仕方がない。

 都は豊洲市場の移転をめぐり,検証に必要な文書が残っていなかった反省から,小池百合子知事の1期目に公文書管理条例を作った。公文書の要件は「職務上取得した文書で,組織的に用いるもの」としている。取材では,複数の都関係者が廃棄された文書をみたと証言。内容は小池知事に報告され,知事自身も「対策の参考にした」と公言しており,この要件に当てはまる可能性は大きい。

 補注)文書管理(会議や協議に関する基本事項の記録と保存体制の整備)は,企業経営においても行政管理においても,事務体制管理のイロハである。この基本的な業務をあえて無視するような為政者の態度は,もとからなにかやましい中身が含まれるもの・都合の悪いものを,当初からなきものにしておこうとする狡猾・不純な動機に始まっている。だからこそ,文書管理は “為政者の意思とか希望とか恣意” に任せない保障:防備をほどこしておく必要がある。だからこそまた,為政者は一般的には,そうした管理状態が正常に厳格に維持・運営されることを嫌う。

 3月17~21日は,感染拡大により2020年東京五輪パラリンピックの延期論が高まった時期と重なる。小池知事が週末や夜間の外出自粛を呼びかけたのは,五輪の延期が決まった翌日の25日。都のコロナ対策に五輪が影響したのかどうかを含め,検証にはこれらの文書が欠かせないはずだ。

 2009年の新型インフルエンザ流行を受けて都がつくった行動計画も,「対応を検証して教訓をうるため,対策の実施にかかわる記録を作成・保存し,公表する」と明記している。みずからルールをゆがめ,検証を阻むようでは,都の判断を信じて自粛要請などを受け入れてきた都民らの理解はえられないだろう。(引用終わり)

 そのとおりである。小池百合子政治屋としての基本性格=人格・人間性にかいまみえる流儀,この私的に恣意に富んだいびつな姿勢は,行政学の基本理念とそれに必須である規則・規程などに対して,真っ向から否定するものでしかなかった。いまに分かった彼女の政治屋としての体質とその作法ではなかったゆえ,いまさら驚くような内容ではないものの,安倍晋三のやり方にも似た「政治の私物化(死物化)」を平然と反復しており,都政の次元から日本を破壊する行為を積極的に犯しているのが,まさしくこの都知事だと断定されてよい。

 小池百合子都知事の立場からやること・なすことは,政治家であると認められるならば,まさしく悪質かつ悪性であり,これを簡単にいいかえれば悪辣かつ陰湿でありつづけてきた。その意味では良くも悪くも安倍晋三君といい勝負であるけれども,こんな議論(批判)をされなくてはならないような都知事なのであれば,この国や都が今後においてより善くなっていく可能性は “完全に閉ざされている” としかいいようがない。


 稲葉 剛・稿「〈私の視点〉コロナ禍の困窮者対策 災害時と同様の住宅支援を」朝日新聞』2020年7月14日朝刊13面「オピニオン」

※人物紹介※ 「いなば・つよし」は,一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事

 今〔2020〕年3月以降,不動産の賃貸契約を結ぶため,印鑑を押印するのが日課のようになっている。コロナ禍の影響で,仕事と住まいを失った人たちを受け入れる個室シェルターの増設を進めているからだ。

 個人や企業からの寄付金をもとに,新たに借り上げた都内の民間アパートの部屋は,まもなく30室に達する。各部屋には,着の身着のままの状態の人がすぐに入居できるように,購入した家電製品と布団を搬入しているが,搬入の数時間後には入居者を迎え入れている部屋も少なくない。

 以前から借り上げている25室も活用しながら,連日,行き場を失った10代から70代の男女を受け入れているが,シェルターの整備は追いつかない状況だ。最近はペットの犬や猫と一緒に路頭に迷う人も出てきているので,ペットとともに暮らせるシェルターも整備する予定だ。

 民間の私たちが個室シェルターの整備に奔走しなければならないのは,行政の支援からこぼれ落ちる人が続出しているからだ。東京都は今〔2020〕年4月,ネットカフェへの休業要請により寝泊まりをする場を失った生活困窮者に対してビジネスホテルの提供を開始したが,都内に約4000人いるネットカフェ生活者のうち,支援を受けられた人は約3割にとどまった。

 私たちのもとには,「都の窓口で相談したが,対象外といわれたので,野宿をせざるをえなくなった」「都と区の窓口をたらい回しにされた」「所持金がなくなり,生活保護を申請したら,ネットカフェより居住環境の悪い相部屋の民間施設に連れていかれた」といった相談が相次いだ。また,ホテルの後に移れる一時的な住宅の提供も一部の人に限定されたため,6月以降,ネットカフェに戻らざるをえなくなった人も少なくない。

 私たちは都に支援策の改善を求める一方,国に対しても災害時と同様の大規模な住宅支援の実施を求めてきた。近年,災害時には,行政が民間賃貸住宅の空き家を借り上げて,被災者に提供する「みなし仮設」方式の住宅支援が実施されているが,コロナ禍も「災害」と認定すれば,住まいを失った人に住宅を直接提供することは可能なはずだ。この提言は4月の国会審議で野党の提起で議論されたが,国の2次補正予算に盛り込まれることはなかった。

 感染症の終息が見通せないなか,経済危機は長期化の様相を呈している。今後,さらに住まいを喪失する生活困窮者が急増しかねない状況だ。私たち民間支援団体の努力も限界に達しつつある。「ステイホーム」をするべき「ホーム」を失った人をどう支えるのか。国の存在意義が問われている。(引用終わり)

 ここでは,本ブログ筆者の個人的な体験(観察)だけにもとづく意見となるが,こういう指摘をしておきたい。

 ときどき自分が暮らしている市内をまわってみることがある。先日は地元のブックオフハードオフ店まで「自転車で市内を走行している」と,こういう街中の風景にあらためて気づいた。

 それは,団地のような4階建ての集合住宅が,この市のなかにはいくつも存在している事実についてであった。実は,そのほとんどが空き家状態であったり,ほとんど入居していない様子がうかがえる。これらの集合住宅はかなり大規模の建築物であり,いまも空き家・空き室の状態のままに置かれているようにみえた。

 それらは,以前の某公益企業あるいは某大手家電企業が保有する社宅であった。また何年か前だったか,筆者の自宅から2百メートルも離れていない場所にあったNTTの集合社宅が取り壊し工事をしていて,いまはりっぱに造られた柵にかこまれる空き地になっている。

 つまり,前段のようなかたちで現在は余剰となっていて,もはや住む人がいない社宅の空き家・空き室が相当の棟数・戸数として,現在は入居者もないまま未使用状態でそのまま放置されている。解体するにしても経費がかかる,固定資産税を支払っていたほうが「節税」的なあつかいにでもなるのか,ともかく,空き家・空き室のままである以上のごとき,集合住宅である社宅群が,本ブログ筆者の住む街(最寄りのJR東日本の駅は東京への通勤圏内)には残っている。

 以上でいわんとする点はすぐに理解してもらえると思う。あとは,行政側の努力とそしてとくに,以上のような空き家・空き室となっている社宅群をたくさんかかえている(おそらくもてあましているとみられる)企業が,なぜ,いまの時期(コロナ的な非常期)において,社会奉仕のために自社のそうした住宅・住居を進んで提供しようとしないのか。いいかえれば,新型コロナウイルス感染問題のためにホームレス(宿なし)状態に追いこまれている人びとを助けるために,会社の余剰資産を潜在させておかない努力をしようとしないのか,とても不思議に感じる。

 もちろん,そうした必要性に応えて宿なし状態で困っている人びとを,未使用状態にある自社の社宅に受け入れるという対応には,行政側との折衝や調整,とくに住居を住めるような状態にまで手入れをしたりする準備・工事が必要になり,けっしてそのままでは提供できないゆえ,企業側が現実的に社会救済になる事業に向かい率先して名を上げる面倒を喜んで請け合うなどとは,ほとんど考えられない。

 しかし,ふだんから金儲けに専念している企業であっても,現在,全世界的にそして日本も全国的に新型コロナウイルス感染拡大「問題」への対処で,それこそ1世紀に一度あるかないかの経済・社会の大混乱に陥っているさなかである。

 少しでも関連する持ち資産に余裕がある企業側が,その未使用状態にある自社の社宅を,国家の社会政策に協力するための姿勢として提供することは,伊達や酔狂ではなく,切実かつ緊急な社会要請に対して応えるという意味では,「企業の社会的責任」(CSR:corporate social responsibility)を果たすうえで,あまりにも当然の使命であるはずである。最近の用語でいえば,「持続可能な成長目標」(Sustainable Development Goals)に対して,企業がどのように貢献するかその具体的な意味が問われている。

 経費の負担だとか問題があるとかいうなかれ,長期的な観点から自社の維持・存続(評判・名誉)にとって,いったいどのような選択をすることがもっとも適切な意思決定になりうるかは,いまの時代,すでに自明に属することがらである。企業が余剰状態にある自社の従業員用住居を提供し,準備するためには,それなりに多額の費用が発生する。だが,あとは最高経営責任者の判断ひとつにかかっている。要は,経営者たちの本当の資質や覚悟,胆力が問われているだけのことである。

 補注)ここでは,参考にまでこういう定義的な説明を参照しておく。企業フィランソロピーとは,社会の課題解決のために,自社の経営資源(人材・ノウハウ・技術・情報など)を有機的・持続的に活用した社会貢献活動を顕彰し,広く社会に発信することにより,公正で温もりと活力ある社会を次世代に伝える一助である。

 註記)下記の記述を参照されたい。 

 

 「〈社説〉コロナの拡大 ちぐはぐ対応 深まる溝」朝日新聞』2020年7月14日朝刊

 東京都ではこの5日間で約1千人の新型コロナの感染者が確認された。他の都市部でも各地で拡大の兆しがみられる。検査を幅広くおこなっていることが数字の増加になって表われたというが,感染者は高リスクの中高年世代にも広がる。余裕があるとされる医療体制も,たしかに重症者は少ないものの,入院患者は着実に増えている。

 感染の経路や場所も多岐にわたっており,接待を伴う店への警戒を中心にすえた従来の対応は,事態の理解を誤らせる。正確な分析と説明が必要だ。人びとを不安にさせる大きな要因は,開示される情報が質・量ともに不十分なことだ。

 たとえば会食や職場が原因だというだけで,具体的にどんな状況で感染したのかは明らかにされない。半数近くが「経路不明」と分類されるが,どう不明なのか,その後調査は進んでいるのかなどのフォロー〔追跡調査〕もない。

 これではなににどう気をつければいいのかわからず,予防に役立てることもできない。リスクを社会全体で正しく認識するには,当局が必要な情報をすみやかに公表し,疑問に丁寧に答えることが不可欠だ。「『新しい日常』を徹底してほしい」といった呼びかけをただ繰り返しても,それ以上の対策はなく,また取る気もないのだろうという受けとめが広がるだけだ。

 補注)この「新しい日常」という考え方は東京都が示したことばである。政府は「新しい生活様式ということばを示している。同じ現実の問題状況に対して都と国のあいだでこのように「新しいことば」を別々の表現でもちだすのは,変である。

 いっしょに混ぜて足していえば「新しい日常生活様式となるが,この程度のことがらを,なぜ小池百合子安倍晋三は調整・統一できないのか?

 ともかく「変な連中のやること・いうこと」になっている。たがいに協調性がないなどと形容するよりも,基本からなにかが狂っている政治屋たちの,へんてこな縄張り意識の発揮なのかもしれない。

〔記事に戻る→〕 責任ある立場の人の発言が食い違ったり,大きくブレたりするのも不信を募らせる。都内から他県への移動の自粛要請をめぐり,東京都の小池百合子知事と西村康稔担当相が逆のことを口にする。菅官房長官が「(コロナは)圧倒的に東京問題」といえば,知事は「国の問題だ」とやり返す。

 必要なのは,国と都が連携して,保健所のてこ入れや検査態勢のさらなる拡充に取り組むことであり,責任のなすりつけ合いではない。安倍首相から明確なメッセージが打ち出されないのも混迷に拍車をかけている。

 補注)ところでこのところ,安倍晋三の存在感がさっぱりなく感じられるのはどうしてか? もう「子どもの〈裸の王様〉」には,手に余り過ぎる現実の様相が,どんどんと進行中だということか?

 驚くのは,感染拡大のこの状況下で,政府が「Go To キャンペーン」の観光分野の前倒し実施を決めたことだ。事業そのものへの疑念もくすぶるなか,いま人の動きを活発化させようという意図はなになのか。

 補注)この「Go To キャンペーン」については,「Go To トラベル」という主旨だというから,まるで「Go To トラブル」だと,からかわれる始末。

 前段で触れたように,コロナ禍の状況のなかで「あちこち出かけて消費しろ」などと,それも政府が勧めるのは「Go To トラブル」の推奨でしかありえず,いったい安倍政権はどのようなコロナ対策をしたいのか,もしかしたら気が触れたのではないかと思わせるほど,おかしいのである。

 ところで,安倍君は国会のなかでその「Go To」を〈goutou〉(多分「強盗」のこと?)と読んだのから,嗤うにもわらえない出来事であった。

 さきほど出ていた「新しい日常」(東京都)と「新しい生活様式」(政府)という表現は,それぞれ図解的に説明されているので,それを参照しておく。この2つの図解は統一できるはずである。

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 赤羽一嘉国土交通相は「できるだけ早くという要望が強く寄せられた」と述べた。社会経済活動はむろん大切だが,さらなる感染拡大を招けば,かえって経済の傷を深める。大規模イベントの制限解除も同様だ。

 既定の方針に縛られず,状況を日々分析し,柔軟に対応する。未知のことが多いコロナ問題では,そんな姿勢が通常以上に求められる。政治が硬直し,思考停止に陥ってはいけない。(引用終わり)

 簡単にいってのけるが,安倍晋三君は現在,思考停止状態であり,小池百合子嬢は,完全といいくらい手詰まり状態にある。彼女は「東京アラート」は撤回していたが,それでは「さあ,あとはどうなっている」か? ともかく,その撤回は完全に凡ミスであった。それでも,都民はこの知事を再選させたゆえ,いまとなっては『痛恨のミス』を “都の有権者たち” は犯したことになる。

 というしだいになっているわけだが,いまどき国側と都側は新型コロナウイルス感染拡大「問題」をめぐり,いうなれば,つばぜり合い的な,実にバカらしいケンカにもならないケンカをしているつもりである。この人たちには,国も都も任せられないという気分になるほかない。まるで子どものケンカにしか映らない。

 

 「『圧倒的に東京問題』『国の問題』 菅長官の発言に小池知事が反論 新型コロナ」朝日新聞』2020年7月14日朝刊31面「社会」

 東京を中心に新型コロナウイルスの感染者が急増している状況をめぐって,菅 義偉官房長官と,小池百合子都知事が言葉の応酬を繰り広げた。菅官房長官は〔7月〕11日,北海道千歳市内での講演で,「この問題は圧倒的に東京問題といっても過言ではないほど東京中心の問題」と発言した。

 これに対し,小池知事は13日,「圧倒的に検査数が多いのが東京。陽性者には無症状の方もかなり含まれている」と指摘。政府が今月22日から前倒しして実施予定の観光支援策「Go To キャンペーン」に触れ,「整合性を国としてどう取っていくのか,冷房と暖房と両方かけることにどう対応していけばいいのか。体調不良の方は『都外へお出かけにならないでください』と伝えているが,無症状の感染者も出ているなかで,どう仕切りをつけるのか。これは国の問題だ」と述べた。

 菅氏は13日の会見で,同キャンペーンについて「感染状況を注視しつつ,適切に実施していきたい」としつつ,小池知事の発言には「政府の立場でコメントすることは差し控えたい」と言及を避けた。(引用終わり)

 国側の問題だとか,否,都側の問題だとかいいあっていられる時か? 本当にアホらしい応酬を菅 義偉(政府)と小池百合子(都)とがやりあっている。前にいったが「見ちゃーられない,聞いちゃーられない」連中の,本当にくだらないやりとりである。国民・都民たちの健康や生活や生命への関心はそっちのけの様子で,なにやらこの2人は口論している構図……。この問題は,本日の『日本経済新聞』朝刊もとりあげていた。

 

 「感染急増に戦略見えず 都13日も100人超 国と都,責任不明確」日本経済新聞』2020年7月14日朝刊3面「総合2」

 東京都での新型コロナウイルスの感染拡大に懸念が広がっている。新規感染者数は〔7月〕13日が119人だったが9~12日は4日連続で200人を超えた。菅 義偉官房長官が「東京問題」と指摘すると,小池百合子都知事が反論し,国と都の足並みは乱れている。両者共に感染拡大への具体的な対応や戦略がみえない。

 a)「この問題は圧倒的に『東京問題』といっても過言ではない」。菅氏は11日,北海道千歳市での講演で語った。13日には発言の意図を問われ「全国の新規感染者で東京が半数以上を占めることを踏まえた」と述べた。

 東京の12日の感染者数は206人で全国(389人)の53%を占めていた。13日で直近11週間の人口10万人あたりの感染者数は 8. 47人。これは緊急事態宣言中の4月14日の 8. 40人を上回り過去最高だ。

 群馬や長野,福井,広島各県では出張やイベント参加などで東京に赴いた人の感染が11~13日に判明した。先週から秋田や埼玉,愛知,香川などの知事が東京の感染増に警戒を表明し,東京圏との往来自粛を促している。

 b) 東京は反発する。小池氏は13日,菅氏の「東京問題」発言に「圧倒的に検査数が多いのが東京だ」と反論した。

 都のPCR検査の実施数は現在1日3千件超だ。日本全体は最近7千~8千件前後が多いため,4割程度を占める。都の検査はクラスター(感染者集団)が多くみつかる「夜の街」に集中する。人口も「夜の街」も多い東京が高水準なのは当然という理屈だ。

 補注)日本ではPCR検査の件数そのものが絶対的に少ない。これはもちろん諸外国と比較しての指摘である。そのうえでの話となる。なによりも,新型コロナウイルス感染拡大が問題になっていた今年の初めの段階,できれば2月・3月の時期に,PCR検査をもっと全国的に本格的に実施していればよかったものを,政府は故意に回避してきた。都にしても2020東京オリンピックをやりたいがために,もちろんコロナ問題には完全にしらぬふりを決めこんでいた。どっちもどっちである。

〔記事に戻る→〕 菅氏は13日,緊急事態宣言について「ただちに再び宣言を発出する状況に該当すると考えていない」と強調した。重症化リスクの低い若い感染者が多く医療体制も逼迫していないと説明する。

 都道府県知事は緊急事態宣言がなくても改正新型インフルエンザ対策特別措置法で休業要請を出せる。個別店への指示や店舗名の公表はできないが,業種別に要請し,一定の法的根拠がある。「都が夜の街全体に休業要請をすべきだ」との声もあるものの動きは乏しい。小池氏は都内の市区町村が判断すべきだとの考えも示している

 国は「感染拡大防止と社会経済活動の両立に取り組む」とかかげて宣言を解除した。都は宣言下で休業した事業主に協力金を配った。いまは財源の余裕は乏しい。国も都も経済との両立や財政を考えるとただちに動きにくいのが実情だ。

 最大の問題は国と都がともに戦略を明示しないことだ。国は緊急事態宣言の再発令の基準を設定していない。4月の宣言時の基準は「直近1週間の新規感染者数が人口10万人あたり5人以上」などだった。東京では同基準を上回りつづけている。

 都は6月2日に独自の警戒情報「東京アラート」を出した。もし感染が拡大して「直近1週間平均の1日の新規感染者が50人以上」などの数値を超えれば休業を再要請する構えだった。

 とはいえ休業の再要請は経済への影響が甚大で混乱も招く。都は6月30日には東京アラートと休業の再要請の基準を撤廃した。検査の陽性率などを専門家が分析し,感染状況などを4段階で評価する仕組に変えた。

 都の直近1週間平均の新規感染者は13日で 168. 4人に達する。以前示した休業再要請の基準の3倍以上だが抜本的な対策は講じていない。どういう状況ならどう対応するか,国も都も十分な説明をする必要がある(引用終わり)

 小池百合子都知事は,自分の立場に都合が悪い現実・事態が起こり,迫ってくると,ダンマリを決めこむ常習犯であった。「こんな都知事」「あんな首相(と官房長官)」しかいない「現在の日本という国」と「その首都」が,こうした無責任な指導者のもとに運営されているとなれば,新型コロナウイルス感染拡大「問題」への対応は,これからもドタバタ劇的な展開を余儀なくされるほかない。

 さて,前段までのごとき低次元の日本政治家(屋)たちからは目線を外して,つぎの日経コラムの意見を聞いておき,正気にもどって「新型コロナウイルス感染」という地球的な緊急課題を,冷静に観察してみたい。

 

 「〈大機小機〉西太平洋先進国,復興の主役」日本経済新聞』2020年7月14日朝刊17面

 新型コロナで世界経済が失速するなか,西太平洋先進国が浮上しつつある。中国は強力な都市封鎖で感染拡大を抑えこむと同時に積極的な財政出動でいち早く景気回復が始まった。だが,農業とサービス部門の回復の遅れにくわえ,米中貿易戦争で経常赤字に転落した。資本流出リスクを抱え,低空飛行が続きそうだ。

 補注)いま中国では,三峡ダムが上流地域の豪雨状態継続のために破壊される危険性があるという。もしも,そうした非常事態が発生したときには,中国の人口14億人のうち4億人が影響を受けると指摘されてもいる。

 中国に代わる牽引車として期待された新興7カ国(インド,ブラジル,ロシア,メキシコ,インドネシア,トルコ,南アフリカ)は感染爆発で死者が15万人を突破した。生産は29%減少,リーマン・ショック時を大幅に上回る落ちこみだ。経済成長に医療や社会保障制度が追い付かず,「中所得国の罠(わな)」にはまった。

 欧州は感染拡大が収まりつつあるが,欧州連合(EU)加盟27カ国の致死率は11%と高く,死者は13万人を超える。4月の生産は前年同月比27%減少し,リーマン・ショック時のボトムの水準を10%下回る。復興基金の創設が必要だが,打撃が大きいイタリア,フランス,スペイン,ドイツと比較的軽いアイルランド,オランダ,デンマークなどとの利害対立が懸念される。

 米国は感染拡大をいかに抑えるか正念場だが,巨額の財政政策と迅速な金融政策で景気の落ちこみを最小限に食い止め,覇権国の地位を堅持している。だが,財政赤字拡大で政府債務残高の国内総生産(GDP)比は第2次世界大戦直後の水準を超え,財政再建の重い荷物を背負う。

 牽引車不在のなかで西太平洋先進国・地域(日本,韓国,シンガポール,台湾,オーストラリア,ニュージーランド)が感染症対策先進国として注目を集める。感染率は世界の4分の1,死亡率11分の1で日本を除くと景気の落ちこみも軽く,回復も早そうだ。

 補注)ここで日本が「感染症対策先進国」に分類されるという解釈には疑問符が付いて当然である。コロナ禍に対する日本の実態は本当のところ,まだよく判明しておらず,したがって,このように位置づけるのは時期尚早というか,やや「日本スゴイ」的な感性に引きずられている発言であった。

 それに日本が「感染症対策先進国」であるというのは,問答無用的に,ともかくビックリさせられる発言であった。菅 義偉と小池百合子コロナウイルス問題では,協力しあわねばならない関係の立場にある。にもかかわらず,意地になって「口論しあっている」この国の現状がある。

 いいかえれば,率直にいって「コイツらは▼カと▲ホ同士だね」と表現したくもなるような「仲違いを国と都がやっている」最中に,こうした楽観論を展開するのは疑問があった。

 断わるまでもないが,日本の新型コロナウイルス感染者の死亡率は東アジア地域のなかでは,一番多く記録しているほうの一国であった。こちらとの比較は抜きで,前段のように「感染症対策先進国として注目を集める」と強調するのは,いささならず首をひねるほかない発言(異見)である。その意味でとなれば,たしかに「注目を惹く」意見になるかもしれない。

〔記事に戻る→〕 世界が感染第2波に身構えるなか,西太平洋先進国の出番だ。日本は強力な感染症対策機関を立ち上げ,国民の命を守ると同時に,これらの国々と連携して感染症に強い保険医療システムを提供することで世界に貢献すべきだ。グローバル化に逆風が吹くなかで新興国に市場を広く開放して自由貿易体制を守ることも必要だ。時代の大変革期を迎えて人的投資を拡大するなど,コロナ後の「より良い復興」(Build Back Better)の牽引車の役割を期待したい。(富民)(引用終わり)

 --この種の期待をしたい気持じたいは理解できなくはない。だが,それ以前に国内でゴタゴタしている,それもきわめてくだらなくも低次元の「国と都の痴話ケンカ」みたいな状態がすぐにでも除去されないかぎり,日本が,前段のような使命:役割を果たすことなど,期待すらできない。現状を観ているかぎりでは法外の希望,つまり夢にひとしい願望である。

 仮にでも,日本がその牽引車になりうると本気で思っているのか? 「3・11」後における「福島復興問題の実績」が参考になる材料を提供している。そもそも,現在にまで至ってきたこの国を,いまもなお「先進国の一員」と絶対に間違いなくいえるのか,そう保証できるのかといったら,安倍政権下では完全にダメになってきたとしかいいようがない。しかも,安倍の政治のことだけを指して,そういった判断を示しているのではない。

 先進国といえるために必要な「政治・経済・社会・文化などに関する諸指標」があるが,このところの日本は,それらの各指標をどんどん落下ないしは悪化させてきた。いまでは「牽引車」の役割を果たせる立場にあるのかどうかについては,さきに,その点を吟味しなおす必要性に迫られている。あまりにも脳天気に過ぎる発言はいただけない。日本の現状のなにを,どこを観て,そう主張できるつもりで,まだいられるのか?

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【参考記事】

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