前川喜平『面従腹背』2018年6月,加藤直樹『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』2019年6月が語る「関東大震災に関するウソ」,歴史の事実から目を背けて偽説を信じたい人びとの精神劣化

 前川喜平面従腹背』2018年6月,加藤直樹『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』2019年6月などが物語る,日本国における「為政者以下,一部人民(国民・庶民)」たちの錯乱した精神状況は,まさしく現在においてギマンに満ちた政治意識の腐敗・堕落を表現する
                  (2019年8月21日)

 

  要点:1 かつては「不逞鮮人」が妄想されていたが,いまは「ゴミ箱」的な概念となって利用(悪用)される「在日」という「ことば」

  要点:2 加害者であるがゆえに被害者の存在じたいに対しては,かえって “より深く恐怖” してきた「旧大日本帝国臣民的な日常心理の機制」そのものを忘れていたい気持

  要点:3 この道はいつか来た道か? 関東大震災朝鮮人犠牲者をめぐる追想など

  要点:4 安倍晋三的かつ小池百合子的な「低水準の理性=痴性の世界」に浮遊する「いまの日本」的な心情に対して,必要とされる対抗意識


  「『あったことをなかったことにはできない!』元文科省事務次官前川喜平の生き様」ダ・ヴィンチニュース 読みたい本がここにある』2018/8/30,https://ddnavi.com/review/483836/a/  から

 1) 前川喜平面従腹背2018年6月

 教育は誰のためにある? その人個人のため? それとも国家のため? その人の秘めている能力を最大限に引き出し,伸ばしてあげるのが,教育の役目だと思う。

 文部科学省事務次官まで昇りつめた前川喜平氏は,退官後,それまでの官僚生活を振り返って『面従腹背』(毎日新聞出版)を上梓しました。

 前川氏は「まずなによりも『個』が大切で,日本国憲法も『個人の尊厳』を至高の価値として認めることを大前提にしている」と,本書のなかで述べています。「子どもは学習し成長する権利を憲法上の権利としてもっている」そうです。

 a) 加計学園問題でみずからの信念を貫く

 前川氏は,加計学園問題で,一気に話題の人となりました。「あったことをなかったことにはできない」と述べた会見は記憶に新しいところでしょう。この本では,加計問題に直接触れてはおりませんが,官僚時代の仕事に対する姿勢を語ることで,自分は嘘偽りをけっしていわないという信念を読者に訴え,加計問題での一連の発言が偽りでないことを証明したかったのかもしれません。

 b) 教育勅語の復活に憂慮する

 本書によれば,最近「教育勅語」を復活させる動きがみられるそうです。森友学園問題で園児が教育勅語を暗唱している映像をみて衝撃を受けた人も多いことでしょう。

 教育勅語の考え方は,天皇が頂点に立つピラミッド型の国家体制を前提としています。一般庶民は,底辺で国を支える土台の役目を担わなければなりません。ですから,個人よりも家族,家族よりも国家が大事ということになります。

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 教育勅語でいう教育とは,国家に役立つ人材づくりの場であり,勅語からは,教育は国家のためにおこなわれるべきという思想を感じとることができるそうです。森友問題の根底には,安倍首相らの教育勅語に対する思いが潜んでいるのかもしれません。

 c) 公務員である前にひとりの国民でありたい

 役人には,時の政府の方針に従うことが求められています。しかし,その政府が間違った方向に向かおうとしていると感じたら,どう行動したらいいのでしょうか。

 前川氏は,本書で3つの答えを用意しました。

  その1,自分を殺して政府に従う。

  その2,いちおうイエスと答え,できうる範囲で自分が考える方向での修正をくわえる。

  その3,役人をやめる。

 前川氏は,2番目の道を選んだそうです。「面従腹背」を役人としての行動指針としたのです。

 d) 面従腹背から「眼横鼻直(がんのうびちょく)」へ

 公務員をやめたいま,前川氏の座右の銘は,面従腹背から「眼横鼻直」に変わったとあります。この言葉は,禅宗の祖・道元禅師の言葉です。目は横に,鼻は縦についています。あるべき姿をそのまま受け入れるという意味だそう。

 国会で,木で鼻をくくったような答弁を繰り返すのではなく,前川氏のような気骨ある発言をする政治家が増えれば,日本は別の方向に進むかもしれません。(引用終わり)

 2)「山本太郎とれいわ新選組

 さきの参議院選挙に新党「れいわ新選組」を立ち上げて戦った山本太郎は,最近の政治家としてはたいそう珍しくも「本当のことをいう」立場を貫き,いうなれば「事実を事実として」「ウソはいわない選挙活動」をしていたと評判になった。最近の世論調査によれば,つぎのような結果が出ていた。

   ◆ れいわが倍増,政党支持率 共産に並ぶ 4. 3% ◆
 =『共同通信』2019/8/19 01:30,07:36 updated,
https://this.kiji.is/535779019296097377

 

 共同通信世論調査で,れいわ新選組政党支持率が4. 3%となり,参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2. 1ポイント増えた。野党では,第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で,共産党に並んだ。若者の支持が目立った。

 

 れいわの支持層を年代別でみると,若年層(30代以下)が7. 4%で,中年層(40~50代)は4. 6%,高年層(60代以上)は1. 9%だった。男女別では,男性が4. 1%,女性が4. 6%となった。

 

 れいわと同様に参院選で政党要件を満たしたNHKから国民を守る党の支持率は0. 3ポイント増の1. 3%だった。

 しかし,現状における日本という国の〈世の中〉は,安倍晋三政権を代表格にして,口からでまかせでしかない「ウソ・偽り」が大手を振ってまかり通っていても,これが当たりまえの「完全なるフェイク国家状態」になっている。

 参院選でれいわ新選組山本太郎が指摘した安倍晋三のウソ・偽りのひとつが,消費税の使途であった。目的税的に支出されるどころか,ほかの財源に転用されるだけで,本来の目的には充てていなかった。安倍晋三のウソ・偽りは常套される文句だったといえ,あまりのその程度の悪さには,ヘドが出るくらいに嫌悪するほかない。

 3) 北朝鮮のミサイル(テポドン)はトンボと同じに飛翔体だったのか?

 先日までの安倍晋三は,もちろん,トランプの顔色をみながらの行動となっていたが,北朝鮮のミサイルが襲来するからといって,Jアラートという警戒情報を発令させて大騒ぎしていた。そして,たいして役にもたない非難訓練をさせていた。

 そのようなムダな騒動があったが,こんどは,北朝鮮が短期間に6回も連続して短距離のミサイル(テポドンではなく「飛翔体」だとマヤカシ的に指称したそれ)を発射してきても,「そんなものからはなにも実害が生じる可能性などない」とみなして,反応なしで済ませてきた。

 補注)『日刊ゲンダイ』は,そうした安倍晋三の対応ぶりを「北にぶっ放されてもゴルフ三昧  二枚舌首相の優雅な夏休み」(2019/08/19 17:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260478」)と皮肉っていた。この記事は最初のほうで,安倍のことをこう非難していた。

 「国難」と叫んで国会まで解散した威勢の良さは,どこへ消えたのか。北朝鮮が短距離弾道ミサイルの発射を繰り返しているのに,安倍首相は静観を決めこんでいる。米韓合同軍事演習などに反発し,7月25日にぶっ放して以降,北のミサイル発射は〔8月〕16日で6回目。たった3週間余りで異例のハイペースだ。

 

 それでも,安倍は「わが国の安全保障に影響を与えるようなものではないことは確認されている」と繰り返すのみで,抗議の言葉はゼロ。16日の発射から約6時間後にはサッサと山梨の別荘に向かい,今季2度目の夏休み入り。翌日には早速ゴルフを楽しんでいた。

 

 安倍のお気楽ぶりには,さすがに自民党防衛省からも批判が噴出。二階幹事長が「(北は)着々と性能実験を進め,完成度を高めている。看過できない」「政府には米国と緊密に連携し事態の把握と分析,必要な対応をするよう要請したい」と注文を付ければ,岩屋防衛相も「短距離,中距離のミサイルであればこそ,わが国には重大な脅威だ」と危機感を募らせた。

 

 北の新型ミサイルの一部は,安倍の地元・山口県を含む中国地方や九州北部が射程に入る。発射のたびにJアラートをかき鳴らした大陸間弾道ミサイルICBM)よりも,日本にとってはよっぽど脅威だ。

 

 地元の人びとが北のミサイルにおびえながら暮らすハメに陥っているのに安倍はゴルフ三昧で,自民党防衛省の懸念に聞く耳もたずとは,国民のことなど考えていない証拠だ。驚くほどのイカれっぷりである。

  この『日刊ゲンダイ』の指摘は,安倍晋三のごくごく個人的な好み(?)でもって,北朝鮮のミサイル(ではなく「飛翔体」というのだから,地表に到達・落下する前に燃えつきるような隕石並みのあつかい?)の発射のことを,「あったことをなかったことにできる」,つまり「万能感(森羅万象観)に満ちたシンゾウ」に一流である,あの寝とぼけ的なゴマカシが横車的に押し通されていた。

 Jアラートという実際の避難行動に,前回協力していた国民・市民たちをコケにすること,実になはだしかった。もっとも,その点をめぐりはっきりと抗議する人びとがろくに登場していないとなれば,安倍晋三君もアベだが,国民側も似たようなもの(同類)だとみなされて,いわば「同じ穴のムジナだ」と断定されかねない。

 安倍晋三の為政は,前川喜平流にたとえていえば「あったことをなかったことにはできない」(「あるものをないものにはできない」)どころか,「なかったことをあったことにできる」(「ないものをあるものにできる」)と形容したらいいような別世界にまで,アベみずからが飛翔体になったかのようにして舞い上がっているのだから,これは,きわめつけのデタラメな国家=日本を創造(!)してきたというほかない。

 『日刊ゲンダイ』による前段のごとき安倍晋三「批判」が,国民・市民たちのあいだからもまともに湧き上がらず,したがって,それほど大きな声にもならないでいる「この国の政治状態(民主主義のあり方,ウソ・偽りを許さない態度)」そのものが,すでにいちじるしく減退・消滅しており,この国全体があたかも「アベ末期的にも映る様相」を呈している。

 

  加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』2019年6月が,あらためて解明する「関東大震災」時の朝鮮人惨殺行為

 この加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』ころから(これは出版社名),2019年6月は,つぎのような中身と編成である。

「内容説明」

 工藤美代子,産経新聞日本会議自民党文教族小池都知事百田尚樹,彼らがかかげた「虐殺否定」は幼稚な “フェイク” だった! 虐殺否定論とは認識の誤りではなく,人をだます目的でしかけられたトリックなのだ。

 

「目  次」

 第1章 虐殺否定論はネット上のフェイクである

  はじめに 関東大震災時の朝鮮人虐殺とは,どのような事件だったのか

   1「朝鮮人虐殺はなかった」という「説」は存在しない
   2 虐殺の史実を伝えているのは「証言」だけではない
   3「朝鮮人暴動はデマではなく事実」というデマ
   4 ネットに出回る「朝鮮人暴動」記事は震災直後の誤報にすぎない
   5「悪いことをした朝鮮人もいた」のか
   6 そもそも「朝鮮人暴動」がどれほど荒唐無稽な話が考えてみる

  コラム「約6000人」をめぐって-虐殺犠牲者の人数を考える

 

 第2章 虐殺否定論はトリックである-虐殺否定論を「発明」した工藤夫妻 / “トンデモ本” ではなく “トリック本”

  【第1のトリック】 震災直後の流言記事を「証拠」扱い-「暴動」を否定する10月以降の記事は黙殺 / 虐殺研究書から流言記事を抜き出して否定論に悪用

  【第2のトリック】 政府隠蔽説の根拠は「お父さんの一言」-膨大な記録が残る虐殺の史実

  【第3のトリック】 朝鮮人犠牲者の数を極少化する数字の詐術-あいまいな数字を重ねる「推計」/ 教科書どおりの古典的な詭弁

  【第4のトリック】 史料を都合に合わせて切り貼りする-虐殺の記録を「朝鮮人暴動」の記録にねじ曲げる

  【第5のトリック】 都合の悪い部分をこっそり “省略”

  【第6のトリック】 原典が書いてもいないことを “参照”

  【第7のトリック】 独学者の労作を「かなり公の刊行物」と偽る-この詩は “ノンフィクション” ではない? / トリックになしには成り立たない「虐殺否定」本

  コラム 穀粒回・内田良平の「虐殺否定論」を検証する

 

 第3章 虐殺否定論は社会を壊す

  『日本国紀』にも登場する虐殺否定論  拡散する虐殺否定論
  横浜市副読本回収事件   内閣府HP災害報告「削除」事件
  小池都知事の追悼文送付取りやめ事件   虐殺否定論の狙い
  災害時のデマは声明を奪う  虐殺否定論に抗する声のひろがり

  コラム「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の歴史的な “重み”

 

 付録1 工藤夫妻の示す「証拠」史料を検証する

  工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例1-朝鮮人が出てこないのに「朝鮮人の襲来からようやく逃れた」経験と強弁

  工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例2-市民が恐怖におののいていた以上朝鮮人襲来は真実?

  工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例3-拷問による「自白」が暴動の証拠?

  工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例4-省略を悪用して原文の趣旨をねじまげる

  工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例5-省略の悪用で噂への言及を事実の描写のように見せかける

 

 付録2 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会災害教訓の継承に関する専門調査会報告書平成20年3月(2008年) 1923関東大震災 “第2編” )

 

 あとがき

  以上,加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』を実際に購入しない人にも,だいたいの要旨が判る程度にまで,くわしく目次の項目を紹介したつもりである。この本はとくに前半部分は非常に分かりやすく構成され,当時の新聞の記事を切り抜いて引用したりしている。

 補注)加藤直樹が本書を制作する材料(前提)として,いままで蓄積されてきたサイトやブログの論及・内容があった。それらは,つぎの記述を手かがりにして探っていけばよい。本書の内容をさらにくわしく読みたい人は,こちらはロハで読めるので,参考にまでかかげておく。

  ★『工藤美代子 / 加藤康男「虐殺否定本」を検証する』★
       http://kudokenshou.blogspot.com/

 

 このブログは,工藤美代子 / 加藤康男による「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本」を検証するために,「民族差別への抗議行動・知らせ隊+チーム1923」が作成するものです。初めてご覧になる方は,入門編「はじめに」からお読みください。

 付記)入門編「はじめに」のリンクは,上記の表題にある住所である。

 

 加藤直樹は同書を制作・公刊した意図を,つぎのように説明している。

 

  今回,サイトやブログから一歩進んで,虐殺否定の解明を1冊の本にまとめることにしたのは,書籍にしかできないことがあると考えたからである。

  あとで紹介するように,ノンフィクション作家の工藤美代子・加藤康男夫妻が書いた朝鮮人虐殺否定論の本が右翼政治家らによって議会などととりあげられ,虐殺をめぐる教育や追悼行事をつぶしていくために大いに利用されてきた。

  それができたのは,そこに “本が存在する” ことの重みがあるからだろう。虐殺否定論本は,いまも全国の図書館の棚に涼しい顔で納まっている。

  だとすれば,そのトリックを明らかにする本をまとめ,書店や図書館に,さらにはメディアや行政の担い手たちに届ける必要があると,私たちは考えたのである(加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』4-5頁)。

 加藤直樹は,前川喜平のいった「あったことをなかったことにはできない」などではなく,「なかったことをあったことにできている」かのように,歴史の改ざんや偽作を犯してきた「工藤美代子・加藤康男夫妻による『関東大震災朝鮮人虐殺否定論』」の宣伝工作に対抗する言論活動として,今回の著書『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』を制作・公刊したというのである。 

 加藤直樹は,巻末の「主な参考文献」には出していないものの,工藤美代子『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』(産經新聞出版,2009年)という「真っ赤っ赤な嘘を書いた」本については,ずいぶん奇妙なことになっていた “ある出版の事情” を,こう指摘していた。 

 「工藤美代子の配偶者」である「加藤康男が著者にすり替わった」かっこうで,加藤康男著の『関東大震災朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック〔Wac bunko〕,2014年)が,工藤美代子『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』2009年の再版として,新たに刊行されていたのである。 

 その点(やり方)については「出版倫理に関する問題」があるとかないとかいった問題以前に,まったくもってひどい操作(小細工)がそのさい,おこなわれていたことになる。 

 加藤直樹にいわせれば,「同一の本でありながら再版に当たって著者名が変更されるという奇怪なことになっている」わけで(加藤『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』79頁),いまとなっては,この夫妻がいかにもやりそうなトリック的な再版の形式であったと受けとるほかない。 

 『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』2009年の執筆者は妻:美代子であったが,これが夫:加藤康男が執筆した本に変身してしまい,『関東大震災朝鮮人虐殺」はなかった!』2014年として再発行されていた。 

 そのさい,こちらの再版(新版?)全378頁のうち,夫が加筆したのは8頁だけであった。そもそも「論旨に大きくかかわる変更もない」まま,「著者そのものが別人になってしまうなど聞いたことがない」(加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』79頁)。 

 そういった,まさに “非常識に相当する「自分たち(?)の著書」イジリ” ができる感性じたいが,常人にはとても理解の及ぶところではない。ともかく,この夫婦によって創作されていた「朝鮮人虐殺否定論」は,正真正銘の「虚構性(砂上の楼閣)」でしかありえなかった。この点だけは,文句なしに強調されてよい。

【補 説】

   ★ この悲劇 繰り返しはせぬ
      朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を ★
 =『澤藤統一郎の憲法日記』2019年8月21日,http://article9.jp/wordpress/?p=13204

 

 ジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かりやすく説得力に富む内容だった。その彼が,講演の最後に,なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて,「3つの論理」を述べた。これが印象に深い。

 

 3つの論理とは,「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。

 

 「差別の論理」とは,当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識,謂われのない蔑視の感情が,容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。

 

 次いで,「治安の論理」である。このとき,朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は,蔑視だけでなく,朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情もあわせもっていたであろう。朝鮮人に対する,過剰な警戒心をもっていたであろう。

 

 さらに,「軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには,あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし,軍隊の経験を経ている者は,人を殺すハードルを乗り越えている。

 

 自警団の中心にいたのは,実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも,彼らは,シベリア出兵(1918年~),3・1独立運動弾圧(1919年~),間島出兵(1920年)など,ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。

 

  加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』に対するアマゾンの書評(カスタマー・レビュー)は満点をつけた3件が書きこまれている(2019年8月21日現在)

 1) ミスター・ディグ,「『朝鮮人虐殺』否定派,完全論破」2019年7月10日

 本書の主眼は,歴史的にすでに明らかとなっているはずの「関東大震災後の朝鮮人虐殺」,その事実を否定する人達(以下,否定派)の主張,およびそこに混ぜられたトリックを,ひとつひとつ丹念に解き明かしていくことである。

 本書を読み進めるごとに明らかになる,否定派の荒唐無稽さ,論理破綻ぶりは必見である。ここではすべてを書けないが,否定派の特徴としては,

  ▼-1 基礎的な歴史的知識の欠如

  ▼-2 自説に都合の良い史料しか読まない,それ以外の史料はほぼ無視。場合によっては史料の歪曲もおこなう

  ▼-3 みずからの勝手な空想で歴史を説明しようとする。時代小説じゃないんだから

  ▼-4 歴史的事実など本当はどうでもよく,ただそれらを否定してみせることが目的

 こうしてみると南京事件否定派とソックリだな。しょせんは,詭弁やトリックでしか対抗できないということか。あえて名前は出さないが,こんなくだらない主張を続けるノンフィクション作家,小説家,政治家らには心の底から反省し,日本人としての良識を取り戻していただきたい。

 2)  不真面目な仏教徒,「エセ歴史学への良質な批判」2019年7月21日

 関東大震災のとき,デマによって多くの朝鮮人が虐殺された。現時点でこれを否定するトンデモ本を出しているのは,この本で批判されている夫妻だけである。ただ,この否定論は日本の歴史修正主義者達のあいだですら,あまり人気がない。

 おそらく理由としては,虐殺の記録を書き残しているのは日本人がほとんどであること。虐殺から朝鮮人を守った日本人の英雄談を否定したくないからだろう。しかしネットでは論理や辻褄に関心のない人びとのあいだでは,大きな需要がある。

 この本で批判されるトンデモ説は,過去の膨大な歴史研究の集積を無視し,史料の読み解きも文献史学の基本を,破りまくりのお話しにならない代物である。当然,学会ではまったく相手にされていない。

 しかし学会は,トンデモ批判に対しても消極的である。貴重な研究の時間を,このような面倒な作業に費やしたくないのであろう。しかし放置も問題だと素朴に思うのだ。

 幸いなことにこのトンデモ説は,リアルの論争では保守右派ですら,大っぴらには支持する人は少ない。しかしこの間の都知事小池百合子のこと〕の騒動をみても,これも時間の問題かもしれない。

 補注)小池百合子の反動形成的な在日「朝鮮人(韓国人も含む)」嫌いは,徹底したアジア人嫌いを示唆する。つぎの解説を参照してほしい。

 吉川 慧「小池知事,関東大震災朝鮮人犠牲者めぐり持論 ⇒『虐殺の事実から目を背けるもの』と批判の声,〔2017年〕8月25日小池知事が記者会見で語った内容とは。」『HUFFPOST』2017年8月26日 18時25分 更新 22時44分,https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/26/yuriko-koike-great-kanto-earthquake-of-1923_a_23186257/

 そんななか,これは誰かがやらなければならないことをおこなった貴重な本であろう。

 3) haruka(2019年8月18日)

 読了。荒唐無稽と笑っているあいだに,なかったことにしたい人たちがこぞって引用しはじめる。事実であるかどうかは彼らには問題ではない。不快な歴史はないものとしたいのだ。

 『九月,東京の路上で』に引きつづく良書。加藤直樹氏がもしいなかったら,もっと悲惨な未来が来るところだった。とても読みやすい。ぜひ手にとってごらんいただきたい。そしてデマ扇動の本ではなく,この本を図書館に置いてもらいたい。

 --さて,つぎにつづく ④ は,ここまでの記述に関係がありそうな「本日(2019年8月21日)的な論説」であると受けとめ,引用することにした。

 

 「〈多事奏論〉表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」高橋純子・編集委員朝日新聞』2019年8月21日朝刊9面「オピニオン」

 彼は流しそうめんのように掴(つか)みにくい男だった。連休初日の8月10日,札幌・大通公園で私の脳裏になぜ『吉里吉里人』」(井上ひさし)の一節が浮かんだかというと7月の参院選のさなか街頭演説に立った安倍晋三首相に「安倍やめろ!」とヤジを飛ばしたら

 すぐ警察官に取り押さえられてササーッとその場から排除されたソーシャルワーカーの男性(31歳)が自身のその時の状態を「最近家でやった流しそうめんのようだった」と表現してみせたからだった。

 この日,北海道警察に抗議しようと企画された「ヤジもいえないこんな世の中じゃ…」デモ。黄色い横断幕の端っこをもち,「道警謝れ!」と笑顔でコールしている大学4年生の女性(24歳)も,「増税反対!」とヤジった途端に囲まれ腕をつかまれた。

 補注)このあたりの光景はまさしく戦前体制(ただし,ただちに豚箱に放りこまれないところが不幸中の幸いだが)。「戦後レジームからの脱却」を,安倍晋三は自分の街頭演説の舞台では,確かに実現させている。

 とはいっても,対米従属国家体制のもとでの「この自覚」がまともにないままのその脱却だとしたら,まさしく,安倍自身がみずから進んでトランプを「お尻を舐めナメしながらの」,実にみっともない,その種の「自国内の民イジメ」であった。それゆえ,その光景が戦前・戦中に似ているとだけ指摘して済まされるような単純な問題ではなくなっている。

 安倍晋三はいままででも,さんざんにこの日本という〔美しい?〕国を壊してきたが,この当人においては実は,その自覚がゼロである。まったき「世襲3代目の大▼カモノであるボンボン政治屋」であるに過ぎない「この暗愚で粗暴なボクちん」を首相にしてしまっている有権者・国民たちの責任は,副首相の麻生太郎の口調を借りていえば,とてつもなく大きい。小選挙区比例代表並立制に固有である制度的な問題のせいばかりにはできない。

〔記事に戻る→〕 「法律犯してないのにヤバくない?」

 警官に引っ張られながら,周囲に聞こえるように,「助けて」という思いをこめて声を上げたが,遠巻きにただながめられた。なかにはスマートフォンで撮影している人もいて,警察ではなく自分が「ヤバイやつ」と思われていることに気づいた。

 1時間ほど複数の警官につきまとわれた彼女は,自身のスマホで動画を撮った。「(私たちに)権力なんかないよ(笑)」「(あなたと)ウィンウィンの関係になりたい」「ジュース買ってあげる」。

 警官の発言の軽さ。なれなれしさ。市民の自由を抑圧している自覚はたぶんないのだろう。無自覚でカジュアルな権力行使は,自覚的なそれよりある意味おそろしい……,はい。同様のことは,名古屋でも。

 補注)ついこのあいだからいままで,沖縄県では普天間基地の代替基地を辺野古の沿岸を埋め立てて造成する工事が進行中である。ところがあるとき,反対派住民のデモ活動に対して警備(本土から動員された)の警察官が「土人!」と侮蔑する放言を放ったことがあった。

 彼はきしめんのように薄い男だった,とはおそらく誰も書いてないが,名古屋市河村たかし市長は,国際芸術祭「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像の撤去を求め,「日本人の心を踏みにじる」「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などと語ったという。

 この認識がいかに浅薄かはさんざん指摘されているので繰り返さないけれど,もうずいぶん前のこと,被爆地の千羽鶴が燃やされたんだったかモニュメントが壊されたんだったか,そんなような事件があり,テレビのニュースキャスターが「悲しい」とコメントしたことをふと,思い出した。

 確かに悲しい。しかしキャスターという立場の人がそういう次元で勝負するのは危ういと感じた。ただ,なにがどう危ういのかは深く掘り下げないまま今日に至っていたのだが,今次の河村発言をかぶせて考えてみると,おぼろげながらみえてくる。

 愚かな戦争を始めたこと。内外に甚大な被害を与えたこと。痛切な悔恨と反省が,戦後の日本,日本人にタガをはめ,善悪正邪のラインをくっきりとさせていた。

 だが戦後も70余年が経ち,メンテナンスの悪さも相まってタガはすっかりゆるんだ。それに乗じて,「戦後レジームからの脱却」を唱えるお歴々が新たなラインを引きまくり,踏みにじった側がのびのびと,ちゅうちょなく「踏みにじられた!」といい立てるようになった。

 悲しい。傷ついた。踏みにじられた。これらの主張は重い。強い。いわれた側は「申しわけない」と謝罪するか,「そんなつもりはなかった」と弁明するか,そうでなければ無視を決めこむか,取りうる手立ては限られる。

 ゆえにこれらは被害者が自身を守る「盾」としてしか使えなかったはずなのに,いまやカギカッコをかぶった「被害者」が,気に食わないものをぶった斬るための「剣」として便利に使っている。しかも,主語を「日本人の心」まで肥大化させれば,およそ斬れないものはない。

 一億総活躍ならぬ一億総「被害者」社会。そうめんきしめんまっぴらごめん。ふう。夏休みの自由研究はひとまずここまで。2学期はもっと勉強に励みます。(引用終わり)

 そういえば,本(旧)ブログ内では以前(5〔6〕年前になる),工藤美代子のトンデモかつトリック本であった『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』(産經新聞出版,2009年12月)を,すでにとりあげ批判していた 註記)。すでに触れたように,この5年間において日本の政治・経済は,安倍晋三の為政のもとで確実に退歩していくばかりであった。

 補記)2014年9月2日になされていた旧ブログにおけるその記述は,つぎの題名を付けていた。この記述も長文であるが,できればつづけて,本ブログ内に復活させたい。

  主題「堂々たる虚説・砂上の空論,関東大震災における朝鮮人虐殺は正当防衛だったと叫ぶ工藤美代子の迷信的主張」

  副題「被害妄想と時代錯誤と空想創造などが,錯覚的に織りなす迷作品」

 上の記述は,続編(  ↓  )として明日(7月28日)に公開している。

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